Eternal Dance ~泣き虫で内気なデュオ~
プロローグ
高校一年の夏休み。ひとつ手前の駅で、わたしは『その子』が来るのを待つ。
目的の駅は混雑しそうだからって、待ち合わせの場所をずらしてみたの。けど、それは大失敗。小さな駅のホームでは直射日光から逃げようがない。
こんな駅だから、待合室は満員だった。しかたなくわたしは自販機の陰に立ち、せめて直射日光をやり過ごす。空気そのものに熱がこもってて、蒸し暑い。
今日のコーディネイトはお気に入りのミュールに夏物のワンピースを合わせてみた。靴から先に決めちゃうのは、趣味のせい……かな。
もうすぐ約束の二時半。各駅の電車がホームにやってきて、通過待ちを報せる。
同じタイミングで携帯が鳴った。
『もしもし、美園(みその)さん? 朱鷺宮(ときみや)だけど。もう駅にいるの?』
それは昨夜『初めて』電話でお話した、わたしと同い年の女の子から。向こうでも通過待ちの放送が流れてる。
「え、えっと……自販機のとこに」
『なら、すぐ乗って。電車の中で合流しましょ』
わたし、自販機の前で合流することばかり考えてた。でもここは蒸し暑いし、目の前の電車を逃したら、さらに十分ほど待たなくちゃならない。
『女性専用車でいいわね。あたし、携帯にギターのストラップ、つけてるから』
「あ、わたしはパンダ。ちょっと待ってて」
電車に乗り込むと、冷えた空気がわたしの肌から熱を奪った。真夏とはいえ冷房が効きすぎな気もする。その割に空いてるのは多分、各駅の電車だから。
間もなく列車はドアを閉め、揺れるように動きだした。
女性専用の車両には充分な数の空席があるけど、立ってるひともいる。ドアの傍にいるジーンズの女の子は、携帯に三角形のストラップをぶらさげてた。
ギターってことは、この子が……。
「あの、朱鷺宮奏(かなで)さんですか?」
彼女は澄ました表情を変えず、ちらっと視線だけ、わたしに寄越す。
「そうよ。じゃあ、あなたが美園伊緒(いお)って子ね」
お互い顔を会わせるのも、これが初めて。わたしは緊張しつつ、パンダのストラップを彼女に見せつける。
「チケットは持ってきた?」
「は、はい。朱鷺宮さんの分はこれです」
「敬語とかいらないってば。同い年でしょ、あたしたち」
電話で話した時も思ったけど……朱鷺宮さん、女の子にしては声が低かった。
髪は爽やかなショートで、ジーンズも相まって、ボーイッシュなイメージ。バッグはさげず、ウエストポーチで代用してる。
靴はオーソドックスなスニーカーだった。
「……じろじろ見て、どうかした? ライブ行く格好としては、別に普通でしょ」
朱鷺宮さんが眉を顰める。
「ご、ごめんなさい」
「あー、怒ったわけじゃないから。伊緒、だったわね」
わたしと朱鷺宮さんの間はぎくしゃくとした。わたしは気の弱さもあって、どうしても朱鷺宮さんの顔色ばかり窺ってしまう。
「あたしのことは『奏』でいいわ」
「えっと……じ、じゃあ、奏ちゃん……?」
「だから、それでいいってば」
対する朱鷺宮さん……じゃなかった、奏ちゃんは、物言いもさっぱりとしていた。
「あなたは見てるの? 観音怜美子(みねれみこ)のドラマとか」
「う、うん。友達もみんな見てるし」
「ふぅん。あたしはそういうの見ないから、今日のも乗り気じゃないのよ」
わたしと奏ちゃんは今からアイドルのコンサートに行くの。
コンサートの主役は才色兼備の大人気アイドル、観音玲美子。ルックスはもちろん、歌唱力や演技力も高く評価され、熱狂的な人気を誇ってる。
わたしは井上社長にチケットを二枚持たされ、同僚らしい朱鷺宮奏ちゃんと一緒に、今日のコンサートを見に行くことになった。
わたしには何が何だか。社長の指示には奏ちゃんも戸惑ってるみたい。
「伊緒は社長から、なんか聞いてたりしないわけ?」
「ううん。一緒に行きなさい、ってだけで……」
「こっちと似たようなものね。あたしたちをどうしたいんだか」
やがて目的の駅に到着した。大きな駅だから空調は効いてるけど、ひとも多い。わたしたちは案内表示を確認しながら、五番出口を目指した。
外は暑いから、なるべく地下を通っていく。行き先は違っても、みんな考えることは同じのようで、道中も混雑した。
会場のスタジオに辿り着いた頃には、へとへと……。
奏ちゃんはさっきコンビニで買った、オレンジジュースで一息ついてる。
「奏ちゃん、わたし、飲み物買ってくるね」
「え? なんで寄ったついでに買わなかったのよ」
こういう要領の悪さが、わたし、美園伊緒の欠点だった。柔軟な思考っていうのが苦手で、買い物でもよく二度手間になったりする。
しかし会場の自販機は、あれもこれも売り切れ。お客さんが一万人超えとなると、供給が追いつかないのも、無理なかった。売り子さんも忙しそうにしてる。
「熱中症にご注意ください! ドリンク、ありますよー!」
お客さんが多くて近づけず、おろおろしてると、奏ちゃんに背中を押された。
「待っててあげるから、買ってきなさいって」
「ご、ごめん……」
「そうやってすぐ謝るの、癖なの?」
わたしの印象、どんどん悪くなってるかもしれない。
子どもの頃からわたし、いつも弱腰で、引っ込み思案なところがあった。あの『舞台』に立てるチャンスをふいにしたのも、一度や二度じゃない。
わたしはなんとかドリンクを調達して、奏ちゃんと観覧席に向かった。
チケットの指定通り、一階中央のやや右寄りっていう、それなりの好位置に着く。
「アイドルのライブって感じじゃないわね。映画館にでも来たみたいだわ」
奏ちゃんは頬杖ついて、ステージの緞帳を眺めてた。あんまり期待してないみたい。
「そうかな? 舞台が始まる前って、こんなだと思うけど……」
「舞台? あぁ、あなたもなんかやってるのね」
実はわたし、このスタジオには何度も来たことがあった。公演があると、教室のみんなで見に来るの。だから、飲み物もこっちの自販機で買えるって、思ってて……。
「何やってんの? 伊緒は」
「わたし……えっと、小さい頃から、バレエを……」
奏ちゃんが意外そうに目を丸くする。
「バレエって、踊るやつ? 『白鳥の湖』とかするの?」
「うん。『白鳥の湖』は見たことしかないけど」
奏ちゃん、バレエのことは何も知らないんだって、すぐにわかった。
踊らないバレエなんてないし(踊らないシーンはあってもね)、知らないひとは大抵『白鳥の湖』を挙げるの。
わたしが好きなのは『コッペリア』かなあ。
逆に『ジゼル』なんかは怖いお話だから、ちょっと苦手。
「だったら舞台経験もあるのね」
奏ちゃんに当然のように言われ、ぎくりとした。
「……ううん。わたし、出演したことは一度もなくて……」
今までに何度もやったように、わたしは顔を伏せて、口ごもる。
四歳の頃からバレエを習っているのに、舞台にあがったことは一度もなかった。理由は単に『あがり症』だから。
舞台に立つのが怖い。自分のバレエを評価されるのも怖い。
小さい頃はお母さんにオーディションを強制されたりして……でも舞台にあがりたくないからって、わざと落ちたら、先生にすっごく怒られもした。
今は『趣味』として続けてるだけだから、お母さんは何も言わないし、先生も理解はしてくれてる。だけど先生としては、一度くらいは舞台に上がって欲しいみたい。
わたしも……舞台で踊れたらって、思うけど……。
「あ、あと、中学までピアノもやってたの」
「ほんと? いいじゃない!」
ピアノの経歴を付け足したら、奏ちゃんは急に声を弾ませた。
「あたしも音楽やってんのよ。芸能学校の音楽科に通ってて……伊緒はピアノだけ? キーボードとか興味ない?」
勢いあまるくらいにまくしたてられ、わたしは返答に困ってしまう。
「お、お母さんが、娘にはバレエとピアノだって燃えてた時期があって。幼稚園に入る前から、ずっとやってるの。ピアノ教室のほうは、もうやめちゃったけど」
「えー、もったいない! そんな小さい頃からやってんなら、上手いんでしょ」
奏ちゃん、ピアノの話題には食いついてきた。根っからのミュージシャンなんだ。
わたしにとってはバレエも『音楽』なのになあ……。
そんな話をするうち、開演の四時となった。館内の照明が一斉に落ちて、緞帳が開いたのかもわからない。ざわついていた客席も、水を打ったように静まり返る。
わたしたちの目が暗闇に慣れてきたところで、不意に光が弾けた。舞台の四隅で一斉にスモークがあがり、みんなを驚かせる。
一瞬のうちにステージは熱い輝きで満たされた。
『飛ばしていくわよ、みんなー! 一曲目は『コードネームはアイツ』!』
光の洪水の中央で、観音玲美子がマイク片手にこぶしを振りあげる。
可憐で勇ましくもあるアイドルの登場に、観客のボルテージは一気に高まった。みんなが総立ちになって、声援を音の波にする。
「え? た、立つの?」
「そうみたいね」
わたしたちだけ座ってるわけにもいかなかった。前のひとも立ってるんだもん、座ってたら、何も見えないし。
わたしと奏ちゃんも立って、光と音の渦に飲まれる。
いつもはバレエを演ってるステージが、今日は違う世界に思えた。
客席の上でミラーボールがいくつも回転し、魚の群れのような光のパレードを、わたしたちにばらまく。
いつしか、わたしの胸は高鳴っていた。
大好きな『コッペリア』の舞台を見てる時のように。わたしの瞳を満たし、網膜に残像さえ焼きつけてくるの。
見ているだけで、血が騒ぐ。鼓動が跳ねあがって、呼吸さえ妨げる。
これが……アイドルのステージ……?
お客さんとの躍動的な一体感。声援はさながらバックコーラスとなって、観音玲美子の歌によりいっそうの弾みをつけた。
光、熱、音が無限に絡みあって、ひとつのうねりとなる。
曲が終わりそうになると、会場の全体で『アンコール!』の声が響いた。サビが繰り返され、観音玲美子は意気揚々と声を張りあげる。
『今日もサイッコー!』
わたしは立っているのも忘れ、呆然としてた。多分、隣の奏ちゃんも同じ。
観音玲美子のトークタイムに入り、みんなが席につく。端っこのバックダンサーが途中で抜けるアクシデント? はあったけど、そんなの些細なことだった。
ライブは惜しまれつつも終わりを迎える。
わたしと奏ちゃんは混雑を避け、時間を置いてから会場をあとにした。ライブの余韻が鮮烈に残ってるせいで、歩くに歩けなかったっていうのもある。
「観音さんのライブ、すごかったね」
「……そうね。ラジオで聞いた時は、大したことない、って思ったのに」
奏ちゃんの低い声が、さらにトーンを落とした。
「アイドルグループの歌なんて、よく訓練された合唱……くらいのイメージで、聞けたものじゃないんだもの。でも、観音玲美子の歌が本物だってことは、認めるわ」
わたしも今日のライブには驚いてる。
本当のこというと、わたしだって、そんなに乗り気じゃなかった。テレビは話題のドラマを見るくらいで、芸能人の顔と名前が一致しないとか、しょっちゅうだもん。
芸能事務所に所属することになって、正直、戸惑ってる。
でも、さっきのライブは、わたしに舞台の凄みをまざまざと見せつけてくれた。バレエとはまた違った、ステージの可能性……っていうのかな。
もちろんバレエだって、お客さんがいるからこそ、成立する舞台がある。本番ならではの緊張感、お客さんの静かな期待。同じものは今日のコンサートにもあった。
わたしが怖がってるだけのステージには、わたしの知らないものがたくさんあるんだ。そして、観音玲美子さんはそれを満喫してた。
夏の六時半、空は橙がかっているけど、まだ明るい。
ふと奏ちゃんは足を止め、蹲った。
「……うぅ」
いきなり嗚咽を漏らすから、わたしはびっくり。
「ど、どうしたの?」
「あたしだって……あれくらい、歌えたのに……っ!」
起こそうとしても、奏ちゃんは動かなかった。その手が携帯の、ギターのストラップを痛そうなくらいに握り締める。
「……返して、返してよぉ……あたしの声を返してよぉおおおっ!」
その時のわたしはまだ、彼女の『声の低さ』には理由があるって、知らなかった。
声変わりを終えた、男の子のように渋い声。それは朱鷺宮奏という女性ロックシンガーにとって、心を砕くほどの屈辱だった。
舞台を恐れるわたし、美園伊緒と。
歌声をなくした、朱鷺宮奏。
わたしたちの新しい挑戦が、始まろうとしていた。
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