Eternal Dance ~泣き虫で内気なデュオ~

第3話 リスタート

 今日も隣の席でリカが寝てる。けど、最近はだらけてるわけでもなかった。

「NOAHのレッスン、そんなに忙しいの?」

「そりゃーもう。ステージの構成とか、カメラの基本なんかは、あたしが教えるしかないからさあ。結依は飲み込み早いからいいけど、杏ってのがね」

 あたしも芸能学校の授業はそっちのけで、楽譜を書いたりしてる。

「いいじゃない。充実してて」

「まーねえ。そっちも、最近はなんか楽しそーじゃん」

 ばれちゃってるみたいね。

 今の低い声にこそ可能性があるって、わかってから、あたしの音楽活動には大きな弾みがついた。スタジオでは伊緒と一緒に、色んなデュエット曲を実際に歌ってみて、この声の持ち味をじっくりと吟味してる。

 女の子の甲高い声じゃ表現できないものは、多かった。

 同じ曲でもね、あたしの今の声で歌うと、印象もがらりと変わるのよ。例えばラブソングにはしたたかさや力強さが加わって、ニュアンスはまるで違った。

 井上社長の『アルトの歌姫』って評価も、まんざらじゃないわ。

 ずっといじけてた反動もあって、音楽活動に精力的に取り組めてる。でも、以前ほど『プロになること』に拘ってるわけでもないのが、不思議だった。

 アルトに転向して間もない今の状態で、今度の楽曲コンクールを勝ち進めるほど、甘くはないでしょうし。

 今のあたしの目的は、この声の可能性を追求すること。これまでには考えもしなかった曲が、どんどんできちゃって、面白いの。

 伊緒の『プロになるだけが、すべてじゃない』っての、今ならわかる。

 けど……伊緒のバレエまで、足踏みさせるつもりはなかった。伊緒にはさ、やっぱ才能も技術もあって、目の前にプロへの道があるんだもの。

 伊緒のこと、本気で応援したい。

「リカってバレエは詳しかったりしない? あんた、日本舞踊の家元の子でしょ」

「バレエはわかんないなー。うちのお弟子さん、みんな男のひとだしさ」

 でもあたし、バレエに詳しい友達がいなかった。工藤さんは『先生』で年上だから、遠慮しちゃうし。もうちょっと、こう、気軽に話せるバレエ仲間が欲しいのよね。

 それでいて、バレエの上手な子が。

 やがてチャイムが鳴って、リカはNOAHのレッスンへ、あたしはバレエスクールへと急ぐことになった。

「そーだ。奏、あたしと一緒にここ辞めるって、ほんと?」

「へ? 辞めるのは確定よ。編入の勉強もしてるわ」

 そういえば、あたしの転入先の候補って、松明屋杏も通ってる女子高だっけ。この声で松明屋杏とパートデュエットしてやるのも、面白いかもしれない。

 

 バレエスクールに伊緒はまだ来てなかった。学校の補習で捕まってるらしい。

「おはよう、朱鷺宮さん」

「あ、先生。おはようございます」

 あたしだけでウォーミングアップしてるところへ、工藤先生がやってくる。その後ろには見慣れないバレリーナもいた。

 みんな『ジャージにスカート』って格好なのに、その子だけレオタードを着てる。

「紹介するわ。私の娘で、劇団員の響子よ」

 響子って子は一歩前に歩み出て、あたしのジャージ姿をまじまじを眺めた。

「初めまして。美園さんにオーディションを決意させたそうね」

 いかにも我の強そうな印象で、伊緒の苦手な子なんでしょうね。あたしはこういうタイプ、嫌いじゃない。むしろ正直だから、好感が持てるほど。

「響子、でいい? そんなに歳も変わらないでしょ」

「同い年のはずよ。よろしく」

 向こうも、あたしに悪い印象は持たなかったみたい。今日のレッスンではあたしだけ彼女に見てもらうことに。

 バーレッスンの時間になっても、伊緒は来なかった。響子が溜息をつく。

「……はあ。あの子、勉強のほうはいまひとつなのよ。得意なのは体育と音楽で」

「それだけ聞いたら、活発な子をイメージしちゃうわね」

 まあ、バレエと同じくらいのモチベーションで勉強しろ、なんて無理な話よね。あたしだって、作曲と同じ勢いで読書感想文とか、書けるわけない。

「あなた、バレエ始めて、どれくらい?」

「二ヶ月よ」

 響子は感心したように目を見開いた。

「ふぅん……その割に基礎はしっかり出来上がってるじゃない。驚いたわ」

 あたしがバレエ初心者として優等生でいられるのは、余計なプライドが妨げにならないからね。バレエに関してはド素人だって、わかってるもの。

 これが音楽だったら、あれこれカッコつけちゃうところだったんでしょうけど。

「そうそう。曲がる範囲で、綺麗にやればいいの」

「あははっ。どうせ曲がらないから、あたし」

それでいて、あたしなりに『楽しんでる』のが、不思議でならない。

前は音楽以外のことなんて煩わしかった。学校の勉強も、両親を納得させるための手段だったくらい。なのに、今はこうやって、バレエの基礎を反復練習してるんだから。

 休憩に入ると、響子は肩を竦めた。

「お母さんが気に入りそうなタイプね、朱鷺宮さんって」

「そうなの?」

「バレエって、結局は『基礎』が大事だから。四回転とか決めるより、一回転でも軸足が安定してるほうが、評価も高いしね」

 結局、伊緒は欠席のまま、本日のレッスンが終わってしまう。

「ねえ、響子。このあと、時間あるかしら」

「今日は構わないわよ。自主練でもしようとは思ってたけど」

 練習場が使えないとかで、劇団のレッスンはお休みらしいわ。もちろん、クリスマス公演の『白鳥の湖』はあたしも伊緒と一緒に見に行くつもり。

 本物の公演って、まだ一回も見たことないから、楽しみだった。それに備えて、今のうちからDVDを見たりして、予習してる。

 

 あたしは響子を誘って、適当な喫茶店に入った。

「悪いわね、付き合わせて」

「気にしないで。私も美園さんが連れてきたっていうあなたに、興味あったの」

 お互い、相手に関心がある。

 あたしにとっての響子は、バレエに造詣が深い、同い年の女の子だった。正式な劇団員だからこそ、伊緒のオーディションに役立つ情報を持ってる、って思ったわけ。

 そんなあたしの考えには多分、相手も勘付いてる。

「美園さんにできるアドバイスなんて、ないわよ? 私」

「いいってば。今日はちょっと、あなたに教えて欲しいことがあって……伊緒の実力ならオーディションも大丈夫だろうしさ」

 あたしと響子の声が重なった。

「あがらなければ、ね」

「ビビらなきゃね」

 伊緒に度胸が足りてないことは、早くも共通の認識になってる。

 間もなくあたしにはコーヒーが、響子にはレモンティーが運ばれてきた。先に響子がレモンティーに口をつけ、肩の力を抜く。

「ふう。だけど、あがり症を別にしても、難しいかもしれないわね」

「……そうなの?」

 あたしはコーヒーを味見するのも忘れ、目を点にした。不安にもなってくる。

「やっぱり伊緒くらいの子は、ごろごろいる感じ?」

「まあね。でも、あの子みたいに三十二回転ができるバレリーナは、ほとんどいないわ」

 さ……さんじゅうにかい?

 三十二回まわるってことはわかったけど、驚愕してしまった。

「何それ」

「美園さんにはできるのよ。それほどの大技が」

 それだけの技を持ってるなら、自信もつきそうなものよねえ……。でもあたし、伊緒の応援は『急がない、焦らない』って決めてた。

 頭ごなしに『緊張するな』って言ったって、伊緒には無理でしょ?

 あたしが無理強いして、伊緒のチャンスを台無しにしたくない。だからこうして、初対面の響子に縋るような真似もできた。

「オーディションまでに、伊緒のあがり症を少しでも改善しておきたいのよ。だけど、前にストリートライブやった時は、逃げられたりして……」

「困ったものよね、あの子」

 レモンティーに響子の溜息が落ちる。

 しかし劇団員の響子は、さらに別の懸念も付け足した。

「今年のお題はひねくれてるから、とっかかりが掴めてないのかも、ね」

 あたしは瞳を瞬かせながら、首を傾げる。

「……お題って、『ジゼル』?」

「そう。第一幕と第二幕のジゼルを演じ分けろ、ってお題でしょ」

 まだ『ジゼル』は見てなかったわ。資料室の、貸出中だったのよね。

 響子によれば、あらすじはこんな感じ。

 村娘のジゼルが、ロイスという男性と恋に落ちる。ところがロイスは、実は貴族のアルブレヒトで、将来を誓いあった婚約者もいた。

 ほんの戯れで、ジゼルにちょっかいを出してたってわけ。

 騙されていたと知ったジゼルは、心臓が弱いこともあって、死んでしまう。

 続く第二幕では、ひとを死ぬまで踊らせる亡霊『ウィリー』となり、アルブレヒトの前に現れる。それでも、とうとう彼の命を奪うことはできなかった。

 彼を愛しているから。

「第一幕のジゼルは問題ないでしょうね。村娘の初心な恋愛なら、今の美園さんでも、充分深みのあるダンスにできるわ」

 響子の懸念してることが、素人なりにも読めてくる。

「でも、第二幕は……恋愛感情じゃないから?」

「そこよ。恋愛ではあるんだけど、憎悪や復讐の感情もある、っていう……何より難しいのは、第二幕のジゼルは『すでに死んでる女の子』ってこと」

 あたしにもなんとなく問題の本質を直感できた。

「死んだ人間をダンスで演れ、って?」

「ええ。第二幕のジゼルは正直、バレリーナでも意見が割れる役なの」

 まだ『死んだひとの怨念』ならイメージもできる。

 残された恋人が死者を想うってのも、わかる。

 でも『ジゼル』の第二幕は、死んじゃったヒロインが、まだ生きている恋人を想うお話だった。そんなヒロインの心境なんて、あたしには想像がつかない。

「おそらく審査員は『ジゼルをどう解釈するのか』ってとこを、重視するはずよ」

 なるほどね。自信満々に三十二回転を披露しても、それがジゼルのダンスとして相応しくなければ、評価はされない。

 それ、前にあたしが高音域の声をメインに作曲してたのと、似たパターンだった。

 単に持ち前の技術を羅列するだけじゃ、曲にならない。どんなにギターの早弾きができたって、早弾きを見せつけるための構成にしたら、すぐに見抜かれる。

 そのことを、あたしは今になって認識できた。

 歌声を自慢するためだけの作曲で、バンド仲間を振りまわして……。プロになることにばかり躍起になって、肝心の曲をないがしろにしてたんだって、今なら自覚できるの。

 みっともないわよね、ほんと。

「そういうところも踏まえて『ジゼル』を見てみると、面白いわよ」

「絶対に見るわ。さすが劇団員ともなると、詳しいじゃない」

とりあえず、伊緒にとって、今度のオーディションが『一筋縄じゃいかない』ってことはわかった。技術よりも、ヒロインの解釈を示さないと、いけないんだわ。

「ジゼルの心情、か……」

「美園さんも悩んでるんでしょうね。相談に乗ってあげて」

 素人のあたしに言えることなんて、そう多くない。

 だけど、伊緒はあたしを絶望の淵から救ってくれたんだもの。何でもいいから、お返しがしたかった。あたしなりに『ジゼル』を研究してみようって思える。

「劇団は公演の練習、忙しいんでしょ?」

「まあね。でもみんな、すごいモチベーションでやってるわ。私は花嫁候補の役で……」

 そのあとは響子の、半分は自慢の話題で盛りあがった。

 こういう自分の実力に正直なやつって、嫌いじゃないのよね。女の子とアドレスを交換したのも、伊緒は別にして、久しぶりのこと。

 それにしても……補習でバレエスクールに来られないなんて、伊緒ってば。

「響子、高校も通ってるのよね?」

「もちろんよ。L女っていう、このあたりの女子高よ」

「あ。それ、あたしが編入受けるとこだわ」

 伊緒みたいなことにならないよう、あたしは勉強してようっと。

 

 

 奏ちゃんがバレエの練習を増やしてくれたのに、わたしは学校で補習だなんて……。バレエだけじゃなくって、音楽活動もやってるってばれたら、怒られちゃいそう。

 今日は補習もないから、予定通り、音響スタジオへ直行。

そこで偶然、松明屋杏さんとすれ違った。

「あっ、こんにちは! 杏さん」

「こんにちは。元気そうね」

 心なしか、杏さんの表情が明るい。前はもっと神妙な印象だったもん。

「何かいいこと、あったんですか?」

「ふふっ。ちょっとね。レッスンで上達してるのが実感できて、楽しくって」

 杏さんでも、上手くいったり、いかなかったりってことがあるんだなあ。確かNOAHっていうグループのメンバーになって、持ち歌の練習中だとか。

「そういえば、あなたのパートナーって、まだ会ったことなかったわね」

「杏さんと同じL女に編入するそうですよ?」

 杏さんも奏ちゃんも、学校の勉強はできるんだよね。

 それに引き換え、わたしったら……。

 なんてふうに思って、溜息をついたら、杏さんに笑われちゃった。

「結依と同じ顔してるわよ。……あぁ、結依っていうのは、NOAHのメンバーでね」

 杏さんのほうはこれから打ち合わせみたい。

「それじゃ、失礼します」

「あなたも頑張ってね、美園さん」

 わたしは杏さんと別れ、スタジオで奏ちゃんを待った。

 時間ぎりぎりになって、奏ちゃんが慌ただしく駆け込んでくる。

「ごめん、伊緒! さっきレンタル寄ってたら、時間食っちゃってさあ」

「……レンタル?」

 もしかしてバレエのDVDかな。

 でも、それならバレエスクールの資料室で借りられるよね。お金も掛からないし。どうしても見たい作品が貸出中だった、とか?

「あたしなりに『ジゼル』を勉強しようと思ってさ」

 タイトルを聞いて、ぴんと来た。

 劇団が候補生を選出するためのオーディション、今年は『ジゼル』がお題になってる。第一幕のジゼルと第二幕のジゼルを、いかに演じ分けられるかが肝だった。

「響子に聞いたんだけど、候補生が劇団員になるためのオーディションだか、コンクールも同時期にやるそうじゃない? 今年は『眠れる森の美女』が題材なんだってね」

「ちょ、ちょっと、奏ちゃんっ?」

 意外な人物の名前が出てきて、わたしは声をあげた。

「い、いつの間に響子ちゃんと会ったの?」

「伊緒が補習でバレエスクールに来なかった日に、ね。帰りにお茶もしたわ」

 どういうこと? わたし、響子ちゃんとお茶したことなんて、一度もないのに。しかも奏ちゃんには携帯で証拠写真まで見せつけられてしまった。

「ほら、そん時のがこれ」

 自撮りのアングルで、奏ちゃんと響子ちゃんが一緒に映ってる。

「ずっ、ずるい!」

「ずるいって言われても……伊緒が補習なんて受けてるから、でしょ」

 どうしてだろ……わたし、子どもの頃から、響子ちゃんと仲良くしたいって思ってた。だけど響子ちゃんのほうは、わたしをライバル視するばかりで。

 何度も怒らせちゃったし、うまが合わないのかなって、諦めかけてた。

 なのに奏ちゃんは響子ちゃんと出会ってすぐ、一緒に喫茶店でお茶までしてる。

 ……羨ましい!

「また会うから、そん時は伊緒も来たら?」

「い、行く! 絶対行くもん!」

 答えは決まってた。

 奏ちゃんって、わたしにはないものを持ってるんだなって、改めて感じる。今のわたしに足りてない『度胸』も、奏ちゃんは当たり前のように持ってた。

 ストリートライブだってしちゃえる、勇気。

 わたしにも、バレエで同じことができたら、どんな気分になるんだろ?

「そうそう。でね、レンタルしてきたのよ」

 奏ちゃんは鞄を開け、DVDを山ほど取り出した。

 ところがDVDのタイトルは『死霊』や『怨念』とか、おどろおどろしいものばかり。バレエの資料にしては、ジャンルが違いすぎる。

 これ、ホラー映画でしょ?

 奏ちゃんは意地悪な笑みを浮かべた。

「リカに……友達の映画バカに、幽霊が出るやつ教えてもらったの。『ジゼル』第二幕の参考になるんじゃないかと思って。今夜は夜通しで見るわよ、うちで」

 お泊りのお誘いは嬉しい。

 でも、それがホラー映画の鑑賞会じゃ、とても喜べなかった。

「それにほら、こういうのに慣れておけば、度胸もつくかもしれないじゃない?」

「やっ、やだやだ! 怖いのはやだってば!」

 あたしは我が身をかき抱いて、鳥肌が立つのを堪える。

 奏ちゃんはにんまりと唇を曲げた。

「研究よ、研究。『ジゼル』の第二幕をどう踊るのかっていう。別にぃ、伊緒を怖がらせて楽しもうっていう、あたしの個人的なアレじゃないからさあ~」

 面白がってるに違いない。

「響子も呼んであげるから。ね!」

「きょ、響子ちゃんは劇団の練習で忙しいし? ホラー映画はまたの機会に……」

「次なんてないのっ。いーい? あたしには伊緒の『ジゼル』を完成させるっていう、大切な使命があるんだから!」

 こうして真夜中のホラー映画鑑賞会は敢行されてしまった。メンバーはわたしと奏ちゃん、それから響子ちゃんも。

一番怖がったのは、意外にも響子ちゃんだった。

 

 

 前に応募した、ゲームミュージックのコンペは落ちちゃったわ。

 それもそのはず、あたしも伊緒も、ゲームしないんだもの。自分が知らないものを作るなんて、無理に決まってるじゃない。

 とはいえ、別に落ち込むほどでもなかった。最初から落選するのはわかってたし。今は年明けの楽曲コンクールに向けて、準備に集中してる。

 年末は劇団の公演『白鳥の湖』を見に行くでしょ? で、年が明けたら音楽コンクールの二次審査があって。最後に伊緒のオーディションって順番ね。

 二次審査のためにも、まずは一次審査を突破しなくちゃならないんだけど。

 楽曲コンクールの一次は、曲を投稿する形になってる。今頃はナオヤたちも、曲を調整したり、収録まで済ませてるかも。

 あたしは伊緒とデュオで応募するつもり。ただ、VCプロ御用達の音響スタジオまで出向くのが、面倒なのよね。時間も限られちゃうもの。

 ……なんて話をしたら、工藤先生が嬉しい提案をしてくれた。

「だったら、うちのレッスン場、使っていいわよ。ついでに掃除もお願いするけど」

「本当ですかっ?」

「コンクールまでね。美園さんにも練習場所が必要だし」

 音楽では周囲の反感ばかり買ってたから、こういう厚意は初めて。ありがたくレッスン後の教室を使わせてもらうことにする。

 レッスン場の壁は防音仕様になってるから、遠慮もいらなかった。

 キーボードだけ持ち込んで、書きかけの新曲を反芻する。

「ねえ、奏ちゃん? ここ、もう少し間を空けたほうが、いいと思うの」

 前よりは伊緒も積極的に意見を出してくれるようになった。あたしの見落としてるとこを的確に拾ってくれたりするから、助かる。

 この子、割と音楽方面のセンスもいいのよね。

 ナオヤたちと組んでた時は、わたし、よくキーボードのマリに『わかってない』って怒ったりしてたっけ。あんな調子で名曲ができると思ってたのが、今は恥ずかしい。

「ここも、ギターの主張が強いんじゃないかなあ」

「いやいや。それはないでしょ」

 でも、やっぱり主導権はあたしが握ってた。

 曲を作るなら、時には我も通さなくちゃいけない。要は按配が大事ってこと。

 新曲のほうも『ジゼル』の二面性をヒントにして、ビジョンが固まってきた。当初はあたしの孤独を自暴自棄に歌ってたものが、デュオによって化けつつある。

「そろそろ一次の提出、しないとね」

「うん。でも……」

 キーボードを見詰めながら、伊緒は視線を落とした。

「ちゃんと受かるかなあ?」

 以前のBGMのコンペと違って、今回はあたしたちの努力の結晶を送り出すんだもの。認められなかったら、あたしたちは『素人と同レベルでしかない』ってことになる。

「……やってみないと、わからないってば」

 前は『望むところよ』って思ったけど、今は正直、あたしも怖かった。

 こうやって伊緒と曲を作るのは楽しい。あくまで『趣味』としてってスタンス、前ほど否定する気にはなれなかった。

 けど、やっぱり『プロになって、みんなに聴いて欲しい』って願望もあって。

 選考に落ちたら、ショックなのは間違いないわ。

「プロになるって、なんなのかしらね。あんたのバレエにしてもさ」

 何気なく呟くと、伊緒も憂い顔になった。

「えぇと……バレエだと、大作に参加できるとか……?」

 ワンシーンの群舞で何十人も踊るような規模の作品は、それこそ劇団でないと実現できない。その群舞にしたって、ひとりひとりがれっきとした『プロ』なのよね。

「あの演目のこの役が演りたい、っていうのは、よく聞くよ」

「だけど、プリマになれるのは、ほんの数人でしょ?」

 プロのバレリーナになれたとしても、大半のひとはヒロインを演じることなく終わるのかもしれない。それでも凛然と舞台に立ち、一丸となってバレエを作りあげる。

 ……きっと、あたしたちとは覚悟からして、違うんでしょうね。

 単に技術さえあればいい、って話じゃなかった。伊緒と同じく、あたしにもまだまだ足りていないものがある。

「今は一次選考の曲を作ろ? 奏ちゃん」

「そうね。やっと手応えの感じられる曲になってきたし」

 そろそろ新曲の形も鮮明になってきた。来週にはスタジオで収録して、コンクールに応募できそう。まずはそこからよ、あたしたちは。

 

 

 十一月となると、本格的に寒くなってきちゃった。

 最近は学校と、バレエと、あとは奏ちゃんとの音楽活動で大忙し。放課後、わたしはマフラーを巻いて、バレエスクールに急ぐの。

 寒いと、ウォーミングアップも一手間なんだよね。筋肉って、冷えるとよくないし。

 この時期は怪我しやすいから、わたしも気をつけないと。

「こんにちは、先生」

「おはよう、美園さん。早いわね」

 工藤先生のコーヒーもホットになっていた。

「そうそう! オーディションの書類審査、通ったわよ」

「ほんとですか?」

 先生から『合格』の通知を渡され、びっくりする。

 美園伊緒は実技テストへと駒を進めることができた。次は実際に舞台に立って、審査員や関係者の前でダンスを披露するの。

 嬉しい反面、怖くもあった。

「いよいよね。美園さん」

「……はい」

 工藤先生は多分、わたしの戸惑いに気付いてる。

 けど、わたしもやらなくちゃいけないって、今は思えた。わたしの周りには、本気でプロを目指してたり、すでにプロとなって頑張ってる友達がいるんだもん。

 瞳をきらきらさせて、ギターに情熱を注いでる、奏ちゃん。

 もちろん、今頃は劇団で猛練習に励んでる、響子ちゃんだって。

 負けられないな、って……そう思うようになったのは、きっと奏ちゃんの影響だった。最初は『プロになるために音楽をやってる』感じがして、すごく焦ってて。

 だけどそれは、本気でロックが好きだからこそ。

 わたし、わかったんだ。バレエも同じだってこと……。

 プロのミュージシャンにならなくても、インターネットなんかで活動はできるよ。たくさんのひとに聴いてもらえる方法は、ほかにもある。

 だけど、個人レベルの活動で『白鳥の湖』や『ジゼル』ができる?

 きっと奏ちゃんのロックもそうなんだ。より上のステージでないと、できないことがあって……それを実現するためには、プロになるしかない。

 工藤先生が神妙な面持ちで呟いた。

「問題はジゼルの第二幕を、どう解釈してみせるか、ね」

 今度のオーディションは一筋縄ではいかない。

 死してなお、騙されていたと知りながらも、アルブレヒトを愛するジゼル。

 それをバレエでいかに表現するか、表現しようとするかを、審査員は吟味するはず。単に振付通りに踊るだけじゃ、ろくな実績のないわたしは、落選するに違いなかった。

「あなたがもっと積極的に、発表会にも出てくれていたら……」

 工藤先生の言葉はもっともで、ぐうの音も出ない。

「ごめんなさい。でもわたし、やりますから」

「ふふっ。そうね、これで通ればいいんだもの。美園さん、頑張って!」

 工藤先生と別れてすぐ、わたしは奏ちゃんに、書類審査の合格を報告した。一分もしないうちに『やったわね!』って返事が返ってくる。

『伊緒、今から駅前に来てくれない? 面白いもの、伊緒に見せてあげるから』

「んーと。じゃあ行くね、っと……」

 奏ちゃんは今日、バレエスクールの練習もないし、退屈してるのかな? さすがに練習のない曜日まで、バレエスクールのレッスン場を借りてギターとは、いかないみたい。

 わたしは興味津々に駅前へと向かった。

 奏ちゃんのいう『面白いこと』を、胸が期待しちゃってる。

 奏ちゃんは駅前の噴水広場にいた。駆け出しのミュージシャンが曲を披露する場所で、威風堂々とギターを構えてる。

「あっ、かな……」

 わたしが声を掛けようとすると、彼女は『シーッ』と唇に人差し指を当てた。

(まあ見てなさいって、伊緒!)

 ギターの弦が震える。前奏はサビをアレンジしたものだった。

 歌うことはせず、目を閉じ、ひたすらギターをかき鳴らす。奏ちゃんの右手は、もはや指の動きが見えないほど速かった。なのに音は氾濫せず、ひとつの旋律を紡ぎだす。

 しかも……奏ちゃん、ギターを演奏しながら、ステップを始めた。ロックで始まった曲調がバラード風になると、それに合わせて、爪先が緩やかな弧を描く。

 もしかして、バレエの……?

 バレリーナほど足があがるわけじゃない。でも、そこにはたおやかな美しさがあった。ギャラリーはほうと見惚れ、次第に数も増えてくる。

 曲調がロックに戻れば、ステップも軽快なリズムを刻んだ。

 今までは歌と演奏だけで、録音できるものだったけど、今日の奏ちゃんのパフォーマンスは違った。二曲目は、わたしもよく知ってる『くるみ割り人形』のアレンジ。

 奏ちゃんがお人形さんみたいにカタカタと動きながら、ギターの弦を弾く。ギャラリーのみんなは噴きだして、笑い声があがった。

「可愛い、可愛い!」

「ギターも上手いよ、この子」

 奏ちゃんは一言も声を出さない。お人形さんになりきってる。

 ストリートライブは大盛況のうちに終わり、わたしは無意識に拍手を鳴らしてた。ひとがばらけてから、奏ちゃんに声を掛ける。

「奏ちゃん! さっきのね、すごくよかったよ!」

「ありがと。なかなかのものだったでしょ」

 奏ちゃんも手応えを感じてた。

 わたしにとっても意外だったのは、あの奏ちゃんが、歌わなかったこと。終始無言のストリートライブで……だけどギャラリーは集まって、みんな、リズムに乗ってた。

 わたしは首を傾げ、自信家な奏ちゃんを見詰める。

「……どうして歌わなかったの?」

「そりゃ、あたしの歌声は大事な秘密兵器だし? 歌わなくていいんなら、伊緒もやりやすいかなって、思ってさ」

 わたしだったら、声なんて出るはずもなかった。踊ることだってできない。

 さっきのストリートライブ……わたしに向けられたものだったんだ。けれども奏ちゃんは前回のような無理強いをせず、わたしの意志を尊重してくれる。

「あたし、ここが取れた日は、さっきみたいなのやってるから。伊緒も一緒にやりたくなったら、キーボード持ってきて。いつでも歓迎するわよ」

 引っ込み思案で怖がりな、わたしなんかのために。

「奏ちゃん……」

「度胸はつけたいって、思ってるんでしょ? オーディションが始まるまでに、一回でも二回でも、予行演習ができたらって。ね!」

 奏ちゃんが勝気なウインクを決めた。

 もしかしたら、また歌えるようになったお礼を兼ねて、協力してくれてるのかもしれない。けど、単なる見返りとは考えたくなかった。わたしが奏ちゃんのために、あんなことまでしたのは、奏ちゃんの本気の歌を聴いてみたかったから。

 同じように奏ちゃんは……わたしのバレエを舞台で見たいって、思ってくれてる?

「もう明日、スタジオで収録しちゃおっか、伊緒。コンクールのやつ」

「う、うん!」

 奏ちゃんが一緒にいてくれたら、踊れる気がした。

 舞台で踊るのって、どんな気分なのかな? わたしはまだ、ステージから見えるらしい真っ黒な観覧席を知らない。ライトアップされた時の眩しさや、熱さだって。

 

 その日から、わたし、奏ちゃんのライブコンサートは欠かさず見に行った。ギャラリーの一番前で、奏ちゃんのギターに耳を澄ませるの。

 誰に誇るわけでもないけど、友達のギターを自慢してるみたいで、嬉しかった。

 

 そして十二月の始め。

 楽曲コンクールの一次審査に合格っていう通知が届いた。

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