Eternal Dance ~泣き虫で内気なデュオ~

第6話   わたしたちのジゼル

 愛しのジゼルのもとに足しげく通うのは、村の青年ヒラリオン。ジゼルのお母さんともすっかり仲良くなって、今日も狩りの成果をおすそ分けにやってきた。

ジゼルに栄養をつけてもらわないとね、って言ってるのかな?

 ジゼルは心臓が弱いから、お母さんはいつも心配してる。

 そんな彼女らの住む、のどかな村へ、身なりのいい青年が現れた。豪奢な剣とマントを従者に預け、質素な村人に扮する。

 可愛らしいお嬢さんだね。ジゼルっていうのかい? 僕はロイスさ。

 ロイスと名乗ったのは、名門貴族のアルブレヒトだった。ジゼルは彼に惹かれ、やがて本気で愛するようになる。

 それに嫉妬したヒラリオンは、ロイスの素性を調べるうち、剣を見つけてしまった。

 この剣は貴族のものじゃないか! さては、あいつ……!

 そうとは知らず、ジゼルは収穫祭でアルブレヒトとのダンスに酔いしれる。

 お母さんは心配してた。心臓が弱いんだから、あんまりはしゃいじゃだめだよ、って。しかしジゼルが踊り疲れた時、事件は起こった。

 ヒラリオンが剣を持って、収穫祭に飛び込んでくる。

 みんな、見てくれ! これはそいつの剣だ! その男は貴族だぞ!

 角笛で貴族の一団を呼び、ロイスの正体を暴いてしまうの。アルブレヒトの婚約者バチルダは、何のことかしら、と首を傾げた。

 逃げ場のなくなったアルブレヒトは、開きなおって、バチルダの手にキスを添える。

 気にしないでくれ、マイレディー。平民どもの戯言さ。

 真相を突きつけられ、ジゼルは錯乱した。綺麗に結ってあった髪を振り乱し、狂ってしまったように喚き散らす。それほどの激情に、彼女の心臓は耐えられなかった。

 慟哭の中、ジゼルの命が尽きる。

 

 オーディションの会場でわたしは『ジゼル』のストーリーを読み返していた。ここまでが第一幕で、後半の第二幕からは、舞台が森の墓場になるの。

 一幕のジゼルにはバリエーション(ソロで踊るパート)があるけど、二幕にはそれがない。シーンの大半はアルブレヒトとのパドドゥだった。だから審査では、二幕のジゼルはダンスより、ヒロインの心理をどう解釈するか、を重視するはず。

 今日は工藤先生と奏ちゃん、それから響子ちゃんも応援に来てくれた。

「一幕のジゼルでほかと差をつけるって方法もあるから。美園さん、自信を持って」

「はい! ありがとうございます、先生」

 響子ちゃんは半信半疑といった表情で、唇をへの字に曲げる。

「舞台にあがった途端、固まったりしないでしょうね?」

「大丈夫だよ。この間のコンクールでも、ちゃんと演奏できたし……ねっ」

 わたしより、奏ちゃんがふんぞり返った。

「やる時はやるのよ? 伊緒ってば。響子は吠え面かく羽目になるんじゃない? こないだのホラー映画ん時みたいに……」

「ああっ、あれは忘れなさいって、言ったでしょう!」

 奏ちゃんと響子ちゃん、会うたびに仲良くなってて、ちょっぴり悔しい。

「それじゃ、私と響子は席についてるから。朱鷺宮さんも、きりのいいところで、ね」

「わかってますって。先行っててください」

 工藤先生と響子ちゃんは客席のほうに行っちゃった。

 今日のオーディションには小学生から高校生まで、色んな子が来てる。ほとんど女の子だけど、男の子のダンサーも少し混ざってた。

「へえー。あん中から、未来の王子役が出てきたりするのかしら」

「男の子の場合は、役が少ないでしょ? すごく競争率が高くなっちゃうんだ」

 舞台では群舞でもない限り、男子の出番って限られてるから、こういうオーディションで実績を作るしかないんだよね。男子は一幕と二幕の間で審査するみたい。

 奏ちゃんは会場を見渡してばかり。

「バレエって子どものうちに……ってイメージだったけど、これ、割と中高生もいるんじゃない? ほら、あっちの子とか、背も高いし」

「えーと。あれはね」

 劇団の候補生になるには、二通りの方法があった。

ひとつは響子ちゃんのように、発表会などで舞台にあがって、実績を作ったり、バレエ関係者にアピールすること。将来性のある子にはどんどん声が掛けられるの。

 だけど地方の小さなバレエ教室だと、なかなかそうもいかない。発表会にはそれなりの頭数が必要だし、関係者が見に来てくれるとも限らないでしょ。

 ほかにも、中学からバレエを始めたために、実績の足りない子は多い。

そこで今日のようなオーディションが開催されるんだ。激戦は避けられないけど、ここでの成功は大きなアピールチャンスになる。

「……って感じ、かな。どう?」

「大体わかったわ、ありがと。音楽コンクールと変わらないってわけね」

 わたしが説明してる間も、奏ちゃん、そわそわと落ち着きがなかった。袖を擦ったりしては、意味もなく携帯を開いたりする。

「どうかしたの?」

「あー、うん……伊緒のオーディションなのに、なんか、あたしのほうが緊張してきちゃってさ。応援にきたのに、情けなくって、ごめん」

それくらい本気で、わたしのバレエを応援してくれてるんだ。

「ううん。わたし、頑張るから!」

 楽曲コンクールでは舞台で演奏できたんだもん。わたし、あがり症は克服したつもりで胸を張った。奏ちゃんも親指を立て、発破を掛けてくれる。

「もう着替えてる子もいるし、そろそろ着替えたら?」

「じゃあ、行こっか」

 今日のための衣装は二着あった。第一幕と第二幕で、替える予定なの。

 メイク担当である奏ちゃんを連れて、わたしは更衣室へと入った。狭いところで、ほかの参加者も着替えてるから、衣装のスカートがぶつかったりする。

「あ、ごめんなさい」

「いいえ、こちらこそ」

 どの子もスタイルがよくて、すらりとした脚線美を誇っていた。収穫祭の村娘をイメージした、華やかな衣装にも違和感がなく、バレリーナの品格を醸しだしてる。

 空いた鏡台でメイクを終えた順に、更衣室を出ていった。

「こっち空いたわよ、伊緒」

「え? ……うん」

 奏ちゃんに促されるまま、鏡台につく。奏ちゃんはてきぱきと、わたしの髪を梳いたり結んだりして、バレリーナ風のヘアスタイルを調えてくれた。

「さては、伊緒……ここに来て、急に緊張しちゃってるんでしょ?」

 図星を突かれ、わたしは赤面する。

さすがに奏ちゃんは誤魔化せなかった。ほかの参加者たちに気後れしてるのも、とっくに見透かされてるはず。

「ご、ごめんなさい……」

「はいはい。わかったから、落ち着こっか」

 克服したつもりのあがり症、ここでぶり返したくなかった。でも、椅子の下では足が震え、背中にはじわりと汗が滲む。まだ舞台にあがってもいないのに。

 子どもの頃、こうやってせっかく衣装に着替えたところで、響子ちゃんに置いていかれたのを思いだした。

『怖いから、出たくない? あなた、何しに来たのよ』

 ほんとに何しに来たんだろう、わたし……。

 ちょっと会場の雰囲気にあてられたくらいで、汗ばんだりして。

「……要は、今すぐ度胸がつけば、いいんでしょ?」

 奏ちゃんの手がそっとわたしの頬に触れた。わたしは顔をあげ、涙ぐむ。

「そ、そうだけど」

「なら簡単よ。じっとして」

 ほんの一瞬。だけど、体感的には二秒か三秒、わたしたちの唇が重なった。キスを自覚した時には、熱が頭の天辺まで昇っちゃって、目がまわりそうになる。

「かかかっ、奏ちゃん?」

「あんまり騒いだら、ばれちゃうってば」

 わたしは慌てて口を塞ぎながらも、キスの名残に浸った。

 な……なんで、奏ちゃんが……キスを……?

 胸がどきどきと高鳴る。女の子同士だってこと、今は些細なことにも思えた。

 確信犯に違いない奏ちゃんが、ウインクで微笑む。

「こうやってキスできるくらいなんだから、舞台のひとつやふたつ、余裕じゃない?」

「いっ、今のは奏ちゃんが、か、勝手にやっただけで……!」

 わたしばかり動揺して、猛烈に恥ずかしかった。

 でも、おかげで舞台への恐怖心はすっ飛んじゃったかも。今日はここに何をしに来たのか、ちゃんとわかってる。

「この件については、あぁ、あとで話があるからね?」

「楽しみにしてるわ。明日の候補生さん」

 なんだか奏ちゃんに主導権を握られちゃってて、悔しい。

 

 わたしにとって運命を決めるオーディションが、ついに幕を開けた。

 二十九番のわたしは、一幕も二幕も最後に踊るの。最初のほうは小学生で、高校生は二十番台の後半となっていた。

 前半のうちは『小学生の部』って感じかな。

 ここで出てくる小学生は、もっと小さい頃からバレエをやってる子ばかり。ダンスにはたどたどしい印象があるけど、基本はしっかりと身についてた。

 中学生になると、佇まいからして違ってくるのは、身長のせいもある。ダンスに上下の動きがはっきりと加わって、表現も豊かになった。

 田辺さんはよく『背が高すぎるから不利なの』って言ってたっけ。

けど低いにしろ、高いにしろ、それを活かす方法はあった。中学生くらいの体型になると、そのセンスが如実に表れる。

 高校生はわたしを含めて、四人だけ。『劇団に入るには遅い』とされる時期に差し掛かっているからこそ、自信と実力を兼ね備えたバレリーナが続いた。

「二十九番のかた、舞台にあがってください」

 やがてわたし、美園伊緒の番がまわってくる。深呼吸をしてから、わたしはしずしずとステージに立った。会場の照明を落としたりはしないから、客席より少し高さがあるだけでも、お客さんの顔がよく見える。

 奏ちゃんは客席のほぼ中央にいた。傍には工藤先生と響子ちゃんの姿も。

 関係者だけでは埋まりきらず、舞台のほうから見ると、思ったより空席が目立った。これがもし、公演の大舞台だったら、すごいんだろうな。

 わたしは目を閉じ、曲を待つとともに、イメージを膨らませる。

 演目は『ジゼル』。ライトアップでじりじりと焼ける舞台が、緞帳を開く――。

 

ジゼルはロイス(アルブレヒト)への想いを胸に、純朴な笑みを弾ませた。

 彼に騙されてるなんて、考えもしない。

 けど、それは愚かだからじゃない。彼への気持ちがあまりに純粋だから。

 ジゼル――ううん、わたしが小躍りするだけで、ほら!

こんなにも鮮やかな花が咲くの。

 お母さんは文句が多いけど、優しいから大好き。

 最近、お友達になった貴族のバチルダさんも、わたしの恋を応援してくれる。

 いらっしゃい、ロイス! 今日はブドウの収穫祭ね。

 わたし、収穫祭の女王様に選ばれちゃったわ。

 こっちへ来て、一緒に踊りましょ。

 婚約だってしてること、お母さんにも言わなくちゃ。

 

 小指の先まで駆使して踊りながら、わたしは、ずっと前から知っていたようにすんなりと理解した。これまでにない手応え、そして爽快感とともに。

 これが、バレエなんだ。

 ダンスがヒロインの心を演じ、ストーリーを紡ぐ。

 ジゼルは恋をしました。収穫祭で恋人と一緒に踊りました。……それだけじゃ、ただの出来事の羅列でしょ? 大切なのはジゼルが何を思ったのか、どうしたいのか。

 心臓が弱くったって、ジゼルはアルブレヒトと踊りたいの。

 そこに曲とダンスが合わさって、物語のワンシーンを浮かびあがらせる。

 審査員は息を呑んで、わたしのバレエを見守っていた。ほかのお客さんも、声さえ失うほど、わたしのバレエに心を奪われてる。

 レッスン場でひとりで踊ってるだけじゃ、こんなの、味わえなかった。

 ダンスを終えると、奏ちゃんが立ちあがって拍手を鳴らす。

「ちょっと、奏?」

 響子ちゃんはうろたえるものの、工藤先生まで拍手に加わった。審査員以外はみんな、手を鳴らし、わたしを労ってくれる。

 舞台袖ではバレリーナたちが囁きあっていた。

「え? 劇団員じゃないの?」

「レベル違いすぎ……でもほんと、すごくよかったよね」

 称賛の言葉がこそばゆい。審査員もしばらく話し込んでて、わたし、いつ舞台を降りていいのかわからなかった。

「……お疲れ様でした。それでは男子の部に移りますので、みなさんはお食事と、二幕の準備をお願いします。男子の部は一時間半を予定しており――」

 一時過ぎの昼食を経て、オーディションは後半へ。

 

 お弁当は控え室まで、奏ちゃんが持ってきてくれた。

「お待たせ、伊緒! 一幕のジゼルは練習よりよかったんじゃない?」

「うん! ありがとう」

 ちょうどわたしは、高校生の参加者同士で集まってたところ。みんな、わたしのダンスには驚いたみたいで、バレエスクールの名前とか、色々質問されちゃった。

 奏ちゃんは席を外そうとする。

「あっ、バレリーナ同士のとこ、邪魔しちゃった?」

「美園さんのお友達でしょ? 気にしないで」

 みんな、一幕の衣装を脱ぎ、お弁当を食べる間はラフな恰好だった。奏ちゃんも交えてランチを食べながら、わたしはバレリーナ仲間の質問に答えていく。

「四歳の時から? 上手いわけだわ」

「私なんて、スタートが遅かったからさ。すごく羨ましい」

 同世代だからこそ、バレリーナとしての葛藤はわたしの胸にも響いた。

「高校生になってから挑戦って、遅すぎるの、わかってるんだ。さっきだって、中学生のほうが上手で、動揺してたくらいだし……合格枠には入れそうにないなあ、って」

 わたしははっとして、お弁当に視線を落とす。

 今日の合格者は二十九名のうち、たった三名だけ。思いあがりは別にしても、わたしが選ばれたら、合格者の枠は減る。

 かといって、ここで『ごめんなさい』と謝るほど、無神経じゃないから。

「劇団員の友達に『さっさと来なさい』って言われて……わたし、やるって決めたの」

 和気藹々とした雰囲気を損なわないように、奏ちゃんも相槌を打ってくれた。

「そうそう。この子の友達さ、『白鳥の湖』で役付き、踊ったのよ」

「本当にっ? 私もあれ、見に行ったんだー」

 高校生で出遅れてるのは、わたしも同じ。今のところ、評価は頭ひとつ抜けてるかもしれないけど、オーディションはまだまだこれからだよね。

 たった三名の合格者に、わたしが選ばれる保証は、どこにもないんだ。

「このオーディション、高校生は毎回、合格者なしってのが普通らしいけどさ。今回は美園さんがいるから、いけるかも?」

「私も合格は狙ってるけどね」

「園部さんが合格したら、美園さんとミソノベってコンビ、できんじゃない?」

 おしゃべりに興じているうち、二幕の準備を始める頃合いになった。わたしは一度、控え室を出て、奏ちゃんにお弁当箱を預かってもらう。

 奏ちゃんの双眸が真剣にわたしを見据えた。

「……あの子たちに遠慮とか、してないでしょうね? 伊緒」

「してないよ。そういうの、考えないようにしてるの」

 わたしのことだから、仲間に引け目を感じたりしてるんじゃないかって、心配だったみたい。でも、わたしだって、今は自分のことで精一杯だもん。

奏ちゃんは肩を竦めて、にやついた。

「タフになったわねー、伊緒も。それじゃ、もうあたしのキスは必要ないか」

「いぃ、いらないってば!」

 わたしの顔が一秒と掛からずに真っ赤になる。

 

 男子の部は終わり、女子の『ジゼル』第二幕の審査が始まった。

 前半の小学生たちはお題の主旨を飲み込めてないようで、とりあえず振付通りに踊ってる。でも中学生のあたりから、ジゼルの心境を表現しようとする動きが見られた。

 死して『ウィリー』という精霊になった、ジゼル。

 それは候補生ですらないバレリーナにとって、あまりに難問だった。何年か前の『白鳥と黒鳥を演じ分けなさい』ってお題に匹敵する。

 誰も彼も手探りの感は否めなかった。

 高校生の番になって、二十八番の園部さんがジゼルを演じる。

 彼女は二幕のジゼルを、霊的なものとして表現しつつあった。虚ろな表情にもはや生気はない。けれども手足は踊り狂わされるように、動いてる。

 審査員への受けは、おそらくよかった。

「ねえ、ひょっとして……ああいうふうにやらなくちゃ、いけなかった?」

「先生が言ってたの、このことだったんだ……」

 踊り終わった年下のバレリーナたちも、高校生のダンスを眺めるうち、今回のお題の意図に気付く。このあたりはわたしたち、年長者の貫録を保てた。

『それでは二十九番のかた。どうぞ』

 いよいよ最後はわたしの番。

 わたしは墓の下で眠ってるイメージで曲を待ち、おもむろに立ちあがった。

 

 何をしてたのかしら? わたし……。

 そうだわ、ロイスとダンスの続きをしなくちゃ。

 だけど、ここは暗くて不気味な、森の墓場。

 墓石には、どういうわけか……わたしの名前が彫ってあった。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 思い出したのは、ロイス……いいえ、アルブレヒトに裏切られたこと。

 あれ……本当にそうだったかしら?

 でも、アルブレヒトを想うだけで、胸が締め付けられて痛いの。

 どうして?

 アルブレヒトのことを考えるだけで、あんなに胸が躍ったはずなのに。

 今は苦しい。息もできなくなるほどに。

 墓場の女王様、わたしは……忌まわしいウィリーになってしまったのでしょうか?

 ウィリーたちは獲物を求め、ヒラリオンを死ぬまで踊らせる。

 次に狙われた、あのひとは……わたしの恋人。

 お待ちください、女王様! アルブレヒトを殺さないで!

 

 いつしか会場は静まり返っていた。

 自分が死んだことさえわかっていない、ジゼルの困惑。それでもアルブレヒトを庇おうとする、ジゼルの気迫。わたしのダンスは、きっと独自のストーリー性が強すぎた。

 愛するひとと一緒に踊り狂おうとするのは、憎悪? それとも絶望? そこには、永遠に結ばれることのないアルブレヒトへの、愛があった。

 誰も彼も圧倒されたのか、さっきのような拍手は起こらない。

「た……大変よろしいです、二十九番。おさがりください」

 審査員に促され、わたしは静かに舞台を降りた。

 結果が発表されるまでの三十分は、控え室で待つ。園部さんたちも黙りこくって、やけに長く感じる時間は、少しずつ過ぎた。

 アナウンスが入り、わたしたちは再び会場に集合する。

「長らくお待たせ致しました。これよりオーディションの結果を発表致します」

 いよいよ発表の時が来た。

「なお、合格者は三名の予定でしたが、協議の結果、今回は特別に四名のかたを劇団の候補生として迎えることとなりました」

 ギャラリーがざわつく。合格者が増えるなんて、初めてかもしれない。

「では、名前を呼ばれたかたは舞台にあがってください」

 最初に呼ばれたのは、三番の小学生だった。番号が若い順に呼ばれるみたいで、次は十六番の中学生が選ばれる。

 あとふたり。わたしたち高校生のバレリーナは、祈るように両手を合わせる。

「三人目の合格者を発表します。二十八番の、園部順子さん!」

 園部さんが、選ばれた……?

「うそ……私?」

 隣にいた園部さんは驚いて、頬を押さえながら、感涙を滲ませた。

 二十八番が呼ばれたということは、四人目の合格者も決まったことになる。審査員は評価シートを読みあげるのをやめ、わたしに視線を向けた。

「二十九番、美園伊緒さん!」

「は、はい!」

 わたしは園部さんと一緒に舞台にあがって、拍手を浴びる。

 合格者について、ひとりずつ寸評も述べられた。自分の番になったら一歩前に出る。

「園部順子さんはスタートの遅さを思わせない、安定性に光るものを感じました。ヒロインの心理描写も丁寧で、さらなる成長が期待されることでしょう」

 園部さんに続いて、わたしも歩み出た。

「そして最後の美園伊緒さんは、技術力、表現力ともにずば抜けておりました。ことヒロインの心理解釈において、われわれに興味深いジゼル像を示してくれました」

 合格した実感が湧いてくる。

 客席のほうで、奏ちゃんがピースしてくれた。

 わたし、ピースなんてしたの、初めて。この勝利は奏ちゃんに捧げたい。

 

 

 着替え終わって、奏ちゃんたちと合流したタイミングで、携帯に返信が届いた。さっき合格のこと、杏さんにも報告したの。

『おめでとう! こっちで結依もリカも喜んでるわ』

 わたしがメールを見て、にやにやしてると、響子ちゃんが呆れた。

「ほんと、やあ~っと出てきたわね。まさか合格枠を増やすなんて思わなかったけど」

「……どういうこと?」

 わたしは目を点にして、響子ちゃんを見詰める。

 響子ちゃんの溜息が落っこちた。

「自覚ないわけ? 合格者が増えたのは、美園さんがいたからよ。あなたみたいな怪物が混ざってたら、本来の合格者がひとり減るでしょう?」

「か、怪物ぅ?」

 いくらなんでも……と思ったけど、響子ちゃんの嘘は聞いたことがない。

 工藤先生まで響子ちゃんに調子を合わせた。

「美園さんのレベルは、審査員も予想してなかったと思うわ。それを別にしても、今回は園部さんみたいにレベルの高い子が、ちらほらいたもの。本当はね、上手い子なら、五人でも六人でも合格にしたいのよ」

 美園さんとは今度の春から同僚になる。さっき、アドレスも交換しちゃった。

 ほかの高校生ふたりは、残念だったけど、バレエは続けるって。ふたりのためにも、わたしと園部さんには、劇団で頑張る義務があった。

「ジゼルの二幕には驚かされたわね、響子」

「私は『考えすぎ』って思ったりもしたけど……私が演ったら多分、園部って子と同じイメージになってたかしら。意外に勉強にはなったわね」

 奏ちゃんとわたしは同じしたり顔で、アイコンタクトを交わす。

「公演を見に行った時、リカたちと話してて、ぱっと思いついたのよねー」

「うんうん! 結依ちゃんと『幽霊って死んでる自覚あるのかな』って話になって」

 ところが、工藤先生はさらに確信犯的な笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね」

「……はい?」

 謝罪の意味がわからず、わたしたちは首を傾げる。

「実は今回のお題、決めたのは私なの。『ジゼル』の一幕と二幕を演じ分けさせたら、面白いものが見られるんじゃないか、ってね。うふふっ、結果は予想の通り」

 どうやらわたしたち、先生に一杯、食わされたらしかった。

「え~っ! もっと簡単なお題にしてくださいよぅ」

「災難だったわね。まあ合格はできたんだし、よかったじゃないの」

 娘の響子ちゃんまで、しれっと笑みを含める。

 けど、わたしは奏ちゃんの反撃を信じた。

「うちの劇団、『ジゼル』は長らく演ってないから、そろそろ来るかもね。その時こそ、ヒロインの座を賭けて勝負よ、美園さん」

「はあ? あんたはウィリーの女王ミルタのほうがお似合いよ」

「上手いわね、朱鷺宮さん! 響子、立候補するなら、ミルタにしなさい」

 さすが奏ちゃん!

「お母さん? 娘にプリマになって欲しいとか、思わないわけ?」

「いつも言ってるでしょう。あなたのダンスは小生意気なのよ。こ、な、ま、い、き」

 工藤先生と響子ちゃんはじゃれあいながら、先に満員のエレベーターを降りてった。わたしと奏ちゃんは次のエレベーターを待つ。

 奏ちゃんには言わなくちゃいけないことがあった。

「……あのね、奏ちゃん。わたし……バレエをもっと、やろうって思ってるの」

 これがわたしの選択。

 奏ちゃんと音楽を続けたい気持ちだって、強い。ふたりで曲を作って、今度こそコンクールで勝ち進むの。劇団のオーディションを終えた今だから、そう思える。

 でも同じくらい……ううん、それ以上にバレエが好きだった。

 劇団が『ジゼル』をするなら、絶対にヒロインを演りたい。たとえ響子ちゃんと戦うことになっても、立候補するんだ。

 奏ちゃんは両手を頭の後ろにまわして、呟いた。

「そっか。だったら、こないだの夢は叶えてもらわないとね」

 それはわたしの夢でもある。

いつかプリマバレリーナになって、奏ちゃんにバレエを見てもらうこと。

「その時は奏ちゃん、ロックシンガーになってるのかな」

「あたしもうかうかしてられないか……伊緒にだけいいカッコ、させられないしさ」

 わたしと奏ちゃんの進む道は、違った。

 わたしは劇団のバレリーナを目指して、候補生になる。

 そして奏ちゃんはロックシンガーになるために、歌い続けるの。

 奏ちゃんの、今までで一番爽やかな笑みが弾んだ。

「さよならは言わないわよ、伊緒」

「うんっ! わたしも」

 奏ちゃんに会えて、よかった。いつか観音怜美子のコンサートで泣いてた、わたしだけが知ってる、泣き虫なロックシンガー。

 ステージに立つことの意味を、わたしに教えてくれたんだよね。

 そんな奏ちゃんに、わたしはまだお返しができてない。奏ちゃんは『また歌えるようにしてくれたじゃない』って言うかもしれないけど。

 わたしはこれからも、半分は自分のため、もう半分は奏ちゃんのために踊るんだろう。

 

 でも、ファーストキスの相手になっちゃうとは、思わなかったな。

 ……嫌じゃないから困る。

 

 

 二月の中旬。

 VCプロの事務所を出たところで、あたしは今しがた、伊緒を見送った。

 美園伊緒は芸能活動を引退し、バレエ劇団の候補生となる。井上社長としては、今後も伊緒を使いたかったようだけど、快諾してくれた。

 おかげで、あたしはバンドのメンバーから集めなおす羽目に。

 ナオヤたちと和解はしたものの、戻るつもりはなかった。向こうはすでに新しいギタリストを迎え、活動に弾みをつけてる。

 だとしたら……はあ。社長の言う通りにするしかないのかも、ね。

 けど、やっぱりあたしは、伊緒と一緒がよかった。

『頑張りなさいよ、候補生!』

『待っててね、奏ちゃん! わたし、劇団の公演で踊って見せるから』

 そんなやりとりをしたのは、五分ほど前のこと。よく笑顔でいられたなって、我ながら上出来に思う。……頑張ったんだもん。

「ふえぇ」

 あたしは両膝を抱え、蹲った。

 VCプロの玄関先だなんて言ってられない。大粒の涙がどんどん溢れてくる。

 ほんとはもっと一緒にやりたかった。あたしにはない感性を持ってて、引っ込み思案だけど、芯はとてもしっかりしてて。

 腐りきってたあたしを、再び歌い手に戻してくれた、伊緒。

「ひっく、ぐすっ、伊緒……ひ、伊緒ぉ」

 涙が止まらない。とうとう鼻水まで出てきて、わたしの顔はぐちゃぐちゃになった。

 事務所からNOAHの結依が出てくる。

「……バレエの世界に行っちゃったんだね、伊緒ちゃん」

 このお節介はあたしの隣に座って、よしよしと頭を撫でてくれた。

「うああああああんっ!」

 ここで泣いてること、伊緒には絶対に言わないでね。あたしはもう、あの子の前では、弱っちい泣き虫でいたくないから。

 

 ありがとう、伊緒。わたしの大切な友達。

 あたしは歌うわ。

あんたが取り戻してくれた、この声で。


 

 

 

エピローグ

 

 

 

 

 四月に劇団入りして、早三ヶ月。梅雨の時期だから雨も多い。

 わたし、美園伊緒は、劇団の候補生として練習に明け暮れていた。今日も学校のあとはレッスンに直行して、技を磨くの。

 同時期に入った同い年の園部順子ちゃんとは、すっかり仲良くなれた。更衣室でわたしが雑誌を眺めていると、横から覗き込んでくる。

「伊緒っち~、それ、芸能誌? そういうの興味あったっけ?」

 いつぞやのオーディションで一緒にランチした女の子のこと、順子ちゃんは忘れちゃってた。写真を見ても、きょとんとしてる。

「一時期、アイドル目指してたこともあったから」

「踊るのはともかく、歌うのは無理でしょ……あっ、それそれ! 可愛いよね!」

 開いたページにはNOAHの特集が載ってた。今年のバレンタインデーにデビューコンサートを披露して以来、爆発的な人気で、今やライブやドラマに大忙し。

 メンバーは御前結依をリーダーとして、オペラ歌手の松明屋杏、元天才子役の玄武リカと、錚々たる顔ぶれだった。

 デビューコンサートの一ヶ月後には、四人目のメンバーも合流してる。彼女は玄武リカのイメージソング『ハヤシタテマツリ』を作曲したうえ、その歌声が話題になった。

 今ではメディアから『アルトの歌姫』って呼ばれてる。

 今月号には彼女のインタビュー記事も載っていた。趣味はバレエで、半年ほど続けてるんだとか。もちろん、わたしは知ってるけどね。

「奏ちゃんがアイドル、かあ……」

 先を越されちゃったかも。わたし、まだ正式な劇団員にもなってないのに。

 

 記・最後に一言お願いします。

 奏・未来のプリマバレリーナさん、早く公演に招待してね!

 

わたしたちのひたむきな挑戦は続く。夢に向かって。          

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