お人形が見た夢
EPILOGUE ROYAL STRAIGHT
時計塔が午後一時の鐘を鳴らす。
昨日の雨が嘘だったように空は青々と晴れていた。薄い雲がたなびいてる。
ハイスクールは定期試験のため、午前のうちに終わった。最終日の明日は得意科目の数学だから、早くも解放感に浮かれつつある。
二年間も行方不明だったらしい私、朱鷺宮杏樹は、無事に復学を果たした。クラスメートの顔ぶれは一変しちゃったけど、それなりに仲良くやってるつもり。
ホームステイ先のご家族にも、改めて受け入れてもらえたおかげで、私は二年越しの留学を難なく再開できた。
再開というより、再出発……かしら。
好きになれなかった金色の髪を、ツーサイドアップに仕立てるのが、今では定番のヘアスタイルになっている。こうしてると、夢の中のお人形さんに近づける気がして。
明日は伯母さんが様子を見に来るらしい。そこで私は手料理を振舞うため、まっすぐ家には帰らず、食材を買い集めていた。
両親はまだ離婚には至っておらず、娘の私が生還したことで、雪解けの様相を呈しつつある。明日は伯母さんとその話もして、これからのことを決めなくちゃ。
私の進路は、第一希望が医者。夢の中で変わった左腕をつけていたこともあって、義肢の勉強がしたいと思ってるの。
なのに、第二希望はカジノのディーラー。これには学校の先生も呆れてたわ。
だけどほかに、もっと違う進路があるかもしれない。
一羽のハヤブサが空を舞い、私のもとへと降りてきた。翼を広げると一メートルは優にあって、街中だと、みんながびっくりする。
ハヤブサは私の腕にとまって、羽根を休めた。
「試験はどうだったのだ? マスター」
「恥ずかしい点数じゃないはずよ。それより荷物、持ってくれない?」
「……おっと、ここではひとの姿になれんな。間が悪い」
「悪いのはあなたの性格でしょ」
マスターは学生鞄と買い物袋を持ってるっていうのに、腕にとまるだなんて。この下僕は相変わらず配慮が足りない。
「いいから、そこの陰で変身してきなさい。命令よ」
「……承知した」
テスタロッサは一旦物陰に隠れ、青年の姿となって出直してきた。隣に並んで渋々、私の代わりに買い物袋を持つ。
「汝の手料理とあらば、致し方あるまい」
「鳥のくせに鶏肉を食べるわけ? はあ……」
この精霊は私との契約を理由に、地上に来てしまった。今はペットのハヤブサとして、私がホームステイ先のベランダで放し飼い中、という体になってる。
そんな彼が、私の日記を持ってきてくれたおかげで、私はあれが夢ではなかったことを確信していた。
お人形さんになって、地獄で暮らしていたこと。
楽しくて、友達もたくさんできたこと。
だけど日記は肝心なところで途切れている。私が『彼』とどうなったのかは、おぼろげな記憶を辿るしかなかった。
「ねえ、テスタロッサ。あなたが私と契約したのって……もしかして、こうやって地上に出るためだったんじゃないの?」
「否定はせん。地上の空は実に心地よいからな」
もともと精霊って、地上で生まれた存在らしいわ。
太陽を嫌うという闇の精霊アルベリクも。
私の身体には、あの女の子の記憶もわずかに残っていた。パパもママも人形だったことを、壊されてから知ってしまった、幼い少女。その孤独な狂気は、行方がわからない。
食材を買い終えて、私はテスタロッサとともにバス停へと向かった。
バスが来るまで、あと五分ね。
「飛ぶほうが早いぞ」
「だめに決まってるでしょ。ちょっとは人間の常識も……」
そこにひとりの男の子が通りかかった。黒い前髪をかきあげ、私を見詰める。
夢で出会って、恋をした、あの彼だった。私は鞄を落としたことにも気づかず、両方の瞳をぱちぱちと瞬かせる。
「久しぶりだね、杏樹。……って、杏樹だよな?」
「ディーンっ!」
胸の鼓動が跳ねあがった。いつぞやの時計じゃない、血の通った心臓が、喜びと興奮を一緒くたに過熱させる。目を合わせているだけで、どきどきした。
抱きついてしまいたい。だけどディーンのトラウマを思いだして、踏み留まる。
「どうしてここに? 魔王のお仕事は?」
それでも声は弾んだ。夢の中の恋人が、現実にいたことに感激して、我ながら無邪気に舞いあがってしまう。
「ちゃんとやってるよ。今は父さんが缶詰になってて、オレは休み」
「連れ戻せたのね、お父さん。あっ、デュレンやエリザはどうしてるかしら」
聞きたいことが山ほどあって、まとまらなかった。ネヲンパークのカジノのことや、ジニアスのはた迷惑な発明のことも気になる。
ディーンは穏やかに笑った。
「落ち着きなよ。あんた、そんなにおしゃべりだったっけ?」
「おしゃべりにだってなるわよ。……っと」
ところが間もなくバスが来て、私たちの再会に水を差す。
「マスターよ。早く帰らねば、食材が傷んでしまうぞ」
下僕の言うことももっともだった。こいつ、人間社会の常識には疎いくせに。
今になって私のボディーガードに気づいたディーンが、きょとんとする。
「どうしてテスタロッサがいるんだ?」
私とディーンの間に、テスタロッサが買い物袋で割り込んだ。
「我はトキミヤ=アンジュの剣であり、盾なのだ。我がいるからには、おいそれとマスターに触れること、できぬと思え」
「なっ、なんだよ、それ!」
ディーンが怒って、テスタロッサと押しあいを始める。
そうこうしているうちに、バスは行ってしまった。次のバスまで十五分か……。
「うーん……テスタロッサ、先にこれ、持って帰っててくれない? 私、ディーンと喫茶店にでも寄っていくわ」
「この男は信用できん。汝の身体を壊そうとしたのだぞ?」
マスターの命令にもかかわらず、テスタロッサは不服そうに眉を顰めた。何もディーンに嫌がらせしたいんじゃなくて、私を心配してくれてるみたい。
「あぁ、いいんだ」
ディーンが手を左右に振る。
「今日はちょっと顔を見に来ただけ、だからさ。今後は割と出てこられそうだし」
「よかったじゃない! なら休みを合わせて、遊びに行きましょ」
私がデートのつもりで誘うと、ディーンも照れた。
「近いうちにな。杏樹……」
人間の私をまじまじと見詰めながら、手を伸ばしてくる。その手は私の、ブロンドのおさげに触れ、毛先まで包むように撫でおろした。
「なんか変な気分だよ。人間の杏樹と話してるのってさ。どきどきする」
「は、恥ずかしいこと言わないでってば。んもう……」
私も胸を高鳴らせながら、手前で人差し指を捏ねくりあわせる。髪を触ってもらうのがこんなにも嬉しくて、幸せだなんて。
ところが、ディーンの手をテスタロッサが取りあげてしまった。
「我の前でいい度胸だな」
「い、いいだろ? オレと杏樹は、こっ、恋人同士なんだし」
「……だそうだが、マスターよ。汝はどう思う?」
テスタロッサとディーンの視線が、私の顔に集中する。
もちろんディーンとは恋人のつもりよ。だけど私としては、少し猶予が欲しい。
だって、本物の心臓の高鳴りに耐えられそうにないんだもの。ディーンに抱き締められたりしたら、死んじゃうかもしれない。
だからせめて、人間のドキドキに慣れるまで。
「しばらくボディーガードをお願いね、テスタロッサ。頼りにしてるわ」
下僕のテスタロッサが勝ち誇った。
「心得た! 聞いたか、魔王? 我がマスターは、貴様との関係を清算したいのだ」
「待ってくれ、怒ってるのか、杏樹? そ、そうだ、エリザから手紙を……」
魔王様は大慌て。
さあ、日記の続きを書かなくちゃ。
お人形さんは人間の女の子になって、素敵な王子様と再会しました、ってね。
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