奴隷王女~かりそめの愛に濡れて~
第2話
サジタリオ帝国による圧政は、支配下の国々に容赦しない。帝国の民でない限り、ひとびとは自由を奪われ、労働の奉仕を強いられる。
すでにいくつかの小国が帝国に屈服し、民も風土もないがしろにされていた。
服従か、さもなくば死か。――徹底抗戦の末に敗れた南方の国家は、ありとあらゆる権利をはく奪され、それこそ奴隷のような日々を送っているという。
それだけの軍事力がサジタリオ帝国にはあった。戦争になれば、古めかしい決闘の作法しか知らないソール王国に勝ち目はない。
ただ、帝国の王子ジェラールはモニカ王女にある交渉を持ちかけた。
きみのすべてをおれに差し出せ。そうすれば、ソールの民の自由は保証してやる。
これをモニカが受け入れたのは、一週間ほど前のこと。ジェラールは今なおソール城に居座り、気ままに過ごしていた。
「楽しかったわ、ジェラール。また誘ってね」
「もちろん」
今日も彼は第二王女のセニアと遊んでいたらしい。セニアは姉のモニカを見つけ、幼い顔立ちの頬を膨らませる。
「んもうっ。お姉様がお忙しいっていうから、わたくしが代わりにジェラールと遊んであげてるのよ? ソールの城下を案内してあげるんじゃなかったの?」
「そ、そのつもりだってば。仕事が一段落したら……」
「そればっかり。お姉様もちゃんと帝国の王子様をおもてなししなくっちゃ」
十一歳のセニアには、まだソール王国とサジタリオ帝国の力関係が実感できないのだろう。ジェラールを警戒せず、遊び相手として重宝している。
「セニアの言う通りだよ。おれはきみに頼んだはずなのに、ねえ……」
「……わかってるから。急かさないで」
ジェラールの狙いは読めていた。いつまでもモニカが頑なでいるようなら、彼はいたいけなセニアをも毒牙に掛けるつもりかもしれない。
「お部屋に戻りなさい、セニア。あたしはジェラールと話があるの」
「はぁーい」
仲間外れにされ、セニアは口を尖らせながらも踵を返した。
ジェラールが当然のようにモニカの肩へと腕をまわす。
「きみも少しは彼女を見習うことだ。健気でいい子じゃないか」
「……わかったふうに言わないで」
妹がジェラールに懐くのも、無理はなかった。母親は趣味に興じるばかりで、セニアはほとんど相手にしてもらえない。モニカが国王代理に就任してからは、ますますひとりぼっちでいる時間が多くなった。
そんな彼女にとって、ジェラールは父か兄の代わりなのだろう。
「あの子は帝国のバレエに興味があるようだよ。大きな劇場もあるからね」
「初耳だわ。そんなこと」
「賢い子なんだよ。王女としての分別があるのさ」
姉のモニカには話さないようなことも、ジェラールには打ち明けるようだった。悔しいが、妹のセニアはすっかりジェラールに油断しきっている。
今日も少し離れたところに例の用心棒、セリアスが控えていた。彼はジェラールではなくモニカの傍につき、何やら目を光らせている。
「ねえ、ジェラール。彼は……?」
「気にしないでくれ。きみに迷惑を掛けるつもりはないからさ」
盗賊団を一夜のうちに壊滅させた、凄腕の剣士。彼がいる限り、ジェラールに手を出すような真似はできなかった。
「きみの部下の彼女……ブリジットも、なかなかの使い手だとは思うけどね」
「ブリジットは怒ってるのよ? あなたのせいで……」
モニカは渋々、ジェラールとともに騎士団の様子を見に行く。
ソールの王国騎士団はジェラールの介入により、再編成を余儀なくされた。シグムントは引退を強いられ、団長にはブリジットが据えられる。
弱冠どころか成人もしていない、十八の女性騎士を団長にしたのだ。いかに彼女が名門の出身とはいえ、騎士団には動揺が広がった。
この週末には早くも新団長の就任式を控えている。
訓練場ではブリジットの指揮のもと、砲撃の訓練がおこなわれていた。
「モニカ様! ……と、お前は……」
「ご挨拶だね、ブリジット団長。昇進したんだ、もっと喜べばいいじゃないか」
これまでであれば、王国騎士団は剣術や弓の練習に励んでいるはず。しかしジェラールの干渉を受け、帝国製の大砲技術を学ばなくてはならなかった。
ブリジットにとってはそれが不満らしい。
「こんな砲など使っても、いたずらに戦火を広げるのみだ。我が身を使わない戦いなど、あってはならないというのに……」
「まだ言ってるのかい? 時代錯誤なんだよ、きみのプライドは」
「ふん、好きに言え。わたしは信念を曲げるつもりはない」
ほかの騎士らもブリジットに賛同し、ジェラールには反感を隠さなかった。モニカは王女として、彼女らの意を汲みつつ、傲慢なジェラールに釘を刺しておく。
「言ったはずよ、ジェラール。挑発は慎んでって」
「そうだったね。僕としては、挑発したつもりじゃないんだが……」
ブリジットの鋭い視線を背にしながらも、ジェラールはモニカを抱き寄せた。
「きゃっ?」
「き、貴様! モニカ様に無礼な真似は……」
ブリジットは俄かに声を荒らげ、騎士たちも一様に身構える。
それでもジェラールは平然としていた。
「なんだい? 団長殿」
モニカも彼の手を振り払ったりせず、ブリジットをやんわりと遠ざける。
「心配しないで。女性には誰にでもこんな調子なのよ、ジェラールは」
「で、ですが……限度というものが」
サジタリオ帝国の王子がソール王国の王女の肩を抱いているのだから、それは明白なアピールとなった。ブリジットは口惜しそうに唇を噛む。
「どこまでもわれわれを馬鹿にして……この屈辱、忘れはせんぞ」
「やれやれ、強情な騎士サマだ」
その後もジェラールはモニカを離さず、騎士団の訓練ぶりを眺めてまわった。
大砲の運用には皆、四苦八苦している。そもそもソールの王国騎士団は『火攻め』を嫌うため、火の扱いには慣れていなかった。
ジェラールがモニカにだけ聞こえるように囁く。
「ブリジットの言うこともわかるんだよ。ナンセンスなのは兵器のほうさ」
「……どうしたの、急に」
「敵に剣を突き刺して殺すのと、遠くから大砲を当てて殺すのと……どっちのほうが楽にこなせるかって話でね。きみはどう思う?」
戦場で繰り広げられるのは、言ってしまえば『ひと殺し』だった。先日捕獲された黒金旅団にしても、メンバーの数名は帝国軍に殺されている。
「大砲のほうが楽でしょうね」
「そうだ。相手が見えないところで死んでくれれば、命を奪ったと考えずに済む」
ジェラールの言葉には自嘲が含められていた。
「責任を感じずに済む……だから、勝利に酔いしれるのさ」
ほかでもないサジタリオ帝国のことを憂いているのかもしれない。
帝国は数々の近代兵器を投入し、獅子奮迅の進撃を続けていた。勝利のたびに帝国貴族が祝杯をあげ、サジタリオの輝かしい未来を賛美しているのは、想像に難くない。
飽くなき野望は次の勝利を欲し、兵を走らせることだろう。
「そんな気分だけの勝者が歴史を作るなんて、傲慢だね。実際、戦後の歴史を作るのは、戦時中は敗者だった国だったりするじゃないか」
初めて彼の言葉に感心してしまった。
「……どうかしらね」
モニカは答えず、そっぽを向いてはぐらかす。
幼馴染みのクリムトも言うように、戦後の立ち位置こそ肝要なら、ソール王国は決してサジタリオ帝国に屈したわけではなかった。本当の勝者はいずれ歴史が決める。
あたしの警戒を解きたくて、こんなことを……?
ジェラールという男のことが、わからなくなってきた。
半ばクリムトに政務室から追い出される形で、木曜の午後が空く。
「今日はお休みくださいと申しあげたはずです、モニカ様」
「そうは言っても、こんな時に……」
「こんな時だからこそ、ですよ。あなたにパンクされたら、王国はおしまいですから」
この怜悧な補佐官に下手な言い訳は通用しなかった。モニカは午後の仕事を諦め、政務室のドアを閉ざす。
まあ確かに……詰めっ放しだったものね。
私室に戻ると、ちょうどメイドのアンナが衣類の衣替えを進めていた。
「あら? 姫様、ご政務はどうされたのです?」
「お休みになったのよ。働き詰めだからって、クリムトがね」
ソール王国は風向きとレガシー河の関係で、夏は長いうえに高温多湿となる。祖父が健在だった頃はレガシー河の畔にある別荘で、アンナたちと過ごすのが恒例だった。
「クリムト様の仰る通りですよ。姫様もたまには息抜きなさいませんと」
「ええ。午後はちょっと出掛けるわ」
アンナにも促され、モニカは外出用の軽いドレスに着替える。
モニカとしては青や紫でシックに決めたいのだが、アンナにはピンクを勧められた。どうにも童顔なのがいけない。
「こういうドレスを着ないのよね、ブリジットが……」
「うふふっ。ブリジット様も恋をなされば、お召しになりますわ」
「……恋、ねえ」
我ながら情けない気持ちになってきた。
モニカにしろ、アンナにしろ、ブリジットにしろ、年頃の女子にもかかわらず色っぽい話のひとつもない。同い年のクリムトにしても、それらしい噂は聞かなかった。
「去年はお爺様がいなくなって、ばたばたしちゃってたけど……今年の夏こそ、みんなでバカンスに行くのってどうかしら? アンナ」
「賛成です! また一緒にブリジット様の水着を買いに行きましょう」
「外で着せるのは骨が折れそうね」
アンナと一緒にクローゼットの中身を整理していると、ノックの音がする。
「少々お待ちくださいませ。……お、王太子殿下っ?」
メイドのアンナはしずしずと迎えに出て、驚きの声をあげた。
サジタリオ帝国の王子がやってきたらしい。半分ほど開いた扉の向こうから、ジェラールの口説き文句が聞こえてくる。
「王太子殿下だなんて堅苦しい呼び方はよしてくれ。モニカの侍女なら、きみもおれのことは『ジェラール』で構わないさ。ええと、きみは……」
「失礼致しました。わたくしはモニカ様の側勤めをしております、アンナと申します。ただいま、モニカ様をお呼びして参りますので」
聡明なアンナは靡いたりせず、一度は扉を閉ざした。
「モニカ様、ジェラール様がいらっしゃいました。いかがなさいますか?」
「そうね……」
ジェラールが軍事力を誇示し、ソール王国に圧力を掛けていることは、もはや周知の事実となっている。モニカの部下として当然、アンナも彼を警戒した。
(行動が早いわね。地獄耳ってやつかしら)
どこかで王女の政務が休みになったと聞きつけたのだろう。午後の自由がなくなったのを悟り、モニカは嘆息する。
「ここで追い返しても、体裁が悪いでしょうし。……はあ、しょうがないわね」
「念のため、ブリジット様もお連れになっては?」
「またジェラールと喧嘩になるから、やめておくわ。ブリジットには何も話さないで」
渋々モニカは部屋を出て、ジェラールと顔を会わせた。
ジェラールがさも涼しげにはにかむ。
「やあ、モニカ。午後は休みなんだろ? 今日こそ相手してくれないか」
「……わかったわ。お昼も城下で食べましょ」
廊下にはセリアスも控えていたが、無言のまま背を向け、行ってしまった。
「相変わらずね、彼は」
「セリアスのことが気になるのかい?」
「そういうわけじゃ……こっちよ、ついてきて」
メイドのアンナは部屋の前で姿勢を正し、モニカたちを見送る流れに。
(頼んだわよ、アンナ。大した成果は得られないでしょうけど)
(了解しました。お任せください)
これはチャンスでもあった。城からジェラールを遠ざけ、帝国軍の動向を探る。モニカの密偵もこなす彼女なら、上手くやってくれるに違いない。
「どこか行きたいところはあるの? ジェラール」
「きみに任せるさ」
モニカはジェラールを連れ、馬車には乗らずに城を出た。真っ青な空では初夏の太陽がさんさんと輝き、空気も熱を帯びている。
「帝国と緯度は変わらないはずなのに、こっちは暑いねえ」
「そんなに厚着してるからよ」
「サジタリオじゃ、五月はこれくらいが普通なのさ」
今になって、モニカも気候の差異が大きいことを知った。
レガシー河の流域にあるソール王国は、五月頃から気温が高くなり、十月の中旬まで暑さが続く。沿岸部の国ほど苛酷な蒸し暑さにはならないが、快適ではなかった。
それに対し、サジタリオ帝国の帝都は内陸にあり、北風が直撃することもあって、冬は寒さが厳しいという。
ソール王国とサジタリオ帝国で衣類の感覚が違うのも当然だった。
「あなた、ひょっとして、夏物の服はあまり持ってきてないんじゃない?」
「そりゃあ、まだ五月だからね」
「じゃあ、服でも見に行きましょうか」
無難な行き先に決め、モニカたちは城下の大通りを練り歩く。
「これは姫様! 街にいらっしゃるとは、お珍しい」
「ふふっ! ちょっと野望用で、ね」
祖父が健在だった頃は、アンナやブリジットとともに城下で遊ぶこともあった。顔馴染みの民も多く、モニカには気さくに声を掛けてくれる。
「そちらの紳士はどちら様で?」
「ええと……最近ソールに帰ってきた友達なの。ねえ、ラル?」
咄嗟に誤魔化してしまったが、ジェラールも自然体で合わせてくれた。
「外交官の父を継ぐため、留学していたんだ」
「そ、そうそう! だから衣替えの時期なのに、夏物が足りなくって……」
サジタリオ帝国の第二王子が城に居座っていることは、民にも知れ渡っている。そのジェラールが堂々とソールの城下を闊歩しては、反感を買うのは目に見えていた。
「ラル、か……悪くない」
「ごめんなさい。急に聞かれたものだから」
「いいさ。きみとはもっと親密になりたいからね」
モニカとジェラールは城下の皆と挨拶を交わしつつ、大通りを南へ。
今日は木曜日だけあって、どこも空いていた。手頃なオープンカフェに目をつけ、ふたりで角のテーブルにつく。
「城下町に慣れてるんだね、モニカは」
「お爺様が好きにさせてくれたのよ。民の暮らしを知るのも大事だ、って」
お気に入りのホットケーキを待ちながら、モニカは彼の甘いフェイスにじとっと冷ややかな視線を返した。
「あなただって、帝国で随分と好き勝手してるそうじゃない。王子様がいかがわしいカジノなんか作ったりして、何考えてるのかしら」
ジェラールは頬杖をつき、しれっと言ってのける。
「別にギャンブルを奨励してるつもりはないよ。ゲームが好きでね」
「みんなは、そうは思わないでしょ」
「それがいいのさ。この醍醐味がわかる『通』は、おれしかいないっていうのが」
とても一国の王子とは思えなかった。嫡子として上に立派な兄がいると、弟はだめになるものらしい。クリムトがあれほどしっかりしているのも、長男のゆえだろう。
やがてホットケーキ、ジェラールにはガーリックチキンとポテトが運ばれてくる。
「お酒はいいの?」
「こんな昼間から飲まないよ。そもそも、おれはそんなに飲むほうじゃない」
ジェラールはポテトを齧りつつ、モニカのランチ風景を眺めていた。
「きみのほうこそ、お昼がホットケーキで足りるのかい?」
「あなたほど大きな胃袋じゃないもの」
オープンカフェのために風が吹き、モニカの髪を波打たせる。
「……ここに来て、よかったよ」
「どうしたのよ。急に」
「おれは思ったことを正直に言ったまでさ」
いつしかジェラールの双眸にはモニカだけが映っていた。
「八年前はあんなに小さなお嬢さんだったのに……綺麗になったな、モニカ」
「……へ、変なこと言わないでったら」
男性に初めて『綺麗』などと言われ、心ならずも動揺してしまう。
臣下の者や民から『お美しい』と世辞を贈られるのとは違った。真剣なまなざしで容貌を隅々まで吟味されるかのようで、恥ずかしくもなる。
食事のあともジェラールはコーヒーに味を占め、なかなか席を立とうとしなかった。
「この店が気に入ったの?」
「まあね。戦争中の帝国じゃ、なかなかこうは行かないからさ」
その意味がわからず、モニカは小首を傾げる。
サジタリオ帝国は今なお連戦連勝、破竹の勢いで支配圏を広げていた。帝国貴族は勝利のたびに祝杯をあげ、民も帝国の栄光に胸を躍らせているはず。
「そろそろ行きましょ。ジェラール」
「なんだ、『ラル』と呼んでくれないのかい?」
遅くならないうちにモニカは休憩を切りあげ、オープンカフェをあとにした。
「そうね……案内してるわけだし、あなたにもあれを見せてあげるわ」
「その気になるのが遅いよ、モニカ。『あれ』って?」
「少し歩くわよ。ほら、こっち」
ソール王国の城下には世にも珍しいものがある。
それは、地図のうえでは『川』のように城下の南西部を横断していた。モニカとともにジェラールはその溝を柵越しに覗き込んで、異様な深さに息を飲む。
「なんだい? これ」
「軍神ソールが剣で斬った跡……らしいの」
ソール王国の騎士伝説にはクライマックスで軍神が登場した。それこそが国名の由来ともなった『ソール』であり、今なお王国の守り手として崇められている。
軍神ソールは巨大な騎士鎧の姿で描かれることが多かった。その全長は優に十三メートルを超え、一撃で大地を裂いたという。
その裂け目が伝説のひとつとして、ここに残っていた。
ジェラールはあとずさり、苦笑いを浮かべる。
「確かに自然にできた傷じゃないね。軍神ソールか……ちょっと怖いな」
「怖い? 王国の男の子だったら、一度は憧れるのが普通よ」
モニカのほうは裂け目の傍に留まり、肩を竦めた。
古代王を打ち倒し、王国を救った英雄。ソールの民なら、それを畏怖することはあっても、いたずらに恐怖することはない。
「にしても、本当にすごいね。渡るのに橋がいるわけだ」
「城下の外まで行けば、柵もないのよ。剥き出しになってるわ」
ジェラールのまなざしは裂け目を越え、青空の遥か向こうまで飛んだ。
「軍神ソールと古代王、か……。実際のところ、悪者はどっちだったんだろうね」
疑問めいた囁きにモニカは目を白黒させる。
「古代王が悪者に決まってるじゃない」
「ソールの騎士伝説を貶めるつもりはないんだよ。歴史の勝者が敗者を『悪者』として扱うことは、帝国の歴史にも見られるからさ」
かつて教会勢力が絶対的な力を有していた時代、その支配圏において彼らは土着の信仰を『悪魔崇拝』と決めつけ、淘汰した。そこまで過激ではないものの、サジタリオ帝国もあちこちで文言を統制し、価値観をすり替えようとしている。
そのようなことを、帝国の第二王子が口にするとは思わなかった。
「……ジェラール?」
「ああ、ごめん。せっかくのデートなのにすまなかったね」
「デートじゃないんだけど」
彼の冗談に呆れ、モニカは肩を竦める。
王国の名所を眺めつつ、ふたりは次こそ洋服店へ向かった。
「服が欲しいんだったわね」
「ああ。頼むよ」
ソール王国には騎士伝説が根付いていることもあって、貴族向けの紳士服には規律を重んじ、整然とした意匠のものが多い。
「夏物にしても、これはちょっと暑いんじゃないか?」
「生地が違うのよ。ほら、薄いでしょ」
襟元を詰めるメンズにしろ、コルセットを締めるレディースにしろ、寒暖は二の次になっている印象はあった。女性にタイツがあれば、男性にはマントがある。
「どうせならソール王国流に決めたいなあ」
「……あなたが?」
ジェラールは気の赴くままに試着を繰り返した。端正な顔立ちと背の高さも相まって、何を着ても絵になってしまう。
姿見の中でも美男子は小粋に微笑んでいた。
「お似合いですよぉ、お客様」
「うん、いいね! これにするよ。……ああ、このまま着て帰ろうかな」
「でしたら、先ほどのお召し物はこちらに入れておきますね」
ミーハーな店員にも乗せられ、ジェラールは装いを新たに歩き出す。
「こうなってくると、靴も欲しいな」
「贅沢なひとね」
「いいじゃないか。今日は付き合ってくれたお礼に、きみにもプレゼントするからさ」
「え? あ、あたしは別にそんなつもりじゃ……」
文句をつけるふりをして、おねだりしたつもりはなかった。それに幼馴染みのアンナに選んでもらうのならまだしも、ジェラールのセンスは今ひとつ信用できない。
「おっ、いい店があるじゃないか。さあ」
「ち、ちょっと待……」
その店を前にして、モニカは唖然してしまった。
ジェラールに勧められたのは、まさかのランジェリーショップ。ところが男子禁制にもかかわらず、ジェラールは平然と店内へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいま、せぇ……?」
女性店員も男性の来店に驚き、顔を引き攣らせた。
むしろ女性のモニカのほうが尻込みしつつ、ジェラールの袖を引く。
「ちょ、ちょっと! 何考えてるのよ?」
「きみにはおれが選んだ下着を着けて欲しいからね。……だめなのかい?」
男性が女性に好みの下着を着用させる――その意味するところはモニカも察した。
ブラジャーやショーツには下着としての機能のほか、パートナーとの『夜』にも役割が求められる。
「い、いらないってば。こういうのは普通、自分で……」
「おや? 自分の立場を忘れたのかな、モニカ」
ジェラールはモニカの髪を撫で、やんわりと言い聞かせた。
「これでも本国からは『早く結果を示せ』と急かされてるんだよ。きみがおれに話を合わせてくれるなら、おれも穏便に済ませられるんだが」
彼には便宜を図ってもらっている以上、モニカ王女に拒否権はない。
サジタリオ帝国が侵略目的でソール王国に軍を派兵してきたのは、自明の理。こちらはおめおめと駐屯を許し、騎士団の主導権まで握られてしまった。
このまま支配下に組み込まれるも、独立を保てるも、ジェラールの胸ひとつだった。
「きみはおれの言う通りにするんだ。いいね?」
「……わ、わかったわ……」
店員らは客がモニカ王女であったことにも驚いたが、次第に警戒を解き、ジェラールを受け入れる。ここで彼氏が彼女の下着を選ぶことは、割とあるのだろう。
しかも今回の客は王女のモニカ。店員としては面白いに違いない。
「ご安心くださいませ、モニカ様。このことは他言しませんので……うふふ」
「あたしは別にそんなつもりじゃ……」
モニカ本人は口ごもるしかないのをよそに、ジェラールは恋人のための下着を物色していた。とりわけ白やピンクに興味があるらしい。
「ドレスに遜色がないくらい、もっと派手なやつはないかな」
「それでしたら、こちらに」
試着に応じずとも、モニカの胸元にはさまざまなブラジャーが当てられた。姿見の前でモニカは立ち竦み、破廉恥なデザインの応酬に息を飲む。
(こんなものまで穿かせるつもり?)
サイドを紐で結ぶショーツなど、信じられなかった。
「これにしようか、モニカ」
「……本気で言ってるの? あなた」
結局、ジェラールの希望通りに買う羽目となる。
「次の夜が楽しみだよ」
「~~~っ!」
いけしゃあしゃあと主導権を握られ、モニカの小顔は赤々と染まった。
一国の姫君が隣国の王子に脅迫され、艶めかしい下着の着用を強要されたのだから。それはモニカにとって屈辱にほかならない。
(やっぱり最低だわ、このひと!)
わざわざ彼を案内してやったことを、怒りとともに後悔する。
「え? 部屋には入れてくれないのかい?」
「当たり前でしょ! 大体、このあたりは男子禁制なの」
城に戻り、ジェラールを追い返したところで、メイドのアンナから報告が入った。
「お帰りなさいませ、モニカ様。……先ほど、ジェラール様のお部屋を調査しまして。詳しくはこちらをご覧ください」
「危ないことさせて、ごめんね。アンナ」
ジェラールに振りまわされた甲斐はあったかもしれない。
アンナは彼の部屋で指令書やメモなどを発見したようだった。やはりサジタリオ帝国は再三に渡り、ジェラール王子にソール城の占領を催促している。
それに対し、ジェラールは『順調』と答えていた。
力任せの侵略行為はかえって反乱分子を刺激し、あとあとの窮地を招く。ここで事態が大きくなれば、帝国は後方のソール攻略のために兵力を割く羽目となり、東と南の戦線を維持できなくなるだろう。ソール王国には当面、現状の干渉で充分である。
――と、ジェラールのメモにあったらしい。
報告書に一通り目を通してから、モニカ王女は腕組みのポーズで思案に耽った。
「いかがなさいましたか?」
「ちょっとね。これ見よがしな気がして……」
王国騎士団を翻弄したうえで入城を果たしたジェラールは、決して馬鹿ではない。借りているだけの部屋に、こうも重要な機密を置き去りにするとは考えにくかった。
むしろモニカを焦らせるべく、揺さぶりを掛けている可能性があった。サジタリオ帝国がソール侵攻を目論んでいるとなっては、猶予もなくなる。
いずれにせよ、ジェラールに反抗するのは得策ではなかった。
「何がしたいのかしら。あのひと」
モニカは窓を開け、鬱屈とした空気を入れ替える。
「ところでモニカ様、そちらの包みは?」
「……はあ。下着よ」
「え? ジェラール様と城下に行ってらしたのでは?」
その誘惑的なデザインを目の当たりにして、さしものメイドも唖然とした。
☆
金曜日の夕方、モニカの部屋へと一通の手紙が届けられた。ジェラールからのもので、憚ることなく『今夜』についての注文が綴られている。
手紙の内容にはメイドのアンナも薄々勘付いているようだった。
「モニカ様、あの……ジェラール様はなんと?」
「気にしないで。大したことじゃないの」
モニカは手紙を引き出しに仕舞い込んで、顔を顰める。
どこまでも好きにして……。
だがジェラールの要望に応じなくては、ソール王国に未来はなかった。自分が身体を張らなくては、妹のセニアまで狙われかねない。
「今日はもうあがってちょうだい、アンナ。あたしももう寝るから」
「了解しました。失礼致します」
メイドを帰してひとりになるや、寒気がした。これが恋人との逢瀬ならまだしも、今夜の相手は興味本位でしかないのだから。
さすがに王子だもの、ジェラールだって無茶はしないわよね?
でも……無理やり押し倒されたりなんかしたら……。
安心するための言い訳を求めては、それ以上の不安に駆られた。モニカは彼にもらった下着を身に着けながらも、鏡を直視できず、キャミソールを手繰り寄せる。
これを重ねたって、命令に逆らったことにはならないわよね。
やがて夜の九時を過ぎ、ソールの王城も静まり返った。宮仕えの使用人たちは宿舎へと引きあげ、見まわりの兵だけとなる。
モニカとセニアの私室の前では、ブリジットの部下である女性騎士らが張っていた。今はサジタリオ帝国と緊張状態にあるため、城内の警備に余念がない。
モニカは後ろ髪を引かれつつ、監視の目を遠ざけておく。
「今夜はもういいわ。さがってちょうだい」
「……承知しました」
さがらせたところで、彼女らはこの近くで警戒を続けるだろう。ジェラールには上手くかわしてもらうしかない。
約束の時刻は九時半。さらに十分ほど遅れて、ようやくジェラールが現れた。
「ごめん、ごめん。待たせたね、モニカ」
「い、いいえ……早く入って」
人気がないうちにモニカは彼を部屋へと招き入れ、扉を閉ざす。
ジェラールは感心気味にモニカ王女のプライベートルームを見渡した。
「ここがきみの部屋かぁ」
王女の私室にしては平凡な造りかもしれない。花柄のカーテンに凝ったのはアンナの趣味であって、アンティークも少なかった。
せいぜいドレッサーに化粧品が一通り揃っている程度。
ただベッドの傍にある、愛らしいウサギのヌイグルミが目を引く。妹のセニアとともにモニカも受け取る羽目になった、ある筋からのプレゼントだった。
そのウサギに見られているような錯覚がして、モニカはヌイグルミを後ろに向ける。
「ア、アイスティーでいいかしら?」
「ああ。きみに淹れてもらえるなんて、嬉しいね」
ジェラールは客人用の椅子ではなくベッドへと腰掛けた。余裕たっぷりにレモンティーを味わい、グラスを少し遠いテーブルへ戻す。
「きみも座ったら?」
「……ええ」
緊張しつつ、モニカも同じベッドで腰を降ろした。
まさか『いきなり』なんてこと……。
彼の指示通りに新しい下着を着けているだけに、不安が募る。
そちらの方面には疎いモニカでも、ジェラールの今夜の目的はわかっていた。もとより彼はモニカを自分のものとすることに固執し、いよいよ決行したまで。
彼が望むなら、モニカは純潔さえ捧げなくてはならない。
「そう怖がらないでくれないか、モニカ。今夜はまだ手を出したりしないさ」
「……本当に?」
ようやくモニカは顔をあげ、彼と目を合わせた。
「誓うとも。だから、もっとこっちにおいで」
今夜は『まだ』という言葉には、男性なりの躊躇も感じられる。
胸の中に溜まったものを吐き出して、モニカはおずおずとジェラールの傍に寄った。それを待ちかねていたように、彼の手が腰へとまわってくる。
「じゃあ、そろそろ楽しませてもらおうか」
「え? 今夜は何もしないって……」
「どうかな? おれは男で、きみは女なんだ。夜にふたりで会えば、こうなる」
不意にジェラールの顔が迫ってきて、モニカの顔とすれ違った。
左の耳たぶを食まれ、モニカはびくっと身体を震わせる。
「ち、ちょっと?」
「静かに。さあ……おれの言うことを、よく聞くんだ」
決して乱暴なものではなかった。あくまでモニカを驚かせる程度のもので、吐息だけを吹きかけてくる。その息に甘い囁きが紛れ込んだ。
「着てるんだろ? 見せてくれ」
「え……?」
端的だがストレートな要求に、モニカはごくりと息を飲む。
見せろ、というのは下着のことに違いなかった。夕方の手紙でも指示があったため、例のランジェリーを身に着けてはいる。
「そ、そんなこと言われても……あたしたちはそういう関係じゃ……」
「おれと約束したじゃないか。きみは『すべてを捧げる』とね」
モニカの抵抗を意に介さず、ジェラールは手に力を込めた。モニカの華奢な身体を我が物同然に抱き寄せて、さらに唇を近づけてくる。
「言うことが聞けないなら、無理強いするまでだよ。王女」
「くぅ……卑怯なひとね」
すべてはソール王国のため。モニカにできることは、暴君となりかねないジェラールの機嫌を取ることだけだった。ドレスの紐を緩め、おもむろに剥がしていく。
本当にこれで……?
彼を満足させられるだけの魅力があるのか、自分ではわからなかった。そもそも男性が女性の身体を求めることには、嫌悪感ばかりが強い。
不愉快そうにジェラールは眉を顰めた。
「……悪い子だね、モニカは。それとも、おれを焦らしてるのかい?」
ドレスの下にはキャミソール。この一枚が、かろうじてモニカの柔肌を覆っている。
「こ、これで限界なの。もう充分でしょ……?」
ここから先は脱ぐに脱げず、全身を強張らせるほかなかった。
愛しているわけでもないジェラールには、見せられない。我が身を差し出して国益を守れるほど、豪胆な女にはなれなかった。
「だめだね。脱ぐんだ」
しかしジェラールは語気を強め、モニカを仰向かせる。
「次はないよ。きみが逆らうなら、明日はこの城にサジタリオの国旗が昇る」
脅迫に容赦はなかった。本国からの要請もある以上、その気になったが最後、彼は即座に占領を実行に移すだろう。
「城下のみなが奴隷とされるのを見たいかい? ……まあ、きみはおれに奪われもせず、清らかな乙女でいられるんだけどね」
ジェラールの言葉は巧みにモニカの恐怖を煽った。
己の純潔をないがしろにされるより、民を蹂躙されるほうが耐えられない。その瀬戸際に立たされ、モニカは痛いほどに唇を噛む。
「……わ、わかったから。キャミを脱げば……いいんでしょ?」
普段は意識せずにやっていることが、この時だけは困難でならなかった。キャミソールを脱ぐしても手が震え、肩や肘で紐を引っ掛けてしまう。
それでもモニカはキャミソールを剥がし、うら若いスタイルを披露した。
「あ、あんまり見ないで……」
猛烈な羞恥に駆られ、王女の顔も真っ赤に染まる。
ジェラールは前のめりになって、モニカのセミヌードをしげしげと眺めた。それこそ舐めるような視線でボディラインをなぞり、胸の谷間まで覗き込む。
「よく似合ってるよ、モニカ。きみにはやっぱり白かピンクと思ったんだ」
ブラジャーとショーツは純白を基調としつつ、ピンク色の紐で形を調えられていた。胸の下にはフリルを重ね、モニカの膨らみを際立たせている。
ショーツは機能的とは言えず、生地が薄ければ、面積も心許なかった。せめてモニカは太腿を念入りに閉じ合わせて、彼の視線を拒む。
「……たまらないな。今夜のきみには、一国の命運を左右するだけの価値がある」
やっとジェラールは脅迫を取りさげ、態度を軟化させた。先ほどの約束通り、モニカの身体へといたずらに触れることもしない。
「王国のために我が身を差し出す、健気な姫君……実にいいね」
「悪趣味だわ」
モニカは両手で胸元を隠しつつ、足元のドレスを見下ろした。
「も、もういいかしら?」
「何を言ってるんだい、きみは。これからじゃないか」
しかし左手をジェラールに取られ、隠すのが疎かになる。ジェラールはモニカを姿見の前に立たせて、モニカ自身にも悩ましい恰好を直視させた。
「おれが来る前はこうやって合わせてたんだろ?」
「や、やめてったら! 恥ずかしい……」
鏡の中で王女は彼と自分、ふたり分の視線に耐えかねて身じろぐ。
さらにジェラールは恐ろしいことを囁いた。
「それじゃあ、出掛けようか」
「……なっ?」
すぐには言葉の意味がわからなくて、モニカは瞳を強張らせる。
この恰好で部屋を出ろ――思いもよらない破廉恥な命令には、慄然とした。しかしジェラールは小憎らしく微笑むばかりで、撤回しない。
「いざって時は、おれのマントに隠れるといいさ。恋人のように……ね」
怒りがふつふつと込みあげてきた。本当にモニカを奴隷のように考えているのか、傲岸不遜にいかがわしい要求を突きつけてくる。
「嫌とは言わせないよ。さあ」
「……え、ええ……」
無論、反抗の余地は与えられなかった。今夜はジェラールを満足させるしかない。
靴だけは履くことを許されたが、かえって余計に滑稽な恰好となってしまった。ジェラールに肩を抱かれつつ、モニカは下着だけのスタイルで部屋を出ることに。
初夏とはいえ、夜の王宮は肌寒かった。
こんなとこ誰かに見られたりしたら、あたし……。
恐怖もあって肝が冷える。
かくして一国の王女にあってはならない夜遊びが始まった。ジェラールはマントを羽織っているものの、モニカにはそれを掛けようとしない。
「どうだい? モニカ。自分の城をそんな恰好でうろつくのは」
「さ……最低に決まってるでしょ」
モニカは頻繁に手の位置を変え、胸を隠しては、ショーツの手前を押さえた。
ブラジャーもショーツもそう簡単にずれるものではない。しかし状況が状況だけに、急に外れはしないかと不安でならなかった。
「こっ、こんなことさせて……あなたは楽しいわけ?」
「楽しいから、やってるんだ。これでもおれは我慢してるんだけどなあ」
横目がちに睨んでやると、ジェラールは不敵な笑みを浮かべる。
「きみを無理やり抱くことはできるが、それじゃ面白くない。きみにはじっくりと、おれのものになったってことを自覚してもらわないと」
彼の支配的な欲求には早くも愛想が尽きそうになった。この調子では、しばらくは操を守ることはできるにしても、こうして屈辱的な辱めを与えられるのだろう。
そろそろ十時を過ぎる頃合いであり、回廊はすでに消灯されていた。ジェラールとモニカでカンテラの灯かりを頼りに進む。
「……そろそろ戻らない? 何の意味があるのよ、こんな悪戯……」
「まだまだ。……おっと、誰かいるようだね」
帝国軍の動向を警戒し、城には哨戒中の騎士も多い。ジェラールはマントでカンテラの灯を隠しつつ、見張りの兵をやり過ごした。
まだジェラールは服を着ているのだから問題ない。その一方で、モニカは可憐で危ういランジェリー姿。女体曲線は惜しみなく晒され、カンテラの灯で肌が照り返った。
恥ずかしさのあまり、モニカはとうとう涙ぐむ。
「も、もういいでしょ? お部屋に……」
「あと少しだよ。ほら」
それでもジェラールは退かず、モニカを城の屋上まで連れ出した。
モニカたちの頭上では満天の星空が輝き、数多の星座がパレードと洒落込んでいる。
「風邪をひかせてもいけない、か」
ようやくジェラールは半裸のモニカをマントで包んでくれた。
「……ジェラール?」
「きみと星が見たかったのさ。子どもの時は雨で台無しになったじゃないか」
美麗な夜空を仰ぎ見て、モニカは瞬きを繰り返す。
八年前もジェラールには『星を見るぞ』と、夜中に連れ出されたことがあった。けれども雨雲に遮られ、月さえ見えなかった。
今夜は三日月も金色の光を放ちながら、ソールの城下町を見守っている。
「綺麗……」
「だろ? 真上にあるのが、おれのしし座さ」
星が多いせいか、夜空はブルーを溶かし込んだように幻想的な色合いだった。
「それは八月の星座じゃないの?」
「おれに言われてもね……で、あの左にあるのが、きみのおとめ座さ」
しし座の隣にはおとめ座がある。そう言われても、モニカには区別がつかない。
「星に詳しいのね、あなた」
「おれのカジノでは星座占いなんかもやってるんだ」
いつしかモニカは服を着ていないことも忘れ、呆然と星空を眺める。
国王代理に就いてからというもの、こんなふうに星に見惚れることなどなかった。その輝きを掴めそうな気がして、手を伸ばすも、届きはしない。
「……戻ろうか」
「あ、そうね。こんな恰好だし……」
名残惜しく思いながらも、モニカはジェラールとともに屋上をあとにした。帰りはジェラールのマントに隠してもらい、最短のルートで部屋まで戻る。
ところが、その途中でブリジットと鉢合わせになった。
「ブ、ブリジット?」
「姫様っ?」
互いに驚愕し、ぎくりと顔を強張らせる。
しかもモニカのほうは下着だけ。ブリジットには見せられまいと、ジェラールのマントを我が身に手繰り寄せる。
そのせいで、傍目には『逢瀬』の様相を呈してしまった。
ジェラールは平然とモニカを抱き寄せつつ、意味深に含みを込める。
「野暮だなあ。おれたちが何をしてるのか、わからないのかい?」
「な……」
ブリジットは赤面し、おたおたとうろたえた。
「い、いやまさか、姫様に限ってそのようなこと……」
なまじ信じてもらっているだけに、モニカも苦しい。しかし裸同然の恰好では、下手に動けず、彼女を遠ざけるほかなかった。
「ご、ごめんなさい……ブリジット。今夜のことは忘れてちょうだい」
「姫様? 一体、この男に何を吹き込まれたのです?」
「だっ大丈夫だから、来ないで!」
敬愛すべきモニカ王女にぴしゃりと拒まれ、ブリジットは目を点にする。
「……ひ、姫様……」
「本当にごめんなさい。行きましょ、ラル」
「そうだね」
半ば放心するブリジットを残し、ふたりは早足でその場を去った。ジェラールはすっかり機嫌をよくして、恋人との逢瀬に酔いしれる。
「やっと『ラル』と呼んでくれたね」
「さっきのは仕方なかったのよ。あの子を誤魔化したくて……」
一方、モニカのほうは懲り懲りだった。星空を眺める分には悪くなかったものの、下着姿で歩かされ、ブリジットには誤解されて。
どうしてブリジットがあんなところに……まさか、アンナが手紙のことを?
恋人のふりに徹したことで、墓穴を掘ったかもしれない。
「もっと愛を込めて呼んでごらんよ、モニカ」
「ふざけないで」
とにかく今は早く服を着たかった。
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