こいつらアイドル幻想神話

第四話 神話、再び

 霧崎タクト、まさかの不調――。

 そんな記事が芸能ニュースで度々見られるようになり、二週間が経っている。

 マラソン大会を最後に、タクトは表立って活動していなかった。透と志岐が出ずっぱりの一方、タクトの露出は極端に減っており、悪い噂が飛び交っている。

 メンバーと衝突したのではないか。事故に遭ったのではないか。

 おかげでお姫様抱っこの件も下火になり、聡子は高校に通えるようになった。けれども不安は募るばかりで、学校にいては落ち着かない。

 

 放課後は夕飯の食材を調達しつつ、彼らのアパートに寄るのが恒例になっていた。土曜日は朝から様子を見に行き、103号室で初めての手作業に四苦八苦する。

 プラモデルの製作など、未知の世界だ。

「そうそう、そんなカンジ。ヤスリは優しく、力を掛けすぎないように」

「これくらいですか? う~ん……」

 エプロンをつけ、パーツの『ヤスリがけ』に勤しむ。

これはホビー誌からの正式な依頼だった。実際に女性に作らせることで、問題点を明確にし、アドバイスの方向性を決めるのである。

薄手のグローブを嵌め、怪我だけでなく、接着剤等による肌荒れの対策もばっちり。髪も後ろでまとめて括ってある。

 傍らでは透が電車のアルバムを眺めていた。時折、志岐にブレーキを掛けてくれる。

「あんまアドバイスばっか押し付けるのはマズイんじゃねえの? 最初は楽しく作ることが一番なんだし。……お、これも提出してみっか」

 透のほうも自分の仕事を進めていた。

先方は駅の美化ポスターとして、城ノ内透の撮った鉄道写真を使いたいらしい。候補は何百枚とあるため、どうしても甲乙つけ難いものが残り、審査にもより熱が入る。

「聡子ちゃん、それが終わったら写真選ぶの、手伝ってくれねえかな」

「もちろんですよ。私でよければ」

 志岐と透は今までになく仕事に情熱を注ぐようになり、暇さえあればレッスン場にも足しげく通った。ダンスでは周防志岐が、ボーカルでは城ノ内透が魅せる。

 しかしアイドルユニットにとって、もっとも大切なビジュアル性を持つ霧崎タクトは、203号室から滅多に出てこなかった。

「……ん? うおっ、いたのかよ! タクト!」

 たまにふらっと出てきたかと思えば、ガレージキットとやらの経過を見にくるだけ。

「ご、ごめん、そんなにすぐにはできないんだ。今、下地を乾かしてるとこで」

「ああ……わかってる。ワガママに付き合わせてすまないな、志岐……」

 髪はボサボサ、言葉はうわごと。夢遊病のごとく彷徨う有様で、起きているのか寝ているのかさえ、わからなかった。

これでは無理にステージに上げたところで、RED・EYEのビジュアル性が冴えるはずもない。枯れた花を見せつけるのも同じである。

「本当に大丈夫なんですか? タクト君」

「……問題ない」

 食事もまともに咽を通らないほどで、タクトは日に日にやつれていた。真奈美プリントのシャツがだぶついているのを見れば、少し痩せたのがわかる。

「透、オレが昇天しちまったら……RED・EYEのリーダーはお前に任せる」

「はあっ?」

 透は数えていた写真をばらまき、唖然とした。

 引退まで仄めかすリーダーの様子に、マネージャーも不安になる。

全然大丈夫じゃないわ。問題だらけよ。

 ナナノナナの結婚は世間でもちょっとした話題になった。

お相手の声優とはアニメの中でも恋人同士であったことから、ファンにとっては嬉しいニュースとなっている。

ただし彼女に心酔してしまっている一名は、心を隙間風で吹き荒らされていた。

「タクト君? お腹空いているなら、何か作りましょうか?」

「……素直に涙が出せるカクテルを」

 ふらふらと自室へと戻っていく後ろ姿が無力で、やるせない。二十歳とはいえ、お酒を与えてよい状態ではないだろう。

 志岐が作業を止め、声のトーンを落とした。

「どうする? 今月末のコンサートでタクト抜きは、さすがにキツイよ」

 今月の下旬にはドームを貸切にしてのコンサートが予定されている。ライブとしての規模は最大であり、欠員は許されない。

 ファンもタクトの帰還を切に待ち望んでいる。

「次こそタクトがステージに立たねえと、俺たちもあとがねえぞ」

 透はアルバムを畳むと、険しい表情で腕組みを深めた。あれから何回もタクトに喝を入れるべく、その肺活量で声を荒らげてくれたが、暖簾に腕押し。

 志岐も手を休め、思案げに天井を見上げる。

「ナナノナナさんに励ましてもらう、っていうのはどう? スケジュールが取れるかわかんないけどさ、タクトとは面識もあるみたいじゃん」

「それは逆効果じゃないかしら……ご結婚に水を差すことにもなりますし」

「そ、そうだよね。う~ん」

 これまでRED・EYEを支えてきたマネージャーもお手上げ。

 聡子の視線がふと、組み立て途中の美少女フィギュアに差し掛かる。

「いっそ真奈美ちゃんが実在してくれたら、タクト君もすぐ元気になるのに……」

 恋愛シミュレーションゲームの人気ヒロイン、真奈美ちゃん。優しくて清楚な幼馴染みがテレビモニターから、よしんば3Dのごとく飛び出してきてくれたら。

 透がはっと表情を変え、腕組みを解く。

「……それだぜ。あいつを真奈美一筋にしてやればいいんだ!」

「なるほど! 最強のジョーカーだね。僕は乗った!」

 志岐も軽快に指を鳴らした。

 聡子ひとりだけきょとんして、首を傾げる。

「ふたりとも? 一体……」

 志岐と透はマネージャーを囲み、ゴメンナサイと両手を合わせた。

「さっちゃんだけが頼りなんだ! 僕たちのため、一度だけ真奈美になって!」

「俺からも頼む! RED・EYEを救ってくれ!」

 まだ聡子には意味がわからない。

「……はい?」

「だ・か・ら! 聡子ちゃんが眼鏡取って真奈美になりきって、タクトを元気づけてやるんだよ! もうこれしかねえ!」

 眼鏡を外した月島聡子は、雰囲気が真奈美に似ていた。それはタクトが真奈美と勘違いして迫ってしまったほどに。

 聡子は眼鏡の中で目を白黒させ、素っ頓狂な声をあげる。

「ええええええっ? なななっ、な、なんでそーなるんですか!」

「さっちゃんにしかできないんだ、お願い!」

 RED・EYEのため、ファンのため。臨時マネージャーができることは、人気ゲームのコスプレだった。

 

 決して透たちの冗談ではなく、二日後にはコスプレ衣装が届いた。渋々聡子は了承し、101号室でアニメ調のセーラー服に着替える。

 髪型も真奈美と同じストレートに降ろし、自分なりに雰囲気を近づけてみた。しかし眼鏡を外すと、鏡の中がぼやけてしまう。

 部屋を出たところで、透たちの入念なチェックが入った。

「聡子ちゃん、コンタクトは?」

「持ってませんし、少しくらい平気です。それより……ほんとにコレで、タクト君の部屋に行くんですか?」

 聡子改め真奈美は、自分のものではないスタイルに嘆息する。

高校三年生なのだから、セーラー服はまだよいとして。『巨乳の幼馴染み』を真似るため、胸元にクッションを詰め込んでいるのだ。恥ずかしいやら、悔しいやら。

セクハラよ。これって大問題だわ……。

 志岐がぷっと笑いを堪える。

「……志岐君、憶えておいてくださいね。私、根に持ちますよ」

「い、いやいやっ! ほんと完璧! コミケだったら絶対モデルになってるって!」

 ひとまずコスプレの水準はクリアできたようだ。

「それで、声は? まさかナナノナナさんに後ろで演ってもらうわけ……」

 あとは真奈美の『声』をどうするか。いくら裏声を出したところで、ナナノナナの美声になるはずがない。

そこで透が用意したのが、ゲームで録音した真奈美の音声だった。

「バッチリだぜ。真奈美ルートを全クリアして、ボイスレコーダーで録音しておいた」

以前タクト『お前もプレイしろ』と、ゲームの通常版を押しつけられたらしい。タクトを元気づける流れになるように編集済みである。

「こっちが台本。聡子ちゃんは口パクで、適当に合わせてくれればいいから」

「し、知りませんよ? できなくても」

 聡子は観念し、うなだれた。

 非常識な手段であることは間違いない。それでも透や志岐は、タクトを復帰させたいと真剣に願っているからこそ、こんな方法を取ったのだ。

聡子としても勿論、タクトには復活して欲しかった。RED・EYEも霧崎タクトも、ここで終わっていいようなグループではない。カミングアウトを経て、透と志岐は変わりつつあり、今まさにターニングポイントを迎えようとしている。

「……わかりました。やるだけやってみます」

 ボイスレコーダーを握り締め、聡子は覚悟を決めた。

自分のコスプレには透と志岐だけでなく、スタッフやファンの情熱も掛かっている。できる限りのことをしなくてはならない。

 眼鏡がなくて視界がぼやける中、203号室を目指す。

 ミッションの目的は、真奈美のふりをして『ガンバってね』と応援すること。透が徹夜で製作したというボイスパターンに目を通すと、口角が引き攣る。

 これを……私が喋ることになるわけ?

 203号室の鍵は開いていた。

 しかしドアノブに手を掛けたところで、尻込みする。真奈美のふり以前に、今の聡子は眼鏡を掛けていない。つまり霧崎タクトの大天使フェロモンを遮断できないのだ。

 なるべく顔を見ないようにするしかない。

 恐る恐る部屋に入って、聡子は照明を点けた。そして剥がれかかっている真奈美の水着ポスターとすれ違う。今の彼にはポスターを貼りなおす気力もないらしい。

 タクトはベッドで背中を向け、不貞寝している。

 ええっと、ここで再生……。

 幼馴染みは巨乳(偽物)を弾ませた。ボイスレコーダーが滑舌のよい台詞を流す。

『いつまで寝てるの? 遅刻しちゃうわよ、タクトくん』

 タクトはびくっと肩を震わせた。動画を早送りするみたいに飛び起きる。

 きゃ……っ!

 同時に彼の全身から真っ白な光が溢れた。瞬く間に部屋じゅうを満たし、聡子を眩い天界へと連れ去ってしまう。

 そこは荘厳な神殿の門前だった。タクトの大天使フェロモンが聡子を翻弄し、崇高な幻想を見せつける。ここには聡子とタクトしかいない。

「真奈美っ? ま、真奈美なのか……?」

 大天使は翼を広げ、驚きながら、聡子の素顔に見入っていた。

 俯いていても、彼の神々しいオーラが伝わってきて、胸が勝手に高鳴る。じかに目を合わせるのはまずい。恋愛にさして免疫のない聡子は、熱が浮くほど赤面していた。

 どうしたら……そ、そうだわ!

 幸い、大天使は真奈美のシャツを着ている。

 聡子はタクト本人を見ず、そのシャツと向かい合うように相対した。

『なんだか落ち込んでるみたいだから、元気出して欲しくって』

 背中の側でボイスレコーダーを操作しつつ、ぎこちなく口をぱくぱくさせる。

 コスプレして、喋っているふりまでして。今の自分を冷静に見てはいけない確信があって、なるべく考えるのをやめた。

 顔を上げようとしない聡子の挙動不審を、タクトは訝しむことをしない。目の前の女性を『真奈美』と認識しているらしく、みるみる活力を取り戻す。

『もうすぐ本番でしょ? ゼッタイ応援に行くから、カッコイイところ見せてね』

「む、無論だ! 真奈美が応援に来てくれるなら百人力、いや千人力だぞ」

『うん! タクトくんはそうでなくっちゃ!』

 ばれないことを祈りながら、聡子はベッドの端に腰を降ろした。

『試合に勝ったらご褒美あげるわね』

 タクトのほうがうろたえ、動揺している。

「まっ、任せておけ。最高の勝利を真奈美に捧げるとも」

 彼にとっては試合とコンサートなど、些細な間違いなのだろう。艶めかしい手つきで聡子の顎を取り、上向かせる。

 とうとう目が合ってしまった。美男子の周囲でバラが咲き乱れ、芳香さえ放つ。

「あぁ、あ、あの……!」

「どうかしたのか? 真奈美」

 ここで自分の名前を呼ばれようものなら、危なかったかもしれない。真奈美の名は聡子を適度に突き放し、自我を保たせてくれた。

それでもタクトに見詰められるのは緊張してしまう。

こうやってみると、タクト君ってほんとにカッコいいんだわ……。

 眼鏡がないせいで聡子も前のめりになり、互いの顔が近い。

 タクトの瞳は宝石のように輝きをたたえていた。繊細な長睫毛が、いかなる表情にも扇情的な色気を含ませる。

『……今日はダメよ? タクトくん』

 ボイスレコーダーの台詞は、聡子の心の叫びだった。

だめだめだめ! 今日でなくてもだめったら!

 真奈美のセーラー服に触れようとしていたタクトが、素直に手を降ろす。

「う、うむ。エンディングまで我慢する約束だったな」

 聡子は慌てて何回も頷いた。

 もし我慢しなかったら、何をやらかすつもりだったのやら。

『うふふっ。わたしたち、もう付き合ってるみたいなものだけど。……試合が終わったら改めて、聞いてくれる?』

「あ、ああ! 必ず勝って、お前のすべてを受け止めてやる!」

これで役目は充分に果たしただろう。ボイスの『試合』では語弊はあるものの、コンサートに向けて練習してくれるに違いない。

 なんだかタクト君を騙してるみたいだけど……。

 まさか成功するとは思わなかったため、今になって罪悪感も込みあげてきた。タクトの前にいられず、大天使フェロモンから逃れるためにも、聡子は席を立つ。

 真奈美はタクトの額を指で弾いた。

『ガンバってね、タ・ク・ト』

 タクトは頬を染め、陶酔的な笑みを浮かべる。

「真奈美……オレの女神ちゃん……」

 エンジェルよりも格が上なのは女神だった。それだけゲームのヒロインに夢中になっているのが、少し悔しい。

 私のことは出来損ないのツンデレとか言うくせに……。

 そんな聡子の横顔を、タクトがそっと手に取った。何かが頬にちゅっと触れる。

「……え?」

「これだけでも取っておいてくれ」

 さっきよりもタクトの瞳が近い。近すぎた。

 初めてキスされてしまったことに気付き、聡子は真っ赤になって狼狽する。

「きゃあああああ~っ!」

 咄嗟に手が出てしまった。強烈な平手打ちがキス魔の頬を引っ叩く。

「ぐふっ?」

 打たれた勢いでタクトは半回転しつつ、ベッドにダウンした。その隙に聡子はどたどたと部屋を抜け、大天使フェロモンが届かない外まで逃げる。

「志岐くん、あとはお願いします!」

「えっ、上手くいったの?」

 大急ぎでアパートの階段を降りる聡子に代わって、志岐が前に出た。

「待ってくれ、真奈美! ……どこだ、真奈美!」

 203号室からタクトが飛び出してきて、周囲を見まわす。

 だが志岐のほかには誰もいない。

「……おい、志岐。さっきオレの真奈美が出て行ったのを、見ただろう?」

「あー、うん、さっきの子かな? もう走って出て行っちゃったよ」

 志岐は明後日の方向を見遣って、とぼけた。

「そうか……」

 タクトは肩を落とすも、ナナノナナの件ほど落ち込みはしない。ぶたれた頬を押さえ、感極まったように震える。

「ど、どうしたのさ? タクト」

「痛かったんだ……」

「は?」

 あとずさる志岐に、リーダーはずいっと詰め寄った。

「痛かったんだ! これは夢じゃない……真奈美は、オレの真奈美はいるのだ!」

 さっきの真奈美は夢や幻ではなく、触れることができる。平手打ちが決まったのはその証拠であり、タクトに生きる活力を漲らせた。

タクトが表情を引き締め、下の階にいる透を大声で呼ぶ。

「透! レッスンに行くぞ! 次のコンサートは成功させねばならん!」

「ちち、ちょっと待ってってば、タクト!」

 ついでに志岐の手を引っ張りながら、突風のように階段を駆け降りていった。

階段の陰に隠れている聡子は、ひやひやさせられる。

 タクトを聡子に気付かせまいと、透も出てきてくれた。聡子にだけ見えるように親指を立て、『あとは任せろ』と合図してくる。

「どうしたんだよ、タクト? 練習は来ねえんじゃなかったのか」

「馬鹿なことを言うな! オレと真奈美の未来が掛かってるんだぞ!」

 そもそもタクトの眼中に聡子などなかった。幼馴染みとの邂逅に舞いあがり、ナナノナナの件さえ忘れている節もある。

 作戦は成功だけど、なんだかなあ……。

 聡子は眼鏡を掛けなおし、ふうと一息ついた。

 奇想天外な作戦でタクトを騙す形になってしまったが、元気がないよりはいいだろう。ほとぼりが冷めてタクトも落ち着いたら、正直に話して謝ればよい。

 タクトはきょろきょろとあたりを見まわしていた。

「……そういえば、聡子はどうした?」

 不意に自分の名前が出てきて、ぎくりとする。

「えっ? さっちゃんならほら、学校だよ。休んでた分の補習があるってさ」

「む、そうか。受験生だしな……」

 珍しく殊勝なタクトの言いまわしに、志岐も透も首を傾げた。

「なんだ、聡子ちゃんに用でもあるのか?」

「当然だろう。オレたちのスケジュールを誰より正確に把握してるのは、聡子だ。あいつがいないことには、RED・EYEは始まらんからな」

 聡子は両手で口を押さえ、真っ赤になる。

 いつの間にかRED・EYEにとって、自分はそれほど大きな存在になっていた。調子のよい世辞などは言わないタクトの台詞だからこそ、真実味がある。

 変なコト言わないでよ、タクト君!

 聡子の胸が密やかに高鳴った。キスをされた頬がやたらと熱い。

「とにかくレッスン場に行くぞ! 話はそれからだ」

「お、おう! やってやろうぜ、タクト、志岐!」

「もちろんだよ! コンサートまで日もないんだ、やるぞ~!」

 RED・EYEの三人が手を集めるようにかざし、せーので気合を入れる。

 それはまさしく伝説のライブコンサートの幕開けだった。

 

 

 月末のコンサートまで、あと一週間。リーダーのタクトも加わったことでレッスンは本格化し、仕上げの段階に入りつつある。

 聡子も早起き癖をつけ、朝は散歩がてら、透と一緒に始発電車を眺めた。

 未だに女性の聡子には列車の魅力はわからない。欠片ほどもわからない。一方で透は上機嫌にシャッターを切り、朝の空気の満喫している。

「いいね、いいね、その表情! いただき!」

 とはいえ、以前ほど聡子を放ったらかしにすることもなかった。

「俺が言うのも何だけどさ、聡子ちゃん、受験勉強のほうは大丈夫なの?」

「気にしないでください。ちゃんと勉強もしてますから」

 臨時マネージャーの仕事は忙しいものの、時間がないわけではない。むしろ朝の五時起きのおかげで、一日を有効活用できている。

 勉強に関しても、かえって集中力が増していた。タクトたちが真剣に頑張っているのを見ていれば、自分も頑張ろう、という気持ちになる。

「最近、思うんです。アイドルってこんなにすごいんだなあって」

 RED・EYEは聡子に、今までにない原動力を与えていた。アイドルはファンにこれを与えているのだろう。

「俺らはそんなにすごくないよ。まあ、タクトは別としてさ」

 透が謙遜しつつ、照れるようにはにかむ。

「透君と志岐君も、です。この調子なら、まだまだ上を目指せますよ!」

 聡子はガッツポーズで彼を鼓舞し、自身のモチベーションも高めた。

 空はすっかり青くなり、ふと目覚まし時計のベルが聴こえる。

「そろそろ梅雨も明けそうですね」

「これから一気に暑くなるんだろーなあ」

 心なしか踏み切りの周辺は小奇麗になっていた。城ノ内透による構内美化キャンペーンは、駅だけでなく街の美化にも貢献しているらしい。悪魔という設定はさておいて、『清潔系男子』のイメージを獲得しつつある。

 ただしマナー違反者に対しては悪魔と化した。

「ゴルァアアアアア! 踏み切りはテメエのゴミ箱じゃねえぞ!」

 煙草のポイ捨てを目撃するや、声を荒らげて憤慨する。

「そこで待ってやがれ!」

「ひっ、ひぃい~!」

 ポイ捨て犯は慌てて逃げ去り、吸殻だけが残された。透がやれやれと拾って、まだ火がついているのを、地面で擦って消す。

「みんなでキレイに使おう、って思わねえのか? 小学生でもできることだぜ」

「同感です。あ、透君。電車来ちゃいますよ」

 踏み切りが閉まらないうちに、聡子たちはカメラのもとまで戻った。

 そこを誰かに呼び止められる。

「コホン。あー、キミたち? ちょっといいかな」

 熟年の警察官だった。説教でも始めるかのように咳払いして、聡子たちを威圧する。

「こんなに朝早くから、何だね? 昨夜はどこに泊まったんだ」

「は? いえっ、私たちは違います!」

 慌てて聡子が両手を振りまわしても、聞く耳持たず。

「はいはい。キミらみたいな子は、そう言うんだ。少し話を……ん?」

 警官の視線が、透の手にあるものを見つけた。さっき先端を潰した煙草だ。

「……キミ、何歳?」

 城ノ内透は十九歳の未成年。

「いやいや、これは違うよ! 俺が吸ったんじゃないって!」

「お、お巡りさん、知らないんですか? ほら、ポスターと同じ城ノ内透君ですよ!」

 ふたりとも青ざめ、透は変装用のサングラスを外す。

 しかし年配の警官はアイドルに疎いようで、伝わらなかった。

「芸能人~? 嘘ならもっとマシな嘘をつきなさい。まったく近頃の若者は……」

 何なのよ、この人! 警察なら話を聞いてくれたっていいじゃない!

 ここで逃げても状況は悪くなる。ひとまず聡子たちは交番まで行って、話の分かる警官に当たってみることにした。

 

 誤解は解いたはずなのに、翌日のネットニュースには記事がどっさり。

『やはり不良少年? 城ノ内透の未成年喫煙疑惑!』

 煙草に手を出す十代のタレントは、実際はほとんどいない。しかし一部の者がやらかすせいで、たとえ無実であってもイメージがダウンする土台ができてしまっていた。

それをアンチファンが騒ぎ立てて拡散し、マスコミはあら探しを始める。

 あとあと名誉棄損で裁判になるケースもあるのだが、RED・EYEは注目度の高さが災いして、一向に鎮まる気配がなかった。

 RED・EYEのメンバーはアパートの101号室で緊急会議。

 透が土下座までして、志岐やタクトに詫びる。

「本当にすまねえ! 俺がさっさと煙草を処分してたら……いや、ちゃんとゴミ袋を持ち歩いてりゃ、こんなことにはならなかったんだ……!」

「透君のせいじゃありません!」

 証人である聡子は徹夜でフォローに奔走した。その甲斐あって、プロダクションはすでに城ノ内透の潔白を公式に発表している。

 後ろめたいことは何ひとつないのだから、ファンも信じてくれるはず。

 だが問題はこれだけではなかった。プロダクションのほうもてんやわんやであり、聡子の携帯電話も頻繁に鳴った。

「叔父さんですか? ……はい? ちょ、どうしたんですか!」

 副社長からの電話がオカシイ。

『ほんとーニ大丈夫ナンだろうネ? 次のこんさーと、ハ、ハハハッ、れっどあいガ真剣になっトると、キミが言うカラ、予算モ人手モ』

 今回の件ですっかり心を病んでしまって、可愛い姪っ子の声でも癒せない。

「い、一旦切りますね? はあ……事務所も大変みたいです」

 問題は透の煙草だけではないのだ。

昨日発売の週刊誌では『周防志岐がお忍びデート?』というアオリが躍っていた。

 大阪で志岐が聡子と遊んでいたところを、ある観光客が偶然、背景程度に撮影してしまったらしい。それが興味本位で出版社に投稿され、ネタにされたのである。

 激写されたのは、手を繋いでいる決定的瞬間だった。ファンは真っ二つに分れている。

『またあの子よ! タクト様の抱っこだけじゃ飽き足らず!』

『RED・EYEで二股? マネージャーだなんて、いやらしい!』

 罵詈雑言を浴びせられているのは、むしろ聡子なのだが。

 悪徳記者もプロだけあって、コンサートの直前という最悪のタイミングを狙われた。その結果、透と志岐のスキャンダルが重なり、RED・EYEは危機に瀕している。

 元気が取り柄の志岐は、机の下に頭を隠すほど小さくなっていた。

「透じゃないよ、僕のせいだよぉ。つい浮かれて……」

「志岐君のせいでもありません! 私がマネージャーとして、しっかりあなたたちを監督しなかったから……」

 責任感と後悔で板挟みになり、聡子は唇を噛み締める。

 私にプロ意識が足りなかったから、こんなことに!

自分にとってはバイトの延長線上であることから、心のどこかで甘えていたのかもしれない。最初のうちは、つまらないからすぐ辞めよう、と思っていた。

 その浅はかな油断が、商材としてのみならず、RED・EYEという至高の『作品』にキズをつけてしまった。

「本当にごめんなさい……私が、ちゃんとしないから……」

 そんな自分を卑下せずにはいられない。せめて誠心誠意、頭を下げるものの、かえって己の無力感を思い知らされるだけだった。

 だがこの状況で、ひとりだけ、暢気にヘッドフォンでライブ曲に聞き入っている。

「ここでターンして、投げキッス」

 月末のコンサートに向け、霧崎タクトはひたむきに全力投球していた。スキャンダルも雑音程度にしか認識していないようで、レッスンに余念がない。

 聡子たちの気落ちを察し、ヘッドフォンを少し浮かせる。

「いつまでシケた面を並べている? 何を悩んどるんだ、お前たち」

「……はあ。これで悩まずにいられるか」

 リーダーほど豪胆になれない透は、自嘲気味に溜息を漏らした。

志岐も涙目になるほど困惑し、レッスンどころではない。

「タクトは槍玉に上げられてないから、そんな余裕ぶってられるんだよ~。RED・EYEがなくなっても、タクトならソロでやっていけるだろーから、いーけどさっ」

「志岐君! ちょっと……」

 危険な発言に聡子はさっと青ざめた。

 志岐も透もぴりぴりしていて、気まずい。不協和音が流れ、ちょっとした皮肉や反抗さえ鋭い刃物になりかねない。

 迂闊に話してはならないと感じ、マネージャーは押し黙った。

 これ以上失敗するわけにはいかないもの。

「馬鹿か。テメエら」

 にもかかわらず、リーダーの口から罵倒が飛び出す。

「透は何もしてねえんだし、志岐は今度のコンサートで謝れば済む範疇だ。あとはドームライブを成功させりゃあ、万々歳だろうが」

上から目線で容赦がなかった。

聡子がおずおずと制したくらいでは止まらない。

「タ、タクト君! もっと穏便に」

「煙草が何だ? 写真がどうした? そんなもの、オレたちには関係ねえ。天界の大天使と、地獄の悪魔と、地上の勇者が、その程度のことを気にかけるか?」

 透は激昂し、机を蹴るように立ちあがった。

「ふざけんな! 俺らは、お前ほど天才じゃねえんだよッ!」

 胸ぐらを掴みあげ、ヘッドフォンからタクトの頭を乱暴に抜き取る。

 なのにタクトは涼しい表情で呟くだけ。

「殴るんなら腹にしてくれ。オレの顔は商品なんでな」

「――ばかやろう!」

 神経を逆撫でされ、透はタクトを壁にぶつけるように放した。舌打ちを残し、苛立たしそうに103号室を出て行ってしまう。

「待ってください、透く……」

「全部僕が悪いんだ! もう辞める! 辞めればいいんだろっ!」

 一触即発の緊迫感に志岐も音をあげた。透に続いて部屋を飛び出し、扉を開け放つ。

「志岐君! 待って!」

 階段の音からして、ふたりとも部屋に戻ったのだろう。

 外に出ようものなら、いつどこでマスコミに囲まれるか、わかったものではない。最低限の理性は働いている、と信じたい。

「まったく、あいつらは……」

 タクトはヘッドフォンを拾い、ライブ曲を出だしから聴きなおしていた。

「お前はオレを責めないのか? 聡子」

 聡子は首を横に振り、自分に言い聞かせるように頷く。

「間違ったことは言ってないと思いますから。ただし、言い方は最悪でしたけど」

 本来なら聡子が言うべきことだった。

城ノ内透は何もしていない。周防志岐はライブでファンに謝ればいい。スキャンダルを乗り越える最善の方法は、最初から明白である。

コンサートさえ大成功させればいいのよ。名誉挽回のチャンスなんだもの。

 それがわかっているからこそ、タクトは練習に没頭する。 

 しかし彼のプロ意識を認めつつ、聡子は彼の鈍感さを嘆いた。誰もがタクトのように神経が図太いわけではない。ものには『言い方』というものがある。

「もっと優しく言えなかったんですか? 志岐君も、透君も、タクト君ほど精神面がタフにはできてないんです」

 聡子が睨むと、RED・EYEの王者は苦笑し、白い歯を覗かせた。

「慰めるのもいいが、まずは現状を正しく認識させてやらんとな」

「また、そんなふうに……」

 タクトの手がそっと聡子の手に触れる。

「だから、お前がいる。ムチが俺で、アメはお前が担当だ」

その瞳が光をたたえ、まじまじと聡子を見詰めた。

大天使フェロモンは遮断しているはずなのに、どきどきする。呼吸の音さえ相手に聞かれてしまいそうな近さも、不思議と甘い緊張感をもたらした。

「オレがあいつらを上手に励ましてやれると、思うか?」

「……思いませんけど、努力はしてください」

「なるほど。正論だな」

 頼られているのが伝わってきて、くすぐったい。

 聡子は表情を綻ばせ、笑みを浮かべた。

「ちゃんと仲直りしてくださいね」

「RED・EYEには透も志岐も欠かせんからな。あいつらは大切な仲間なんだ」

 タクトがはきはきと胸の内を明かしつつ、聡子の後ろに手を突っ込む。

 隠し持っていたボイスレコーダーを切られてしまった。

「これだけ話せば、充分か?」

 聡子の狙いにはとっくに勘付いていたらしい。

「さっきの台詞、嘘じゃないですよね? なら、もういいですよ」

「ははっ。お前もやるようになったな」

 タクトが陰でメンバーを悪く言うはずがない。それを信じ、録音していたのだ。

『あいつらは大切な仲間なんだ』 

 この言葉だけでも、ふたりに聞かせてやりたい。

「しかしまた、おかしなモノを持っているな、お前は」

「え、ええと! たまたま部屋にあったんです」

 聡子はぎくっとして、すでに見られているボイスレコーダーを背中に隠す。何しろこれは、先日タクトを奮起させた『真奈美』の、声の正体である。

「ふん。まあいい」

 タクトはおもむろに立ちあがり、わざとらしく顔を背けた。ヘッドフォンのボリュームを急に上げたのは、照れ隠しだろう。

「マネージャー、あいつらを引きずってでもレッスン場に連れてきてくれ。これはお前にしかできん仕事だ。頼む」

「わかりました。先に行っててください」

 間もなくスタッフの車が到着し、タクトをレッスン場へと運んでいく。

 困ったリーダーだわ、ほんと。

 気を落ち着かせてから、聡子は202号室、志岐の部屋を訪ねた。ドアは鍵以前に少し開かれており、覗き込むことができる。

 部屋の中はプラモデルだらけ。それらに触れないよう、慎重に真ん中を進む。

 志岐は奥の窓際で屈み、ぐずっていた。聡子と同じ十七歳にしては幼く、つぶらな瞳に涙を溜めている。

「さ、さっちゃんなの?」

「そうですよ。志岐君、大丈夫で……えええっ?」

 少年が振り向いた瞬間、眩い光の波が聡子を煽った。たじろぎながらも、聡子は眼鏡越しに光のその正体を直感する。タクトと同質の力に違いない。

 志岐君まで大天使フェロモンを?

 涙ぐむ少年の上目遣いは、巧みに母性をくすぐった。男性の『ムラムラする』という感覚は、これに近いのだろう。自然と鼓動が速くなる。

 し、しっかりしなくちゃ!

 聡子は両手で自分の頬をぱしんと叩いた。その痛みで幻想的な誘惑をやり過ごす。

「ほら、カオを拭いてください。アイドルが台無しですよ?」

「見ないでってば」

 泣いているところを女の子に見られ、恥ずかしいらしい。

それでも聡子がハンカチを向けていると、観念したように受け取った。やがて少しは落ち着いて、嗚咽の回数も少なくなる。

「……僕が浮かれて、デートなんて言ったからなんだ。前にひとりでアキバ歩いてるとこ撮られたことだってあるのに、何も考えてなくって」

 彼なりに反省どころか猛省してくれていた。しかし後ろ向きな後悔にも聞こえる。

「じゃあ、遊びになんて行かなかったほうがよかったですか?」

「それは……わかんないよ」

 聡子がじっと見詰めても、志岐はかぶりを振るだけだった。

「ほんとに辞めちゃうんですか? 志岐君。まだプラモデルの連載も始まってないのに。編集のライターさんも、読者も、みんな、すごく楽しみにしてるんですよ」

「うぅ、やりたいよ。けどさ、僕」

「だったら、やりましょう! タクト君も待ってます」

 聡子の言葉が届かない分は、ボイスレコーダーのメッセージに縋る。

『RED・EYEには透も志岐も欠かせんからな。あいつらは大切な仲間なんだ』

 ようやく志岐が顔を上げた。

「タクト……」

少年バージョンの大天使フェロモンが輝きを増す。

 いつの間にか202号室は宮殿の王室になっていた。絨毯とタペストリーで飾りつけられ、壮麗な雰囲気で聡子を包み込む。

 まさか志岐君にもこんな力があったなんて……!

 聡子は息を飲んで、王子の姿である志岐の頭をそっと撫でた。

「頑張りましょう、志岐君」

「う、うん。……僕、コンサートでみんなに謝る。アイドル続けるよ!」

 少年はの目は泣き腫らしたせいで真っ赤だ。

 ふとRED・EYEの名と重なる。

「そういえば、RED・EYEってどういう意味なんですか?」

「それはな」

 聡子の背後から、志岐の兄貴分である声が聞こえた。

「ユニット結成で初顔合わせん時、俺たち全員、徹夜明けで目が赤かったのさ。そんだけで、じゃあ『RED・EYE』にするか、って。馬鹿だよなあ……」

 王室の扉に透らしい人影がもたれている。

 ところが彼はコウモリのような翼とともに、真っ黒なシルエットを広げた。王室の映像がみるみる闇に吸い込まれてしまう。

「さっきは悪ぃ、マネージャー。ついカッとなっちまってさ」

 透もまた扇情的なフェロモンを放っていた。危うさと荒々しさを持ち合わせた、野性的な魅力が、聡子にさえ強い衝撃をもたらす。

「透君まで……?」

 これこそがRED・EYEの真価だ。聡子の目の前で、人間界の王子・周防志岐が立ちあがり、地獄の悪魔・城ノ内透とガッツポーズをクロスさせる。

「俺たちがここで腐ってても、何にもならねえ。練習に行こうぜ!」

「うん! こうなったら、やってやるよ!」

 ここに霧崎タクトの大天使フェロモンが合わされば、ファンタジーの世界が完成するはずだった。聡子の胸が今までになく期待で膨らむ。

「みんなで行きましょう!」

 わくわくしてきた。RED・EYEのドームコンサートを見届けたい。

 いつしかコンサートの成功は、タクトや志岐、透のみならず、マネージャーの聡子にとっても念願となっていた。自分の立場があくまで『臨時』であることが悔しい。

 

 聡子たちはレッスン場へと駆け込んだ。霧崎タクトは曲が始まる寸前のポーズのまま、ぴくりとも動かずに待っている。

「待ちかねたぞ。遅かったじゃないか」

 聡子はずかずかと歩み出て、リーダーの脳天をスリッパで殴った。

「ちゃんと謝りなさいっ!」

「そ、そのつもりだ! 話は最後まで聞け」

 改めてタクトが膝を降り、透と志岐に土下座で頭を下げる。

「すまなかった」

 透たちが驚き、顔を見合わせる。何せ傲慢なリーダーが真剣に頭を下げているのだ。

「オレにはお前たちが必要なんだ。真奈美のためにもコンサートを成功させたい」

「わ、わかった、わかった! お前に謝られたら、調子が狂っちまうぜ」

 透は返す言葉に迷って、顔を引き攣らせた。

「僕たちも目標はおんなじ、でしょ。思いっきり練習しよう!」

 志岐が元気に身体を弾ませる。

 ミュージックが流れ出すと、三人のダンスは息がぴったりと合った。さっきまでケンカしていたくせに、ひとつの意志であるかのようにシンクロする。

 練習であっても、透や志岐のフェロモンが溢れるほどだ。タクトの大天使フェロモンが合わさった場面を見てみたい気もするが、恐ろしくて眼鏡を外せない。

すごいわ、みんな。本番までガンバってね!

 聡子は眼鏡越しに、三人のダンスに見惚れていた。それぞれが夢に向かって、全身全霊でレッスンに励む様子が、マネージャーとして誇らしい。

 周防志岐はホビー誌で連載企画のため。

 城ノ内透は駅のマナー向上とクリーン化のため。

 霧崎タクトは愛する真奈美のため。

ん? なんか、変なのが混じってる気がするけど……。

ドームコンサートを目前にして、RED・EYEは真の結束を果たした。

 

 

 ついにドームコンサートの日がやってきた。

 元来の人気はもとより、スキャンダルの真相を知るため、そして霧崎タクトの復活を見届けるため、大勢のファンが詰めかける。

「私は透クンを信じてるもの!」

「お願い! 何かの間違いって言って、志岐くん!」

「今日こそタクト様が復活なさるのよ!」

その数、十万人。これはドームにとって最大の収容人数であり、言うまでもなく予約チケットは完売済み。会場はファンの熱気に満たされている。

「申し訳ございません! ご入場の際はお荷物のチェックをさせていただきます!」

 この規模になれば、警備にも誘導にも相当の人員が必要となった。物々しい雰囲気さえ漂っており、スタッフはぴりぴりしている。

 それは今回のドームコンサートに期待しているからでもあった。スキャンダルに対してRED・EYEが『逃げも隠れもしない』スタンスを表明し、結果的にピンチはチャンスに転じたのだ。これまでにないほど注目されている。

 ステージの開幕は午後二時から。

 RED・EYEのメンバーが待機中の控え室も緊張感で満たされていた。

「ほっ本当に大丈夫なんだろうね? ささ、聡子ォ!」

 居ても立ってもいられないらしい叔父が来て、うろうろする。

「落ち着いてください、叔父さん。リハーサルではあんなに興奮してたじゃないですか。豪華客船にでも乗った気分で、どっしり構えていてください」

「ありゃ転覆するもんじゃないか!」

副社長を追い出してから、聡子は落ち着くためにもネクタイを結びなおした。

RED・EYEは今日、身の潔白を証明しなければならない。きっと大丈夫とは踏んでいるものの、不安はつきまとう。

それと同時に、RED・EYEの真の力をファンに見せつけるのが楽しみだった。聡子の読みが正しければ、今日こそタクト個人の大天使フェロモンを超える、メンバー全員のレッドアイフェロモンが完成するはずなのである。

前向きな気持ちと後ろ向きな気持ちが、武者震いをもたらした。

聡子たちは段取りを入念に確認する。

「いいですか? まずは記事のこと謝って……状況が悪いようでしたら、すぐにこっちで曲をスタートさせますから」

「任せておけ。新たな神話の1ページを見せてやろう」

 タクトは台本をアイマスク代わりにして、仮眠の体勢だった。一見だらけているように見えるが、これが彼なりの精神統一らしい。

 昨夜のアニメならアクシデントもなく、録画は完璧だったはず。

 透は左手に5キロのバーベルを持ち、こちらも精神統一の様相である。

「台本通り、まずは俺が騒ぎになったことをみんなに謝る。俺の後なら、志岐もちょっとは話しやすくなるだろ?」

「大丈夫だよ。僕だって練習したんだ」

 膝を笑わせているが、志岐の覚悟も決まっている。

「そろそろ時間です。RED・EYE、ステージをお願いします!」

 この日のために猛特訓に励むタクトたちを見て、スタッフも真剣になっていた。今さらおたおたと慌てふためいているのは、現場を知らない叔父くらいのものだ。

アイドルをステージに立たせる! なんて快感なのかしら!

 始まる前から聡子は手応えを感じていた。

 まだ自分しか知らないRED・EYEの底力を、ファンの皆に見せてあげたい。

 それはファン第一号の立場にいるようで、皆のRED・EYEを預かるという大きな責任を伴った。だからこそ、聡子も覚悟を持ってコンサートに臨める。

 絶対に成功させるわ!

 やがて開幕の時間となった。

RED・EYEのメンバーが中央で手を重ね、気合を高める。

「さっちゃんもおいでよ。一緒にやろう!」

「あ、はい。それじゃあ……」

 マネージャーも加わったところで、透が声を張りあげた。

「RED・EYE、ファイトーッ!」

「オ~~~ッ!」

 タクト、透、志岐、そして聡子。ステージに向け、全員の気持ちがひとつになる。

「ガンバってください、みんな! 私も、私にできることをやりますから!」

「フ、お前なら問題あるまい。いくぞ、志岐! 透!」

 タクトは頼れる仲間を連れ、出陣した。

 

ドームの会場では十万人のファンが、タクトらの登場を今か今かと待ち侘びている。

非常灯を残して照明が落とされても、日中のため、天井のドームは薄明るい。それでもファンのざわめきを鎮めるには効果的な暗幕になった。

会場が水を打ったように静まり返る。

その緊張感がピークに達した瞬間、ステージの角からスモークが噴きあがった。

 キャアアアアアアアアア~!

 ファンの声援が、絶叫が、悲鳴が、ひとつの大きなボルテージとなる。舞台袖で見守る聡子も飲まれ、呼吸の仕方を忘れそうになった。

 RED・EYEはプレッシャーを舞台の上で浴びることになる。

 大丈夫よ、みんな。ガンバって!

次第に煙が晴れ、ステージにある人影を浮かびあがらせた。

透が現れ、マイクを片手に切り出す。

『城ノ内透っス。今日はライブの前に、みなさんに少しだけお話があります』

 普段の彼とは違った丁寧な言いまわしに、ファンは息を飲んだ。十万人が一様に沈黙する空気が、異様な緊迫感を会場じゅうに蔓延させる。

 カメラが透の真摯な顔つきを捉え、スクリーンで拡大させた。

「ええと……」

 ファンはステージの透を見詰め、告白を待つ。

 この場にいる全員が透の無実を信じているはずだった。そんな会場の重々しい静寂を切り裂くように、雄叫びが響き渡る。

『冗談じゃねえぞ!』

 昼間にもかかわらず、天井のドーム屋根まで真っ暗になった。無数のコウモリがファンの頭上を飛びまわり、ステージへと集まっていく。

 城ノ内透は悪魔の羽根を広げた。

『俺が線路にゴミ捨てるわけないだろ! 文句があるヤツぁ、いつでも来やがれ!』

 タクトの大天使フェロモンに匹敵するオーラが、会場に大きな波を走らせる。

 これこそ城ノ内透の真骨頂。

『テメエらも捨ててんじゃねえぞ! ゴミはゴミ箱だろーがっ!』

 言っていることは道徳的なのに、喧嘩腰で荒れ狂う。

 透のファンはむせび泣くほど感激した。

 ゴミ箱はゴミ箱に~~~!

 声を揃え、透の命令を復唱する。今この瞬間より、ポイ捨てはRED・EYEへの重大な背信行為となった。

『お次は人間界のプリンスからだぜ! おらっ、志岐!』

 暗転していた会場が俄かに眩しくなる。

ドームだったはずの景色が、宮殿の中庭となった。ステージはテラスに位置し、そこに人間界の王子・周防志岐が壮麗な姿を見せる。

『ああっ、あの、僕……』

志岐はファンの数に気圧され、がちがちに緊張していた。

そんな健気でいじらしい姿が、ファンの母性を直撃してしまう。志岐のファンもまた感涙し、ハンカチを噛んでまで見守ってくれた。

 大きな深呼吸をしてから、志岐が胸の内にあったものを曝け出す。

『僕、女の子と手を繋いだことなくて! 舞い上がっちゃって、ごめんなさい!』

 その言葉は何ひとつ誤魔化すところがなかった。だからこそ純朴で初々しく、ファンのお姉様がたに情欲の火をつける。

「いや~ん! 志岐きゅん、超カワイイ~!」

 ステージには危険な悪魔と、愛らしい王子がいた。ファンの女子らも装いをドレスに替えて、崇高なファンタジーに陶酔する。

流れは完全にRED・EYEが掌握していた。

 あとは頂きに霧崎タクトが降臨すれば、レッドアイフェロモンが完成する。これまでの不安を丸ごと期待に変え、聡子はリーダーの登場を待ち侘びた。

 頼んだわよ、タクト君!

ドームコンサートの成功は目前だ。スタッフのテンションも最高潮に達している。

果たして大天使は、ゴンドラに乗って宮殿へと降りてきた。白い翼がはためき、綺麗な羽根を一面に散らす。

霧崎タクトの存在感は大天使を超越し、神にさえ近づきつつあった。

『さあて、聖戦を始めようじゃないか。エンジェルちゃん』

 アークエンジェルの妖艶な吐息が、ファンの心をかっさらう。

黄色い声援がドームに反響した。

「キャーーー! タクト様がご降臨なさったわー!」

「私もエンジェルでいいんですか? 導いてくれるんですか、タクト様!」

 霧崎タクト、ここに復活。

 キャ~~~~~! キャ~~~~~!

 RED・EYEの全員が揃ったことで、ファンのボルテージはさらに過熱する。

 その勢いに乗るようにミュージックのイントロが流れ始めた。

 爆音と声援がすべてを揺るがす。聡子の胸も高鳴りすぎてしまって、もう息が続きそうにない。感動のあまり、涙さえ浮かぶ。

さあ! 私たちに最高のステージを見せて!

タクトは大天使の翼を広げ、今にも飛び立とうとしていた。

『今日のオレを、今までのオレと同じにするなよ? 本気モード、チェンジ!』

 ゴンドラから天使の羽根が舞い落ちる。

 それを、カメラは真正面からズームで捉えてしまった。

 MANAMIの文字を。

 

   ……………。

 

 声援がぴたりと止まり、空気の振動がなくなる。

 タクトの胸元にはアニメ、もといゲームのヒロインがいた。真奈美のTシャツを堂々とカメラに見せびらかし、タクトは耽溺する。

『フッ。今日のコンサートにはオレの女神、真奈美が応援に来ているのだ!』 

 マネージャーは誰よりも早く状況を理解し、くずおれた。

 ウソでしょ? ずっと着てたの?

 あれだけ燃えあがっていた会場のボルテージは、一瞬のうちに引いてしまった。十万人が一斉にドン引きするという、かつてない無言の空気が重々しい。

『今夜! オレは真奈美と結ばれる!』

 タクトの宣誓だけがドームに虚しく木霊した。

 透で志岐で作りあげた幻想の世界も、張りぼてのようにがらがらと崩れていく。

 まだファンもスタッフも放心していた。何が起こったのか、理解できないのだろう。しかし聡子だけは頭を抱え、最悪の状況を認識できてしまう。

終わったわ、何もかも……。

この瞬間、ファンの情熱もスタッフの労苦も、すべてが『終わった』のだ。今日まで練習に明け暮れた志岐と透はぽかんとして、ゴンドラを見上げている。

「な……なんで? ねえ、これってドッキリかなんか?」

「いや、夢だろぉ……ただ、とびっきりの悪夢ってやつで……」

 神に選ばれし大天使は、真奈美とともにいられる贅沢な開放感に酔いしれた。

『オレと真奈美を祝福してくれるのか? だが安心するがいい、オレの可愛いエンジェルちゃんたち。真奈美は二次元』

 エレガントな仕草で前髪をかきあげる。

『たまに三次元になるが……問題ない』

 なんという自信、そして、なんという自惚れだろうか。

悪い意味でドーム会場はタクトのカリスマ性に支配されてしまった。全員が棒立ちのまま、時間が凍りつく。

それでもミュージックは流れていた。間を持たせるために編集された、長めのイントロが、ファンの鼓膜を無駄に揺さぶる。

 腰を抜かしつつ、聡子は内線を取った。

「と、透君! 志岐君! ダンスが始まってませんよ!」

 もう自棄で。

 頭の中が真っ白に違いない透と志岐が、ぎこちない反射だけで踊り出す。練習の成果は少しも発揮されず、ステップはずれまくり。とてもまともに歌える状態ではない。

『さあエンジェルちゃん、そして真奈美! 盛りあがろうぜ!』

 ファンは『とりあえず』曲に合わせ、ふらふらとサイリウムを振った。

「たくとく~ん……たくとく~ん……」

「マナミッテ……? マナミッテ……?」

やる気のない校歌斉唱みたいだ。

 顔面蒼白のマネージャーが最後の指示を出す。

「パートはなしで! 歌はタクト君のソロでお願いします!」

 霧崎タクトはゴンドラからステージへと飛び降り、声高らかに歌い出した。

『ガラスの靴が──』

 プツンッ。

 

 

 誰も彼もが放心したまま、ドームコンサートは終わった。

 これまでのライブでは必ずアンコールラッシュを浴びていたはずの、RED・EYEのオンリーステージが、しめやかに幕を降ろす。

 呆然自失とドームをあとにしたファンたちは、無事に帰宅できたのだろうか。避難訓練みたいにのそのそと歩くだけで、意識の有無さえ怪しいファンも多かった。

 スタッフも上の空で、撤収作業は遅々としている。

 ピーポー、ピーポー。

 今しがた叔父が心労でついに倒れ、救急車で運ばれたところ。

 会場にはRED・EYEのファングッズが散乱していた。破られたり捨てられたのならまだしも、すべて丁寧に『置いていかれた』ため、異様な虚しさを漂わせる。

 RED・EYEの控え室では、透と志岐、そして聡子が重い疲労感に屈していた。

「……聡子ちゃんが悪いよな。真奈美に似てるんだから、もっと積極的に相手してやればよかったんだ。そしたら多分、タクトをコントロールできたのにさ」

 とんでもない理屈で責任を押しつけられてしまう。

「あんなのコントロールできませんよ! 大体、真奈美のフリして元気づけてやろうって言い出したの、透君じゃないですか!」

「俺だっけ? 志岐じゃ……いや、うん。俺が悪い。沈黙に耐えられなくてさ」

 透はうなだれ、バーベルを少しも持ちあげられないでいる。

 志岐は無気力に、ただ椅子をぎこぎこと鳴らしていた。

「タクト、いつからトリップしてたのかなあ?」

「そりゃやっぱ、三次元で真奈美と会ってからだろ」

 全員の溜息がひとつに重なる。

「はあ~~~」

 落ち込んでいるタクトを元気付けるつもりで、聡子は一度だけ真奈美になった。その薬が効きすぎて、彼はゲームと現実を完全に混同してしまっていたらしい。

 あれだけ特訓に没頭したのも、愛する真奈美とエンディングを迎えたいがため。

「……で、どうするの? さっちゃん」

「何がですか?」

 志岐は椅子にもたれ、頭を逆さにした。

「エンディングだよ。タクト、どっかで真奈美に告白されるの、待ってんじゃない?」

「知りませんっ! もう絶対に真奈美になんてなりませ……」

 気まずい控え室に大天使が駆け込んでくる。

 恋人のシャツとともに。

「真奈美はいるか? ……どこだ、一体どこで会えばいいんだ!」

 その瞳は真剣に恋人を捜していた。

 こそこそと逃げ出そうとする志岐と透を、聡子はがっちりと捕まえる。

「ふ・た・り・と・も、どちらまで? まさかわたしを置いて、逃げたり……なんてこと考えてませんよねー?」

 冷たい視線で睨むと、透がぞっと震えた。

「わかった、わかった! 俺たちで説明すっから!」

「う、うんっ。タクト、真奈美について大事な話があるんだ」

 志岐に促され、タクトが渋々椅子に腰を降ろす。

「一体何だ? 俺は今忙しい」

「いいから聞け! お前の真奈美ちゃんは目の前にいるぞ」

 マネージャーは観念して髪を解き、眼鏡を外した。

 タクトが両目を強張らせ、青ざめる。大天使フェロモンを放つどころでもない。

「なっ? なぜ、真奈美が聡子に化けて……」

「逆です! あの日、私が真奈美ちゃんのフリをして……ほら、透君!」

「お前、一度リアルで真奈美に会っただろ? あれ、実は聡子ちゃんで……声は俺が編集したやつを、後ろで流してたんだよ」

 タクトは愕然とし、頭に岩でも落下するように崩れた。へなへなと四つん這いになり、すべての指をわななかせる。

「そんな、そんな馬鹿な……じゃあ真奈美は? あの日、オレのもとに舞い降りてくれた可憐な真奈美は、い、いないというのか……ッ?」

 その表情はみるみる死相を浮かべ、絶望という奈落へと沈んでいった。

「あとエンディングの条件は、コンサートの成功だったろ? でもお前、今日のは大失敗だって認識してるか? もしもーし?」

 透が耳元で呼んでも反応なし。

 志岐がぼそっと恐ろしいことを呟く。

「せっかく眼鏡外してるんだし、慰めてあげたら? まっちゃん」

「じゃあ俺たちはこれで。先に帰ってるよ、真奈美ちゃん」

「誰が真奈美ですか、誰が!」

 薄情にも透たちは逃げるように退室してしまった。

 聡子は最優先で眼鏡を掛けなおす。

「それでは私たちも撤収しましょう。……立ってください、タクト君」

「……おかしいな? オレはいつゲームをやめたんだ? 真奈美のあの肌の温もりはどこへ? ベッドの上で、オレの腕に抱かれて、可愛く震えて……」

「そんなことしてないでしょーがっ!」

 マネージャーの鉄拳がトップアイドルの脳天に炸裂した。

 

 

 

 

エピローグ

 

 

 

 

 ドームコンサートは多方面で反響が凄まじく、度々ネタにされている。大阪のベテラン勢も度肝を抜かれたらしい。

『びっくりした! おれもう、ひっくり返ってもうた!』

 かくしてRED・EYEの名声は地に落ちた、かに思えた。しかしイケメンの需要は依然として高く、オファーも充分に確保できている。

 夏休みの補習で出席日数を補いつつ、月島聡子は久しぶりにRED・EYEの住処へと立ち寄った。相変わらずみすぼらしいボロアパートだが、今では愛着を感じてしまう。

「模試で忙しくて……みんなのほうはどうですか? もう夏ですよ、夏!」

少しの間だけ自分の住まいだった101号室には、山ほどのヌイグルミと、ナナノナナのグッズが残っている。そこで聡子はオムライスを披露していた。

「さっちゃん、もっと遊びに来ればいいのに~」

「俺らのせいで補習受けてんだっての」

 周防志岐と城ノ内透はイメージがさほどダウンすることなく、精力的に活動中だ。

 志岐はホビー誌で連載企画を始め、これが好評を博していた。

「今月号も読みましたよ。面白かったです」

「いや~、あれはライターさんが張り切ってくれたんだよ」

 志岐が照れ笑いを浮かべながら、オムライスを頬張る。

 透も鉄道会社を渡り歩き、マナー向上のキャンペーンを続けていた。

「聡子ちゃんのおかげだぜ。仕事が楽しくってさ」

以前は荒くれ者のキャラクターをウリにしていたが、綺麗な街づくりに貢献しているとして、表彰もされたばかり。

 どちらも女性ファンからの支持は根強く、また男性ファンも増え始めている。

『ぼくも周防くんの作例を参考にしてみました。このテクは使える!』

『城ノ内くん、ぜひ九州にも来てください! 素敵な路線がありますよ!』

 などなど。

 ただし霧崎タクトだけは、メインのファン層を壊滅させてしまった。

タクト君のプロデュースは大失敗だわ……。

オタクであることが悪かったのではない。ただ、それを公表する場所とタイミングが史上最悪だったのである。インターネットで『ドン引き』と検索すれば、ドームコンサートの記事が一番上に出てくるほど。

 しかし批判などどこ吹く風といった調子で、彼は今日も秋葉原から帰ってきた。真奈美のゲームも続編の発売が決定し、テンションはうなぎ登りだ。

「戻ったぞ。なんだ、聡子。来ていたのか」

「おかえりなさい。近くまで来たから、ついでに寄ってみたんです」

 今では堂々と街を歩きまわり、新しい真奈美のシャツを皆に見せびらかしている。歩く観光スポットとして、幅広く親しまれているとか。

「オレの分はあるのか?」

「ちゃんとありますよ。どうぞ」

「うむ、心地よい」

 タクトはデビュー以来の解放感を爽やかに満喫していた。

 もとより生粋の実力派であるため、霧崎タクトを起用しようというオファーも多い。無論、オタク層からは圧倒的な支持率を誇る。

『昨日霧崎タクトとすれ違った。声掛けたらフツーに返事くれた』

『おれも会ったことある。すげえ面白いヤツ』

 ファンというよりも、むしろ友達が増えていた。

 聡子は追加で冷たいお茶を淹れ、タクトにも差し出す。

「タクト君は夏、予定はどんな感じなんですか? あっ、お仕事以外で」

「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれた。コミケに決まっているとも!」

 神に選ばれし大天使はエネルギーに満ち溢れ、もう誰にも止められなかった。指定席の上座に座り、メンバーのふたりにスプーンを向ける。

「透、志岐! お前らも手伝え!」

「絶っ対に行かねえ。あれは、興味ないヤツにとっちゃ地獄だ」

「ヤだよ! タクト、人使いがメチャクチャ荒いんだもん。イ~ッだ!」

 透も志岐も拒否したため、夏のお祭りはリーダーのひとり旅に決まった。

「まったく嘆かわしい……。お前たちには、仲間と一緒に聖地で祭典を盛りあげよう、という気概はないのか?」

「ねえよ」

「ないね」

 一言でオタクといっても色んなジャンルがあるらしい。

「冷めないうちに食べたら? タクト君」

「……そうだな。これ以上不敬な輩と話していても、埒が明かん」

 オムライスを口に運びながら、タクトはマネージャーに問いただした。

「ところでお前は、受験で忙しそうじゃないか。マネージャーはまだ続けるのか?」

 志岐が目を点にして、声を荒らげる。

「そ、そうに決まってんじゃん! まだまだこれからって時に」

「まあ、もっと一緒にやりたくはあるよなあ……」

 一方で兄貴分の透は、薄々勘付いている面持ちだった。

 タクトはすでに聡子の真意を見抜き、それを支えようとしてくれている。

「よせ、志岐。本当は話があって来たんだろう? マネージャー」

 聡子は肩を楽にして、口を開いた。

「実は私、もうマネージャーじゃないんです。スターライト芸能プロダクションのバイトも辞めちゃいましたから」

「なな、なんで? さっちゃん!」

 志岐はスプーンを落とし、透は静かに頷く。

「前にタクトと、そうなるんじゃねえかって話をしてたんだよ。聡子ちゃんって、俺たちの後ろについてくるだけのタイプじゃないよなって」

「喋りすぎだぞ、透」

 急な話になってしまったが、タクトと透は聡子を尊重してくれた。志岐も今は驚きこそすれ、わかってくれるだろう。

「私、プロの芸能ディレクターを目指すことにしたんです」

 聡子には新しい目標ができていた。

 タレントを発掘し、育て、ステージへと上げること。誰も知らない、埋もれた試金石を自分の手で探し出し、自分の手で磨きたい。

 そして世界へと放ちたい。

「だ、だったらなおさら、スターライトプロを辞めなくってもさあ……」

 志岐の疑問はもっともだ。しかし聡子の心は決まっている。

「ゼロから始めたいんです。スターライトプロだと何でも揃いすぎてるし、叔父さんが副社長っていうコネまであります。これじゃダメなんです」

スターライト芸能プロダクションに残る選択肢も、確かにあった。

霧崎タクトは別として、RED・EYEの城ノ内透と周防志岐を矯正した手腕を評価され、再三再四、好条件で内定を薦められている。

 叔父にも『キミでないとRED・EYEは動かせんよ!』と散々泣きつかれた。

けれども断ってしまった。

「先週、バーチャルコンテンツプロのほうで採用が決まったんですよ」

「バーチャル……それ、井上さんのとこじゃねえか!」

 そもそもRED・EYEは聡子がゼロから育てたわけではない。

RED・EYEとは、すでに先人の手によって大成していたものであって、その名声が聡子の評価を引きあげたに過ぎないのである。

 次は完成品に頼らず、自分の力でスタートを切りたい。

「ですから……ごめんなさい。マネージャーのバイトは卒業します」

 聡子は深々と頭をさげた。これがRED・EYEに対する、精一杯の誠意のつもり。

 上座のタクトが不敵な笑みを浮かべた。

「ふっ、謝られる筋合いはないな。眼鏡はどうかと思ったが、オレも何かと学ぶところが多かった。色々と世話になったな、マネージャー」

 聡子を『マネージャー』と呼ぶ最後のチャンスに、ほかのふたりも気付く。

「ありがとう、マネージャー! 僕、これからもガンバるよ!」

「仕事先で会うことがあったら、よろしくな。マネージャーちゃん」

 調子のよい透に、志岐が食ってかかった。

「ずるいぞ! 自分だけ『ちゃん』付けするなんて」

「聡子ちゃんって呼んでんだから、マネージャーちゃんになるだろー?」

 この光景を当分見られなくなるのは、少し寂しい。

そうよね、仕事先でみんなに会えるくらい、私も大きくならなくっちゃ!

 新しい事務所の社長から早速、仕事の電話が入ってきた。

『前に話した件なんだけど。小学生の女の子を任せていいかしら? あなたなら弟さんの世話で慣れてるでしょうし』

「はい、はい! では来週、顔合わせと……はい! よろしくお願いします!」

 本格的に経営学を学ぶため、受験勉強も忙しい。正式な採用は大学に合格してから、と実は社長に念を押されていたりする。

「ごめんなさい、そろそろ失礼します。くれぐれも志岐君は換気! 透君は寝不足! タクト君は現実逃避! 充分注意してくださいね」

「現実逃避したくてハマってるのがわからんのか。ったく……」

 

 

 

 その日の日記に自分はこう書いたらしい。

   男の子はやっぱり世話が焼ける。

 スーツがしっくりくる年頃になった聡子は、くすっと微笑んだ。

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