奴隷王女~かりそめの愛に濡れて~

第2話

 サジタリオ帝国による圧政は、支配下の国々に容赦しない。帝国の民でない限り、ひとびとは自由を奪われ、労働の奉仕を強いられる。

 すでにいくつかの小国が帝国に屈服し、民も風土もないがしろにされていた。

 服従か、さもなくば死か。――徹底抗戦の末に敗れた南方の国家は、ありとあらゆる権利をはく奪され、それこそ奴隷のような日々を送っているという。

 それだけの軍事力がサジタリオ帝国にはあった。戦争になれば、古めかしい決闘の作法しか知らないソール王国に勝ち目はない。

 ただ、帝国の王子ジェラールはモニカ王女にある交渉を持ちかけた。

 きみのすべてをおれに差し出せ。そうすれば、ソールの民の自由は保証してやる。

これをモニカが受け入れたのは、一週間ほど前のこと。ジェラールは今なおソール城に居座り、気ままに過ごしていた。

「楽しかったわ、ジェラール。また誘ってね」

「もちろん」

今日も彼は第二王女のセニアと遊んでいたらしい。セニアは姉のモニカを見つけ、幼い顔立ちの頬を膨らませる。

「んもうっ。お姉様がお忙しいっていうから、わたくしが代わりにジェラールと遊んであげてるのよ? ソールの城下を案内してあげるんじゃなかったの?」

「そ、そのつもりだってば。仕事が一段落したら……」

「そればっかり。お姉様もちゃんと帝国の王子様をおもてなししなくっちゃ」

十一歳のセニアには、まだソール王国とサジタリオ帝国の力関係が実感できないのだろう。ジェラールを警戒せず、遊び相手として重宝している。

「セニアの言う通りだよ。おれはきみに頼んだはずなのに、ねえ……」

「……わかってるから。急かさないで」

 ジェラールの狙いは読めていた。いつまでもモニカが頑なでいるようなら、彼はいたいけなセニアをも毒牙に掛けるつもりかもしれない。

「お部屋に戻りなさい、セニア。あたしはジェラールと話があるの」

「はぁーい」

 仲間外れにされ、セニアは口を尖らせながらも踵を返した。

 ジェラールが当然のようにモニカの肩へと腕をまわす。

「きみも少しは彼女を見習うことだ。健気でいい子じゃないか」

「……わかったふうに言わないで」

 妹がジェラールに懐くのも、無理はなかった。母親は趣味に興じるばかりで、セニアはほとんど相手にしてもらえない。モニカが国王代理に就任してからは、ますますひとりぼっちでいる時間が多くなった。

 そんな彼女にとって、ジェラールは父か兄の代わりなのだろう。

「あの子は帝国のバレエに興味があるようだよ。大きな劇場もあるからね」

「初耳だわ。そんなこと」

「賢い子なんだよ。王女としての分別があるのさ」

 姉のモニカには話さないようなことも、ジェラールには打ち明けるようだった。悔しいが、妹のセニアはすっかりジェラールに油断しきっている。

 今日も少し離れたところに例の用心棒、セリアスが控えていた。彼はジェラールではなくモニカの傍につき、何やら目を光らせている。

「ねえ、ジェラール。彼は……?」

「気にしないでくれ。きみに迷惑を掛けるつもりはないからさ」

 盗賊団を一夜のうちに壊滅させた、凄腕の剣士。彼がいる限り、ジェラールに手を出すような真似はできなかった。

「きみの部下の彼女……ブリジットも、なかなかの使い手だとは思うけどね」

「ブリジットは怒ってるのよ? あなたのせいで……」

 モニカは渋々、ジェラールとともに騎士団の様子を見に行く。

 

 ソールの王国騎士団はジェラールの介入により、再編成を余儀なくされた。シグムントは引退を強いられ、団長にはブリジットが据えられる。

 弱冠どころか成人もしていない、十八の女性騎士を団長にしたのだ。いかに彼女が名門の出身とはいえ、騎士団には動揺が広がった。

 この週末には早くも新団長の就任式を控えている。

 訓練場ではブリジットの指揮のもと、砲撃の訓練がおこなわれていた。

「モニカ様! ……と、お前は……」

「ご挨拶だね、ブリジット団長。昇進したんだ、もっと喜べばいいじゃないか」

 これまでであれば、王国騎士団は剣術や弓の練習に励んでいるはず。しかしジェラールの干渉を受け、帝国製の大砲技術を学ばなくてはならなかった。

 ブリジットにとってはそれが不満らしい。

「こんな砲など使っても、いたずらに戦火を広げるのみだ。我が身を使わない戦いなど、あってはならないというのに……」

「まだ言ってるのかい? 時代錯誤なんだよ、きみのプライドは」

「ふん、好きに言え。わたしは信念を曲げるつもりはない」

 ほかの騎士らもブリジットに賛同し、ジェラールには反感を隠さなかった。モニカは王女として、彼女らの意を汲みつつ、傲慢なジェラールに釘を刺しておく。

「言ったはずよ、ジェラール。挑発は慎んでって」

「そうだったね。僕としては、挑発したつもりじゃないんだが……」

 ブリジットの鋭い視線を背にしながらも、ジェラールはモニカを抱き寄せた。

「きゃっ?」

「き、貴様! モニカ様に無礼な真似は……」

 ブリジットは俄かに声を荒らげ、騎士たちも一様に身構える。

 それでもジェラールは平然としていた。

「なんだい? 団長殿」

 モニカも彼の手を振り払ったりせず、ブリジットをやんわりと遠ざける。

「心配しないで。女性には誰にでもこんな調子なのよ、ジェラールは」

「で、ですが……限度というものが」

 サジタリオ帝国の王子がソール王国の王女の肩を抱いているのだから、それは明白なアピールとなった。ブリジットは口惜しそうに唇を噛む。

「どこまでもわれわれを馬鹿にして……この屈辱、忘れはせんぞ」

「やれやれ、強情な騎士サマだ」

 その後もジェラールはモニカを離さず、騎士団の訓練ぶりを眺めてまわった。

 大砲の運用には皆、四苦八苦している。そもそもソールの王国騎士団は『火攻め』を嫌うため、火の扱いには慣れていなかった。

 ジェラールがモニカにだけ聞こえるように囁く。

「ブリジットの言うこともわかるんだよ。ナンセンスなのは兵器のほうさ」

「……どうしたの、急に」

「敵に剣を突き刺して殺すのと、遠くから大砲を当てて殺すのと……どっちのほうが楽にこなせるかって話でね。きみはどう思う?」

 戦場で繰り広げられるのは、言ってしまえば『ひと殺し』だった。先日捕獲された黒金旅団にしても、メンバーの数名は帝国軍に殺されている。

「大砲のほうが楽でしょうね」

「そうだ。相手が見えないところで死んでくれれば、命を奪ったと考えずに済む」

ジェラールの言葉には自嘲が含められていた。

「責任を感じずに済む……だから、勝利に酔いしれるのさ」

 ほかでもないサジタリオ帝国のことを憂いているのかもしれない。

帝国は数々の近代兵器を投入し、獅子奮迅の進撃を続けていた。勝利のたびに帝国貴族が祝杯をあげ、サジタリオの輝かしい未来を賛美しているのは、想像に難くない。

 飽くなき野望は次の勝利を欲し、兵を走らせることだろう。

「そんな気分だけの勝者が歴史を作るなんて、傲慢だね。実際、戦後の歴史を作るのは、戦時中は敗者だった国だったりするじゃないか」

 初めて彼の言葉に感心してしまった。

「……どうかしらね」

 モニカは答えず、そっぽを向いてはぐらかす。

 幼馴染みのクリムトも言うように、戦後の立ち位置こそ肝要なら、ソール王国は決してサジタリオ帝国に屈したわけではなかった。本当の勝者はいずれ歴史が決める。

 あたしの警戒を解きたくて、こんなことを……?

 ジェラールという男のことが、わからなくなってきた。

 

 半ばクリムトに政務室から追い出される形で、木曜の午後が空く。

「今日はお休みくださいと申しあげたはずです、モニカ様」

「そうは言っても、こんな時に……」

「こんな時だからこそ、ですよ。あなたにパンクされたら、王国はおしまいですから」

 この怜悧な補佐官に下手な言い訳は通用しなかった。モニカは午後の仕事を諦め、政務室のドアを閉ざす。

 まあ確かに……詰めっ放しだったものね。

 私室に戻ると、ちょうどメイドのアンナが衣類の衣替えを進めていた。

「あら? 姫様、ご政務はどうされたのです?」

「お休みになったのよ。働き詰めだからって、クリムトがね」

 ソール王国は風向きとレガシー河の関係で、夏は長いうえに高温多湿となる。祖父が健在だった頃はレガシー河の畔にある別荘で、アンナたちと過ごすのが恒例だった。

「クリムト様の仰る通りですよ。姫様もたまには息抜きなさいませんと」

「ええ。午後はちょっと出掛けるわ」

 アンナにも促され、モニカは外出用の軽いドレスに着替える。

 モニカとしては青や紫でシックに決めたいのだが、アンナにはピンクを勧められた。どうにも童顔なのがいけない。

「こういうドレスを着ないのよね、ブリジットが……」

「うふふっ。ブリジット様も恋をなされば、お召しになりますわ」

「……恋、ねえ」

 我ながら情けない気持ちになってきた。

 モニカにしろ、アンナにしろ、ブリジットにしろ、年頃の女子にもかかわらず色っぽい話のひとつもない。同い年のクリムトにしても、それらしい噂は聞かなかった。

「去年はお爺様がいなくなって、ばたばたしちゃってたけど……今年の夏こそ、みんなでバカンスに行くのってどうかしら? アンナ」

「賛成です! また一緒にブリジット様の水着を買いに行きましょう」

「外で着せるのは骨が折れそうね」

 アンナと一緒にクローゼットの中身を整理していると、ノックの音がする。

「少々お待ちくださいませ。……お、王太子殿下っ?」

メイドのアンナはしずしずと迎えに出て、驚きの声をあげた。

サジタリオ帝国の王子がやってきたらしい。半分ほど開いた扉の向こうから、ジェラールの口説き文句が聞こえてくる。

「王太子殿下だなんて堅苦しい呼び方はよしてくれ。モニカの侍女なら、きみもおれのことは『ジェラール』で構わないさ。ええと、きみは……」

「失礼致しました。わたくしはモニカ様の側勤めをしております、アンナと申します。ただいま、モニカ様をお呼びして参りますので」

 聡明なアンナは靡いたりせず、一度は扉を閉ざした。

「モニカ様、ジェラール様がいらっしゃいました。いかがなさいますか?」

「そうね……」

 ジェラールが軍事力を誇示し、ソール王国に圧力を掛けていることは、もはや周知の事実となっている。モニカの部下として当然、アンナも彼を警戒した。

(行動が早いわね。地獄耳ってやつかしら)

 どこかで王女の政務が休みになったと聞きつけたのだろう。午後の自由がなくなったのを悟り、モニカは嘆息する。

「ここで追い返しても、体裁が悪いでしょうし。……はあ、しょうがないわね」

「念のため、ブリジット様もお連れになっては?」

「またジェラールと喧嘩になるから、やめておくわ。ブリジットには何も話さないで」

 渋々モニカは部屋を出て、ジェラールと顔を会わせた。

 ジェラールがさも涼しげにはにかむ。

「やあ、モニカ。午後は休みなんだろ? 今日こそ相手してくれないか」

「……わかったわ。お昼も城下で食べましょ」

 廊下にはセリアスも控えていたが、無言のまま背を向け、行ってしまった。

「相変わらずね、彼は」

「セリアスのことが気になるのかい?」

「そういうわけじゃ……こっちよ、ついてきて」

 メイドのアンナは部屋の前で姿勢を正し、モニカたちを見送る流れに。

(頼んだわよ、アンナ。大した成果は得られないでしょうけど)

(了解しました。お任せください)

 これはチャンスでもあった。城からジェラールを遠ざけ、帝国軍の動向を探る。モニカの密偵もこなす彼女なら、上手くやってくれるに違いない。

「どこか行きたいところはあるの? ジェラール」

「きみに任せるさ」

 モニカはジェラールを連れ、馬車には乗らずに城を出た。真っ青な空では初夏の太陽がさんさんと輝き、空気も熱を帯びている。

「帝国と緯度は変わらないはずなのに、こっちは暑いねえ」

「そんなに厚着してるからよ」

「サジタリオじゃ、五月はこれくらいが普通なのさ」

 今になって、モニカも気候の差異が大きいことを知った。

 レガシー河の流域にあるソール王国は、五月頃から気温が高くなり、十月の中旬まで暑さが続く。沿岸部の国ほど苛酷な蒸し暑さにはならないが、快適ではなかった。

 それに対し、サジタリオ帝国の帝都は内陸にあり、北風が直撃することもあって、冬は寒さが厳しいという。

 ソール王国とサジタリオ帝国で衣類の感覚が違うのも当然だった。

「あなた、ひょっとして、夏物の服はあまり持ってきてないんじゃない?」

「そりゃあ、まだ五月だからね」

「じゃあ、服でも見に行きましょうか」

 無難な行き先に決め、モニカたちは城下の大通りを練り歩く。

「これは姫様! 街にいらっしゃるとは、お珍しい」

「ふふっ! ちょっと野望用で、ね」

 祖父が健在だった頃は、アンナやブリジットとともに城下で遊ぶこともあった。顔馴染みの民も多く、モニカには気さくに声を掛けてくれる。

「そちらの紳士はどちら様で?」

「ええと……最近ソールに帰ってきた友達なの。ねえ、ラル?」

 咄嗟に誤魔化してしまったが、ジェラールも自然体で合わせてくれた。

「外交官の父を継ぐため、留学していたんだ」

「そ、そうそう! だから衣替えの時期なのに、夏物が足りなくって……」

 サジタリオ帝国の第二王子が城に居座っていることは、民にも知れ渡っている。そのジェラールが堂々とソールの城下を闊歩しては、反感を買うのは目に見えていた。

「ラル、か……悪くない」

「ごめんなさい。急に聞かれたものだから」

「いいさ。きみとはもっと親密になりたいからね」

 モニカとジェラールは城下の皆と挨拶を交わしつつ、大通りを南へ。

 今日は木曜日だけあって、どこも空いていた。手頃なオープンカフェに目をつけ、ふたりで角のテーブルにつく。

「城下町に慣れてるんだね、モニカは」

「お爺様が好きにさせてくれたのよ。民の暮らしを知るのも大事だ、って」

 お気に入りのホットケーキを待ちながら、モニカは彼の甘いフェイスにじとっと冷ややかな視線を返した。

「あなただって、帝国で随分と好き勝手してるそうじゃない。王子様がいかがわしいカジノなんか作ったりして、何考えてるのかしら」

 ジェラールは頬杖をつき、しれっと言ってのける。

「別にギャンブルを奨励してるつもりはないよ。ゲームが好きでね」

「みんなは、そうは思わないでしょ」

「それがいいのさ。この醍醐味がわかる『通』は、おれしかいないっていうのが」

 とても一国の王子とは思えなかった。嫡子として上に立派な兄がいると、弟はだめになるものらしい。クリムトがあれほどしっかりしているのも、長男のゆえだろう。

 やがてホットケーキ、ジェラールにはガーリックチキンとポテトが運ばれてくる。

「お酒はいいの?」

「こんな昼間から飲まないよ。そもそも、おれはそんなに飲むほうじゃない」

 ジェラールはポテトを齧りつつ、モニカのランチ風景を眺めていた。

「きみのほうこそ、お昼がホットケーキで足りるのかい?」

「あなたほど大きな胃袋じゃないもの」

 オープンカフェのために風が吹き、モニカの髪を波打たせる。

「……ここに来て、よかったよ」

「どうしたのよ。急に」

「おれは思ったことを正直に言ったまでさ」

 いつしかジェラールの双眸にはモニカだけが映っていた。

「八年前はあんなに小さなお嬢さんだったのに……綺麗になったな、モニカ」

「……へ、変なこと言わないでったら」

 男性に初めて『綺麗』などと言われ、心ならずも動揺してしまう。

 臣下の者や民から『お美しい』と世辞を贈られるのとは違った。真剣なまなざしで容貌を隅々まで吟味されるかのようで、恥ずかしくもなる。

 食事のあともジェラールはコーヒーに味を占め、なかなか席を立とうとしなかった。

「この店が気に入ったの?」

「まあね。戦争中の帝国じゃ、なかなかこうは行かないからさ」

 その意味がわからず、モニカは小首を傾げる。

サジタリオ帝国は今なお連戦連勝、破竹の勢いで支配圏を広げていた。帝国貴族は勝利のたびに祝杯をあげ、民も帝国の栄光に胸を躍らせているはず。

「そろそろ行きましょ。ジェラール」

「なんだ、『ラル』と呼んでくれないのかい?」

遅くならないうちにモニカは休憩を切りあげ、オープンカフェをあとにした。

「そうね……案内してるわけだし、あなたにもあれを見せてあげるわ」

「その気になるのが遅いよ、モニカ。『あれ』って?」

「少し歩くわよ。ほら、こっち」

 ソール王国の城下には世にも珍しいものがある。

 それは、地図のうえでは『川』のように城下の南西部を横断していた。モニカとともにジェラールはその溝を柵越しに覗き込んで、異様な深さに息を飲む。

「なんだい? これ」

「軍神ソールが剣で斬った跡……らしいの」

 ソール王国の騎士伝説にはクライマックスで軍神が登場した。それこそが国名の由来ともなった『ソール』であり、今なお王国の守り手として崇められている。

 軍神ソールは巨大な騎士鎧の姿で描かれることが多かった。その全長は優に十三メートルを超え、一撃で大地を裂いたという。

 その裂け目が伝説のひとつとして、ここに残っていた。

 ジェラールはあとずさり、苦笑いを浮かべる。

「確かに自然にできた傷じゃないね。軍神ソールか……ちょっと怖いな」

「怖い? 王国の男の子だったら、一度は憧れるのが普通よ」

 モニカのほうは裂け目の傍に留まり、肩を竦めた。

 古代王を打ち倒し、王国を救った英雄。ソールの民なら、それを畏怖することはあっても、いたずらに恐怖することはない。

「にしても、本当にすごいね。渡るのに橋がいるわけだ」

「城下の外まで行けば、柵もないのよ。剥き出しになってるわ」

 ジェラールのまなざしは裂け目を越え、青空の遥か向こうまで飛んだ。

「軍神ソールと古代王、か……。実際のところ、悪者はどっちだったんだろうね」

 疑問めいた囁きにモニカは目を白黒させる。

「古代王が悪者に決まってるじゃない」

「ソールの騎士伝説を貶めるつもりはないんだよ。歴史の勝者が敗者を『悪者』として扱うことは、帝国の歴史にも見られるからさ」

 かつて教会勢力が絶対的な力を有していた時代、その支配圏において彼らは土着の信仰を『悪魔崇拝』と決めつけ、淘汰した。そこまで過激ではないものの、サジタリオ帝国もあちこちで文言を統制し、価値観をすり替えようとしている。

 そのようなことを、帝国の第二王子が口にするとは思わなかった。

「……ジェラール?」

「ああ、ごめん。せっかくのデートなのにすまなかったね」

「デートじゃないんだけど」

 彼の冗談に呆れ、モニカは肩を竦める。

 王国の名所を眺めつつ、ふたりは次こそ洋服店へ向かった。

「服が欲しいんだったわね」

「ああ。頼むよ」

ソール王国には騎士伝説が根付いていることもあって、貴族向けの紳士服には規律を重んじ、整然とした意匠のものが多い。

「夏物にしても、これはちょっと暑いんじゃないか?」

「生地が違うのよ。ほら、薄いでしょ」

襟元を詰めるメンズにしろ、コルセットを締めるレディースにしろ、寒暖は二の次になっている印象はあった。女性にタイツがあれば、男性にはマントがある。

「どうせならソール王国流に決めたいなあ」

「……あなたが?」

 ジェラールは気の赴くままに試着を繰り返した。端正な顔立ちと背の高さも相まって、何を着ても絵になってしまう。

 姿見の中でも美男子は小粋に微笑んでいた。

「お似合いですよぉ、お客様」

「うん、いいね! これにするよ。……ああ、このまま着て帰ろうかな」

「でしたら、先ほどのお召し物はこちらに入れておきますね」

 ミーハーな店員にも乗せられ、ジェラールは装いを新たに歩き出す。

「こうなってくると、靴も欲しいな」

「贅沢なひとね」

「いいじゃないか。今日は付き合ってくれたお礼に、きみにもプレゼントするからさ」

「え? あ、あたしは別にそんなつもりじゃ……」

 文句をつけるふりをして、おねだりしたつもりはなかった。それに幼馴染みのアンナに選んでもらうのならまだしも、ジェラールのセンスは今ひとつ信用できない。

「おっ、いい店があるじゃないか。さあ」

「ち、ちょっと待……」

 その店を前にして、モニカは唖然してしまった。

 ジェラールに勧められたのは、まさかのランジェリーショップ。ところが男子禁制にもかかわらず、ジェラールは平然と店内へと足を踏み入れる。

「いらっしゃいま、せぇ……?」

 女性店員も男性の来店に驚き、顔を引き攣らせた。

 むしろ女性のモニカのほうが尻込みしつつ、ジェラールの袖を引く。

「ちょ、ちょっと! 何考えてるのよ?」

「きみにはおれが選んだ下着を着けて欲しいからね。……だめなのかい?」

 男性が女性に好みの下着を着用させる――その意味するところはモニカも察した。

ブラジャーやショーツには下着としての機能のほか、パートナーとの『夜』にも役割が求められる。

「い、いらないってば。こういうのは普通、自分で……」

「おや? 自分の立場を忘れたのかな、モニカ」

 ジェラールはモニカの髪を撫で、やんわりと言い聞かせた。

「これでも本国からは『早く結果を示せ』と急かされてるんだよ。きみがおれに話を合わせてくれるなら、おれも穏便に済ませられるんだが」

 彼には便宜を図ってもらっている以上、モニカ王女に拒否権はない。

 サジタリオ帝国が侵略目的でソール王国に軍を派兵してきたのは、自明の理。こちらはおめおめと駐屯を許し、騎士団の主導権まで握られてしまった。

 このまま支配下に組み込まれるも、独立を保てるも、ジェラールの胸ひとつだった。

「きみはおれの言う通りにするんだ。いいね?」

「……わ、わかったわ……」

 店員らは客がモニカ王女であったことにも驚いたが、次第に警戒を解き、ジェラールを受け入れる。ここで彼氏が彼女の下着を選ぶことは、割とあるのだろう。

 しかも今回の客は王女のモニカ。店員としては面白いに違いない。

「ご安心くださいませ、モニカ様。このことは他言しませんので……うふふ」

「あたしは別にそんなつもりじゃ……」

 モニカ本人は口ごもるしかないのをよそに、ジェラールは恋人のための下着を物色していた。とりわけ白やピンクに興味があるらしい。

「ドレスに遜色がないくらい、もっと派手なやつはないかな」

「それでしたら、こちらに」

 試着に応じずとも、モニカの胸元にはさまざまなブラジャーが当てられた。姿見の前でモニカは立ち竦み、破廉恥なデザインの応酬に息を飲む。

(こんなものまで穿かせるつもり?)

 サイドを紐で結ぶショーツなど、信じられなかった。

「これにしようか、モニカ」

「……本気で言ってるの? あなた」

 結局、ジェラールの希望通りに買う羽目となる。

「次の夜が楽しみだよ」

「~~~っ!」

 いけしゃあしゃあと主導権を握られ、モニカの小顔は赤々と染まった。

 一国の姫君が隣国の王子に脅迫され、艶めかしい下着の着用を強要されたのだから。それはモニカにとって屈辱にほかならない。

(やっぱり最低だわ、このひと!)

 わざわざ彼を案内してやったことを、怒りとともに後悔する。

 

「え? 部屋には入れてくれないのかい?」

「当たり前でしょ! 大体、このあたりは男子禁制なの」

 城に戻り、ジェラールを追い返したところで、メイドのアンナから報告が入った。

「お帰りなさいませ、モニカ様。……先ほど、ジェラール様のお部屋を調査しまして。詳しくはこちらをご覧ください」

「危ないことさせて、ごめんね。アンナ」

 ジェラールに振りまわされた甲斐はあったかもしれない。

 アンナは彼の部屋で指令書やメモなどを発見したようだった。やはりサジタリオ帝国は再三に渡り、ジェラール王子にソール城の占領を催促している。

 それに対し、ジェラールは『順調』と答えていた。

 力任せの侵略行為はかえって反乱分子を刺激し、あとあとの窮地を招く。ここで事態が大きくなれば、帝国は後方のソール攻略のために兵力を割く羽目となり、東と南の戦線を維持できなくなるだろう。ソール王国には当面、現状の干渉で充分である。

――と、ジェラールのメモにあったらしい。

 報告書に一通り目を通してから、モニカ王女は腕組みのポーズで思案に耽った。

「いかがなさいましたか?」

「ちょっとね。これ見よがしな気がして……」

 王国騎士団を翻弄したうえで入城を果たしたジェラールは、決して馬鹿ではない。借りているだけの部屋に、こうも重要な機密を置き去りにするとは考えにくかった。

 むしろモニカを焦らせるべく、揺さぶりを掛けている可能性があった。サジタリオ帝国がソール侵攻を目論んでいるとなっては、猶予もなくなる。

 いずれにせよ、ジェラールに反抗するのは得策ではなかった。

「何がしたいのかしら。あのひと」

 モニカは窓を開け、鬱屈とした空気を入れ替える。

「ところでモニカ様、そちらの包みは?」

「……はあ。下着よ」

「え? ジェラール様と城下に行ってらしたのでは?」

 その誘惑的なデザインを目の当たりにして、さしものメイドも唖然とした。

 

 

 金曜日の夕方、モニカの部屋へと一通の手紙が届けられた。ジェラールからのもので、憚ることなく『今夜』についての注文が綴られている。

 手紙の内容にはメイドのアンナも薄々勘付いているようだった。

「モニカ様、あの……ジェラール様はなんと?」

「気にしないで。大したことじゃないの」

 モニカは手紙を引き出しに仕舞い込んで、顔を顰める。

どこまでも好きにして……。

 だがジェラールの要望に応じなくては、ソール王国に未来はなかった。自分が身体を張らなくては、妹のセニアまで狙われかねない。

「今日はもうあがってちょうだい、アンナ。あたしももう寝るから」

「了解しました。失礼致します」

 メイドを帰してひとりになるや、寒気がした。これが恋人との逢瀬ならまだしも、今夜の相手は興味本位でしかないのだから。

 さすがに王子だもの、ジェラールだって無茶はしないわよね?

 でも……無理やり押し倒されたりなんかしたら……。

 安心するための言い訳を求めては、それ以上の不安に駆られた。モニカは彼にもらった下着を身に着けながらも、鏡を直視できず、キャミソールを手繰り寄せる。

これを重ねたって、命令に逆らったことにはならないわよね。

 やがて夜の九時を過ぎ、ソールの王城も静まり返った。宮仕えの使用人たちは宿舎へと引きあげ、見まわりの兵だけとなる。

 モニカとセニアの私室の前では、ブリジットの部下である女性騎士らが張っていた。今はサジタリオ帝国と緊張状態にあるため、城内の警備に余念がない。

モニカは後ろ髪を引かれつつ、監視の目を遠ざけておく。

「今夜はもういいわ。さがってちょうだい」

「……承知しました」

 さがらせたところで、彼女らはこの近くで警戒を続けるだろう。ジェラールには上手くかわしてもらうしかない。

 約束の時刻は九時半。さらに十分ほど遅れて、ようやくジェラールが現れた。

「ごめん、ごめん。待たせたね、モニカ」

「い、いいえ……早く入って」

 人気がないうちにモニカは彼を部屋へと招き入れ、扉を閉ざす。 

 ジェラールは感心気味にモニカ王女のプライベートルームを見渡した。

「ここがきみの部屋かぁ」

 王女の私室にしては平凡な造りかもしれない。花柄のカーテンに凝ったのはアンナの趣味であって、アンティークも少なかった。

せいぜいドレッサーに化粧品が一通り揃っている程度。

 ただベッドの傍にある、愛らしいウサギのヌイグルミが目を引く。妹のセニアとともにモニカも受け取る羽目になった、ある筋からのプレゼントだった。

 そのウサギに見られているような錯覚がして、モニカはヌイグルミを後ろに向ける。

「ア、アイスティーでいいかしら?」

「ああ。きみに淹れてもらえるなんて、嬉しいね」

 ジェラールは客人用の椅子ではなくベッドへと腰掛けた。余裕たっぷりにレモンティーを味わい、グラスを少し遠いテーブルへ戻す。

「きみも座ったら?」

「……ええ」

 緊張しつつ、モニカも同じベッドで腰を降ろした。

 まさか『いきなり』なんてこと……。

 彼の指示通りに新しい下着を着けているだけに、不安が募る。

 そちらの方面には疎いモニカでも、ジェラールの今夜の目的はわかっていた。もとより彼はモニカを自分のものとすることに固執し、いよいよ決行したまで。

彼が望むなら、モニカは純潔さえ捧げなくてはならない。

「そう怖がらないでくれないか、モニカ。今夜はまだ手を出したりしないさ」

「……本当に?」

 ようやくモニカは顔をあげ、彼と目を合わせた。

「誓うとも。だから、もっとこっちにおいで」

 今夜は『まだ』という言葉には、男性なりの躊躇も感じられる。

 胸の中に溜まったものを吐き出して、モニカはおずおずとジェラールの傍に寄った。それを待ちかねていたように、彼の手が腰へとまわってくる。

「じゃあ、そろそろ楽しませてもらおうか」

「え? 今夜は何もしないって……」

「どうかな? おれは男で、きみは女なんだ。夜にふたりで会えば、こうなる」

 不意にジェラールの顔が迫ってきて、モニカの顔とすれ違った。

左の耳たぶを食まれ、モニカはびくっと身体を震わせる。

「ち、ちょっと?」

「静かに。さあ……おれの言うことを、よく聞くんだ」

 決して乱暴なものではなかった。あくまでモニカを驚かせる程度のもので、吐息だけを吹きかけてくる。その息に甘い囁きが紛れ込んだ。

「着てるんだろ? 見せてくれ」

「え……?」

 端的だがストレートな要求に、モニカはごくりと息を飲む。

 見せろ、というのは下着のことに違いなかった。夕方の手紙でも指示があったため、例のランジェリーを身に着けてはいる。

「そ、そんなこと言われても……あたしたちはそういう関係じゃ……」

「おれと約束したじゃないか。きみは『すべてを捧げる』とね」

 モニカの抵抗を意に介さず、ジェラールは手に力を込めた。モニカの華奢な身体を我が物同然に抱き寄せて、さらに唇を近づけてくる。

「言うことが聞けないなら、無理強いするまでだよ。王女」

「くぅ……卑怯なひとね」

 すべてはソール王国のため。モニカにできることは、暴君となりかねないジェラールの機嫌を取ることだけだった。ドレスの紐を緩め、おもむろに剥がしていく。

 本当にこれで……?

 彼を満足させられるだけの魅力があるのか、自分ではわからなかった。そもそも男性が女性の身体を求めることには、嫌悪感ばかりが強い。

 不愉快そうにジェラールは眉を顰めた。

「……悪い子だね、モニカは。それとも、おれを焦らしてるのかい?」

 ドレスの下にはキャミソール。この一枚が、かろうじてモニカの柔肌を覆っている。

「こ、これで限界なの。もう充分でしょ……?」

 ここから先は脱ぐに脱げず、全身を強張らせるほかなかった。

 愛しているわけでもないジェラールには、見せられない。我が身を差し出して国益を守れるほど、豪胆な女にはなれなかった。

「だめだね。脱ぐんだ」

 しかしジェラールは語気を強め、モニカを仰向かせる。

「次はないよ。きみが逆らうなら、明日はこの城にサジタリオの国旗が昇る」

 脅迫に容赦はなかった。本国からの要請もある以上、その気になったが最後、彼は即座に占領を実行に移すだろう。

「城下のみなが奴隷とされるのを見たいかい? ……まあ、きみはおれに奪われもせず、清らかな乙女でいられるんだけどね」

 ジェラールの言葉は巧みにモニカの恐怖を煽った。

 己の純潔をないがしろにされるより、民を蹂躙されるほうが耐えられない。その瀬戸際に立たされ、モニカは痛いほどに唇を噛む。

「……わ、わかったから。キャミを脱げば……いいんでしょ?」

 普段は意識せずにやっていることが、この時だけは困難でならなかった。キャミソールを脱ぐしても手が震え、肩や肘で紐を引っ掛けてしまう。

 それでもモニカはキャミソールを剥がし、うら若いスタイルを披露した。

「あ、あんまり見ないで……」

 猛烈な羞恥に駆られ、王女の顔も真っ赤に染まる。

 ジェラールは前のめりになって、モニカのセミヌードをしげしげと眺めた。それこそ舐めるような視線でボディラインをなぞり、胸の谷間まで覗き込む。

「よく似合ってるよ、モニカ。きみにはやっぱり白かピンクと思ったんだ」

 ブラジャーとショーツは純白を基調としつつ、ピンク色の紐で形を調えられていた。胸の下にはフリルを重ね、モニカの膨らみを際立たせている。

 ショーツは機能的とは言えず、生地が薄ければ、面積も心許なかった。せめてモニカは太腿を念入りに閉じ合わせて、彼の視線を拒む。

「……たまらないな。今夜のきみには、一国の命運を左右するだけの価値がある」

 やっとジェラールは脅迫を取りさげ、態度を軟化させた。先ほどの約束通り、モニカの身体へといたずらに触れることもしない。

「王国のために我が身を差し出す、健気な姫君……実にいいね」

「悪趣味だわ」

 モニカは両手で胸元を隠しつつ、足元のドレスを見下ろした。

「も、もういいかしら?」

「何を言ってるんだい、きみは。これからじゃないか」

 しかし左手をジェラールに取られ、隠すのが疎かになる。ジェラールはモニカを姿見の前に立たせて、モニカ自身にも悩ましい恰好を直視させた。

「おれが来る前はこうやって合わせてたんだろ?」

「や、やめてったら! 恥ずかしい……」

 鏡の中で王女は彼と自分、ふたり分の視線に耐えかねて身じろぐ。

 さらにジェラールは恐ろしいことを囁いた。

「それじゃあ、出掛けようか」

「……なっ?」

 すぐには言葉の意味がわからなくて、モニカは瞳を強張らせる。

 この恰好で部屋を出ろ――思いもよらない破廉恥な命令には、慄然とした。しかしジェラールは小憎らしく微笑むばかりで、撤回しない。

「いざって時は、おれのマントに隠れるといいさ。恋人のように……ね」

 怒りがふつふつと込みあげてきた。本当にモニカを奴隷のように考えているのか、傲岸不遜にいかがわしい要求を突きつけてくる。

「嫌とは言わせないよ。さあ」

「……え、ええ……」

 無論、反抗の余地は与えられなかった。今夜はジェラールを満足させるしかない。

 靴だけは履くことを許されたが、かえって余計に滑稽な恰好となってしまった。ジェラールに肩を抱かれつつ、モニカは下着だけのスタイルで部屋を出ることに。

 初夏とはいえ、夜の王宮は肌寒かった。

 こんなとこ誰かに見られたりしたら、あたし……。

 恐怖もあって肝が冷える。

 かくして一国の王女にあってはならない夜遊びが始まった。ジェラールはマントを羽織っているものの、モニカにはそれを掛けようとしない。

「どうだい? モニカ。自分の城をそんな恰好でうろつくのは」

「さ……最低に決まってるでしょ」

 モニカは頻繁に手の位置を変え、胸を隠しては、ショーツの手前を押さえた。

 ブラジャーもショーツもそう簡単にずれるものではない。しかし状況が状況だけに、急に外れはしないかと不安でならなかった。

「こっ、こんなことさせて……あなたは楽しいわけ?」

「楽しいから、やってるんだ。これでもおれは我慢してるんだけどなあ」

 横目がちに睨んでやると、ジェラールは不敵な笑みを浮かべる。

「きみを無理やり抱くことはできるが、それじゃ面白くない。きみにはじっくりと、おれのものになったってことを自覚してもらわないと」

 彼の支配的な欲求には早くも愛想が尽きそうになった。この調子では、しばらくは操を守ることはできるにしても、こうして屈辱的な辱めを与えられるのだろう。

 そろそろ十時を過ぎる頃合いであり、回廊はすでに消灯されていた。ジェラールとモニカでカンテラの灯かりを頼りに進む。

「……そろそろ戻らない? 何の意味があるのよ、こんな悪戯……」

「まだまだ。……おっと、誰かいるようだね」

 帝国軍の動向を警戒し、城には哨戒中の騎士も多い。ジェラールはマントでカンテラの灯を隠しつつ、見張りの兵をやり過ごした。

 まだジェラールは服を着ているのだから問題ない。その一方で、モニカは可憐で危ういランジェリー姿。女体曲線は惜しみなく晒され、カンテラの灯で肌が照り返った。

 恥ずかしさのあまり、モニカはとうとう涙ぐむ。

「も、もういいでしょ? お部屋に……」

「あと少しだよ。ほら」

 それでもジェラールは退かず、モニカを城の屋上まで連れ出した。

 モニカたちの頭上では満天の星空が輝き、数多の星座がパレードと洒落込んでいる。

「風邪をひかせてもいけない、か」

 ようやくジェラールは半裸のモニカをマントで包んでくれた。

「……ジェラール?」

「きみと星が見たかったのさ。子どもの時は雨で台無しになったじゃないか」

 美麗な夜空を仰ぎ見て、モニカは瞬きを繰り返す。

 八年前もジェラールには『星を見るぞ』と、夜中に連れ出されたことがあった。けれども雨雲に遮られ、月さえ見えなかった。

 今夜は三日月も金色の光を放ちながら、ソールの城下町を見守っている。

「綺麗……」

「だろ? 真上にあるのが、おれのしし座さ」

 星が多いせいか、夜空はブルーを溶かし込んだように幻想的な色合いだった。

「それは八月の星座じゃないの?」

「おれに言われてもね……で、あの左にあるのが、きみのおとめ座さ」

 しし座の隣にはおとめ座がある。そう言われても、モニカには区別がつかない。

「星に詳しいのね、あなた」

「おれのカジノでは星座占いなんかもやってるんだ」

 いつしかモニカは服を着ていないことも忘れ、呆然と星空を眺める。

 国王代理に就いてからというもの、こんなふうに星に見惚れることなどなかった。その輝きを掴めそうな気がして、手を伸ばすも、届きはしない。

「……戻ろうか」

「あ、そうね。こんな恰好だし……」

 名残惜しく思いながらも、モニカはジェラールとともに屋上をあとにした。帰りはジェラールのマントに隠してもらい、最短のルートで部屋まで戻る。

 ところが、その途中でブリジットと鉢合わせになった。

「ブ、ブリジット?」

「姫様っ?」

 互いに驚愕し、ぎくりと顔を強張らせる。

 しかもモニカのほうは下着だけ。ブリジットには見せられまいと、ジェラールのマントを我が身に手繰り寄せる。

 そのせいで、傍目には『逢瀬』の様相を呈してしまった。

 ジェラールは平然とモニカを抱き寄せつつ、意味深に含みを込める。

「野暮だなあ。おれたちが何をしてるのか、わからないのかい?」

「な……」

 ブリジットは赤面し、おたおたとうろたえた。

「い、いやまさか、姫様に限ってそのようなこと……」

 なまじ信じてもらっているだけに、モニカも苦しい。しかし裸同然の恰好では、下手に動けず、彼女を遠ざけるほかなかった。

「ご、ごめんなさい……ブリジット。今夜のことは忘れてちょうだい」

「姫様? 一体、この男に何を吹き込まれたのです?」

「だっ大丈夫だから、来ないで!」

 敬愛すべきモニカ王女にぴしゃりと拒まれ、ブリジットは目を点にする。

「……ひ、姫様……」

「本当にごめんなさい。行きましょ、ラル」

「そうだね」

 半ば放心するブリジットを残し、ふたりは早足でその場を去った。ジェラールはすっかり機嫌をよくして、恋人との逢瀬に酔いしれる。

「やっと『ラル』と呼んでくれたね」

「さっきのは仕方なかったのよ。あの子を誤魔化したくて……」

 一方、モニカのほうは懲り懲りだった。星空を眺める分には悪くなかったものの、下着姿で歩かされ、ブリジットには誤解されて。

どうしてブリジットがあんなところに……まさか、アンナが手紙のことを?

 恋人のふりに徹したことで、墓穴を掘ったかもしれない。

「もっと愛を込めて呼んでごらんよ、モニカ」

「ふざけないで」

 とにかく今は早く服を着たかった。

前へ     次へ

※ 当サイトの文章はすべて転載禁止です。