Rising Dance

第三話

 紅葉のシーズンも過ぎ、寒さが身に染みる季節になった。

 今日も今日とて私、御前結依は、仲間と一緒にスタジオでレッスンに励んでる。

 この時間はカメラの勉強。複数のカメラが順番にシャッターを切るのを、中央でポーズを決めながら追っていくの。これがすごく難しい。

 杏さんはしょっちゅう枠を外れてた。

「また3番あたりからズレてるって、杏。顔が入ってなーい」

「ええっ? そんなはずは……」

 この手の技術はリカちゃんの専売特許で、私と杏さんは教わるばかり。

 リカちゃんはタオルを首に掛け、ドリンクで一息ついた。

「ふー。ふたりとも、まだまだ。杏はカメラワークがイメージできてないし、結依は真中の立ち位置をキープしすぎて、動きが少ないしさぁ」

 三次元的に複数のカメラを把握するなんて、なかなか思うようにいかない。

 ほかにも、カメラのほうで操作することなく顔をアップにするとか、私の知らない小技がたくさんあった。杏さんも同様に苦戦してる。

「休憩にしましょうか。根を詰め過ぎちゃっても、何だし」

 でも歌の練習のほうでは、杏さん、めきめき上達してた。リカちゃんの技術を取り込んで、歌に感情的な深みが出てきたの。

 私とリカちゃんも、杏さんのオペラの先生に教えてもらえるようになって……。ただしそっちでは、リカちゃんが悪戦苦闘しちゃうのが恒例になっていた。

「ずっと説明しっぱで、つーかーれーたー」

 リカちゃんが暑がって、ジャージのファスナーを緩めちゃう。

「ちょっと、リカ! こんなところで……み、見えちゃってるじゃないの」

「カタいこと言わないでよ。女同士なんだし、別に」

「け、けれど……結依が」

 杏さんは警戒するように私を見据えた。

 実は、女の子と交際してたってことがばれちゃって……。私は赤面しつつ、両手をぶんぶんと振って、我が身の健全ぶりをアピールする。

「待ってください、杏さん! 私、そんな、見境なしってわけじゃないですから」

「ご、ごめんなさい。気にしないようにはしてるつもり、なんだけど」

 リカちゃんは素っ気ない調子で椅子で横になり、あくびしてた。

「男じゃないんなら、いいじゃん。でも結依、あたしを襲ったりしないでね」

「……だったらちゃんと前、閉めて」

 そのうち更衣室から追いだされそうだわ。

 

 練習の後は井上さんに呼びだされて、事務所のほうへ。

 もしかしたら『湖の瑠璃』で何か動きがあったのかも。年が明けたらコンサートもするらしいけど、まだ具体的には聞いてない。

 部屋の数が少ないため、ちょっとした相談事には客間を使っていた。杏さんが井上さんの分だけじゃなく、私やリカちゃんにもお茶を淹れてくれる。

 井上さんがファイルから今回の企画書を取りだし、テーブルで広げた。

「行き当たりばったりでアレだけど、面白い仕事が取れたの。先方にはもう『NOAHで引き受けます』って言っちゃったから」

 ひょっとして、また外泊とか? 前回の定期試験がいまいちだった私は、ぎこちない素振りで企画書から目を逸らす。

「……結依。考えてることが顔に出てるわよ。泊まりじゃないから安心なさい」

「うっ。じ、じゃあ、どんなお仕事なんですか?」

 NOAHの三名は井上さんに正面切って、息を飲んだ。

「声優」

 杏さんと私は揃って首を傾げ、リカちゃんは『ふぅん』と頷く。

「確かリカも、声優は経験なかったんじゃないかしら」

「声優はありませーん。あっ、洋画の吹き替えだったら演りたいかも!」

 概要くらいは私にだって想像がついた。アニメのキャラクターに声を当てたりするお仕事、でしょ? ヒーローショーで似たようなことも経験した。

「そう構えなくてもいいわよ。結依でも何とかなるレベルだから、取ってきたんだし」

 井上さんの一言がぐさりと刺さる。

「私でも、ですか……」

 企画書には『カルテットサーガⅡ』というタイトルが記されていた。ファンタジー世界で少年少女が大冒険する、定番のゲームって感じね。

 杏さんは企画書を捲りつつ、目を点にした。

「ゲーム……ですよね、これ。声が出たりするものなんですか?」

「それくらいトーゼンでしょ? もしかして杏、ゲームってやったことない?」

「弟も全然やらないし……わたしにできるかしら」

 私もこういう、家でプレイするタイプのゲームについては、よく知らない。 

「あら、触ったことない? じゃあ事務所にゲーム機、置いておくわ」

 そんな私たちのため、井上さんが要点を掻い摘んでくれた。

 この『カルテットサーガⅡ』は、メインキャラクターの全員がフルボイスで、そちらはすでに収録が終わっていた。ところが後になって、残りのキャラクターも音声つきで喋らせたい、っていう要望が出たわけ。

 企画書に挙がっていたのは、武器屋や道具屋などの、店員さんの役だった。

「配役は台詞の量なんかを見て、決めるといいわ。役は四つだから、誰かが二役ね。でも杏は時間掛かりそうだから、少ない役が無難かしら」

「……ハイ」

 名指しされた杏さんがうなだれる。

 リカちゃんはまじまじと企画書を眺めていた。

「社長って、よくこーいう……お弁当箱の隅つっつくようなの、探してくるよねー」

「それを言うなら重箱の隅、ね。フォローは頼んだわよ、リカ」

 やっぱり井上さんの営業力ってすごいみたい。多方面にコネクションを持ってるし、強引な時もあるけど、NOAHをしっかりプロデュースしてくれる。

 そのはずが、リカちゃんには疑問がある様子。

「それよりさぁ、社長ー。いつになったら、あたしたち『デビュー』すんの?」

 NOAHの結成、実をいうとまだ公式には発表さえしてなかった。普通はお客さんを呼んで、歌を披露したりするらしいけど……。

杏さんもリカちゃんと口を揃える。

「曲なら『湖の瑠璃』がありますよ? 練習だってしてますし」

「ちゃんと考えてるわよ。確定したら伝えるから、待っててちょうだい」

 当事者となる私たちにも、まだ教えられない段階なのね。

「あっ」

 リカちゃんが何気ない声をあげた。

「このゲームって、前作はあれでしょ? 藤堂旭が出演したっていう」

「とととっ、藤堂旭さんっ?」

 杏さんが急に勢いつけて立ちあがり、目を見開く。

 女性に大人気の美男子俳優、藤堂旭。甘いルックスと殺し文句の数々は、年齢を問わず女子の憧れになっていて、私のお母さんもドハマリしてた。

「そうそう。メインキャラのボイスに取り残しがあるとかで、藤堂旭も来るわよ」

「藤堂旭さんも収録に来るんですかっ?」

 杏さんの瞳がきらきらと輝く。藤堂旭に会えるとわかるや、杏さんは赤く色づいた頬を押さえ、悦に入ってしまった。

 意外に面食いだったんだ? 杏さんって。

「でも藤堂旭って、確か……」

 私が言いかけるのを、リカちゃんがかぶりを振って制す。

「聞―てない、聞―てない。どうせ当日になったら、わかることよ」

 杏さんはすっかり陶酔しちゃってた。

 

 

「おかしくない? 結依、どこも変じゃない?」

 朝からこれで何回目かな? 普段は派手に着飾ることのない杏さんが、フリル満載のコーディネイトで、凄まじい気合の入りよう。

 ご機嫌な杏さんを追いつつ、私とリカちゃんは適当に相槌を打つ。

「ん、可愛い、可愛い」

「そういう服も持ってたんですね」

 そんな恰好で収録したら、衣擦れの音が紛れ込んじゃいそうだけど、言えなかった。今の杏さんを下手に刺激するわけにはいかないもの。

 今日の収録は大手プロダクションのビルでおこなわれることになった。

それがマーベラス芸能プロダクション。藤堂旭も所属する、業界切っての大勢力で、井上さんの以前の職場でもあった。

何より恐ろしいことに、あの観音怜美子さんがいるところよ。

とはいえ人気絶頂で多忙を極める怜美子さんが、私たちの収録を見に来るなんて、ありえない。そう自分に言い聞かせ、私は肩の力を抜いた。

 リカちゃんの意識は、お仕事よりもゲームに向かってる。

「塔のボスってさ、強すぎない? あれはどーやったって勝てないでしょ」

「こないだの洞窟でも、そんなこと言ってなかった? ちゃんと錬金をして……」

 のんびり歩いてる私やリカちゃんを、杏さんが肩越しに振り向き、急かす。

「はやく! 藤堂さんを待たせるつもり?」

「充分間に合いますってば……はあ」

 杏さんったら、完全に舞いあがっちゃってた。本人は『恋愛じゃないから!』『憧れてるだけだから!』って言い張るけど、猪突猛進の様相を呈してる。

 女性タレントがこんな調子で大丈夫なの?

 リカちゃんは呆れ顔になっていた。

「で、ほんとに錬金屋の役、杏でいくの? 結依も台詞は大体憶えてんでしょ?」

「まあまあ。もうちょっとだけ、杏さんの好きにさせてあげようよ」

 一抹の不安がだんだん大きくなってくる。

 

 駅から歩くこと十分、私たちは目的地に到着した。

 マーベラス芸能プロダクションの本拠地は、ビル街の中でも一際目立つ。当然のように最新鋭のセキュリティが設けられ、私たちには客人用のID証が渡された。

 二十階建てのビルの全フロアが、マーベラス芸能プロダクションだなんて……。私は気遅れてしまって、最後尾にまわる。

「あたしも夏までここにいたからさ、案内したげる」

「あ、挨拶はわたしからよ? 絶対」

 一方で、リカちゃんと杏さんは平然としていた。リカちゃんのおかげで迷うことなく、収録スタジオまで直行する。

 ビルの中では監視カメラが睨みを利かせてた。私の挙動不審ぶりも映ってるはず。

 しばらく歩いて、目的の収録スタジオに到着した。杏さんがドアを開ける。

「おっ、おはようございまーす! VCプロのNOAHです」

 スタッフさんらは機材の準備中だった。

「早いねえ。そっち座って、待ってもらえる?」

 杏さんが急かすものだから、予定より早くついちゃったわ。

 お目当ての藤堂旭さんは、すでに椅子に腰掛け、台本を読み耽っている。その顔つきは眉目秀麗として、気丈な雰囲気をまとってた。

 あれが藤堂旭さ……。

「ち、ちょっと失礼します!」

「えっ、杏さん?」

 杏さんが一旦まわれ右して、私とリカちゃんを廊下まで連れだす。

 いきなり会えるとは思ってなかったみたい。杏さんは興奮しつつ、手鏡で身だしなみの最終チェックをおこなった。

「本当に大丈夫よね? わたし、これでいい?」

「さっさとしなさいよ~、もお」

 巻き込まれっ放しのリカちゃんが、やれやれと溜息をつく。

 これ、いつまで続くんだろ?

 杏さんを中央に据え、改めて私たちはスタジオに足を踏み入れた。杏さんが祈るように両手を合わせつつ、もじもじと藤堂さんに近づく。

「あ、あああ、あのっ! とと、藤堂さん、おはようございます!」

 ずっと台本に集中していた藤堂さんが、ふと顔を上げた。

「ん? あぁ、ごめん、気付かなくて。井上さんとこの小鹿ちゃんたちだね」

 こ、小鹿ちゃん……?

 日常会話でそこまでエレガントな言葉、聞いたことがない。

 藤堂さんは立ちあがり、甘いフェイスではにかんだ。

「玄武くんと、それから松明屋杏くんだよね?」

「ははっはい! あのっ、き、今日はよろ、よろしくお願いします!」

緊張も最高潮の杏さんが、お辞儀のつもりで頭を急降下させる。

「僕のほうこそ。わからないことがあったら、何でも気軽に聞いてくれたまえ」

 藤堂さんの視線が一瞬、私の顔をちらっと見た。

私の名前だけ出てこなかったのかな? 無名の新人だし……。

 杏さんは早速、付箋つきの台本を開いて、声を弾ませる。

「そ、それじゃ、ご指導とかお願いできますか? わたし、演技が苦手で」

「もちろん、僕でよければ。ふぅん……キミが錬金屋をやるんだね」

 その台本を藤堂さんも覗き込みながら、レクチャーを始めた。杏さんの小顔は紅潮しつつ、幸せそうに蕩けちゃってる。

 ……まあ、藤堂さんが怜美子さんみたいなひとじゃなくて、よかったわ。

 ついていけない私とリカちゃんは、少し離れて腰を降ろした。

「ここで練習してても、いいのかな?」

「いいけど、先にこっちの台本と同じか、確認ね」

 それにしても、同じビルの中に自前のスタジオがあるなんて。だけどリカちゃんや井上さんは、この環境を捨てて、今はVCプロにいるんだよね。

「あんまり想像つかないなあ。お店のひとが、自分の声で喋ったりするんでしょ?」

「そっそ。あとで何回聞いても、恥ずかしくならないようにしないとね~」

 場慣れしてるリカちゃんのおかげで、私の準備も滞りなく済んだ。

 最終確認のつもりで台本に目を通していると、いきなり背後から目隠しされる。

「だーれだっ?」

 え? リカちゃんなら隣にいるし、杏さんはこんな遊びしないし……。

「はーい、時間切れ。大先輩の声もわからないんて、ダメな新人ね」

「誰なんですか? いきな、り……」

 振り向いた先には、御前結依の天敵がいた。

観音怜美子さん! いつの間にか、あの怜美子さんが後ろにまわり込んでいたの。

 私は慌てふためいて、壁際まで後退する。

「れれっ、れ、怜美子さん? どうしてここに?」

 怜美子さんは両手の指をわきわきと動かし、私を捕食したがってた。

「結依ちゃんが来るっていうから、ちょおっと、遊んであげようと思ってー」

「で、でも……お忙しいんじゃ?」

「わたしにだってオフの日くらい、あるわよ。さあ~」

 その美貌に酷薄な笑みを浮かべ、舌なめずりする。

私を玩具にして遊ぶつもりだわ……。

「オ、オフなら家で休んでてくださいよぅ」

「あら? せっかく教えにきてあげたのに。薄情な後輩ねえ」

 怜美子さんほどの実力者に指導してもらえる機会なんて、滅多にない。でも怜美子さんの場合はあからさまに意地悪目的なんだもの。

「諦めなって、結依。運がなかったのよ……ぷぷっ」

「リカちゃんの裏切り者ぉ~!」

 他人事でいられるリカちゃんが羨ましい。

 ところが怜美子さんの強引な干渉を、藤堂さんが制してくれた。

「それくらいにしないか、怜美子くん。同じ事務所の先輩後輩ならともかく」

 きょとんとする杏さんを置いて、こっちに歩み寄ってくる。

「それにキミは……」

 何かを言いかけたところで、藤堂さんは口を噤んだ。

 いつの間にか収録スタジオが静まり返ってる。スタッフの視線は怜美子さんに集まり、戸惑っている雰囲気が蔓延してた。

 怜美子さんって、ここまで嫌われちゃうようなひとだった……? 

 気まずい空気を、怜美子さんは髪をかきあげ、一蹴する。

「いいじゃないの。井上さんからも『見てあげて』って連絡あったんだし」

「井上さんから? それなら、まあ……」

 大物タレントふたりの口から出てきた名前に、私は首を傾げた。

「社長のこと、ご存知なんですか?」

「聞いてないのかい? 井上さんは一時、怜美子くんをプロデュースしていたんだ」

 私と一緒にリカちゃんも、驚きの声をあげる。

「えええええ~っ!」

 怜美子さんが『ふふん』と鼻を鳴らした。

「井上さん繋がりなら、れっきとした先輩後輩の関係でしょう? わたしたちの間に他人のあなたが出しゃばってくるんじゃないわよ、アキラ」

 そしてごく自然に、藤堂さんの肩にもたれ掛かる。

カップルみたいに……。

「まったく、キミという女性は……ふっ、それがキミの魅力でもあるんだけどね」

「今夜は一杯やりましょ、アキラ。明日はお休みでしょう?」

 藤堂さんのほうも拒絶せず、怜美子さんの細い腰に手をまわす。おまけに怜美子さんのストレートヘアに触れ、アダルティックなムードまで醸しだした。 

 私はリカちゃんと顔を見合わせ、、口元を引き攣らせる。

 案の定、杏さんは石像のように硬直してて……。

「……と、藤堂さんと、観音さんが……こいびと、どーし……」

 さらさらと砂と化し、崩れていく瞬間を、私たちは見てられなかった。

 

 

 泣いても構わない。今日は顔の撮影もないし。

 化粧室で杏さんはぼろぼろと涙を零し、悔しそうにハンカチを噛んだ。

「憧れてたのに! 今日はすっごい気合入れてきたのに~!」

 さすがに心配だったから、私とリカちゃんも同行してる。

 リカちゃんはドライに切りあげようとした。

「もう終わったのよ。これに懲りて、恋なんて二度としないことね」

「ひ、ひどい! 結依、あなたはわかってくれるでしょう?」

 私はぎこちなく顔を背けて、杏さんの不憫なまなざしをやり過ごしちゃう。

「まあその、まだ、怜美子さんとそういう関係って、決まったわけじゃないし……?」

「フォローしてどうすんの」

 リカちゃんが肘で私の脇腹を小突いた。

 だけど、そもそも杏さんと藤堂旭が結ばれるはずがない。

だって藤堂旭さんは……。

「もういっそ、結依にしといたら? ほかの男とくっつかれる心配もないじゃん」

 面倒くさそうにリカちゃんが杏さんを唆した。私はすぐさま拒絶する。

「ち、ちょっと? そんなので……」

 ところが杏さん、いじらしい瞳で私を見詰めてきた。

 今日は洋服が決まってるせいもあって、美少女ぶりが上がってる。花のように甘い香りがして、可憐なたおやかさに満ち溢れていた。

 自分より可愛いひとに見詰められたら、どきどきだってする。

「結依……ほんと?」

「し、しっかりしてください、杏さんってば!」

 そうこうしてると、化粧室にほかの利用者が入ってきた。

「こらこら、キミたち。声が外まで聞こえてるよ?」

 藤堂さんが鏡を間近で覗き込む。

「ちょっと睫毛が目に入ってしまったみたいでね。……あぁ、やっぱり」

「私、目薬ありますよ。どうぞ」

「本当かい? 悪いね、えぇと……みさきくん、だっけ」

 珍しく初対面のひとに『御前』の読み方を間違えられなかった。

 杏さんが我が身をかき抱いて、叫ぶ。

「きゃああああっ! ととっ、藤堂さん? こ、こっちは女子トイレです!」

 私とリカちゃんは回答を重ねた。

「え……藤堂さんって、女のひとですよ?」

「藤堂旭は女じゃないの。やっぱり勘違いしてたのね、杏」

 当の本人も苦笑する。

「性別なら公開してるはずなんだけどね。驚かせてしまったかな?」

 リカちゃんは当然、私も最初から藤堂さんの性別を知ってた。

「結依みたいな前例が身近にいるからさあ、杏もそっち系なのかなーって」

「あの、リカちゃん? 藤堂さんも聞いてるんだし」

 どうやら杏さん、藤堂さんを男性って勘違いしちゃってたみたい。

 リカちゃんは肩を竦めつつ、改めて藤堂さんを紹介した。

「藤堂旭は男優と同じように活動してる、業界きっての演技派なの。作曲家としても有名よね。特にダンス曲で定評があるわ」

「ははっ。ご紹介にあずかり、光栄だよ。あとはご存知の通り、声優もやってる」

 藤堂さんが免許証を出し、女性ってことを証明する。

 杏さんは口の端をぴくぴくさせていた。

「え、えぇ……も、もちろん知ってたわよ、わたしも? や、やあね、リカったら」

 無理やり誤魔化しながら、ばつが悪そうに目を泳がせる。

「あれ、杏くん? 何だか目が赤いようだけど」

「こ、これはその、季節病なんです。たまに目が痛くなっちゃって……」

「大変そうだね、お大事に。じゃあ、僕は先に戻ってるよ」

 藤堂さんは私に目薬を返すと、一足先に化粧室を出ていった。

 糸が切れた人形のように、杏さんがへたり込む。

「わっ、わた、わたし……わたし、今日は帰るっ! お仕事なんて無理よぉ~!」

「何言ってるんですか、杏さん! 恥ずかしいのはわかりますけど!」

 私とリカちゃんは往生際の悪い杏さんを捕まえ、『せーの』で引っ張りだした。

「五分! 五分だけ待って? 心の準備だけでもさせてっ」

「藤堂旭はオトナだから、察したうえで黙ってくれてんだってば」

「余計にだめじゃない! やだやだやだ~!」

 せっかく早めにスタジオ入りしたのに、遅れそうになる。

 

 

 台詞の多い錬金屋の役は結局、私が演じることになった。

怜美子さんからの介入ないし指導は特になく、収録は順調。だけど収録が終わると、怜美子さんが待ってましたとばかりに私を捕まえる。

「さーて、結依ちゃん。本番はこれからよ」

「え? あの、私はもう……」

 嫌な予感がした。

女王様の手前、杏さんとリカちゃんが愛想笑いではぐらかす。

「あはは……結依、事務所のほうには、わたしたちで報告しておくから」

「頑張ってね~。杏、社長が肉まん買ってきてってさぁ」

 私の右手が空気を掴んだ。

「に、にくまん! 私も一緒に行くから~!」

「それくらい、あとでお姉さんが奢ってあげるわよ」

 そんな叫びも虚しく、怜美子さんに無理やり引っ張られていく。

 こうなってはしょうがないか。私は観念し、怜美子さんの後ろについて歩いた。エレベーターで下に降り、途中でほかのひととすれ違ったら、私だけ頭をさげる。

「さっきの結依ちゃんの演技、悪くなかったわよ。ブレスもちゃんと意識できてたし」

「あ……ありがとうございます」

 怜美子さんに褒められたのが、俄かには信じられなかった。だって、私を散々素人扱いしてきた怜美子さんなんだもの。言葉の裏を勘繰りたくもなってしまう。

「しっかし杏ちゃんのは酷い棒読みだったわね。あの子も一度絞ってあげないと」

 仲間ができた、なんてふうに思ってしまった。私も薄情みたい。

 しばらく歩いて、私たちはダンスの練習場に辿り着いた。私と同世代くらいの女の子が等間隔に並んで、コーチの指導のもと、練習に励んでる。

「二列目、遅れてる! もっと曲を聴く!」

 後方の壁には鏡が張られているため、レッスン場は二倍の広さに感じられた。コーチも練習生らも怜美子さんには構わず、気合十分にダンスを続行する。

 バスケの練習なんかよりハードかも……。

「そこまで! 少し待ってなさい」

 間もなく曲が止まり、練習生たちが姿勢を楽にした。怜美子さんが来ちゃったから、きりのいいところで中断したのね。コーチの女性が振り向き、声を和らげる。

「来ないから先に始めてたわよ。……そっちの子が、例の?」

「ええ。ついででいいから、少し見てあげて」

 コーチはじろっと私の顔と、身体つきを一瞥し、腕組みを深めた。

「……しょうがないわね。あなた、そっちに更衣室と、予備のジャージもあるから。早く着替えてきなさい」

練習に混ざれ、ってことよね。新参者のうえ部外者の私に拒否権はないらしい。

 私は一旦更衣室に映って、練習着を借り、動きやすいように髪をまとめなおした。不安に駆られるのを深呼吸で誤魔化したら、レッスン場へと戻る。

 私が前列の一番端に加わったところで、コーチがぱんっと手を鳴らした。

「さあ、もう一回最初から!」

 手取り足取り指導してもらえる雰囲気じゃない。見様見真似でダンスに混ざる。

 夏のコンサートで乱入した時も、こんな調子だったかな……。

 もちろん私だけリズムに乗れないし、テンポも掴めなかった。コーチも私のことは無視して、ほかの練習生たちの指導に熱を入れてる。

「声が小さい! もっとお腹の底から!」

 怜美子さんは隅のベンチに腰掛け、悠々と寛いでいた。練習生が怜美子さんに気を取られそうになると、コーチの喝が飛ぶ。

「集中しなさい! 二列目、また半テンポ遅れてるわよ!」

 みんな、私の乱入を疑問に思ってるに違いなかった。ダンスの合間に目が合うと、無機物を見るような顔をされる。

 あの怜美子さんが連れてきた、部外者として……これはやりにくい。

 しかし同じダンスを二巡、三巡とこなすうち、勝手がわかってきた。

歌と同じくダンスにもテーマみたいなものがあって、それを軸にすれば、腕の振り方やステップの取り方を、ある程度は直感できるの。

 でも下手なことには変わりなくって。

「だから隣に合わせるんじゃないの! 曲を聴いて!」

 私のことはそっちのけで、スパルタ気質のレッスンは続いた。にもかかわらず、怜美子さんは平然と練習場を出入りして、紙袋いっぱいの肉まんを買ってくる始末。

「観音さん! みんなの気が散るでしょう?」

「ハイハイ、ごめんなさい。結依ちゃ~ん、あとで分けたげるからねー」

 はっきりと名前を呼ばれたせいで、余計に居たたまれなくなった。

 

 一時間はぶっ通しで踊って、ようやく練習が終わる。

「今日はここまで! 各自、クールダウンを忘れないようにね。あなたもお疲れ様」

 私はその場で大の字になって、ぜえぜえと息を切らせていた。体力には自信あるつもりだったけど、知らないダンスをノンストップで踊るのはきつい。

 練習生のみんなは、やっぱり私の存在が気になるようで、ひそひそと囁きあってた。

「他所の所属の子が、なんで? ユイ、だっけ」

「うちの新入りってわけじゃないよねえ」

 怜美子さんが近づいてきて、仰向けになってる私の顔を覗き込む。

「お疲れ、結依ちゃん。肉まんとあんまん、どっち食べる?」

「そ、それより……飲み物、くださいってば」

「あ~、そういえばなかったわね。結依ちゃん、ちょっと買ってきてくれる?」

「無理ですぅ~」

 鬼のような仕打ちをかわしつつ、私はおもむろに起きあがった。お腹も減ってたから、怜美子さんの肉まんに素直にかじりつく。

「どう? 感想は」

「ピザまんですよね、これ」

「そっちじゃなくて。マーベラスプロのレッスン、楽しかったでしょう?」

 楽しいとか楽しくないとか、考える余裕もなかった。

「……ハードでした。VCプロより、ずっと」

NOAHで体力トレーニングをすることはあっても、ここまでハードじゃない。もし杏さんやリカちゃんだったら、数日もしないうちに身体を壊しちゃうわ。

それに練習の雰囲気にも凄みがあった。

遠巻きの練習生らを、怜美子さんが一瞥した。

「うちではね、駆けだしの子が、こうやって鍛えられてるのよ」

これほど厳しいレッスンなのに、みんなが耐えているのは、それだけ目標に向かって『真剣』だから。コーチに怒鳴られたからってダンスをやめた子なんて、ひとりもいない。

「脱落する子もいるけどね。テストに落ちたりして」

 ここには最新鋭の設備が揃っていて、ベテランの指導員もいるわ。だけど私は環境やカリキュラムじゃなくて、心構えの違いってやつを思い知らされた。

 マーベラスプロの候補生はみんな、覚悟をもって芸能界に臨んでいるの。

 それに比べたら私なんて、温室で育てられてるようなもの。

 私、頑張ってるって言えるのかな……。

 怜美子さんは肉まんを頬張りながら、私を挑発した。

「もぐもぐ。少しは身の丈ってのが、わかったでしょう?」

 けれども芸能界の厳しさと、先輩からの後輩イビリは別よ。私は眉を吊りあげ、肉まんのようでピザまんだったのを平らげる。

「なんで怜美子さんって、んぐっ、あたしのこと苛めるんですか?」

「ストレス解消」

 女王様の微笑みは清々しいほど、小憎らしい。

「……って、いくつ食べるんですか? さっきスタジオで、藤堂さんとご飯に行くとか、言ってたじゃないですか」

「食べたい時には好きなだけ食べる主義なの、わたし」

 可憐な外見に似合わず、怜美子さんは大食いのポテンシャルを発揮してた。もうみっつかよっつは食べてるはず。清純派の女優が、肉まんをガツガツだなんて……。

「残りはあげるわ。ピザまん嫌いだし」

「嫌いなら買わないでくださいよぅ」

 いつまでも借り物のジャージで休んでもいられない。更衣室の隅っこで着替えを済ませてから、私は借りたジャージを抱え、怜美子さんのところへと戻った。

「怜美子さん、洗って返したほうがいいですよね? これ」

「せっかく結依ちゃんのにおいが残ってるのに?」

 怜美子さんが意味深ににやつく。

 私はジャージごと我が身をかき抱いて、怜美子さんを睨み返した。

「洗って返しますっ。もう帰っていいですよね、私。定期試験も近いんです」

「え~? 勉強なんていいじゃないの。お姉さんと遊ばない?」

「遊びませんってば」

 タイミングを逃したら、夜中まで付き合わされちゃいそう。

残りの肉まんを受け取って、すみやかにまわれ右する。

「これ、ありがとうございます。井上さんも好きですし。それじゃあ……」

 以前は怜美子さんも井上さんにプロデュースされていたこと、聞きたくなった。だけど苦手な怜美子さんから情報を聞きだすのは、おそらく難しいわね。

まあ、井上さんに聞けばいい話だし。

ところが怜美子さん、一度だけ私を呼び止めた。

「あ、待って? 言い忘れてたわ。アキラが結依ちゃんに用事を頼みたいとかで。一階のフロントで待ってると思うから」

「藤堂さんが? わかりました、探してみます」

「いなかったら、帰っちゃっていいわよ。またね、結依ちゃん」

 私はレッスン場をあとにして、エレベーターに乗り込む。

 やっと怜美子さんから解放され、無意識のうちに胸を撫でおろしてた。決して悪いひとじゃないんだろうけど、やっぱり苦手……。

 うろ覚えなりに一階のロビーまで戻ったら、藤堂さんを探す。

 藤堂さんは手頃なソファで横になり、ヘッドフォンを両耳に当てていた。

「あのぉ、藤堂さん?」

 正面から近づくと、その手がヘッドフォンを首元に落とす。

「すまないね、御前くん。怜美子くんには散々遊ばれたんだろう?」

 多分、私の顔には疲労がありありと浮かんでた。

「ひどいんですよ? 怜美子さん、ストレス解消とか言って」

「はははっ! まあそう、気を悪くしないで。ところでキミに、これをね……」

 藤堂さんが立ちあがって、私のほうに向きなおる。

そして一枚のCDを差し出してきた。

「これを井上さんに渡しておいてくれるかい?」

「はい、わかりました」

 お使いくらい、お安い御用だわ。受け取ったCDを鞄に仕舞っておく。

「松明屋くんや玄武くんにも聴いて欲しい曲でね。もちろん御前くん、キミにも」

「じゃあ、みんなで聴かせてもらいますね」

 藤堂さんのオススメなのかな?

 藤堂さんは爽やかな笑みを浮かべ、先に歩きだした。

「そこまで送っていこうか。おいで」

 私もあとを追いかけ、マーベラス芸能プロダクションを出る。

 冬の空は夕暮れも過ぎ、薄暗くなっていた。冷たい夜風が身に染みる。

「大きい事務所ですよね」

「そうだね。井上さんもよく『無駄にでかい』ってぼやいてたよ」

また『井上さん』かあ……。

藤堂さんになら、さほど遠慮なく聞けそうだった。聞いちゃいけないことだったら、適度にぼかしてくれると思うし。私を勧誘したひとのこと、やっぱり気になる。

「……あの、井上さんって、どうして辞めちゃったんですか?」

 長身の藤堂さんを、私は背伸びするように見上げた。

「簡単だよ。前から『独立したい』と言ってたからね」

「でも独立しなくても……マーベラスプロじゃだめだったんですか?」

「だめってことはないよ。まあ、重役に就いて動きづらくなるより、現場で動いていたいんだろうね。井上さん、現場主義だし」

 藤堂さんは大手プロダクションのビルを見上げ、片手で仰ぐ。

「マーベラスプロと揉めたりしませんでした?」

「ははは、それなりにね。だけど、そのあたりはスッキリさせてから出て行ったよ」

 私の中で、納得しようという波紋が広がる。

 芸能界のことがわからなくても、藤堂さんの話は大体くらいに飲み込めた。

「井上さんには直接聞きづらいのかな? なら今度、昔話でも聞かせてあげるよ。松明屋くんと玄武くんも一緒にね」

「あ、はい……ありがとうございます」

 怜美子さんも一緒だったらどうしよう、と不安になりつつ、私は頭をさげる。

 正門を出そうになったところで、藤堂さんが親指を駐車場に向けた。

「乗っていくかい? VCプロまで、送っていってあげるよ」

「え? でもそれじゃ、CDを預かった意味が……」

「それもそうか。ふっ、僕としたことが、まわりくどかったかな」

 寒さのせいか、藤堂さんの吐息が白くなる。

「僕はね、キミに少し興味があるんだよ、御前結依くん」

 その人差し指が私の顔をくいっと上向きにさせた。

 美男子顔負けの麗人に迫られてるのかと思って、私は反射的に構えてしまう。

「私に……ですか?」

 だけど藤堂さんの振る舞いに、女の子をかどわかすような色気はなかった。藤堂さんに比べれば小柄な私をじっと見詰め、何だか考え込んでる。

 急に強い風が吹き、芸能プロダクションのチラシが足元を転がった。

 藤堂さんのまなざしが私の真顔に鋭く切り込む。

「キミは誰なんだい?」

 質問の意味がわからなかった。

 きょとんとするだけの私に、疑問が投げかけられる。

「松明屋杏くんも玄武リカくんも、すでに名が売れている。そこにまったくの新人であるキミを組ませる……というのが不思議でね」

 これ、私も疑問に思ってることだ。

「キミこそが井上さんの隠し玉なんじゃないかと、僕は睨んでるんだ。例えば、有名な大物タレントの娘さんで、大きなシナリオが動いてるんじゃないのかい?」

「あ、あの、違います。私、ほんとに普通の高校生で……」

 私は普通の高校に通って、普通の生活を送ってる。お父さんもお母さんも、芸能界にコネクションなんて持ってるわけなかった。

 ただあの日、観音怜美子のコンサートで、バックダンサーに加わっただけ。

「私は……ほんとに普通で」

 普段は考えないようにしてる劣等感を、口にするのはつらかった。

「果たしてどうかな?」

 しかし藤堂さんの追及は続く。

「キミは知ってるかい? うちの新人アイドルがデビューする時、お客さんはどれくらい来てくれるのかを。当ててごらん?」

「え、えっと……」

 まだNOAHで一回もライブをしてないから、想像がつかなかった。ヒーローショーは五十人くらいだったから、それよりは多いんだろうけど。

「じゃあ、千人くらい……?」

「ばかを言っちゃいけないよ、小鹿ちゃん」

 藤堂さんは失笑し、正解を明かした。

「十人来るか来ないか、だよ。しかしキミたちのデビューコンサートは、二千人の動員が想定されている。……おっと、これはまだ話しちゃいけないことだったかな」

 その言葉のひとつひとつが、私にプレッシャーを与えてくる。

 さっきレッスン場で猛練習していた子たちでさえ、最初に呼べるお客さんは、たったの十人。なのに私には、二千人なんていう大きなステージが用意されているらしかった。

 杏さんとリカちゃんがいるから、二千人のお客さんを呼べる。

でも私は、その二千人のうちで、十人を呼べるかどうかもわからない。

 足を引っ張ってるだけなんじゃないの?

 松明屋杏と玄武リカのデュオでいい。わざわざ素人を加えてトリオにすることに、メリットがあるとは思えなかった。

「いや、すまない。余計な詮索だったかもしれないね」

 本当に私が単なる高校生だと察してくれたのか、藤堂さんの口調が柔らかくなる。

「……はい。それじゃあ失礼します。今日はありがとう……ございました」

 私は俯き、ずっと視線を落としていた。

 怜美子さんにもらった肉まんを抱え、ひとりで帰路につく。

 やっていけるのかな、私?

 振り返った時には、藤堂さんの姿はもうなかった。マーベラス芸能プロダクションのビルが、大きな壁のように思えてきて、立ち竦みそうになる。

 杏さんやリカちゃんがいなかったら、私はここに入ったりできた? 

 入ろうとさえ思わなかったよね、きっと。 

 風が吹くと、冬の寒さが瞳に染みた。

 

 

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