忘却のタリスマン
第9話
今日こそ徘徊の森の最深部へと進むべく、早朝のうちにグランツを出発する。
先日までマンドレイク狙いで冒険者が集中していたせいか、モンスターの気配は少なかった。天候も良好、セリアス団は意気揚々と進行する。
しかしセリアスは後方の人物に勘付いていた。
(……現れたか)
グランツを出た時から、ずっと誰かがセリアスたちを追ってきている。グウェノも気付いているようでセリアスに目配せする。
「なあ、セリアス……」
「じきに悪戯を仕掛けてくるさ。それまで……」
突然、セリアスたちの頭上を真っ赤な火球が通り過ぎていった。
「きゃあっ?」
「イーニア殿、拙僧の後ろへ!」
木の上に隠れていたらしいモンスターが焼け出され、一目散に逃げていく。
「んふふっ。ぼやぼやしてんじゃないわよ、セリアス」
火球を放ったのは、魔導士スタイルの女性だった。豊満なプロポーションをタイトスカート風の法衣で引き締め、右手にはクリスタルの杖を携えている。
その美貌には艶やかな笑みが浮かんでいた。
「あら? 私の顔を忘れたんじゃないでしょうね」
「久しぶりだな、メルメダ」
魔法使いのメルメダ。彼女とはソール王国の地下迷宮で行動をともにしていた。
彼女の魔法には大いに助けられたが、一方で罠は踏むわ、鍵はなくすわ。彼女のために遠まわりを余儀なくされた場面も多い。
「セリアスのお知り合いですか?」
「ああ。前の仕事でちょっと、な……」
魔法屋のみならず、ギルドでも『美人の魔法使いが来た』と噂になっていたため、そろそろ再会するとは思っていた。確かにセリアスの目から見ても美人ではある。
案の定、グウェノが愉快そうに茶化してきた。
「おいおい、なんだよぉ? お前にも女がいたんじゃねえか。なあ? オッサン」
「いや、まったく! 隅に置けんとはこのことだのう。ハッハッハ!」
ハインもグウェノに相槌を打ちながら、高らかに笑う。
イーニアが真顔で口を滑らせた。
「でもセリアス、恋人さんとはとっくに別れたって……」
プライバシーを暴露され、さしものセリアスも顔を覆いたくなる。
「イーニア、お前というやつは……」
「ヒャハハッ! そいつは今夜にでも、じっくり聞かせてもらわねえとなあ~」
「放ったらかしにしてたら、愛想尽かされたっていう話でしょ?」
おまけにメルメダがいるせいで、しばらくは面白半分に弄られそうだった。やにさがるメンバーをあしらいつつ、セリアスは単刀直入に切り出す。
「こそこそついてきたりして、何の真似だ?」
メルメダはあっけらかんと答えた。
「秘境がどんなとこか、様子見に来ただけよ。あんたなら知らない仲でもないしね」
(他人のふりをしてくれても構わなかったんだが……)
彼女もまた冒険者として城塞都市グランツを訪れたのだろう。魔法屋でセリアスを捜していたことから、セリアスがグランツにいることは掴んでいたらしい。
「それに、あんたには聞きたいことがあったのよ」
「……なんだ?」
杖を握り締めたまま、メルメダは人差し指を向けてきた。
「ソールの迷宮で見つけた、あの鎧よ! あんたが古の王と戦った時、着てたあれ、どこにあるわけ? 白状しなさいったら」
対し、セリアスはしれっと言ってのける。
「あれなら、荷物になるから城に置いてきたぞ」
「えええっ? なっ、なな……なんでよ? このバカ!」
「だから、荷物になるからだ」
メルメダの表情は自信家の笑みから一転して、驚愕の色で満たされた。幻滅するように額を押さえ、溜息を漏らす。
「はあ……あの鎧ひとつで、どれだけの稼ぎになると思ってるわけ?」
「あれはソール王国のものだろう。諦めろ」
この魔法使い、腕は一流なのだが、行動原理は三流だった。短絡的で即物的、それでいて計画性は皆無のため、骨折り損のくたびれ儲けがパターンとなっている。
「……じゃあな。行こう、みんな」
「ちょ、ちょっと! スルーしてんじゃないわよ!」
メルメダは子どもみたいに地団駄を踏んだ。セリアスは呆れながらも足を止める。
「まだ用があるのか?」
「今日はいつにも増して冷淡ね。秘境を見に来たって言ったでしょ?」
ずっと平行線なのを見かねてか、グウェノが割り込む。
「ひょっとして、オレたちのパーティーに入るつもりなワケ?」
「まさか。セリアスに関わって、トラブルに巻き込まれるのは懲り懲りだもの。メンバーはほかで探すわ」
かぶりを振るメルメダではあるものの、今日のところは一緒に来る気らしい。
嬉しそうなのはハインで、戸惑っているのは同じ魔法使いのイーニア。
「よいではないか、セリアス殿。こんな美人を無下にしては、罰が当たるぞ? ……申し遅れた、拙僧の名はハイン。大陸寺院のモンク僧だ」
「えぇと、初めまして……イーニアです」
メルメダはイーニアをしげしげと見詰め、片方の眉をあげた。
「セリアス、あんた、やっぱりロリコンなんじゃない? ソールにも、これくらいの子の護衛で来たとか言って……」
「つまらん憶測でものを言うな。はあ、何が『やっぱり』だ」
口が軽すぎる昔の相棒にセリアスはげんなりする。
「面白そうだし、連れていこうぜ。イーニアの勉強にもなるだろうしよ」
メルメダの同行にはハインとグウェノが賛成し、イーニアは保留、セリアスだけが反対となった。多数決を制したメルメダが、パーティーの先頭に立つ。
「さあ、行くわよ!」
「……そっちから来たんじゃないか」
幸いにして、この筋金入りの方向音痴にルートを憶えられる心配はなかった。
木々の隙間から狼タイプのモンスターが飛び出してくる。
「わたしに任せなさいっ!」
すかさず構えを取ったのはメルメダだった。火球をばらまきながら杖を旋回させて、続けざまに今度は氷の刃を放つ。魔物の群れは瞬く間に炎に巻かれ、切り刻まれた。
イーニアは驚きのあまり目を点にする。
「すごい……相反属性の魔法を、ほとんどノータイムで……」
「だろう? しかも、こいつは四属性とも使えるんだ」
メルメダという魔導士はこと実戦において、稀有な才能を有していた。地水火風の攻撃魔法を自在に使いこなすうえ、動体視力や瞬発力にも優れている。
何よりイーニアとはキャリアが違った。十五歳のイーニアと二十一歳のメルメダでは、経験に大きな差があるのも、至極当然のこと。
メルメダがイーニアの杖を借り、その手触りを吟味する。
「そんなに使い込んでないようね。あなた、お師匠様の名前は?」
「アニエスタ先生ですけど……」
「ええっ! アニエスタって、あの『東のアニエスタ』っ?」
メルメダの瞳が今一度、イーニアの小顔を映し込んだ。
「驚いたわね……わたしの師匠は『西のザルカン』って言って、その対抗馬が『東のアニエスタ』ってわけ。なるほど、なるほど……」
門外漢のセリアスやハインは首を傾げるしかない。
「それほど有名な御仁で?」
「もちろんよ。わたしの師匠とは違って、錬金や調合のほうの専門なんだけどね」
メルメダは含みを込め、唇をなぞった。
「……面白いじゃない。次はイーニア、あなたが追っ払ってみて」
「え? 私が?」
メルメダの提案とはいえ、これにはセリアスも口を揃えた。
「同じ魔法使いの大先輩に教わるチャンスだぞ」
セリアスたちではイーニアに探索の技術や武器の扱い方を教えることはできても、魔法のイロハを指南することはできない。そのため、魔法の戦力はイーニアの独学頼りになっていた。その点、メルメダの知識や経験は、大いにイーニアの助けになるはず。
「そうとなりゃ、雑魚でも探すか」
「じきに出てくるだろう。援護は拙僧らに任せておけ」
しばらく進んだところで、さっきと同じタイプのモンスターがまた襲ってきた。相手は一匹、こちらもイーニアの魔法だけを手段にする。
セリアスはモンスターの突進を盾で押さえ、弾き返した。
「今だ、イーニア!」
「はいっ!」
息ぴったりにイーニアの魔法がモンスターに命中し、真っ二つに仕上げる。
結果は上々。しかしメルメダの表情は硬かった。
「遅いわね。というより要領が悪いんだわ」
「……え?」
彼女が腰周りのポーチを開け、丸薬のようなものを取り出す。
「触媒にしても、魔法ごとにあらかじめ分けておくのが基本よ。特に射撃系の魔法は、真珠を使うのがほとんどだから、こんなふうにしておくの」
マントの裏にはスクロールも一通り揃っていた。
「詠唱で手間取るのはしょうがないでしょうけど、杖は替えたほうがいいわ。それ、調合用でしょ? 戦闘用も別に用意しなさい」
「は、はい……」
「セリアス! これくらい、あんたが教えてあげなさいってば」
そう言われては、ぐうの音も出ない。
「素人があれこれ教えるのはまずい、と思ってな」
「まったくもう。ほら、行くわよ」
メルメダはマントを翻し、すたすたと歩き出した。
その魅惑的な後ろ姿にグウェノが見惚れる。
「あのマントがなけりゃ、おみ足ももっと……才色兼備ってやつじゃねえか。なあ?」
「調合さえしなければな」
ソール王国の爆発事故に彼女が絡んでいることを、セリアスだけは知っていた。
さらに奥へと進む途中で、セリアス団はキロのテントへと立ち寄る。しかしキロの姿はなく、置き手紙だけが残されていた。
その上には白金旅団のプレートが乗っている。
セリアス団へ。
おれはそろそろグランツを出るよ。短い間だったが、世話になったな。
このテントはやるから、好きにしてくれ。
大穴の探検を続けるも止めるも、おまえら次第だが、無駄死にはするんじゃねえぞ。
おまえらの無事を祈ってる。
あばよ。――キロ。
ハインはプレートを握り締め、トーンを落とした。
「そうか、キロ殿が……」
セリアスたちだけが知る、白金旅団の本当の最後。たったひとりで生き残ってしまったために、キロはこれから逃亡生活を余儀なくされるのだろう。
少し前まではグランツの英雄でいられた、あの彼が。
沈痛な雰囲気に耐えきれず、グウェノはさも陽気に声を弾ませる。
「ま、まあ、気にすることねえって。実力はあるんだ、どっかでまた元気にやるさ。それにほら、マンドレイクの採取用にテントも手に入ったことだしさあ……」
「マンドレイクですって?」
その一言にメルメダが瞳を輝かせた。
「この近くにマンドレイクがねえ……うふふっ! いいこと聞いちゃったわ」
秘密の穴場を知られてしまったのだ。グウェノが口を滑らせたせいで。
セリアスは大袈裟な素振りで溜息を漏らす。
「今度こそマルグレーテはお前を許さないだろう。短い付き合いだったな、グウェノ」
「そういえば、前にもマルグレーテさんに『暇人』って……」
「ちょ、ちょっと? イーニアまで?」
グウェノはうろたえ、ハインの笑い声が木霊した。
「ワッハッハッハ! 安心せい、グウェノ殿。マルグレーテ殿も秘境の資源を独占できるとは考えておらんだろう」
セリアスも口に出さないだけで、横取りされるとは思っていない。
(メルメダじゃここまで来れんだろう)
意味深に黙りこくるセリアスを、メルメダは訝しそうに睨みつけてきた。
「……何考えてんのよ、あんた」
「さあな」
テントで一休みしてから、セリアス団は探索を再開する。
メルメダが実戦以外では勘が鈍いおかげで、記憶地図に悟られることもなかった。ついにセリアスたちは木々の迷路を抜け、徘徊の森の最深部へと辿り着く。
そこは大きく開けた場所だった。中央には立派な大樹が悠々と聳え立っている。
「さしずめ長老の木といったところか」
イーニアがセリアスにだけコンパスを覗かせた。
「反応があるのはここで間違いありません」
「どこかにプレートが……?」
「ちょっとぉ、こそこそ何やってんのよ? さっきから」
部外者のメルメダは杖を肩に掛けつつ、青々とした巨木を仰ぎ見る。
「メルメダには教えちまってもいいんじゃねえの? セリアス。王国調査団にチクったりはしねえだろ」
「そうだな。メルメダ、聞いてくれ」
魔具の捜索について打ち明けようと、イーニアがコンパスを差し出した時だった。
「実は私たち、これで……きゃああっ?」
不意にコンパスが強烈な光を放つ。
「もしやハクアの光か?」
「プレートじゃねえ! このでかい木に反応してるみたいだぜ!」
光のエネルギーはコンパスを飛び出し、大樹の幹へと直撃した。すると、風に煽られるかのように葉がざわめいて、森の鳥は次々と飛び去っていく。
巨木から何やらどす黒いものが溢れてきた。
その幹に人面が浮かびあがり、雄叫びを轟かせる。
「みんな、離れろ!」
セリアスたちは急いで間合いを取り、臨戦態勢で構えた。
巨木の下で地面がもこもこと盛りあがる。そこから分厚い根が放射状に飛び出し、樹の本体をぐらりと持ちあげた。
魔物と化した、一本の樹木。だが、このスケールではもはや『モンスター』などという次元の存在ではなかった。その身を守るように魔方陣が展開していく。
「障壁を張ったわ! あいつには知恵があるのよ!」
「や、やべえぞ! 逃げるしかねえ!」
その脅威を直感したらしいグウェノは、迷うことなしにイーニアの手を引いた。
ただならない未知の敵と遭遇したのだ。冒険者として『逃走』を選ぶことは、決して臆病ではない。セリアスの脳裏にも撤退の二文字がよぎった。
しかし今はメルメダが一緒にいる。
「グウェノはイーニアを連れて、離れていろ! ハイン、メルメダ、力を貸してくれ!」
「承知した! こいつは骨のありそうな相手ではないか」
「わたしまでっ? あーもう、また巻き込んでくれちゃって!」
大樹が根を振りあげ、一気に振りおろした。地面を揺るがすと同時に、その巨体で軽々と『跳躍』し、セリアスたちの度肝を抜く。
「げええっ! なんてバケモンだよ? あ、あんな足で跳びやがった!」
足が生えたのは、徘徊の森の主ならではのことだろう。着地でも地面を揺らし、セリアスたちの動きを封じる。さらには枝を伸ばし、頭上から急襲を仕掛けてきた。
「一ヶ所に固まらないで! ハインだったわね、あんたは右にまわってちょうだい!」
「うむ! 踏み潰されてはならんぞ、セリアス殿!」
セリアスたちは散開しつつ、三方向から魔の大樹を囲む。
まずはメルメダが先行し、火炎を帯のように放った。しかし障壁に阻まれ、炎は中心の幹まで届かない。根には燃え移ったものの、土を被せることで消される。
セリアスも真正面から踏み込んだ。
「とにかく根を減らすんだ!」
しかし根が波打つせいで、斬撃が入りきらず、切断には至らない。逆に大樹の枝に取り囲まれ、刃物のように鋭利な葉の猛襲に晒される。
「ぐうっ? ……すまない、ハイン!」
「拙僧の拳であれば!」
その間にハインが敵の背後を取り、剛腕に力を込めた。鉄拳が衝撃波を伴い、刃物じみた葉を散らす。だが、その時にはもう目の前に巨木の姿はなかった。
グウェノが必死に叫ぶ。
「上だっ! 跳びやがったぞ!」
「な……」
ジャンプに勢いがありすぎたのか、大樹はまるで手品のように滞空していた。その影がセリアスから遠ざかり、ハインのいるあたりを覆い尽くす。
「そっちに行ったぞ!」
「南無三ッ!」
着地の衝撃はもはや爆風じみていた。セリアスは青ざめ、息を飲む。
「ハ、ハイン……」
「ん? これしきのことで動じるとは、おぬしらしくないぞ?」
かろうじてハインは根の隙間に逃れ、大樹の幹へと肉薄していた。いちかばちか、渾身のストレートがもろに決まる。
「粉砕ィ!」
しかし大樹は少し揺れただけで、びくともしなかった。
「ちいっ! でくの棒の分際で、生意気ね!」
単純に大きすぎるのだ。そのうえ、障壁によってメルメダの魔法は相殺される。
「無理すんな、お前ら! 引けって!」
「こっちです! 早く!」
グウェノとイーニアはいつでも駆け出せる体勢で待っていた。
それでもハインはやにさがり、セリアスとメルメダも勝気な笑みを浮かべる。
「こうなっては、奥の手を使うしかないようだぞ? あるんだろう、セリアス殿にも」
「ああ。あれで行くぞ、メルメダ」
「ひとつ貸しよ? 次の着地のあとで、いいわね!」
再び大樹が跳躍し、今度はセリアスのもとへ落下してきた。それをかわしつつ、セリアスは火炎のスクロールを投げつける。
(動きは鈍い! これなら)
通用しなくとも、少しの間、敵の注意を引きつけたかった。
後方から風をまとった矢が飛んでくる。
「しゃあねえ、加勢するぜ!」
グウェノは弓を引き絞り、その矢にはイーニアが魔法を掛けた。この距離では彼女の魔法は届かないものの、こうすれば、グウェノの腕次第で命中はする。
障壁を張るために巨木は動きを止めた。
「そいつが失敗したら、すぐに逃げっからな?」
「わかった!」
ハインは気功の、メルメダは魔導のエネルギーをたわめ、限界まで高めていく。
「ぬぬぬぬ……モンク僧流気功の神髄、見せてくれる!」
先に目を見開いたのは、ハインのほうだった。右腕で闘気が渦を巻く。
それは横殴りの竜巻となって、大樹に猛然と襲い掛かった。地面をS字に抉り、巨木の根元を押さえつける。
そこにメルメダの魔方陣が重なった。
「いくわよ、セリアスっ!」
「ああ!」
セリアスは剣を逆手に持ち替え、ありったけの力を込める。
「魔・陣・剣ッ!」
その剣が魔方陣を貫いた瞬間、エネルギーが爆ぜた。メルメダの魔方陣を媒介としたセリアスの、乾坤一擲の一撃が大樹を焼き尽くす。
根は裂け、枝が折れた。葉も燃え、巨木はみるみる禿げあがっていく。
真っ黒な瘴気も魔陣剣のエネルギーに押され、霧散した。やがて魔方陣は消滅し、森の奥地に本来の静寂が戻ってくる。
「はあ、はあ……」
セリアスは剣を支えにして、息を切らせた。
グウェノとイーニアは呆然とした表情で歩み寄ってくる。
「お、お前、こんなに強かったのかよ」
「びっくりしました……まさか、あんな怪物をやっつけちゃうなんて……」
ハインがぐうっと腹を鳴らした。
「今ので拙僧も力を使い果たしてしまったぞ。我ながら無茶をしたものだ、ハハハ」
「お前とメルメダがいなかったら、俺も逃げたさ」
「あんまりあてにしないで欲しいわね。……で? ここに何の用?」
改めてイーニアがコンパスを出そうとする。
ところが、躯となったはずの大樹がわずかに動いた。
「まさかっ?」
セリアスたちは咄嗟に構えなおし、固唾を飲む。
とはいえ、さっきのような敵意は感じられなかった。幹の人面は穏やかにも見える。
『ひとの子らよ、ありがとう。おかげでわしは忌まわしい呪縛から解放された』
「……あ、あんたがしゃべってるのか」
大樹は朗らかに笑った。
『はっはっは。木がしゃべるのが、そんなに珍しいかね』
折れた枝に小鳥がとまって、暢気に鳴く。
この大きな木こそ、徘徊の森の長老にほかならなかった。セリアスたちは武器を納め、ぼろぼろになってしまった大樹を不安げに見上げる。
『気にすることはない。何年かすれば、根も枝も生えてくるさ。シビトの災厄でも丸焼けになってしまったが、平気だったわい』
「シビトといったら五十年前の……爺さんらしいな、あんたは」
『いかにも。わしはこの大穴で生まれたのだ。……だからといって、すべてを知っておるわけではないが……』
おずおずとイーニアが前に出た。
「あの……どうしてあんなふうに暴れたんですか?」
『物事には順序があるのだよ、お嬢さん。さて、どこから話そうか……』
大樹はしわがれた声で真相を語り出す。
かつてフランドールの大穴では『シビト』と呼ばれる化け物が猛威を振るった。英雄らの活躍によって、それが殲滅されたのは、今より五十年ほど昔のこと。
『それから大穴では平和な時が続き……二十年が経った頃だ。わしのもとへ、ひとりの人間がやってきおった』
「……人間?」
『顔を隠しておったのでな。男か女か、若者か老人か、わからぬ』
大樹によって掘り返された地面の一部が光った。
『その者はわしに言った。これを預かってくれ、そして勇気ある者に渡して欲しいと』
眩い光とともに琥珀色のリングが現れる。それはハインの右腕へと吸い寄せられ、大きさを変えながら、ブレスレットのようにぴたりと嵌まった。
『おぬしら冒険者が探し求めておるもののひとつ。剛勇のタリスマンだ』
「な、なんと……ッ?」
セリアスたちは驚愕し、腕輪に目を見張る。
「ってことは、ジイさん、タリスマンは存在するのか?」
『うん? おぬしら、そのコンパスでタリスマンを探しておったのではないのか?』
この大樹の言っていることが本当ならば、イーニアの探している魔具こそタリスマンである可能性が高かった。
「ちょっと待ってくれ。さっき、これは『ひとつ』と言ったな?」
『察しの通りだ。剛勇、叡智、慈愛……そして無限。タリスマンはよっつある』
さらなる真実にセリアスたちは驚き、顔を見合わせる。
「タリスマンはよっつだってよ!」
「ひとつと限らぬとは聞いていたが、まことであったとは……なぜ、これを拙僧に?」
『わしが選んだのではない。タリスマンが選んだのだ』
イーニアは逸る調子で大樹に問いかけた。
「教えてください! タリスマンとは一体、何なのですか?」
『すまぬが……さっきも言ったように、わしもすべてを知っておるわけではない。それをおぬしらに託すのが正しいことかどうか、もな』
大樹は静かに目を閉じる。
『だが、心するがよい。タリスマンは災いをもたらすやもしれぬのだ』
ずっと黙っていたメルメダが、持ち前の洞察力を光らせた。
「さっきあんたが大暴れしてたことと関係がありそうね」
『聡明な魔導士だ。そう……タリスマンを託されてから、一年後のことだったか。わしの前に再び、あの者が現れた。……いや、似ているだけで、別人だったかもしれん』
セリアスたちは緊張感とともに耳を傾ける。
『その者はわしに聖杯とやらを見せつけ、言った。願いはないか、と……』
聖杯。その言葉には憶えがあった。
「カシュオンが探していた?」
大樹は恐ろしそうに語る。
『今にして思えば、あれは邪杯とでも呼ぶべき代物だった。そうとは知らず、わしは安易に答えてしまったのだ。……自由に歩いてみたい、と』
大地から根を離し、歩くことを望んだ大樹。そして徘徊の森。
この秘境の謎は解けつつあった。
「なら、木が歩くのは……」
『そなたが思った通りだ、剣士よ。わしは聖杯の力に飲まれ……いいや、飲まれたのはタリスマンだろうが……自我と引き換えに足を得た』
長老の樹が変異した余波を受け、森の木々も歩きまわるようになったのだ。ただし、その代償として大樹は暴虐に魅入られ、我を失ってしまったらしい。
『なんとかわしは自ら眠りにつくことで、事態の悪化を食い止めた。おぬしらに起こされるのがもう少し遅ければ、何をしたものか』
セリアスは腕を組み、考え込んだ。
(……どういうことだ?)
災厄のあと、大樹のもとにはふたりの人物が訪れた。ひとりめはおそらく善意でタリスマンを託し、ふたりめは悪意でもって大樹を惑わせている。そしてイーニアの求めているのはタリスマンだが、カシュオンの求めているのは聖杯。
「聖杯なあ……カシュオンのやつ、やばいモンを探してんじゃねえか」
グウェノと同じことはセリアスも思ったが、ハインは冷静さを保っていた。
「しかしカシュオン殿のコンパスもハクアを溜めるのであろう? 善行で資格を示した先に邪悪な杯があるとは、考えにくいのでは……」
「聖杯も調べたほうがよさそうですね」
聖杯とやらがタリスマンを暴走させたと結論づけるのは、早計かもしれない。また、タリスマンがこうして実在する以上、タブリス王国の真意も読めなくなってきた。
『タリスマンは大穴の外からもたらされたもの。……わしにわかるのは、それだけだ』
セリアスは前に歩み出て、言葉に期待を込める。
「もうひとつだけ教えてくれ。白金旅団というパーティーが壊滅したんだが、その原因に何か心当たりはないか?」
『……………』
理知的な大樹はすぐには答えなかった。
『わしに聞くとは、よほどの手練れが敗れたのだろう。ならば……それはタリスマンとは別件。フランドールの大穴そのものにある禁忌に触れたのだ』
さっきから抽象的な言いまわしばかりで、グウェノはやきもきする。
「はっきり言ってくれよ。気になるじゃねえか」
『わしが教えるべきことではない。……城の主に聞け』
それきり大樹の幹から人面は消えた。枝に残った葉がひらひらと落ちてくる。
「これからどうしましょう? セリアス」
「そうだな……」
とにもかくにも、徘徊の森での用件は片付いた。
蚊帳の外のメルメダがふてくされる。
「面倒なことになってるみたいね。わたしは付き合うつもりないわよ? セリアス」
「それでいいさ。魔法使いはイーニアがいるしな」
セリアスとしても、トラブルメーカーにもほどがあるメルメダを加入させるつもりはなかった。イーニアを理由にできて、助かる。
グウェノがハインに茶々を入れた。
「これでオッサンは任務達成じゃねえか。僧正サマに報告すんだろ?」
しかしハインは右腕の腕輪を見詰めながら、かぶりを振る。
「いや、まだ終わったわけではない。拙僧も最後まで付き合わせてもらうぞ」
タリスマンはまだみっつ残っているのだ。
剛勇、叡智、慈愛、無限。すべてを揃えるまで、この探求は終わらなかった。
「とりあえず帰ろう。グランツへ」
その日のうちにセリアス団は城塞都市グランツへと帰還する。
☆
週が明け、月曜日となった。
セリアス団はザザも加えて、出発の前にギルドへ立ち寄る。
「今日はついてくるのかよ、お前」
「……………」
そこでセリアスたちはカシュオンと鉢合わせになった。
「おはようございます、セリアスさん! そ……それから、イーニアさんも」
「ええ。……あら? そちらのかたは」
カシュオンの傍にゾルバが控えているのは、いつものこと。ところが今朝は新たに魔導士の女性が加わっていた。メルメダはカシュオンのパーティーに入ったらしい。
「悪いけど、わたしはこっちでやらせてもらうわよ? セリアス」
「ガハハッ! メルメダ殿はカシュオン様の器の大きさに大層、感服なさいましてなあ」
「そうか」
カシュオンの反応からして、タリスマンの情報はまだ彼に渡っていないようだった。大方、カシュオンとゾルバのコンビなら制御も容易いと踏んだのだろう。メルメダのライバル心を刺激しないよう、セリアスは淡々とやり過ごす。
「それからイーニア、だったわね。暇な時にでも、わたしが稽古をつけてあげるわ」
「え? でも、あの……」
「教えてもらうといい。調合以外はな」
カシュオンのパーティーに続いて、セリアス団も手続きを終えた。今日からは脈動せし坑道を探索するつもりで、照明になるものは全員が持つ。
朝日が眩しかった。
「前衛は拙僧に任せてくれ」
「坑道なら、オレも前のほうがいいか。セリアスはイーニアを守ってやれよ」
「ごめんなさい。メルメダさんのようにはできなくて……」
「気にするな。お前のことも頼りにしてるさ」
冒険者たちは今日もフランドールの大穴に挑む。
汝、タリスマンを求めよ。
富を欲すなら、その手を伸ばせ。名声を欲すなら、その手で掴め。
PART 1 END
※ 当サイトの文章はすべて転載禁止です。
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