トライアングルサモナー ~召喚士の恋人~
プロローグ フランの子どもたちへ
本を読むには少し暗い、古びた書斎があった。
書斎の主は揺り椅子に腰掛け、パイプを燻らせている。その顔には肉がついておらず、目玉もなかった。呼吸さえしていないため、煙草が煙を吹くこともない。
それでも彼(もはや男女の区別もつかないが)は、暇さえあればパイプを咥えた。窮屈な書斎で煙草を噛んでいれば、愛書家に見えるらしい。
陽の光の届かない地下にあっては、一日の始まりと終わりを知る術もなかった。書斎の主はいつしか自分の名前も忘れ、魔導の研究にのみ没頭している。
ところが、いつからか『気まぐれ』を起こすようにもなった。最近は昔の出来事を書きため、誰に読ませるでもなく作家を気取っている。
しかし文章を書き起こす作業は一向に捗らなかった。数百年もの時を生き続け、あまねく叡智を積み重ねてきた自分でも、できないことはある。
世の小説家とは、なんと暇人であることか!
今までは彼も『暇人』であることを自負していたが、上には上がいた。寿命に限りある人間に、こうも上を行かれるとは。とはいえ悔しさはなく、尊敬の念が込みあげる。
そんな彼のもとへ、一組の姉妹がやってきた。自分たちの遥かな祖先――『フラン=ツォーバ』の物語に興味があるという。
それこそ彼が書きあげようとしていた、史上最高の英雄譚だった。
だが、彼は同時に諦観もしていた。フランの生き様は、別に英雄のそれではない。
おそらくごく普通の女性の人生を、意図的かつ恣意的に『英雄』として描こうとするから、執筆が行き詰まってしまったのだろう。
彼は煙草を消し、姉妹に席を用意した。温かい茶も淹れてやる。
「おぬしらに話せば、わしの構想もまとまるじゃろうて」
彼女らとともに今一度、最愛の娘を思い出そうか。それが心躍る英雄譚なのか、ひとりの少女の恋物語に過ぎないのか。その判断を、目の前の姉妹に委ねてみるのも面白い。
古の賢者は髑髏の顔に笑みを浮かべた。
★
天界と魔界の大戦は、狭間にある地上を舞台として、百年近くも続いていた。
天界は主神を長とし、天使たちが秩序ある世界を作ろうとしている。
魔界は冥王を長とし、悪魔たちが混沌の世界を作ろうとしている。
両者は決して相容れることなく、闘争に明け暮れていた。
ところが、天界の王女ミーシャと魔界の王子ジニアスが恋に落ちた。やがてふたりは地上に住む、生きとし生ける者らのリーダーとなって、第三の勢力を立ちあげた。
天界にも魔界にも屈することなく、地上の独立を目指す、いわば『中立』の勢力を。
しかし魔界の令嬢が放った一本の矢が、王子ジニアスの胸を貫く。
ミーシャもまた、赤子を守りながら、ジニアスとともに天の雷に焼かれた。
「なぜ……なぜ我々が、ただ生きることさえお許しにならないのですか!」
血のあぶくを吐いてなお、若き母親は叫ぶ。
「私とジニアスの命を差しあげます……だから、お父様、そして冥王よ、どうか! この子には生きる権利をお認めください!」
その手が最期の力を振り絞り、生まれたばかりの赤子を掲げた。
「この子だけは……フランを……ころ、さ、ないで……」
ミーシャの頬に涙が流れる。
若き母親の愛情と執念を目の当たりにして、天界も魔界も攻撃の手を止めた。娘たちの所業に憤怒していた主神と冥王も、この瞬間は、悲しみを抱いたのかもしれない。
もはや赤子に手を出せる者はいなかった。
しかし貪欲にして聡明な主神、冥王のふたりは、即座にその赤子の価値を見極めた。
フランという赤子は、天界と魔界、双方の王家の血を引くサラブレッド。そして主神も冥王も、フランの祖父として、彼女を引き取る権利がある。
「娘の想いを無駄にはできん。フランはわたしが責任を持って……」
「何を言う! あの子は魔界の次代を担うに相応しい。ここはおれが……」
だが最初に赤子に触れ、抱きあげたのは、髑髏の賢者だった。
「ヒッヒッヒ! 見ておるだけのつもりじゃったが、このわしも、ミーシャの叫びには心とやらが動いてしもうてのう。残念じゃが、この子はわしがいただく」
名前すらない彼は、絶大な力を持ちながら、天界にも魔界にも属さない。そんな骸骨のことを、主神は『ウォーロック』と、冥王は『ネクロマンサー』と呼んでいた。
「ウォーロックよ! 孫を返せ!」
「ネクロマンサーめ! 立場を弁えろ!」
主神らの憤怒をよそに、賢者の嘲笑が木霊する。
「笑わせよる! ほんに笑わせよるのは、おぬしらよ。この子の父と母を殺しておきながら、祖父気取りとはの。ますます渡すわけにはいかんなぁ」
彼の言葉は主神、冥王の醜い虚栄心を正確無比に射抜いていた。
ウォーロックないしネクロマンサーの力は強大であり、勇猛な冥王でさえ戦いを避けている。それだけに賢者の言葉には真実味があり、彼らのプライドは傷つけられた。
「おのれ……っ! 世の理から外れておいて、なお、邪魔立てをするか!」
「地下迷宮で眠っておればいいものを……忌々しいやつめ」
怒り心頭になりつつある両者に、賢者が提案する。
「十六年ほど待て。フランの運命を決めるは、フラン本人じゃ。この子が主神を祖父と認めればよし、冥王を祖父と認めればそれもよし。……どうじゃ、お爺様がたよ」
主神も、冥王も、賢者のアイデアを飲むほかなかった。
もとより百年も争いを続けているせいで、消耗が激しい。力押しの戦争には互いに限界を感じていることもあった。
「ふむ……よかろう、ウォーロック。その子に免じ、地上には十六年の猶予をやる」
「十六年後を楽しみにしているがいい。十六年後をな……ククク」
祖父らの野望も知らず、幼子は安らかな寝息を立てている。
「これよりしばらくは、わしが親代わりじゃ。よろしくな、フランよ」
人知を超えた賢者にとって、初めての育児だった。
第1話 邂逅
地上に住んでいるのは動物や人間だけではなかった。いわゆる『モンスター』と恐れられる者たちも、地上の一員として暮らしている。
賢者の住まいでもある地下迷宮は、モンスターだけが出入りを許されていた。
地下とはいえ、暗くじめじめした場所ではない。さながら宮殿のような回廊が四方に伸び、壮麗な玄室が配置されている。
だが見た目の荘厳さとは裏腹に、侵入者を排除するためのトラップが、そこかしこに仕掛けられていた。現に多数の冒険者が迷宮に挑み、凶悪なモンスターに迎えられた末、全滅の憂き目に遭っている。
そんなモンスターたちの中に、ひとりだけ人間の少女がいた。
「ミノタウロス! サイクロプスに攻撃よ!」
今朝は育ての親である『お爺ちゃん』と、最後の陣取りゲームに興じている。
お爺ちゃんこと骸骨の賢者は、その一手に敗北を悟った。
「ぬう……わしの負けじゃ。やるようになったのう、フランよ」
「ちょっとヒヤっとしたけどね。もうお爺ちゃんに負けっ放しじゃないんだから」
ゲームの勝利を実感し、フランは笑みを弾ませる。
フラン=サモナーは生まれて間もなく、地下迷宮の賢者によって保護された。天界の王女と魔界の王子との間に生まれたらしいが、ふたりはすでに亡くなっている。
髪は母譲りのブロンドで、碧い瞳は父親のもの。どちらかといえば母親のミーシャに似ている、と育ての親は言う。
賢者はフランを書斎へと招くと、彼女の左手にある指輪の封印を解いた。
「お前の力を抑えておく必要も、もうあるまい。好きに使え」
フランは首を傾げながら、すっきりした薬指を見詰める。
「今日で約束の十六じゃ。わかるな?」
「うん……」
十六歳になる今日は、旅立ちの日でもあった。
天界と魔界は現在、休戦の状態にある。この十六年、小競り合いはあったものの、地上が戦火で焼かれることはなかった。
ただしそれも、フラン=サモナーが十六歳を迎えるまでの約束事に過ぎない。
天界の主神はフランに女神となることを、魔界の冥王は魔王となることを、そして地上の民は独立の維持を望んでいた。フランの決定は世界のバランスを変える。しかし世情に疎いフランには、三者三様の言い分がよくわからなかった。
むしろ外の世界になど関わらず、このまま祖父と一緒に暮らしていたい。
「帰ってきても、いいんでしょ?」
「構わんよ。この迷宮はお前にもやれんがな」
とにもかくにも自分の双肩には、地上の命運とやらが掛かっていた。フラン自身、外の世界にまったく興味がないわけでもない。
「安心せい。しばらくはわしも同行しよう。一応、当事者じゃからの」
「ありがとう、お爺ちゃん」
フランは気持ちを前向きに改め、顔をあげた。この日のために用意しておいた、翡翠色のドレスを身にまとって、たおやかなラインを調える。
「うむ、似合っておる」
「……お母さんに似てるかしら?」
「いいや、まだまだ。おぬしの母親は最高の女なんじゃぞ」
しゃれこうべの賢者はカタカタと笑いながら、フランの金髪を丁寧に結いあげた。数百年も生きていれば、可憐なヘアアレンジくらい造作もないらしい。
「荷物は下僕に持たせるとよい。多くなるじゃろうしな」
「じゃあ、ミノタウロスにお願いするわ」
サモナーという名には『召喚士』という意味があった。この十六年、賢者から魔導を学んできたおかげで、フランは大抵のモンスターを召喚し、使役することができる。
ミノタウロスは頭部が牛で身体は人間という、半獣人のモンスターだった。背丈は2メートル以上もあり、筋骨隆々とした体格で、巨大な斧も軽々と振るう。
「ンモォー」
「ふふっ、頼りにしてるわよ」
言葉は通じないものの、意思の疎通はできた。このミノタウロスはフランのボディーガードを自負し、すっかり気分をよくしている。
フランはミノタウロスと祖父を連れ、迷宮の出口を目指した。
「外に出るのは久しぶりね。前はすごく寒かったけど……」
「そろそろ暖かくなっとるよ。お前の好きな花も、たくさん咲いておろう」
冒険者たちには知られていないエレベーターを使って、浅い階層まで直行する。数ヶ月前にも侵入者がいたらしく、回廊の端にはいくつか白骨が転がっていた。
祖父も骸骨のせいか、フランは人骨にさほど驚かない。とはいえ無関心にもなれず、死者を弔いたいくらいの感受性はあった。
「お墓を作ってあげなくちゃ」
「留守番してる連中に任せておけ」
亡骸の傍に落ちていたロングソードを、祖父が手に取って眺める。その柄には魔界のものであることを示す、翼竜ワイバーンの刻印があった。
迷宮は地上の各地にあり、いくつかは魔界と繋がっているらしい。おそらく魔界の冥王がフラン=サモナーを求め、探索を命じたのだろう。しかし未だ、祖父の迷宮を突破できるほどの猛者は現れていない。
「わしの迷宮をほかと一緒にされては困るな。フフフ……」
賢者は髑髏の顔にしめしめと笑みを含めた。しゃれこうべであっても、陽気に笑っているのが、娘のフランにはよくわかる。
「楽しそうね、お爺ちゃん」
「そうとも。十六年前の悲劇が、今日より喜劇に変わるかもしれんのじゃから。そして涙と笑いは表裏一体であることが知れよう」
祖父の台詞は時に抽象的で意味深だった。不意に話の腰を折ることも多く、まったく意味がない言いまわしもあって、その真意を掴むのはフランでも難しい。
「はてさて、フランよ。おぬしの望みは父と母の復讐か?」
「……あんまり考えたことがないわ」
母ミーシャと父ジニアスが亡くなった経緯は、幼い頃から聞かされていた。しかし会ったこともない両親の話をされても、ぴんと来ない。
ただ、天界の主神にも、魔界の冥王にも、易々と恭順するつもりはなかった。彼らが父と母の仇であることは変わらず、受け入れられないものがある。
「お爺ちゃんはあたしにどうして欲しいの?」
「わしはこれより傍観者じゃ。おぬしの好きにするとよい。好きに、な」
育ての親の放任ぶりに、フランは肩を竦めた。もし天界や魔界を相手取って戦うことになっても、この骸骨は陽気に笑っているに違いない。
「そろそろ外じゃな。では、わしはおぬしの影に隠れていよう」
賢者の姿は液体のように溶け、フランの足元に沈んだ。
護衛のミノタウロスとともに迷宮を出て、フランは数か月ぶりの陽光を浴びる。
「眩し……っ!」
迷宮の出入り口は深い森の中にあったが、今は太陽がちょうど真上で輝いており、目が眩んだ。明るさに目が慣れるのを待ってから、あたりを見まわす。
青い空にはうっすらと雲が掛かっていた。一羽の鳥がフランの頭上を横切っていく。
ミノタウロスが南西を指した。
「ンモォー」
「そうね。村に寄っていきましょうか」
森を出たところにネーデという小さな集落がある。フランは季節ごとにそこまで出向いて、服などを調達していた。
この一帯は『ツォーバ王国』という小国家の領土らしい。天界にも魔界にも属さない中立国として、賢者の計らいもあり、かろうじて独立を保っている。
フラン=サモナーが十六歳になったら、ツォーバの王城に現れることは、主神も冥王も知っているはずだった。遅かれ早かれ、彼らからのコンタクトがあるに違いない。
影の中にいる祖父の声がした。
(もっと下僕を召喚しておけ。ウォーゲームで教えたじゃろう?)
「わかってるわよ。ミノタウロスだけじゃ厳しいものね」
フランと祖父でしか会話できず、ミノタウロスが不満そうにむくれる。
「ンモォー?」
「そうじゃないってば。飛べる子や、足の速い子だって必要でしょ」
これまでは地下迷宮に秘匿されてきたフラン=サモナーだが、今後はいつどこで天界や魔界の軍勢と遭遇するとも知れなかった。戦うつもりがなくとも、戦力はいる。
旅立つ時は同行したいという、ひとびとやモンスターの心当たりもあった。まずは南西のネーデ村で、情報収集から始めることにする。
陽が暮れる前には、フランたちは集落へと辿り着いた。全長が3メートルはあるロック鳥が頭上を周回し、敵の有無を確かめる。
ここの村人はフランの素性に薄々勘付きながらも、知らぬ存ぜぬに徹してくれた。
ゾーフィ村長は屋敷の中庭で、モンスターとチェスを打っている。
「ぬぬぅ、そう来たか」
「詰メガ甘イノダヨ、ぞーふぃ」
彼らは近隣に住む『ゴブリン』という小鬼の種族だった。大戦の最中は泥棒紛いのことばかりしていたが、フランの仲介もあって、今では村人と友好的な関係を築いている。
特に族長のタスとゾーフィ村長は親密で、たびたび盃を交わしていた。
「んもう、ふたりとも? こんな時間から飲んでるの?」
「ンモォー」
フランとミノタウロスが呆れつつ割り込むと、ゴブリンのタス族長が破顔する。
「ふらんデハナイカ! ソウカ、イヨイヨ打ッテ出ルノダナ」
「戦いに行くわけじゃないんだけど」
人間のほうのゾーフィ村長も頬を緩めた。
「そろそろ頃合いだと思っとったよ。あれから十六年が経ったか……」
この村に限らず、フラン=サモナーの出立は大きな噂となっているらしい。その大半は地上が天界や魔界に比肩し、第三の世界として確立される、という期待だった。
「村の若い衆も、お前と行きたいと言っておってな」
「ワシノ部下モ連レテイケ。地上ノ独立ダ何ダト、ウルサクテカナワン」
ゴブリンの戦士団など、同行を志願してくる者も多い。
無論、安全な旅になる保証はなかった。フランを狙い、刺客が差し向けられる可能性もある。だからこそ勇敢な者はフランを守るべく、盾となる決意を示してくれた。
「……本当にいいのかしら」
それだけの価値が自分にあるとは思えず、フランは視線を落とす。
「気ニ病ムコトハナイ。オ前ハオ前デ、自分ノ思ウヨウニスレバヨイノダ」
「そなたが天界に恭順するなら、我々もそうしよう。魔界でも然り。……まあ、若い連中はなんだかんだと騒ぎ立てるかもしれんがのう」
ゾーフィ村長は諭すように呟きながら、チェス盤の駒を片付けた。勝っていた勝負を台無しにされ、タス族長が声を荒らげる。
「ヌヌッ、ぞーふぃ! 分ガ悪クナッタカラトイッテ!」
「おおっと、手が滑ってしまったかな?」
老人たちの暢気な漫才に、フランは笑みを綻ばせた。
「ありがとう、ふたりとも」
「うむ。そなたは笑っておるほうがいい」
今夜は村に泊まり、夕食をご馳走になることに。
村人たちの厚意もあって、地下迷宮ではろくに揃えられなかった旅の道具も、一通り目処がついた。ゴブリンの戦士だけでなく、人間の若者も数名が加わる。
のちに『反乱軍』と呼ばれる一大勢力の原型だった。
☆
翌朝、太陽が東の空で少しずつ輝きを増していった。木々の向こうから徐々に明るくなり、ネーデ村の鶏が鳴き始める。
旅支度を終え、ツォーバ王国の城へと向かう朝が来た。
ところが、上空で警戒に当たっていたロック鳥が、慌ただしく降りてくる。
「……白い軍勢がこっちに来てる?」
フランは表情を引き締めた。
ツォーバ王国にフラン=サモナーが現れることに先立って、すでに天界が派兵をおこなったらしい。表向きは『フランの保護』と言いつつ、領内を我が物顔で巡回している。
魔界に比べ、天界はモンスターを毛嫌いする傾向にあった。ゴブリン族は問答無用で討伐の対象にされかねない。
「またやつらか。タスよ、お前たちは隠れたほうがいい」
「ワシトテ、オ前タチニ迷惑ヲ掛ケタクハナイ。ダガ……今ハふらんガイルノダ。我々ガふらんノ兵デアルコトヲ、証明セネバナルマイ」
ネーデ村は緊迫感に包まれた。いつもならゾーフィ村長が天界軍を出迎え、適当にあしらって済ませるようだが、今朝は事情が違う。
フランにだけ賢者の声が聞こえた。
(こんな辺境に来おったんじゃ、大した数でもあるまいて。少し驚かせてやろう)
「わかったわ。あたしたちは村の外で待ちましょ」
フランの一行は村を西に出て、小高い丘へとあがった。
西のほうは草原が広がっており、遥か遠くには、なだらかな山の連なりが見える。
「ンモォー(あれだ、フラン)」
その草原を突っ切って、こちらに向かってくる一団がいた。白い鎧と大きな盾で身を固めた、神々しい見目姿の騎士団は、天界の軍勢に相違ない。
先頭に立つのは、青空によく似た色の髪の、若い騎士だった。雄々しい白馬に跨り、分厚いマントを旗のように靡かせている。
「二、三十人くらいね。お爺ちゃん、どうするの?」
(フフフ。考えるのはわしじゃが、それをやるんは、お前じゃぞ)
フランはひとまず丘の陰に身を潜めた。賢者直伝の魔法を用いて、ゴブリンたちの鎧を革製のものから、一時的に黄金へと変化させる。
天界の騎士団が丘を見上げるタイミングに合わせて、ゴブリンの軍勢は一斉に仁王立ちとなった。騎士団が慌てて馬の手綱を引く。
「な、なんだっ? これほどの数のゴブリンが、どこから?」
その数は百を優に超えていた。実際は二十程度に過ぎないが、これもフランが魔法で、あたかも大軍のように見せている。
大柄な騎士のひとりが声を張りあげた。
「どういうつもりだ、貴様ら! 我々を天界の使徒と知ったうえでの……」
『黙れっ!』
臨戦態勢を取りつつある彼らに対し、何者かがぴしゃりと言い放つ。
『ツォーバ王国は天にも魔にも属しておらぬ。我らの主にして、正統な支配者が治める、聖なる大地なり。若者よ、すぐに兵を退け』
賢者の声は怒号のように響いた。
黄金で武装したゴブリンらが、完璧に統率された動きで槍を掲げる。戦うまでもなく、その練度が歴戦の勇士並みであることは、騎士たちの目にも明らかだった。
「野盗崩れのゴブリンが、兵団を組織するなど……」
『領土侵犯を犯した貴様らに、賊扱いされる謂れはない!』
ゴブリンが雄叫びをあげると、騎士団がたじろぐ。
しかし青い髪の青年だけは、驚きつつも、ゴブリンの群れに誠意を見せた。
「非礼は詫びましょう。ですが、我々にも重要な使命があるのです。フラン=サモナーという少女をご存知なら、教えていただきたい」
『ほう? 我らが偉大なる主を、呼び捨てにするとは』
「……あるじ?」
ゴブリンの陣形が左右に分かれ、ひとりの少女に道を空ける。
「初めまして、天界の騎士様」
ブロンドの髪を靡かせる、その麗しくも可憐な姿に、彼は目を瞬かせた。
「もしかして、君が……フラン=サモナーなのか?」
「ええ。あたしがそうよ」
フランが左手で制するだけで、ゴブリンたちは即座に槍を降ろす。
「間違いない。ウォーロックの召喚術だ……」
モンスターを意のままに操る、賢者の知恵。それをフランはまざまざと見せつけ、天界の騎士団にも畏怖の念すら抱かせた。
「お望みなら、ここでドラゴンも呼んでみせようかしら?」
「いや、遠慮する。……そちらも戦う意志はない、と考えていいんだね?」
「あなたたちが戦おうとしない限り、ね」
フランはミノタウロスとともに丘を駆け降りる。
彼はフランの前で片膝をつき、紳士らしい会釈のポーズを取った。
「お初にお目に掛かる、僕はロイド=イズリース。君とそう歳は変わらないはずだから、気軽にロイドと呼んでくれないか」
「あたしはフラン=サモナーよ。よろしく、ロイド」
「こちらこそ! フラン」
ロイドの屈託のない物腰に、フランも表情を緩ませる。
フランの影となっている賢者が『ふむ』と感心した。
(この男、物怖じせんな。単なる馬鹿かもしれんが……あくまで友愛を信条とする、天界の騎士様っちゅうわけじゃ)
「友愛を信条にしてるのに、戦争なんかするの?」
「え? 何のことだい」
祖父にだけ話したつもりの言葉を、フランは適当にはぐらかす。
「なんでもないの、気にしないで」
「まあいいさ。それより、ツォーバの城に行くんだろう? そこまで、僕たちに旅の護衛をさせてはもらえないかな」
気の早い申し出には、少なからず天界の意図を感じた。
魔界を出し抜きつつ、キーパーソンであるフランを手中に収めたいのだろう。護衛や保護という表向きは友好的な言葉も、その真意は『独占』に近い。
あえてフランは首を傾げた。
「……護衛って、あなたが? あたしの?」
「そうだよ。僕は槍の名手でね、天界では敵なしさ」
ロイドが背丈ほどある槍を構え、ひゅんっと空を切る。
ところがミノタウロスは、さらに大きな斧を軽々を振りあげた。重量と遠心力が合わさった重たい一撃が、地面をガラスのように砕く。
ドガンッ!
ミノタウロスの剛力を目の当たりにして、ロイドは口元を引き攣らせた。
「こっちの彼、あたしのボディーガードは自分しかいないって思ってるの。あたしも信頼してるし……だからね、ごめんなさい」
「い、いや! どうして僕が交際を断られたみたいになるんだ?」
ロイドの真剣な慌てぶりが痛快で、フランは笑みを浮かべる。
「ふふっ! 冗談よ」
ここで彼を拒絶する選択肢もあった。だがいずれ、何らかの形で天界と関係を持つことは避けられないだろう。ロイドとの親交は、主神の思惑を探る手がかりにもなる。
「お城まで一緒に行きましょ」
「本当かい? 案内は任せてくれ」
ロイドはほっとしたように息をついた。白馬に跨り、愛用の槍をホルダーに嵌める。
「もちろん、いざという時は僕も、信頼に足る働きをしてみせるよ。主神より授かった、このグングニルの槍でね」
フランの影が感嘆の声を漏らした。
(なんと、グングニルとはな。ふむ……ただの青臭い男ではないようじゃ)
しかしフランとしては、彼の力よりも、彼の人柄に興味を引かれる。
男のひとなのに、すごく綺麗……。
爽やかな顔つきと、穏やかでいて上品な立ち居振る舞い。格式の高い騎士服も整然と決まっており、純粋に『素敵』だと感じた。
「僕の顔になにか?」
「あ、ううん。どこかで会ったことがあるように思えて……」
無意味な言い訳のつもりだったが、ロイドは『そうだね』と頷く。
「君と僕はいとこなのさ。君のお母さん……ミーシャ様は、僕の伯母で」
「いとこって、キョウダイみたいなもの?」
「それに近いよ。上手くやっていけるさ、僕らは」
自分に血縁者がいるという事実が、しっくりとはこなかった。母ミーシャも、父ジニオスも、フランにとっては話に聞いただけの存在でしかない。そんな両親に弟や妹がいて、さらに息子や娘がいると言われても、違和感ばかり膨らむ。
あたしの家族はお爺ちゃんと、迷宮のみんなだもの。
「僕の後ろに乗るといいよ、フラン」
「馬なら友達がいるから」
ロイドの白馬には同乗せず、フランは召喚の魔方陣から、より清らかな色合いの馬を呼び出した。額には大きな角が生えている。
「……ユニコーンか! 森の泉に住むという、伝説の……」
「え? ええ、まあ」
ユニコーンには神聖な獣のイメージがあるらしい。しかしフランは、この馬が畑のニンジンを勝手に食い荒らすような、困ったやつであることを知っていた。フランじきじきの騎乗は、実はお仕置きも兼ねている。
「気難しいのよ、この子……。あたし以外には懐かないから、気をつけてね」
「ははっ。男性を嫌うというからね、ユニコーンは」
笑いかけてくるロイドから、ユニコーンはぷいっと顔を背けた。
ミノタウロスは猪の怪物ゴルゴンに跨り、手綱を握る。ほかの下僕も、馬がある者はそれに乗り、ない者はフランの魔方陣へと戻った。
「さあ、お城に行きましょ!」
フランのユニコーンがいの一番に駆け出す。
「なんという速さだ……」
「ンモォー(とろくさいやつらめ)」
次に続いたのはミノタウロスのゴルゴンで、ロイドたち天界騎士団は遅れた。
やがて陽も暮れる。
フランの一行は手頃な宿場で馬を休めることに。
「ここまで来たのは初めてだわ」
かつてこの草原で馬を馳せた遊牧民が、一定の距離ごとに宿場を設けたらしい。その名残が今なお、東西を行き交うひとびとの休憩所となっていた。
「ツォーバ城まで、まだ三日くらいは掛かるかな? 雨が降らなければね」
ロイドが青い髪をかきあげ、夜空の三日月を眺める。
宿は空き部屋が少なく、人数分はなかった。ロイドの厚意もあって、フランだけ部屋を借りさせてもらう。
ロイドたち天界騎士団は野宿のため、厩舎の近くで火を焚いていた。そこから余所余所しいくらいに距離を空け、ゴブリンたちも寛いでいる。
一緒に……とはいかないのね。
騎士団もゴブリンも、互いに悪いイメージしか持っていないようだった。野盗などと同じにされては、ゴブリンも不愉快に違いない。
フランはミノタウロスとともにロイドら騎士団のグループに割り込んだ。ロイドがパンを頬張りながら、指差しで部下に『席を空けてやれ』と指示を出す。
「君も食べなよ。こんなものしかないけどね」
「ありがとう。いただくわ」
ロイドのパンは冷めきっているものの、焼き立てのような香ばしさがあった。表面はぱりっとしていて、中はふわっと柔らかい。
「ロイド王子が焼いたんですよ。美味しいでしょう?」
「これを、ロイドが?」
パンの出来栄えに驚きつつ、フランはロイドが天界の王子であることを、今になって認識した。母のミーシャが王女だったのだから、その血縁者も王家の系譜に連なる。
「あなた、天界の王子様なんでしょ? ペガサスには乗らないの?」
「妹が乗りまわしてるんだ……はあ」
ロイドはやれやれと肩を竦め、赤い焚火を覗き込んだ。
「フラン=サモナーって、もっと取っつきにくい女性を想像していたよ。でも妹とそんなに変わらないんだね、君は」
「……取っつきにくいって、どんなふうに?」
「例えば、こう……自分勝手だったり、傲慢だったりして。贈り物なんかを要求してくるんじゃないかと」
色男の発言にフランは呆れ、じとっと瞳を細める。
「ふぅん。恋人が多そうね、あなた」
「ち、ちょっと待ってくれ? 君は僕を誤解してるよ!」
ロイドの慌てようを愉快に感じてしまった。
耳年増な友達によれば、王子というのは『女たらしの優男』が定番らしい。ひょっとすると目の前のロイドも、多くの女性を泣かせてきたのかもしれない。
恋愛って、よくわからないわ。
フランは自分の分のパンを平らげ、温かいココアを啜った。
「ツォーバ城に着いたら、手料理をご馳走するよ」
「ンモォー(調子に乗るなよ? 若造)」
フランと打ち解けたがるロイドを、ミノタウロスがぎろっと睨む。
ところが不意に夜の空気が変わった。ゴブリンたちは逸早く異変を察知し、すでに守りを固めている。
「ふらん! オカシナヤツガイルゾ!」
「わかってるわ。そっちはお願い」
騎士団はまだ状況を把握できず、うろたえていた。
宿のほうは灯かりが消え、不気味なほど静まり返っている。三日月は雲に隠れ、星の瞬きもなりを潜めた。ただ、目に見えることのない夜風は、やけに音が鋭い。
「ミノタウロス、あなたは後ろをガードして」
「じゃあ、僕らは前を固めよう。お前たちも構えておけ」
ロイドは槍の刃先を下げ、前傾姿勢となった。
フランは陣の中央で魔力を高めながら、召喚モンスターの候補を絞っていく。
(そんな暇はないぞ、フラン)
「え……?」
ばさっと羽根の擦れる音がした。真っ赤に目をぎらつかせた大コウモリが、フランの正面に何かを投げ込んでくる。
「しょっ、召喚、サイクロプ……」
「遅ぇ!」
その影は素早い動きでフランをかっさらい、ロイドの脇をすり抜けた。ミノタウロスはフランを巻き込むまいと躊躇し、すぐに斧を振りおろせない。
「きゃあああっ!」
「黙ってねえと、舌噛むぜ?」
甲高い口笛に応じて、大コウモリは高度をさげた。男はフランを小脇に抱え、コウモリとともに鮮やかに飛び去ってしまう。
「へっ、ちょろいな。天界の騎士ってのはバカの集まりかよ」
数百メートルほど先の川辺で、彼はフランをゆっくりと着地させた。月明かりが水面に広がりつつ反射するおかげで、夜間でも、相手の顔つきや服装は充分に見て取れる。
燃えるような赤い髪と、獣のような鋭い瞳。左の耳にだけピアスをつけ、その笑みは酷薄そうに八重歯を光らせた。
「さあて、どう可愛がってやろうか……」
フランは彼から間合いを取り、召喚術の隙を窺う。
「あなたは……?」
「そう怖がるなって。お前がフラン=サモナー、だろ?」
さらわれたとはいえ、恐怖はなかった。ミノタウロスなら嗅覚でフランの居場所を知ることができるはず。それにフランとて、丸腰ではない。
赤い髪の男は、そんなフランの切り札をあっさりと見抜いた。
「召喚で武器も呼べるみてぇえだな。てめえ、剣の心得があるんじゃねえの」
「……どうしてそう思うの?」
「勘だよ、勘。動きが姉貴と似てやがる」
ずいっと近づいてきて、フランの左手を掴みあげる。
「おそらくてめえは左利きだ」
「くっ……」
読みあいでフランは完全に後手にまわっていた。彼の勘のよさと大胆さに翻弄され、ペースを乱されてしまう。
「別に取って食いやしねえよ。俺と一緒に魔界に来りゃ、それでいい」
「魔界? じゃあ、あなたは魔界の……」
「ああ、俺はリューク=ネヴァーナ。これでも王子様なんだぜ? 地上のお姫様」
その青年こそ魔界の若き王子、リューク=ネヴァーナだった。頭ひとつ分の身長差でフランに迫り、切れ長の瞳に嗜虐の笑みを含める。
「おとなしくしてな。女は黙って震えてるくらい、が……」
ところが、凄む顔つきが急に引き攣った。見てはいけないモノを見てしまったかのように、目を丸くして青ざめる。フランの左手を握る手も汗ばんできた。
「あら、どうしたの?」
フランは平然と首を傾げてみる。その後ろでは影が起きあがり、さながら『死神』の姿となっていた。大振りの鎌を引っ提げ、不埒な男の首筋に刃を添える。
「い、いや……なんつーか、魔界はまたの機会に……」
逆に脅される格好となり、リュークは慄いた。まさかフランが死神に守られているとは思わなかったのだろう。小刻みに震えながら、手も離す。
「わしの娘に何か用か? 小僧」
「ちょ、ちょっと待て! 今のなし、言い方が悪かったんだよな」
美形には違いないリュークの顔が真っ青になった。
フランは笑いを堪えつつ、おどろおどろしい死神が見えていないふりをする。
「さっきから誰としゃべってるの? あなた」
「お、お前……そんなの憑いてんのに、自覚がねえのか? まあそれより……うん、アレだ。ゆくゆくは魔界に招待したいんだが、まずはそう、友達くらいから……」
死神はリュークに頬擦りするほどに迫り、空洞の目を赤々と光らせた。
「ん~? 小僧、わしの声が聞こえておらぬのか?」
「近い近い! わかったって、この女には手ぇ出さねえよっ!」
「わかればよい。ヒッヒッヒ」
おぞましい姿が消えると、リュークは脱力のあまり、尻餅をつく。
「……てめえ、本当はわかってたんだろ? さっきのやつ」
「ふふっ。あたしのお爺ちゃんだもの」
彼はフランをさらい、フランは彼を騙したにもかかわらず、緊張感は解けていた。脅迫で押し切るつもりだったリュークのほうは、拍子抜けしてしまったらしい。
そこへミノタウロスと、ロイドも駆けつけてきた。
ロイドが憤慨し、リュークに槍を向ける。
「貴様っ! フランに手荒な真似をして、ただで済むと思うな!」
「……チッ、天界の野郎か」
水を差されたようにリュークは機嫌を損ねた。懐から黒い刀身の剣を取り出し、それを握るのではなく、頭上に投げつける。
「カラドボルグ! そいつと遊んでやれ!」
リュークの命令に従い、魔剣カラドボルグがロイドに襲い掛かった。闇夜に紛れながら宙を舞い、ロイドの死角から奇襲を仕掛ける。
「こ、これは……? くうっ!」
自由自在に飛びまわる剣を相手に、ロイドは狙いを定めることができなかった。しかもグングニルの槍ではリーチが長すぎて、懐に飛び込まれると対応が難しい。
魔剣はリュークの指先とシンクロし、蝶結びのような軌道を描いた。
「おらおら! いつまでかわしてられっかな?」
「くっ、これしきのことで……!」
翻弄されつつも、ロイドは反撃を諦めようとしない。
そんな彼の槍を、ミノタウロスが横から力任せに掴み取った。
「そこまでにしなさいっ!」
フランの気丈な仲裁が入り、ロイドは唖然とする。
「……え?」
リュークは『ちぇっ』と舌打ちすると、渋々とカラドボルグを納めた。
「女に庇ってもらっちゃ、世話ねえよな。……てめえが天界のロイド、だろ?」
挑発的な物言いにロイドのほうも眉を顰める。
「……君が魔界の王子、リュークか。この屈辱、忘れはしない」
ロイドとリュークの間で火花が散った。片や天界の王子、片や魔界の王子では、互いに相容れないのも当然らしい。
「あたしがロイドたちと一緒だって、よくわかったわね」
「天界騎士団を見かけたんでな。ちょいと張ってみたら大当たりってだけさ」
フランは青い髪のロイドと、赤い髪のリュークをまじまじと見比べる。
ロイドは優美な雰囲気をまとっていた。金色で縁取られた純白の騎士服が、戦う者にしては紳士然とした品格を漂わせる。
「戻ろう、フラン。みんなも心配してる」
誠実そうな顔つきも相まって、まさしく『王子』に相応しい。
対するリュークはだらしなく胸元を開け、ラフなスタイルを気取っていた。目つきも鋭く、好戦的な印象が強い。
「おい? 俺を放って、どこに行くってんだよ」
しかし決して品性がないわけではなく、腕組みひとつにしても貫録があった。相手を挑発せずにはいられないらしい勝気な笑みには、少年のような愛嬌もある。
「あなたもツォーバのお城に行くんじゃないの? 一緒に行きましょ、リューク」
フランが声を掛けると、リュークは『お?』と、ロイドは『え?』と目を丸くした。
「何を言い出すんだ、君は? 彼は魔界の人間なんだよ?」
「へっ、どこぞの温室育ちの王子様より、頼りになりそうってか」
「な、なんだと?」
ロイドの敵意にも近い視線を、リュークは気ままな口笛で飄々とかわす。
そんな緊張感に構わず、フランはロイドに持ちかけた。
「いいでしょう? ロイドも。今は休戦中なんだし」
「いや、しかし……」
ロイドが渋るのも当然のことだった。天界と魔界は相容れることなく、百年も戦争を続けている。リュークに対する私怨を別にしても、本能的な拒否感が働くのだろう。
とはいえフランにも事情がある。このままロイドたち天界騎士団とのみ行動をともにしていては、『フランは主神に恭順した』とみなされかねない。
「ね……お願い」
上目遣いで覗き込むと、ようやくロイドも折れた。
「君には敵いそうにないな。わかったよ」
一部始終を見ていたリュークが、呆れたふうに失笑する。
「けっ。童顔のくせに、男を手玉に取るのは一人前じゃねえか、女ァ」
格好つけたがる彼を横目で見詰めながら、フランはわざとらしく表情を引き締めた。リュークの口調を真似てやる。
「おとなしくしてな。女は黙って震えてるくらいが……可愛がってもらえるんだぜ?」
リュークは面食らったように蹲った。両手で顔を覆い、溜息を零す。
「いい性格してるよ、お前は……つーか、後半は言ってねえし」
「ふふっ! ふたりとも、仲良くしましょ」
フランの背後では屈強なミノタウロスが仁王立ちになっていた。おかげでロイドもリュークも、フランには逆らえない。
「どうも君は普通の女の子ではないみたいだね。はあ……」
「逞しいじゃねえの。気に入ったぜ、俺は」
祖父が不満そうに囁いた。
(おぬし、いつの間に男どもを振りまわせるようになったんじゃ? わしはそんなふうに育てた憶えはないぞ。けしからん)
(お爺ちゃんの教育の賜物だと思うけど……?)
かくして一行はリュークも加え、ツォーバの王城を目指す。
☆
お城まで、あと一日。
ツォーバ王国は内海の北岸に位置し、東西の航路を中継していた。領内は平坦な土地が多く、適度に雨が降るくらいで、気候は安定している。
フランたちは馬を進め、内海へと続く河の手前までやってきた。陽も暮れ始め、河の水面がオレンジ色の輝きで満たされていく。
「このあたりで休もう、フラン」
「そうね。ユニコーンも疲れてるみたいだし」
宿の厩舎にユニコーンやゴルゴンを繋ぐと、管理人がぎょっとした。
「珍しい馬なんだ、盗まれちまうぞ。見張りを置いといたほうがいいぜ?」
リュークの忠告はもっとも。とはいえ、この二頭に限っては番など必要なかった。
特にゴルゴンに至っては、巨漢のミノタウロスを乗せて走れるほど強靭であり、おまけに石化ブレスを吐くことができる。
「泥棒が石になったら、ユニコーンのお薬で戻してあげないとね」
「盤石の布陣ってわけか。おっかねえな、お前の下僕は」
そろそろ夕食時のため、食堂は混雑していた。ロイドらの勧めもあって、フランだけ先に入浴を済ませておく。そしてお風呂を上がるころには、食堂もテーブルをひとつ独占できるくらいには空いていた。
ゴブリンが店に入れないのを気遣って、天界騎士団の面々も外で食事を取るつもりらしい。この数日だけでも連帯感が芽生えつつあった。
しかしロイドはリュークの監視も兼ねて、フランと一緒にテーブルに着く。
彼の手によって、彩りのよい魚のムニエルが差し出されてきた。
「そんなに凝ったものではないけど、作ってみたんだ」
フランが入浴している間に、厨房を借りて調理したらしい。内海で採れた新鮮な海魚を用いた一品で、バターの香りが食欲をそそる。
ところが逆のほうから肉料理も現れた。
「おいおい、明日も一日ぶっ通しで進むんだぜ? スタミナつけとかねえと」
分厚い牛のステーキが、鉄板の上でジュウジュウと音を立てる。
ロイドが不愉快そうに眉を顰めた。
「何を作ってるのかと思えば……そんな高カロリーのもの、女性は困るんだよ」
「はあ? そういう女は菓子ばっか食ってっから、かえって太るんだろ」
ふたりは旅の道中もこんな調子で牽制しあっている。そのたびにフランは挟まれる形になり、溜息しか出なかった。
「作ってくれたんだもの。どっちもいただくわ」
ロイドとリュークの間を取って、穏便に済ませるのが恒例になりつつある。
リューク手製のステーキは見た目こそ豪快だが、サイズは小振りだった。彼なりに『女性向け』を意識してくれたのかもしれない。
ところがその半分を、後ろからミノタウロスがひょいっと取りあげてしまった。
「あっ、てめえ! 牛男が牛肉食っていいと思ってんのか?」
「ンモォー」
満足そうに租借しつつ、牛男の視線がロイドのムニエルにも向く。
「これは君の分じゃない! やめろ!」
ロイドの抵抗を意に介さず、ミノタウロスはムニエルも半分食べてしまった。あとは魚の骨を爪楊枝の代わりにして寛ぐ。
ロイドもリュークもがっくりと肩を落とした。
けれども、おかげでフランはムニエルもステーキも、量的に無理なく食べられる。
「ミノタウロスもお腹が空いてたのよ。それじゃあ、今度こそいただくわね」
ロイドのムニエルは中までしっかりと火が通され、旨味が充分に引き出されていた。身も柔らかく、魚にありがちな噛みにくさを、少しも感じない。
「美味しい! ロイドはお料理が上手なのね」
「実はお菓子のほうが得意なんだ。そっちはツォーバ城でご馳走するよ」
フランに好印象を与え、ロイドは自信満々に笑みを浮かべた。
するとリュークが対抗心を燃やす。
「俺のも食ってみろって」
「ええ、じゃあステーキのほうも……」
ロイドの手料理に比べ、リュークのものは明らかに『焼いただけ』に思えた。ところが口に運ぶと、ジューシーな歯応えと、意外な醤油の香りに驚く。
牛肉の下に敷いてあるタマネギの苦みも、アクセントになっているらしい。
「すごい……美味しいわ!」
肉類をがつがつ食べるタイプではないフランでも、そんな感想が口をついて出た。
リュークが得意満面になって、腕を組む。
「だろ? 魔界風味は力もつくぜ」
「美容と健康には、こっちのほうがいいはずだよ!」
宿場に立ち寄っただけで、随分と豪勢な夕食になってしまった。
ムニエルとステーキを完食する頃には、お腹も膨れる。
「どっちも美味しかったわ。あなたたちも、相手のほうの食べてみればよかったのに」
しかしロイドとリュークは引き分けという結果に不満そうだった。
「そういうわけには行かないよ。僕はまだ彼を信用したわけじゃないからね」
「こっちの台詞だっての、ったく」
気まずくならないように、フランは小気味よく手を鳴らす。
「そうだわ! お城に着いたら、今度はあたしがご馳走するって、どう? あなたたちの好きなものとか、教えてもらえないかしら」
ロイドが嬉しそうに相槌を打った。
「いいね! 僕はやっぱりお菓子かな。紅茶は僕が用意できるし」
「お手並み拝見といくか。あぁ、俺はなんでも食えるぜ……ふあ~あ」
リュークもそれ以上はロイドを刺激せず、大きなあくびを噛む。
「さっさと寝ようぜ。城ってのはまだ遠いのか?」
「明日の昼過ぎには着くさ」
満腹感のせいか、眠気も強くなってきた。
「また明日ね、ロイド、リューク。おやすみなさい」
夜は早めに休んで、旅の続きに備える。
翌日、正午をまわってから小一時間ほど馬で進むと、前方に城下町が見えてきた。二階建て、三階建ての民家も多くなり、空の末端が切り取られたようになっている。
これほど大きな町は、フランにとって初めてだった。
「どれくらいのひとが住んでるのかしら……」
「これでも、地上の国の首都としては小さいほうなんだよ」
地上にいくつもある国家は、天界もしくは魔界の勢力に属しているものが多い。そして大国ほど、天界の先兵、魔界の先兵として、権威を振るうことに躍起になっていた。
ツォーバ王国のようにどちらにも従わずにいては、威信も権利もない。賢者の後ろ盾がなければ、とっくに潰されていただろう。
小高い中心部には荘厳な王城が佇んで、四方の街並みを見下ろしていた。
陽光を浴びて、城の外壁があたかも白磁のように照り返る。尖塔の天辺は緑色の屋根で統一され、三角帽子みたいで愛らしくもあった。
城の周囲は堀で囲われ、南のほうだけ橋が降ろされている。
住人はフランの一行を見つけ、驚いていた。ミノタウロスやゴルゴンの巨体ぶりに圧倒され、仰天する者も少なくない。
先頭を行くロイドが威風堂々と白馬を唸らせた。
「この方こそ、フラン=サモナーなり! 皆の者、道を空けよ!」
フランの名が出てきたことで、観衆にどよめきが走る。
天界の王女と魔界の王子の間に生まれた赤ん坊。その母の壮絶な嘆きが、地上にかりそめの平和をもたらしてから、十六年。
地上の皆はこの平和を恒久のものとするため、フランの登場を待ち侘びていた。
英雄譚のように聞かされていたらしい子どもたちがはしゃぐ。
「フラン様だ! 本物のフラン様だぞ!」
「どれがそうなの? あの女のひとが、フラン様?」
フランは少し得意になって、子どもたちに手を振った。
大人たちが両脇で整列し、フラン=サモナーの一行を歓迎する。
「ツォーバへようこそ!」
「お待ちしておりました! さあ、早く女王様のもとへ!」
声援のすべてが期待に満ちていた。
フラン=サモナーの小さな双肩には、大きなものが掛かっている。それを肌で感じ、身体がぶるっと震えた。ひとびとの熱狂がフラン本人のボルテージまで高めていく。
決意を新たに、フランはユニコーンの手綱を引いた。
「あたしがフラン=サモナーです!」
民衆の歓喜も最高潮に達する。
亡き父と母に代わって、娘が立つ時が来た。
※ 当サイトの文章はすべて転載禁止です。
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から