傲慢なウィザード #1

ACT.03 深夜二時の大決戦

 定期試験もつつがなく終わり、夏休みに入った。緋姫は水泳部の練習に参加しつつ、ARCケイウォルス司令部にもまめに顔を出している。

 最近は大きな事件もなく、司令室では閂が暢気にお菓子を広げていた。

「やあ、御神楽くん。部活のほうはどうだい?」

「可もなく不可もなく、です」

 調子のよさそうな顔で、緋姫は淡々と流す。

 とはいえ、実はまだ浮身のひとつも成功していなかった。人間は水に浮くようにはできていない、カナヅチのように沈むものだと確信しつつある。

 オペレーターの周防哲平は衣装のデザイン案と睨めっこしていた。

「そういえば水泳部、覗きが出たそうじゃないですか」

「あー、うちのクラスの高井くんね。でも停学とかは許してもらえたって」

 ケイウォルス高等学園は少々おかしい。例えばスクール水着が『白色』であり、一年生の女子は誰もが戸惑った。

(組が同じなら、九条沙耶の水着を拝めたんだがな)

 いいわね、それ。沙耶ならきっと、恥ずかしがったりして……。

 夏休みボケのせいか、悪霊にも毒されてしまっている。今日も帰りはゲームセンターにでも寄って、ハイスコアを狙うつもり。

 セキュリティ完備のドアを開いて、真井舵輪が司令部にやってくる。

「周防ー、ブロードソードの調整についてなんだが……いたのか、御神楽」

「ご挨拶ね。あなたも部活? どこにも入ってなかったでしょ」

「ここに用があって来たんだ」

 彼と顔を会わせても、前ほど険悪なムードにはならなかった。最近は大きな怪異も発生していないおかげで、平穏でいられる。

「彼女たちとデートで忙しいんじゃないの?」

「お前も比良坂やクロードと予定のひとつもないんだな」

「あら、言われちゃったわね」

 輪の挑発を軽く流しながら、緋姫はメインモニターを見上げた。

 人気のテーマパーク『エンタメランド』で有名な、離島の地図が表示されている。明後日は沙耶と一緒にそこで遊ぶ予定だった。

 頭の中でルイビスがしみじみと囁く。

(お前が友人と遊園地とはな……成長したものだ)

 うるさいわね、あなたも。

「哲平くんもエンタメランドに行くの?」

「夏休みになってすぐ家族で行ってきました。結構面白かったです」

 夢いっぱいのテーマパークの話題にもかかわらず、閂は絶望していた。

「誘ったら断られたんだよ、僕は。はあ……いいひとだったんだけどなあ、サチさん」

「だからそんなに暇そうなんですね、先生」

 傷心の教師に緋姫の追い打ちが掛かる。

 閂は癇癪を起こし、お菓子をばりぼりと口に放り込んだ。

「あーあーそうだとも! どうせ僕は、真井舵くんみたいにはモテないんだっ!」

「え? いや、オレは……」

 緋姫と哲平はひそひそと色男について噂する。

「この夏は海に花火にと目白押しらしいですよ。ほら、第四の女の子たちと」

「やっらしー。日焼け止め塗ってあげたりすんのよ、あいつ」

「エンタメランドでもハーレムデートだそうで……まじ死ねばいいのに」

 辛辣に責められ、輪は顔を引き攣らせた。

「そんないいものじゃないぞ? 荷物持ちはさせられるし、パシらされるしで」

「だったら愛煌と付き合いでもして、清算しちゃえば?」

 彼をからかうのもほどほどにして、緋姫は離島の地図を再確認する。

 島の一部でカイーナが出現しているようだった。小康状態にあるものの、いつ活性化するかわからない。そのため、こうして監視を続けている。

 閂も腰をあげ、モニターを眺めた。

「エンタメランドからの要望なんだよ。稼ぎ時だから、事を荒立てたくないってね」

「はあ。そういうことね」

 カイーナが広がろうものなら、客もただでは済まない。ところがエンタメランドのほうは、カイーナの脅威について半信半疑であり、営業を優先してしまった。確かにこの繁盛期に休園となれば、損失も甚大なものになるだろう。

「友達と行くと言ってたね、御神楽くん。遊びに行くところ悪いんだが、頭の片隅にでも置いといてくれないか」

「はい。クロードたちもいますから、様子見くらいはしてきます」

「助かるよ。真井舵くんはデートで忙しいだろうし……」

 緋姫たちの冷ややかな視線が女たらしに集中する。

「オ、オレだって調査しますよ! 第四部隊のみんなと一緒に」

「まじ死ねばいいのに」

 遊園地では輪との別行動が決まった。

 うなだれる輪を放って、緋姫は哲平の資料を覗き込む。

「ところで……哲平くん、さっきから見てるそれ、何なの?」

「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれましたっ!」

 哲平の眼鏡がきらりと光った。

「これこそ、イレイザーのバトルスーツの草案なんですよ! ほら、制服じゃあ、守備力に限界があるじゃないですか? そこで、もっと効率的なものをと思って……」

 イレイザーに専用の戦闘服を、という話は前々からあるようで、すでに第四部隊では試験的に実用化されている。それは緋姫も知っていた。

 けれども哲平の草案は、どう見ても女児向けアニメの『魔法少女』。

「……男子はどうするのよ」

「そっちは調整中です。御神楽さん、こういうの着てみませんか? これでスペルアーツを使えば、マジカル・プリンセスの爆誕です!」

「愛煌にやってもらえばいいじゃないの」

 興奮気味にまくしたてる哲平の一方で、緋姫は呆れ顔で肩を竦めた。

「う~ん……確かにアルテミスは魔法少女の武器っぽいですし、司令ならマジシャン系のスペルアーツも使えますからね」

「マジシャンの力だけ、ARCで人工的につけたんだっけ?」

「そうですよ。でも司令、男だからなあ……」

 華やかなコスチュームのデザインに哲平の溜息が落ちる。

「あの美少女、どうしてんのかしら」

「避暑地の別荘にいるはずですよ。明日には帰ってくるそうですけど」

「ふぅん」

 もちろんマジカル・プリンセスなんぞは却下した。

 

 

 東西線を歓楽街のほうへ抜け、合流場所へと急ぐ。

 ルイビスがさっさと決めてくれないから!

(私のせいにするな。クロードと会う時は、着の身着のままだったくせに)

 今朝は支度に戸惑ったせいで、電車をひとつ逃してしまった。約束の時間を十分ほど過ぎたところで、モノレールの乗り場に駆け込む。

 沙耶は自販機の傍で待っていた。

「ごめん、沙耶! あとで何か奢るわ」

「いいんですよ、緋姫さん。実はわたしも、ちょっと遅れちゃいましたから」

 本日の彼女のコーディネイトは、薄手のブラウスに、裾のあたりが透けているチュールスカート。花柄のバッグにはウサギのマスコットがぶらさがっている。

「可愛いわね。それ、こないだ買ったやつでしょ」

「うふふ。緋姫さんに選んでもらって、正解だったみたいです。緋姫さんのキュロットは私が選んだものですよね」

 緋姫も今日は気合を入れて、ボウタイのブラウスに、スマートなキュロットスカート。柄にもなくコサージュをつけ、花の可憐さをまとう。

 お互い、手提げとは別にボストンバッグも抱えていた。今回は一泊二日の予定で、離島にはクロードの実家が所有するホテルがあり、部屋を融通してもらっている。

 イレイザーの給料があるおかげで、一高校生にしては予算も充分。

「さあ、行くわよ!」

「はいっ! 行っちゃいましょう!」

 緋姫と沙耶はモノレールに乗って、南の離島を目指した。二十分ほど経って、エンタメランドの入場ゲートに到着する。

 青空に風船が舞った。ゲートの先ではチューリップが咲き乱れている。

 足を踏み入れただけで、ファンタジーの世界に迷い込んだかのように思えた。沙耶は感激し、祈るように両手を合わせながら、瞳をきらきらと輝かせる。

「すごいです! これが、遊園地……!」

「こういうのはあたしも初めてだわ」

 遠くには観覧車が見えた。丘の上には壮麗な城が聳え立つ。

 夏休みだけあって、テーマパークは観光客らで大いに賑わっていた。想像以上のスケールに緋姫は呆然として、立ち尽くす。

 沙耶はすっかり舞いあがっていた。喜々として付箋入りのガイドブックを開く。

「どこからまわりますか? ゴールはお城として……」

「え? そうね、期間限定のイベントなんかもやってるみたいだし?」

 緋姫も沙耶も遊園地など初めてで、気持ちばかり浮ついていた。

童心というやつが自分にもあったらしい。保護者気取りのルイビスが笑みを含める。

(カイーナのほうは私が見ておいてやる。存分に楽しめ)

 あ、ありがと……悪いわね。

 沙耶とふたりでまごまごしていると、クロードがやってきた。

「やあ、お姫様! そちらのレディーが、お姫様の言ってた九条さん、だね」

「初めまして、えぇと……クロードさん。九条沙耶です」

 色男が沙耶に近づこうとするのを、緋姫は割って入って、頑なに制す。

「ちょっと、沙耶に手ぇ出したら、承知しないわよ?」

「ははっ、おっかないねえ。肝に銘じておくさ」

 クロードの後ろにはエンタメランドのマスコット、猫の『タメにゃん』がいた。家族連れとの写真撮影に応じては、子どもを抱える。

「九条さん、カメラはあるんだろ? 僕が撮ってあげようか」

「あ、はい。ありがとうございます」

 順番を待って、緋姫と沙耶もタメにゃんと並んだ。

 郷に入れば郷に従え、ってね。

子どもっぽい真似で恥ずかしいが、沙耶のほうは可愛いピースを決める。負けじと緋姫も、遠慮がちにピースを作ると、撮影担当者があからさまに笑いを堪えた。

「くくっ。はい、チーズ」

「笑ったでしょ? ピースくらい、いいじゃないの」

 下手な照れ隠しになるとわかっていても、怒るしかない。

 クロードは小憎らしい笑みを浮かべた。

「いやいや、悪い意味で笑ったんじゃないよ。お姫様って、前は僕たちとも必要以上に話さなかったのに、最近はこう……柔らかくなった感じがしてね」

 彼の瞳が沙耶の顔を映し込む。

「そちらのレディーのおかげかな?」

「いえ、そんな……緋姫さんは会った頃から、元気で明るい方でしたし」

 彼女の後ろで、なぜかタメにゃんも頷いた。ちょうど順番待ちの列が途切れる。

 緋姫はタメにゃんのつぶらな瞳を、真剣な表情で覗き込んだ。

「……もしかして、紫月……だったりするの?」

 タメにゃんはしゃべらずに、愛らしいモーションで『そうだ』と肯定した。中身は本当に比良坂紫月らしい。カイーナの調査に来たようだが、連れに遊ばれているのだろう。

 もしくは、男ふたりで遊園地に、疑問も持たずに来てしまったのか。

「あなた、クロードにいいように使われてない? 前もバイトしてたでしょ」

「……………」

 しゃべろうとしないタメにゃんを、緋姫がぽんぽんと叩く。

「ごめんね、沙耶。この中のひと、あたしの知り合いみたいなんだけど」

 すると沙耶はぷくっと頬を膨らませた。

「何言ってるんですか、緋姫さん。ひとなんて入ってませんっ」

 タメにゃんはエンタメランドの住人であって、中に誰かが入っているはずもない。これは緋姫の配慮が足りなかった。クロードがにやにやとなじってくる。

「いけないなあ、お姫様」

「あの……その『お姫様』って、緋姫さんのことですか?」

「もちろんさ。ほら、可愛いでしょ?」

 とうとう沙耶にまで、間違いだらけの愛称がばれてしまった。

「お姫さまだなんて、うふふっ、お姫さま……」

「勘弁してよ、もう」

 愛想のよいクロードのおかげで、沙耶も無理なく打ち解けてくれる。

タメにゃんは次の観光客との撮影に応じ、忙しそうに離れていった。入場ゲートの付近で談笑しているだけでは、緋姫たちの時間ももったいない。

「五時半になったら合流で、いいね? 夕飯は一緒に食べよう」

「オーケー。ナイトパレードもね」

 クロードは気障なウインクを残し、去っていった。

「ウインクするひとって、いるんですねえ」

「さっきのは色々規格外だから、気にしないで」

 大きな荷物を預けたら、女の子同士、緋姫と沙耶で遊園地をまわることに。

 

 お化け屋敷やジェットコースターで遊んだあとは、休憩のつもりで観覧車に乗る。

「うわあ……っ!」

 ゴンドラの高さに戸惑いつつ、沙耶はテーマパークを一望した。

「ほら緋姫さん、あっち! 明日はあのプールですよね」

「一日じゃまわりきれないわけだわ」

 七色のお菓子をひっくり返したみたいに、エンタメランドは活気に満ちている。沙耶と一緒に緋姫も随分とはしゃいでしまった。

「ほんと、こういう経験ないから……すごく新鮮」

 緋姫には家族がいない。友達も、最近までいなかった。

 似たような孤独を、おそらく沙耶も知っている。だから惹かれたのかもしれない。

「私もです。お父さんもお母さんもいませんし……兄さんは『行ってこい』って、お小遣いをくれたりするんですけど」

「……ごめん、変な話になっちゃって」

「あ、いえ、もう慣れてますから。……はあ、綺麗……」

 しばらくの間、ふたりは同じ景色をぼんやりと眺めていた。写真を撮ることも忘れ、観覧車のゴンドラに揺られる。

「お兄さんがいるのね。あたしにも、姉みたいなのがいるわ」

「実の兄じゃないんです。歳の差で、そう呼ぶふうになりまして……」

 真夏の太陽に雲が掛かって、少し薄暗くなった。蒸し暑いのを思い出したように、緋姫は缶コーヒーを開け、口をつける。

「好きなんですね、ブラック」

「今日くらいサイダーでもよかったかしら?」

 缶飲料では開封次第、飲みきらなければならないのがネックだった。沙耶のほうは水筒に抹茶を入れてきている。ところが、彼女の手は蓋を開けずに止まった。

「あの……緋姫さん。また変なお話になっちゃいますけど……緋姫さんは、地面の下にあると思いますか? ……地獄、って」

 予想もしなかったオカルティックな単語に、緋姫は眉を顰める。

「鬼とかがいる、あれ?」

「いいえ、死者の世界と言いますか、でも、こんな遊園地もあったりして」

 淡々とした口ぶりは、どことなく真実味を含んでいた。

 それに勘付いていながら、緋姫は笑って誤魔化す。

「地獄の遊園地ってのも、それはそれで面白そうね。急にどうしたの?」

「あ……ごめんなさい。ちょっと思っただけなんです」

 沙耶もこれ以上は続けようとせず、表情を朗らかな笑みに戻した。雲はすぐに晴れ、テーマパークの景色もまた明るくなる。

「次はいよいよお城ですよ、お姫さま? うふふ」

「はいはい。じゃあ、あなたにはメイドさんになってもらうわ」

 緋姫の頭には『地獄』という言葉がこびりついていた。

 そもそもカイーナとは『第一地獄』を意味する。となると、ARCがカイーナと呼ぶ怪異現象には、さらに深刻なレベルのものが存在するのかもしれない。

 第二地獄や第三地獄と呼ぶべきものが。

(いずれ、真の地獄に挑む時が来る。お前は私なのだからな)

 ルイビス、あなた……?

 一瞬、観覧車のゴンドラを『逆さま』に感じた。

 

 観覧車を降りたところで、華やかな一団を見かける。

「……何かしら、あれ?」

そこでは四、五人の女子が、たったひとりの男の子を取り囲んで、きゃあきゃあと言い争っていた。しかも愛煌並みの美少女ばかり。

「だーりん……どういうこと、説明して」

「ダーリンさん! 事と次第によっては、許さなくってよ」

 中央で引っ張りだこになっているのは、真井舵輪だった。彼女たちの勢いに気圧され、うろたえている。

「待て、押すなって! 当たってるから……」

 何が『当たって』いるのやら。彼女らの異様な胸の大きさも苛立たしい。

 デレデレしちゃって。何股かけてんのよ、こいつ?

 輪と面識のない沙耶は首を傾げた。

「あんなにモテるひと、いるんですねー」

「そのうち刺されるんじゃない?」

 すれ違いざま、緋姫は女たらしの優男をぎろっと睨む。

「うっ? み、御神楽?」

 輪はぎくりと青ざめた。周りの美少女たちが俄かに顔色を変える。

「ちょっと、ダーリン! まさか、ほかにも?」

「あたしたちを馬鹿にしてっ! 洗いざらい白状してもらいますから!」

 袋叩きの様相を呈しつつあった。

「おっおい? 囲むな、蹴るな! 御神楽、助け……」

 沙耶が心配そうに振り返る。

「あのひと、お知り合いですか? 緋姫さん」

「さあ?」

 すっきりした。

 

 

 五時半にはクロードたちと合流し、園内のレストランに入る。予約はクロードが事前に済ませておいてくれたおかげで、スムーズにテーブルにつくことができた。

 大通りに面した窓際の席のため、パレードを眺められるという。

「まだ明るいわね。あと一時間くらい?」

「食事でもしていれば、そのうち始まるさ、お姫様」

 そこまではよかった。ところが予定にない面子が、ひとり増えている。

「昼間はずっと遊んでたの? ふぅん、御神楽がねえ……」

 愛煌=J=コートナーは学園の制服姿で、緋姫と沙耶の間に座っていた。頬杖をつきながら携帯を弄っているさまは、今時の女子高生にしか見えない。

「こういう席でケータイばかり触るのは、マナー違反じゃないかな? 愛煌さん」

「わかってるってば。これだけ」

 ストラップは愛らしい天使のマスコット。

そんな彼女(ないし彼)を見て、沙耶が不思議そうに尋ねる。

「あのぉ……生徒会長さん、ですよね? どうして遊園地に制服で……」

「司令部から直で来たのよ。カイーナにおかしな動きが、うぐっ?」

 慌てて緋姫は愛煌の口を塞ぎ、作り笑いを浮かべた。

「生徒会の仕事で来たのよ、ね? 校外実習の下見だとかで」

 沙耶にはそう答えつつ、迂闊な愛煌に耳打ちする。

「ARCの活動は秘密でしょ? そっちの沙耶は関係者じゃないんだから」

「わ、悪かったわ」

 女子三名(愛煌を含む)の向かい側では、クロードと紫月が一服していた。さしもの紫月も、この炎天下での着ぐるみには参ったらしい。

「ここまでハードだったとは……何が『人手が足りない』だ、クロード」

「バイト代は弾むんだ、いいじゃないか」

 紫月とクロードもすっかり打ち解けていた。

「コーヒーはあとがいいんじゃないかな、お姫様」

「それもそうね。じゃあコーラで」

 全員のドリンクが揃ったところで、乾杯する。その音頭を愛煌が取ろうとしたが、緋姫やクロードは話を聞かず、飲み物に口をつけてしまった。

「あなたたちみたいなのが、全校集会でも私語ばっかしてるのよ、まったく……」

「生徒会のお仕事って大変そうですね」

 それぞれの料理を待ちながら、談笑に花を咲かせる。

「明日は仕事じゃないんでしょ? 紫月。午後から遊ばない?」

「うぅむ……明日はな、姉さんが友達と一緒にエンタメランドに来るんだ。俺は案内役を頼まれてしまってる」

「荷物持ちと、撮影担当ってわけだね。でも綺麗どころのグループに弟の立場で混ざれるなんて、羨ましい話じゃないか。ははっ」

「だったらお前も来い、クロード。姉さんの恐ろしさを思い知るがいい……」

 沙耶は愛煌にも朗らかに声を弾ませた。

「明日もいらっしゃるんでしたら、愛煌さんもご一緒にプール、どうですか? 女の子だけで遊ぶの、きっと楽しいです」

「あー、だめなのよ、愛煌は。あたしたちとは違う生き物なんだもの」

「別にいいわよ、私は。水着も大丈夫だから」

 クロードが今日の面子を一瞥する。

「もうひとり男子がいたら、バランスもよくなるのにね。愛煌さんはアレとしても」

 性別に関しては問題ありの愛煌が、つまらなさそうに呟いた。

「そういえば、さっき輪のやつを見かけたわ」

「それ、あたしも。あんなのの、どこがいいんだか」

 しばらく輪の悪口で盛りあがる。そんな話でも、沙耶は楽しそうに聞いていた。

 先に女子三名(愛煌を含む)の料理が運ばれてくる。

「わかってるねえ、この店は。冷めないうちに食べなよ、お姫様、レディー」

「あなた、沙耶に馴れ馴れしいわよ?」

 緋姫はグラタンで、沙耶はハンバーグ、愛煌はステーキだった。沙耶が一口分のハンバーグをフォークで取って、中央の愛煌越しに、緋姫に食べさせようとする。

「お姫さま、どうぞ」

「席、替わろうかしら? 御神楽の隣のほうがいいでしょ」

「えー? 愛煌さんも一緒にやりましょうよぉ」

 女の子同士の微笑ましい食べさせあいっこを、クロードは満足そうに見守っていた。

「変態がひとり混じっていても、いいものだね。そうは思わないか、紫月。男同士でやると、気色悪いだけなのにさあ」

「そんなもの、やってみんとわからんぞ? クロード、口を開けろ」

「……えええっ?」

 

 ――じっくりと煮込まれたポトフのソーセージに、フォークが刺さる。紫月はそれを、ゆっくりと、見せつけるようにクロードへと近づけた。

「さあ、口を開けるんだ」

「く……っ」

 クロードは椅子に縛りつけられ、身動きできない。屈辱であれ、今は命令に従うほかなかった。押しつけられたソーセージに舌を這わせつつ、慎重に歯を立てる。

「俺のモノになったという自覚が出てきたようだな」

 クロードの顔は紅潮していた。ポトフの熱さもあるが、紫月に責め苛まれることに、心ならずも興奮しつつあるのかもしれない――。

 

 なんてもの見せるのよ、ルイビス!

 心の中で緋姫は叫んだ。

(くっくっく! なかなかのイメージだったろう?)

 この悪霊はエロスに少々、節度がない。おかげで脳みそが腐りそうになる。

 うなだれる緋姫にステーキを近づけてきたのは、愛煌だった。

「つ、次はあなたが食べる番よ。覚悟しなさい」

「あなたに食べさせてもらわなきゃ、いけないっての?」

 やがて窓の外も暗くなり、眩い花火があがる。リズミカルな行進曲とともに、宝石箱を開けたようなナイトパレードが始まった。

 窓際の沙耶が瞳を輝かせる。

「すごく綺麗……! あっ、見てください! タメにゃんが手を振ってます!」

「ほんとだわ。紫月が入ってたわけじゃなかったのね」

 緋姫も、愛煌も、夜の行進に見惚れた。幻想的な光の芸術が、俄かに目を眩ませる。

 愛くるしいマスコットたちに向かって、沙耶は嬉しそうに手を振った。赤や緑の花火が夜空で炸裂し、色鮮やかな閃光をばらまく。

「紅茶を注文するけど、あなたたちは?」

「あたしはブラックで。沙耶は? ……沙耶?」

 緋姫たちの声が届かないほどに、沙耶はパレードに夢中になっていた。

 そこまで夢中になりきれない緋姫を見て、クロードがはにかむ。

「お姫様も見習ったらどうだい? タメにゃんと握手もしてないんでしょ」

「あ、明日はするわよ。絶対……」

 本日はタメにゃんだった紫月も、意地悪にやにさがった。

「タメにゃんの猫耳をつけてるお客様が、優先だぞ」

「あなた、やっぱりクロードに毒されてるわ」

 やるせない溜息が落っこちる。

 

 

 午前二時。テーマパークは非常灯だけを残し、夜の闇に沈んでいる。しかし観覧車だけは人知れず、ゆっくりとまわっていた。

 天辺までやってきたゴンドラのドアが開く。愛煌=J=コートナーはゴンドラの屋根へとあがり、その高さに物怖じすることなく、遠方の城を凛然と見据えた。

「まったく……御神楽のやつ、簡単に言ってくれちゃって。上を納得させるのが、どれだけ面倒だったと思ってんのかしら。アルテミスだって、アーツって体裁なのに」

 天使を模した携帯のストラップを弾くと、光の弓が実体化する。

「我が弓となって魔を祓いなさい、アルテミス!」

 夜空で輝く月のもと、アルテミスの弓が矢を番えた。

 狙いは、レイの巣窟と化した王城。愛煌の瞳がフィルターを通し、正確無比に照準とタイミングを見極める。

「ブラスターモード! 出力、最大っ!」

 暴風じみたエネルギーの集束に耐えきれず、ゴンドラが揺れた。それでも愛煌は体勢を崩さず、限界まで高めたアーツを、金色の輝きとともに放つ。

 光の矢は闇夜を突き抜け、一直線に城を目指した。

「上手く合わせなさいよ、御神楽? 私がここまでしてあげたんだから」

 反動で突風が生じ、愛煌の髪が優美に波打つ。

 

 その二時間ほど前、緋姫はホテルのスイートルームで、ふと目を覚ました。ライトつきのデジタル時計を覗き込んで、今が午前零時に近いのを知る。

「変な時間に起きちゃったわね……あら?」

 隣のベッドには誰もいないことに気付いた。布団は捲れたままになっている。

 部屋にはバスユニットもあるため、手洗い程度で部屋を出る必要はなかった。ところがベランダを捜しても、沙耶の姿は見当たらない。

 緋姫の携帯電話には二件の着信があった。うちひとつは沙耶からのもの。

『助けて』

 緋姫の瞳に驚愕の波が走った。焦燥感に駆られながら、急いでクロードに掛ける。

『起きたかい? お姫様。第六部隊、すぐに集合だってさ』

「それどころじゃないの! 沙耶が……沙耶が部屋にいなくって」

『……なんだって?』

 ひとまず彼らと合流し、協力を仰ぐことにした。防御系のアーツを反映しやすい学園の制服に着替え、鍵など開けっ放しで、部屋を飛び出す。

「すみません! あたしと同い年くらいの女の子が、出ていったりしませんでしたか?」

「いえ、そのようなお客様は……あっ、お客様! どちらへ?」

幸いホテルの周辺は二十四時間、機能していた。夜間はカジノに行く客などがいるためだろう。しかし女の子をひとり捜すには、エンタメランドは広すぎる。

「こっちだ、姫様!」

「ええ!」

 途中で緋姫は紫月と合流し、地下通路へと降りた。

「あたしたちが来た夜にカイーナになるなんて……タイミングがよすぎると思わない?」

「ああ。ただ、この時間なら、客も巻き込まれてはいないだろう」

 もし営業中だったら、大惨事になっていたに違いない。

「カイーナが発生する前に、フロアキーパーを押さえることさえできたら……」

「……どうした? 姫様。らしくないぞ」

「あ、ううん。気にしないで」

 緋姫の意識がカイーナに向かっていないことに、おそらく紫月も勘付いていた。

 どこに行っちゃったのよ、沙耶?

 かなりの距離を走って、再び地上に出る。緋姫と紫月はエンタメランドの象徴でもある王城の、門前へと辿り着き、クロードらとも合流を果たした。

「お姫様! 九条さんがどうしたって?」

「いないのよ。でも、こんなメールが届いてて……」

 緋姫の携帯を、クロードと紫月が神妙な面持ちで覗き込む。

「まずいぞ。低級のレイは城から溢れている、という話だ。襲われでもしたら」

「そっ、そんな事態になってるの?」

夜空の空気をかき混ぜながら、ARCの運用ヘリが二機、降下してきた。その片方から哲平が降り、現場で待機中のARC車両と、オペレーター用のノートパソコンを繋ぐ。

「お待たせしました、みなさん! サポートします!」

「あなたたちも来なさい!」

司令官の愛煌が緋姫たちに召集を掛けた。紫月とクロード、遅れて輪も集まる。

「悪い、遅くなった」

「いいわ。まずは状況の説明からよ、周防」

「はい。現在、エンタメキャッスルは完全にカイーナと化しています」

 昨日までは、カイーナは地下の一部に過ぎなかった。ところが一時間ほど前になって、急激に拡大が始まったらしい。城は今、最上階まで異次元に落ちている。

 そのうえ低級のレイが城の外に出てしまった。城の周辺には厳戒態勢が敷かれ、第四部隊が対応に当たっているらしい。

 第八部隊はすでに城に突入したものの、通信が途絶えていた。

 沙耶の件もあり、緋姫は焦らずにいられない。

「ちょっと待って。部隊はみっつだけ?」

 異変の規模に対し、イレイザーの頭数が少なすぎる。オペレーターの哲平にしても、今しがたヘリで到着したばかりであって、情報戦ではすでに後手にまわっていた。

 愛煌が苛立たしそうに舌を吐く。

「エンタメランドがARCと、まだ揉めてるのよ。応援の部隊は、海岸線で待機させてるけど、今夜の作戦に加えるのは難しいでしょうね」

 本来ならば、ただちに営業を中止し、観光客を島の外へ避難させるべきだった。だがこの期に及んで、遊園地は利益を優先するという。

今日テーマパークで遊んでいた面子で、対応するほかなかった。

「第四部隊はさっきプロテクトを解除して、散らせておいたわ。小うるさい上の連中と話もつけて、ね。外のレイは決まって弱体化するから、少人数でもいけそうだし……」

 アーツの力にはARCのプロテクトが掛けられており、とりわけカイーナの外では使用に制限がつきまとう。ただし御神楽緋姫のアーツは例外として。

緋姫は片手でピストルを作り、構える真似をした。

「あたしが殲滅に行ったほうがベターじゃない? 許可もいらないわ」

 愛煌が面倒くさそうに溜息をつく。

「あなたは現状で最強の戦力なのよ。それにクロードたちだけで突入させて、誰がスペルアーツでサポートするっていうの? 冷静になりなさい」

司令の正論に言い負かされてしまった。

何やってんのかしら、あたし……周りが全然見えてないわ。

レイの殲滅にかこつけて、沙耶を捜せると思った。見透かされたに違いない。

「第四部隊の実力はなかなかのものよ。どこぞのエロダーリンは一緒じゃないほうが、任務にも集中してくれるでしょうし。ねえ?」

 輪の頬には絆創膏が貼ってあった。

「……オレの評価はあれとして、信用してやってくれ。それより第八部隊のほうは?」

「再三呼びかけてるけど、だめね。一度は最上階まで『降りた』みたいだけど」

 フロアキーパーを倒しさえすれば、カイーナもろとも周辺のレイも消滅する。今度こそ緋姫には、それが最良かつ最速の手段に思えた。

愛煌が腰に手を当て、指令を発する。

「作戦内容を伝えるわ。あなたたち第六部隊は――」

「任せて。一時間もあれば、充分よ」

 ところが強気に返すと、呆れられてしまった。

「焦らないでったら、御神楽。あなたは第六のリーダーなのよ? 今夜の目的は、第八部隊の救出がマスト。救出次第、あなたたちはすぐに脱出しなさい」

「え? でも……」

豪胆な愛煌にしては慎重な采配に、緋姫は戸惑う。

 紫月は冷静に状況を見ていた。

「イレイザーの一部隊が、通信もできん窮地に陥っているんだ。敵の戦力がいかほどか、わからん以上、交戦は避けようというわけだな」

「そういうこと。最悪でも、全員を島の外に避難させてから、仕切りなおすわ」

 普段の緋姫なら、愛煌と同じことを考えただろう。どうしても沙耶の行方ばかりが気掛かりで、任務に集中できていなかった。そんな緋姫の肩を、輪が叩く。

「何があったか知らないが、落ち着けって」

「わかった。ごめん……」

 どうやら自覚する以上に参っているらしい。

 緋姫は気持ちを切り替え、禍々しい魔城を睨みつけた。

「哲平くん、第四部隊に伝えてもらえないかしら。九条沙耶って子を捜してるって」

「了解しました。大丈夫ですよ、被害報告はひとつもあがってません」

 第六部隊のメンバーは固く頷きあって、迷宮への門を開く。

愛煌は哲平とともに外で待機することに。

「頼んだわよ、御神楽」

「オッケー」

 城内に足を踏み入れると、後ろで扉が勝手に閉まった。重力が反転し、緋姫たちだけ逆さまになる。こちらにとっては、城のほうが丸ごと逆さまになったように感じられた。

「すごいねえ。お金を掛けただけじゃないってのが、わかるよ」

 壮麗なゴシック様式の王城には、昼間も沙耶と一緒に来ている。だが、今夜は感動など湧いてこず、おぞましい気配の蔓延ぶりが警戒心を煽った。

 窓から見えるはずのテーマパークはなく、外は深淵の闇で満たされている。

足元では逆さまのシャンデリアがこうこうと輝いていた。彫刻はひっくり返って、頭上にぶらさがっている。

(まさにオーレリアンド城の再来だな、フフフ……)

 ルイビスが意味深なことを囁いた。 

 あなた、沙耶の行方に心当たりはないの?

(私もカイーナに目が行ってたものでな。前のようにはいかんぞ、気をつけろ)

 スペルアーツで城内を探知し、細心の注意を払いながら、第六部隊は奥へと進む。

フロアキーパーの反応は城の最上階、すなわちカイーナの最下層にあった。一方、第八部隊の反応は見当たらない。ただ、アーツを使った痕跡はある。

「ここでレイと戦ったみたいね」

 一行は引き続き、迷宮と化した城内を探索した。

 逆さまの現象に加え、廊下や部屋が複雑に配置されているせいで、人並みの方向感覚は役に立たない。緋姫はスカウト系スペルアーツで、常に地図を表示しておく。

 中衛のクロードが振り返った。

「……やっぱりだ。お姫様、向こうで道が閉まったよ」

「一方通行ってわけね」

 これだけ難解な構造でありながら、フロアキーパーへの道は必ず続いている。それが何とも不可解で、腑に落ちなかった。

逆さまの城内には異様な殺気が立ち込めている。

「いざとなったら、壁を破って脱出すればいいさ。なあ、紫月」

「危険な賭けだ。生還率は三割程度と聞く」

 冗談も交えながら、緋姫たちは七階建ての逆さ城を、四階まで降りた。

 回廊に差し掛かったところで、前衛の輪が異変に勘付く。

「おかしくないか、比良坂? どうして鎧の人形は、逆さになってないんだ」

「む? ……こいつら、来るぞ!」

 フルプレートの置物がロボットのように一斉に動き出し、斧を振りあげた。しかし動きが鈍いおかげで、先手を取られずに済む。

「一気に抜けましょ! 相手してたら、キリがないわ!」

「やっとお姫様らしくなってきたね。了解だ!」

「先陣は俺に任せておけ!」

 緋姫の号令に従い、紫月がいの一番に切り込んだ。愛刀・朝霧で剣閃を放ち、リビングアーマーの胴を断ち割る。続いて輪も両刃の剣で、敵の斧を押し返した。

 クロードのアイギスに守られつつ、緋姫は電撃をお見舞いする。

「サンダーボルトっ!」

 リビングアーマーが膝をつき、関節の隙間から煙を噴いた。

緋姫たちは早々に回廊を走り抜け、魔物の群れを振り切る。この調子なら、充分に力を温存したうえで、フロアキーパーのもとまで辿り着けそうだった。

(待て、緋姫。急いては事を仕損じるぞ)

(わかってるって。もう大丈夫よ)

だが今夜の目的は、第八部隊を捜索すること。沙耶の件で落ち着きのなかった緋姫も、冷静になり、更新中の地図に目を凝らす。

 さらに六階まで降りると、小さな反応があった。

「見つけたわ。こっちよ!」

柱の陰で、ひとりの女性が両膝を抱え、蹲っている。傍には瀕死の重傷を負った、男性イレイザーの姿があった。どちらも大学生くらいの年齢だろう。

「あ、あなたたちは?」

「ARCケイウォルスの第六部隊です」

 緋姫はすぐに屈んで、重症の彼に、ヒーラー系の治療スペルを用いた。

 生き残ったらしい女性にクロードが問いかける。

「あなたはヒーラーじゃないのか? なぜ治療をしない?」

 彼女は絶望の表情に涙を浮かべた。

「だって! 仲間が死んだのよ? 四人も……フロアキーパーに殺されて」

 顔面蒼白になるほど戦慄し、がちがちと震える。フロアキーパーのもとから重傷者を連れ、逃走するだけで、精一杯だったに違いない。

「このままじゃ外まで持たないわ。お願い、手伝って」

 緋姫に促されると、彼女も嗚咽を漏らしながら、同じ治療のスペルを重ねてくれた。

「あいつよ……魔女が出たの」

「……魔女?」

 いつぞやのフロアキーパーも口走っていた、その言葉が引っ掛かる。

「あなた、知らないの? レイを操る女がいて……あいつが、ここのフロアキーパーにとんでもない力を与えたのよ。あ、あれのせいで、私たちは」

「落ち着いて。話してもらえるかしら」

 王城のカイーナ化が確認されてから、三十分後、第八部隊は突入した。そして最深部のフロアキーパーを一度は追い詰めたという。

 ところがそこに『魔女』が現れ、フロアキーパーを大幅にランクアップさせた。

 治療中の負傷者が苦しげに口を開く。

「み、右手がスキルアーツを……左手がスペルアーツを、反射するんだ」

「なんですって?」

 緋姫たち第六部隊の面々は、驚く顔を見合わせた。

「ヒーラーと、スカウトのおれしか残らなかったのは、はあ、そういうことだ。お前たちも逃げろ、絶対に戦ってはいけない……!」

 彼の切実な忠告と同じタイミングで、哲平から通信が入る。

『御神楽さん、状況を教えてください』

「え、ええ。生存者を二名、発見。ここのフロアキーパーは相当ヤバいみたい」

 撤退の二文字が頭をよぎった。アーツを反射するなどという未知の敵に、無作戦に挑むほど、愚かなつもりはない。

 しかし哲平の声は焦燥に満ちていた。

『実は城のカイーナが地下にどんどん広がってきてるんです。二時十三分には阻止限界点に達しますから、お客さんも全員、今から避難してもらうしかありません』

 輪が悩ましい表情で額を押さえる。

「くそっ! 最初から応援が来てりゃ、こんなことには……」

 昼間は遊園地で楽しく遊んだとはいえ、支配人たちの無責任な判断には、緋姫も怒りが込みあげてきた。第八部隊に至っては、四名が命を落としている。

 紫月は仏頂面の顔を顰めた。

「すんなり上まで戻れると思うか? 怪我人もいるんだぞ」

 輪や紫月の本心には、緋姫も薄々勘付いている。

 クロードは爽やかに言いきった。

「フロアキーパーを倒して、カイーナを消滅させよう。それがいいよ、お姫様」

 その言葉を待っていたように、緋姫もにやりと微笑む。

「とんでもないやつって話よ? あたしが指揮しちゃって、いいわけ?」

 頼れる仲間たちは『もちろん』と頷いた。

「よ、よせ! やつとは戦うんじゃない。死ぬぞ?」

「だったら死なないために、そいつの能力をもっと詳しく教えて」

 フロアキーパーの戦闘能力を分析しつつ、緋姫は通信で哲平にも意見を求める。

「哲平くん、外からカイーナを攻撃したとして、中まで届くものかしら」

『次元干渉が可能なアーツであれば、理論上は可能でしょう。ですが、かなりのエネルギーが必要ですし、座標をミリ未満の単位で正確に合わせなければなりません』

 緋姫の発想を哲平も悟ったらしい。

『……ま、まさか?』

「理論上は可能なんでしょ。ちょっと愛煌に代わって」

 作戦は決まった。

 

 午前一時五十分、作戦を決行する。

 第六部隊のメンバーは謁見の間へと躍り込んで、巨大なフロアキーパーと対峙した。

「あいつよ! みんな、固まりすぎないで!」

 上半身だけの巨像がゆらりと動く。城の主だけあって、それは王の姿をしていた。豪勢な王冠を被り、厳めしい髭を生やしている。

 右肩にはチェスでいうルークの駒が、左肩にはビショップの駒が乗っていた。

 頭上には巨大なチェス盤が張りついている。本来ならこのチェス盤の上で、キングブリティッシュと謁見できるはずだった。威圧感に息が詰まりそうになる。

 その傍らには、奇妙な風貌の女性が佇んでいた。

 あいつが魔女……?

ピエロのような仮面を被り、ボロをまとっている。何より不気味なのは、彼女の手にある杖だった。大きな目玉がついており、ぎょろっとした視線で緋姫を睨む。

「あ? 待ちなさいったら!」

 杖をさげ、魔女はキングブリティッシュの向こうに消えた。追いかけようにも、眼前の狂王を倒さないことには、進めない。

「お姫様、今のは?」

「詮索はあとだ、クロード。……来るぞ!」

 キングブリティッシュの剛腕が第六部隊に襲い掛かる。すかさず緋姫らは散開し、作戦通りに、まずは輪がブロードソードで仕掛けた。

 それが右腕にヒットすると、輪のほうが弾き飛ばされる。

「うわっ? こいつが反射か」

「しっかりしてよ、輪!」

 あえて攻撃力の低い輪で、スキルアーツの反射を試みたのだった。続けざまに緋姫は、威力を落としつつ、スペルアーツでキングブリティッシュの左腕を撃つ。

 ファイアボルトは跳ね返され、猛然と緋姫に向かってきた。

「おっと! お姫様に用があるなら、この僕を通してもらおうか」

 それをクロードのアイギスが防ぐ。

 第八部隊に聞いた通り、キングブリティッシュの右手はスキルアーツを、左手はスペルアーツを反射した。知らずにいれば、緋姫たちも全滅の憂き目に遭っただろう。

「俺たちで左を潰すぞ、真井舵!」

「わかってる! あれさえ片付けちまえば……」

 紫月と輪が敵の右手をかいくぐり、左手を狙う。しかしキングブリティッシュは瞬時に手の位置を変え、逆に反射を狙ってきた。

「くっ? こいつ、知恵が」

 すんでのところで輪は攻撃を中断し、紫月の刀は空を切る。

 このフロアキーパーも十中八九、人間だった。だが下手に手を緩めようものなら、即座に殺されかねない。キングブリティッシュが広範囲に氷結のスペルアーツをばらまく。

 鋭利なつららが矢継ぎ早に落ちてきた。

「お姫様、さがって!」

「反射だけってわけないものね」

緋姫はクロードとともに後ろに跳んで、やり過ごす。

 そのつららを足場にして、再び紫月が斬りかかった。が、またしても右手に阻まれ、反射されそうになる。そこに炎のブレスを重ねられては、かわせなかった。

「くっ……しまった?」

 踏み込みきれなかった紫月に業火がまとわりつく。

「ちょっと我慢してよ、紫月!」

 緋姫はアイスボルトを撃ち、その炎を消した。しかしキングブリティッシュの左手で弾かれた分のアイスボルトは、緋姫に目掛けて返ってくる。

クロードのアイギスがわずかに凍りついた。

「旗あげゲームみたいになってきたね」

「そんな生易しいものじゃないでしょ。勇み足だったかしら……」

 作戦では、まず紫月と輪がスキルアーツで左手を破壊する。そのあと、スペルアーツに対して無防備となった敵を、緋姫が殲滅する手筈だった。

そのつもりが、巨体にもかかわらず、俊敏な腕の動きに対応できない。

 緋姫の用意した『切り札』は、二時ジャスト。カイーナの拡大が阻止限界点に達するのは二時十三分。緋姫たちは時間にも追われながら、戦闘を続けた。

 まだよ。まだ……!

 攻撃の決め手がないせいで、守りがちになる。クロードには疲労が見え始めた。

「これじゃあ時間切れだよ、お姫様?」

「同感だ。無念だが、退却するほかあるまい」

 紫月も攻撃の手を止め、後退してくる。

 輪はまだ粘っているものの、疲労のせいか、動きが鈍くなっていた。緋姫の脳裏に『撤退』の二文字がよぎる。

 ここまで強いやつだったなんて……。

(よく見ろ、緋姫。一度に跳ね返せるスペルアーツは、ひとつに過ぎんぞ?)

 ……えっ?

 牽制で放ったファイアボルトが、やはり跳ね返ってくる。ところが第二波として撃ったサンダーボルトは、反射までに若干のインターバルがあり、威力も落ちた。

(まったく同時に複数のスペルアーツをぶつければ、崩せるかもしれんな。私の見立てでは、あれは大して頑丈ではないだろうし)

 ルイビスの眼力は信用できる。

スペルアーツで集中攻撃するには、マジシャンが足りなかった。ならば、緋姫がひとりで複数のスペルアーツを、同時に操ればよい。

「みんな、もう少しだけ付き合って。スペルアーツであいつの左腕を食い止めるわ!」

 覚悟を決める緋姫の足元に、輪が転がり込んできた。

「正気かっ? やつの左は、スペルアーツを反射するんだぞ!」

「姫様が狙うなら、右だと思うが……俺は乗った。クロード、姫様を頼む」

 紫月はやにさがって、朝霧を構えなおす。

 クロードはやれやれと肩を竦め、アイギスの守備力を最大まで高めた。

「わかった、僕も付き合うよ。お姫様の仰せのままに」

 紫月もクロードも、緋姫の無茶を信じてくれている。輪はわしゃわしゃと前髪をかき混ぜると、紫月とともに前衛に出て、ブロードソードを握り締めた。

「だーもうっ! それで勝てるんだろうな?」

「やるしかないでしょ。紫月とあなたは、あいつの注意を引いて。あたしは動けなくなるから、クロードはサポートをお願い」

 キングブリティッシュが剛腕を振りおろすと同時に、緋姫たちも勝負に出る。

 紫月と輪は敵を挟み撃ちにしつつ、あえて右手に斬撃をぶつけた。スキルアーツの反射が発動し、ふたりとも弾き飛ばされる。

「ぐっ……今だ、姫様!」

 その隙に緋姫はファイアボルトを撃ち込んだ。キングブリティッシュがそれを左手で受け止め、跳ね返ってくるのを、アイスボルトで相殺する。

「まだまだ! ボルト系スペルの乱れ撃ちよ、食らいなさいっ!」

 さらにサンダーボルト、またファイアボルト、アイスボルトと連発し、すべてを敵の左手まで届かせた。反射が鈍ったのを見計らって、合成スペルアーツも突撃させる。

「ファイアストーム! ダイアモンドダスト!」

 火炎と突風。氷結と岩石。跳ね返ってくる分はクロードのアイギスで防ぎながら、ありったけのスペルアーツを撃ち込む。

「き……効いてる! 効いてるぞ、御神楽!」

 興奮気味に輪が起きあがって、前のめりになった。

竜巻のようなエネルギーが、キングブリティッシュの巨体を押さえ込む。緋姫のスペルアーツが途切れない限り、敵は右手を出すわけにもいかない。

 午前二時まで、あと五秒。

「4、3、2……全員、伏せてっ!」

 緋姫たちは咄嗟に頭を低くした。

 城の外から黄金色のエネルギーが飛んできて、壁をぶち抜く。

前もって愛煌に頼んでおいた切り札、アルテミス。怒涛の一撃は、スペルアーツしか反射できないロードブリティッシュの左腕を、肩まで削り取ってしまった。

午前二時ジャストの瞬間に、相手にスペルアーツを反射させていれば、アルテミスが決まる。緋姫の奇策は成功し、クロードと紫月が歓喜に唸った。

「やったね! まさか、こうも上手く決まるなんて」

「やつはもうスペルアーツを防げん! 好機を逃すな!」

緋姫は立ちあがり、詠唱の途中だったスペルアーツをひとつにまとめる。

「チェックメイトよ、王様!」

ファイアストーム、ブリザード、ライトニング、ダイアモンドダスト、テンペスト。ありとあらゆる攻撃系スペルをごちゃ混ぜにして、破壊のエネルギーを作り出す。

 これが理論上は可能らしいという緋姫の、最強のスペルアーツ。

「オーバードライヴッ!」

 炎が、氷が、風が、雷が、キングブリティッシュに殺到した。たわめられたエネルギーが一気に爆ぜ、大爆発を引き起こす。

 轟音が鳴り響いた。爆発に耐えきれず、頭上のチェス盤に亀裂が走る。

 

 爆風が巻き起こした砂塵が、ようやく晴れた。

 逆さまの現象も元に戻って、天井は上に、チェス盤の床は下にある。ただし城の最上階はほとんど吹き飛んでしまった。自分たちは無事でいられたのが、不思議でならない。

 息を切らせながら、緋姫は思い出したように回線を開いた。

「はぁ、はあ……やったわよ、哲平くん」

『こちらでもカイーナの消滅を確認しました! みなさん、お疲れ様です』

 クロードは疲れ果て、仰向けになっている。紫月も尻餅をついていた。

「勝つには勝ったけど、こんな賭け、二度と御免だね。もしやつが二時ぴったりに右手を出していたら、アルテミスを反射されて、全滅してたよ?」

「ぞっとするな。よく決まったものだ」

 夜空では静かに星が瞬いている。夏であっても、午前二時過ぎの風は涼しい。地獄から帰ってこられたのを実感した。

『そうそう。九条沙耶さんなら、先ほど第四部隊が保護しました』

「ほんと? よかった……」

 悪夢のような夜は終わりつつある。

 あれは……誰だったのかしら?

 だが引っ掛かるものは残っていた。カイーナの最深部で出会った『彼女』は、何者だったのだろうか。魔女という言葉が思考の中を彷徨う。

「起きられそうか? 御神楽」

 満身創痍で座り込んでいると、輪が手を差し伸べてくれた。

 彼の手を取って、緋姫はおもむろに立ちあがる。

「なんとかね。おんぶはしてもらわなくて、済み、そ……ぉ……?」

 けれども脚が動かなかった。平衡感覚がなくなるとともに、意識も遠のく。

 倒れた時にはすでに失神していた。

「おっ、おい、御神楽? しっかりしろ!」

「お姫様っ? 哲平、聞こえるか? お姫様が倒れた! 救援をよこしてくれ!」

「スペルアーツを使いすぎたか。早く医者に見せなければ……」

 緋姫の熱っぽい額に、誰かの手が触れる。

 

 

 エンタメランドでの二日目は、昼過ぎまで寝込む羽目になって、台無し。力の入らない身体を呪いながら、緋姫はホテルのベッドで渋々と休んでいた。

 沙耶とプールで遊ぶ約束もキャンセルに。

 しかし沙耶は残念がる素振りもなく、楽しそうに林檎を剥いていた。可愛いウサギの形になったものが並べられていく。

「遊びすぎて参っちゃうなんて、緋姫さんもお茶目なところ、あるんですね」

「うぅ、ハズカシイ……」

 彼女には『遊園地で興奮しすぎて、熱が出たのかも』と誤魔化した。

「ごめん、沙耶。せっかくの遊園地なのに」

「気にしないでください。今日はもうお休みみたいですし?」

 爆発事故があったことで、エンタメランドは臨時休園となっている。事後処理についてはARCと揉めそうだが、緋姫たちの任務は完了した。

 カイーナなんて言っても、信じてもらえないものね……。

 幸い観光客に犠牲者はひとりも出ていない。ただ、行方不明という支配人が、今回のフロアキーパーである可能性は高かった。

 第八部隊は四名が死亡し、一名が重症。最悪に近い結果となっている。

 死ぬかもしれないのに、どうして戦ってるのかしら、あたし。

(お前はそういう運命にあるのさ)

 亡霊の囁きを聞き流し、緋姫は沙耶に問いかけた。

「ところで、沙耶? 昨夜のメールだけど……」

 林檎を剥く沙耶の手が、不意に止まる。

「あ、あれは……みなさんにも説明したんですけど、散歩してたら、怪物? みたいなのに追いかけられまして。焦って、緋姫さんにメールしちゃったんです」

 確かに昨夜は、低級のレイがこの離島を徘徊し、第四部隊が対応に当たっていた。実際にレイと遭遇してしまった民間人もいたらしい。

 けれども緋姫は、彼女の言葉は嘘だと直感した。何かを隠しているに違いない。

「そう、無事でよかったわ」

 とはいえ追求するつもりはなかった。

この夏は初めて友達と一緒にショッピングに出掛け、こうして遊園地にも遊びに来た。ここで沙耶を責め、今の関係を壊したくない。

彼女が話したくないのなら、今はそれでよかった。納得できる。

「緋姫さん、汗かいてるんじゃないですか? シャワーはどうです?」

「そうね。脱ぐの、手伝ってもらえる?」

 ホテルの寝巻を沙耶に剥がしてもらっていると、前触れもなくドアが開いた。デリカシーのない男が、ノックもなしに女子の部屋に入ってくる。

「具合はどうだ? みかぐ、ら……」

 緋姫と沙耶はぎくりと硬直した。寝巻がずれ、ブラジャーがちらつく。

真井舵輪もぎょっとして、言い訳しようと口をわななかせた。

「いっ、いや! 違うんだ、これは、その?」

 緋姫のこめかみに青筋が浮かぶ。

「あ、な、た、ね、え」

「ひ、ひどいです……ぐすっ、緋姫さんの、見ちゃうなんて……」

 おまけに沙耶はショックのあまり、さめざめと泣き出してしまった。乙女たちのアウェイな空気が不埒な男を責め立てる。

「わわっ、悪い! じゃあな、御神楽!」

輪はドアに頭を打つほど動転し、へっぴり腰で逃げていった。

 緋姫は携帯で下僕を呼び出す。

「もしもし、クロード? 殺し屋って、いくらくらいで雇えるのかしら」

『元気が出てきたようだね。フフッ、紫月先生に依頼かな?』

 あんなやつ、刀の錆になればいいのよ。

本気でそう思った。

 

 

 エンタメランドから戻ってきて、一週間。ひとまず体調もよくなり、昨夜は宿題の仕上げなどに当たっていた。今日は緋姫なりにお洒落もして、駅前で相方を待つ。

「はあ……」

 また溜息が出てしまった。

何しろ本日のパートナーは男のくせに、そこいらの女子より可愛い。着の身着のままで合流しようものなら、緋姫のほうが『彼氏』になってしまう。

 今日はプリーツのミニスカートに、カットソーをイン。ありきたりだが、前にクロードに貰った靴に合わせると、これに落ち着いた。

 合流時間に少し遅れて、愛煌=J=コートナーが駆け込んでくる。

「悪いわね、御神楽」

「遅れたうちに入らないわよ、これくらい」

 彼女(彼)のコーディネイトは、花柄のデザインチュニックとロングパンツだった。アクの強い『派手柄』を平然と着こなせるあたりに、センスのよさが光っている。

 カイーナの外でプロテクトを無視したことや、先日のエンタメランドでの件を『借り』とされ、今日は愛煌に付き合う羽目になってしまった。

クロードの前例もあるため、緋姫は今回のデートに乗り気になれない。

「あんまり高い店とか、やめてよ」

「映画くらいなら問題ないでしょ。観たいのがあっただけ」

 愛煌はしれっと髪をかきあげ、ひとりで先に歩き出した。緋姫が追いかけて並ぶと、女子高生らしい休日のワンシーンが、繁華街のショーウインドウに映る。

「御神楽でもスカート穿いたりするのね」

「制服はスカートじゃないの」

「そうじゃなくて。……ほら、クロードと一緒の時は、パンツだったでしょ」

 エンタメランドでもキュロットだった。春先に髪を切ってからは、スカートを合わせる機会が少なくなっている。

「あなたこそ、スカートなんて辞めたら? 男の子なんだし……」

「似合ってるからいいのよ。ふん」

 愛煌との会話は思いのほか弾まなかった。沈黙が続いても、愛煌は前に進むばかり。最短のルートで映画館へと辿り着き、アクション映画のチケットを購入する。

「自分の分は出すわ、愛煌」

「いいわよ。今日は私が呼び出したんだもの」

 チケットを受け取りながら、緋姫は『いつぞや』の映画館を一瞥した。

 普通に営業してるのね。

 今年の春、ひとりで訪れた映画館。ホラー映画の途中で上下が逆さまになり、スクリーンからレイが飛び出してきたのを、思い出す。

 その時、真井舵輪と出会った。そして緋姫は、彼に代わってレイを撃退している。

「どうしたのよ? 御神楽」

 呆然と立ち止まっていると、愛煌に急かされた。

「あ、ごめん。ここ……あたしが初めてアーツを使った場所だったから」

「映画館って言ってたわね、確か。大丈夫でしょ、今日はこの私もいるんだし」

 怖いわけではない。以前とは同じでいられない自分に、少し戸惑う。

 緋姫たちは中央の右寄りに空席を見つけ、腰を降ろした。間もなく上映となり、非常灯を残して、館内の照明が落ちる。

 暗闇の中でスクリーンが浮かびあがった。

「……………」

 愛煌は頬杖ついて、新作のCMをじっと見詰めている。一緒に来たはずなのに、別々に行動しているようなぎこちなさがあった。

 愛煌と遊びに来てるなんて、変な感じ……。

 緋姫は椅子にもたれなおし、ふうと息をつく。うるさいだけのCMなど、ほとんど頭に入ってこなかった。

「ねえ、愛煌。前から思ってたんだけど、どうして女装してるのよ?」

「これ? 可愛いからよ」

 聞いていないようで、愛煌は緋姫の話をしっかりと聞いている。

「だから、可愛いってだけじゃなくて……。きっかけとか、あったんじゃないの?」

 彼女(彼)はようやく緋姫に視線を返し、はにかんだ。

「私に憑いてるアルテミスのレイは、支配力の強い男で……私の霊魂は女性だから、よ」

 急に『レイ』と『霊』がごちゃ混ぜになって、こんがらがってくる。

「意味わかんないってば、それ」

「あなたもふたつの魂を持ってるでしょ? アーツをくれるレイと、自分の霊魂と。イレイザーなら誰でもね」

 頭の中でルイビスが囁いた。

(イレイザーにまれにある弊害だな。己の霊まで認識できるようになってしまうのさ)

 ふぅん……あたしがルイビスを感じるみたいに?

(違うな。私とお前はふたりでひとつの霊魂だ、例外と言ってもいい)

 緋姫とルイビスのように共存していられるパターンは、少ないのかもしれない。

愛煌にはアーツの源となる『レイ』がおり、それとは別に愛煌本人の『霊』もあった。つまり、ひとつの肉体にふたつのイニシアチブが存在している。

「肉体と霊魂に差異があると、分裂しちゃうのよ。最悪、アルテミスに身体を乗っ取られちゃうわけ。だから、女の子の恰好で、こっちが主導権を維持してるってこと」

 愛煌は唇を薬指でなぞり、何やら意味を含めた。

「霊魂は女だからって、男を好きになったりはしないけどね」

「そういう話、沙耶の前ではしないでよ?」

 緋姫はげんなりと嘆息しつつ、スクリーンに目を戻す。

 愛煌にしては曖昧模糊な話にもかかわらず、ルイビスは納得していた。

(中嶋とかいうやつがいただろう? あのレイから最期にひとの形が出てきたのも、中嶋本来の霊魂と、化け物となった肉体が、かけ離れていたためだ)

 もういいってば、ルイビス。

 悪霊との談義を切りあげ、緋姫は正面の映画に集中する。

 しかしさっきの話が気になって、映画に没入できなかった。何度か欠伸を噛むうち、スタッフロールが流れ、あちこちで客が席を立ち始める。

 愛煌は淡々と感想を呟き、立ちあがった。

「割とよかったわね、御神楽。期待してなかったせいかしら」

「そう? あ、待ってよ」

 緋姫も鞄を肩に掛け、映画館をあとにする。

 一緒に遊びに来たにしては、どうにも淡泊な雰囲気だった。以前のように衝突することはない、とはいえ、仲良くできるほど距離が縮まってもいない。

 ふたりきりでは、間が持たなかった。

「食事、いくでしょ?」

「え、ええ」

 それでも愛煌は、緋姫の戸惑いを意に介さず、連れ歩こうとする。

 何考えるのよ、愛煌……?

 食事までは付き合うしかないと諦めつつ、緋姫は愛煌と一緒に歩道橋を渡った。

その向こう側で、妙な人だかりを見つける。

「何かしら、あれ。ねえ、みかぐ……」

 通り掛かったついでに覗き込んで、緋姫たちは絶句した。

 衆人環視の中央にいたのは、可憐な装いの魔法少女。フリルの花を咲かせた愛らしい恰好で、これみよがしに短いスカートを揺らす。

 ただし性別は男だった。真っ青になって、顔だけでも隠そうとする。

「ま、待て! 撮らないでくれ!」

 通行人らは物珍しさに足を止め、撮影まで始めてしまった。

「可愛い男の子が着るんなら、いいけどさぁ……これはアウトでしょ」

「夏だからなあ。出るんだよ、こういうのが」

 マジカル・プリンセスこと真井舵輪を目の当たりにして、緋姫と愛煌は口元を引き攣らせる。あの衣装は先日、哲平がデザインしていたものだろう。

 向こうもこちらに気が付き、声を荒らげる。

「御神楽に、愛煌っ? ち……違うんだ、これは、周防のやつが女子用と間違えて!」

 確かに周防哲平がイレイザー専用のバトルスーツを開発する、と意気込んでいた。スキルアーツで構成し、瞬時に着用することができるらしい。

しかしカイーナの中ならまだしも、白昼堂々と魔法少女のコスプレなど、ARCが許可するわけがなかった。性能テストであれば、もっとほかに場所もある。

「話を聞いてくれ、御神楽!」

 御神楽、御神楽って連呼しないで欲しいわ……。

 縋るような輪のまなざしを、緋姫たちは他人のふりでやり過ごすことにした。

 愛煌が緋姫の手を取り、引っ張っていく。

「ああいう勘違いしたやつに比べたら、まともでしょ? 私」

「……それもそうね。オカマだったら、ああなるもの」

 初めて握った愛煌の手は、驚くほど華奢だった。残念ながら『彼女』は緋姫よりもたおやかで、美少女ならではの華やかさに溢れている。

 自信なくしそうだわ、あたし……。

「御神楽ぁ~!」

 魔法少女の輪よりはまし。そんな言い訳では、慰めにならなかった。

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