百番目の寵姫

第四話 魔宴のノクターン

 濃厚な霧の向こうで陽が傾き始め、城の庭園も今だけオレンジ色に染まった。

 今夜は『レティシアのお披露目』という名目で夜会が催される。寵姫らが集まって親愛なる城主を取り囲む、雅やかな宴らしい。

「成人しないと、飲んではいけない……? 何のお話でしょうか」

「人間はそうなの。だからあたし、お酒とかはちょっと」

 シンシアに着付けを手伝ってもらいながら、レティシアは酒宴の内訳を探っていた。

 愛人を百人も集めての酒盛りなど、いかがわしいにも程がある。それに人喰い鬼たちの夜会なのだから、奇想天外なご馳走が出てくるのでは、と邪推してしまう。

 お皿に『人間』が乗せられてきたら、どうしよう……。

 これまでシンシアらと食事をともにして、ノスフェラトゥの食べるものが人間と大差ないことはわかっていた。だが、湖の底には食べ残しのような白骨の山があるのだ。

「どうなさいました? レティシア様」

 こんなことで怖がっていると知られたら、またエリオットとチャリオットのコンビに茶化されるだろう。シンシアには当たり障りのない笑みで誤魔化す。

「ううん、なんでも。手伝ってもらってごめんね」

「わたくしも好きでさせていただいてることですから」

 ドレスを替えるには、下着からすべて取り替える必要があった。魅惑的なビスチェにコルセットを重ね、背中のほうで紐を締める。

「うっ? シンシア、苦しい」

「これでも少し緩めでございますよ」

 田舎育ちの性分ではなかなかドレスに馴染めなかった。生地の量でいったら、ビスチェとコルセットだけでも夏の普段着と同等にある。

さらにドロワーズを穿いて、それも紐でしっかりと締める。

淑女の正装に先んじて、ボディラインのやや強引な調整が完了した。

「レティシア様は胸が豊かでいらっしゃいますから、ドレスも決まりやすいですわ」

「……それは言わないで」

 レティシアの華奢な身体に、シンシアが複雑なドレスを手際よく重ねていく。

 セルリアンブルーのドレスは肩を覗かせる挑発的なデザインで、背中も筋が見えるほど開いていた。細やかなフリルがあしらわれており、大輪の花をまとった気分になる。

 モーブの髪は毛先まで念入りに櫛を通され、後頭部で編みあげられた。仕上げにコサージュを差し込まれ、田舎娘から深窓の令嬢へと大変身を遂げる。

「とってもお似合いですわ!」

「あ、ありがとう」

 視界の脇でイヤリングが揺れ、宝石色の輝きを放つ。

 落ち着かないわ、こんなの……。

 優美なドレスに身を包みながら、レティシアはそわそわと時間を待った。

「そろそろ行かなくていいの? シンシア」

「ええと……次の鐘まで、まだ余裕があると思います」

「でも、もう六時……」

 時計は午後六時の五分前を指している。

 もとよりノスフェラトゥには時計を使う習慣がない。この部屋の置時計もレティシアのために用意されたもので、霧の城では妙な間隔で鐘が鳴るだけだった。

 それにしても綺麗ね、シンシアって。

 シンシアも今夜は気合充分にめかしこんでいる。どんなデザインのドレスであっても難なく着付けができてしまう、淑女さながらの教養も奥ゆかしい。

 ふと、風変わりなドレスのことを思い出した。

「ねえ、シンシア。大きな布を巻きつける感じのドレスって、知ってる?」

 レティシアは手振りもつけて、今朝見たものを教える。

 最下層の棺で眠っていた、あの少女が着ているドレスのことだ。自分たちのドレスは女子を立体的に飾り立てようとするが、あれは胸や腰を強調するものではなかった。

 シンシアが思案投げ首といった様子で呟く。

「……ひょっとして、東洋の着物、でしょうか?」

「キモノ?」

「綺麗な染め物を身体に巻いて、帯で括りますの。東方の桜や牡丹など、ここでは珍しい花の絵を描いたりするそうですわ」

 ハーブ屋の娘であるレティシアは、それなりに花の知識に自信があった。黒染めの着物とやらに描かれていたピンク色の花は、おそらく桜。

あれって誰なのかしら?

 ベオルヴと同じ銀色の髪で、着物を着た少女のことが、妙に引っかかる。

 やがてシンシアが席を立ち、会場入りする頃合いとなった。

「参りましょう、レティシア様」

「そうね。行きましょ」

 半ばバラの温室と化してしまった部屋をあとにする。

 レティシアはスカートを少し持ちあげ、シンシアの後ろに続いた。城内の床は黒水晶で造られているせいか、ハイヒールの音がよく響く。

 庭園沿いの回廊にほかの寵姫らも集まり、賑やかになってきた。

「ようこそ、レティシア様!」

「困ったことがありましたら、シンシアばかりと言わず、私もお頼りくださいませ」

 総出の歓迎にレティシアは何度も足を止め、たじろぐ。

 内心では気後れしてしまっていた。寵姫は自分とシンシアのほかに、まだ九十八人もおり、初めて会う相手がほとんど。挨拶こそすれ、名前を憶えるどころではない。

笑う時には口元をささやかに隠したり、小指の先まで丁寧な仕草など、立ち居振る舞いはたおやかな気品で溢れている。

 寵姫って、綺麗なひとばっかりじゃないの……。

 赤、紫、白、黒、そして金まで。ありとあらゆる色のドレスがすれ違い、囁くついでに花の香りを交換した。

 青いドレスを着ているのはレティシアだけ。今夜はレティシアのお披露目であるため、レティシアの存在感が際立つように配慮されたのだろう。

「私もレティシア様とお話してみたいですわ」

「今度、お茶会にお誘いしてよろしいかしら? レティシア様」

 百人目の寵姫であるレティシアを、皆は快く迎え入れてくれた。本当は城から逃げたくてしょうがない、などと告白できる雰囲気ではない。

「あぁ、ベオルヴ様にお会いできるのも久しぶり……! こんな機会を与えてくださったレティシア様には、感謝しておりますのよ」

「ベオルヴ様のお姿を拝見できると思うだけで、胸がいっぱいになりますわ」

 新米のレティシアを歓迎しつつ、寵姫らの関心は城主のベオルヴにも向かっていた。

普段は同じ話題を延々と繰り返すだけなのに、主君を敬愛するためなら、言葉も感情も急に豊かになる。ベオルヴの話には皆が頬を染め、情熱を燃やした。

「ベオルヴ様は青色がお好きなんですよ。うふふ」

 レティシアも城主を『ベオルヴ様』と呼ぶべきなのだろう。寵姫になったつもりはないとはいえ、ひとりだけ違う意見を振りかざすのも気まずい。

「だから私のドレスは青なのね。青色が好きだなんて、ベオルヴも子どもみた――」

 ところが意識しても、主君の名前に敬称をつけることができなかった。

 それでも寵姫たちは顔色を悪くせず、平然と談笑を続けている。

「そういうお可愛いところもありますの」

「ええ、ええ! はあ……お慰めして差しあげたいわ」

 あたしの気のせい?

彼の名前はなるべく口にしないほうがいいかもしれない。

 人数が多すぎる寵姫の挨拶にまごついていると、シンシアが気を利かせてくれた。

「お話の続きは、向こうに着いてからに致しましょう。お酒もありますわ」

「だからあたし、お酒はダメだって……」

 回廊を抜け、ようやく夜会の会場である大広間へ。

 広間は吹き抜けの二層構造になっており、柱にはバラの蔓が巻きついていた。

黒水晶の色合いに合わせて、調度品のカラーも黒系で統一されているが、丸いテーブルには純白のクロスが敷かれている。そのさり気ないコントラストも美しい。

天井には荘厳なシャンデリアが吊り下げられ、見上げるのが眩しいほど。床には赤い絨毯が敷かれ、壁には紋章入りのタペストリーが掛けられてある。

 窓の外では夜の帳が降り、静寂が広がっていた。対照的に城の中は煌びやかな輝きで満たされ、美しい寵姫たちが自慢のドレスを披露しつつ、談笑している。

 そして寵姫は皆、若々しかった。

 もしかして歳を取らないのかしら……?

ベオルヴが王の座について四百年なら、古株の寵姫も相応の年齢に達しているはずだが、老いた女性はどこにもいない。当のベオルヴも二十歳を過ぎたくらいの容貌である。

 今夜の主役であるレティシアは、最前列の席へと案内された。

 檀上はカーテンで仕切られているものの、うっすらと大きな椅子が見える。

「ようこそ、レディー!」

 また寵姫たちに持てはやされるのも疲れる、と辟易していたところへ、エリオットが現れた。猫のお面もレティシアを見つけ、けたけたと笑う。

「オイオイ、ドレスに着られちゃってる感がすげえナ! アハハー!」

 レティシアは安心するとともに表情を綻ばせた。

「うふふっ。こんばんは、ふたりとも」

 シンシアは何かと気遣ってくれるが、暇潰しの相手はしてくれない。その点、エリオットとチャリオットのコンビは道化だけあって、客を退屈させないのが上手い。

「男はあなただけみたいよ、チャリオット」

「王様とナー。寂しいんなら、オレが慰めてやってもいいんだゼ?」

 生意気な猫のお面ともすっかり打ち解けてしまった。

 エリオットと話していれば、ほかの寵姫に割り込まれることもない。厚意を無下にするようで悪い気もしたが、エリオットもわかっているのだろう。

 城主の椅子にはまだ誰も座っていない。寵姫らは主君の来場を待ち侘びている。

「レディー、どれにする? ワイン、ウォッカ、ブランデーだってあるよ」

「……お酒じゃないやつ」

 レティシアはサイダーのグラスを片手に、華やかなパーティー会場を見渡した。

響きのよいジャズを奏でている楽隊も全員、寵姫らしい。

 レティシアの視線に気付いた寵姫は、大抵は快く微笑んだ。しかし中には目を逸らす女性もおり、小声でシンシアのフォローが入る。

「あちらの方は九十番台の方でございますの。ベオルヴ様をレティシア様に取られたみたいに思われているのかもしれません。あまりお気になさらず……」

 ちくりと胸に小さな痛みが刺さった。

嫉妬の対象だからといって、一方的に敵意を向けられるのは、居心地のいいものではない。自分の意志で寵姫になったのではないことを、すぐにでも説明したい。

 ほかの寵姫にしてみれば、レティシア=ハーウェルは、後から出てきたくせに王の寵愛を受けようという、厚かましい女だった。

 あたしには、ベオルヴの寵姫なんてつもりはないけど……。

 しばらくして、豪華な料理が次々と運ばれてくる。皿に人間が乗せられている、などという珍事もなかった。

 出始めは可愛いお菓子みたいなアミューズ・グールに、前菜としてのオードブル。汁物はポトフが運ばれ、湯気とともに香ばしさを漂わせる。

 けれども田舎育ちのレティシアには、何か食べるにしても、作法がわからなかった。シンシアが小皿に盛ってくれるのを、遠慮がちにフォークでつつく。

「緊張してるみたいだね、レディー」

「そりゃそうよ。あなたはわかってるんでしょ?」

 エリオットは料理に一切手をつけず、ワインだかウォッカだかを煽っている。

 ……場違いなところに来ちゃったわ。

 いくらドレスと宝石で飾り立てたところで、所詮、自分は田舎の村娘だった。寵姫らの洗練された社交を眺めていると、自信がなくなってしまう。

 早く家に帰りたいな。

焼き立てのパンにマーガリンつけて食べたい。

目玉焼きを乗せて食べるのも好き。

 目の前のご馳走はどれも美味しいはずなのに、レティシアの空腹感は消えなかった。喉の渇きがお腹まで落ちていくようにも感じ、食が進みにくい。

「お口に合いませんか? レティシア様」

 不調を読み取ったらしいシンシアが、レティシアの横顔を覗き込む。

「ううん、とっても美味しい」

 レティシアは平静を装い、意識的に笑顔を作った。

 寵姫たちの優美なドレスが、シャンデリアの輝きを色とりどりに散らす。これほどにも華やかな社交場にいるのが信じられなくて、もはや現実感などあるはずもなかった。

 天井よりも上のほうから鐘の音が鳴り響く。

 ゴーン……ゴーン……。

 楽団の演奏が止まり、会場は水を打ったように静まり返った。

「おっと。それじゃあボクは怒られないうちに退散するよ。またね、レディー」

「いい女になれヨ? ヒャハハハ!」

 エリオットは紫色の煙を残し、消えてしまう。

鐘の音は大きな波であるかのように、それまで会場を賑わせていた小さな波を、すべてかき消した。残された空気が張り詰め、肌蹴た背中に寒気がくる。

……みんな、どうしたの?

当惑するレティシアをよそに、シンシアさえ無言で椅子を降り、跪いた。ほかの寵姫らも一様に跪き、王を迎える。

 玉座のカーテンが開いた。そこに炎がゆらりと現れ、支配者の姿に変わっていく。

 すでにベオルヴは玉座にゆったりと座り、頬杖をついていた。

「よく集まってくれた。我が寵姫たちよ」

酷薄そうな艶笑を浮かべ、寵姫たちを威圧する。

 それまでの華やかな宴が嘘だったかのように沈黙が垂れ込めた。まるでこれから罰でも言い渡されそうな雰囲気に、レティシアは固唾を飲む。

「夜会を始めるとしようか」

 冷ややかな視線で寵姫たちを一瞥し、ベオルヴはどこか不満げに息を吐いた。

 ベオルヴを除いて、まだ平然と椅子に座っているのはレティシアのみ。シンシアたちは足元の絨毯に額を擦りつけるほど平伏している。

「もういい。立て」

 城主の一言を合図として、寵姫は全員が同じ仕草で一斉に起立した。軍隊のように規律じみた動きで、不気味ですらある。

その顔つきは表情のない人形そのもので、喜怒哀楽が感じられなかった。さっきまでレティシアに微笑みかけていたシンシアも、生気が失せている。

「さて……知っている者も多いだろう。俺はついに百人目の寵姫を迎えた」

ベオルヴが右手を掲げると、レティシアの身体がふわりと浮いた。

「きゃあっ?」

ハイヒールの爪先が絨毯を空振りする。宙でおたおたするレティシアを、ベオルヴは両腕で抱きとめ、今度は満足そうに囁いた。

「この女が百人目の寵姫、レティシア=ハーウェルだ」

「ち、ちょっと! あたしは寵姫になるなんて一言も……」

 彼の手がスカートの上から太腿を撫で、レティシアの警戒心を強める。

 反射的に離れようとしたが、レティシアはあるものを感じ、絶句してしまった。

「……え?」

 寵姫たちの視線が集中する。最前列のシンシアも顔を上げ、虚ろな表情で玉座の、ベオルヴとレティシアの様子を眺めていた。

 おぞましい感情がひしひしと伝わってきて、鳥肌が立つ。

 ベオルヴ様ニ抱カレルナンテ、許サナイ!

 それは女の嫉妬。

 この場に居合わせた寵姫は今、憎むほどにレティシアに嫉妬している。

蛇の群れにでも囲まれたような恐怖が、全身を這いあがってきた。

 ど、どうして……?

彼女らの豹変ぶりが腑に落ちない。穏やかなシンシアでさえ、眉も口元も動いていないにもかかわらず、瞳を憤怒の炎で燃やしている。

「いい目だ、お前たち。さあ、その目でよく見ていろ」

 そんな視線を意に介さず、ベオルヴは百番目の寵姫を我が物のように抱き寄せた。後ろで結んだ髪をかきあげ、レティシアの首筋を無防備にする。

「なにするのよ、あなた……ひあっ?」

 不意に歯を立てられた。

「昼間のお返しだ。ありがたく思え」

優しく噛むような動きで、鼻まで押しつけ、香りを堪能されてしまう。

逃げようにもしっかりと抱き締められ、足をばたつかせることしかできない。

「や、やめてったら! みんなが見てるのに」

「見せつけてやろうじゃないか」

 混乱しつつ萎縮してしまっているレティシア相手に、ベオルヴは容赦しなかった。緋色の瞳を光らせて、腕の中の獲物をじろじろと品定めする。

 周囲には寵姫の視線。

シャンデリアの輝きでは誤魔化せない、どす黒い嫉妬の影が玉座まで伸びる。

にもかかわらず、ベオルヴはレティシアに唇を近づけてきた。

「寵姫ならば、王の言葉には従うものだ」

「やめ、ンッ? んぅう!」

 自分勝手な囁きがレティシアの息遣いに割り込む。

 薄く紅を塗ったばかりの唇を強引にこじ開けられた。意味深な手つきがドレス越しに這いまわり、レティシアの注意力を散漫にする。

 このひと、慣れてるんだわ……。

 かろうじてレティシアは手を突き出し、口づけから逃れた。相手の頬を引っ叩くような構図になると、ベオルヴが嗜虐性を浮かべて微笑む。

「寵姫に反抗されるのがこうも新鮮とはな。ククッ、そそってくれる」

「へ、変なふうに解釈しないで。よくも……キ、キスなんて」

 無理やり奪われ、レティシアは言葉に怒りを滲ませた。だが抵抗を続けようにも、王に見詰められていると、徐々に力が入らなくなる。

「命令だ。次は逃げるなよ」

 ベオルヴの囁きは暗示めいて聞こえた。

 ……あ、れ……?

頭がぼうっと熱を持ち始め、思考が途切れる。その隙にまた唇を塞がれ、呼吸の主導権さえ奪われてしまった。

 睫毛が触れそうな近さで、彼の紅い瞳を覗き込む。

「キスの間は目を閉じるものだぞ」

 口づけは強引なくせに、背中を撫でる手つきは壊れ物を扱うように優しかった。情事において女性の緊張を解すテクニックを心得ているのかもしれない。

 しかしレティシアを動揺させているのは、悔しさでも恥ずかしさでもなかった。ベオルヴの瞳が赤く光るたび、戦慄が込みあげる。

 あたし、喰べられちゃうの……?

 頬を舐められ、首筋を甘噛みされて。夜会のメインディッシュとして、ベオルヴに味見されているような錯覚がした。

 骨だけ食べ残され、湖に捨てられてしまうのか。

「おねがぃ、あっ、あたし、美味しくないから。ほんと、です」

 恐怖のあまり、レティシアは錯乱していた。

ベオルヴのキスが耳へと登っていく。

「人間らしいな。化け物にキスをされる趣味はないか」

大粒の雨が当たったみたいに頬が濡れ、彼の色めいた吐息に酔わされる。

「何もお前を喰らおうというんじゃない。そんなことをするのは下級種だけだ。まあ上級種でも、たまに禁を犯す愚か者はいるがな」

 悪魔じみたことを囁きつつ、彼の手はスカートに差し掛かっていた。

 そうはさせまいとドレスの下半分を押さえていると、余計に身動きできなくなる。

「待ってって、言ってるでしょ? はぁ、みんなが見てるのに」

「俺が一度も触れたことのない寵姫もいるんだぞ? フフッ、光栄に思え」

 依然として寵姫らの視線があるのに、ベオルヴの悪戯は止まらなかった。耳の次はうなじを舐め、レティシアを丹念に味わう。

「人間の女はお前が初めてだ。あいつらはさぞかし悔しがっているんだろう」

 彼女らの瞳は真っ赤な光を宿していた。誰も一言すら発しない。押し黙り、ただレティシアの苦悶ぶりをまじまじと眺めている。

『どうしてベオルヴ様は新入りにあんなに……?』

『私のほうが美しいのに、人間風情にベオルヴ様を奪われるなんて!』

 むしろ無言でいられるほうが、彼女たちの本音が聞こえてくるかのようだった。

大勢にそう責め立てられると、自分自身が酷く罪深い存在に思えてくる。無数の視線はみるみる嫌悪の色を増し、レティシアを追い詰めた。

 ベオルヴがレティシアの髪に触れ、ハーブを奏でるように梳く。

「これが王の夜会というものだ。いい気分だろう? 王の愛を独占するのは」

「そんなわけないわ。あたしは王とか、寵姫だなんて、ンッ、興味が……」

 痛みであれば拒絶できるのに、あくまでレティシアは丁重に扱われた。傍目には王の求愛に耐えかねている、初心な愛人そのもの。

 広間は静まり返ったまま、全員が王の情事を目撃していた。無言の嫉妬がレティシアを包囲し、軽蔑する。あの柔和なシンシアさえ、瞳を真っ赤に光らせて。

 やっぱりおかしいわ。みんな、さっきまではあんなに……。

 彼女たちの豹変ぶりは異常だった。王のいないところで新米を苛めるのならまだしも、主君の目の前で堂々とレティシアを責め立てる。

しかも情事を見せつけられていながら、制止の声をあげる者はいなかった。

 ベオルヴの魔法なのか、ドレスのあちこちで紐が緩む。

「もう少し楽しませてもらうぞ。ククク」

 素肌が露わになるとともに、強迫的な危機感がレティシアを震わせた。

「や、やめてっ!」

 ベオルヴの手が潜り込んできて、ドレスの内側をかきまわす。

「お前には力があるはずだ。さあ見せてみろ、レティシア」

「いや! 誰か……誰か助けて! 見てないで、シンシア! お願い!」

 彼の言葉など無視して、レティシアは悲痛に叫んだ。

 シンシアはぴくりと動いただけで、反応がない。

「そいつらは城主の命令に逆らえんさ」

 ノスフェラトゥの城では、ノスフェラトゥの王であるベオルヴの意志がすべてにおいて優先される。そして、その意志はレティシアにも干渉しつつあった。

「こんなのいや、やめてください……ベオルヴ、様……」

 今まで口にできなかったはずの敬称が、勝手に出る。

「はあっ、ベオルヴ様ぁ」

 嫌がるつもりの言葉が甘えるみたいになる。

 レティシアの表情もほかの寵姫と同じく虚ろなものになった。碧い瞳がノスフェラトゥの紅い光をたたえ、狂気を宿す。

 それでも涙は止まることなく頬を濡らした。その雫を、ベオルヴがキスで舐め取る。

「ひとつ教えてやろう。お前はまだ自覚がないようだが……」

 心臓がどくんと脈打った。 

「お前はもうノスフェラトゥになったのだ」

 ベオルヴの血液が身体中を駆け巡り、レティシアを支配する。

「ウソで、す……そんなわけ」

 レティシアは緋色に染まった瞳を強張らせた。

 湖の畔で遭遇した化け物が、エリオットが、シンシアが、目の前の寵姫たちが連続してフラッシュバックする。

 あたしが、ノスフェラトゥ……?

 レティシアを存分に抱き締めながら、ベオルヴは低い声で語った。

「ノスフェラトゥにとって王の支配は絶対だ。こいつらは本能で王との力の差を感じ、絶対に逆らうことをせん。ククッ、人間にはもっとも不向きな支配体制だろうな」

 寵姫らの変異は、王の強力な魔力のせいらしい。『黙れ』と言われれば黙り、『動くな』と言われれば動かない。それこそが王の支配。

「お前もじきにわかる。……いや、もうわかっているんじゃないのか?」

 その影響力はレティシアにも及んだ。

「ど、どうか……お許しください、ベオル、さま」

 ベオルヴの言葉が正しいものに思えてくる。同時に己の意志は消えていく。王の魔力はレティシアの肉体のみならず、心そのものまで鎖で繋いだ。

 レティシアの瞳が緋色に輝く。

 それに呼応するかのように、寵姫たちの双眸も真っ赤に光った。

 

ノスフェラトゥの淫靡な魔宴は続く。

「あぅ……? はあっ、もう、おやめに……なって……」

 消えゆく意識の中、レティシアは切ない声を聞いた。

 「早く目覚めて俺を殺せ。そのためにお前は生かされているのだからな」

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