傲慢なウィザード　＃２

ＡＣＴ．１２　イレイザーたちの夏

　二年生の夏休みに入った。

　今年は人数が増えたことで、目的地に着くまでも騒がしい。緋姫たちはクロードの車と愛煌の車に分かれ、高速道路で海を目指した。

　愛煌の車のほうは紫月の姉、詠がハンドルを握っている。

　一方、クロードの車では、執事のゼゼーナンが運転手を務めた。気さくな老紳士で、緋姫ともすっかり気心が知れている。

「クロード様もご友人が多くなりましたなあ」

「一台では足りないほどだからねえ。よほどゼゼーナンに人徳があるのさ」

「はっはっは！　わたくしなど、クロード様の足元にも及びませんよ」

　シオンは今か今かと到着を待っていた。

「爺ちゃんと婆ちゃん、元気にしてっかなあ～」

　彼の祖父母が民宿を経営しているらしい。おかげで今回の行き先が決定した。

　事の発端は一ヶ月ほど前に遡る。

☆

　ケイウォルス高等学園の地下には、ＡＲＣのケイウォルス司令部が存在した。

　ＡＲＣとは、レイという怪異と戦うのための組織である。御神楽緋姫たちは学園生活を送りながら、そこで『イレイザー』となり、レイの討伐任務についていた。

　地下の司令部で、司令官の愛煌＝Ｊ＝コートナーが議題を切り出す。

「ふたつ隣の県に、大規模なカイーナが発生してるのよ」

　カイーナとはレイが徘徊する迷宮のことだった。緋姫たちの任務は、もっぱらカイーナの調査と、取り残された要救助者の保護となる。

「……で、現地のイレイザーではちょっと手に負えないってわけ」

　薄々、嫌な予感はしていた。

　ケイウォルス司令部の第六部隊は、御神楽緋姫を筆頭に、優秀な人材が揃っている。過去にも『魔女事件』や『ネオ・カイーナ事件』を解決し、この街を守り抜いた。

　その実績を買い、あちこちから救援要請が来る。来月の夏休みに寄せられた要請も、ひとつやふたつではなかった。

　クロードが難色を示しながら、脚を組み替える。

「そうは言ってもねえ……僕たちにも高校生の都合ってのがあって、だね？」

　その反論を愛煌は予想していたらしかった。

「わかってるわ。だから、ひとつだけ受けて、ほかは断ろうと思うの。あなたたちも夏は色々、忙しいでしょうし……」

「やはり運動部の者は、どうしてもな」

　攻撃の要である比良坂紫月は、剣道部に所属しており、夏は大会を控えている。バスケットボール部のミユキ＝フランベルにしても同様だった。

　関心がなさそうにシオンがぼやく。

「ヒメ姉は、水泳部？　ひょっとして大会出んの？」

「あたしは補欠ですらないわよ。でも、応援には行きたいし……」

　長らくカナヅチだった緋姫に、水泳部の大会で出番があるはずもなかった。今年になってようやく浮身はできるようになったものの、まだ前に進むこともできない。

　今日のミーティングには欠席者が多いが、大体のスケジュールは把握できていた。

「ヤクモとリィンはちゃんと捕まるのか？」

「ヤクモなら僕と一緒に住んでるしね。愛煌さん、リィンのほうはどうだい？」

「……あいつ、フラフラしてるから。まあ、まっとうにバイトしてるだけみたいだから、私もうるさくは言ってないけどね」

壁面のスクリーンにある地図を眺め、シオンが急に声をあげる。

「あっ！　それ、ボクの爺ちゃんたちがいる海じゃん」

「え？　でもあなた、『チコリス』って……」

「それは閣下がつけた、死神の名前だってば。そーいや、春から会ってないなあ……」

　この少年は数年前、事故によって、偶発的に地獄へと落ちてしまった。地上には親族である祖父母がおり、折を見ては帰っているらしい。

「ボクの爺ちゃんと婆ちゃん、そこで民宿やってんだぜ。……そうだ！　みんなで泊まるんなら、話つけといてやろっか？」

　緋姫とクロードは顔を見合わせた。

「あたしはすごくいいと思うんだけど、どうかしら？」

「僕も賛成だよ。民宿に泊まる機会って、なかなかないものだからね」

　シオンを居候させている紫月も、ふむと頷く。

「俺も異論はない。ついでに、シオンの祖父母に挨拶もしたいしな」

「なら、ここでいいわね。シオン、悪いけど、お爺さんたちに話しておいて」

　愛煌はさして考慮せず、皆の都合だけで決めてしまった。ただし釘は刺してくる。

「……言っとくけど、遊びに行くんじゃないわよ」

　クロードの笑みは清々しかった。

「あっはっは！　そんなこと言って、愛煌さんが羽目を外したりするんだろ？」

「わ、私はこの司令部のリーダーよ？　立場ってのがあるの」

　立場のあるリーダーが、ばつが悪そうに顔を赤らめる。

　何考えてたのかしら、愛煌のやつ……。

「海に行くなら、準備も必要ね。水着なら去年のがあるけど……」

　緋姫が何気なしに呟くと、紫月とクロードががたっと椅子を鳴らした。

「そうか。海ということは……」

「僕たちでお姫様を徹底的にガードしないとね」

「……はあ。紫月まで何言ってんの」

　下僕たちの忠誠心は最近、下心ばかりの気がしてならない。

　一緒に住んでいる沙耶とミユキは、海と聞いて、爛々と瞳を輝かせた。

「いいですねっ！　週末は早速、水着を買いに行きましょう！」

「ミユキが選んであげる！　たーのーしーみー！」

　ふたり仲良く両手を繋ぎ、小躍りまでする。

　しかし緋姫はそこまで舞いあがれず、冷静に状況を判断した。だてに第六部隊の隊長として、修羅場をくぐり抜けてはいない。

「去年のがあるから、いいんじゃない？　まだ着れるでしょ」

「本気で言ってんのぉ？　去年と今年じゃ、モードも違うに決まってんじゃん」

　多数決では必ず二対一で押しきられた。沙耶とミユキが乗り気でいる以上、緋姫も腹を決めて、付き合うしかない。

　沙耶はパソコンを立ちあげ、現地の情報をチェックし始めた。

「……で、ほかには誰が来るんですか？」

「一応、任務って体裁だから。第六部隊と、沙耶と、第十三と……哲平くんはどうするのかしら。今日は風邪ひいたとかで、いなかったのよ」

　ミユキは任務など二の次でスケジュールをまくしたてる。

「ねえねえっ、近くでお祭りもあるんだって！　どうせなら、この日に合わせない？」

「そうしましょう！　だったら浴衣も欲しくなっちゃいますね」

「それいい！　何色かなあ、ミユキが思うにぃ、サヤはピンク色でさあ……」

　ふたりが和気藹々と盛りあがっていると、緋姫もだんだん浮ついてきた。間に割り込んで、今年の流行らしい浴衣の柄を眺める。

　たまにはいっか、こういうのも。

「でも、すごい人数になりそうだわ。電車で行くしかなさそうね」

　面子を指折り数えると、両手がいっぱいになってしまった。

　緋姫、沙耶、愛煌、紫月、クロード、哲平、リィン、ミユキ、ヤクモ、シオン。これだけでも十人いるうえ、車で行くなら、運転手も必要になる。

「車二台で分乗したら、どうですか？」

「その手があったか。片方はクロードんとこのゼゼーナンさんにお願いするとして」

　珍しく紫月から電話が掛かってきた。

『夜分遅くにすまんな。姫様、今、男の面子で相談してたんだが……』　

「似たようなことやってたわけね。どうかした？」

『ああ。クロードと愛煌の車で行こうという話になってな。運転を俺の姉さんに頼んでみようと思うんだが、姉さんが一緒でも、そっちは構わないか？』

　緋姫たちは電話越しに頷く。

「詠さんなら何度も会ってるし、いいんじゃない？」

『わかった。では、また学校でな』

『ちょっ、待ってくれって、シヅキ！　ヨミ姉が一緒とか、最悪だって！』　

　電話の向こうでシオンの嘆きが聞こえた。

　第十三部隊のリィンたちは、今年の春にケイウォルス高等学園へ編入している。シオンは中等部の二年生で、ミユキやヤクモは高等部に在籍した。

　当初は『イレイザーの給料が出るまで泊めて』という理由で、緋姫たちの家に転がり込んできたのが、そのままになっている。緋姫も今さら追い出す気はなかった。

　沙耶がひい、ふう、みいとメンバーを数えなおす。

「詠さんを合わせて、女の子は五人ですね」

「女子は揃いそうね。……いや、まあ……五人で合ってるか」

　愛煌＝Ｊ＝コートナーが男の子であることは、たまに忘れそうになった。未だにその事実を知らないのは、沙耶だけ。

　沙耶がパソコンに向かっているのを見計らい、ミユキが緋姫に耳打ちした。

「ね、ヒメちゃん。相談があるんだけどぉ」

「なあに？」

「アキラくんのことっ。この旅行で、勝負掛けちゃおうかなあって……」

　彼女は『可愛い男の娘』である愛煌のことが、すっかり気に入ったらしい。押せ押せと熱烈なアプローチは、人目を憚ることなく続いていた。

　傍目には『女の子同士』にしか見えず、沙耶などは誤解している。

「ヒメちゃんさ、ミユキに協力してくんない？」

　ミユキの猫撫で声が、緋姫の心に小さな波を立てた。

「え……」

「なーんてね！　冗談、冗談。ヒメちゃん、今、ドキッとしたでしょー」

　ミユキはあっけらかんと撤回し、笑い飛ばす。

その指摘が、緋姫にとって図星であったことにも、ぎくりとしてしまった。愛煌との関係は曖昧なままで、去年『キスをした』ことも未解決となっている。

「でも、ヒメちゃんにはあげないんだから。んっふっふ」

　緋姫、愛煌、ミユキは三角関係にある、のかもしれなかった。

「ひと夏の恋……」

　沙耶が感慨深そうに囁く。

「……ど、どうしちゃったの？　沙耶まで」

「この夏こそ、緋姫さんに運命の王子様が現れたりしないかなあ、って。もちろん、わたしのチェックは入りますけど」

　自分のことを後まわしにするほど、彼女は緋姫の恋愛に興味津々。緋姫の周囲には美男子が多いせいか、何かと結びつけようとする。

「クロードとかシヅキって、ヒメちゃんに惚れてるんじゃないのぉ？」

「わたしが思うに、クロードさんは『来て』ますよ！　リィンさんが出てきて、焦ってたんじゃないかって、睨んでるんです」

　緋姫としては居たたまれない雰囲気になってきた。

「紫月さんは遠慮しちゃってるんじゃないでしょうか……うーん」

「ヤクモともちょくちょくゲーセンで遊んでるんでしょ？」

　緋姫は他人事のように溜息をつきながら、なるべく無関心に話を切りあげる。

「夏の旅行って、まだ先のことよ？　期末試験だってあるんだし。とりあえずご飯にしましょ、ミユキも手伝って」

「えー？　ヒメちゃん、恥ずかしがってない？」

「恋する緋姫さん、見てみたいですねえ。お菓子の手作りに挑戦したりして……」

　沙耶の妄想には歯止めがきかなかった。

☆

　そんなこんなで期末試験も乗り越え、夏休みの旅行を迎えている。ミユキとリィンは悲惨な点数だったが、緋姫たちの協力もあって、補習を済ませた。

　クロードの執事、ゼゼーナンがハンドルをまわす。

「絶好の海水浴日和ですなあ」

「降られなくてよかったよ。先週は怪しかったからねえ」

　こちらの車にはクロードのほかに、緋姫と沙耶、シオンが同乗した。もう一台のほうは紫月、愛煌、ミユキ、ヤクモとなる。

　哲平は都合がつかなかったため、今回は欠席。

　リィンはバイト三昧の日々で、この旅行でも『海の家でバイトするから』と、別行動になってしまった。まだネオ・カイーナの一件を気に病んでいる節はある。

「もう向こうに着いてるのかしら、リィンは」

　ゼゼーナンが首を傾げた。

「おや、海には真井舵さんもいらっしゃるのですか？」

「そうじゃないよ、ゼゼーナン。名前の似てるのが、ほかにいるんだ」

　輪の話題になると、沙耶がむくれる。

「デートの予定が多そうですね、あのひと」

「あいつのことだから、刺されても死なないでしょ」

　窓際の緋姫は肘をつき、高速でスライドする景色を眺めた。

　すぐ後ろを、愛煌の車が追っていく。

ミユキは愛煌にべったりと抱きつき、お菓子を食べさせてもらっていた。

「アキラくん、もーいっこ！」

「はいはい。世話の焼ける子だわ、ほんと」

　その隣でヤクモはアイマスクをつけ、寝息を立てている。

　紫月は助手席で寛ぎ、運転は姉の詠が担当した。前の車を追えばよいだけだが、一応カーナビはつけている。

「姉さんも予定があったんじゃないのか？　前に、やっと彼氏ができそう、とか……」

「うふふ……紫月？　あなただけ、ここで降りてもいいのよ」

　詠は『にっこり』と微笑んだ。弟は青ざめ、口元を引き攣らせる。

「ご、ご容赦いただきたい」

「なになにぃ？　ヨミさん、誰かと付き合ってたのぉ？」

　怖いもの知らずのミユキは前のめりになって、興味津々に問いかけた。

　詠の溜息が落ちる。

「……はあ。昔からおかしいのよ。私と縁のある男のひとって、みんな××で」

「えっ！　男同士って、ほんとにあるんだー？」

　男子には酷な話題となり、さしもの紫月もげんなりした。

「もういっそ、彼女を作ったほうがいいんじゃないか？　姉さんは」

「そんなにここで降りたいの？」

「……出すぎた口をお許しください、お姉様」

　比良坂姉妹の漫才を聞き流しつつ、愛煌は窓の景色を眺める。

「そろそろかしら？」

　高速道路を過ぎ、いよいよ海が見えてきた。ミユキがテンションをあげる。

「ミユキ、海って初めて！　おっきー！」

「たまには悪くないわね」

　窓を開けると、潮の香りがした。

　男女別に着替えを済ませたら、合流する。

　そのはずが、緋姫たちは一度、足を止めざるをえなかった。待ち合わせの場所ではクロードと紫月、ヤクモの三人が、水着にシャツを重ねた恰好で佇んでいる。

　その周囲で、女性客らがじりじりと間合いをはかっていた。

「どうする？　声、掛けちゃう？」

「私は右の彼かなあ」

　女たちの情念が応酬を繰り広げる中で、合流しなければならなくなった。

　刺されたりしないでしょうね？　あたし……。

　緋姫たちも水着に薄着を重ねた恰好で、彼らと顔を会わせる。

「待たせたわね。……ところで、愛煌は？」

「車で着替えてるんじゃないかな」

　愛煌以外のメンバーが揃ったところで、一行はビーチに出た。透き通るような青空のもと、入道雲を浮かべたコバルトブルーの海が、波を寄せる。

　夏の太陽が輝き、黄金色の砂浜はじりじりと焼けた。解放感が胸を躍らせる。

「すごいわね。海って感じ！」

「はいっ！　夏です！　海ですよ！」

　泳げなくても存分に楽しめそうだった。沙耶も感激して、満面に笑みを弾ませる。

　浜辺ではパラソルが所狭しと並んでいた。紫月もパラソルの準備に掛かる。

「手伝ってくれ、ヤクモ」

「……ひ、日陰……」

　ミユキはいの一番にシャツを脱いだ。

「遊ぶぞー！　あっ、そーだ、ビーチボール！」

「日焼け止めがまだですよ、ミユキちゃん」

　沙耶や詠も魅惑のプロポーションに真夏の陽を浴びせる。

　緋姫は真顔になって、シャツを剥がすのを躊躇した。何しろ分が悪すぎる。

　み、みんな、スタイルいいのね……。

　同い年の沙耶と比べても、自分のボディラインには、あまりに波がついていなかった。ミユキは豊満なものを実らせており、純粋に羨ましい。

　クロードは満足そうに頷いた。

「うんうん、可愛いねえ！　そう思うだろ、紫月？」

「いいんじゃないか？　っと、ヤクモ、そっちを押さえてくれ」

　反面、紫月やヤクモはさして関心を示さない。姉の詠は肩を竦めた。

「まったくもう……シオンくんは、どう？」

「ボ、ボクに振るわけ？」

　撮影係のシオンは照れながら、カメラの機能をチェックする。

　執事のゼゼーナンは一足先に民宿に向かったため、この場にはいなかった。ようやく最後のひとりもやってきて、艶やかな髪を靡かせる。

「ここにいたのね。探したじゃないの」

　愛煌＝Ｊ＝コートナーはロングのパレオをつけていた。男の子であるため、胸は小さいものの、身体つきはしなやかに引き締まっている。サンダルまで可愛いらしい。

　緋姫は敗北を痛感し、砂に両手をついた。

「負けたわ……」

　そんな敗者のさまを、自覚のない勝者が高みから見下ろす。

「どうしたのよ。あなたも早く脱いだら？」

「……女にはね、脱いじゃいけない時があるの」

　いつの間にか、背後から沙耶とミユキが迫っていた。緋姫の隙をついて、シャツを強引に剥がしに掛かる。

「観念してくださいね、緋姫さん！」

「大丈夫だってば。ミユキが選んであげたんだもん！」

「ひいいいい～っ！」

　黒色のフリルが露わになった。緋姫は顔を赤らめ、往生際が悪くとも、必死に我が身をかき抱く。チューブトップの水着は、いささか冒険が過ぎたかもしれない。

「……………」

　紫月が作業の手を止め、重たいパラソルをヤクモに傾けてしまった。

クロードも真剣な面持ちで目を見張る。

「ありがとう、お姫様」

「なんでお礼なんか言ってんのよ？　ちょっ、シオン、撮らないで！」

「あははっ、似合ってんじゃん！　ほら、こっちこっち！」

　シオンは愉快そうにシャッターを切った。ヤクモもパラソルを支えながら、緋姫の爽やかな水着姿をしげしげと眺め、感想を漏らす。

「……可愛い」

「そうですよ！　緋姫さんは可愛いんですっ！」

　沙耶が緋姫に抱きつき、次の一枚はツーショットになった。

「ミユキも、ミユキもっ！」

　すっかり賑やかな海水浴ムードになってしまい、愛煌が溜息をつく。

「任務で来たのよ？　任務、で……」

「愛煌さんまでそんな恰好じゃ、説得力なんてないさ」

　夏休みらしい三泊四日が始まった。

　遊び疲れた面々のため、緋姫とシオンで買い出しに行くことに。

　ところがシオンは女子大生のグループに捕まってしまった。魅力的なボディに囲まれ、さすがに真っ赤になっている。

「ねえ、キミ、どっから来たのぉ？」

「引っ張んなって！　ちょっ、ヒメ姉！　助けてってば！」

「いいわよ、遊んでて。適当に注文しとくから」

　顔立ちのよい少年の将来に末恐ろしいものを感じつつ、緋姫は焼きそば屋を覗き込んだ。そこで意外な人物と出くわす。

「プリンセス！　そっか、今日からだったね」

「リィン？　待たせちゃったわね」

　第十三部隊のリーダー、リィン＝セツナだけは、二日ほど前からこの臨海地区に来ていた。手際よく焼きそばを温め、生姜をふりかける。

「ちょっと待ってて、プリンセス。お客さん、マヨネーズはどれくらい？」

「んー、少なめで」

　てきぱきと仕事をこなしながら、リィンは緋姫に尋ねた。

「みんなも来てるの？　シヅキとか」

　彼の口から自然と緋姫以外の名前が出てくる。当たり前のことのようで、以前は考えられないことだった。皆も彼と打ち解けつつある。

　しかし今回も別行動を取るなど、おそらく緋姫たちとの距離感を掴みかねていた。

　ネオ・カイーナはあなただけのせいじゃないのに……。

　緋姫は焼きそばを注文して、列を少し外れ、出来上がるのを待つ。

「お仕事は何時までなの？」

「今日は一日じゅうなんだ。ごめんね、プリンセス」

「でも、夜のお祭りは行けるんでしょ」

　緋姫の注文した分を、リィンは内緒で多めに盛ってくれた。シオンが女子大生から逃げるように合流し、段重ねになった焼きそばを抱える。

「よお、リィン！　ずっとバイトしてんなあ、お前……なんか欲しいわけ？」

「特にないけど……ライフワーク、かな」

「じゃあね、リィン。夜になったら、一緒に遊びましょ」

　繁盛しているため、リィンと長々と話してはいられなかった。緋姫とシオンは焼きそば屋を離れ、皆のいるパラソルを目指す。

　シオンがしたり顔で、にやにやと探りを入れてきた。

「でさあ、ヒメ姉って正直なところ、どいつが好きなのさ？」

「……ボクにはまだ早いわよ」

　緋姫は相手にせず、はぐらかす。

　沙耶といい、周囲が盛りあげようとするばかりで、釈然としなかった。

　本当に誰かを好きになったら、あたしも変わっちゃうのかしら？

　期待よりも不安のほうが大きい。シオンではなく、むしろ自分にとって『まだ早い』のかもしれなかった。

☆

　夕方になったら撤収し、シオンの祖父母の民宿でご馳走になる。

　夏の陽もとっぷりと暮れ、やがて遠くから笛の音が聴こえてきた。夏祭りが始まったようで、緋姫たちも浴衣に着替え、出発する。

　ぱん、ぱん、ぱん、ぱん……。

　ヤクモはよほど気に入ったのか、黙々とヨーヨーで遊んでいた。ご機嫌なミユキは愛煌にすり寄り、鼻緒が派手な下駄を鳴らす。

「ヤクモでも一応、ナンパ除けにはなるか。一緒にまわろうね、アキラくん！」

「わかったから、くっつかないでっ。暑苦しいじゃない」

　女性陣は色鮮やかな浴衣に身を包んでいた。菊やすみれなど、浴衣映えのする花柄が、たおやかさを演出する。

　なのに緋姫だけタメにゃんの柄だった。クロードが笑いを堪える。

「ほんとに好きだねえ、お姫様は」

「べ、別にいいでしょ？　ちょっと価値観に影響しちゃってるくらい……」

　男性陣は着流しのスタイルで、胸元をちらつかせていた。やはり紫月は筋肉質で、袖を捲った腕もがっしりとしている。

「全員で見てまわるには、人数が多すぎるな。少し分かれるか」

「そうだねえ。なら、僕は詠さんとご一緒しようかな」

　詠はクロードをじとっと見据えた。

「クロードくんって、うちの弟と妙な関係だったりしない、わよね？」

「……は？」

　ミユキと愛煌の同行は決まっているようなもので、そのあとにヤクモが続く。

「花火が始まったら合流ね。アキラくん、行こっ！」

「はいはい。じゃあね、緋姫、またあとで」

　ふたりの後ろ姿を見送っていると、いつぞやのミユキの言葉を思い出してしまった。

『ヒメちゃんさ、ミユキに協力してくんない？』

　嫉妬するべきところ、かもしれない。けれども傍目には『女の子同士』のせいか、ジェラシーはちっとも湧いてこなかった。

　沙耶も紫月とシオンを連れ、別行動を始める。

「わたしたちも行きましょう！」

「ん？　……九条、姫様と一緒じゃなくてもいいのか？」

「たまにはいいんじゃねーの？　このままじゃガチレズになりそうだし」

　緋姫とリィンだけが残った。

　クロードも沙耶も、リィンに気を遣ってくれたに違いない。ふたりのフォローに感謝しつつ、緋姫はそっと彼の手を取った。

「花火が始まるまで、よろしくね、リィン」

「うん。こちらこそ」

　手を繋いでいると、彼の緊張ぶりが伝わってくる。

　初めて緋姫に『好きだ』と言ってくれた男の子。リィンはきっと、今でも緋姫に特別な感情を抱いていた。それが気恥ずかしくて、緋姫はいつも有耶無耶にしてしまう。

「ちゃんと宿題はしてるの？」

「全然」

「あなた、始めさえすれば、すぐ上達するのに……二学期は頑張ってみたら？」

「そうだね。補習に出るの、面倒くさいし」

　当たり障りのない話題があることが、緋姫の気持ちを楽にした。

　リィンと一緒に適当な屋台を覗き込んでは、金魚すくいに興じてみたり、タコヤキを半分こにしてみたり。

隣でリィンが思い出したように囁いた。

「その浴衣、可愛いね」

「……それ言うの、遅くない？」

　小気味のよい音頭が鳴る。蒸し暑い夜風には、ほんのりと潮の香りが混ざっていた。

「ぼくはまだ言ってなかったから。本当に綺麗だ、プリンセスは」

　リィンの指が緋姫の唇をなぞる。

「……え？」

「なんでもないよ。次は射的でもしようか？　アーロンダイトの使い手さん」

　一瞬のうちに、心の中に入り込まれた。

そんな気がした。

～Ｔｏ　Ｂｅ　Ｃｏｎｔｉｎｕｅｄ～　　　

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