傲慢なウィザード #3

ACT.16 真夜中の救出作戦

 頭の上を線路が伸びている。

 この一帯の地下鉄線は、百貨店の地下エリアなども含めて、すべて逆さまになった。ケイウォルス司令部の第十三部隊は、民間人の救助へと急ぐ。

 哲平から通信が入った。

『ポイントB8で列車が停まっているようです!』

「了解。ただちに向かうよ」

 アーツの力を持たない民間人が、レイに襲わては、ひとたまりもない。しかし突如として迷宮が爆発的に広がったせいで、避難が遅れてしまった。

 トンネルを走りながら、ヤクモが呟く。

「自然発生じゃないよね。狙ってやったやつ、いるよ。多分」

 ミユキは瞳を緋色に染め、夜目を利かせた。

「そのうちわかるでしょ。見つけたら、ミユキがボコボコにしてあげる」

 地下道では蛍光灯が黙々と光っている。

 ところがトンネルは途中で途切れ、逆さまのプラットホームに出た。駅名は記されておらず、電光掲示板にはおぞましいテロップが流れている。

『地獄へお越しのお客様は、4番ホームで肉体を捨ててください』

 ミユキが舌を吐いた。

「気色悪ぅ~。ホラー映画の見すぎじゃないのぉ?」

「完全に迷宮になっちゃってるね」

 迷宮化することで、構造は激変する。しかも今回はカイーナを上まわる『アンティノラ』級であるため、より複雑な大迷路に違いなかった。

「シオン、いないから……マッピングできない。リィン、どうする?」

「代用品で補うよ。あまり数はないけどね」

 リィンが真珠のような球を指で弾くと、踏破分の地図が浮かぶ。

「ヤクモはなるべく温存してくれ。要救助者に怪我人がいるかも、だしさ」

「死んじゃってなければねー。あーあ、シャワー浴びた……」

 ミユキは気分転換に身体をのけぞらせようとした。ところが殺気を感じ、リィンやヤクモとともに臨戦態勢を取る。

「お出ましか」

「……もうっ! めんどくさいなあ」

 リィンは剣を抜き、ヤクモは両手の鈎爪を伸ばした。

 化け物どもはホームで待ち伏せしていたらしい。次から次へと這い出てきて、リィンたちを数任せに取り囲む。

「ミユキがまとめて片付けてあげるわよっ!」

 ミユキの鞭『ケルベロス』がしなって、魔物の手足を千切った。そのはずが、レイはさしたるダメージもなく平然としている。

「……あ、あれ?」

「こいつら、かなりレベル高いよ。四十くらいはあるかも……」

 いつぞやの鳥居のカイーナで戦ったものとは、段違いだった。後衛のレイはスペルアーツの詠唱を始め、ミユキを焦らせる。

「やっば! リィン、どうするわけ? ……そぉだ、あんたのネメシスで」

「あれなら閣下に没収されたよ。参ったね」

 リィンはヤクモにも目配せして、一直線に駆けだした。

「進行方向の敵とだけ戦って、逃げよう! 時間がないんだ」

「賛成。それが一番、楽そうだし」

 すれ違いざまの魔物を、ヤクモは容赦なしに斬り伏せる。ミユキもケルベロスの鞭に魔力を込め、レイを蹴散らした。

「さっさと行くわよ! 集まってくる前に!」

「ああっ!」

 すでに救出作戦は始まっている。

 

 ポイントL5にも列車が取り残されていた。迷宮ごと電車もひっくり返ったせいで、乗客には怪我人も多い。

 その列車には偶然、第四部隊の真井舵輪と五月道澪が乗り合わせていた。

「みなさん、落ち着いてください! 外との連絡は取れますので!」

 携帯電話は通じず、車内のモニターもブラックアウトしている。しかし輪や澪なら、アーツを併用した回線で、司令部と通信ができた。

「ケイウォルス司令部、聞こえるか? 応答してくれ!」

『……真井舵さん? どこにいるんですか、第四はもう集まってますよ! あとは五月道さんだけ、連絡がつかなくて……』

「オレと五月道はカイーナにいるんだ。電車に乗ってたら巻き込まれちまって」

『ま、まさか?』

 通信ができることで、乗客らは一様に安堵の色を浮かべる。

 だが、依然として危険な状況に変わりなかった。おそらく出口までは迷路と化しているはずで、道中にはレイも出現する。

なのに戦えるのは、前衛タイプの輪と、マジシャンの澪だけ。

 ヒーラーがいないために怪我人の治療もできなかった。数時間ならまだしも、一日や二日となると、水や食料も必要になってくる。

「一体、何が起こってるんだ?」

『カイーナが地下鉄の全域に広がったんです。先ほど、愛煌司令はこれをアンティノラと命名しました。混乱を避けるため、以後はアンティノラでお願いします』

 輪と澪は神妙な面持ちで、視線を交わした。

「アンティノラ……確か『第二地獄』っていう意味です」

「カイーナとは次元が違うってことか」

 通信の相手が、哲平から司令官の愛煌に替わる。

『かえって好都合だわ。あなたと五月道は、そこの列車を死守しなさい。すぐに救援を向かわせるから、それまで耐えるのよ。……わかったわね?』

「お、おう! 任せろ」

 通信を終え、輪と澪は立ちあがった。

「みんな、落ち着いて聞いてくれ。ちょっと前にも、でっかい島が街の上に現れたりしただろ? あれと似たようなことが起こってるらしいんだ」

「救援が来るまで、少し時間が掛かるんです。電車の外には出ないでください」

 乗客たちは半信半疑ながらも同意してくれた。

「す、すぐ出られるんでしょう?」

「子どもは後ろだ。泣くなよ、お前ら」

 ここは輪と澪で守りきるしかない。

 だが、人数が多いために、どうやら敵に見つかってしまった。トンネルの闇の向こうから、レイの気配が近づいてくる。

 輪は逆さまの列車から飛び降り、ブロードソードを構えた。緊迫感で手に汗が滲む。

「五月道、お前は後衛でスペルアーツに専念してくれ」

「わかりました。輪くん、無茶はしないで」

「……無茶だって、やるしかねえだろ? オレたちだけでも」

 苛酷な防衛戦となった。

 

 

 ARCのケイウォルス司令部にて、哲平から状況の詳細が伝えられる。

「B8にはリィンさんの第十三が救援に向かいました。L5は現在、真井舵さんと五月道さんが防衛に徹してまして、第四が応援に向かってます」

 近隣のイレイザーが総出になった甲斐もあって、大半の民間人は何とか救助することができた。しかし、電車ごと取り残されているポイントが、五つもある。

「第六部隊はM3を保護してください。H7は……葛葉さん、行けますか?」

「モチよ。そのために来たんだぜ、おれたち」

「まあ大船に乗ったつもりでいなよ」

 応援には精霊協会から、葛葉海音と斉賀凪も駆けつけてくれた。

 今は彼らを信用するほかない。

「U6はどうするのよ? H7だって、海音と凪のふたりだけじゃ、危険だわ」

それでも人手は足りず、緋姫はモニターの地図を凝視した。

愛煌が長い髪をかきあげる。

「私も一緒に出撃するわ。司令部は……沙耶、あなたに頼めるかしら」

「わたしが、ですか?」

沙耶がぎくりと身体を強張らせる。

「使いたくないのはわかるけど、今はあなたの『魔眼』にだって頼りたいの。あなたと哲平なら、きっと私たちを最大限にサポートできるはずだから」

 ヴァージニアの魔眼は沙耶にとって、罪悪感の象徴でもあった。かつて彼女が『魔女』としておこなった非道の数々は、魔眼の力を用いている。

 緋姫としても、沙耶に魔眼など使って欲しくなかった。だが今は、その力が大勢の命を救えるかもしれないことも、わかっている。

「あたしからもお願い。一緒に戦いましょう、沙耶」

「……はい。わたし、やります!」

 沙耶は決意を込め、頷いた。

ポイントM3に向かうのは御神楽緋姫、比良坂紫月、クロード=ニスケイア。

H7は葛葉海音、斉賀凪、愛煌=J=コートナーが担当することに。

「編成にスカウトだの、マジシャンだの、言ってられないわね」

「なあなあ、ボクはどこに入るわけ?」

 あとはU6。そこはシオンをサポート要員として、ある人物が名乗りをあげた。

「私に任せてちょうだい。第五のみんなには置いてかれちゃったしね」

 紫月の姉、比良坂詠。

 本来は第五部隊のリーダーだが、出遅れてしまい、司令室に留まっている。さらにもうひとり、頼もしいにも程がある助っ人が現れた。

「ARCのイレイザーども、おれも手ぇ貸してやるぜえ? ケッケッケ!」

「うげっ、閣下ぁ?」

 シオンは度肝を抜かれ、尻餅をつく。

デュレンは屈んで、そんなシオンの頭をぐりぐりと撫でた。

「実はよぉ、地下鉄がこんなになったせいで、地獄に帰れねえんだ。イレイザーってやつの実力には興味もあったし、いいだろォ……?」

「なな、なんでそれを、ボクに言うのさ!」

緋姫は笑いを堪えつつ、邪悪な魔王様を歓迎する。

「それじゃあシオンと詠さんと一緒に、U6の救出、頼んだわよ」

「クククッ! 格の違いってのを、見せてやらあ」

 司令室に残るのは、周防哲平、九条沙耶、そしてマリアン=ニスケイアとなった。

 緋姫はマリアンの目線までしゃがみ、和やかに微笑みかける。

「あなたのお兄さん、ちょっと借りていくわね。あなたは早めに寝るのよ?」

「みんな、どこか行くの?」

 おそらくマリアンは、厳しい戦いが始まることを感じ取っていた。小さな胸に大きな不安を抱き、両手を祈るように合わせる。

「すぐに帰ってくるから。いい子だから待ってて、ね」

 午後十時、すでに夏の陽は沈みきっていた。

 月の光も届かない地下の大迷宮で、死闘が幕を開ける。

 

 

 愛煌は海音と凪を連れ、ポイントH7へと降り立った。

 半径五キロ圏内の地下鉄線が迷宮になったとはいえ、入り口が多いおかげで、目的地にはある程度まですぐに迫ることができる。

 しかし内部は迷路と化しているため、一直線とはいかなかった。何度もまわり道を余儀なくされ、時間を浪費させられる。

「アルテミスで壁をぶち破ってやろうかしら」

「抑えて、抑えて。壁に穴なんて空けたら、次元の狭間に落ちちゃうよ」

 愛煌は焦燥感に駆られる一方で、凪は暢気に構えていた。海音もレイを蹴散らしこそすれ、緊張感が足りていない。

「なるようにしかならねえよ。にしても、愛煌ちゃんとご一緒できるなんてねえ」

「……はあ」

 どうやら海音のほうは、愛煌が男子であることに気付いていなかった。女の子を口説く調子で、楽しそうに声を掛けてくる。

「生徒会長なんだって? おれも高校ん時は、風紀委員やってたんだよね」

「風紀違反の常習犯だったから、無理やりやらされてたんだよ、こいつ」

 彼が愛煌を女子だと思い込んでいることに、おそらく凪は気付いていた。あえて事実を明かさず、悪友の独り相撲を面白がっているに違いない。

 愛煌にとっては面倒くさかった。

「学校の男どもに言い寄られてたり、してない? おれがガツンと言ってやろうか」

「それはいいから、あいつらをガツンとやってちょうだい」

 事態は急を要する。手癖の悪そうな海音や凪であれ、今は戦力が欲しかった。

 海音が柄の長い斧を軽々と持ちあげる。

「へいへい。そんじゃ、カッコいいところを見せようかねえっ!」

 トンネルから溢れるようにレイが出現した。しかし先頭の一匹は、海音の斧で一撃のもとに両断されてしまう。

「どうよ? おれの『九頭龍』の味は!」

「ご大層な名前だよね。まっ、オレの『般若』も、ひとのことは言えないけど」

 凪は軽やかに跳躍し、とめどなく手裏剣を投げつけた。高レベルのレイも容易く引き裂いて、敵の足並みを大いに乱れさせる。

「ふたりとも、どきなさい!」

 海音らの後ろで愛煌はアルテミスの弓を引き絞り、狙いをつけた。

 光の矢が怒涛の勢いで猛進し、魔物の集団を飲み込む。トンネルにいたレイは、アルテミスの一撃をかわせず、すべて巻き添えとなった。

 海音がヒュウと口笛を鳴らす。

「最強クラスのスキルアーツって噂は、本当みたいじゃねえの」

「アルテミスは強いよ? この若さで一支部の司令官を任されるわけさ」

 凪も愛煌の実力は素直に認めた。

 実のところ、この力のために過信し、得意になっていた時期はある。しかも愛煌のアーツ能力は、人工的な改良が加えられ、マジシャン系のスペルアーツまで行使できた。

 だが、その自信は一度、ことごとく粉砕されている。

「私以上がいるのよ? ケイウォルスには」

 すべてのスペルアーツを使いこなす、御神楽緋姫。彼女の強さはイレイザーの常識の範疇を超え、それこそデュレンのような魔王とさえ肩を並べた。

 全スペルを扱えるだけではない。ひとりでも複数のスペルの同時詠唱が可能で、本来はマジシャンをふたり必要とする、合成スペルアーツまで放つことができた。

「あんたたちも、緋姫には喧嘩を売らないことね」

「へえ……そんなに凄いのかい」

 海音が感心する傍らで、凪は意味深に笑みを含める。

「負けて、悔しいって思ううちに、好きになっちゃったとか?」

「……なっ!」

 愛煌は顔を赤らめ、凪を睨みつけた。

「ど、どうして、通りすがりのあんたが、そんなこと知ってんのよ!」

「あれ? カマかけてみただけ、なんだけど……そうかあ、あの愛煌が、ねえ」

 昔馴染みというやつは余計なことまで知っているから、たちが悪い。

 海音は話についていけず、首を傾げた。

「高校生だけで盛りあがんなよー。え? おれはもうオジサンってわけ?」

「大学生なんだから、女子大生でも追っかけてればいいじゃない」

 しかし雑談に興じている暇はなく、次のレイが出現する。

 このメンバーなら、高火力の先制攻撃で一気に殲滅するのが、賢明かつ効果的だった。ヒーラーがいないため、ダメージはできるだけ避けなければならない。

「H7に入ったわ! あと少しよ!」

 愛煌のアルテミスが力をたわめ、輝いた。

 

 同時刻、ポイントU6。

 名もない駅のホームでは、夥しい数のレイが骸と化していた。後衛のシオンはぽかんと口を開け、前衛ふたりの驚異的な強さに、慄きさえする。

「閣下といい、ヨミ姉といい……滅茶苦茶だろ?」

 デュレン=アスモデウス=カイーナにとってみれば、レイなど、レベルにかかわらず雑魚も同然だった。比良坂詠もまた、桁外れの攻撃力で魔物を殲滅したばかり。

「さすがね、デュレン。魔王代理ってことだけはあるわ」

「こっちの台詞だぜ、女ァ? てめえも普通じゃあ、ねえなあ……」

 それこそ蟻を踏み潰すかのような進撃だった。

「おい、シオン? 遅れてっぞ」

「は、はいっ!」

 味方ながらにシオンは悪寒を感じつつ、ふたりのあとを追う。

 

 御神楽緋姫の第六部隊はM3を目指し、前進を続けていた。

 紫月は攻撃を、クロードは防御を担当する。最近は愛煌が頻繁に加わりもしたが、この編成こそ、第六部隊の基本スタイルだった。

「ふたりとも、僕の後ろにまわれ!」

敵のスペルアーツは、クロードのアイギスが防ぐ。炎であろうと、氷であろうと、無敵の盾はすべてをシャットアウトした。

 その間に緋姫は詠唱を済ませ、雷撃をばらまく。

「サンダーボルトの乱れ撃ちよ!」

「あとは任せろ!」

 残った中型のレイには、紫月が朝霧で斬りかかった。たった一回の交差のうちに三回は斬り、魔物を絶命させる。

 朝霧のようなスキルアーツを用いる際は、身体能力も飛躍的に向上した。それなりに重量があるはずの刀を、紫月は羽毛のように振りまわす。

「……片付いたか。姫様、怪我はないか」

「アイギスの後ろにいたのよ。大丈夫に決まってるじゃない」

「ふっ。それもそうだな」

 視界に入ったレイを殲滅したところで、司令部から通信が入った。いつもの哲平ではなく、今夜は沙耶の声が聞こえてくる。

『列車の地点を割り出しました! より詳細な座標を送ります!』

「助かるわ。引き続きその調子でお願い、沙耶」

『わかりました。今回のカイーナ……いえ、アンティノラはまだ全容が見えてません。緋姫さんたちも注意してください』

 ヴァージニアの魔眼のおかげもあって、有利な情報が得られた。目的地の座標をドンピシャで知ることができたのは、未踏破エリアだらけの探索において、大きい。

 通信の最後にマリアンの声も聞こえた。

『緋姫お姉ちゃん、頑張って』

 緋姫たちは頷きに覚悟を込める。

「こっちの要救助者も、相当な人数がいるはずよ。急がなくっちゃ」

「いくらレイが『侵入者』のほうに敏感だとしても、まずいね。早く行こう」

 クロードはアイギスを展開しつつ、次のトンネルへと飛び込んだ。

「おい、クロード? ……聞いてないな」

 彼のがむしゃらな焦りを察し、緋姫と紫月は固唾を飲む。やはりマリアンのことで心を乱され、冷静ではいられないのだろう。

「……いざって時は、あたしとあなたでフォローしましょ」

「うむ。あいつを守るのは俺たちだ」

 トンネルも逆さまのため、線路は頭上で伸びていた。等間隔に蛍光灯が並び、鈍い光を放つ。実際に電力が供給されているわけではないらしい。

 トンネルは途中で二手に分かれることもあった。緋姫はスカウト系のスペルアーツで、現在位置を正確に割り出し、ルートを決める。

「もう少し東ね。こっちだわ」

 薄闇の中でも、敵の奇襲には紫月が逸早く反応した。

「そこかっ!」

緋姫の目がレイを捉えた時には、すでに一刀両断されている。

「さすがね。ほんと頼りになるわ、紫月」

「相手はレイだからな。問答無用でやらせてもらうさ」

 クロードはあくまで守備に徹し、攻撃には出なかった。しかし、アイギスの展開は普段よりも遅く、緋姫がスペルアーツで一時的にシールドを張ることも。

「どうしたの、クロード? らしくないわよ」

「……すまない、お姫様。今は……任務に集中するとも!」

 再びアイギスが輝きを増した。レイどものスペルアーツを弾いて、散らす。

 やがてホームに出て、目的の列車を発見することができた。

「姫様! あの電車だ!」

「よかった……間に合ったみたいね」

 逆さまになっているせいで、乗客は列車から降りるに降りられず、車内での待機を余儀なくされている。かえって迷宮をうろつかれずに済んだ、かもしれない。

 緋姫は回線を開くとともに、司令部に地図を転送した。

「救助対象の電車を発見したわよ、沙耶。でも、ここからだと、出口が遠すぎるの」

『ええと……はい、別動隊でルートを作りますから、防衛をお願いします』

 列車に取り残された乗客は、ざっと五十人。

一度に全員を守りながら脱出するのは、いくら緋姫でも困難だった。もどかしいが、ルートの安全を確保し、数人ずつ送っていくほかない。

防衛でこそクロードの出番となった。

「僕のアイギスなら朝まで持つ。その間に救助を済ませてくれ」

「わかったわ。まずは負傷者の手当てから……」

 ところが救助を始めようとした矢先、哲平からの通信が割り込む。

『大変なんです、御神楽さん! L5に向かった第四の反応をロストしまして……』

「な……なんですって?」

 輪のいるポイントL5へは、四名のイレイザーが急行しているはずだった。その四名と連絡が取れなくなったようで、哲平の言葉が焦りに満ちる。

 豪胆な紫月も青ざめた。

「ということは……L5は今、真井舵がふたりだけで守っている、と」

『M3からなら、L5も遠くありません。お願いできますか?』

 緋姫はM3の救助を中断し、紫月とともに駆けだす。

「クロードはここで、みんなを守ってて! 輪を助けに行ってくるから!」

「あ、ああ。気を付けてくれよ、お姫様、紫月」

 緋姫と紫月が抜けてすぐ、アイギスは少しの隙間もなく守りに入った。こうなれば、たとえ緋姫のスペルアーツであっても、突破はできない。

 ふたりはさっきの三叉路まで戻り、今度は北へとひた走った。

「姫様も気付いたか? ここのレイは異様にレベルが高い……まずいかもしれんぞ」

「輪じゃきついはずよ。もうひとりの子も、無事でいて欲しいけど……」

 急にレイが出てこなくなる。

 急がなくっちゃ!

敵は緋姫たちではなく、別のターゲットを見つけた可能性が高かった。トンネルを抜けたら、逆さまのホームを最短距離で駆け、次のトンネルに飛び込む。

 

ついにブロードソードは折れてしまった。

虎の子のバトルユニフォームもまとったものの、ヘルメットは砕かれ、顔が剥き出しになっている。輪は息を乱しながら、それでも折れた剣を両手で握り締めた。

「はあ、はあ……救援はまだなのか?」

司令部と回線を開く暇などない。

 前方のレイにばかり気を取られていると、側面から仕掛けられた。

「ぐあああっ!」

輪は蹴り飛ばされ、ラグビーボールのように転げまわる。

「くっ……さ、五月道、起きてくれ……!」

 パートナーの澪は先ほど、スペルアーツでレイに押し負け、バトルユニフォームがずたずたになるほどのダメージを負った。気絶しており、呼びかけても反応はない。

「お前だけでも、逃げ……ゲホッ!」

 あまりにも多勢に無勢だった。踏みつけられた激痛で、意識が飛びそうになる。しかし輪の右手には、まだ剣を掴むだけの力が残っていた。

 ここで自分が倒れてしまえば、次は澪が殺される。列車の中で怯えている民間人らも皆殺しにされるだろう。

 ふと、澪の声が微かに聞こえた。

「り、輪……く……お願い、逃げ、て……」

 倒れるわけにいかない。絶対に負けるわけにいかない。

最後の力を振り絞って、輪は今一度立ちあがる。

「やられてたまるか! この命に代えても、五月道だけは……っ!」

 折れたブロードソードが輝きを放った。裂帛の気合を込め、最後の一撃を振りあげる。

「うおぉおおおおおおおーーーッ!」

 が、輪が振りおろすより先に、レイは胴を切断された。それも一匹に限らず、俊敏な人影によって、次々と斬り捨てられていく。

「よく耐えたな、真井舵」

 呆気に取られ、輪はブロードソードを落とした。

「比良坂? じゃあ、まさか……」

火炎、氷結、雷撃が弾幕となって、レイの群れへと降り注ぐ。瞬く間にレイは焼き尽くされ、氷漬けになり、引き裂かれた。最後の一匹は拳銃で撃ち抜かれる。

御神楽緋姫のアーロンダイトだった。

「待たせたわね、輪……って、ひどい怪我じゃないの!」

 輪のもとに駆けつけるや、緋姫は目を丸くする。

「は、ははは……お前ら、強すぎだろ……」

安心した途端、腰が抜けてしまった。そんな輪に紫月が肩を貸す。

「あとは俺たちに任せておけ」

「お言葉に甘えさせてもらうぜ。あぁ、御神楽、治療は五月道のやつから頼む」

「あの子ね。了解」

 一時期、第六部隊に身を置いていたため、彼女らの規格外の強さは知っていた。ことレイの殲滅においては、六人編成の第四部隊よりも上だろう。

 紫月が神妙な顔で尋ねてくる。

「ところで……ここへ来たのは、俺たちだけか?」

 意味深な言いまわしが不安を煽った。

「……どういう意味だ?」

「戦いに夢中で、通信どころじゃなかったようだな。第四のほかのメンバーが、お前たちの救援に向かったまま、消息を絶ったんだ」

 身体に衝撃をもたらすほどに、心臓が強く跳ねる。

「あ、あいつらが?」

「やはり来ていないのか……」

 その後、L5の民間人らは無事に保護。

 クロードのアイギスがあるM3はあとまわしとなり、リィンのB8、愛煌のH7、デュレンのU6で順々に救助が完了する。

 かくしてアンティノラ攻略の第一次作戦は、夜明け前には終結した。

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