忘却のタリスマン
第1話
汝、タリスマンを求めよ。
富を欲すなら、その手を伸ばせ。名声を欲すなら、その手で掴め。
タリスマンは汝の願いを叶えることだろう。
だが、心せよ。
タリスマンを求める者は皆、数多の屍を踏み越えることになるのだから。
フランドールの大穴。
大陸の一角には巨大な穴が空いていた。
そこには古びた遺跡のみならず、凍てつく氷壁や、灼熱の溶岩地帯が広がっている。いつしか、ひとびとはそれを『秘境』と呼び、恐れるようになった。
ところが十年ほど前、奇妙な噂が流れ始める。
フランドールの大穴には神秘の魔具『タリスマン』が眠る、と。それを手にすれば、どんな願いも叶うだろう、と。
その数年後、ひとりの冒険者が大穴から宝石の剣を持ち帰った。これを機にフランドールの大穴には大勢の冒険者たちが集うことになる。
名声を求めてやまない者、一獲千金を狙う者、真相を究明しようという者。
彼らは城塞都市グランツを拠点として、秘境へと挑み続けていた。無論、志半ばで倒れる者があとを絶たないにもかかわらず。
そして今日もまた、新たな冒険者が城塞都市の門をくぐった。
歴戦の剣士セリアス。大陸のあちこりで用心棒や傭兵を請け負いつつ、気の赴くままに旅をしている。タリスマンとやらに関心はなかったが、秘境には少し興味があった。
連れの大男が自前のスキンヘッドを軽く叩く。
「やっと着いたか。確かに歩いていては、もっと掛かっておったなあ」
彼の名はハイン。大陸寺院のモンク僧であり、逞しい身体つきをしている。歳は三十を過ぎ、妻子持ちだけあって、相応の人格者ぶりを感じさせた。
もうひとりの連れが軽薄な調子でにやつく。
「だから言ったろ? 乗せてもらうほうが利口だって」
「うむ。グウェノ殿がいてくれたおかげで、助かった。なあ? セリアス殿」
小気味よい話術で荷馬車の一行と話をつけてくれたのが、このグウェノだった。城塞都市グランツには過去にも来たことがあるようで、道案内を買って出る。
「とりあえず今夜の宿だけ確保して、一杯、どうだい?」
「……そうだな」
セリアスは仏頂面なりに口元を緩め、グウェノの誘いに乗った。
前の仕事のおかげで蓄えはある。道中でモンスターを討伐し、報奨金も獲得していた。ハインやグウェノとはその時に共闘したのが縁である。
城塞都市グランツは二層構造となっており、小高い『ハイタウン』の周囲に『ロータウン』が広がっている。
ロータウンはさらに堅固な外壁で囲まれ、モンスターの侵入を阻んでいた。セリアスたちはハイタウンへの階段を横切り、ロータウンだけを練り歩く。
「上は貴族たちの街、というわけか」
「こんな辺境でしか幅を利かせられない、可哀相な連中さ」
グウェノの屁理屈はわからなくもなかった。セリアスの経験上、貴族というやつは変に意固地で、プライドが高い。そのくせ業突く張りで、とにかく印象は悪かった。
「こっちから関わることもないさ」
「まあまあ。お得意様くらいは見当つけてても、いいんじゃね?」
適当なところで宿を取ったら、近場の居酒屋へと赴く。
まだ午後の四時、飲むには早かった。酒場も店を開けたばかりで、席はほとんど空いている。奥のテーブルにつくと、恰幅のよい女将がメニューを運んできた。
「見ない顔だねえ。兄さんら、新入りかい?」
「……ああ」
大抵のことを『ああ』の一言で済ませてしまうセリアスでは、間が持たない。その一方でグウェノは気さくな笑みを浮かべた。
「オレは二年ぶりに戻ってきたんだぜ? 憶えてねえのかよ」
「なんだ、誰かと思ったら、やっぱりグウェノの坊やじゃないかい。少しは酒の味がわかるようになったんだろうねえ」
「もう坊やって歳じゃねえっての」
空いていることもあって、人数分のビールはすぐにやってくる。最初に手を伸ばしたのは、戒律が厳しいはずのモンク僧、ハインだった。
「旅の間はご無沙汰だったからなあ。こいつがないことには、始まらん」
ぐびぐびと飲み、満足そうに一息つく。
「あんた、僧侶が酒なんかガブ飲みして、いいのか?」
「こっちの宗教と同じにせんでくれ。羽目を外さなければよいのだ」
この三人でこうして盃を交わすのは、初めてのこと。実のところ、三日前に出会ったばかりで、まだお互いのことをよく知らなかった。
肴を待つついでに、ハインが切り出す。
「改めて自己紹介をしておこう。拙僧はハイン。大陸寺院の僧をしとる」
彼の筋骨隆々とした身体つきは、寺院の『心の修練にはまずもって肉体を鍛錬せよ』という教えによるもの、らしい。黙々と祈るだけで偉くなったつもりでいる聖職者よりは、よほど話が通じる気がした。
首には息子の手作りらしいお守りをさげている。
「へえ……奥さんは今、どうしてんの?」
「寺院で働いておる。息子も六つだ、そろそろ分別もついてきたことだし、な」
肴を齧りつつ、ハインは神妙な面持ちで声を潜めた。
「……ここだけの話だが、拙僧は寺院から密命を受け、グランツに来たのだ。タリスマンを見つけ出し、持ち帰れ、と」
セリアスとグウェノは押し黙り、『なるほど』と視線を交わす。
ここグランツに冒険者が集まるようになったのは、十年ほど前のこと。フランドールの大穴には神秘の魔具『タリスマン』が眠る、という噂が流れ始めたのだ。
それだけなら、眉唾物の話で済む。ところが、ある冒険家がここで宝石の剣を発見したことで、大陸じゅうに衝撃が走った。
「んなもん、本当にあるのかどうかも疑わしいけどな」
「拙僧とて存在を確信しておるわけではない。だが、見過ごすこともできんのだ」
今や聖教会を筆頭に、タリスマンの捜索には躍起になっている。
しかし最初に宝石の剣が発見されてから、この十年、特に進展はなかった。近隣諸国はむしろ、商業都市として発展したグランツに目をつけ、介入の機会を窺っている。
「拙僧は何度か寺院の仕事で、大陸の端まで遠出した経験があってな。この任務にはもってこいの男となったわけだ」
グウェノは気怠そうに頬杖をついた。
「で? タリスマンの正体に心当たりはあるのかい?」
「いや……正直、どこから手をつけてよいのか、わからんのだ」
依然としてタリスマンはすべてが謎に包まれている。指輪だと言い張る者がいれば、王冠だという説を唱える者もいた。
「この十年で、まだ見つかってないのだからな。まずは地道に情報収集と思っとる」
「ご苦労なこった。タリスマンなんざ、どうだっていいんだけどよ、オレは」
続いてグウェノが自己紹介を始める。
「そんじゃ、改めて……オレはグウェノ。トレジャーハンターってやつさ。この街には慣れてっから、頼りにしてくれていいぜ? へへっ」
「ああ。期待している」
セリアスは眉をあげ、寡黙な口を開いた。
「俺はセリアスだ。用心棒や傭兵をこなしながら、各地をまわってる」
ハインがビールを置いて、つまみに手を伸ばす。
「その言い分だと、おぬしは別にタリスマンを探しにきたわけではないようだな」
「前の仕事がご破算になったんだ」
さる王国でクーデターの陰謀に巻き込まれただの、成り行きで国王を救出しただのと説明する気にはなれなかった。初対面の彼らには誇大妄想と思われかねない。
何より面倒くさかった。
「血の気の多い仕事だろ? トラブルもヤバそうだなあ」
「そんなところさ」
グウェノの推測に相槌を打ちながら、セリアスもつまみを頬張る。
「セリアス殿はいけるクチか?」
「強くはない。だから、あまり飲ませないでくれ」
酒も進んできたところで、グウェノが前のめりになった。
「で……兄さんら、これといったアテはねえんだろ? だったら、オレと組まねえ?」
セリアスとハインは顔を見合わせる。
「だ、そうだが……」
「拙僧としては助かる。この街ではまだ、右も左もわからんからなぁ」
確かにグウェノと組むメリットは大きい。
秘境を探索するにしても、まずは生活の足場を固める必要があった。冒険者向けの宿は料金が安いとはいえ、食事の出ないパターンも多い。
モンスターの討伐以外でも仕事を探し、ある程度は稼がなくてはならないだろう。
グウェノがいれば、そういった情報を仕入れることができる。
「どのみち秘境の探検にゃあ、メンバーもいるだろ? オレはお買い得だぜ」
「……そうだな」
セリアスは彼にグラスを向け、はにかんだ。
「よろしく頼む。グウェノ」
「せっかくこうして出会った縁だ。拙僧も付き合わせてもらおう」
ハインも同調し、改めてパーティー結成を乾杯する。
「そうこなくっちゃ! グランツのことなら任せとけって」
大方、この男はセリアスやハインの強さに目をつけ、利用価値を見出したのだろう。同じようにセリアスも、グウェノに利用価値を見つけ、息を合わせたに過ぎない。
「明日は早速、ギルドを覗いてみようぜ」
「ああ」
「ふむ……面白くなりそうだな」
かくして城塞都市グランツでの日々が始まった。
☆
翌朝、セリアスたちはロータウンのギルドへ。案内役のグウェノがまくしたてる。
「秘境を探検するってんなら、ここでパーティーを登録しておかなきゃなんねえんだ。出発と帰還の報告も毎回、な」
ハインは感心気味にギルドの看板を見上げていた。
「なるほど。秘境で誰かが行方不明になっても、報告の有無でわかるわけか」
「そーゆーこと。まあ、入ってみようぜ」
早朝にもかかわらず、ギルドには大勢の冒険者がたむろしている。掲示板には依頼書らしいものが所狭しと張られていた。
「こっちは冒険者向けの、街の仕事の依頼さ。やっぱ金は必要だろ?」
内容は引っ越しの手伝いや薬の調合など、多岐に渡る。もう一方の掲示板は、秘境で武具の素材や薬の材料を集めてこい、という内容のものが多かった。
ハインが早速、力仕事の依頼に目を通す。
「様子見ついでに、ひとつ引き受けてみるかな。セリアス殿は?」
「すまない。ほかに行きたいところがあるんだ」
王国軍からのタリスマンに関する依頼書は、すっかり隅に追いやられていた。ハインはやれやれと坊主頭を撫で、嘆息する。
「……こいつは骨が折れるかもしれんなあ」
大半の冒険者はタリスマンなど、とっくに興味が失せているらしい。この様子では『タリスマン』という言葉を口にするのも憚られた。
グウェノが受付に肘を掛ける。
「とりあえず登録しちまおうぜ。……っと、リーダーは誰にしとく?」
「セリアス殿で構わんだろう。拙僧では、おぬしらまで寺院関係者と思われかねんし」
「ああ。それでいい」
成り行きでリーダーとなってしまったが、この面子であれば異論はなかった。
ハインにしろ、グウェノにしろ、パーティーを組んだからといって、必要以上に干渉はしてこない。これくらいの距離感がセリアスにとっても気楽だった。
「そんじゃ、セリアスと、オレと、ハインとで……」
「冒険者諸君ッ! 息災であるかね?」
不意にそんな激励の言葉が飛び込んでくる。
ほかの冒険者らは一様に押し黙り、中央を空けた。そこを堂々と、小太り気味な貴族の男が闊歩し、丸まった髭を伸ばす。
「吾輩の名はジョージ=エドモンド! 誉れ高きエドモンドの子爵であるッ!」
傍には老齢の執事がおたおたと付き従っていた。
「ジョージ様、みなが驚いております。もう少しお声を……」
「これくらいの声を出さねば、アピールにならんではないか。黙っておれ」
冒険者らがひそひそと囁きを交わす。
「また来やがったぜ、ボンクラ貴族のドラ息子が」
「じっとしてろ。目ぇつけられっと、面倒だ」
ジョージは我が物顔でギルドの中を練り歩いていた。
情報通のグウェノも声を潜める。
「二年前と全然変わってねえよ、あいつ。ジョージ子爵っつってな。貴族社会じゃ立場がねえもんだから、秘境で一旗揚げようって、息巻いてやがんだ」
どこにでもいる三流貴族の典型らしい。ギルドへは兵隊を探しに来たようだった。
問題のジョージがセリアスの前で足を止める。
「チミは新入りだね? どうだい、我がエドモンド栄光団に入らんかね。見たところ、なかなか強そうじゃないか。タリスマンを見つければ、報酬は思いのままだぞ」
セリアスは嫌悪感を顔に出さず、淡々とかぶりを振った。
「すまないが、用心棒の先約がある」
「ほう、どこの仕事だね? 吾輩なら二倍の給金を出してやるのだが」
執事が慌てて子爵に歯止めを掛ける。
「ジ、ジョージ様! 無駄遣いをしては、お父上に怒られますぞ」
「うるさいッ! 優秀な人材を確保するためには、金に糸目をつけてはならんのだ」
筋金入りのボンクラ貴族には、溜息しか出なかった。セリアスは依頼書で一番高額のものに目を遣り、そのクライアントの名を口にする。
「生憎だが、グレナーハ家を待たせるわけにはいかない。通してくれ」
「へ……グ、グレナーハ?」
ジョージ子爵は驚き、あとずさった。セリアスの後ろにハイン、グウェノも続く。
それでもまだ子爵は虚勢を張っていた。
「せっ、先約があるのなら、仕方ない。吾輩は寛容なのだよ」
「もうお屋敷に帰りましょう、ジョージ様」
ギルドを出たところで、グウェノがげんなりと舌を吐く。
「あいつがまだグランツにいたとはなあ……。相手しなきゃいいだけなんだが、なんかこう、モチベーションみたいなのを吸い取られる気がすんだよ。はあ……」
「寺院の僧にも似たようなものがおるぞ。どこも変わらんな」
子爵のおかげで登録もできなかった。
「……ん? あれは」
ふと、セリアスはギルドの前にいる小柄な人物に気付く。
その少女はギルドに入ろうとしては下がるのを繰り返し、困り果てていた。冒険者にしては可憐で、歳も十五か十六といったところ。
杖を持っていることからして、魔法使いだろうか。
ハインも彼女を見つけ、眉を顰める。
「こんなところにおなごがひとりとは、感心せんな。注意してくるとしよう」
「へ? 放っとけって、オッサン……あぁ、行っちまったか」
少女はハインに二、三の言葉を掛けられると、心細い調子で頷いた。
「ここらには冒険者狙いの、タチの悪い泥棒もいよう。用事は上の街で済ませなさい」
「で、でも……」
「いいから、いいから。さあ!」
ハインに押され、渋々とハイタウンへの階段を上がっていく。
彼女の姿が見えなくなってから、グウェノはハインを小粋に茶化した。
「肩に触ったの、確信犯だろ? タチが悪いのは、オッサンのほうじゃねえか」
しかしハインは弁解せず、むしろ陽気に笑い飛ばす。
「いやいや! 拙僧はただ……まあ、ああいうおなごにお酌をしてもらえたら、どんな酒も美酒に早変わりするだろうがなぁ。ワッハッハ!」
「ったく、妻子持ちのくせによお~」
下世話な冗談にセリアスは苦笑しつつ、少女の風体を思い出していた。
(訳あり、か……)
魔法使いはパーティーに欲しいが、厄介事は避けたい。
「さて……拙僧は一汗、流してくるとしよう」
「そんじゃあ、オレは情報収集かな。陽が落ちる前には、宿に戻るぜ」
「了解だ」
それから夕刻までセリアスたちは別行動を取り、それぞれの要件に当たった。
城塞都市での生活にリズムがついてくる。
グウェノはあちこちで情報を集めたり、二年前の人脈を辿ったりしていた。ハインはギルドで力仕事を片っ端から引き受け、資金を蓄えている。
そしてセリアスは都市周辺のモンスターを狩りながら、武器屋を巡っていた。品揃えを見ていれば、おのずと鍛冶の腕前もわかる。
ここ数日はドワーフの大男が経営する、東通りの武器屋に通っていた。客商売にもかかわらず、ずっと黙り込んでいた髭面の店主が、三日目にして口を開く。
「兄ちゃん、その剣を見せてみな」
セリアスはホルダーを外し、愛用の剣を差し出した。
その輝く刀身を見詰め、店主がやにさがる。
「シルバーソードか……兄ちゃん、若いのに、大した得物を持ってるじゃねえか」
セリオスも初めて口を開いた。
「打ちなおせるか?」
「もちろん。こいつはまだまだ使える、いい剣だ」
それだけで信頼関係が成り立つ。
先ほどの『剣を見せてみな』と『打ちなおせるか?』という台詞は、まさにお互いが相手を見極めるために放った、端的な一言だった。
店主はセリアスが買い物に来たのではないことを見抜き、声を掛けている。
その一方で、セリアスは自分の剣がまだ使えるのを知っていたうえで、店主に揺さぶりを掛けた。仮に『こりゃもうだめだ。新しいのを買うしかねえよ』と返されたら、早々に店を出るつもりだったのだ。
「兄ちゃんみたいな新入りは久しぶりだよ。どっから来た?」
「……………」
「フッ。話したくねえんなら、別にいいさ」
店主は鍛冶の準備をしながら、セリアスに一枚の紙切れを寄越した。
「うちは武器の専門だ。盾や小手が欲しいなら、これに書いてあるとこに行きな。合言葉は『サーペントは泳げない』だぜ」
「助かる」
今日の収穫は大きい。秘境探索に向け、これでひとまず武具の目処はついた。
その夜、宿でグウェノから提案があがる。
「なあ、ふたりとも。ぼちぼち秘境に入ってみねえ?」
ハインは腕組みを深め、頷いた。
「拙僧もそう思っていたところだ。とりあえず様子見程度にのう」
「……そうだな」
打ちなおされたばかりの剣を確認し、セリアスも頷く。
探索に必要な物資は一通り揃った。パーティーに魔法使いはいないものの、浅いところに行って帰ってくる分には問題ないだろう。
「オッサンは武器はいらねえの? ナックルくらい、セリアスに頼んどけば?」
「拙僧の気功は、金属が間にあっては伝わりづらいのだ。まあ、単純に物理的な攻撃力を高めたいなら、ナックルを使うのもいいが……」
ハインがグウェノに視線を投げる。
「それより少し『秘境』について教えてくれんか。秘境、秘境とだけ言われてもなあ」
「いいぜ。フランドールの大穴ってのは、わかってるよな?」
セリアスも武具の手入れをしながら、耳を傾けた。
城塞都市グランツはフランドールの大穴に面している。その大穴には数々の『秘境』が存在した。謎めいた廃墟、険しい氷壁、複雑な溶岩の迷路……。
「あとは水没しちまった神殿とかな。なんでそうなっちまったのか、誰にもわかんねえんだ。古代文明の遺産って言うやつもいるし、やばい魔導士が作ったって説もある」
ほかにも吸血鬼の住む城や、歯車だらけの塔など、フランドールの大穴には摩訶不思議な迷宮が点在している。
「とりあえず、肩慣らしには『徘徊の森』がいいかな」
「ほう。侵入者を惑わせる森か」
グウェノはチッ、チッと指を振った。
「ちょいと違うね。徘徊すんのは冒険者じゃねえ。木に足が生えんだとさ」
セリアスとハインは何のことやらと顔を見合わせる。
「……木が動くのか」
「そうらしいぜ? オレは見たことないんだけどよ。奥に進めば進むほど、それが酷くなって、ちょくちょく行方不明者も出てるくらいさ」
これを『肩慣らし』として紹介したのだから、ほかの秘境はさらに複雑怪奇な危険地帯なのだろう。ただ、グウェノの話しぶりからはさほど難所には感じられない。
「まあモンスターは弱ぇし。ハーブでも拾って戻ってくりゃ、及第点じゃねえ?」
「うむ。それくらい慎重に挑むのが、ここでは懸命なのだろう」
セリアスとて、勇敢と無謀を履き違える真似をするつもりはなかった。
「徘徊の森、か。それで行こう」
「オッケー! そんじゃ、ランプはひとつでいいな」
いよいよ秘境の探索が決まる。
(退屈凌ぎにはなるか)
セリアスの剣は切れ味を誇るように輝いていた。
☆
翌日、セリアスたちは秘境探索の許可を得るため、ギルドへ。すでにリーダーをセリアスとして、このパーティーを登録しており、いつでもサインひとつで出発できる。
「……なんだ? ありゃ」
「妙なことになっとるようだな」
そのつもりが、今朝のギルドは何やら不穏な空気に包まれていた。
「お願いでございます! どうか、どうかジョージ様を!」
ジョージ子爵の執事は慌てふためき、ギルドの冒険者らに必死に頭をさげる。
グウェノが傍の戦士に問いかけた。
「何があったんだ?」
「例の子爵が屋敷の使用人を連れて、許可もなしに秘境に行ったんだとさ」
ボンクラ貴族の暴走らしい。おそらく執事の目を盗んで、行動に出たのだろう。冒険者たちは呆れ、中には笑いを堪えている者もいた。
「謝礼もお支払いします! どなたか、ジョージ様をお助けください!」
今にも泣き崩れそうな執事に構わず、セリアスたちは受付で書類にサインを入れる。
「自業自得ってことだろ。なあ」
「しかし使用人は気の毒ではないか。そう遠くへは行っておるまい」
わざわざ名乗りをあげてまで、助けに行くつもりはなかった。だが、ジョージも徘徊の森に向かったのであれば、ついでに探してやってもいい。
連れのハインは、ボンクラ貴族の救出もやぶさかではないようだった。
「どうする? セリアス殿」
「子爵の運次第だ。ハーブを採取したら、帰るぞ」
セリアスの一行は手続きを済ませ、秘境へのゲートをくぐる。
徘徊の森。それは一見、何の変哲もない森林だった。
モンスターも動物と大差なく、狼の魔物をセリアスとハインで楽々と蹴散らす。
「これでは相手にならんなあ、セリアス殿!」
「ヒュウ! 楽勝じゃねえか」
グウェノは短剣を抜くこともせず、モンスターから素材を剥ぎ取っていた。おかげで効率よく成果をあげながら、前衛のふたりは戦闘に集中できる。
「グウェノ殿は、武器はナイフだけか?」
「弓も得意なんだけどよ、ありゃあ荷物になるからさ」
このメンバーでもっとも身軽なのは、素手で戦えるハインだった。夜間や洞窟の探索となれば、彼に照明を任せることもあるだろう。
先頭のセリアスは振り向き、ふたりの仲間に尋ねる。
「木は歩いたか?」
ハインもグウェノもかぶりを振った。
「いや……拙僧にはわからぬ。グウェノ殿、地図は合っとるか」
「今んとこは問題ないぜ。まあ、まだ森の入り口みたいなもんだしな」
秘境はまだセリアスたちに牙を剥いてはいないらしい。モンスターはいるものの、ハイキング同然の行軍となり、拍子抜けしてしまう。
「この森にタリスマンはあると思うか? グウェノ殿」
「あったとしても、もっと奥だろ。このへんは王国軍も散々、探しただろーし」
寡黙なセリアスをよそに、ハインとグウェノは無駄話を続けていた。
不意にセリアスは足を止める。
「どうした? セリアス殿」
「……あの子爵は運がよかったらしい」
その先では、まさにジョージ子爵らがモンスターの群れに囲まれていた。使用人たちは怯え、子爵の後ろで身を寄せあっている。
「ひいいっ!」
ところが、子爵の正面には思いもよらない人物が立っていた。
グウェノが目を丸くする。
「おい、あの子! この間、オッサンがセクハラ働いた女の子じゃねえか」
「おかしな言い方をするでないっ! とにかく助けねば!」
いつぞやの少女は結界を張り、狼どもの接近を阻んでいた。すかさずハインとセリアスが飛び出し、群れの背後を取る。
「結界を維持していろ!」
「えっ? は、はい」
彼女が驚く一瞬の間にも、一匹のモンスターが真っ二つになった。
「グウェノ殿! そっちにも何匹か、行ったぞ!」
「へいへい。そんじゃあ、オレも」
グウェノも軽い身のこなしで魔物の突撃をかわし、ナイフでカウンターを決める。
「ハアッ!」
とどめはハインが気功を放ち、モンスターを追い払った。
「魔物にしては引き際がよいな。拙僧らには敵わぬと、悟ったか」
「そっちのチビのオッサンよりは利口ってことだな」
ジョージ子爵はすっかり腰を抜かし、立ちあがることもままならない。
少女は結界を解き、おずおずと歩み出た。
「あの……ありがとうございます。急に襲われてしまって、詠唱の余裕がなくて……」
「通りかかっただけだ。気にするな」
セリアスは剣を納め、彼女の風貌を一瞥する。
やはり魔法使いで間違いない。ただ、それなりの使い手のようだが、実戦経験の乏しさは目にも明らかだった。
グウェノが軽薄な調子で声を掛ける。
「キミ、名前は? オレはグウェノってんだけど」
「あ、はい。イーニアと申します」
「可愛らしい名前ではないか。拙僧のことはハインと呼んでくれ」
グウェノはともかくとして、ハインのナンパ行為には頭が痛くなってきた。
イーニアがセリアスに視線を向ける。
「そちらのかたは……」
「俺はセリアス。とにかく話はあとだ、戻るぞ」
踵を返そうにも、彼女は西の方角をしきりに気にしていた。左手のコンパスがその方向を指しているらしい。グウェノがそれを覗き込むと、慌てて隠そうとする。
「なんだい、それ?」
「い、いえ! 何でもないんです……」
ジョージ子爵の一行、とは思えなかった。
溜息交じりにセリアスはイーニアを問い詰める。
「ここで何をしていた? ギルドで許可を取ってきたとは思えんが」
「私は、その……」
ハインも腕組みを深めて、少女の軽率な行動を窘めた。
「ひとりで忍び込んだというわけか。事情があるのやも知れんが、それはいかん」
「で、ですけど! 秘境のことなら知ってますから」
イーニアの強情さにはグウェノも呆れる。
「だからってなあ……『知ってる』だけで戦えるわけねえじゃん」
三人掛かりで諫められ、イーニアもようやく反論をやめた。
「……ご迷惑をお掛けして、すみません」
「もういいな。置いていかれたくないやつは、ついてこい」
セリアスたちは今度こそ撤退を始める。
「ま……待ってくれ!」
そのつもりが、ジョージ子爵に呼び止められた。
「んだよ、まだ腰が抜けてんのか?」
「そ、そうではない。そうではないのだが、そのぉ……」
彼の抱えている大問題に気付き、セリアスはやれやれと肩を竦める。
誉れ高きジョージ=エドモンド子爵は恐怖のあまり、失禁してしまっていた。これにはハインも絶句し、グウェノは笑いを堪える。
「……このざまで子爵とはなあ」
「くくくっ! 可哀相だから、黙っててやろうぜ」
セリアスたちは大きな荷物を抱え、早々に徘徊の森から引きあげることになった。
無事に帰還を果たし、その夜、セリアスたちは居酒屋で一息つく。いの一番にグウェノはグラスを空け、陽気に笑った。
「傑作だったなあ、ジョージの泣きっ面!」
この酒はジョージ子爵の奢り(口止め料)ということもあり、機嫌がよい。
「まあ何事もなくてよかったではないか。なあ、イーニア殿」
「はい。本当に助かりました」
今夜は魔法使いのイーニアも同席していた。まだ酒を飲める歳ではないため、サイダーで誤魔化している。
「ところで……イーニア殿、拙僧に注いでくれんか」
「え? ええと……」
「こうするんだ」
セリアスはイーニアに代わって瓶を手に取り、けしからんモンク僧のグラスになみなみと酒を注いでやった。
「これでいいんだろう、ハイン。さあ飲め」
「セリアス殿っ? ぬぬう……よくも拙僧のささやかな楽しみを」
「ハハハッ! 下心を見せっからだよ、オッサン」
ハインはがっくりと肩を落とし、グウェノは大笑い。
肴も出揃ったところで、改めて自己紹介を始める。グウェノ、ハイン、それからセリアスと続き、最後にイーニアの番となった。
「エルフだってえ? あんた、エルフだったのかよ」
「ハーフエルフです。お父さんの血が濃いみたいで、耳は尖ってないんですけど」
エルフという種族は耳が長く、森を好む。弓の扱いに長け、魔法にも精通していた。しかし極端な排他主義であり、余所者を徹底的に嫌う傾向にある。
そんなエルフと人間の間に生まれた子どもなど、事情があるに決まっていた。
「色々大変だったんじゃねえの? 親とも離れ離れなんだろ」
「魔法の先生が面倒を見てくれましたから……」
グウェノが彼女の気を引いている隙に、ハインがセリアスに耳打ちする。
「連れてはきてみたが……セリアス殿、どうする? 拙僧としては、またひとりで秘境をうろつかれても敵わんから、パーティーに加えたいのだが」
ハインの懸念通り、ここで見逃せば、同じことを繰り返す可能性はあった。あのコンパスで何かを探しているようだが、それを打ち明けるつもりもないらしい。
「戦力になるなら、それでいい」
「ならなければ、どこかに預けるか……うむ」
善人気質のハインとて、冒険者としての弁えはあるようだった。
ほかに熟練の魔法使いが見つかるまでの繋ぎで構わない。セリアスは酒を置き、イーニアに右手を差し出す。
「詮索はしない。秘境を探索するなら、しばらくの間、俺たちと組まないか」
戸惑いながらも、イーニアはその握手に応じた。
「私でよければ……ええと、セリアスさん」
「呼び捨てでいい」
グウェノとハインも満足そうに頷く。
「そうと決まったら、歓迎会だな! 女将さん、もう一杯~!」
「イーニア殿も食べたいものがあったら、注文するといい。どうせ子爵の奢りだ」
「いえ、あの……こういうお店は初めてでして……」
剣士のセリアス。モンク僧のハイン。トレジャーハンターのグウェノ。魔法使いのイーニア。この日、城塞都市グランツで新しいパーティーが結成される。
あてのないタリスマンの探求は今、始まった。
第2話
秘境の探索を開始してから、早一週間が過ぎた。
魔法使いのイーニアを迎えたことで、前衛と後衛のバランスも取れている。徘徊の森であれば、奥に進みすぎない限り、進行にさしたる問題もなかった。
とはいえ、まだ足場を固める時期であり、城塞都市グランツでやるべきことは多い。この日、セリアスはグウェノとイーニアを連れ、西通りのある店に向かっていた。
「そういや、イーニアはどこの宿なんだ?」
「ええと……先生のお知り合いのかたが、上の街に住んでいまして」
イーニアも少しはメンバーに馴染んできたようだった。セリアスでは間が持ちそうにないが、グウェノがいれば、会話が途切れることもない。
「オッサンは診療所をまわってみるとさ。あの気功で治療ができるってんで」
「あれは回復魔法なんでしょうか」
「生命エネルギーがどうこう言ってたっけ。オレにゃ、さっぱり」
しばらく歩いた先で、グウェノが足を止める。
「ここのはずだぜ。オレはその、入ったことがねえんだけど」
見たところ、それは単なる一軒家のようだった。一応、扉の上に看板は掛けられているものの、窓にはカーテンが降ろされ、中の様子はまったく見えない。
「魔法屋……ですか?」
行き先が魔法関連の店であったことを知り、イーニアは小首を傾げた。
グウェノは呆れたようにその看板を見上げる。
「ここってよ、いつ開いてんだか、わかんねえんだ。ドアもこの通り、しっかり鍵が掛かってるしさあ」
試しにドアノブを捻ってみたが、扉はびくともしなかった。
「トレジャーハンターでもわからないか? イーニアは気付いてもよさそうだが」
しかしセリアスは意に介さず、小さな巻物を取り出す。
グウェノもイーニアも目を見開いた。
「そいつはスクロールじゃねえか! セリアス、ひょっとして使えんの?」
「開錠の魔法ですね。でも、いいんでしょうか……」
「見ていろ」
スクロール(魔法の巻物)をかざすと、『扉のほう』から魔方陣が浮かびあがる。
この扉には魔法で鍵が掛けられていたのだ。これを開けるには、同じく魔法でこじ開けるか、専用の鍵を使うしかない。
カチッと手応えがあった。
「行くぞ」
「お、おい? セリアス?」
セリアスは扉を開け、ためらうことなく中へと踏み込む。
「いらっしゃい。この辺じゃ見かけない顔だね」
奥のほうからそんな声が返ってきた。
そこはまさしく魔法屋で、触媒やスクロール、杖などが所狭しと並べられてある。カーテンを降ろしているのは、秘密を守るほか、薬品の類を日光に晒さないためだろう。
カウンターの向こうでは妙齢の女性がパイプを燻らせていた。
「扉を開けたのは……おや? そっちの魔法使いじゃないのかい」
「俺だ」
セリアスはさっきのスクロールを見せつけ、やにさがる。
この店は何も客を拒んでいるわけではなかった。ただ、資格のある者だけが入れるように、魔法で扉を閉ざしていたのである。
「へえ……兄さんが、ねえ。よく見りゃあ、割といい男じゃないのさ」
「買い物はできるんだな?」
「……性格はちょいと減点だね。まあ売ってやるよ。後ろの可愛いお嬢ちゃんにも」
スクロールなどは扱いが難しく、素人が使えば暴発の恐れもあった。魔法の材料となる各種の触媒にしても、正確な知識と充分な技術がないことには、無駄になる。
「なるほどなあ。道理でオレは入れねえわけだ」
魔法使いのイーニアは興味があるようで、店の商品を眺めていた。
「すごい、マンドレイクがこんなに……」
「冒険者から仕入れてるんだよ。徘徊の森で見つかるそうでね」
魔法を使う際には必ず、その魔法に該当した『触媒』が必要となる。特殊な灰や苔、花がそれに当たり、魔法使いにとっては消耗品でもあった。
「イーニア。触媒が少なくなってきたら、この店で補充するといい」
「はい。ありがとうございます」
店主の女がイーニアを一瞥し、ほくそ笑む。
「いつでもおいで、お嬢ちゃん。愛らしいお客さんなら、こっちも大歓迎さ」
「……私、もうお嬢ちゃんという歳ではありませんので……」
普段はおとなしいイーニアが珍しく眉を顰めた。
グウェノは笑いを堪えつつ、スクロールの束を覗き込む。
「にしても、まさかセリアスにスクロールが使えるなんてなあ。センスあるじゃん」
「少しかじっただけだ」
とりあえずスクロールを買い足し、セリアスたちは魔法屋をあとにした。
「いつもはどんな魔法のを持ってんだ?」
「開錠と解毒……そうだな、あとは照明あたりも使えると便利だぞ」
「へえ~。オレも勉強してみっかなあ……おっ?」
大通りに出たところで、屈強な騎士団の一行とすれ違う。
「あれも冒険者のかたでしょうか」
「王国軍だよ、王国の正規軍。真面目に仕事してんだなぁ」
翼が生えた獅子の紋章は、タブリス王国軍の証。
フランドールの大穴とは元々、その名の通りフランドール王国の領地であったが、今世紀の初頭にその権利を放棄した。代わって、隣国のタブリスが大穴に肉薄し、城塞都市グランツを築いている。
王国軍は今しがた秘境から帰還したようで、後ろには数名の男が連行されていた。秘境に潜んで冒険者を狙う、ならず者の一味だろう。
「昔はすごかったらしいぜ? 盗賊団なんてのが結成されちまって、王国軍と秘境で全面衝突したんだと。そんな経緯もあって、ギルドにはちょくちょく監査も入ってんだ」
セリアスとて、盗賊ごときに遅れを取るつもりはなかった。しかし戦いになれば、正当防衛とはいえ相手を殺すことになる。それはセリアスの望むところではない。
(……対策は考えておくか)
グウェノがイーニアを茶化す。
「ひとりで秘境をうろついてっと、カモにされっぜぇ? お嬢ちゃん」
「……お嬢ちゃんって呼ぶの、やめてください」
不機嫌な少女に構わず、セリアスは王国軍の凱旋を見送った。
☆
週末には新たな秘境に足を踏み入れる。
風下の廃墟。奇妙なことに、この古びた遺跡には東西南北、全方位から風が吹き込んでいた。そのせいで雨雲が集まりやすく、湖の水位が上がった原因とされている。
廃墟というだけあって、壁は崩れ、柱も折れていた。
ハインが感心気味に柱の断面を覗き込む。
「建築様式は別段、珍しくもないようだが……宗教性はさほど感じられんな」
「だろ? 家は建ってんのに、ひとが住んでた痕跡がねえんだ」
グウェノはハインに相槌を打ちながら、イーニアに声を掛けていた。
「秘境には慣れたかい?」
「はい、少しは……」
彼なりにイーニアの緊張を解こうとしているらしい。
「長いこと修行したんだろ? 魔法も」
イーニアはあの店で触媒を補充したようで、杖の宝玉も綺麗に磨きなおされていた。それに気付いているからこそ、グウェノは魔法についての話題を選んだのだろう。
「そーいやさあ、魔法使いの魔法とスクロールって、何が違うんだ?」
イーニアが困ったようにセリアスに視線を寄越す。
「ええと、それは……」
「教えてやれ」
あえてセリアスはフォローせず、ハインとともにモンスターの接近に気を配った。
「なんだ、グウェノ殿。秘境経験者が知らぬのか」
「前のパーティーには魔法使いがいなかったんだよ。たまに雇っちゃあいたけど、高くつくし……ギャラの差で、余所のパーティーに取られたりしてさ」
ハインがセリアスに耳打ちする。
「イーニア殿を勧誘したのは正解かもしれんな。魔法使いの確保には、どこも苦戦しとるようだし」
「ああ。場数を踏めば、垢抜けてくるだろう」
イーニアは困惑しながらも、ようやくグウェノの質問に答えた。
「魔法は使い手によって威力や影響範囲が変わるんですけど、その……スクロールだと、誰が使っても同じなんです」
「ふーん。でも、スクロールもそのうち壊れるよなあ?」
「はい。精製する時に触媒も使いますし……その作り方がまずいと、魔法の発動回数も少なくなるんです」
グウェノにしても本当は知っているのだろう。
(好きにさせておくか)
少々やかましいが、十五の少女の相手をしなくて済むのは、助かる。
うらぶれた廃墟を見渡し、ハインは大きな肩を竦めた。
「にしても、モンスターの気配がまったくないとは……どういうことだ?」
「多分、あれだよ。ちょっと前に王国軍が入って、盗賊を捕まえたりしてたからさ」
これではモンスターの角や爪などの素材は期待できない。盗賊も逮捕され、安全ではあるものの、単なる散歩になってしまった。
ここは『風下の廃墟』とはいえ、風向きが探索に影響するわけでもない。
「……引きあげるか」
「まあまあ。もうちょい行った先に、面白ぇもんがあるからさ」
やがてセリアスたちの一行は砦のような建物へと辿り着いた。天井のあちこちに穴が空いているため、日中であれば、照明はいらない。
「徘徊の森といい、よくわからんなあ……寺院の伝承にも似たようなものはない」
「考えてもしょうがねえよ。秘境ってのは、常識が通用しねえんだ」
ハインらに続いてセリアスも中に入ろうとした矢先、後ろで悲鳴があがった。
「きゃああっ?」
「静かにしてろ! てめえら、動くんじゃねえ!」
ハインとグウェノは顔を強張らせる。
「しまった、イーニア殿っ?」
「あっちゃあ……オレとしたことが」
イーニアは小汚い男に捕まり、首筋にナイフを添えられていた。十中八九、王国軍が取り逃がした盗賊だろう。イーニアの表情が恐怖の色に染まる。
「セ、セリアス!」
「……………」
心の中でセリアスは『やれやれ』と溜息をついた。
人質を取ったせいか、盗賊は興奮し、すっかり頭に血を昇らせている。
「この女を返して欲しけりゃ、さっさと武器を捨てろ!」
ひとまずセリアスとグウェノは剣を外した。
「へいへい。で、次は?」
「決まってんだろ。食料と金だ!」
イーニアの白い首筋へと、さらにナイフが近づく。
この男はハインが素手で戦えることを、どうやら見抜いていなかった。しかしセリアスは目配せでハインの行動を制し、食料を盗賊の足元に投げつけてやる。
「金はないぞ。秘境には探索に来たからな」
「チッ。しかたねえ……じゃあ、おまえらの武器をもらってくか」
セリアスのサインに、イーニアがはっと顔をあげた。
(3、2、1……!)
一瞬の隙をつき、セリアスはスクロールを広げる。同時にハイン、グウェノ、イーニアの三人はきつく目を閉じた。強烈な発光が生じ、盗賊の目を眩ませる。
「うわっ?」
すかさず、イーニアが盗賊を突き飛ばした。
「あとは拙僧に任せておけ!」
目を瞑ったままにもかかわらず、ハインがその剛腕で敵の喉笛を掴みあげる。
「うぐぐ! ま、参った! 降参するから、離してくれ!」
「そうはいかん。グウェノ殿、ロープを」
セリアスの機転が功を奏し、盗賊はあっさりと縛りあげることができた。
光を放ったのは、照明の魔法のスクロール。セリアスはこれを故意に暴発させ、敵の目を眩ませたのだ。
盗賊の類に遭遇した時のため、この戦法はあらかじめ仲間と打ち合わせてもいた。
申し訳なさそうにイーニアが頭をさげる。
「ごめんなさい、セリアス。私がぼーっとしていたせいで……」
「無事だったんだ。気にするな」
確かに彼女に非があるとはいえ、十も下の少女に説教などしたくなかった。彼女がまともな神経の持ち主であれば、この失敗で懲りるだろう。
それにイーニアが未熟と知りつつ、目を離したセリアスたちにも責任はある。
「こいつはどうする? セリアス殿」
「連れて帰んのも面倒くせぇよな。その辺に捨てときゃ、親切なモンスターが片付けといてくれんじゃねえ?」
グウェノの容赦のない言葉に、盗賊は情けない顔で竦みあがった。
「ひいいっ! お、おれが悪かったから……」
置き去りにしてしまっても構わないが、イーニアの手前、冷酷な真似は気が引ける。
「帰りに忘れてなければ、回収してやる」
盗賊を柱に縛りつけてから、セリアスたちは砦の奥へと進んでいった。
☆
砦の中にもモンスターの気配はなかった。王国軍が盗賊の捕獲ついでに、このあたりのモンスターを殲滅したのだろう。
「しばらくしたら、また増えてくるんだろーけどさ」
「ふむ……となれば、冒険者に人気の秘境では、成果も少なくなるわけか」
当然、ライバルは多い。ほかの冒険者らもセリアスたちと同じように秘境を探索し、実力者は着々と名を上げている。
情報通のグウェノはしたり顔で断言した。
「ここ数年は『白金旅団』ってやつらが有名かな。大穴の調査が本格化した頃から、活動を続けてて、今やタリスマン発見の最有力候補さ」
城塞都市グランツについて深く知らないハインは、腕組みを深める。
「ほう、十年も……」
「おっと、そいつはちょっと違うぜ、オッサン。確かに王国の調査が始まったのは、十年前だけどよ。これだけひとが集まるようになったのは、割と最近のことなんだ」
タブリス王国がフランドールの大穴の領有権を掌握したのが、まさしく十年前だった。王国はタリスマンを求め、大穴に幾度となく調査隊を派遣している。
だが、世間は大穴にさして関心を示さなかった。
「タリスマンなど誰も信じなかったんだろう。グウェノ」
「そりゃね。王国軍だけじゃ進展がないってんで、オレたちみたいなのも入れるようにはなったけど、挑戦者は少なかったんだ」
むしろタリスマンの探求について、世論は反対が多数だったという。大した成果も得られないまま、五年目には調査の一時凍結(事実上の打ち切り)が決まった。
「……ところがよ。そこで『あるもの』が発見されちまったのさ」
「宝石の剣……ですか?」
イーニアが控えめに口を挟む。
ハインは何のことやらと眉をあげた。
「それは拙僧も知っておるが、そんなに珍しいものか? 飾り気の多い宝剣など、どこにでもあるではないか」
「そうじゃない。おそらく刀身が宝石でできていたんだ」
セリアスの推測にこそ、グウェノはにんまりと笑みを含める。
「ご名答! で、タブリス王国は上から下まで大騒ぎになったってわけ」
いわば『ガラスの剣』である。
宝石の類は強度が低いため、武具にはまったく使えなかった。そのはずが、各地の伝承にはガラスの剣についての記述が見られる。
それは脆いガラスを刃としておきながら、恐るべき強度と切れ味を誇った。それでいてガラス本来の美しさも損なわれておらず、伝説級の一品とされている。
「私も先生に聞いたことがあります。錬金術の粋を極めれば、そのような剣をも作り出すことができる、と……」
「そんなもんが見つかったら、タリスマンも信憑性を増すだろ?」
こうしてフランドールの大穴の調査は延長が決まり、血気盛んな冒険者らが続々と集まることとなった。
「……要するに、ここいらの探索が本格化したのは五年前、というわけか」
「そーゆーこと。そっから、新しい秘境や魔法なんかが次々と発見されたりしてさ」
何にせよ、セリアスたちは五年ほど出遅れてしまっている。
その五年のうちに、ここ風下の廃墟もあらかた調べ尽くされたようだった。物品の類はほぼ持ち出されたあとだろう。
やがて大広間に出たところで、突き当たる。
「ここだぜ」
この広間も天井は半壊し、柱が剥き出しになっていた。二体の石像はばらばらの方向を向いており、正面の壁にはプレートが掛けられている。
プレートに刻まれているのは、この大穴でのみ見られる謎めいた文字だった。
「ちょっと待ってな。ここの翻訳なら……」
手帳を捲るグウェノをよそに、イーニアがうわごとにように呟く。
「愛する者同士が見詰めあいし時、道は開かれるであろう」
「読めんの? イーニア」
グウェノもハインも驚いた。
「大したものだな」
「いえ、その……魔法の先生に教わっただけですから」
イーニアは戸惑いつつ、申し訳なさそうにセリアスへと視線を寄越す。
あの文字を読めることは内緒にしておきたかったらしい。セリアスは要領を得ない少女に呆れながらも、意味深なプレートを仰ぎ見る。
「それより内容だ。愛する者同士、か」
「言葉の通りだよ。へへっ、まあ見てなって」
グウェノが得意満面に鼻の下を擦った。二体の石像を押し、向かいあわせる。
するとプレートの下で壁が開いた。男の像と女の像が見詰めあうことで、仕掛けが作動したのだろう。
「なるほど。こいつは手が込んでおるのう」
「こういうのが秘境のあちこちにあるのさ。謎が解けりゃ、どうってことねえけどさ」
この仕掛けも、すでに過去の冒険者らによって解き明かされていた。グウェノを先頭にして、ハインとイーニアもさらに奥へ進もうとする。
しかしセリアスは違和感を憶え、足を止めた。
「どうしたんですか? セリアス」
「……少し気になってな。さっきの盗賊はどこに隠れていたのかと」
王国軍は先日、盗賊の一味を捕らえるべく、このあたりを虱潰しに探したはず。にもかかわらず、あの男は息を潜めていられた。
となれば、どこかに『隠れる場所』があったのだ。
(見詰めあいし時、か……)
ふと閃きが走り、セリアスは男の石像に触れた。
「手を貸してくれ、ハイン。試してみたいことがある。お前はそっちの像を」
「ん? 了解だ」
ハインに指示を出しつつ、両方の石像を明後日の方向に向ける。
正面の通路は閉じてしまった。が、今度は右の壁が動き、下への階段が現れる。
さしものグウェノも目を見張った。
「こ、こいつはまさかっ?」
「どうして……石像は見詰めあったりしてないのに」
セリアスは像の視線の先にある、壁の四角い穴を指差した。
「昔はそこに窓か、鏡でもあったんだろう。この位置なら正面を合わせずとも、互いの顔が見える、というわけだ」
これにはハインも感心気味に舌を巻く。
「大した洞察力ではないか! ということは、最初に開いたほうはフェイクか」
「だからといって、進展があるとは思えないが……行くぞ」
セリアスたちはランプを掲げつつ、隠し階段を降り、小さな部屋へと辿り着いた。
先ほどの盗賊はここに身を潜めていたようで、飲み水やボロ布が残されている。彼の前にも、この隠し部屋を見つけた冒険者はいたのだろう。
目ぼしい宝もなく、グウェノは落胆する。
「ハズレ、かあ……」
一方、イーニアは懐のコンパスを気にしていた。
「……きゃっ?」
突然、そのコンパスが青い光を放つ。
その光を浴びたせいか、壁の一部が長方形のプレートに変わった。そこにさっきと同じ文字が浮かびあがり、セリアスたちは目を瞬かせる。
「これは面妖な……イーニア殿、読めるか?」
「は、はい」
イーニアは息を飲み、淡々と読みあげた。
「……資格を示せ。さすれば、汝の望みし真の道が開けよう……」
コンパスはプレートを指している。
この部屋にまだ謎が隠されているのは、間違いなかった。セリアスは腕を組み、プレートのメッセージを反芻する。
「……おかしいとは思わないか。ハイン、グウェノ」
「気になることでも? セリアス殿」
「ああ。さっきの仕掛けにしろ、正解さえすれば、突破できてしまうのが……な」
侵入者を阻むのなら、ほかにやりようがあるはずだった。わざわざヒントを与え、道を用意してやることもない。なのに、この廃墟はセリアスたちを迎え入れた。
ハインも同じものを察し、顎を撫でる。
「試されている、というわけか……言われてみれば、確かに」
「だったらよぉ、イーニアが持ってんのは、一体?」
グウェノに指摘され、イーニアはここでもコンパスを隠そうとした。しかしセリアスたちの視線を受け、それを諦める。
「……先生が仰ったんです。これを使って、フランドールの大穴で魔具を探せと……」
「魔具? なんだい、そりゃ」
セリアスたちは互いに首を傾げあった。
「私にもわかりません。……ただ、ひとの手に渡る前に魔具を回収せよ、と」
このハーフエルフの魔法使いには重要な任務が課せられているらしい。
「その魔具ってのが、ひょっとしてタリスマンのことなんじゃ?」
「……まさかな」
セリアスにもその直感はあったものの、確証は持てなかった。
フランドールの大穴へ『魔具』とやらを探しに来た少女、イーニア。それがタリスマンであれば、セリアスたちは早くも真相に迫りつつある。
ハインが自ら逞しい胸板を叩いた。
「どのみち、ほかにあてもないのだ。拙僧にも手伝わせてくれんか、イーニア殿」
「魔具の捜索を、ですか?」
しかしグウェノはまだ、これだけの情報では乗り気になれないらしい。
「いいのかよ、オッサン? タリスマンは持って帰ってこいって、言われてんだろ?」
「それはそうだが、僧正殿は『悪しき者から守れ』とも仰った。……それに拙僧自身、興味があるのだ。タリスマンの正体にな」
このモンク層が嘘をついている可能性は、ゼロではなかった。とはいえ、セリアスもタリスマンの真実を暴きたいとは思っている。
「俺も好奇心は強いほうだからな」
「セリアスまで? しゃあねえなぁ、オレも付き合ってやるか」
なんだかんだと言いつつ、グウェノもパーティーの一員として足並みを揃えた。
「で、ですけど……」
「ひとりでは無理であろう、イーニア殿」
「詮索はしないさ。こっちも退屈凌ぎになる」
イーニアは戸惑いながらも、セリアスたちに頷いた。
「はい。では、一緒に魔具を……」
おかげで探索の方針は決まってくる。彼女のコンパスを頼りに秘境を巡っていれば、このようなプレートがほかにも見つかるだろう。
当面の問題はメッセージの意味。
「それにしても『資格』とは……セリアス殿は心当たりがあるのか?」
「これといって思いつかないな。鍵か、通行証の類が必要なんだとは思うが」
イーニアは顔をあげ、正面のメッセージを読み返す。
「資格を示せ。さすれば、汝の望みし真の道が開けよう……」
ふとグウェノが彼女のコンパスに目を留めた。
「ちょっとそれ、見せてくんね?」
「あ、はい」
グウェノの手に渡ったコンパスが、わずかに青い光を湛える。
「……あれ? なんか光らなかったっけ? 今」
「貸してみろ」
セリアスが触れると、また光が強くなった。持ち主のイーニアもきょとんとする。
「先生ってのは、これをどうしろって?」
「この針が指す方向を探せ、としか……ごめんなさい」
「ふむ。こいつにも何か仕掛けがありそうだ」
それをハインが手に取った瞬間、光は一気に強烈なものとなった。
「うわあっ? オ、オッサン、何やってんだよ!」
「拙僧ではない! これは?」
やがて鎮まり、セリアスたちはランプの色の視界を取り戻す。
コンパスの円盤は下から半分以上、七割ほどが輝きで満たされていた。
(……筋は通るか)
魔具の在り処を示すコンパス、魔具を得るための資格。セリアスの脳裏で、そのふたつがイコールで結びつく。セリアスは神妙な面持ちで口を開いた。
「そのコンパスに光を集めることが、『資格』となるんじゃないか?」
ハインとグウェノも頭を悩ませる。
「かもしれねえなぁ。ほかに鍵がいるってんなら、イーニアの先生だって、前もってイーニアに教えてるはずだし」
「このコンパスだけで魔具に辿り着けるとすれば……ふむ」
風下の廃墟を様子見する程度のつもりだったが、思いのほか収穫はあった。まだ外が明るいうちに、セリアスたちは一旦、グランツまで引きあげることにする。
「次は、光を溜める方法を探さねえとな」
「ひょっとすると、拙僧の気功が関係あるのでは?」
黙々と歩いているイーニアに並び、セリアスは囁いた。
「そう焦るな。まずは無事にグランツへ帰ることにだけ、専念していればいい」
「……はい。ありがとうございます」
しばらくは手が掛かりそうだが、グウェノに任せっ放しにして、くだらないことばかり憶えられても困る。
「おおっ、おい? お前ら、待て! 待ってくれ!」
砦を出たところで、そんな声が飛んできた。盗賊は柱に縛りつけられたまま。
グウェノがおかしそうに噴き出す。
「あっはっは! いや、オレは憶えてたんだけどさ? セリアスもハインも素通りしてくっから、面白くてよぉ」
「そうだった、そうだった! すっかり忘れておったわい」
さっきは人質に取られたはずのイーニアまで、目を点にした。
「……あ」
「捨てていっても寝覚めが悪い。さっさと王国軍に突き出すとしよう」
仏頂面のセリアスも穏やかにはにかむ。
潜伏中の盗賊を捕獲。それが本日の戦績となった。
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