Eternal Dance ~泣き虫で内気なデュオ~
第5話 お節介なFRIEND
お正月は挨拶まわりを終えたら、すぐ奏ちゃんと合流して、練習を再開した。学校と、楽曲コンクールの準備と、さらにバレエのレッスンもあって、ハードな毎日に。
そして一月の中旬、わたしたちはコンクールの二次審査を迎えた。会場へは、社長の井上さんがじきじきに車をまわしてくれたの。
「結依たちは都合がつかなくってね。デビューコンサートの準備もあるし」
「急にメイン曲が変わったって、言ってましたよ。あの……間に合うんですか?」
「さては結依ね? おしゃべりな子」
「いえ……杏さんですけど」
二次審査の会場は、コンサートにも使われる大型の音響スタジオだった。一次審査を突破した十数組のアーティストが、ここで一堂に会するの。
「今日は私もいるから。何かあったら、いつでも来なさいね」
「ありがとうございます。奏ちゃん、行こっ」
今日の奏ちゃん、いつもと少し様子が違ってた。気負っちゃってるのかな? わたしの声も聞こえなかったみたいで、立ち尽くしてる。
「……奏ちゃん?」
「あ、ごめん。ここまで来たんだ……って、思ってさ」
それだけの想いが、今日のコンクールに向かってるんだ。
一度は歌声を失い、自暴自棄になっていた奏ちゃん。『アルトの歌姫』として再スタートは切ったけど、まだ以前みたいに歌えるわけじゃない。音程の勉強を一からやりなおしたりしてるの、わたしは知ってる。
別れ際、井上さんは奏ちゃんに念を押した。
「……奏、例の件、考えておいてね」
「はい。わかってます」
奏ちゃんは顔を背け、わたしひとりだけ、きょとんとする。
例の件って、なんだろ……?
気になったけど、今はコンクールの二次審査に集中しないとね。
わたしたちは入場の手続きを済ませ、参加者用の名札をもらった。会場にいるひとは全員、関係者の名札をさげてる。一般のお客さんはいない。
本番前の練習はグループごとに一回だけ。それも控え室のほうで、楽器のコンディションを確認する程度と決められていた。
さっきは会場の前で呆然としてた奏ちゃん、もう落ち着いてる。
「あたしたちは十一番目か。伊緒、緊張してない?」
「だ……大丈夫だよ。頑張るっ」
一方、わたしは今になって震えてた。楽器を持ったアーティストがたくさんいて、気後れしそうになる。それにね、大抵のグループは四、五人の編成だった。
女の子のデュオってパターンは、わたしたちくらいみたい。楽器もギターとキーボードだけで、ベースやドラムはあるはずもなかった。
「まっ、今のうちに緊張して、慣れておいたほうがいいかもね」
「う、うん。ごめ……」
「今日はもう謝るのはなし! 張りきっていきましょ」
おどおどしてばかりのわたしのオデコを、奏ちゃんが指で弾く。奏ちゃんだって不安なはずなのに、胸を張ってて、頼もしかった。
井上さんによれば、ベースもドラムもなしに一次選考を突破したのは、すごいことなんだって。近年は人数が多いほうが好まれるそうで。
……あれ、あっちは三人かな?
たまたま見かけたトリオのひとりが、こっちに近づいてくる。
「奏じゃないか! 一次、通ってたんだな」
「あちゃあ……いたのね、ナオヤ」
奏ちゃんは露骨に眉を顰めた。会いたくない相手、だったみたい。あとからもうひとり男のひとがやってきて、どういうわけか、奏ちゃんと険悪な雰囲気を作りだす。
「ヘッ! まさかお前も来てるなんてよ。まともに歌えんのか?」
「……聴いてみてのお楽しみよ」
奏ちゃんは相手にせず、わたしに彼らの名前を教えてくれた。
「一応、紹介しとくわ。あたしが前にバンド組んでた、ベースのナオヤと、ドラムのシンジね。あと、向こうにいるのがキーボードのマリって子」
「あ……そうだったんですか」
奏ちゃんと一緒にバンドやってた、アーティストたちだ。プライドの高い奏ちゃんがメンバーと認めてたんだから、実力も相当あるんだろうな。
歌えなくなった奏ちゃんが、何の相談もなしに勝手に抜けて、揉めたってことは聞いてる。とりわけシンジさんは奏ちゃんに敵意を剥き出しにしてきた。
「まあいいさ。今日はおれたちの新曲で、お前に引導を渡してやるよ」
「やめろ、シンジ。……悪いな、奏。応援してやりたいけど、オレたちもこのコンクールには賭けてるから、さ」
奏ちゃんが溜息とともに肩を竦める。
「今日はお互い頑張りましょ。先に行ってるわよ、伊緒」
「えっ、奏ちゃん?」
わたしもすぐ追いかけようとしたけど、ナオヤさんに呼び止められてしまった。
「ごめん。キミ、奏と組んでるんだろ? あいつ……大丈夫なのかな。やっぱり声も低いままだし、無理してんじゃねえかって」
バンドを抜けた奏ちゃんのこと、ナオヤさんは心配してるみたい。奏ちゃんの歌声を失ったのは、彼らも同じで、バンドは無茶な方向転換を余儀なくされたはず。
それでもナオヤさんたちは二次審査へと駒を進めてきた。
わたしたちだって、そう。未来の『アルトの歌姫』を賭けて、これからステージで最高の曲を披露するんだもん。
今のわたしたちにできる、最高の曲を。
「見ててください、奏ちゃんのステージ。きっとびっくりしますから」
「あんなガラ声で、何が歌えるってんだよ」
「シンジ! ……ごめんね、ええと……名前、何だっけ?」
わたしはナオヤさんと改めて自己紹介を交わし、別れた。少し離れたところで、奏ちゃんは腕組みのポーズを決め込んでる。
「ナオヤになんて言われたの?」
「えぇとね、メールアドレス教えて欲しいって。あ、ちゃんと断ったよ?」
「……あいつ、コンクールが終わったら、しばくわ」
奏ちゃんを心配して、わたしと連絡先を交換したがってたんだ、と思うんだけど。男のひとにアドレスとか教えるの、抵抗あったから、ゴメンナサイしちゃった。
とうとうコンクールの二次審査が始まる。
観客は満員御礼ってほどでもなかった。基本は関係者だけでやってる感じ。客席の照明が落ちたりはしないから、ステージからも丸見えになってるよね。
一次審査を突破しただけあって、みんな、すごく上手かった。ギターにしても、いつも聴いてる奏ちゃんと同じくらい……ううん、それ以上のひとだっている。
奏ちゃんもそう感じてた。
「やっば……ギターで目立とうってのは無理ね、これ」
しかもほかのグループは、ギターの音をベースで引っ張ったり、ドラムで曲調に厚みを持たせたりできる。わたしたち、ギターとキーボードのふたつで、勝負できるの?
六番手はナオヤさんたちだった。ドラムのシンジさんがカウントを読んで、イントロのうちから一気に音を氾濫させる。
その曲にどことなく聞き覚えがあって、はっとした。
「奏ちゃん? も、もしかして……」
「そりゃそうよ。かなりアレンジされてるけど、もとはあたしが作った曲だもの」
これ、奏ちゃんに出会った頃、わたしが一度バラードにアレンジした曲なの。その原曲をロック調のまま、ナオヤさんたちの手で仕上げられたものらしい。
「審査員も一次で気付いてるでしょうけど、わたしたちのは一から作りなおしてるから、同じ曲ってことにはならないわよ。安心して」
そうじゃなくて……自分の曲を改変されて、怒ったりしないのか、心配になった。けど奏ちゃんは冷静に構えてる。
その後も二次審査は八番、九番とつつがなく進んだ。
このコンクールには、一次で投稿してきたのが本人の演奏かどうかを確認したり、楽器に不正がないかを調べる意図もあるんだって。
ベースは音楽ソフトで収録しました、なんて珍事もあったとか。
「そろそろね、伊緒」
「うん」
わたしたちも準備のため、控え室のほうにまわって、楽器の最終調整に入った。
「頼りにしてるわよ。あたしのギター」
奏ちゃんが表情を引き締め、愛用のギターを肩に掛ける。
わたしにとっても、ピアノの代わりくらいに思ってたキーボードが、頼もしく思えてきちゃった。トウシューズくらいの愛着がある。
「伊緒の初舞台ね」
「……大丈夫。任せて!」
今日のためにストリートライブで、本番の予行演習だってした。
このステージの先には夢があるんだもん。奏ちゃんのロックと、わたしのバレエが。
「それでは十一番、始めてください」
奏ちゃんの利き手がギターの弦を弾いた。イントロは切ないメロディで、わたしのキーボードも少しずつ紛れ込む。
うん……弾ける。
緊張してるはずなのに、練習した通りに指が動いた。
井上さんやナオヤさんも、会場のどこかでわたしたちのステージを見てる。プロになることより、今ここで奏ちゃんとのデュオを完成させることが、わたしの使命だった。
ハイテンポの曲が多い中、わたしたちのバラードは異質だったらしい。客席のみんなが驚いたように静まり返って、空気の振動を止める。
それを震わせたのは、奏ちゃんの切ない声。
眩しい街の中 ひとり佇む
ショーウインドウに 泣き顔が映った
男の子が歌ってるんじゃないことに、みんなも気付いた。
音程が低いからこそ、深みをもって耳に響く。女の子らしく可愛い子ぶることもできない、損な声だって、誰かが言うかもしれない。
でも――曲調とともに奏ちゃんの美声も、矢継ぎ早なリズムに乗った。
捜してたダチを やっと見つけ
今の奏ちゃんとなら、わたしだって歌える。キーボードを指でなぞりつつ、わたしも思いきって口を開けた。緊張感のせいで、声が少し裏返る。
涙のワケを誤魔化す
しかし奏ちゃんはわたしのミスを気にせず、ギターをかき鳴らしながら叫んだ。
苦し紛れの枯れた声 それはあんたのほうだったね
ふたりの声が合わさって、ひとつの情熱的な旋律へと溶け込む。
わたしの平凡な声でも、奏ちゃんのアルトを引き立てるには充分だった。ギターもキーボードも主張を抑え、奏ちゃんの歌声に道を空ける。
サビはわたしと奏ちゃんで、お腹の底から声を揃えた。
お節介なFRIEND 見透かされてる
わかったふうな笑みがむかつく
ごめんなさいはあんたの口癖 あたしの今のほんとの気持ち
不思議と怖くないの。自然と声が出て、音の波へと乗せることができた。奏ちゃんのギターも生き生きとして、エネルギーに満ち溢れてる。
お節介なFRIEND あたしも知ってる
あんたもやっぱり寂しいんでしょ
ごめんなさいはあたしの口癖 ふたりだけの合言葉だから
歌い終わった時は、わたしも奏ちゃんも、肩で息をするほどに疲弊していた。それだけに全力を出しきれたはずで、むしろ気持ちいいくらい。
ステージに立ったから味わえる、達成感。胸は内側からも外側からも叩かれるみたいに鼓動を早くして、わたしを熱っぽく陶酔させた。
拍手が起こってる。
わたしたちに向けられたものなんだって、やっと自覚できた。
「ありがと、伊緒。あんたのおかげよ」
まだ結果が出てもいないのに、奏ちゃんの無邪気で、小粋な笑みが弾む。
新しい声で歌えた奏ちゃんにとっても、実のあるステージだったんだね。バレエとロック、互いに目標は違っても、スタートは同じ一歩だった。
☆
夕方になる頃には審査の結果が発表され、各々に寸評が配られた。
奏ちゃんがやけに朗らかな苦笑いを浮かべる。
「だめだったわね、二次。最高のステージだったのに、見る目がないってゆーか、さ」
決して強がりじゃなかった。奏ちゃんはおそらく今日の結果に納得してる。
残念ながら、わたしたちのデュオは二次審査で落選となってしまった。寸評によれば、着眼点や発想はいいけど、冒険心が足りない、って……。
「こぢんまりとまとめちゃった感はあるもの。気にしないでよ、伊緒」
「うん。わたしも、あれ以上のはできなかったって思うもん」
あと、奏ちゃんとわたしで、実力に差がありすぎるとも書かれちゃった。キーボードはもっと練習しましょう、だって。
コンクールが終わったと思うと、力が抜けてきた。
「はあ……。お腹、空いちゃったね」
「あははっ! なんだか気が抜けちゃったわ、あたしも」
帰り支度をしてるところへ、ナオヤさんたちのグループがやってくる。
奏ちゃんは眉を顰め、そっぽを向いた。
「何よ? ナオヤ、シンジ」
「そう邪険にするなって。オレたちも二次は落ちたんだし、さ」
ナオヤさんが苦笑する傍らで、シンジさんは伸びをして、投げやりにぼやく。
「あーあ。まあオレたちも、奏の歌声に頼りきってたからなァ……ここいらが限界だったのは認めるぜ。今日のところはよ」
「びっくりしたよ、さっきの歌声には。声が枯れたんじゃなかったんだな」
奏ちゃんはナオヤさんに向きなおって、鼻を高くした。
「わかればいいのよ。ふふっ」
わたし、心の中で得意になっちゃう。
奏ちゃんの声の価値に気付いたの、わたしが一番なんだもん(井上さんは別として)。マーベラス芸能プロダクションのひとも、芸能学校のひとも、今から知るんだろうなあ。
VCプロの井上さん、奏ちゃんを引き抜いたことで、恨まれたりして……。
ナオヤさんはちらっとわたしのほうを見て、提案した。
「これから飯でもどうだ? 美園さんも一緒に」
「え……わたしも、ですか?」
きょとんとするわたしを庇うように、奏ちゃんが前に出る。
「そういえば、あんた、さっき伊緒に『アドレス教えろ』って迫ったそうじゃない。わたしの伊緒に手ぇ出して、覚悟はできてんでしょうね?」
「は? いや、そんなつもり……イテッ!」
ずっと後ろにいたマリさんが、ナオヤさんのふくらはぎを蹴りつけた。
シンジさんがわかったような顔で呆れる。
「お前なあ……もう諦めて、マリにしとけって。こっちも気ぃ遣うの、面倒くせえし」
「マリは妹の友達なんだぞ? 手なんか出せるか」
「だからって、伊緒にちょっかい掛けないでくれる? マリもやめときなさいよ、こんなスケベでシスコンのヘタレ」
笑いが起こった。
わたしたちは井上さんに報告してから、みんなでお食事へ。奏ちゃん、ナオヤさんたちと仲なおりはできたみたいで、わたしも嬉しかった。
今日の落選、悔しくないって言えば、やっぱり嘘になる。
けど、わたしも奏ちゃんもきっと、新しい力を手に入れることができた。
食事のあと、わたしと奏ちゃんは電車で帰宅する。
井上さんは仕事があるとかで、車で先に戻っちゃった。それでも今日はわたしたちのコンクールを優先してくれたみたい。
やがて駅に着き、わたしたちはいつもの噴水広場に出た。夜空では星が瞬いてる。
ふと奏ちゃんが足を止めた。
「……あのさ、伊緒」
首筋にマフラーの生地を寄せながら、わたしは問い返す。
「どうしたの?」
「あんたのオーディションの前にさ、ちゃんと話しとこうって、思って……」
大事な話らしいことは、トーンでわかった。心なしか、奏ちゃんの横顔が沈んでる。
「決めて欲しいの。あたしと音楽続けるか、劇団でバレエに専念するか」
ぎくりとした。わたしは言葉を失い、風が冷たいのも忘れる。
そんなわたしを見詰め、奏ちゃんは言い放った。
「どっちを選んでも、わたしは伊緒の気持ちを尊重するつもり。もちろんバレエスクールを辞めたりしないわ。だから……伊緒にはさ、じっくり考えて欲しいんだよね」
両手を広げ、まるで自分のことのように、わたしを鼓舞する。
「あんたのバレエにはでっかい可能性がある! それをさ、あたしの一時のワガママで邪魔したくないのよ」
パートナーの夢を邪魔したくないっていうの、わたしと同じだった。
わたしだって、今日のコンクールでは奏ちゃんの足を引っ張ってる。奏ちゃんくらいの実力者なら、『もっとキーボードを練習しましょう』なんてふうに言われる子と、いつまでも一緒でいいわけがない。
「劇団員になったら、芸能活動は難しくなるでしょ?」
実際のところ、候補生の時点で、両立は厳しいかもしれなかった。
お金を払った分は教えてもらえる、バレエスクールじゃない。プロのバレリーナになるための日々が始まるんだから。
「それでも一緒にやるんなら、そう決めて。そしたら、あたしも伊緒に決めるから」
最初は奏ちゃんに半ば強引に誘われて、このデュオを結成したんだっけ。
オーディションに落ちたら一緒にやるね、とは言えなかった。奏ちゃんとのデュオを保険にして、ないがしろにするようなこと、友達としてできない。
「わたし……」
俯くと、奏ちゃんはたじろいだ。
「あ、ごめん! もうじきオーディションなのに、迷わせること言ったりして」
だけど、これはわたしが決めなくちゃいけないこと。
ずっと今のようにバレエと両方、とはいかない。奏ちゃんと一緒にプロのアーティストを目指すなら、バレエじゃなくて、ピアノに復帰するべきだもん。
今日のステージを思いだしたら、そうしたくなってきた。また足を引っ張っちゃうかもしれない。それでも、わたしは奏ちゃんと音楽を続けたい。
まだ試してないフレーズだってあった。奏ちゃんとなら、無限に曲が作れる。
でも、わたしには子どもの頃からバレエがあった。舞台に立つ度胸もないくせに、練習だけは続けてきた、美園伊緒のバレエ。大舞台でプリマを演じるわたしを、奏ちゃんは瞳を輝かせながら『見たい』と話してくれた。
「うん……ちゃんと考えてみる」
「お願いね。どっちだったしても、あたしは伊緒の味方だから」
奏ちゃんがわたしの手を掴む。こうやって繋いだの、初めてだった。
「あとは伊緒のオーディションね。練習しないと」
「わたし、今からでも大丈夫だよ」
「さすがに工藤先生に怒られるってば。明日から、思いきり頑張ろうじゃない」
奏ちゃんと一緒に音楽の道に進むか。
響子ちゃんたちを追いかけて、バレエの道に進むか。
どちらもわたしにとっては夢。だから、すぐには決められなかった。選ばなかったほうとは、永遠ではないにしても、しばらくお別れすることになる。
ジゼルとアルブレヒトが引き裂かれたほどじゃない、にしても……。
「帰ろっか、伊緒」
運命のオーディションは近かった。
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