傲慢なウィザード #3
ACT.13 ワンダーランド
マンションで一緒に暮らしている、九条沙耶と御神楽緋姫。
ふたりともテレビを見る習慣がないため、ワイド型の液晶は長らく真っ暗だった。しかし最近は、流行り物好きのミユキ=フランベルが加わったことで、出番も多い。
「ねえねえ、ゲームしようよ、ゲームぅ」
そんなある日、ミユキがシオンや哲平からゲーム機一式を借りてきた(シオンに対しては『強奪』といったほうが正しい)。
テレビゲームなど触ったことのない沙耶は、首を傾げるばかり。
「……どうやって遊ぶんでしょうか?」
「あたし、お夕飯作ってるわ。ふたりでやってて」
日頃からゲームセンターに通っているはずの緋姫は、ゲームのジャケットだけ確認すると、興味がなさそうに離れていった。
タイトルは『不思議の国の傲慢なアリス』。
ファンタジーの世界で美男子と仲良くなり、告白されることが目的らしい。説明書には攻略可能な美男子たちのデータが掲載されている。
大富豪の令息、剣道部のエース、さらには女装した美少年まで。
「こういうの、サヤは気に入るんじゃないかなーって、借りてきたの」
「わたしがプレイするんですか? はあ……」
緋姫ほど興味がないわけではなかったが、ミユキほど乗り気にもなれなかった。勧められるままコントローラーを手に取り、ゲームのスタートを待つ。
読み込みの為にブラックアウトした画面に、沙耶の顔がうっすらと映った。その瞳の片方が俄かに鈍い光を放つ。
「……え?」
かくしてゲームは始まった。
木漏れ日のもとで眠りこけていたらしい。
「うぅ~ん……」
おもむろに沙耶は目を覚まし、頭をもたげた。最初のうちは寝ぼけていたが、徐々に覚醒して、ぱちぱちと瞳を瞬かせる。
部屋でゲームをプレイしていたはずなのに、外にいた。
夕飯の支度を始める頃合いだったのに、太陽がさんさんと輝いている。
おまけに近代的な街並みは見当たらなかった。大樹を中心に青々とした草原が広がっており、身体じゅうに柔らかい風が当たる。
「ここは一体……緋姫さん! ミユキちゃーん!」
緋姫とミユキはいなかった。沙耶だけ、草花の香りに包まれる。
しかも沙耶の服は、水色を基調としたエプロンドレスに変わっていた。ニーソックスはストライプの模様で、さながら『不思議の国のアリス』のイメージが強い。
「どうなってるのかしら……」
夢にしては意識がはっきりとしている。
まさか――沙耶の脳裏でひとつの推測が立った。
自分の左目には超常の魔力を凝縮した『ヴァージニアの魔眼』がある。こと幻術においては何者の追随も許さず、魔眼の独断場となっていた。
耳鳴りのように誰かの声が聞こえる。
『応答しなさい! 沙耶!』
「……ひょっとして、愛煌さん?」
『なんとか繋がったわね。そっちはあなただけ?』
ケイウォルス高等学園の生徒会長にして、若き司令官、愛煌=J=コートナーの声だった。はきはきとした物言いの節々から切迫感が伝わってくる。
沙耶にとっては充分すぎるほど頼もしかった。
「は、はい。ゲームをしてたら、わたしだけ変なところに来てしまいまして……」
『あなたもこっちで倒れてるわよ』
沙耶たちの部屋でカイーナ化の反応があり、愛煌が急きょ駆けつけてくれたという。緋姫、沙耶、ミユキの三人は今、ゲーム機の前で昏倒しているようだった。
そんな惨事をもたらしたのは自分かもしれず、胸が苦しい。
「ごめんなさい、愛煌さん。きっとわたしの魔眼が……」
『気にすることないわ。緋姫の話だと、ヴァージニアってのは悪ふざけが好きなやつみたいだし。ひとまずゲームをクリアしてみましょ』
「……はい。お願いします」
沙耶は深呼吸で胸を膨らませて、気持ちを切り替えた。
まずい状況には違いない。とはいえ、ここぞという時は力を貸してくれるヴァージニアの魔眼が、自分たちを苦しめるとも思えなかった。
『攻略対象の男なら、誰でもいいわ。口説いてモノにするわよ』
「えっ、ゲ……ゲーム、ですよね?」
足が勝手に動くのは、愛煌が操作しているから、らしい。しかしぎこちなさはなく、むしろ自分の意志で歩くようにさえ感じた。
少し進んだだけで、景色が深い森へと切り替わる。
不意に草の陰から何かが飛び出してきて、沙耶の前を横切った。やたらと大きな懐中時計を抱き締め、ウサギのお耳をぴこぴこと揺らす。
「やばいって! 遅れたら、ヨミ姉に殺されるよぉ……!」
中等部のシオン=チコリスだった。愛らしい顔つきも相まって、ウサギの恰好に違和感がない。高等部の女子に人気で、『可愛い』と評判がよいのも頷ける。
「待って、シオンくん!」
「それどころじゃないんだってば!」
シオンは血相を変え、慌ただしく木の根元へと飛び込んだ。
そこにはぽっかりと穴が空いている。
『私たちも行くわよ』
「えっ、え……きゃあああああああ~っ!」
身体が勝手に動き、沙耶もその穴へと飛び込む羽目になった。落ちて、落ちて、落ちるうち、落ちているのか飛んでいるのか、わからなくなる。
やがて落下のスピードが緩やかになった。終点で静かに足が着く。
「この世界のどこかに緋姫さんも……?」
『おそらくね。操作してるのは私だけど、注意はしなさい』
愛煌のサポートがあるおかげで、心細くはなかった。緋姫やミユキと合流できれば、状況も変わるはず。沙耶は周囲に気を配りつつ、お城の薄暗い回廊を進んだ。
前方でひとりでに扉が開く。そこから明かりとともに男性の話し声が漏れてきた。
恐る恐る覗き込むと、見知った面子に迎えられる。
「やあ、レディー」
眉目秀麗にして、お茶会の主催者らしい彼は、クロード=ニスケイア。裾の長いコートを羽織り、バイオリニストの人形が乗った、派手な帽子を被っている。
「もしかして……本当にクロードさん、なんですか?」
「どうかな? 今日の僕はちょっとハンサムな『帽子屋』さ」
そんな帽子のつばを人差し指ですくいあげ、クロードがはにかんだ。同じテーブルには獣の耳を生やした、ヤクモ=キーニッツもいる。
「おれ、眠りネズミってやつ……」
それぞれ役を与えられているらしい。クロードの帽子屋に続き、ヤクモは眠りネズミとして、気怠そうに欠伸を噛んだ。
「クジョウサヤの魔眼の力でしょ、これ。なんとかなんないわけ?」
「よせ、ヤクモ。九条に制御しろというのは無理な話だ」
さっきのシオンとは別の、長身のウサギがヤクモを窘める。
「し、紫月さんが……三月ウサギなんですか?」
「まあな」
比良坂紫月はいつもの仏頂面で腕を組んでいた。しかしウサギのお耳が愛くるしいせいで、奇妙な愛嬌を醸しだす。
「この状況について相談していたところさ。九条、お前も座るといい」
「はい。それじゃあ失礼します」
帽子屋主催のお茶会に沙耶も加わった。
眠りネズミといい、三月ウサギといい、『不思議の国』に違いない。ヒロインとして迷い込んでしまったアリスこと、九条沙耶は、ここで誰かと結ばれる運命にあった。
「ゲームなんだろう? 気負うこともあるまい。俺でも構わんぞ」
生真面目な紫月がしれっと言ってのける。
「おや? 紫月は九条さんみたいな子がタイプだったのかい」
「おかしなことを言うやつだな」
クロードがわざとらしく茶化すも、紫月のペースは少しも乱れなかった。それどころか真顔で沙耶を褒め称える。
「九条はとても魅力的な女性だと思うが? 姫様が惚れ込むのもわかる」
「そ、そんな……紫月さんったら」
男性にそう評されて、嬉しくないはずがなかった。自分は緋姫のおまけ、くらいに思っていたのに、クロードも紫月も『九条沙耶』をしっかりと見ていたことに驚く。
「お姫様はレディーを心の支えにしてるからねえ」
「そうだな。姫様が明るくなったのも九条のおかげだろう」
ヤクモはとっくに紅茶を飲み干してしまった。
「早く戻んないと……鍋、火にかけたまま」
「ゼゼーナンが見てくれてるさ。それにしても、ヤクモ、レパートリーが増えたじゃないか。最初の頃はカップラーメンばかり作ってたのに」
「料理は閣下の趣味。でも、じきにおれのほうが上手くなるよ」
今年になって編入してきたヤクモ=キーニッツも、潜在的な美男子ぶりが女子の間で噂になっている。
「ヤクモさんって、よくゲームするんですよね? 緋姫さんと一緒に」
「ん。こないだゲーセンで、タッグやった」
九条沙耶ではなく御神楽緋姫の周りにこそ美男子が多かった。出会ってすぐ緋姫にプロポーズを申し込んできた、リィン=セツナなどという例もある。
頭の上のほうで愛煌が呟いた。
『……そっか。あなたがクロードあたりとくっついてくれたら、敵が減るんだわ』
「え? あの、愛煌さん?」
沙耶の身体が今度は強引に動かされる。
沙耶は席を立って、テーブルを迂回し、クロードの傍についた。意志とは無関係に彼の腕にしがみついてしまう。
「あれ、僕にするのかい? レディー」
「ちっ、違うんです!」
異性には免疫がないせいもあって、沙耶の小顔は真っ赤に染まった。恥ずかしさが込みあげてくる一方で、胸の鼓動は快感さえ伴っているのが、わからない。
「これは、その、愛煌さんがクロードさんを攻略しようとしてるだけで……」
『いいじゃない。さっさとくっついちゃいなさいよ』
このままでは愛煌の思惑通り、クロードとエンディングを迎えることになる。
相手がクロードでは不満、というわけではなかったが、心の準備くらいはしたかった。つぶらな瞳で救いを求めると、やれやれと紫月が肩を竦める。
「悪乗りはやめておけ、クロード。九条は姫様ほど肝が据わってないんだ」
「……それ、ミカグラに言っとく」
沙耶を巡って、三人の攻略対象が牽制しあっていると、急に城が揺れた。クロードが沙耶を庇いつつ、頭を低くする。
「ハートの女王め。僕らからレディーを奪うつもりだね」
お城は単なる張りぼてであったかのように呆気なく崩れてしまった。天井もなくなり、沙耶たちは灰色の曇天に晒される。
森のほうから巨大な怪獣が迫りつつあった。その頭部に女王が立つ。
「ゲームでも、サヤちゃんがあんたらみたいなのとゴールするなんて、だーめっ。特にヤクモとかさあ、ありえないでしょ!」
ハートの女王はミユキだった。ケルベロスの鞭を振りかざし、怪獣に号令をかける。
「さあ、ジャバウォック! あいつらをぺちゃんこにしなさいっ!」
猛獣は雄叫びをあげ、突進してきた。
すかさずクロードがアイギスを張り、紫月は朝霧を引き抜く。
「アイギスを侮らないで欲しいね。この程度……あれ?」
「む? 朝霧が出んぞ!」
十八番のスキルアーツは発動しなかった。ヤクモも巻き添えを食って、ジャバウォックに蹴り飛ばされてしまう。
どっか~~~ん!
「ごめんよ、レディー! 君の気持ちは嬉しかったんだけどさあ~」
「ゲ、ゲームだから、大丈夫ですよねっ?」
どういうわけか、沙耶にだけはジャバウォックの攻撃が当たらなかった。瓦礫と化したお城で、たったひとり、怪物の侵攻を前に立ち尽くす。
ハートの女王が声高らかに笑った。
「キャハハハッ! クロードたちはあとで捕まえて、おしおきしてあげる。大体さあ、もてる男って、なんか、それだけで腹立つじゃん?」
「そ、そうですか……?」
「そーなのっ。ほらサヤちゃんもこっち来て。もっとまともな男の子、捜そっ!」
ジャバウォックさえ従える女王の命令には、逆らえない。
にもかかわらず、ひとりの若者が、果敢にもジャバウォックの前足に斬りかかった。
「おまえの好きにはさせないよ、ミユキ!」
リィン=セツナが『ハートの騎士』となって、沙耶のもとに駆けつける。
「リィンさん、あなたが……わたしを守ってくれるんですか?」
「きみに何かあったら、プリンセスが悲しむからね」
気丈になりきれない微笑みが、かえって哀愁を感じさせた。彼の不安定な心の弱さは、一ヶ月ほど前、大事件さえ起こしている。
「行くぞ、ミユキ!」
しかし今は一介の騎士として、ジャバウォックに立ち向かってくれた。
ミユキが意気揚々と鞭を振りあげる。
「ちょうどいいわ。あんたとは一度こうやって、白黒はっきりつけたかったのよ!」
「二度と間違えるものか! ぼくはプリンセスのため、今度こそ――」
ところが激突の瞬間、一匹の猫が割り込んだ。ミユキとジャバウォックには火炎を、リィンには氷結のスペルアーツを、同時に放つ。
「ちょっと、ちょっと~! このタイミングで出てくるわけ?」
「プリンセスっ? ぼ、ぼくはきみのために……!」
チェシャ猫の正体こそ、沙耶の親友(という建前の旦那様)、御神楽緋姫だった。アーツの力で沙耶を空中へと運び、抱き締める。
「お待たせ、沙耶。そこらの男とエンディングなんて許さないわよ?」
「緋姫さん……! わたし、緋姫さんと結婚します!」
ファンファーレが鳴った。
カップルの誕生を祝福して、ラブソングが流れだす。しかし音痴の緋姫が歌ったもののようで、沙耶以外にとっては騒音じみていた。
「愛してるわ、沙耶」
このひとになら抱かれてもいい。そんなことまで素直に思えた。
ウエディングベルの音が響き渡る。
不思議の国のアリスは、チェシャ猫と恋に落ち、幸せのうちに結ばれた。
緋姫たちは無事に現実世界への帰還を果たす。
「そっちは無事なのね。オッケー」
『貴重な体験だったよ。レディーにもよろしく』
ゲームのプレイ中、クロードや紫月も昏睡していたようだが、大事には至らなかった。ただ、ヤクモが作りかけだったシチューは焦げてしまったらしい。
ミユキはあっけらかんと笑った。
「ゲームの世界に入れるなんて、すごいよねー。次はさあ、ミユキ、アクションゲームがいいなっ! リィンとかヤクモをボコボコにするやつ」
「しょっちゅうケルベロスをけしかけてるじゃないの、あなた」
一仕事を終え、愛煌はお茶で一服している。
この部屋にあるお茶といったら、沙耶の愛用品である抹茶しかなかった。最初は馴染みのなかったものが、今では麦茶さえ差し置いて、緋姫たちの定番になりつつある。
それでも緋姫の手にあるのは、決まってブラックコーヒーだった。
「愛煌が来てくれて、助かったわ」
「私はコントローラーを持ってただけよ。哲平を連れてきたほうがよかったかしら」
当の沙耶は正座の姿勢で黙りこくっている。
今回のことで責任を感じているのかもしれなかった。普段は明るく振る舞っていても、魔眼の力に恐怖を抱いているらしいことには、緋姫も勘付いている。
「大丈夫よ、沙耶。魔眼のことは……」
「いいえ、そうじゃないんです」
ところが沙耶はきっぱりと言いきった。珍しく緋姫のことをじろりと睨む。
「緋姫さんって、ああいう学校生活を送ってるんだなあ、って……。クロードさんに紫月さん、でしょう? しかもヤクモさんにリィンさんまで」
沙耶にしては声のトーンも高くなった。
「緋姫さんの周りには男の子が多すぎなんですっ! シオンくんもそうですし、ゴスロリデートしてたキラキラさんだって……少しは自重してください!」
「それって、あたしのせいなの?」
心の恋人に言われてしまい、緋姫はたじたじになる。
愛煌まで沙耶と一緒になって嘆息した。
「はあ……ほんと、あなたって子は。リィンもぞっこんじゃないの。ま……まあ? いつぞやの、キラキラさん? あれとはお似合いだったかしら」
目の前にいる愛煌=J=コートナーは、実は女装しての『男の娘』だったりする。そのうえ緋姫にとってはファーストキスの相手でもあった。
「そのうちヤクモさんまで『ミカグラ、すき』って言いだすんですよ」
「ありうるわね。こんなゲームするまでもないじゃないの」
恋愛方面でばかり盛りあがる女子トークに、緋姫は辟易とする。
どうしてこう、男女の友情ってのを深読みしたがるのかしらね。愛煌まで……。
御神楽緋姫に今のところ特定の彼氏はいなかった。しかし『下僕』の男子は多いかもしれない。何しろ自分は『お姫様』なのだから。
「改名したいわ……」
「そのうち『王子』ってひとも出てくるんじゃないですか?」
「……そんなのは輪だけで充分よ、もう」
真井舵輪の読み方『マイダーリン』には同情もした。
☆
真夜中、日付が変わった頃。
緋姫はむくりと起きあがって、隣で寝ている沙耶を起こした。
「起きろ、ヴァージニア」
沙耶も目を開け、左の魔眼を赤々と光らせる。
「なんだい? ルイビスちゃん。沙耶ちゃんは疲れてるんだから、さあ」
「貴様が魔眼の力を使わせたせいだろう。悪ふざけは大概にしろ」
今夜の御神楽緋姫は、緋姫であって、緋姫ではない。同じく九条沙耶も、沙耶であって、沙耶ではなかった。
地獄が今の姿になってから、初めて『死神』となった、七人の使徒。
ルイビスは七人のリーダーであり、ナンバー1と呼ばれた。ヴァージニアはナンバー2としてルイビスに次ぐ実力を持っている。
とはいえ、それも生前の話だった。今は霊魂となり、緋姫や沙耶とともにある。
「ボクとしてはね、沙耶ちゃんには、魔眼の力を恐れて欲しくないんだよ。せっかくあるんだからさ、使っちゃってもいいと思わない?」
「フ……そんな娘だったら、緋姫も助けはしなかっただろうな」
緋姫の顔にルイビスの酷薄な笑みが浮かんだ。
沙耶の顔にもヴァージニアの飄々とした表情が見える。
「世話が焼けるよね、お互い」
「退屈凌ぎにはなるさ」
ふたりの霊魂は次なる戦いを予感していた。
「神、か……」
「悪魔だよ、あれは」
沙耶の唇がヴァージニアの声で呟く。
「プロジェクト・エデン。ほんと、おあつらえ向きの名前だよねえ」
新たな地獄の開門は近い。
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