トライアングルサモナー ~召喚士の恋人~
第3話 ウォーゲーム
ツォーバ王国に待望のフラン=サモナーが登場し、二週間が過ぎた。そのことはすでに地上の全土に知れ渡っており、天界も魔界も神経を尖らせている。
フラン=サモナーが選ぶのは、天界への忠誠か、魔界への服従か。それとも地上の独立を謳って、勝利を勝ち取るのか、闇雲に血を流すのか。
地上の皆は期待と不安を抱きながら、行く末を見守っている。
フランはクレハ女王の指導のもと、国政を学んでいた。書斎で本を広げ、クレハ女王のおそらく懇切丁寧には違いない説明に、首を傾げる。
「国内の生産量と消費量を考慮したうえで、内海での輸出入の総量を決定するのです」
「え、えぇと……?」
召喚における魔力の維持や消耗のことなら、わかるのに。経済だの外交だのの議論にはまるでついていけなかった。
クレハ女王が早めに切りあげてくれる。
「あなたにはまだ難しいようですね。休憩にしましょう」
「……はぁい」
フランはペンを転がし、勉強机に突っ伏した。
物心がついた頃から学んでいた召喚術のようには、なかなか進まない。もしかすると自分は勉強が苦手なのかも、とさえ思い始めていた。まだ剣の稽古のほうが性に合う。
「ごめんなさい、女王様」
「構いませんよ。実際にやってみないと、わからないことも多いのですから」
休憩がてら、クレハ女王は有名な詩人のエッセイを開いた。
「あなたも気分転換してきてはどうです?」
ずっと書斎にこもっていても、気分が晴れそうにない。しかし外に出たら出たで、厄介事が待っているのはわかっていた。フランは髪に手櫛を入れながら、溜息をつく。
「ロイドとリュークが、もう喧嘩ばっかりで……」
今やツォーバ城のあちこちで緊張状態が続いていた。問題は王子たちだけではない。ロイドにしろ、リュークにしろ、部下の前では引けない状況も多いのだろう。
天界の面々と魔界の面々は敵対関係にあり、激しく牽制しあっている。ツォーバ城にしても、塔は天界に、地下は魔界に占領されたも同然で、その独立性が揺らいでいた。
クレハ女王がフランの頭をそっと撫でる。
「あなたの出番でしょうね。思うままに試してみなさい」
「ですけど……どうすればいいのか、わかりません」
調停役など荷が重すぎる、とフランは痛感していた。賢者直伝の召喚術があっても、それで政治や外交ができるわけではない。
「ロイドとリュークを召喚契約で下僕にできちゃえばいいのに……」
「あらあら。あのふたりはメイドたちのお気に入りなんですよ? 独占などしては、妬みに妬まれてしまいます」
ふてくされていると、影の中から祖父が起きあがってきた。
「要は連中に占領されとる場所を、取り返せばよいんじゃろ。とっておきの『ゲーム』があるではないか、ヒッヒッヒ!」
ゲームと聞いて、フランははっとしたように顔をあげる。
「お爺ちゃん、まさか……アレで決着をつけろって?」
「やつらは必ず乗ってくるよ。己が力を存分に誇示するためにな」
迷宮で暮らしていた頃は、週に一度、祖父とあるゲームで対決するのが習慣だった。
互いに部下を『駒』として進め、相手のマスターを討ち取るという、チェスのような遊び。それを賢者は単純に『ウォーゲーム』と呼んでいる。
メイドのアンナが書斎に慌てて駈け込んできた。
「フラン様! いらっしゃいますか? 中庭のほうで騒ぎが……ひゃああっ?」
ところが骸骨の幽霊を目の当たりにして驚き、ふらっと眩暈を起こす。
「お、お化け……」
フランは駆け寄り、ふらつくアンナの支えになった。
「しっかりして。大丈夫よ、幽霊じゃないから」
「忙しい娘じゃのう。それより、外で何かあったようじゃな」
祖父は不穏な空気を感じ取っている。
「女王様、この子をお願いします」
「デリケートな子が多いですね」
アンナをクレハ女王に任せて、ひとまず様子を見に行くことに。
中庭では物々しい雰囲気の中、エルフ族とトロル族が向かいあっていた。互いに相手の種族を毛嫌いしており、些細なことでも対立が絶えない。
「お城が汚れるから、煙草を吸うなと言ったんです!」
「ウルセエ! オ高クトマリヤガッテ!」
エルフは長い耳が特徴的な種族で、男女ともに美しい容姿の者が多かった。排他主義的な傾向が強く、深い森に住み、ほかの種族とはあまり関わろうとしない。
一方、トロルは頭髪がなく、唇の両端から牙が飛び出していた。見た目こそ獣じみてはいるものの、勤勉さを美徳とし、仲間意識も強い。
「君たちのような輩を城に入れるなど、女王様は何をお考えなのか……」
「冥王殿ノコトナラマダシモ、くれは様ノ侮辱ハ許サンゾッ!」
ところがエルフ族はトロル族に対し、醜いとか、知能が低いなどという先入観を抱いていた。当然そのような扱いをされては、トロル族も黙っていない。どちらももとは地上の民だが、種族間の対立のために、天界と魔界の勢力に分かれている。
そんな言い争いの場にロイドが駆り出されてきた。
「いい加減にしないか! 喫煙はマナー違反にしても、言い方があるだろう?」
同じくリュークも駆り出され、苛立つ。
「面倒事は起こすなって、言っただろーが。面倒くせえな」
ツォーバ城での縄張り争いは、いよいよ表面化しつつあった。このエルフ族とトロル族のような、天界と魔界が直接的には関与していない摩擦も多い。そういった軋轢や不和は今にも爆発しそうになっていた。
そのうえロイドとリュークが、衝突を躊躇わない。
「おい、ロイド? 部下くらい躾けておけよ」
「それは僕の台詞だ! もとはといえば、そっちの喫煙が原因じゃないか」
喧嘩を止めに来たはずが、先頭に立って怒り心頭になってしまう。
「ちょっと、ふたりとも!」
フランは間に割って入り、両方に『待った』を掛けた。こうも毎回、仲裁ばかりさせられていては、気疲れもする。
「あなたたちまで喧嘩して、どうするのよ」
「すまない。だが、これはマナーの問題であって……」
「そっちが何かにつけて噛みついてくっから、ややこしくなるんじゃねえか」
ロイドの言い分もリュークの言い分も、筋は通っていた。花壇の前で煙草を吹かせたトロルも悪いが、辛辣な窘め方をしたエルフも悪い。
つまり『そっちが悪い』では決着がつかない状態にまで、もつれ込んでいた。
一触即発のムードの中、アスタロッテがペガサスに跨って降りてくる。
「おーい、フラン~! こいつ、腹が減ったってさ」
魔界からアスタロッテを召喚した分のバランスを取るべく、フランが先日、天界から召喚した野性のペガサスだった。
天馬と小悪魔という異色のコンビに、ロイドは目を丸くする。
「悪魔がペガサスに? そんなことが……」
「あんたたちのアタマが固いだけじゃん? で、なんの騒ぎ?」
事のあらましを聞くと、アスタロッテはにんまりと唇の端を吊りあげた。
「なーんだ。じゃあ、決着つけちゃえばいいっしょ」
「……え?」
フランたちはどきりとして、顔を見合わせる。
「話し合いで解決しないならさー、いっそ、思いっきりやっちゃえって話。恨みっこなしの一発勝負でさ。どお?」
アスタロッテの大胆な提案を受け、リュークは意気込んだ。
「その話、乗ったぜ! この際だ、白黒ハッキリつけてやろうじゃねえか」
「しかし僕らは戦争に来たんじゃないんだぞ? 勝負といっても……」
ロイドは戸惑っているものの、フランに名案がある。
「じゃあ、ウォーゲームで勝負しましょ」
「……ウォーゲーム?」
書斎の窓から祖父も降りてきた。
「ヒッヒッヒ! 面白そうじゃの。ならば、審判はわしが務めてやるとしよう」
奇怪な風貌に驚いて、初対面のロイドが構える。
「あ、あなたは?」
「天界の連中には『ウォーロック』と名乗っておる者じゃ」
「てぇことは、やっぱ、てめえがネクロマンサーか」
ウォーロックでありネクロマンサーでもある骸骨は、骨だけの人差し指を立て、全員の視線を集めた。しゃれこうべの目が赤く光る。
「わしのことはよいじゃろ。では早速、ルールの説明をしよう。天の兵はロイド、魔の兵はリューク、そして地上の兵はフランが率い、戦ってもらおうか」
ウォーゲームでは代表者が『マスター』となり、部下に指示を出していくのが基本となった。目的は敵のマスターを倒すこと。順番が来たら駒を進めるのを繰り返す。
ただし自分のターンには、思考に一分、行動に十秒という制限時間が設けられた。その間に手を決め、移動や攻撃を終わらせなくてはならない。
また、一度に動かせる駒はひとつ、その行動もひとつに限られた。同時にふたつの駒を進めたり、攻撃と防御の併用といった行為は、反則となる。ただ、移動と攻撃、移動と防御という組み合わせは許容される。
などと説明しつつ、賢者は悪趣味な模様のカードを取り出した。
「参加する者は各自、このカードを持て。攻撃する時はこいつを相手に叩きつけるんじゃぞ。カードの色がなくなったら、そやつは戦闘不能とみなされ、退場じゃ」
「その色にはなんの意味が?」
「有利不利が三すくみになっておる。誰に何色を持たせるかも、考えんとなぁ」
赤は青に強く、青は緑に強く、緑は赤に強い。
「マスターは別の色にしておきましょ」
「そんなら、俺は赤だな。髪の色と同じだし」
リュークは赤を、ロイドが青を選び、残った緑はフランとなった。つまりフランの場合は、ロイド本人には不利で、リューク本人には有利となる。
「盤にするのは、この城でよいな」
そのほか、賢者からルールについての捕捉が、いくつかあった。
空を飛べる者は必ず着地すること。城を壊すような行動はしないこと。クレハ女王や使用人らの居住スペースには侵入しないこと。
「あとはまあ、反則じみた行為は禁止じゃ。それでよいな、王子ども」
「望むところだ。われわれ天界騎士団の力を見せつけてやるとも」
ゲームに当惑していたロイドも、乗り気になってきた。
天界も魔界も、その戦力を誇示したがっている。しかしフランの手前、おいそれと交戦するわけにもいかない。遊戯とはいえウォーゲームは絶好の機会となった。
リュークが審判に釘を刺す。
「おい、ジジイ。フランに手ぇ貸すのはなしだぜ?」
「もちろん、わしは裏方に徹するのみよ。……と、そうじゃ」
賢者は指先に魔力を凝縮し、金色と銀色、ふたつの指輪を作り出した。
「どうせなら、召喚士として戦ってみるのもよかろう。この指輪を嵌めておけ。お前たちがしたいように、フランが代わりに召喚してくれるでの」
「あたしが? すごく疲れそうなんだけど」
公平を期すため、部下の配置はゲームが始まってから、召喚でおこなうことにする。
「部下の者は呼ばれるまで、城門の外で待機しておれ」
ゲームの前に三十分ほど、作戦会議の時間が与えられた。
「じゃあ僕は塔からスタートするよ」
「俺は地下だな」
フランは三階の私室を本拠地として、ミノタウロスやアスタロッテにカードを配る。ミノタウロスには赤を、アスタロッテには青のカードを持たせてみた。フラン(緑)に強いロイド(青)が攻めてきても、ミノタウロス(赤)で迎撃できる。
「マスターは二倍強いんっしょ? アタシが思うに……」
「そうかしら? でも可能性はありそうね」
アスタロッテたちを一旦魔方陣に戻しつつ、フランはゲームの開始を待った。
やがて城の鐘が鳴り響く。同時にフランの目の前にビジョンが現れ、王城の見取り図が浮かびあがった。この部屋に当たる位置に、フラン本人の駒だけが表示されている。
『ロイドとリュークも見えておるな? そいつが今のおぬしらの状況じゃ』
フランがミノタウロスを召喚すると、すぐ傍にミノタウロスの駒も表示された。しかしロイドやリュークの駒はどこにもない。
ウォーゲームでは自軍が目視しない限り、敵の居場所が地図に映らないのだ。
あっちも、こっちは見えてないものね。どう攻めようかしら……。
ロイドやリュークもどこかで部下を召喚したはず。
再び順番がまわってきたところで、フランはペガサスを召喚した。さらに次のターンでペガサスを屋根へと登らせて、索敵範囲を一気に広げる。
すると地図上の塔の窓際に、ロイド陣営の駒が表示された。向こうも高い場所に部下の目を置き、敵を探している。
しばらくは交戦することなく、陣形の展開が続いた。フランは自ら部屋を出て、駒を動かしやすいメインホールで前線を張る。
召喚されたアスタロッテが、じいっと地図をねめつけた。
「……髪が赤いほうのやつ、どこ?」
リュークのチームは未だひとりも姿を現していない。
一方、ロイドの布陣は塔の外まで溢れつつあった。中庭を挟んで、フランの陣と真正面から睨みあう形になってくる。
「妙な感じね……」
フランは地下にも駒を進めながら、リュークの動向を睨んだ。
ここは待機を繰り返し、動かずに待つ方法もある。ロイドのほうはそう判断したのか、前線を押し込む動きを止めた。
『どうせなら、お前たちで話もできたほうが楽しかろう? 繋いでやろうぞ』
『ん? なんのことだい、ウォーロック?』
城の見取り図の向こうから、ロイドの声が聞こえてくる。
『聞こえてるわよ、ロイド』
『ああ、そういうことか。君もまだ、リュークは見つけてないようだね』
穏やかな口調からは、焦りなどは感じられなかった。
わざとらしくフランは揺さぶりを掛ける。
『どうかしら? そんなこと言って、本当はあなたが見つけてるんじゃないの?』
『参ったな。迂闊なことは言えないね』
フランの傍にいるアスタロッテは、両手で口を塞いでいた。アイコンタクトで、地図の今見るべき場所を教えてくれる。
あっ! まさか……?
中央の城を北へと迂回し、北西の塔に近づく駒が、ひとつだけあった。駒の上に王冠がついていることからしても、リューク本人に間違いない。
「南よ、フラン! あいつが来てるわ!」
「ちょっと、アスタロッテ? 見えてるって、ばれちゃうじゃないの」
アスタロッテが不意に声をあげ、フランも動揺する。
リュークの舌打ちが聞こえた。
『ちっ、見つかっちまったか。もう少し進めると思ったのによ』
『なんだって? くうっ、いつの間に……』
情報を真に受け、ロイドが駒を南に散らしていく。
フランとアスタロッテはにやりと笑みを交わした。リュークを発見したことをロイドに伝えたのも、作戦のうち。何より方向を『北』ではなく『南』と偽っている。
そんなフランの作戦に、おそらくリュークも乗っていた。
『よぉく見えるぜ? 天界の旗がよ』
今の今まで、すべてのターンを自分自身の移動に使っていたらしい。地下から相当の距離を、慎重に隠れながら進んできたのだろう。
なかなかやるわね、リュークも。
先に部下を召喚してから動かすより、マスター本人が出張ってから部下を呼ぶほうが、少ない手数で済む。マスターの危険は増えるものの、効果的な作戦だった。
しかもロイドの陣営は南を警戒するばかりで、北の守りが疎かになっている。そこに魔界の兵が続々と現れ、戦局は一気に傾いた。
『えっ? なぜそっちから……しまった! 僕が騙されたのか!』
『女の言葉を鵜呑みにすっからだよ。さあ、行くぜ!』
フランも駒を進め、激戦の火蓋が切られる。
『ロイドとフランが潰しあうのを待ちたかったんだけどな』
『残念。楽はさせてあげないわよ!』
フランの先兵であるミノタウロスが、リュークの大コウモリに仕掛けた。勢いよくカードを叩きつけ、相手のカードを一発で白化させる。
出遅れたロイドも、布陣に固執するのをやめ、攻勢に転じてきた。
『まだまだ勝負はこれからだ!』
フラン配下のゴブリンが、ホーリーナイトに撃退される。
前に出すぎているリュークに狙いをつけることは、難しくはなかった。ミノタウロスと同格の巨漢である一つ目の鬼、サイクロプスが、リュークの前方に斬り込む。
『おっと、こいつは緑色か! やべえ、やべえ』
リューク本人が逃げるために一手、その隙をロイドは的確についた。ロイド配下のエルフが、リューク配下のトロルを攻める。
善戦するものの、しかしロイドのチームは次第に苦しくなってきた。防御の手ばかりが多くなり、リュークとフランの攻撃を凌ぐだけで精一杯になる。
『一気に決めるぜ! 覚悟しな、ロイド!』
勝利を確信したのか、リューク本人が勇み足で突出した。
ゲームを始める前、アスタロッテが予想した通りの展開になっていく。
「ほらね? あいつ、絶対に自分でロイドをやっつけにいくって、言ったじゃん?」
リュークは赤で、ロイドは青。マスター同士の戦いになれば、リュークが勝つ。
『あなたの味方ってわけじゃ、ないんだけどねっ!』
さらにフランがミノタウロス(赤)を差し向けると、ロイドは窮地に追い込まれた。捨て身同然でロイドに肉薄したリュークが、カードを叩きつける。
『おらあっ!』
『うわ! こ、ここまでか……』
マスターのロイドが敗れたことで、ロイドの配下も全員が戦闘不能扱いとなった。その中に隠れていたフランのサイクロプス(緑)が、すかさずリュークの背後を取る。
『げえっ? おい待て、対応が早すぎだろ!』
『待ってあげないわよ!』
すでに消耗していたリュークは、サイクロプスの一撃に耐えられなかった。
ウォーゲームはフランの勝利。フランはアスタロッテと軽快なハイタッチを交わす。
「やったじゃん! ナイスよ、フラン!」
「ふふっ! あなたの演技が上手くはまったおかげよ」
ロイドの敗因は、偽の情報に踊らされたこと。リュークの敗因は、ロイドとの直接対決に拘ったこと。おかげで付け入る隙があった。
マスターの三人は中庭に集合する。ふたりの王子は地べたに腰を降ろしていた。
「君のことだから、僕に直接挑んでくるとは思ってたんだ。だけどまさか、ひとりでああも豪快に乗り込んでくるなんて……」
ロイドは素直に負けを認め、リュークの戦法を称える。
リュークも嫌味を吐かず、余韻に浸っていた。
「途中で見つかったら、やばいのは俺のほうだったんだけどな。ペガサスどもの目には苦労させられたぜ。同じ手はもう使えねえな」
「お疲れ様、ふたりとも」
ふたりの語らいが微笑ましくて、フランの表情も緩む。
審判を務めた賢者が、空からゆらりと降りてきた。
「三人でやると、盛りあがるのう。迷宮にはわしとフランしかおらんかったからな」
「あたしが有利だったところはあるわね。ウォーゲームには慣れてるもの」
初めてにしては善戦したリュークとロイドが、満足そうにはにかむ。
「しょうがねえな。いいぜ、お前の勝ちで」
「しかし、なんだ……目的も忘れて、夢中になってしまったね」
指揮官同士が和やかな雰囲気になっては、エルフ族とトロル族がいがみあうことも不可能だった。わだかまりは感じさせるものの、当事者が握手で和解を成立させる。
「……今回ノ件ハ済マナカッタ」
「こちらこそ。言いすぎてしまったようで、申し訳ない」
揉め事は無事に落着となった。
座り込んでいたロイドとリュークが腰をあげる。
「さて……編成をやりなおさないと。今ので塔が空っぽになってしまったし」
「俺もだ。全員、地下に戻さねえと……ん?」
ところが天界の前線基地となっていた塔の門前には、ミノタウロスとサイクロプスが仁王立ちで構えていた。フランはその中央に立って、王子たちに謝っておく。
「ごめんなさい。もう知ってると思うけど、あたし、悪い子なの」
ロイドは目を点にし、リュークは青ざめた。
「……なんのことだい?」
「お、おいおい、嘘だろ……」
フランの目的は、ツォーバ城を天界と魔界の双方から取り戻すこと。
実はゲームにかこつけて、ロイドとリュークの兵を退かせるのみならず、自軍の勢力圏を広げることにも成功した。すでに地下のフロアにもフランの配下が陣取っている。
リュークは苦悩のあまり頭を抱え、のけぞった。
「そんなのアリかよ? 今までの苦労が全部、水の泡じゃねーかっ!」
「最初からこれが狙いだったというのかい? 君は……」
ロイドも面食らったようで、『やられた!』と自ら額を叩く。
「にひひ、残念でしたー。このお城はもうフランとアタシのモノなんだから」
「ヒャッヒャッヒャッ! 言っておくが、わしの入れ知恵ではないぞ」
ウォーゲームに応じ、部隊を引きあげさせたのは、ほかならない王子たちだった。彼らは主神や冥王に叱られるかもしれないが、それはフランの与り知るところではない。
そもそも天界、魔界ともに、ツォーバ城を不当に占領しているも同然で、ツォーバ国民の反感を買っていた。事を荒立てずに軍を退く、いい機会にはなるはず。
しかしリュークはへそを曲げてしまった。
「やっぱり油断も隙もねえな、てめえ。ネクロマンサーの弟子ってだけはあるぜ」
「さすがにこれは、ね……僕は騙されてばっかりじゃないか、君に」
ロイドも腕組みを深め、納得いかない面持ちでいる。
フランにも罪悪感はあった。ツォーバ城を取り戻すためとはいえ、彼らを言葉巧みに騙したことには変わりない。
「それじゃ、お詫びにあたしの手料理をご馳走するわ。約束してたでしょ?」
ロイドとリュークは顔を見合わせ、『それなら』と頷いた。
「負けたのは僕らだし、よしとしようか、リューク」
「だな。もう揉めるのも面倒くせえ」
フランは愛らしいガッツポーズを決め、にこやかな笑みを弾ませる。
「期待しててね、ふたりとも!」
夕食の支度をするため、フラン=サモナーは厨房でエプロンをまとった。上機嫌に鼻唄を歌いながら、食材をてきぱきと仕分けていく。
手伝いを申し出たアンナはしかし、顔面蒼白になっていた。
「フラン様? あのぉ……」
「なぁに? あ、そっちのお塩、取ってもらえるかしら」
今夜のメニューはお爺ちゃんも大好きな、イモリの蒲焼き。コウモリ肉のソテーと、暗黒トマトのサラダも仕込みに入る。
「うん! いい香り」
様子を覗き込んでいたらしいロイドたちが、血相を変えて躍り込んできた。
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ! 正気なのかい、フラン?」
「そんなもんを俺たちに食わせる気か? おかしいって、気付け!」
叱られる意味がわからず、フランはきょとんとする。
「まだできてないわよ? 気が早いわね、もう」
「そ、う、じゃ、ね、え! だーもう、お前は料理すんな!」
リュークの怒号が木霊した。
ロイドがぎこちない素振りで、相方の肩に手をまわす。
「や、やっぱり僕たちで作るよ。なあ? リューク」
「お……おう。それがいいな。負けちまったんだもんな、俺たち」
イモリを掴みながら、フランは首を傾げた。
「……?」
あとでアンナに教えてもらったところ、フランの料理は『ゲテモノ』に分類されるらしい。人間ではない祖父と同じ発想で作れば、そうなるのも当然だった。
☆
雨が降った次の日、フランは中庭の花壇で、花を育てることに挑戦していた。湿った土を掘り返し、チューリップの種を植えていく。
「これくらいでいいの? ロイド」
「うん。あまり深すぎても、芽が出てこられないからね」
ロイドが丁寧に教えてくれるおかげで、作業はスムーズに進行した。
リュークが気怠そうに肥料を抱え、戻ってくる。
「女は好きだよな、こういうの。まあ、料理されるよりはマシだけどよぉ」
「この間のは悪かったわよ。あれが普通だと思ってたんだもの」
ずっと迷宮に住んでいたせいで、フランには世間一般の常識が欠けていた。祖父の教育が偏っていたせいもある。
花を育てるだけでも新鮮で、ひとつひとつが勉強になった。
「女王になるってのは、あとまわしだな。まずは人並みの感性を身に着けようぜ」
「あなたにそう言われちゃうと、釈然としないわね」
フランは軍手を汚しながら、土を盛っていく。
ウォーゲーム以降、目立った小競り合いはなかった。ロイドとリュークがそれなりに打ち解けたことで、配下の間にも、穏便に済ませようというムードが広がっている。
ロイドやリューク直属の配下は、城内のわずかなスペースに留まることになった。クレハ女王の面目を保つ形になり、ツォーバの民も納得している。
初春の風にブロンドの髪を靡かせながら、ふとフランは呟いた。
「こんなふうに穏やかでいたいわね」
リュークとロイドも雨上がりの空を見上げる。
「暇すぎるのも困りもんだが、そいつも悪くねえな」
「釣りにもすぐに飽きる、君が言うのかい?」
地上には暖かい春が訪れていた。
★
長らく語り続けていた骸骨が、急に押し黙る。
聞き手の姉妹に遠慮し、手をつけていなかった煙草に火が灯った。
「少しだけ勘弁しておくれ、ふたりとも。ふう……」
肺がないのだから、煙草を吸う意味もない。しかしまだ肉体が健在だったころ、自分はこうして気分が沈むと、煙草を燻らせていたような気がした。
それくらい自身の記憶はおぼろげなのに、フランのことはよく憶えている。
心臓もない胸にあるのは、寂しさなのか。それとも懐かしさなのか。ひとの親とはこのような気持ちになるのだと、初めて知った。
なんと未熟なことか。これで英雄譚を書きあげようなど、笑わせる……。
そんな自嘲を噛み締めながら、彼は煙草の火を消す。
「さて……フラムツォバの王女たちよ。ここまでの感想はいかがかな?」
姉妹は頷きあうと、物語の続きを催促してきた。掴みは上々。
古き賢者は語り手としての自信を少しだけ取り戻し、髑髏の顔でほくそ笑む。
「よかろう。では……」
その物語に胸を躍らせているのは、むしろ自分かもしれなかった。
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