忘却のタリスマン

第3話

 城塞都市グランツはハイタウン、ロータウンの二段構造になっている。

 タブリス王国の調査隊や貴族たち、資産家などは上のハイタウン。大半が流れ者である冒険者や民間の探検家らは、下のロータウンで生活を営んでいた。

ギルドや武器屋などもロータウンで営業している。

大穴の調査が始まって間もない頃、前線基地グランツはまだハイタウンの面積しかなかったという。野生のモンスターには丘の高低差を壁とし、対応していた。

ところが人材や物資が急に集まるようになり、丘の上だけでは足らなくなった。ひとびとは次第に丘の外へと街を広げていき、やがて『城塞都市グランツ』が完成したのだ。

 無論、依頼でもない限り、セリアスのような冒険者がハイタウンに上がることはなかった。しかし今日に限って、セリアスはイーニアの紹介でグレナーハ家を尋ねる。

「ここですよ、セリアス」

「ああ。……思ってた以上にでかい屋敷だな」

 イーニアが城塞都市グランツで世話になっているのが、この名家の若き当主、マルグレーテ=グレナーハ。以前、ギルドに用心棒を要請していた大貴族でもあって、セリアスも名前くらいは知っていた。

 セリアスたちは客間へと通され、美貌で噂の当主を待つ。

「お待たせしてしまいましたわね、イーニア。それからセリアスさん、だったかしら」

 セリアスは起立し、まずは名乗った。

「オレがセリアスだ。イーニアのパーティーでリーダーを務めている。あなたにはイーニアが世話になってるようで、こちらも助かってる」

「……ふふっ! イーニアに聞いていた通り、正直なかたですのね」

 マルグレーテは愉快そうに瞳を細める。

 相手が貴族だからといって、へりくだる真似などセリアスがするはずもなかった。とはいえ無礼を働いたつもりもない。

 そのストイックな心意気は、おそらくマルグレーテにも伝わった。

「あなたのお話は聞く価値がありそうですわ」

「損はさせないさ」

 改めてセリアスは席につき、革袋の中身を取り出す。

 隣のイーニアが目を丸くした。

「セリアス、それは?」

「前にいたソール王国で、少し……な」

 それは大粒の宝石で豪勢に飾り立てられた、ソール王家の杖。マルグレーテにとっても想定外の一品だったようで、感嘆の声を漏らす。

「んまあ……!」

「盗んできたんじゃない、国王にいただいたんだ。確かめてもらっても構わん」

 ソール王国では地下迷宮に放り込まれたり、クーデターに巻き込まれたりと散々だったが、このような収穫もあった。

「まあ、なんだ……成り行きで王を救出してな。その礼に、と」

「でしたら、ついでに王国騎士にでも志願なさればよろしかったのに」

「誘われはしたが、断ったのさ」

 説明が面倒くさいだけで、事実なのだから、どのような質問にも答えられる。

 マルグレーテはセリアスを見詰めながら、唇の端を曲げた。

「……いいでしょう。ですけど、それをどうして私に? これほどの宝ですもの。羽振りのよい商人か、見栄っ張りな貴族のもとへ持っていったほうが、賢いのではなくて?」

 彼女の言う通り、売るだけなら、ほかに選択肢もある。

 だが考えなしに商人に見せたところで、トラブルの種となる可能性が高かった。また、利口な商人は盗品を警戒しており、出所の怪しい品物は相手にしない。

 それこそジョージ子爵のような輩は下手に騒ぎ立てるため、見せられなかった。

「あなたはお人好し、だろう?」

「うふふ。どうかしら」

 その一方で、マルグレーテはわざわざ『ハーフエルフの娘を保護』という厄介事を引き受けている。何のメリットもない、にもかかわらず。

 つまり彼女を頷かせるには、第一に興味を引くこと。王家の杖は単なるきっかけに過ぎず、セリアスはマルグレーテの信用を得ることを、目的に据えていた。

「あとは……あなたなら、この杖の価値がわかると踏んだんだ」

 グレナーハ家の当主が優美に微笑む。

「そう言われては、こちらも貴族の矜持を示さねばなりませんわね」

 商談は成立。ソール王家の杖は『正式』に彼女の手に渡る。

「おかげで、いずれソール王国とは有益なお話ができそうですわ。国王の友人を経てグレナーハ家に託された、この王家の杖……何ともドラマティックではありませんか」

 イーニアはただ呆然としていた。

「マルグレーテさん、そこまでお考えになって……」

「あら? セリアスさんはそのつもりで、これを譲ってくださいましたのよ」

 つまり杖ではなく、ソール国王とのコネクションを売ったのだ。今回の取引はイーニアにも勉強になっただろう。

 マルグレーテは扇子を広げ、セリアスに問いかける。

「それで……何をお望み?」

 セリアスは仏頂面なりにはにかんだ。

「手頃な物件を融通してくれないか」

「え? セリアス、もしかして家……ですか?」

 イーニアがまた目を点にする。

 城塞都市グランツにて、セリアスの一行は冒険者向けの宿に滞在していた。そういった宿は宿泊費こそ高くないものの、食事を好きに選べなかったり、ほかの客との兼ね合いなど、不都合も多い。

おまけに格安の宿では、ミーティングの内容が隣の部屋にも筒抜けだった。セリアスとしては無論、秘境探索の進捗は外部に漏らしたくない。

「グランツを出る時には返す」

「それには及びませんわ。……いいでしょう、手配しておきます」

 要望はあっさりと通った。これも先ほどの駆け引きで、彼女の信用を得たおかげ。

「私がギルドに出した依頼は、あなたが果たしてくれることでしょうし。引き続きイーニアのボディーガードをお願いしますわ」

「そういうことか。試されていたのは、オレのほうらしいな」

 今になってセリアスも少々、肝を冷やした。

 

 三日後には宿を出て、ロータウン南東の一軒家へと移る。

 それを見上げ、グウェノは上機嫌に指を鳴らした。

「いい物件じゃねえか! 気に入ったぜ」

 ハインも満足そうに頷く。

「うむ! 庭もあるし、これなら拙僧の体格でも窮屈はすまい」

 大きすぎず小さすぎない、まさにセリアスたちの身の丈にあった屋敷だった。二階建てで、一階はリビングやキッチンとなっており、二階には個室がよっつもある。

「セリアス、あんた、どうやってグレナーハ家のご当主サマを口説いたんだよ? ひょっとしてイーニアが頼んでくれたのか?」

「いえ、セリアスが……」

「あとで話すさ。さっさと荷物を放り込むとしよう」

 王家の杖のことでイーニアが口を滑らせる前に、セリアスは皆を中へ押し込んだ。

 前に誰かが住んでいたようで、多少のキズや染みは目立つ。しかし屋根があるだけのような宿に比べれば、遥かに快適なのは間違いない。

「ギルドはちょいと遠くねえ?」

「頻繁に行き来するわけじゃない。あまり近すぎても、うるさいしな」

 利便性も悪くなかった。ロータウンのマーケットまでは数分ほどで、雑貨屋も目と鼻の先にある。探索よりも生活に重点を置くなら、この物件は正しい。

「問題はこのあたりに美味い店があるかどうか、だなぁ」

「オッサンの判断基準はそれかよ。ここには嫁がいねえからって、まったく」

 ふとイーニアが巨漢のモンク僧を見上げた。

「ハインって結婚してたんですか?」

「六歳の息子もいるらしいぞ」

 グウェノは笑いを堪えつつ、ハインの脇腹に肘を入れる。

「僧侶がなんでって意味じゃないぜ? 多分」

「や、やかましいっ! この拙僧のダンディズムがわからぬのか?」

「おしゃべりはいいが、手も動かしてくれ。今日じゅうに掃除は済ませたいんだ」

 セリアスたちは手分けして、屋敷を清掃することに。

 幸い前の持ち主は几帳面だったようで、扉の蝶番には修繕の跡などが見られた。部屋に残された寝台や家具も、中古にしては状態がよい。

「鍋やフライパンも揃えねえとなあ。リストアップしとくか」

「そのあたりは任せる。イーニア、あとでグウェノを手伝ってやってくれ」

「お買い物ですね。わかりました」

 ただしベッドはみっつで、うちひとつは子ども用だった。

ハインが自信満々に腕を鳴らす。

「よし、拙僧が作ってやろう! 大工仕事は得意でな。ほかに必要なものがあれば、ついでに作ってやるぞ」

「まじで? じゃあ、そっちもリストアップしておかねえとなー」

 傍で窓を拭いていたイーニアが振り向いた。

「お部屋はいつ決めるんですか?」

「ん、ああ……」

 この少女は勘違いをしているらしい。セリアスはグウェノと目配せした。

「イーニアは今まで通りグレナーハ家で世話になるといい」

「そーそー。こんな野郎が三人で、むさ苦しくなるんだし。こっちも着替えとか気ぃ遣うことになっちまうからさ」

「そうですか? じゃあ私は、ええと……はい、今のままで……」

 相変わらず彼女の返答には優柔不断な含みがある。グレナーハ邸に留まるか、ここで男三人と一緒に暮らすか――言うまでもなく前者なのだが。

(俺たちほど大らかにはなれないか)

 居間のほうからハインの声が飛んできた。

「セリアス殿ー! グウェノ殿でもいい、すまんが暖炉の掃除をしてくれんか? こう狭くては、拙僧では入れんのだ」

「わかった、俺がやろう。グウェノとイーニアはここを頼む」

 その日は掃除と買い出しで終わり、セリアスは新しい部屋で翌朝を迎える。

 

 屋敷を手に入れたことで、生活の足場は盤石なものとなった。

グウェノは料理が好きなようで、キッチンの手入れに余念がない。ハインのほうは庭に出て、工作に精を出していた。

「余った木材は、空いた部屋に置いてても構わんか? セリアス殿」

「ああ。また何かで使うかもしれないしな」

「オッサ~ン! 厨房に棚が欲しいんだけどさあ」

 家主は一応セリアスという体になっているせいか、ハインもグウェノも何かとセリアスに一言、断りを入れてくる。

「お前たちの家でもあるんだ、自由にしてくれ。俺は稽古にでも行ってくる」

 セリアスは愛用の剣を帯び、我が家となった屋敷から出ようとした。

「あり? セリアス、訓練場は北だぜ?」

「あそこはレベルが低すぎて、鍛錬にならん」

「ハハッ! 言うねえ」

 今のセリアスに足らないものは、手頃な練習相手のみ。

 

 

 数日後、セリアスたちは再び風下の廃墟へ向かうこととなった。前回の探索で見つけた隠し部屋をもう一度調べるつもりである。

 ギルドで出発の報告を済ませたら、早速、秘境へのゲートに直行する。

そこでセリアスの一行は別のパーティーを見かけた。

「おっ! 前に話したろ? あれが白金旅団だぜ」

 白金旅団。フランドールの大穴の調査が本格化した頃から、彼らは着々と実績を重ね、今や最強のパーティーとまで名を馳せていた。

 前衛と後衛という概念や編成のバランスは、彼らが確立したといっても過言ではない。最強の六名は今日も秘境に挑むべく、悠々とゲートをくぐっていった。

 その名声と人気は、街の子どもたちが見送りに来るほど。

「かっこいいよなあ、白金旅団!」

「おれも大きくなったら、白金旅団に入るんだー」

 そんな彼らの雄姿にハインは感服する。

「みな、いい面構えではないか。最強と謳われるだけのことはある」

「あいつらは別格だよ、別格。王国軍から何度もスカウトがあったくらいでさ」

 百戦錬磨のセリアスの目にも白金旅団の面々は逞しく見えた。

伊達にフランドールの大穴で五年も戦い続けていないのだろう。時には煮え湯を飲まされたこともあったはず。そういった経験の量が、顔つきによく表れている。

しかし世間知らずのイーニアには、剛健な彼らも『単なる六人パーティー』にしか見えないらしかった。

「あのぉ、どれくらいすごいんですか?」

 グウェノが視線を空へ向ける。

「そうだなあ……登山で例えりゃ、オレたちはせいぜい日帰りのハイキングだ。それが白金旅団だと、五千メートル級の頂上を目指してるってことさ」

 ハインは首を傾げ、セリアスは納得した。

「修行で山籠もりはしたが、行楽で登るという感覚はわからんなあ……」

「いや、今の例えはわかりやすい」

 秘境は奥へ行けば行くほど、モンスターが手強くなるという。また、往復の行程も伸びていくため、一回の探索に一週間を要することも少なくない。

 すなわち冒険者はメインとなる戦闘や調査のほか、移動や食事、睡眠の手段も充分に用意しておかなくてはならないのだ。場所によっては防寒着や雨具も必要になる。

 すでに白金旅団の姿は見えなくなっていた。

「明日にはタリスマンを見つけられちまったりしてなあ」

「俺たちは俺たちのペースで進めばいいさ」

 仮にタリスマンが見つかったとしても、冒険者全員が即日、秘境の探索を切りあげるわけでもない。五年も出遅れているとはいえ、焦ることはなかった。

「景気づけにオレたちもパーティー名、考えねえ? グウェノ=ハンターズとか」

「ふむ……ならば武神にあやかって、アラハムキ団、というのはどうだ?」

「……セリアス団でいい」

 セリアスたち改めセリアス団は風下の廃墟へ出発する。

 

 前回の調査に引き続き、例の隠し部屋を手分けして調べ始めたのは、一時間前。

「うぅーむ……何もわからん」

 またハインが腕組みのポーズで顔を顰める。

 とはいえ彼の場合はこまごまとした作業が性に合わないようで、『わからん』とぼやくのも、これで五回目だった。

 グウェノはトレジャーハンターの技術を活かし、壁のひび割れもひとつ残さずチェックしている。イーニアはコンパスの反応を窺いつつ、魔力の波動を探っていた。

「プレートのほかには特にねえなぁ」

「私のほうもこれといって……セリアスはどうですか?」

「手応えなしだ」

 照明の魔法もそろそろ効果が切れる。

 ここでならコンパスが光るかもしれないと踏んだが、その期待も外れた。

「どうも見当違いのことをしてる気がするな……」

「やっぱ『資格』がねえことには、始まらないんじゃねえの?」

「問題はそれが何か、ですね……」

 調査を中断し、セリアスたちは一旦外に出ることに。

「ん? これは奇怪な……前は開きっ放しだったと思うが」

「大丈夫、大丈夫。こっちからは普通に開けられるようになってんだ」

 隠し通路は塞がってしまっていたが、足元のスイッチひとつで壁が開いた。いつの間にか二体の石像は最初の位置に戻っている。

 グウェノお得意の解説が入った。

「こういう仕掛けは誰も見てねえ間に、勝手に戻んだよ。秘境の摩訶不思議ってやつさ」

「本当に不思議ですね……じゃあ間違えちゃっても、どこかで待っていれば……」

 この秘境に常識はまったく通用しないらしい。

(ソール王国の迷宮だと、仕掛けをリセットするためのスイッチがあったな)

 砦を出た頃には、空は煙のような雲に覆われていた。風下の廃墟というだけあって雲が集まりやすく、じきに一雨来そうである。

「イーニア、触媒やスクロールを濡らさないようにな」

「はい。ちゃんとカバーを被せておきますから」

 ハインも灰色の空を仰ぎ見る。

「今日のところは出直さんか、セリアス殿」

「そうだな。廃墟のプレートはあとまわしにして、先にほかを当たろう」

以前イーニアが徘徊の森で魔具を探していたように、コンパスが指す場所の候補はいくつかあった。このコンパスはおそらく現在位置から『もっとも近い』ものに反応する。

「そんじゃあ、次は『脈動せし坑道』にでも行ってみっか?」

「洞窟か……準備がいるな」

 そんなことを話しながら帰路についていると、大きな笑い声が聞こえてきた。

「ガーッハッハッハ!」

 陽気で豪快、それだけで好人物のイメージが膨らむ。

「……はて、拙僧らと同じ冒険者かな?」

「多分な。避けんのも感じ悪ぃし、挨拶くらいしていこうぜ」

 セリアスたちは周囲を警戒しつつ、声の主のほうへと歩み寄った。

 壊れかけた橋の上では風変わりなコンビが騒いでいる。

「迷ってこその人生ですぞ。まわり道が多いほど、多くを経験し、より大きなことを成し遂げられるのですからなあ。ガハハッ!」

「今は人生じゃなくて、道に迷ってるんだよぉ! ゾルバ」

 白鬚の雄々しい老戦士と、つぶらな瞳の少年だった。一見、老戦士に少年が付き従っているようだが、話しぶりからして逆らしい。

「大丈夫ですとも! まだ昼を過ぎたばかりではありませぬか。今すぐ真っ暗になるというわけではありませぬし……いやはや、前回は肝が冷えましたなあ~!」

「肝が冷えた、じゃないよ! そのせいで、こっちは風邪を……」

 ようやく少年のほうがセリアスたちに気付き、老戦士も笑い声を抑えた。

「よかったあ! そちらも冒険者のかた、ですよね!」

 ハインの後ろでグウェノが眉を顰める。

「変なやつらだなあ……」

「まあまあ、グウェノ殿。何か困っとるようだし」

 ちぐはぐな二人組だが、これでも秘境を探索中のパーティーなのだろう。老戦士の背中では食料や雨具、ランプなどが山積みになっている。

(どう見ても盗賊ではないか)

 セリアスは警戒を止め、歩み出た。

「トラブルか?」

「はい。実は地図がなくて……帰り道がわからないんです」

 落ち込む少年の一方で、老戦士は能天気に笑う。

「どうもおかしいと思ったら、持ってきたのが『徘徊の森』の地図でしてなあ。このゾルバ、一生の不覚というわけですじゃ」

「今度こそ忘れ物はないと思ったのに……ハア」

 疲労感たっぷりの溜息をついてから、改めて彼は自己紹介を始めた。

「おっと、申し遅れました。僕はカシュオン。背が低いのはホルートだからであって、子どもだからではありませんので」

 よほど身長を気にしているらしい。

 その胸元にあるものを見つけ、イーニアが瞳を瞬かせる。

「セリアス、あれは……」

「顔に出すな」

 形や色は少し違うものの、カシュオンは首にあのコンパスをさげていたのだ。セリアスはイーニアを制し、グウェノやハインに目配せする。

「わしはドワーフのゾルバ。カシュオン様の護衛をやっておりますのじゃ」

「へえ、ドワーフとホルートの組み合わせか。珍しいじゃねえの」

 ゾルバの自己紹介にすかさずグウェノは相槌を打ち、イーニアの動揺を誤魔化した。

 ドワーフとは山に住む種族であり、力が強く、採掘や鍛冶を生業とする者が多い。城塞都市グランツでも武具屋の何件かはドワーフが経営しており、信用も高かった。

 そしてホルートとは、地方によってはホビットとも呼ばれる種族だった。成人でも身長が百四十センチほどしかないが、その分、猫のように身軽で素早い。

「俺はセリアス。で、そいつはグウェノだ」

「拙僧はハイン。お初にお目に掛かる」

 ハインに握手を求められ、同じ巨漢のゾルバは快く応じた。外見の通り、気さくでおおらか、細かいことは気にしない好人物だろう。

「逞しい御仁ですなあ! カシュオン様もこれくらい大きくならなくては」

「だから、僕の背はそんなに伸びないんだって……」

 最後にイーニアの番となった。 

「私はイーニアです」

 カシュオンがはっと顔をあげ、目を点にする。

 沈黙が五秒ほど続いた。彼のまっすぐなまなざしにイーニアは戸惑い、セリアスの後ろへと引っ込む。

「あの……私の顔に何か?」

「えっ? あ……いえ、そそそっ、そーいうわけでは!」

 セリアスやグウェノは呆れ、肩を竦めた。

(やっぱり子どもじゃないか……)

 この少年はイーニアに一目惚れしてしまったようで、顔を真っ赤にしている。

 おかげで、こちらの思惑は悟られずに済みそうだった。カシュオンのコンパスは見ないふりをして、話を合わせておく。

「それで……ああ、地図がないんだったな」

「あ、はい。グランツに帰還するんでしたら、ついていってもいいですか?」

「困った時はお互いさまだとも。雨が降らんうちに急ぐとしよう」

 セリアスたちはカシュオンとゾルバを連れ、城塞都市グランツへと針路を取った。

 世間話を装いつつ、口八丁のグウェノがカシュオンに探りを入れる。

「こんなゴツいのが護衛ってんだ。カシュオン、結構なご身分なんじゃねえの?」

「なんといいますか……僕はその、ちょっとした貴族の家の跡取りでして」

 その一方でハインはゾルバと早くも意気投合していた。

「ほほお! ハイン殿は大陸寺院のモンクでございましたか!」

「拙僧など、まだまだ修行中の身でして……かくいうゾルバ殿もご老体とは思えぬ身体つき。ぜひとも秘訣をご教授いただきたいですなあ」

 ドワーフはエルフを嫌うというのが通説だが、ゾルバはイーニアがハーフエルフであることには勘付いていない。

「そっちもタリスマンを探しに来たクチかい?」

「ええ、まあ……」

 カシュオンはグウェノに相槌を打ちながらも、しきりにイーニアを意識していた。それを察してか、イーニアの横顔に戸惑いの色が浮かぶ。

「セリアス、あの子……」

「前を見ていろ、イーニア。後ろは気にするんじゃない」

 セリアスは彼女とともに黙々と先頭を進んだ。

「へえ~。ホルートにそんな慣習がねえ」

「僕の家は少しややこしくて……」

 カシュオンが正直なおかげで、大体の事情は読めてくる。

 ホルートという種族は博愛を尊び、諍いを嫌う傾向にあった。古の時代にはエルフとドワーフの争いを仲裁した、といった伝説も残っており、それを信条としている。

 そのためホルートの貴族らは、自分の傍に異種族を置くことを美徳とした。ドワーフのゾルバがカシュオンに仕えているわけである。

 この少年はセリアスの剣と同じシルバー鋼の鎧を、小さな背丈に合わせてオーダーメイドしているのだから、本当に名家の嫡子なのだろう。

 ちなみにカシュオンの年齢は十三。背の低さは種族の特徴によるもの、ではない。

(お坊ちゃんの武者修行といったところか……)

 さる名家の嫡男と屈強な従者。それだけなら別段、不思議でもなかった。

 しかしカシュオンは例のコンパスを持っているのだ。イーニアと同じ魔具か、もしくは正真正銘のタリスマンを探していると見て、間違いない。

 また、シルバー鋼の重たい鎧を身にまとっているにもかかわらず、平然と歩きまわっていることも、セリアスを驚かせた。

グウェノのほうも慎重に徹し、コンパスには一切触れない。

「ええっ? あんたら、あの子爵んとこで世話になってるってぇ?」

「はい。ジョージさんをご存知なんですか?」

 インパクトだけは強い人物の名前が出てきて、セリアスたちは唖然とした。

 セリアスと同い年らしい独身の子爵、ジョージ=エドモンド。彼は冒険者稼業に関わりたがっていたものの、誰にも相手にされずにいたのは、記憶に新しい。

 スポンサー業で見栄を張れるなら、いっそ子どもの冒険者でもよいと思ったのだろう。もしくはお付きのゾルバの強靭さに惹かれたか。

「おっ! 見えてきたぜ。グランツだ」

 やがてセリアスの一行は無事、城塞都市グランツへと帰還を果たす。カシュオンはほっと胸を撫でおろし、小さな背丈でセリアスを見上げた。

「本当にありがとうございました、セリアスさん。一時はどうなることかと」

「こっちも帰るついでだったから、気にしないでくれ。次は忘れ物がないようにな」

 ゾルバがあっけらかんと笑い飛ばす。

「ワッハッハ! 肝に銘じておくと致しましょう、カシュオン様」

「……だから、ゾルバが忘れたんじゃないか……」

 この少年はすっかり老戦士のペースに振りまわされているようで、気の毒にも思えてきた。ジョージ子爵と老執事とは逆のパターンかもしれない。

「さあさあ、カシュオン様。このあとは街のお手伝いをなさいませんと」

「わかってるってば。そ……それじゃ、イーニアさんも」

「ええ。さようなら」

 どさくさに紛れるようにイーニアに挨拶を残してから、カシュオンはゾルバとともに去っていった。セリアスたちは顔を見合わせ、平静を装っていた分の緊張を解く。

「……まさか俺たちのほかにも、あのコンパスを持っている冒険者がいたとは、な」

「驚きましたね。私も、てっきり自分だけだと……」

「あちらさんに警戒心がなくて助かったよな。こっちは見せねえようにしねえと」

 ところがハインだけはとぼけた顔で呟いた。

「何の話だ?」

「気付いてなかったのかよ、オッサン……」

 モンク僧の豪胆な暢気っぷりにはグウェノも脱力する。

「さっきの少年はイーニアと同じコンパスを首にさげていたんだ」

「なんと、カシュオン殿が?」

 セリアスは眉根を寄せ、認識の甘さを痛感した。

 コンパスを所持しているのは自分たちだけ、と思っていたが、それは大変な油断だったらしい。この先、カシュオンのほかにもまだ競争相手が出てくる可能性もある。

「カシュオン殿のコンパスは、光の量はどうだったのだ?」

「まだほとんど溜まってなかったぜ」

 幸い今回は彼らの迂闊さに救われた。堂々と首にさげているあたり、向こうはまさかライバルが存在するとは、夢にも思わないだろう。

「とにかくカシュオンには要注意だな」

「下手に構えすぎても不自然だぜ? こっちが黙ってりゃあ、ばれねえって」

「でも、向こうの探索状況は気になりますね……」

 セリアスたちはゲートを抜け、帰還の報告のためにギルドを目指す。

 ふと脳裏に好敵手らの顔がよぎった。

(ライバルか……あいつらは今頃、どうしてるものかな)

 間もなくゲートは閉ざされる。

 

 

 

第4話

 

 

 

 脈動せし坑道。

 城塞都市グランツからそう遠くない山中で、その真っ黒な入り口は冒険者を待ち構えていた。天然の洞窟ではない、ひとの手によって作られた何かしらの作業場である。

 中では細長い通路と大きな部屋が複雑に連なっており、足元には延々とレールが敷かれてあった。レールの分岐点はレバーで切り替えることができ、これはドワーフの技術に酷似しているのではないか、と調査団は論じている。

 浅いフロアは冒険者らが度々訪れるため、壁のあちこちにランプが設置されていた。レールの傍には調査団が製作したというトロッコが置き去りにされている。

 当初はこのレールを活用し、調査の効率化が図られたのだ。ところが、調査団自前のトロッコはレールの上を走ることができなかった。

 坑道のレールが不気味な心拍音とともに『脈動』し、不規則にうねるために。

 ある学者は『この坑道は大蛇の身体の中で、レールは骨だ』と言ったが、真相は定かではない。脈動せし坑道は今日も土の下で脈を打っていた。

 その迷宮にてセリアス団は小鬼の一団と遭遇する。

「お次はゴブリンか! ネズミだのヘビだのには飽きてたとこだよ、ヘヘッ」

「スクエアシフトを維持しろ! ハインはそっちの数を減らしてくれ」

 徒党を組んで現れたのはゴブリンだった。

彼らは小柄ですばしっこく、猿くらいには知恵もある。何より武器を扱えるため、狼や蛇といった動物型モンスターとは、危険度の度合いが違った。

 ゴブリンの一体が棍棒を振りあげ、襲い掛かってくる。

「イーニアは氷結の魔法だ! いけるな?」

「はい!」

 それをセリアスは盾で防ぎつつ、ハインからも距離を取った。

 ゴブリンの群れは先にセリアスを狙うか、ハインを狙うかで足並みを乱す。そこにグウェノの矢が猛然と飛び掛かった。

「そらよっ!」

 矢はゴブリンの眉間を貫き、一撃のもとに絶命させる。

 ハインも突進の勢いで詰め寄り、ゴブリンをまとめて二体、鷲掴みにした。

「拙僧らを襲ったこと、冥土で後悔するがいい!」

 容赦なしに足元の岩肌へと叩きつけ、まだ息のあるほうを蹴り飛ばす。

 しかしセリアスはあえて防御に徹し、反撃はゴブリンの武器を弾く程度に留めた。

「離れてください、セリアス!」

 後衛のイーニアが杖をかざし、氷結の魔法を放つ。

 セリアスにばかり気を取られていたゴブリンは、真横から強烈な冷気を浴びた。瞬く間に凍りつき、ばりんと砕け散る。

 グウェノがご機嫌な口笛を鳴らした。

「ヒュウ! 反応がよくなってきたじゃねえの、イーニア」

「みなさんがサポートしてくれるおかげです」

「はっはっは! 謙遜することはない。おぬしの力は着実に伸びておる」

 ハインにも褒められ、イーニアは恥ずかしそうに苦笑する。

 実戦経験の乏しさがネックになると思っていたが、むしろ彼女の才覚を目の当たりにする機会のほうが多かった。

 基本的に魔法には『土水火風』いずれかの属性が備わっている。そして、大抵の魔導士はその属性をふたつまで行使することができた(もっとも『火と水』や『土と風』は相反するため、それ以外の組み合わせとなりやすい)。

 ところがイーニアの場合は土・水・風、みっつの属性を行使できるのだ。火はせいぜい初歩的な照明の魔法くらいしか使えないが、土・水・風が揃っているのは大きい。さらにはエルフの血を引いているせいか、水の属性魔法とは抜群に相性がよかった。

 何よりセリアスが感心したのは、持久力。

(魔法の先生とやらの教えがよかったみたいだな)

 徘徊の森、風下の廃墟と散々歩きまわったにもかかわらず、彼女が『足が痛い』などと弱音を吐く場面は一度もなかった。華奢な見た目とは裏腹に、腕力もそこそこある。

「この調子でどんどん魔法を使っていこう。触媒は気にするな」

「はい。私もなんだか、やれそうな気がしてきました」

 発破を掛けると、イーニアは少女なりにガッツポーズを弾ませた。

 彼女は未熟だからといって、セリアスが片っ端から敵を片付けたり、魔法をスクロールで代用することはできる。だが、それではイーニアの成長を妨げ、結果的にパーティーの戦力はいつまで経っても底上げされない。

 だからこそセリアスはフォローにまわり、イーニアに出番を与えていた。

「もう少し進んでみんか、セリアス殿」

「ああ」

 セリオス団はゴブリンの屍を踏み越え、坑道を奥へと進む。

途中、グウェノは何度か壁のランプにオイルを足し、火をつけた。

「地図は読めてるかい? イーニア」

「大丈夫ですよ。この先に分かれ道があります」

 ところどころには矢印のついた十字の記号も刻まれている。

 こういった地下洞窟タイプのダンジョンは、地上とは勝手がまるで異なった。まずは照明。これがないことには何も始まらない。

 また、太陽や星が見えないため、方角を確認する手段も必要となった。地下には磁場が狂っている場所もあり、方位磁石だけでは心もとない。

 無論、時計がなくては時間もわからなかった。

 カンテラはセリアスとハインでひとつずつ持ち、イーニアは照明の魔法を維持する。

「グウェノも勘は戻ってきたか?」

「おかげさまでね」

 グウェノの装備は弓のため、どうしても矢筒が荷物となった。

 しかし坑道の通路は、前衛が三人並ぶには狭い。イーニアの護衛も兼ね、グウェノには弓矢で援護してもらうフォーメーションだった。

 大きな空間に出たところで、ハインが足を止める。

「にしても、この坑道が脈を打つとは……まだ信じられんな」

「徘徊の森と同じで、奥のほうはすげえらしいぜ」

 ここも秘境の名に恥じない難関なのだろう。浅いフロアではゴブリンが棍棒で殴りかかってくるだけだが、下に行けば、魔法を使うようなモンスターも出てくるとか。

 俄かにイーニアが血相を変える。

「ハ、ハイン! 上!」

「どうしたのだ、イーニ……うおっ?」

 頭上にランプを掲げ、ハインもぎょっとした。

「モンスターだ! 離れろ!」

セリアスは剣を、グウェノは弓を構え、反射的に間合いを取る。

 天井に巨大なコウモリがぶらさがっていたのだ。両目を赤々と光らせ、牙を剥く。

「驚かせやがって……図体だけのモンスターじゃねえか。オレに任せ……」

 舌なめずりとともにグウェノが弓を引いた。しかし撃つより先にターゲットは分裂し、無数の小さなコウモリへと姿を変える。

「げえっ? まじで?」

「あっちだ! 中央まで走れ!」

 セリアスはイーニアの手を引き、コウモリの群れをかいくぐった。ハインとグウェノも続き、背中合わせの陣形『ガードシフト』で守備を固める。

 コウモリは再び一匹となり、急降下してきた。

「ここは拙僧が!」

 それをハインが受け止め、力比べに持ち込もうとする。だが、またしても分裂され、天井いっぱいに逃げられてしまう。

「……ぬう?」

「チッ! 面倒くせえのに絡まれちまったな」

 グウェノが何匹か仕留めても、数は一向に減らなかった。

「合体を指揮してるボスがいるはずなんだ。そいつさえ落とせば……」

「ど、どうやって見分けるんですかっ?」

 こちらが戸惑う間にも、カンテラの片方を奪われ、頭上の視界は半分に狭まる。

 全員で一匹ずつ倒すには、手間が掛かりすぎた。いっそ逃げるのも手だが、窮屈な通路で囲まれては、今より状況が悪くなる。

(ボスを見つけるのは無理か。だったら……)

 とはいえ、要はコウモリの親玉を倒せばよいだけのこと。

「イーニア、雷撃のチャージはできるな?」

「え? あ、はい」

 グウェノはコウモリを振り解きながら、反撃のチャンスを窺っている。

「いい作戦でも思いついたのか? セリアス!」

「一匹でいい、捕まえるのを手伝ってくれ。ハインはカバーを頼む」

「心得た! コウモリども、仲間に手出しはさせんぞ!」

 ハインの巨体を盾にしつつ、セリアスはグウェノとともに適当な一匹を狙った。グウェノの矢が掠めたコウモリを、力ずくで手掴みにする。

「イーニア! 口の中だ!」

「っ! はい!」

 その一言でイーニアも察してくれた。雷撃魔法をチャージしたものを、コウモリの口へと放り込む。それからセリアスはコウモリを逃がし、再びガードを固めた。

 コウモリの群れが合体を始める。

「今だ、イーニア!」

「ええーいっ!」

 合体の瞬間、青白い閃光が炸裂した。

巨大コウモリは電撃に焼かれ、空中でのたうちまわる。それはみるみる分裂し、続々と黒焦げになって落ちた。さっきの一匹が合体に混ざったせいで、全部が感電したのだ。

グウェノが小粋に指を鳴らす。

「なぁるほど! 冴えてんじゃねえか、セリアス」

「合体のタイミングを狙えば、まとめて倒せると思ったのさ」

 この方法ならボスを探す必要もなかった。

 イーニアはほっと一息つく。

「いつも冷静ですね、セリアスは……あっ、ハイン! その怪我は?」

「どうということはない。解毒もほれ、この通り」

 ハインは何ヶ所か噛まれてしまったものの、持ち前の気功術で治療をこなしていた。毒は浄化され、噛まれた部分の血も止まる。

(いいパーティーだな)

 この面子の連携プレーにセリアスは手応えを感じつつあった。

 セリアスとて人間、ひとりでできることはたかが知れている。パワーではハインに及ばず、器用さでもグウェノには敵わなかった。魔法においても、スクロールの分しか使えないセリアスより、イーニアのほうが上に決まっている。

 それを正しく認識しているからこそ、サポートも活きた。

「さっきの役割分担を忘れるんじゃないぞ、イーニア。……まあ、オレは特に何もしていなかったが」

「なんとなくわかってきました。これが『パーティー』なんですね」

 互いに短所を補い、長所を伸ばすこと。それがパーティーならではの戦いである。

 ハインはカンテラを回収し、皆の分も視界を広げた。

「もうコウモリは残っていないな」

「……あっ?」

 またもイーニアが強張り、声をあげる。

 天井にはもう一匹、大コウモリがぶらさがっていたのだ。ハインとグウェノも間合いを取って構えなおす。

 しかしセリアスは剣を収め、肩透かしを食ったようにかぶりを振った。

「安心しろ。そいつは人間だ」

「へえ?」

 逆さまになって腕組みをしているのは、黒装束の男だった。覆面のせいで顔も見えないが、逞しい身体つきからして男性なのは間違いない。

「まさかお前もグランツに来てるとはな」

「……………」

「フッ。相変わらずのダンマリか」

 セリアスは苦笑しつつ、風変わりな男を仲間たちに紹介した。

「こいつの名はザザ。といっても、オレも本人から聞いたわけじゃないんだが……忍者という職業柄、話さないんだ」

 ハインが手で槌を打つ。

「忍者であったか! 確かに噂に違わぬ、見事な隠密ぶりだ」

 忍者とは遥か東方の島国に伝わる武芸者のことだった。諜報や偵察に長け、戦闘においては一撃必殺の極意を知るとされている。

 これをザザは徹底しており、未だにセリアスは彼の声を聞いたことがなかった。

「セリアスのダチかぁ」

「前の仕事でちょっと……な」

 ソール王国の件で彼はクーデター派に雇われ、セリアスとは幾度となく敵対している。クーデターは頓挫したため、報酬も支払われなかったのだろう。

 その意趣返しに来たのなら、こうして堂々と姿を見せるはずもない。暗闇に紛れて、すでにセリアスの背後を取っているはず。

(誰かに雇われたか?)

 それ以前に、プロ意識の高い男が、単なる逆恨みで動くとも思えなかった。

 セリアスとて、ここでザザと事を構えるつもりはない。

「こいつのことは気にしないでくれ。そのうち勝手にいなくなるさ」

「気にすんなって言われても、なあ……」

 ザザは無言のまま、イーニアの右足を指差した。

「え、ええと……痛っ?」

 その視線を避けようと、あとずさろとした拍子にイーニアが顔を顰める。コウモリから逃げる時に足首を捻ったらしい。

 グウェノがチッチッと指を振った。

「だめだぜ、イーニア。そういう怪我は正直に言ってくんねえと」

「いえ、大した怪我でもありませんし……」

「グウェノの言う通りだ。遠慮ひとつでパーティーが危機に陥ることもある」

 セリアスもイーニアを軽く窘め、念を押しておく。

 ひとりの些細な嘘は時に全員の危機を招いた。この怪我のせいで足を踏み損ね、罠を発動させてしまうといったパターンは、充分に起こりうる。

「無理はするな。悪化しないうちに引き返そう」

「はい。すみません……」

 まだまだ冒険初心者のイーニアは申し訳なさそうに頭を垂れた。

「気に病むな。さて、誰に背負ってもらうか……グウェノは荷物が多いか」

「そこの忍者はどうなんだよ?」

 ザザは何も答えず、成り行きを見守っている。

「ん~、ごほん」

「ならオレがおぶろう。イーニア、遠慮しなくていいからな」

「あ……はい。それじゃあ失礼しますね」

 セリアスが屈むと、おずおずとイーニアが乗っかってきた。思っていたよりも軽い。

「ちゃんと食べてるのか? イーニア」

「食べてますよ? 昨夜もおかわりしましたから」

「拙僧は荷物が少ないんだがな~」

 セリアスのカンテラは代わってザザが持つ。

 さっきからアピールのやかましいモンク僧には、グウェノが突っ込みを入れた。

「自重しろっての、このスケベ親父が……ったく、置いてくぜ?」

「いっ、いやいや! 拙僧はただ、力もあるわけで……」

 ハインをしんがりとして脱出を始める。

 

 

 城塞都市グランツへ戻ってきた時には、ザザの姿は忽然と消えていた。

「あれ? さっきまでそこにいたよなあ、あいつ」

「そのうちまた出てくるさ。……歩けるか? イーニア」

 街ではイーニアが恥ずかしがるため、ゆっくりと降ろしてやる。

「平気です。……あ、本当ですよ?」

「軽く捻っただけのようだな。ハイン、あとで診てやってくれ」

 回復魔法で治療することもできたが、それにはテントを張らなければならず、大量の魔力と触媒も必要とする。結局、街に戻るほうが早いのだ。

「魔法で治してばかりいても、身体に悪いと聞く。その点、拙僧の気功は自然治癒力を促進するものだからな。まあ拙僧自身の怪我でないと、すぐには治せんが」

「原理はわかりませんけど、すごいですね」

 ひとまず帰還を報告するため、ギルドを目指す。

 しかしギルドは大勢の冒険者が詰めかけ、騒然としていた。ひとだかりの最後列にいた男がグウェノを見つけ、声を荒らげる。

「大事件だぜ、グウェノ! 白金旅団が壊滅したってよ!」

「な……なんだってえっ?」

 セリアスたちは驚愕し、顔を見合わせた。

 冒険者は誰もが血相を変え、口にせずにはいられないほどの不安に駆られている。

「ほぼ全滅だよ、全滅」

「嘘だろ? 白金旅団に限って、そんな……」

 一帯には沈痛な雰囲気が立ち込めていた。ただ事ではない。

「あれではオレたちの報告どころじゃないだろう。……ハイン、悪いがイーニアを送ってやってくれないか」

「了解だ。あとで詳しく教えてくれ」

 イーニアをハインに任せてから、セリアスはグウェノとともに野次馬に加わった。

「なあ、何があったんだよ?」

「ほんの十分くらい前だ。ひとりだけボロボロでギルドに帰ってきて……何もしゃべろうとしねえけど、それって、そういうことだろ?」

 白金旅団の男は利き腕を負傷したのか、左手で報告書の作成に四苦八苦している。疲れ果てた表情に、出発した時のような精悍さは、もはやなかった。

 その姿だけで、白金旅団の壊滅は想像がつく。

 しかし本人が肯定も否定もしないため、周囲には『まさか』『そんなはずは』という期待めいた不安が蔓延していた。救助隊の要請に来ただけの可能性も残されている。

 やがて彼はサインを終え、ふらふらと立ちあがった。息を飲むばかりの野次馬には構わず、ギルドを出ていこうとする。

「お、おい? お前、秘境で一体何が……」

「……ひいいいっ!」

 しかし衆人環視のプレッシャーに耐えかねたのか、両手で頭を抱えて蹲った。がくがくと震えながら、戦慄の表情で喚き散らす。

「おおっ、お前らも秘境の探検なんて、やめちまえ! いいか? やめるんだッ!」

 ほかの冒険者たちはただ絶句した。

 慟哭だけが反響する。

「フランドールの大穴には入っちゃいけなかったんだよ……お、おれたちはとんでもないことをしちまった。おれの仲間はみんな、あそこで――おげええっ!」

 たったひとりの生還者は臨界点に達し、胃の中身を逆流させた。

 緊迫感で空気が張り詰め、ギャラリーは俄かに浮足立つ。

「お、おぉーい! 担架だ! 担架を持ってこい!」

「待て、大勢で近づくな! これじゃ運び出せねーだろ?」

 セリアスとグウェノは固唾を飲んで、大事件の成り行きを見守っていた。

 冒険者らは声のトーンを落としながらも、口々に囁く。

「まさか、あの白金旅団がやられちまうなんて……ひとつの時代が終わったな」

「馬鹿なやつらだよ。とっとと王国軍に鞍替えしてりゃ、いい暮らしができたってのに」

 間もなく生還者は担架で運び出されていった。

「オレたちも一旦、戻ろうぜ」

「ああ」

 セリアスたちは野次馬の輪を抜け、ひとまず屋敷に向かう。

 

 今夜のディナーもグウェノが腕によりをかけ、作ってくれた。テーブルに人数分のハムエッグやサラダ、魚肉のポタージュスープが出揃う。

「これで全部、っと。マーケットも二年前よか、品揃えが格段によくなっててさあ」

 イーニアは一度グレナーハ邸に帰ったものの、マルグレーテがばたばたしていることもあり、今日のところはセリアスたちと一緒に夕食を取ることになった。

「イーニア殿は、グウェノ殿の手料理は初めてではないか?」

「びっくりです……上手なんですね、グウェノ」

 食材を活かした献立の数々にイーニアは瞳を輝かせる。

「いつでも教えてやるぜ? イーニア。花嫁修業もやっとかねえと」

 城塞都市グランツは今や経済拠点としても発展を遂げつつあった。秘境ではさまざまな資源が採取・採掘できるため、これを元手に商売を立ちあげようという資産家や貴族が多いのだ。グレナーハ家もグランツの成長ぶりに目をつけ、当主自ら出張っている。

 彼らは冒険者パーティーのスポンサーに名乗りをあげ、秘境の開発を主導していた。

「そんなに二年前とは違うのか」

「おう。昔は本屋なんてのもなかったしなぁ」

フランドールの大穴沿いに西に行けば、海もある。今はグランツに魚介類を供給している程度だが、そこに港を建設し、海上交易を担う計画も進められていた。

しかしそれも昨日までのこと。情報通のグウェノが嘆息する。

「白金旅団がなあ……グランツ商業圏ってのも、これで相当遅れるだろうぜ」

「拙僧にはまだ信じられぬ。あれほど手練れのパーティーが、引き際を見誤るなど」

城塞都市グランツにとって白金旅団の壊滅はまさに寝耳に水、青天の霹靂となった。憶測やデマも飛び交い、街は早くも大混乱に陥っている。

それを見越し、グウェノは情報収集を控えていた。

「マーケットが機能してたのが不思議なくらいだったよ、ホント」

「マルグレーテさんも今夜は緊急で会合だそうです」

 白金旅団のスポンサーに至っては、全滅の報を聞くや、半狂乱になったらしい。

「しばらく荒れるかもな、こりゃあ」

今回の件が一日や二日で収拾がつくはずもないことは、誰の目にも明らかだった。セリアスたちは押し黙り、午後二十時の鐘を聴く。

「オッサンはギルドの様子を見てたんだろ? なんか動きはあったわけ?」

「うむ。王国調査団が捜索隊を出すとかで、延々と揉めていたな」

 冒険者のパーティーが秘境で消息を断つことは、決して少なくなかった。一獲千金を夢見た少年少女のパーティーが初陣で全滅、などという悲惨な例もある。

 そういった行方不明者が出た場合、捜索隊を派遣するかどうかの決定権は、王国調査団や軍部ではなく民間のギルドにあった。

 生存の望みはあるか。問題の場所まで別のパーティーで到達は可能か。生存者を連れて帰還できるか。それらを充分に熟考したうえで、ギルドが最終的な決断をくだす。

 ところが今回は街を代表する白金旅団であるだけに、王国調査団がギルドに捜索隊の派遣を無理強いしているのだ。まだ現実を認識できていないのだろう。

「お偉いさんは秘境を採掘場かなんかと勘違いしてんじゃねえの? 場所だってわかんねえのに、これじゃ犠牲者が増えるだけだぜ。なあ」

「ギルドが認めんわけだ」

 当然、白金旅団の壊滅ポイントまで辿り着ける冒険者など、限られてくる。それに生還者の異様な怯えようからしても、生存の見込みがないことは明らかだった。

 命懸けで死体を回収してどうする――セリアスも口に出さないだけで、そう思う。

「こりゃあ当面、秘境には入れねえかもな」

「そうですね……」

 イーニアのスキルアップも順調だっただけに、セリアス団は肩を落とした。

(ザザは……関係なさそうだが)

ハインが陽気な笑みを作り、陰鬱な空気を払拭しようとする。

「こればかりは仕方ない。それよりコンパスの光について、調べようではないか」

「……ああ。イーニア、見せてくれ」

 例のコンパスは前に風下の廃墟で確認した時から、ほとんど変わっていなかった。セリアスに続いてグウェノが手にしても、目立った反応はない。

「はいよ、オッサン」

「うむ。……うおおっ?」

 しかしハインの手が触れるや、またしてもコンパスが輝いたのだ。コンパスの円盤は不思議な光で満タンとなり、針の色が濃くなる。

「またオッサンで光りやがったぞ?」

「どういうことでしょうか……」

 ハインは難しい顔で腕組みを深めた。

「やはり拙僧の気功が関係しているのではないか?」

「続けてくれ」

 セリアスたちとハインの大きな違いといったら、真っ先に『気功術』が浮かぶ。彼は気功によって肉体の強度を鋼鉄と化したり、怪我の治療をすることができた。

「拙僧が『気功を使った週』は光っておるのだ。ほれ、前回は屋敷の掃除や大工仕事やらで、診療所の仕事は休んでおったからな」

「じゃあ、なんだよ? ええと……気功を使わなかった週は、光らねえって?」

「おそらく。どうだろう? セリアス殿、イーニア殿」

 セリアスの脳裏でパズルが組みあがっては、ばらける。気功術が絡んでいるような気はするが、まだピースが足らなかった。

(いや……もしかすると)

 不意に閃きが走る。それを確かめるべく、セリアスはようやく口を開いた。

「みんな、詮索はしないルールだが、これだけ教えてくれ。この数日は何をしていた?」

 唐突な質問にグウェノたちは首を傾げる。

「いつも通りだよ、オレは。情報収集と小遣い稼ぎくらいで」

「拙僧は診療所に詰めておったぞ。無茶をする冒険者が多くてのう」

「私は魔法のお勉強と……あと、魔法屋さんで調合のお手伝いなどをしてました」

どうやら自分の閃きは的を射ているようだった。セリアスはにやりと笑みを含める。

「わかったかもしれん。そのコンパスは『善行をした者』に反応するんだ」

仲間たちは一様に唖然とする。

「本気で言ってるのかよ? んなもん、聞いたことがねぇ……」

「――あっ! そ、そうです! 思い出しました」

急にイーニアが声をあげた。

「先生はこうも仰ったんです。『ひとの手に渡る前に魔具を回収しておいで。まあ邪悪な輩には見つけられないだろうけどね』と……」

 イーニアにコンパスを託した魔導士の言葉なら、必ず意味がある。

 仮にセリアスの推測通り、コンパスの光が持ち主の善行によるものであれば、邪悪な者には見つけられないのも頷けた。

ハインは顎を押さえて、考え込む。

「さっきのイーニア殿の話で思い出したのだが……大陸寺院には『ハクア』という概念があってな。東方の言葉で『博愛』の語源になったと言われておる。良いおこないをすればハクアが満ち、周りのみなも善を好むようになる、といった教えだ」

「割とどこにでもある考え方じゃねえの? それ」

 グウェノは一笑に付したものの、イーニアは真剣に耳を傾けていた。

「つまりハクアは何かしらのエネルギーというお話ですか?」

「うむ。本当にそのような力の源が存在するのか、拙僧にも疑わしいのだが……」

 大陸寺院が一般的な道徳を教義に結びつけただけのようには聞こえる。しかしハクアが実在するのなら、コンパスにも一応の説明がついた。

「便宜上、俺たちも『ハクア』と呼ぼう。例の光の正体とは考えられないか?」

 ハインは診療所で負傷者の治療という『善行』に励んでいる。それによって生じたハクアが、コンパスに光を与えたのだ。

「だが拙僧とて、慈善事業でやっておるわけではないぞ。報酬はしっかりいただいておるし、その金で酒も飲んだ」

「いえ、私もセリアスの勘は当たってると思います」

 最初のうちは信じていなかったグウェノも、真顔になってきた。

「そういや……カシュオンとゾルバも『街で手伝い』がどうこう言ってなかったか?」

「ああ。俺も気になってたんだ」

 風下の廃墟で出会った例のコンビも、セリアスたちと同じコンパスを持っている。その別れ際、ゾルバはカシュオンに進言していた。

『さあさあ、カシュオン様。このあとは街のお手伝いをなさいませんと』

 光の正体はハクア。その可能性は無視できない。

「逆に悪いことをしたら、光が減ったりするのかもしれませんね」

「なるほど。邪悪な連中は探せねえってわけだ」

 まだ推測の域を出ないものの、今後の方針は決まった。

「そんじゃ、ちょいと試してみっか。どうせ当分の間は白金旅団のゴタゴタで、探索もできねえだろうしさ」

「ああ。とりあえず……ハイン」

 功労者のハインは堂々と胸を張る。

「任せてくれ! ハクアを集めてこい、というのだろう?」

「いや。イーニアへのセクハラは今後一切、禁止だ」

 しかしセリアスは何かとスケベなこのモンク僧を切り捨てた。

 ハインがでかい図体で泣きついてくる。

「セリアス殿、ここは拙僧の評価が上がるところではっ? なあ、グウェノ殿!」

「っと、そうだ。イーニア、足の具合はどうよ?」

「二日も安静にしてれば、よくなるそうです。ご心配をお掛けしました」

 セクハラ行為は厳禁。セリアス団に新しいルールができた。

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