妖精さんはメイワクリエイター
第6話
お披露目パーティーの当日がやってきた。
今夜、いよいよミスト王子が花嫁を紹介するってことは、みんな知ってる。その花嫁があたし、シャーロット=アヴリーヌらしいってこともね。
メイドさんの最新情報によれば、反対の意見はほとんどないみたい。『勇者ジョナサンの娘なら問題なし』って同意されつつある。
きっとランディやオリエガも招待されてるはず。今夜のパーティーのこと、ふたりはどう思ってるのかしら……?
こんなに薄情な女の子が、王子様のお嫁さんになるなんて、後ろめたいだけ。
しかし辞退のチャンスもなく、運命の日を迎えてしまった。
「何やってるのよ、あたしは」
一連の恋騒動、最初のうちはチェルシーや惚れ薬のせいだと思ってたわ。
だけど、今はそうじゃない。穏便に片付けようとして、あたしがあちこちで下手な手を打ったために、ややこしい事態になってしまったの。
最初はオリエガのカジノに務めて、次はランディの助手になって、気を持たせて。そのうえ関係を清算したいからって、惚れ薬の解毒薬まで押しつけた。
ちゃんと謝らなくっちゃ。
そんなことを考えてるうち、ドレスの着付けが終わった。メイドさんたちがやり遂げた表情で、あたしを姿見の前へと促す。
「これで王子様もイチコロですよ、シャーロット様」
鏡の中には、純白のドレスをまとった、たおやかな淑女がひとり。チェルシーがデザインしただけあって、アンダースカートのパニエまで、手が込んでる。
頭の上で銀のティアラが輝いた。
「とってもお似合いですよ! はあ……惚れ惚れしちゃいます」
「え、ええ」
なんだか……あたしじゃないみたい。鏡の向こうで『彼女』があたしとまったく同じ動きをしてるのが、信じられないの。
チュルシーもあたしと同じサイズになって、ピンク色のドレスをまとった。
「アタシも着てみちゃったー。どお? どお?」
お茶らけてるのは中身であって、外見は美少女そのものだから、やっぱり可愛い。豊かな胸はデコルテでさらに強調され、誘惑的な魅力を醸し出していた。
「アタシがフルサポートしてあげるから、早く行こっ!」
「わかったから、引っ張らないで」
すっかり乗り気でいるチェルシーと一緒に、あたしもお城のメインホールに向かう。
今夜のパーティー会場として、お城でもっとも大きな広間が開放されていた。地上三階の高さにあって、南側はバルコニーが張り出してる。
午後七時、夏の陽もようやく暮れ、外は夜の帳が静かに降りていた。その暗さとは対照的に、メインホールはシャンデリアの輝きに満ちて、目が眩むほど。
「シャーロット!」
一番に声を掛けてきたのは、ランディ=アシュフォードだった。華やかな恰好で、豪勢なファーを襟元に巻いてる。
「おめでとう。今夜は王子のためのおめかしかい? とても綺麗だよ」
あたしは彼の気持ちを裏切ったのに、前と同じ気さくな調子で祝福してくれた。
「……あの、ランディ……?」
「ここにいたか、シャル」
困惑するあたしのもとへ、オリエガも近づいてくる。
「似合ってるじゃないか。フッ、お前も女らしくなったな」
今夜は整然と正装し、胸元を開けず、ちゃんとタイを締めてた。眉目秀麗なランディと揃って、紳士の色香を漂わせ、令嬢たちの目を引く。
「ど、どうしちゃったの? ふたりとも……」
異様に平然としたふたりの態度に、あたしはたじたじになった。
ランディとオリエガが互いに目配せして、何やら含み笑いをちらつかせる。
「さて……どうしたんだろうねえ」
「さあ、なぁ?」
ほんとにどうなってるの? これじゃ、あたしを手に入れようと躍起になってた、あのふたりじゃなかった。でもチェルシーはまるで気にしない。
「オリエガ、ランディ~。今度さ、取材させてよ。男性の目線ってやつも知りたいの」
「なら、美味しいお茶を用意しておこう。シャーロットも来るといい」
あたしにはもう何が何だか。
間もなく主役の王子様も会場入りして、色めくようにざわめきが広がった。
「ミスト王子! このたびはおめでとうございます!」
「気が早いぞ、お前たち」
ミストは漆黒のスーツを羽織り、襟元にクラバットを締めてる。ランディたちより年下でも、品格では決して負けてなかった。
黒一色なのは、花嫁のあたしを立たせるためのコーディネイトかもしれないわ。
オリエガがあたしの背中をとんっと押す。
「恋人を待たせてないで、行け」
「え? あ、うん……」
釈然としないものを感じつつ、あたしはミストの傍へと歩み寄った。慣れないドレスのせいもあって、初対面のように緊張してしまう。
「ミスト? えぇと、こんばんは……で、いいのかしら」
「シャル! 先にチェルシーと来てたのか。迎えに行ったんだぞ?」
ミストは素直に感激しながら、あたしのドレス姿をまじまじと眺めた。
「まだ花嫁気分になるなよ? ふふっ」
「な、なってないってば」
彼の言葉に愛しさが滲んでるせいで、調子が狂っちゃう。
昔からこんな王子様でいてくれたら、憧れた? あたしに毛虫を引っ掛けようとして、大笑いしてた、あの意地悪な少年を思い出す。
違うわ……あたしの知ってるミストは、もっと無邪気で、子どもっぽくて……。
「明日は休みを取ってるんだ。一緒に過ごそう、シャル」
目の前の王子様は、あたしに一途で、健気で、あまりにも完璧すぎた。
「……シャル?」
「はははっ。人前で照れてるのでしょう、王子」
チェルシーに教わった通りに『攻略法』を実践してるだけなら、まだいいの。でも、どうしても違和感ばかりが強くって、あたしはそこに答えを求めていた。
ミストの想いに向き合うには、心の準備ができてないから……。
チェルシーがあたしに耳打ちする。
「アタシ、ママさん呼んでくるわ。なんかパパさんの説得に難航してるみたいで」
「ごめんね。お父さん、頑固だと思うけど、お願い」
今夜のパーティーにはお母さんたちも招待されてた。けれど、あたしの婚約発表だってことを知ってから、お父さんの機嫌が悪い。
チェルシーは貴族の男の子を何人か恋に落としつつ、一旦ホールを出ていった。
お母さんたちは間に合いそうにないわね……。
やがてミストの挨拶まわりも一段落して、パーティーが始まる。楽隊はグナン王国の国家を奏で、一同は静かに列を成した。
ミスト王子が登壇すると、鳥の群れが一斉に羽ばたくような拍手が起こる。
「みなの者、今夜は僕たちのために、よくぞ集まってくれた。もう知っている者も多いと思うが、僕の妻となる女性を紹介しよう。……こっちに来い、シャル」
心も覚悟も決まらないまま、あたしはおずおずと前に出た。
彼が惚れ薬を飲んでいないのなら、あとはあたしの気持ちひとつで、大団円なのよ。あたしがミストを好きになりさえすれば、ラブストーリーのような両想いになれる。
それでいいはず、なのに……。
待ちきれないのか、ミストはあたしの手を取り、ぐいっと引き寄せた。
「まだ恥ずかしがってるのか? 可愛いやつだな。あの勇者の娘とは思えん」
おかしな言いまわしに、あたしは目を点にする。
「あの勇者って、お父さんのこと?」
「ククク、そうだとも。待っていたぞ、娘のお前を手に入れる時を!」
ミストの影が膨張し、彼の背後でおぞましい魔影となった。真っ赤な目が妖しく光っただけで、シャンデリアの半数がばりんと割れる。
「うわああっ! なんだ?」
「ミスト王子の影が……へ、兵を呼んで!」
手を乱暴に掴まれてるだけで、背筋が冷たくなった。
直感でわかるの。これは絶対にミストじゃない。
「……あなた、誰?」
「お前が知らんのも無理はない。いいな、おとなしくしていろ? クックック……」
ミスト本人には意識がなかった。後ろの魔影が低い声を響かせる。
メインホールの扉を蹴るように開け、アスタロートさんが駆けつけてきた。
「なんてことだ、探っていた気配の正体は、王子だったとは……。みんな、ミスト王子には近づくな! あれは魔王の影だぞ!」
貴族たちは一様に青ざめ、あとずさった。楽隊も楽器を置いて、我先に逃げ出す。
前線で身体を張ろうとしたのは、ランディとオリエガくらいだった。オリエガは勇者の弟子として剣を抜き、王子の魔影を睨みつける。
「ふざけた真似をしてくれたな。今すぐシャルを解放しろ!」
「待つんだ! 影なんてものが、剣で斬れるのかい?」
いきり立つオリエガを、ランディは務めて冷静に制した。
「まさかミスト王子ごと斬るわけにもいかないだろう? 落ち着いてくれ」
「だが、このままではシャルが……」
魔王の笑声が木霊する。
「ハッハッハ! 手出しはできんか、人間どもめ」
アスタロートさんは片膝をつき、忌々しそうに床を殴りつけた。
「オレとしたことが……性格が悪くて高貴な人間ほど、魔王とシンクロしやすいのだ。注意すべきはミスト王子だったというのに」
ミストがあたしを羽交い絞めするように捕まえる。力が強すぎて、逃げられない。
「し、しっかりして、ミスト!」
「無駄だ、勇者の娘よ。こいつは完全に我の支配下にある」
魔影は血の色の瞳でアスタロートさんを見据えた。
「この裏切り者め。誉れ高き我が眷属でありながら、人間どもの味方をするか」
「ただの影の分際で、魔王を語るか……おのれ!」
アスタロートさんが立ちあがって、どこからともなく鎌を取り出す。だけど王子が相手じゃ、それを振るうわけにはいかなかった。
「どうしろというんだ、アスタロート! これではシャルが……」
「手があったら、すでに打っている。まずいな」
ほかの貴族たちはうろたえる一方で、誰も魔影に手出しできない。
身の危険を強迫的なほどに感じ、あたしは戦慄した。顔から血の気が引いていく。
「あ、あたしをどうするの?」
「取引が終わったら、解放してやる。ククク……お前の父親の命と、交換だ」
魔影は燃えるように膨れあがって、怒号を唸らせた。
「この娘を助けたくば、ジョナサンを差し出せ!」
怖くて、脚が竦む。
「い、いや……」
ミストの腕を振り解こうにも、震えてしまって、力なんて入らなかった。
そんなあたしを弄ぼうと、ミストがドレスに手を掛ける。
「助けて、オリエガ! ランディ! アスタロートさん! 目を覚ましてよ、ミスト!」
痛切な悲鳴も、魔王の嗜虐性を煽るだけだった。
「いい声だ。さっさとジョナサンを呼ばんと、大変なことになるぞ?」
「よせっ! 人質なら私を使え!」
ランディが激昂し、ファーを投げ捨てる。
「私はアシュフォード家の当主だ、好きにするといい!」
「フン。貴様で代わりになるものか……」
パーティー会場は緊迫感に包まれた。オリエガも、ランディも、アスタロートさんも、動くに動けない。魔影の笑声と、あたしの嗚咽だけが虚しく響く。
「さあて、楽しませてもらおうか」
「た……助けて、お父さん!」
メインホールの扉が金具から千切れて、飛んだ。
「当たり前だ」
あたしは泣くのをやめ、涙が溜まった瞳をぱちくりさせる。
現れたのは、筋骨隆々とした四十過ぎの大男。背丈ほどある剣を軽々と背負ってる。
「おっ、お父さん!」
それこそ勇者ジョナサンの雄姿だった。平然と真正面から魔影と睨み合う。
「……遅かったな、ジョナサン」
「おれはまだ娘の結婚なんぞ、認めてないんでな」
「ほう? まあいい、まずは武器を捨てろ」
お父さんはホルダーを外し、大剣をランディに預けた。男のひとがふたり掛かりでやっと持ちあげられる重さで、ランディが落としそうになったのを、オリエガも支える。
「大丈夫なんですか? 先生」
「任せておけ」
お父さんは今一度、魔影をぎろっと睨みつけた。
「聞け、魔王の出来損ないめ。指一本だ」
「……ん? 娘には指一本触れるな、ということかな? ジョナサン」
お父さんの立てた人差し指に、破邪の力が集束されていく。
「違うな。貴様を片付けるくらい、この指ひとつで事足りる、という意味だ」
裂帛の気合とともに、勇者は『それ』を放った。
「でやあ~っ!」
青い閃光があたしとミストをすり抜け、王子の身体から魔影を剥がす。
「げええっ? そ、そんな馬鹿なァ!」
「おれの聖なる気合を、舐めるな! 消し飛べッ!」
「ヒィヤアアア~~~!」
魔王の影は断末魔をあげ、跡形もなく消滅してしまった。
くずおれるミストも放って、あたしはお父さんの胸に飛び込む。
「お父さん! 怖かった、ほんとに怖くて……」
「遅れてすまなかった」
お父さんはごわごわの手であたしの頭を撫でてくれた。
アスタロートさんは苦笑しながら、肩を貸すようにミストを抱えあげる。
「実体のない悪意さえ、こうも簡単に倒すとは……さすがは勇者ジョナサンだ」
ミストは失神しちゃってた。
「うむ。王子のほうも問題なさそうだ」
「おれの娘の婚約者、か」
オリエガとランディは大剣を抱えたまま、唖然としてる。
「さっきのが先生の、本当の力なのか……」
「どうやら勇者というやつは、僕らの想像など遠く及ばないようだね」
お父さんは娘のあたしを我がもの顔で抱き寄せた。
「……ところで。そっちの王子のほかにも、おれの可愛い娘にちょっかいを出した、命知らずがいたそうだが?」
弟子のオリエガがしれっと言ってのける。
「先生、こいつがそうです」
「おっおい? 君というやつは、仲間を売るのかい!」
「お前と仲間になった憶えなどない」
ふたりはあたしを取り合ってる恋敵のはず……よね?
オリエガとランディが打ち解けてるようで、あたしは首を傾げた。
「あなたたち、正気に戻ったの? 前まで、あんなにおかしくなっちゃってたのに」
ランディがしたり顔ではにかむ。
「ハハハ……実はね、あの解毒薬を飲んだ途端、君への想いが冷めたんだよ。……いや、冷めたというより、気が付いた、になるのかな」
オリエガも口を揃えた。
「妹にしか思えん」
「そう、妹にしか思えないんだ」
やっぱりあたしには魅力がなかったみたい。肩から一気に力が抜ける。
ふたりが解毒薬を飲んでからの熱烈なアプローチは、単なる演技に過ぎなかった。
「惚れ薬なんぞにいいようにされて、癪だったんでな」
「まさか君も同じことを考えてたとは、ねえ。オリエガが身を引くようなら、いっそ私がさらっていっても、よかったんだが……」
色男を気取るランディの眉間に、お父さんが人差し指を当てる。
「なるほど、オリエガの言う通りだな。こいつも退治しておいたほうがいいか」
「じっ、冗談ですよ、勇者様!」
みんな、大いに笑った。
ところが、事後の処理で問題がひとつ。
王子様は自室の隅で三角座りになって、あたしに背中を向けてる。
「……何か用か? シャル」
「はあ……」
励ましに来たものの、あたしは溜息を堪えきれなかった。
でも、ミストの気持ちもわかるわ。魔王の残留思念にいいように操られ、あとになってから事の顛末を聞かされたんだもの。同じ立場だったら、あたしも落ち込む。
トマトを口にしたのも、魔王に意識を半ば乗っ取られていたせい。幸い後遺症はないみたいで、今は受け答えもはっきりしてる。
「そろそろ元気出しなさいったら」
「女を紹介しようって場で、あの体たらくだぞ? 無様にもほどがあるじゃないか」
王子様はへそを曲げちゃってた。
三角座りで膝を抱えるポーズといい、昔のままね。もうちょっとこう……大人になってくれたら、あたしの気持ちも前向きになりそうなんだけど。
お城のみんなは王子様のことより、偉大な勇者様の話題で持ちきり。あたしのほかには誰もミストを慰めに来なかったようで、そのことも彼の心をへし折ってる。
ミストは肩越しに振り向き、ぼそぼそと呟いた。
「……シャル、お前は怪我とか、ないよな?」
王子様としての面目が立たなくなっても、あたしのことは心配してくれてる。
「お前に酷いことしたってのが、悔しくてならないんだ、僕は」
「ミスト……」
「シャルにおしおきしてもいいのは、僕だけなのに」
やっぱりミストはミストだったわ……。
「さっさと起きないと、明日からトマト料理のフルコースにするわよ?」
情けない背中を、あたしはばんばんと叩いてやった。
やっとミストが立ちあがり、窓際にもたれて、夜空を仰ぐ。
「チェルシーに聞いたぞ。お前、ゲーム感覚であいつらと付き合ってたんだってな? 僕のことも攻略するつもりだったんだろ」
「違うってば! ……チェルシーの言うことは、真に受けちゃだめ」
妖精さんの乙女ゲームとやらのために、散々な目に遭わされちゃったわ、ほんと。
オリエガとランディが惚れ薬を飲んで、あたしに情熱的なアプローチを掛けてきて。なのに解毒薬を飲ませたら、『妹にしか思えない』でしょ?
シャーロット=アヴリーヌの女としての自信は、呆気なく崩れ去った。
「僕もシャルを攻略してやろうと思って、デートの計画を練ったりしてたのは、憶えてるんだ。シャルがしおらしくなってたのも、なんとなくな……」
「魔王に操られてた時のあなた、素敵だったんだもの」
あたしの正直な評価が、彼の男としての自信も粉々にしちゃう。
ミストは星を探すのをやめ、うなだれた。
「今の僕じゃ、シャルは嫌か?」
「そういうつもりで言ったんじゃないわよ、もう」
あたしは窓辺の彼に寄り添って、代わりに星を数える。
あたしにとって、王子様は一番星じゃなかった。
「素敵な男性で言ったら、あなたより、オリエガやランディってことになるでしょ」
「……もう少しオブラートで頼む。ショックで死にそうなんだが」
ミストの溜息が夜風にさらわれていく。
「あたしだってチェルシーと比較されたら、その程度よ。……それでも、あなたはあたしを選んでくれるって思って、いいんでしょう?」
あたしは深呼吸を入れて、ちょっとだけ願望を込めた。
「だから……あたしもあなたを選べる時が、いつかは来るのかな、って。ほんとにいつになるか、わからないけどね」
ミストのこと、ちゃんと愛せるようになったら、結婚だってするわ。
ほかの誰でもなく、このひとだけを一途に見ていられるようになったら、ね。
「シャル、お前……」
ミストは感じ入ったようにあたしを見詰め、そっと髪に触れた。
「いい雰囲気にして、別れ話に持っていこうとするな」
思わせぶりなのは仕草だけ。
「……そういうところがだめって、言ってるの」
せっかくのムードを台無しにされ、あたしは肩を落とす。
でも、雰囲気に流されそうなのはあたしのほうだったから、安心もした。今はまだ幼馴染みの関係に甘んじていたいの。
嫌になるくらい優柔不断よね、ほんと。
ミストは不敵にはにかむと、あたしの顎をくいっと取った。
「だったら、黙ってるほうがいいか? シャル……」
「……え」
その双眸があたしの顔を溶かすように映し込む。
今から何をされるか、予感できてしまった。あたしは頬を赤らめて戸惑う。
「ち、ちょっと……嘘でしょ?」
「いいから黙ってろ」
だけどミストはやめようとせず、唇を近づけてくるの。
嫌じゃないけど、心の準備なんてする暇もなかった。あたしはきつく目を閉じて、彼に抱き締められつつある身体を、震わせる。
「……やっぱりだめえっ!」
受け入れるつもりだったのに、先に手が出ちゃった。
平手打ちが恋人の横っ面に決まる。
「なっ、何をするんだ、シャル? 破邪の力を込めるなと、前にも……つぅ」
「ご、ごめん。でも、あなたが急に驚かせたりするから」
魔王と波長の合いやすい王子様に、あたしの聖なる平手打ちは効果てきめんだった。さすがに悪いと思って、あたしはミストの頬にハンカチを当てる。
「……大丈夫?」
「大丈夫じゃない。おまじないしてくれるまで、治りそうにないな」
「いつの話をしてるのよ。痛いの痛いの飛んでけー、って?」
不意に窓から小さなものが飛び込んできた。蜻蛉みたいな羽根を広げ、あたしの目の高さまで降りてくる。
「シャ~ル~! ママさんが呼んで……」
チェルシーはあたしとミストを交互に見詰め、にやにやとまくしたてた。
「あっれぇ、もしかしてお邪魔だったあ? さては幼馴染みにド定番の、思い出話なんかしちゃったりして、いいムードだったんっしょ!」
いつものあたしなら『違うわよ!』と怒ってるところね。だけど今夜はもう怒る気力もなかった。あたしは開きなおって、彼の肩にもたれかかる。
「わかってるんなら、遠慮してくれない?」
「おっ、おい、シャル?」
ミストはびっくりしちゃって、あたしに合わせてくれなかった。
やっぱり余裕がない。でも、それだけあたしの言動に動揺してるってことよね。
「ママさんには上手く誤魔化しといてあげるわ。ごゆっくり……にひひっ」
妖精さんは大きなお世話も焼きつつ、窓の外へと飛んでっちゃった。嵐が過ぎ去ったかのように静まり返って、ミストが呆れる。
「よくしゃべるな、あいつ……」
おかげで、キスの直前だったムードも霧散した。あたしは内心ほっとする。
だって、いきなりすぎるんだもの。強引に迫るにしたって、ほら……自然なタイミングってのがあっても、いいじゃない?
彼を受け入れられなかったくせに、そんな我侭は思いつく。
王子様はあたしの肩に腕をまわすと、セクハラめいたことを囁いた。
「チェルシーも気を遣ってくれたんだ。今夜はゆっくりしていくんだろ? シャル」
ほんと、こういうところがなければ、ねえ……。
あたしはミストに寄り添いながら、覚悟のほどを問いただす。
「怒るわよ? お、父、さん、が」
「……そいつはちょっと」
王子様の手は逃げていった。
エピローグ
お城に越してきてから、早一ヶ月。
正式に王子様の恋人となったあたしには、豪奢なお部屋が与えられ、さまざまな権限も許されてる。だけど、退屈してもいられないから、メイドのお仕事に復帰してた。
今朝も王子様のお部屋に行って、寝起きの悪い彼を起こしてあげる。
「もう朝よ! シャキっとしなさいってば、ミスト」
「ん……シャルか」
ミストはおもむろに起きあがり、寝癖の目立つ髪をかきあげた。
「もっと優しく起こしてくれないか?」
「ここまでしてあげてるのに、何が不満なのよ」
王子様の我侭に付き合わされ、あたしは朝から嘆息する。
スカート丈の短いメイド服を着てるのも、毎朝こうやって起こしてあげてるのも、ミストの命令よ? お昼休みはこの恰好で、膝枕までさせられてるんだから。
言うこと聞いてれば、ミストもおとなしいから、いいけど……。
「朝ご飯も持ってきたわよ」
「……またトマトか」
今朝のメニューに赤い野菜を見つけ、王子様はげんなりとした。
それがわかっているからこそ、あたしは満面の笑みでトマトを差し出す。
「甘くて美味しいし、栄養だってあるの。はい、あーん」
「わかった、わかった。あーん……」
ミストは観念したように口を開け、トマトのスライスを頬張った。
「おかしいな……攻略した女は何でもしてくれると、チェルシーが言ってたんだぞ?」
「まだ攻略できてないんでしょ」
ミストの頭の中では、王子様とメイドの甘い生活が始まってるみたいね。
「例えばだ、『冷めないうちに、わたくしをお召しあがりくださいませ、ご主人様』とか、色っぽいのがあっても、いいじゃないか」
「……チェルシーの言ったことを本気にしないで」
あたしの恋人は相変わらずスケベで、妄想だけは逞しかった。
こんなのに順応しちゃってる自分が、信じられない。
「もうチェルシーは帰っちゃったのよ?」
妖精さんは半月ほど前、『取材は終わったし、帰れるうちに帰るわ』と言って、空の彼方へと消えていった。ほっとしたような、でもちょっぴり寂しいような……。
「妖精の国って、どんなところだったのかしらね」
「会社じゃないのか? フェアリーダイスってメーカーなんだろ」
「……何よ、それ」
同じ妖精さんから話を聞いたはずなのに、ミストとは会話が噛み合わない。
「そろそろ支度するか。今日も忙しくなりそうだしな」
「期待されてるってことでしょ、次期国王様」
ランディのほうは新市街地の建設が一段落するそうで、王子様には本日、その視察の予定が入っていた。あと、今夜はオリエガのカジノで、ミストとデートね。
お母さんは家にいるのが暇みたいで、ちょくちょくお城に遊びに来てるわ。
お父さんなら、今週も大型モンスターの討伐に出掛けてる。勇者ジョナサンの力を必要としてるひとは、世界じゅうにいるもの。
「それじゃ、あたしは行くわね。ミストもお仕事、頑張って」
「よく働くな、お前は。僕の恋人なんだ、遊んでても、誰も文句は言わないだろ」
「お父さんに似たのよ。多分」
けど、娘のあたしにできることは、せいぜい幼馴染みのお世話くらい。
「……やっぱり残しちゃうのね、トマト」
あたしが朝ご飯を片付けてると、ミストが腕を掴んできた。
「シャル。今から『おはよう』のキス、しないか」
「は、はあっ?」
真顔でキスを予告され、どきりとする。
しかし冗談でもなく、王子様はあたしをベッドに優しく押し倒した。
「こんな朝っぱらから、ほ、本気?」
不意を突かれて、あたしは強気に返す余裕もない。彼の熱いまなざしに耐えきれず、顔を背けはするんだけど……露骨に意識しちゃって、頬を赤らめる。
「ま、前にも言ったでしょ? こういうのはムードを考えて、って……」
「またそれか? 心の準備ができてないだの、僕のことが好きだって自信がないだの。キスしてみれば、ムードも出てくるだろうさ」
う……ミストの言うこと、屁理屈じゃなかった。
今までにもあたし、何かと理由をつけて、恋人としての彼を拒んでる。
「ここっ、今夜はほら、デートじゃないの。その時でも……」
「お前のことだ。オリエガを連れてきて、お茶を濁す算段だろ。そうはいくか」
王子様はとうとう痺れを切らせちゃった。
「こっちを向け、シャル」
彼の手があたしの頬に触れ、切実な期待を込める。
「……こっちを向いてくれ。僕の恋人」
悩ましい囁きに吐息が混ざった。
あたしはおずおずと振り向き、そして――
→ 素直に目を閉じる
ひっぱたく
「っきゃ~~~! これよ、これ!」
作成中のシナリオに入れ込むあまり、チェルシーは感嘆の声をあげる。
走り書きだらけのノートには、ヒロインと王子様のグッドエンディングの模様が描かれていた。もちろんそれは盛大な結婚式。
「やっと構想が固まったわ。王子様ルートはこれで決まりっしょ」
チェルシーは満足そうに頷くと、冷めきったコーヒーを飲み干した。
とはいえゲームのシナリオはまだ半分もできていない。オリエガルートやランディルートは当然、今月じゅうにケビンルートまで仕上げる予定だった。
「明日はオリエガのシナリオに取り掛かろうかな? ランディが先でもいいなあ」
王子様ルートに力が入りすぎてしまったせいか、次のシナリオは決まらない。
目を閉じると、シャーロットとミストが一緒に式を挙げる情景が、ありありと浮かんできた。チェルシーにとって、ふたりはすっかり『お似合い』となっている。
意固地な女の子と、傲慢な王子様。
その恋模様を描くのが、メインシナリオライターのチェルシー。
「……どっちが攻略されちゃったんだろ?」
書きかけのシナリオの途中で、気の早いサインが煌いた。
おしまい
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