傲慢なウィザード #3

ACT.14 DREAM

 二年生の夏休みに入った。

 第六と第十三の部隊は、任務もあって、海へ行くことに。シオンの祖父母が民宿を経営していることもあって、今回の旅行が決まった。

 二日目となる今日も、朝のうちから浜に出る。昨日は恥ずかしかった黒フリルのビキニにも、それなりに慣れた。頭上で水玉模様のビーチボールが飛ぶ。

 ビーチバレーは緋姫と紫月のコンビに対し、クロードとリィンのコンビとなった。

「くっ! すまん、姫様。しくじった……」

「さっきのは無理よ。気にしないで」

 運動神経がいいはずの紫月でも、球技は苦手のようで、球の取りこぼしが目立つ。ビーチボールには思いのほか球速があり、緋姫も苦戦を強いられた。

 相手チームはクロードが守備に徹する一方で、リィンは前に詰めてくる。

「行け、リィン!」

「任せて! そこだっ!」

 リィンのスパイクはこちらを巧みに惑わした。緋姫も紫月も『自分が行くべきか、パートナーに任せるべきか』迷ってしまうポイントを、的確に突いてくる。

 シオンは審判として、首に笛をさげていた。

「ヒメ姉、あと一本で負けちゃうよー? にひひ」

「わかってるってば! 紫月、打つのはあたしに任せて」

「了解だ。せめて一矢を報いんとな」

 沙耶は応援にまわって、緋姫サイドにエールを送ってくれる。

「まだまだこれからですよ! クロードさんは疲れてきてるみたいですし」

 緋姫と紫月は頷きあって、今一度、反撃に懸けた。リィンの放ったボールが、さほど速度に乗らなかったのを見抜き、緋姫が飛び込む。

「打って、紫月!」

「心得た!」

 あえて命中精度の悪い紫月が、跳躍し、アタックを叩き返した。先ほど『緋姫が打つ』と言ったのはブラフ。本命は紫月の背の高さと、力の強さにある。

「しまった?」

 裏をかかれ、クロードは球を拾い損ねた。

 ところがボールはバウンドのあと、コートの外に出て、たまたま通り掛かった男性の顔面に当たってしまう。

「おわっ?」

「あ、ごめんなさい!」

 緋姫は急いで起きあがり、二人組の彼らに詫びを入れた。

 ぶつかったほうは鼻を押さえながら、『気にしないで』とかぶりを振る。

「いいよ。おれも余所見してたからな」

 見るからに体格がよく、太い首にはネックレスを掛けていた。脇腹の大きな傷跡は目立つものの、気さくな笑みには社交的な印象がある。

「そうそう。あっちのビキニのグループばかり見てたから……」

「そーいうんじゃねえっ!」

 もうひとりはビーチボールを拾って、緋姫に投げ返してくれた。こちらの男性は細身の筋肉質といったプロポーションで、色も白い。

「本当にごめんなさい」

「いいってば。……ほら、海音がそんな風貌だから、怖がってんじゃない」

「おれのせいにするな。おまえは余計な一言が多いんだよ」

 しかしふたりは立ち去らず、何やら愉快そうにビーチバレーのコートを眺めた。カイトという名前らしい大柄な青年が、自信満々に親指を自分に向ける。

「面白そうなことやってんじゃねえか。どうだい? おれたちと一勝負ってのは」

 こちらの男性陣は目を点にして、顔を見合わせた。心配性のリィンが緋姫を庇うように並んで、彼らを牽制する。

「ぼくらと? いきなりだね、どうしてさ」

「そう邪険にするなよ。こっちは男ふたりで花がないっつーか。なあ、凪?」

「海音もオレも彼女を怒らせちゃってね。途方に暮れてた……うん、これで行こう」

 理由など取ってつけたに違いなく、冗談にしか聞こえなかった。とりあえず、男ふたりで海に来て、むさ苦しい思いをしているのは、本当らしい。

ゴロツキの類であれば、得意のアーツで迎撃すればよいだけのこと。

「ちょっと遊ぶくらい、いいでしょ? おヒメちゃん」

 だが、和やかなムードは一瞬にして吹き飛んだ。

 緋姫はリィンとともに間合いを取る。

「……あなた、なんであたしの名前を知ってるのかしら?」

「さっき話してるのが聞こえただけだよ。……おっと、これじゃ、ずっと見てたみたいに思われちゃうかな」

 クロードは沙耶の守りにまわって、紫月は朝霧を引き抜こうとした。

「姫様、セーフティーを外してくれ」

「怖いねえ。こんなところで刀なんか振りまわしたら、大事件じゃね?」

 彼らは紫月のスキルアーツが『刀』であると知っている。

「おい、凪。おまえがこの子の名前を呼んだりするから、ややこしくなっただろーが」

「ごめん、ごめん。まっ、遠まわしにやるよりはいいんじゃない?」

 緊迫感の中、平然と自己紹介が始まった。

「オレは斉賀凪。で、こっちのデカいのは葛葉海音。海に音、なんて洒落た漢字なんだけどさ、似合わないよねえ」

「う、る、せ、え。まあなんだ、オレたちはARCから枝分かれした、精霊教会ってとこのモンでさ。ケイウォルスの第六が来るっていうから、ちょいと偵察に来たわけよ」

 ARCのすべてを把握しているわけではない緋姫は、首を傾げる。

「……精霊教会?」

「ARCは迷宮の調査や攻略がメインだろ? こっちは迷宮以外で、レイに関連した事案に当たってんのさ。やばい魔具の管理とかな」

「例えば……フフッ、そっちの子の左目にある、ヴァージニアの魔眼とかね」

 凪の手がすっと沙耶を指した。

 途端に緋姫は怒りを制御できなくなり、アーツの力を震わせる。

「あの子を狙ってるんなら、容赦しないわよ」

浜の砂がごうっと巻きあがった。しかし海音も凪も動じない。

「凪ぃ……お前が余計なこと言うせいで、もっとややこしくなったじゃねえの」

「これで、あっちも本気になるだろ? 勝負するなら楽しまないとね」

 あくまでビーチバレーで対戦するつもりのようだった。緋姫は怒気を鎮め、クロードらと小声で相談する。

「どうするんだい? お姫様」

「こいつらの狙いはわからないわ。けど、放っておくわけにいかないでしょ」

「ひとまず対戦に応じて、時間を稼ぐとするか」

 よりによって今は、ARCの事情に精通している愛煌がいなかった。

 彼らと勝負するのは、リィンとクロードのタッグに決まり、審判は緋姫が務めることに。紫月は沙耶のガードに徹し、シオンは愛煌を呼びにいく係となった。

「無茶すんなよ、ヒメ姉。そんじゃ」

「お願いね、シオン」

 緋姫はシオンからホイッスルを受け取り、ネットの横につく。

 緊張感に包まれながら、ビーチバレー対決は火蓋を切った。海音のサーブが軽々とネットを越え、クロードらの頭上に急襲を仕掛ける。

「クロード、頼むよ!」

「わかってるさ!」

 それをリィンのレシーブが受け、さらにクロードのトスで無力化する。

「はあああッ!」

 リィンが高く跳んで、身体を弓なりに曲げた。たわめられた力が頂点で爆ぜ、ボールに弾丸じみた急加速を与える。

 しかし強烈なスパイクにも、凪は食らいついてきた。

「やるね! さすが、元死神さんだ」

「見せてやれ、凪!」

 海音のトスを経て、凪のほうも跳躍とともにアタックを打ち込む。

 ビーチバレーは抜きつ抜かれつの攻防を見せ始め、次第にギャラリーも増えてきた。沙耶もすっかり乗り気になって、声援をあげる。

「クロードさん、リィンさん! 頑張ってください!」

「今日はレディーのために、はあ、やってやるさ」

 しかし強がりこそすれ、クロードは息を乱していた。海音や凪、リィンに比べると、体力がないためで、相手のスパイクを防ぎきれなくもなる。

 紫月が名乗りをあげた。

「クロード、あとは俺に任せておけ」

「……そうだね。こっちは選手を交代するよ」

 球技は苦手な紫月であっても、体力はまだ充分に残っている。

 入れ替えが済んだところで、敵の凪がサーブに入った。

「お手並み拝見といくよ、比良坂紫月!」

「来いっ!」

 リィンと紫月のチームは再び攻勢に出て、海音と凪のチームを追いあげていく。

紫月のスパイクは明後日の方向に飛ぶこともあったが、威力は凄まじく、凪では受けきれない場面も出てきた。

「やるじゃねえか! はあ、面白くなってきやがったぜ」

 タフな海音も息を乱し、大粒の汗を流す。

 真夏の日差しも彼らの体力をじわじわと奪っていった。試合の合間にギャラリーからスポーツドリンクが提供されるほどで、リィンも凪も一気に飲み干す。

「あと少しだよ、紫月」

「ここまで際どい勝負になるとはな」

 勝敗を賭け、リィンのサーブが低めの放物線を描いた。

すかさず海音が拾って、凪が繋ごうとする。しかし汗で滑ったのか、球はぶれた。

「や、やべえ!」

 海音のアタックは失速し、むしろ相手に絶好のチャンスを与えてしまう。

「紫月、ワンツーで!」

「いい位置だ! これで決めるぞっ!」

 リィンによってネットの傍へと寄せられたボールに、紫月が追いすがった。長身を活かした跳躍から、ボールがひしゃげるほどのスパイクを放つ。

 紫月のアタックは海音と凪の間を抜け、砂を弾いた。ギャラリーの歓声があがる。

「きゃ~~~! 紫月さん、リィンさん、最高です!」

 沙耶も黄色い声援で紫月らの奮闘を称えた。

 試合終了のホイッスルを鳴らしてから、緋姫はドリンクで一息つく。ジャッジをするだけでも汗だくになるほど、暑い。

「ふう……勝つには勝ったわね。お疲れ様、リィン、紫月。クロードも」

「紫月と交代したのがよかったんだよ。僕じゃ後半は戦えなかった」

 クロードは沙耶に水筒を借りて、紫月のために抹茶を注いだ。

 クロード=ニスケイアと比良坂紫月。性格は対極にあるようでも、このふたりは同じものを見て、阿吽の呼吸で力を合わせることができる。

頼りになるんだから、ほんと。

 カイーナでも紫月は緋姫の剣となり、クロードは盾となり、多くの戦果をあげた。

 やがてギャラリーもばらけていく。海音は仰向けでダウンしていた。

「ぜえ、ぜえ……ちっくしょ、負けちまったか」

「あっちのリィンてやつが厄介だったね。ほら、まだ余裕ありそうだし……」

 凪も尻餅をつき、うなだれる。

 ところがリィンはけろっとしていた。これには紫月も苦笑する。

「バイトばかりしてないで、部活でもやってみたらどうだ?」

「いいよ。お金稼ぐほうが面白いから」

 リィンも少しずつ馴染んできているようで、安心した。緋姫にとって、九条沙耶とリィン=セツナは放っておけない事情がある。

「休憩にしましょうか。海音と凪……だったわね。あなたたちはどうするの?」

「昼飯にすんなら、おれたちが奢るよ。負けちまったしな」

 葛葉海音や斉賀凪とは早くも打ち解けつつあった。油断しているつもりはないが、好敵手には敬意を払いたくもなる。

 そこへようやく愛煌がやってきた。真夏の浜辺に制服で。

「あ、な、た、た、ち、ね、え! 今日はカイーナの調査だって、言ったでしょ!」

 今になって緋姫たちは任務を思いだし、『あ』と一様に口を開ける。

「そ、それはリィンが合流してからって話で……」

「だから昨夜、合流したじゃないの。縁日に行って、花火も見て、まだ遊ぶ気?」

 緋姫たちの上司として、愛煌は幻滅の色を浮かべた。ところが凪と目を合わせるや、気まずそうに渋い顔になる。

「凪? どうして、あなたがここに」

「久しぶりだね。まだ続けてるとは思わなかったよ、それ」

 凪のいう『それ』とは女装のことらしかった。愛煌=J=コートナーは美少女然とした風貌でありながら、身体上の性別は男子だったりする。

 その事実を知らない沙耶だけ、きょとんとした。

「愛煌さんのお知り合いだったんですか?」

「一応、ね。ARCから精霊教会に移ってったイレイザーよ。そっちの大きいやつは、私も会うのは初めてだけど」

「えっ、おれのことが気になる? こんな可愛い子がいるなんて、嬉しいねえ」

 どうやら海音も愛煌の性別には気付いていない。

 ちゃんと男の子の恰好すればいいのに……もったいないわね。

 凪と海音は腰をあげ、海パンの砂を払った。

「面倒くさいのが出てきちゃったし、今日のところは失礼するよ。いきなりごめんね」

「思った以上に楽しめたぜ。あぁ、『ヴァージニアの瞳』には手を出さねえからよ」

 爽やかな笑みを残し、去っていく。

 愛煌は肩を竦めた。

「気にしなくていいわよ。大方、第六の噂を聞いて、見に来ただけでしょうし。それよりカイーナの調査を始めるから、さっさと着替えてきなさい」

「はぁーい」

 一同から気のない返事があがる。

 本日の午後はカイーナの探索となってしまった。

 

 

 大地の下には『地獄』が存在する。

 地獄は今、裁くべき罪人の魂で飽和状態にあった。そのため、地上の罪人は生きたままに霊魂を腐敗させて、迷宮を作り出してしまうことがある。

 何もかも逆さまとなる迷宮は『カイーナ』と呼ばれた。

 ARCはカイーナの攻略を目的とした組織で、イレイザーたちを統制している。

 御神楽緋姫はイレイザーのひとりとして、ケイウォルス司令部の第六部隊を率い、着々と任務をこなしていた。先日もネオ・カイーナ事件を収拾し、今や『最強のイレイザー』とまで評されている。

 今回は遠方の支部からの要請を受け、この臨海地区を訪れた。

 昼食を済ませてから、緋姫らはカイーナの入口へと集合する。遊泳上からそう遠くない距離にある洞穴で、鳥居が飾られていた。

 指揮を執る立場にある愛煌=J=コートナーがぼやく。

「さすがに人数が多いわね……」

 第六部隊は御神楽緋姫、クロード=ニスケイア、比良坂紫月。さらに第十三部隊はリィン=セツナ、ヤクモ=キーニッツ、ミユキ=フランベル、シオン=チコリス。

 愛煌も加われば、八人となった。

非戦闘員の九条沙耶はゼゼーナンや詠と一緒に、民宿で待機している。

「ちぇっ。ボクも待機組がよかったなー」

「スカウト枠は外せないわよ」

 カイーナを探索する際の編成は、五、六人が妥当と、相場が決まっていた。

後衛にヒーラー、スカウト、マジシャンをひとりずつ配置し、それを前衛で守るのが理想のフォーメーションとされる。

ただし御神楽緋姫はひとりでヒーラー、スカウト、マジシャンすべてのスペルアーツを使うことができるため、この限りではない。

「ふたつに分けるのはどう? ここって、そんなに強いレイも出現しないんでしょ?」

「そうね。じゃあ、四人ずつで編成しなおすわ」

 本日の調査ではA隊とB隊に分かれることになった。

 A隊は御神楽緋姫をリーダーとし、紫月、ミユキ、リィンが入る。愛煌に好意を寄せるミユキは不満そうにむくれた。

「むぅ。なんでミユキ、アキラくんと一緒じゃないわけ?」

「バランスってやつよ。この編成なら、どっちの隊もスペルアーツを三種ともフォローできるでしょ? あとはなるべく第六と十三のメンバーをばらしてみたの」

 愛煌には、編成の幅を広げる、という狙いもあるらしい。しかし苦手なミユキを遠ざけるための方便にも聞こえてしまった。

 ミユキに交際を申し込まれたっていうけど、どうなったのかしら……。

 我ながら恋愛事には不慣れで、イメージが湧かない。

「行きましょうか、紫月、リィン」

「あ、待って! ミユキも行くってば~」

 緋姫のA隊は先に迷宮へと突入した。一瞬のうちに上下が反転し、逆さまになる。

 カイーナでは『天井が下、床が上』となって、重力も逆転する。洞穴ではその現象がわかりづらいが、頭上の『床』には海水が網目状に流れていた。重力の反転は侵入者には影響しないため、迷宮のほうがひっくり返ったように思える。

 緋姫と紫月はケイウォルス学園の夏服を着用していた。

「中は涼しいな……風邪を引くなよ、姫様」

「ええ。あなたもね」

 緋姫たちは制服をベースとして、防御用のアーツを構成している。迷宮で拾ったスキルアーツの断片などを材料にし、強化を繰り返したおかげで、充分な守備力を発揮した。

 緋姫には専用のバトルユニフォームもあるものの、恥ずかしいので使えない。

「第四はよくあんな格好で戦えるわ」

「あれ、ミユキもびっくり! なんでスクール水着なわけ?」

 ミユキはゴスロリ風のドレスを、リィンは死神の装束をまとっていた。

「プリンセス、守備系のスペルアーツ、かけといたほうがいいよ」

「あ、そっか。今はクロードがいないんだっけ」

 緋姫はヒーラー系のスペルアーツを次々と唱え、あらかじめメンバーの守備力をさらに高めておく。炎や氷への耐性も一時的に上昇させた。

「そんなに重ねがけして、戦う分の魔力は足りるのか?」

「問題ないわよ。あたしの魔力って、歩いてるうちに満タンになっちゃうもの」

普段はクロードの、無敵の盾こと『アイギス』があるため、ヒーラー系のスペルアーツは滅多に使わない。出番があるとすれば、要救助者の治療くらいだった。

 前衛の紫月が刀の『朝霧』を抜く。

 もうひとりの前衛、リィンは細身の剣を構えた。

「……リィン、前使っていた、あの大鎌はどうした?」

「あれは閣下に没収されちゃってね。当分は汎用タイプのスキルアーツでやるよ」

 彼が本調子ではないことを、この場で知り、緋姫は溜息をつく。

「先に言ってよ、そういうことは……わかってたら、強化くらいしたのに」

「ヘーキ、ヘーキ。そいつ、バカだけど、実力だけはホンモノだから」

 中衛のミユキは得意そうにケルベロスの鞭を引き絞った。

 緋姫は後衛で拳銃アーロンダイトを構える。それからスカウト系のスペルアーツで、目の高さにバイザーを降ろした。これで罠や敵を発見するのが容易になる。

「さて……どこから調べようかしら」

 前の調査隊によれば、この迷宮は階段が存在しない、1フロアの構造だった。地図もほとんど完成しており、怪しい未踏のエリアは見当たらない。

 にもかかわらず、カイーナを作り出したはずの『フロアキーパー』は未だに見つかっていなかった。緋姫たちの目的は、第一にフロアキーパーの捜索となる。

 探索中、数体のレイと出くわした。

「出たわね。紫月、リィン! 任せたわよ」

「この数なら俺たちだけで充分だ。リィン、お前はそっちを頼む」

「了解。始めようか」

 左の一体は、紫月が朝霧で難なく両断する。右のほうも、リィンがすれ違いざまに三回ほど斬って、絶命させた。

 レイという化け物は、いわゆる悪霊が変じたもので、通常の刃物や火器の類は一切通用しない。イレイザーの各種『アーツ』だけが有効だった。

 最後の一匹にはミユキの鞭が絡みつく。

「バイバーイ」

 レベル差がありすぎるせいで、圧勝に終わった。このカイーナに出現するレイは、それほど強力ではないらしい。

 その割にまだ誰にも攻略されていないことが、腑に落ちなかった。

 応援を要請するくらいだもの。何かあるんでしょうね。

 旅行気分だった緋姫は気持ちを切り替え、探索に集中する。うねった道をしばらく進むと、入口で見たのと同じ鳥居が逆さまになっていた。

 どこからともなく声が聞こえてくる。

『我が領域に足を踏み入れようとする者よ。汝の名を示せ』

 唐突な問いかけに緋姫たちは驚き、たじろいだ。

「だ、誰なの? あなた」

『汝の名を示せ』

 その声は同じ台詞を繰り返すのみで、会話にならない。

 神妙な面持ちで紫月が呟いた。

「……試しに誰か、名乗ってみるか?」

「別に大丈夫なんじゃない? どっかの隊が全滅した、って話もないんでしょ」

 ミユキは能天気に言ってのける。

彼女の言う通り、この迷宮で隊が壊滅したという報告はなく、レイも弱かった。まずいことが起こったとしても、脱出は容易い。

「そうね。やってみるわ」

 緋姫は紫月とリィンを後ろにさげ、逆さまの鳥居の正面に立った。全員と頷きあってから、謎めいた鳥居に名を明かす。

「あたしは御神楽緋姫。……誰だか知らないけど、これでいいのかしら?」

『汝は名を示した。心ゆくまで堪能するがよい』

 次々とレイが現れた。すかさず紫月とリィンは臨戦態勢を取る。

 しかしミユキは構えもせず、瞳をぱちくりとさせた。

「え……なんなの、アレ?」

 さっきの化け物然としたものと違い、目の前にいるレイはどれも、ファンシーな猫の姿をしている。エンタメランドのマスコット、タメにゃんの登場だった。

 緋姫は動揺し、無意識のうちに拳銃を落とす。

「タッ、タタ、タメにゃんが……こんなにいっぱい……!」

 幼少期の事情もあって、緋姫には『ファンシーな生き物』に免疫がなかった。こればかりはヒーラー系のアーツで耐性をアップさせることもできない。

 タメにゃんの愛くるしい仕草は、緋姫に衝動さえもたらした。小首を傾げるポーズひとつで、鉄の理性がぐらつく。

タメにゃんの群れは侵入者を包囲しても、攻撃してくる気配はなかった。それでも脅威には違いなく、紫月が朝霧の刃を光らせる。

「突破するぞ、姫様。……姫様?」

 しかし緋姫は感動のあまり、頬を染め、瞳をきらきらさせていた。

 タメにゃんと戦うことなどできない。もふもふに触りたくて、無性に抱き締めたくて、身体じゅうが疼いてしまう。

「プリンセス、しっかりして。あれは敵だよ、やっつけないと」

「……やだっ!」

 やだ、なんて台詞を初めて使った。

「ヒメちゃんさぁ、可愛いのはわかるけど……」

「だって、タメにゃんなのよ? 中にひとが入ってないから、本物なの!」

「落ち着いてくれ、姫様。言ってることがおかしいぞ」

 ミユキにも紫月にも呆れられてしまったが、このときめきは自制できない。

「リィン、姫様の右を頼む」 

「……そうだね。連れて帰るしかないか」

 紫月とリィンはふたり掛かりで緋姫を担いだ。

 ミユキが鞭を振るって、進行方向のタメにゃんを散らす。

「ちょ、ちょっと、ミユキ!」

「やっつけないってば。めんどくさいなあ、もお」

 ついには萌えのキャパシティを越え、緋姫は失神してしまった。

 

 A隊が緋姫を担いで戻ってきたことで、愛煌=J=コートナーは仰天する。

「どっ、どうしたのよ? 何があったの!」

「心配はいらん。姫様には刺激が強すぎたんだろう……」

 あらゆるスペルアーツを操り、『ウィザード』と称される御神楽緋姫が、まさかの戦線離脱だった。しかし紫月もリィンも詳しくは語ろうとしない。

「鳥居を見つけたら、名乗ってごらん。多分、それでわかると思うよ」

「……は?」

 ミユキは指先を唇に沿え、不思議そうに宙を見詰めた。

「名乗ったひとにカンケーしてるのが、出てくるのかなあ?」

「かもな。俺だったら何が出たか……」

 ヒーラーのヤクモが緋姫の顔色を覗き込む。

「クジョウサヤには黙ってたほうがいいよね、これ」

「ゼゼーナンだけ呼ぶとしよう。紫月とリィンで、運ぶのを手伝ってやってくれ」

 緋姫の手当てはA隊と待機組に任せることに。レイの攻撃で受けたダメージではないため、ヒーラー系のスペルアーツでは治療できなかった。

 続いてB隊がカイーナに挑む番になる。メンバーには愛煌をリーダーとして、無敵の盾『アイギス』を持つクロード、スカウト系のシオン、ヒーラー系のヤクモが加わった。

「一度出なおしたほうがいいんじゃないかな、愛煌さん」

「学園の近辺なら、そうするけど。時間もないし行きましょう」

 カイーナに突入するや、上下の感覚がひっくり返る。

「シオン、マップの更新を忘れないで」

「わかってるって。ヒメ姉といい、もうちょっとボクを信用してくれたってさあ……」

 B隊のほうは愛煌とクロード、ヤクモの三人がケイウォルス学園の制服を着用した。シオンは私服で、さして防御面を意識していない。

 とはいえ、クロード=ニスケイアがいれば守備は万全だった。

「あなたのアイギスはもはや反則ね。どんなレイが憑いたら、そうなるわけ?」

 イレイザーは普通の人間に過ぎないが、善玉のレイに憑依されることで、アーツの力を行使できる。実際、御神楽緋姫には恐るべき霊魂が憑依しており、愛煌にも『人喰い鬼の王』などという規格外のものが憑いていた。

 クロードが眉を顰める。

「どうだろうね……僕はお姫様のように、自分のレイとは話もできないし。ヤクモはどうなんだい? 死神だったんだろ、君は」

「死神にはそういうの、いないから。たまに精霊を連れてるのはいるけど」

 レイにはより上位の『精霊』が存在した。精霊協会のイレイザー、朱鷺宮杏樹は、雷の精霊テスタロッサとの契約に成功したという。

「精霊といえば、愛煌さん、精霊協会ってのは何なんだい?」

「今夜にでも話そうと思ってたのよ。まあいいわ、教えてあげる」

 迷宮を進みながら、愛煌は淡々と事実を明かした。

 精霊協会とはARCから分裂、及び独立した組織で、カイーナ以外の異変を担当している。その内容は行方不明者の捜索から、魔具の管理まで、さまざまだった。

 それがすべて人間の善意によるもの、とは言い切れない。

「ARCも余所のことは言えないけど、胡散くさい感じはあるわね」

 事実、ARCさえ、かつては秘密裏に軍事計画を進めていた。九条沙耶はその成功例と誤認され、苛酷な人生を余儀なくされてしまっている。

そして御神楽緋姫は同じ計画のロストナンバーとして、暴走した過去があった。

「少し調べてみるわ。凪が出てきたのも、偶然ではないでしょうし……」

「知り合いのようだね。彼とは?」

「一時、同じ部隊で戦ってたのよ。それだけ」

 今回のカイーナは大したレイも出現せず、マップも出来上がっているおかげで、簡単に進める。やがて愛煌たちは問題の、逆さまの鳥居へと辿り着いた。

『我が領域に足を踏み入れようとする者よ。汝の名を示せ』

 愛煌はメンバーとアイコンタクトを取る。

「こいつが緋姫を戦闘不能にしたっていうトラップね。シオン、何かわかる?」

「それがさあ……アナライズしても、反応がないんだよ。でも、これくらいのことなら、ヒメ姉も確認したんじゃねーかな」

 ヤクモは警戒することなしに鳥居に触れた。

「……名乗ってみる?」

「そうだねえ。紫月たちの反応からして、危険ではないようだし」

 メンバーの視線が愛煌に集中する。

『汝の名を示せ』

 深呼吸を挟んでから、愛煌ははきはきと名乗りをあげた。

「私は愛煌=J=コートナー。ARCケイウォルス司令部の司令官よ」

『汝は名を示した。心ゆくまで堪能するがよい』

 全方位で一斉にレイが出現する。

「な……なんだってぇ?」

 ところがレイの見目姿には、クロードが面食らった。シオンとヤクモも目を見開いて、レイではない、『御神楽緋姫』の集団に驚愕する。

「ヒメ姉がたくさん? あれってレイだろ? どうなってんのさ、これ!」

「それにミカグラ……変な恰好」

 しかも彼女らの恰好には、愛煌の嗜好がありありと反映されていた。

 メイドの緋姫、ゴスロリドレスの緋姫、チアガールの緋姫、さらにはスクール水着の緋姫まで。愛煌の『男の子としての欲求』が溢れ返るほどに具現化される。

 さしもの愛煌も顔を真っ赤にした。

「う……うぅ、嘘でしょ?」

 正体はレイであるはずの緋姫たちが、陶然とした顔つきで、愛煌の名を呼ぶ。

『こういうのが好きなのね。愛煌ったら……』

『ねえ、早くぅ? 焦らさないで』

 アイドル衣装の緋姫や、バニーガールの緋姫も、甘い言葉を囁いた。愛煌は目をまわしそうなほど動転し、額から熱を放つ。

「何かの間違いよ? そそっ、そうに決まってるわ。そうに……」

 ふとシオンが、緋姫たちの陰にひとりだけ、別の女の子がいることに気付いた。

「なあ、あっちにいるの、ミユキじゃね?」

 メイドのミユキはメイドの緋姫と手を取りあって、まじまじと愛煌を見詰める。さながら愛しのご主人様にすべてを捧げるかのように。

『恥ずかしいけど、あたし……今夜はご奉仕しちゃうわよ』

『ヒメちゃんばっか、ずるい~。アキラくぅん、ミユキも可愛がってぇ?』

 クロードがぽんと手槌を打った。

「なるほど。名乗った人間の好きなものが、こうして現れるわけだ」

「えっ、キラ姉ってオカマのくせに、ヒメ姉が好きなの?」

「悪趣味……。おれだったら、ない」

 ヤクモは興味がなさそうに顔を背ける。

 さらにシオンはもうひとつの真相に勘付いてしまった。

「待てよ? ミユキもいるってことはさぁ、キラ姉、ミユキに迫られて、悪い気はしてないってことだよな。節操ねえの」

「まあまあ。あんなふうに抱きつかれたりしたら、揺れるのが男心ってものさ」

 緋姫への淡い恋心と、男子として仕方のない部分を、もっともらしく分析される。

 愛煌は自棄になって、笑うほかなかった。

「あははっ、あは……あはははははははははッ!」

 理想の緋姫たちが次々と悩ましい誘惑を投げかけてくる。

『んもう、愛煌ってばぁ。こんな恰好までさせてえ』

『意地悪しないで? ね? あ、き、ら……』

 とうとう羞恥の感情が許容量をオーバーし、愛煌は目をまわしてしまった。

 

 

 その夜、民宿で夕食を済ませた頃には、身体も動く。

「はあ……とんだ災難だったわ」

 最強のイレイザーとして名高い御神楽緋姫も、今回の罠にはしてやられた。愛煌も似たような目に遭ったようで、結局、カイーナの攻略は果たせていない。

 疲労もあって、今夜は早めに休むことにした。沙耶と一緒に浴場へと向かう。

「そんなに強いレイが出てきたんですか? 緋姫さん」

「あー、違うの。危険ってわけじゃなくて……」

 沙耶を心配させまいと、緋姫は今日のアクシデントについて、正直に告白した。

 敵がタメにゃんの姿をしているだけで、あれほど取り乱してしまったのが、我ながら信じられないうえ、情けない。だが可愛いタメにゃんを焼いたり、凍らせたり、感電させるなど、考えられなかった。

 事情を知った沙耶が、苦笑いを浮かべる。

「うふふ。緋姫さん、タメにゃんにハマっちゃってますから」

「しばらく自重するわ。……そういえば、愛煌は何を見たのかしらね」

 司令官の愛煌まで戦線離脱と聞いた時は、ぞっとした。

 イレイザーとしてレベルが高くなったからといって、油断していた節はある。気を引き締めなおすには、いい機会かもしれなかった。

 沙耶が背中越しに振り向き、ぼやく。

「ミユキちゃんと愛煌さんも、お風呂、一緒に入ればいいのに……」

「ミユキは寝ちゃってるものね。今日もなんだかんだで、遊んじゃったし」

 そう答えながら、緋姫は内心ひやひやしていた。何しろ沙耶はまだ、愛煌が男子であることを知らない。ファーストキスを奪われた件も伏せていた。

 愛煌のやつ……勝手にキスだけしてくれちゃって。

 男湯の前を横切って、女湯の更衣室に入る。

 ところが、そこで思いもよらない人物と出くわしてしまった。

「今のうちに逃げねえと……」

 ケイウォルス司令部のセクハライレイザー、真井舵輪。どういうわけか、今回はタオル一枚の恰好で、女湯から出てくる。

 緋姫と沙耶、真井舵輪ははたと顔を見合わせた。

「げえっ、御神楽?」

 緋姫は握りこぶしを震わせて、沙耶も真っ赤な憤怒を浮かべる。

「あんたってやつは、いっつも、いっつも……!」

「し、信じられません! 最低ですっ!」

 平手打ちが左右対称に炸裂した。

 

 輪の第四部隊は偶然、この臨海地区に来ていたらしい。女湯に潜入していた罰として、明日は例のカイーナを調査させることになった。

 風呂上がりは緋姫ひとりで一服。

「ふう……」

就寝前にブラックコーヒーを飲む気にはなれないので、サイダーで喉を潤わせる。

 同じ自販機のもとへ、浴衣姿の紫月もやってきた。

「姫様。落ち着いたか」

「おかげさまでね。今日はほんと、みっともないとこ見せちゃったわ」

 紫月のほうが緋姫より頭ひとつ分、背が高い。

 浴衣の袷には逞しい胸元が覗けていた。日中、水着のために開放的に晒されていたのとは違い、芳しい色気を醸しだす。

「……寝る前に少し涼んでいくか?」

「いいわね」

 緋姫は紫月と一緒に縁側へと出た。蚊取り線香の香りがする。

 昼間のような蝉の鳴き声も聞こえず、夜の空気は静まり返っていた。お風呂で温もったばかりの身体には風が涼しく、心地よい。

 仏頂面の紫月が、今夜は愉快そうにやにさがった。

「それにしても、まさかタメにゃんに囲まれるとは、な」

「わ、悪かったわね」

 緋姫は頬を膨らませ、そっぽを向く。こういう子どもっぽい振る舞いも、今では自然にできるようになってしまった。

「いや、すまん。エンタメランドを思いだしてな」

 去年の夏は第六部隊の面々で、離島の遊園地に遊びに行っている。その頃の緋姫はまだ沙耶に依存しきっており、冷静さを欠く場面もあった。

 紫月が感慨を込めて囁く。

「よく笑うようになったぞ、姫様は。同じくらい恥ずかしがったりもするが」

「クロードにも言われたわ。それ」

 自分なりに成長している、と思いたかった。

「やはり九条のおかげなんだろう。女同士だからこそ、話せることもあるだろうし」

 紫月の言う通り、沙耶の存在は大きい。しかし決して沙耶だけではなかった。

「あなたのおかげでもあるわよ。ほら、あたしが誰かと出掛けたのって、あなたが初めてだったもの。バイク雑誌とか買ったりしたの、憶えてない?」

「あの時か? ふっ、そうだったか」

 とりわけ紫月には感謝している。

「去年はあなたのこと、戦力として信頼してるだけだったのに……」

「褒めすぎだぞ、姫様。俺は別段、大したやつじゃないさ」

 クロードが守り、紫月が攻め、緋姫がスペルアーツを駆使するのが、第六部隊の基本戦術だった。戦いにおいての信頼感は、なお強い。

 御神楽緋姫の剣、比良坂紫月。

 彼がいてくれたからこそ、死闘をくぐり抜け、沙耶を取り戻すことができた。リィンを大罪の呪縛から救いだすこともできた。

 そして戦いのみならず、日々の生活でも、紫月は緋姫と同じものを見てくれる。

「これからも頼りにしてるわよ。紫月」

「ああ。仰せのままに」

 一緒に見上げた夜空で、三日月が金色の光を弾いた。

 

 

 皆が寝静まった頃、クロードはひとりで鳥居のカイーナへと赴く。

「こんなことがばれたら、愛煌さんに怒られそうだね」

 純粋に興味があった。

どうやら例の鳥居は、名乗った人間の『愛するもの』を具現化するらしい。ならば自分が名乗ることで、何が出てくるのか……それが知りたい。

洞穴のカイーナは広いものの、鳥居までは道なりに進むだけだった。道中の雑魚はアイギスでやり過ごす。そうやって二十分も歩けば、逆さまの鳥居へと辿り着いた。

摩訶不思議な声が響く。

『我が領域に足を踏み入れようとする者よ。汝の名を示せ』

「さて……紫月っぽく言うなら、鬼が出るか蛇が出るか、ってね」

クロードは一拍の間を置いて、鳥居に宣言した。

「僕の名はクロード=ニスケイア」

 声が何やら感慨を込める。

『……汝はニスケイアの名を示した。兄よ、守ってやるがよい……』

「なんだって……うわっ!」

 鳥居の中心が俄かに輝いた。不意打ちに目が眩む。

 やがて光は消えた。クロードはこわごわと瞼を開け、それを目の当たりにする。

「一体、何が起こったんだ……この子は……?」

 鳥居の傍にはひとりの少女が倒れていた。

クロードと同じ質感の髪が、強烈な既視感をもたらす。眠っている表情にも、どこか見覚えがあった。クロードは驚愕し、唇を震わせながら、少女の名を漏らす。

「マリアン、なのか……?」

 幼い頃に死別してしまった、最愛の妹。

 クロード=ニスケイアのもとにマリアンが帰ってきた。

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