死が憑キル夜

第三話 ユフヅクヨ~闇、穢れた狂刃

 大騒ぎのうちに十五夜も終わり、九月も下旬となった。相変わらず地獄の殺風景に変わりはないけど、霧湖町のほうは気候も穏やかになった頃かしら。

 万魔殿はハロウィン祭までおよそ一ヶ月。

 私たちは適当なグループに分かれ、ハロウィン祭の出し物を相談していた。主要な面子は私、エイリーク、オルハ、ヨシュアといった感じ。

今頃は飛鳥さんやデュレン閣下も、どこかで同僚と相談してるはず。

 ハロウィンは年に一度の慰霊祭であり、死神全員の参加が鉄則で、その期間中は罪人らの四十九日もカウントされなかった。万魔殿の業務が全面休止になるわけ。

「茶屋なんてどう? 古風な着物を着て、接客するの」

 さすがオルハのアイデアは可愛らしい。

タコヤキくらいしか思いつかなかった私は黙っていて正解である。

 二十人近いメンバーを前に、進行はヨシュアが務めた。損な役まわりでも進んで引き受けられるのが、彼のいいところ。

「ほかに案はある?」

 飼い狼であるクラトスは、窓際で居眠りしてる。

「オバケ屋敷なんていいんじゃない?」

「真面目に考えてくれよ、エイリーク。僕たち、オバケみたいなものだろ」

 オバケ屋敷も悪くないと思った。骸骨やミイラ男もいるのだから、本格的なものが作れちゃう。しかし脅かす相手も同類では、そもそもニーズがない。

「楓、さっきから何読んでるの?」

 頬杖ついて読書中の私に、エイリークが声を掛けてきた。

私は本を閉じ、表紙のタイトルを見せつける。

「『ロミオとジュリエット』。オルハのお薦めでね、結構面白いわよ」

 その本をオルハが手に取り、適当にページを開いた。

「そうでしょ? とてもロマンチックで。でも、毒くらいで死ぬものかしら……」

 ネタバレしないで欲しい。

「オルハ? 私、まだ途中なんだから」

「ごめんなさい。有名な作品だから、知ってると思ってたわ」

 とはいえ大体のあらすじは私も知っていた。これだけ著名な作品になると、まったくの新作として読むのはかえって難しい。

「読み終わったら貸してよ、楓。オレも読んでみたい」

「エイリークって、こういうの好きだった?」

「確かほら、死んだり殺されたりって話でしょ。そういうの大好き」

 変態の趣味は理解できなかったし、したくもなかった。 

 オルハが名案とばかりに両手を鳴らす。

「そうだわ、劇! わたしたちは『ロミオとジュリエット』を演じるってどう?」

俄かに女子メンバーがきゃあきゃあと騒ぎ出した。

「エイリークくん、ロミオ似合いそう~!」

「え~? エイリークはパリスで、ロミオはクラトスでしょ?」

「それじゃ『美女と野獣』だってば」

 早くもキャスティングが始まる。意外に人気あるのよね、エイリークって……。

 オルハは席を立ち、ホワイトボードの前まで歩み出た。ヨシュアからペンを奪い、ジュリエット役として候補者の名前を書きあげる。

 秋津楓、と。

 ……それって私じゃないのよ。

「無理よ、劇なんて」

「心配しないで、楓。わたしが保証してあげるから」

 オルハににっこりと保証されたところで、私の演技力が高まるはずもなかった。

 彼女の狙いはわかってる。要はゴスロリ衣装を作って、着せまくりたいだけ。

「どんなドレスがいいかしら……ふふっ」

 ほかに目立った代案もなく、大半の女子は乗り気だった。ホワイトボードでは、私の名前の下で、『正』という漢字が少しずつ増えていく。

 ヨシュアまでその一画に貢献した。

「楓は度胸あるよ。ヒロインだってできるさ」

 このままではジュリエット役が私に決まってしまう。

 その一方で、ロミオ役の選出は難航するのが目に見えていた。第一候補のエイリークは皆と足並みを揃えるタイプじゃない。死神の参加が鉄則であるハロウィン祭さえ、平然とサボったりもするんだもの。

 私が誘えば、エイリークはロミオを気取って、前向きになるだろうけど……。

 そのため、自然とヨシュアの名前が候補に上がる。

「自信はないんだけどな、僕」

 ヨシュアが『ロミオとジュリエット』の劇に同意したのは、これを狙ってのことか。私へのアプローチに関しては、なかなかの策士であり、対応に困らされてしまった。

 演技とはいえヨシュアと恋人同士になってはやりづらい。普段の生活にそれを引き合いに出されて、周囲まで勝手に盛りあがろうものなら、居づらくなる。

「楓はどう? 候補で浮かぶやついる?」

「ええっと……『美女と野獣』じゃだめ、かしら?」

 まだクラトスと恋仲を演じるほうがましだわ。

 クラトスは寝息を立て、私たちを無視してる。エイリークはにやにやと微笑むだけで、関わらせてはいけない空気をまとっていた。

 女子メンバーのひとりが、奇想天外なことを言い出す。

「……じゃあ、こうしない? エイリークがロミオで、ヨシュアがジュリエット」

 一瞬の沈黙が流れた。

 その筋の情報によれば、男女のカップリングより、男同士のカップリングのほうが女性にとって面白いらしい。私もちょっとだけ興味ある。

「そういうのは僕も、男子として抵抗が……普通にしようよ」

 飼い主のヨシュアがうろたえる一方で、クラトスは伸びやかにあくびした。立場上は私たちと同じ死神でありながら、無関係でいられるペットの特権が羨ましい。

 オルハがホワイトボードをばんっと叩いた。

「待ちなさい! 男同士だと、ドレスは誰に着せるの? それなら楓にロミオをしてもらって、わたしがジュリエットを演るわ」

 また極端な方向にぶれてしまう。だけど可憐なオルハと恋仲を演じるのは、まんざらでもない気もした。できることなら、彼女には狼のお耳を出したうえで演じて欲しい。

 死神に協調性などあるはずもなく、意見がごった返す。

「なら、もうオレと楓でいいよね」

 まとまらないのを見かねて、エイリークが名乗りをあげた。

「楓のドレスを作れるなら、オルハも、ロミオの役は誰がやってもいいだろ?」

「あなたは嫌よ。……まあ、そのあたりは脚本を書きかえれば問題ないか」

 恐れ多いことにオルハは世界的な名作を改ざんするつもりらしい。

 結局のところ、話の起点である『ロミオはエイリーク』が一番同意を集めた。

「ヨシュアくんはさ、イメージ的にパリスがよくない?」

「これ以上話してても、決まんないしねー」

 エイリークは流れを掌握するのが上手い。自分の意見を強引に押し通すのではなく、皆の総意であるかのように誘導するから、タチが悪いわ。

「ちょっと? 聞いてよ、みんな?」

 残念ながら当事者であるはずの私の意見は、参考にすらされなかった。

 結果には不満そうだったが、ヨシュアがタイトルを赤ペンで囲む。

「……はあ。それじゃ、ハロウィン祭は演劇『ロミオとジュリエット』ってことで」

 面倒なことになってしまった。

 これがエイリークの勝手に言い出したことであれば、ぶん殴って撤回させられる。しかし今回は、そもそも私が読書なんてしていたのが原因だもの。

「はあ~」

 私は両手で額を押さえ、溜息を漏らした。

 

 

 癒されたくって、クラトスの頭を撫でようとしたのは失敗だったかも。

「あんたは気楽でいいわよね、どこ吹く風で!」

 万魔殿の中庭で、私はクラトスと対峙していた。妖刀・焔を引き抜き、その切っ先まで魔力を漲らせる。だって、この子、ちょっと撫でようとしただけで、私を風の魔法でふっ飛ばしてくれたのよ?

 ガルルルッ!

 クラトスもいきり立って、魔力の暴風をまとった。前傾姿勢で前足と後ろ足の力をたわめ、弾丸のように飛びかかってくる。

「いいから黙って、頭くらい撫でさせてったら! クラトスッ!」

 私の剣ではクラトスの尻尾にさえ掠りもしなかった。

 逆にクラトスの突撃を食らいそうになり、氷魔法での防御を余儀なくされる。

 ガウッ!

「こんのおーっ!」

 狼の牙とこっちの刀で鍔迫り合いになった。実力は八位と九位、互いの魔力が拮抗し、クラトスの暴風が一帯に吹き荒れる。

 私の得意とする氷の魔法は、武器との相性が非常に悪かった。焔は炎の魔剣であって、氷の魔法とは相いれず、打ち消しあってしまう。

 中庭で繰り広げられる攻防を、ほかの死神は呆れたように眺めている。

ガルルッ! ガウ!

女性には手をあげない狼らしいが、私にはまるで容赦がなかった。

「なによ! 私は女じゃないって言いたいわけ?」

腹を立てながら、私は回し蹴りでクラトスを高めに打ちあげる。その隙に右手の焔を下げ、左手で魔方陣を描いた。

「古の盟約のもと、我に汝の力を示せ!」

水晶の欠片みたいな氷片が群れを成し、空中のクラトスを一斉に追撃する。

しかしクラトスは咄嗟に身を翻し、暴風の向きを逆転させた。氷の弾雨が散らされ、それが術者の私に目掛けて降り注ぐ。

私は真横に飛び退き、転がりつつ間合いを取りなおした。

「くっ! さすがね……やるじゃない」

ガルルゥ!

喧嘩の相手も着地して、私に飛びかかれる、ぎりぎりのラインを踏む。

 クラトスは戦いにおいて稀有な才能を持っていた。狼は先祖代々の戦闘経験を血とともに受け継ぐ、などという突拍子もない逸話も、クラトスの戦いぶりなら信じられる。

 グルル……ガウッ!

 クラトスの咆哮が衝撃波となって、荒々しく砂塵を巻きあげた。

「見え見えなのよ、それくらい!」

 私の防壁が直撃を逸らしたせいで、衝撃波は野次馬に突っ込む。しかし私もクラトスも、タフな彼らのことは意に介さず、互いに次の攻撃に臨んだ。

「てっえーい!」

 ガルルッ!

 私は刀を振りあげ、クラトスの脳天に峰打ちを叩き込むように。

 それをバク転でかわしながら、クラトスが後ろ足でまわし蹴りを放つ。

 ところが激突の瞬間、赤い火種が割り込んだ。目の前で爆発が起こり、私もクラトスも弾き飛ばされてしまう。

「えっ? ち、ちょっと、やだ! スカート!」

 スカートを押さえることに専念するあまり、私は十メートル相当の高さまで吹っ飛ばされ、きりもみしつつ落下した。先に着地したクラトスの背中へと。

 ギャインッ!

 クラトスは何も私を庇ってくれたわけではないらしい。ふたり一緒に洗濯物みたいに積みあげられ、下敷きになったクラトスが大げさに苦悶する。

 ギャン! ギャンギャン!

「そんなに重たくないでしょ、私は!」

 私はクラトスの脳天に軽く肘鉄をくれてやった。

「いい加減にしろ、お前ら!」

 厳めしい喝が割り込む。

今日の飛鳥さんは険悪なほど顔を顰め、腕組みのポーズに威圧感をまとっていた。腕組みのついでに、人差し指で上腕をとんとんと叩き、見るからに苛立ってる。

さっきの爆発も飛鳥さんの仕業ね。

「どこで暴れてる! 何度言えばわかるんだ」

「だって、クラトスがぁー。こっちは撫でようとしただけなのに」

「小学生みたいな言い訳をするな。……まったく」

 すでにクラトスとの喧嘩で消耗しているため、私は逃げることを諦めた。いつも以上に飛鳥さんが怒ってるふうなので、逆らうのはまずい、とも直感する。

 私が上から退くと、クラトスもおもむろに立ちあがった。喧嘩を続ける気はないみたいだけど、飛鳥さんに対する態度は荒々しい。

 ガルルル……。

「俺は八つ当たりなんてしていないさ」

 クラトスと飛鳥さんの間では何やら会話が成立している。

 私に八つ当たりの自覚はあった。ハロウィン祭の劇でヒロインを演じる羽目になり、その鬱憤をクラトスにぶつけて晴らそうとしただけ。我ながら動機が酷い。

 でも、飛鳥さんもって?

 やはり今日の飛鳥さんは苛立っていた。いつもなら、まず説教ありきで割り込んでくるはずで、実力行使はその後だもの。

 クラトスは顔を背け、しれっとした素振りで行ってしまった。

 野次馬が巻き添えを恐れ、道を空ける。

「待て、クラトス! ……だめだ、聞いてないか」

飛鳥さんは唇を噛むように閉じた。

 私やエイリークだったら問答無用で追いかける飛鳥さんでも、クラトスが相手だと踏み留まることが多い。素行の悪い狼といっても、クラトスは喧嘩以外に問題を起こさないからだ。喧嘩も売られた分を買うだけで、筋は通っている。

「お前もこれ見よがしに喧嘩を吹っ掛け……お、おいっ? 楓!」

 飛鳥さんが私を見て、急に面食らった。赤面しつつ目を逸らし、私の腰を指す。

「どうして穿いてないんだっ!」

「はあ? 靴ならちゃんと履いてま……」

 自分の恰好を見下ろし、私も『あっ』と大きく口を開けた。目を見開いて、あるはずのスカートが落ちている事態に驚愕する。

「きゃあああああッ!」

 スカートは引き裂かれ、足元で輪の形になっていた。クラトスの爪か魔法が届いていたらしい。あの賢い狼のことだから、狙ったに決まっている。

「ちょっと、ちょっと! なんでこんなことに!」

 私はブレザーの裾を引っ張り込んで、秘密の三角形をぎりぎり隠した。

「自業自得だろう。反省することだな」

 飛鳥さんが上着を脱ぎ、私に貸してくれる。

 長袖のそれを腰帯のように巻けば、とりあえずスカートの替わりにはなった。それでも気が気じゃなくて、私は紅潮し、野次馬の視線に耐えかねる。

 クラトスのヤツ、許さないわよ!

 しかし野次馬はあろうことか、飛鳥さんでさえ意識している、私のあられもない姿には目もくれなかった。飛鳥さんのほうに訝しげな視線を投げ、ひそひそと囁きあう。

「魔力が強いからってなあ……人間のくせに」

「あいつがおれたちの監視役になったって、本当なのか?」

 十年前まで人間だった飛鳥さんは、今でも見た目からして人間そのもの。狼の耳や鬼の角が生えているわけでもない。

それは日頃、死神たちが汽車で運んでいる『積み荷』と同じだった。自ら罪を反省することもできず、地獄くんだりまで連れてこられた、愚かな人間の魂たちと。

彼らが飛鳥さんに掛かってこないのは、飛鳥さんの後ろに魔王の息子、デュレン=アスモデウス=カイーナがいるからでしょうね。

「あ、飛鳥さん。気にしないで」

 私の心配をよそに、飛鳥さんは強気に言ってのける。

「言わせておけ。俺が人間だったのは事実だしな。その人間である俺に、あいつらは敵わないと自覚してるんだ。何とも気分がいい」

 その不遜な物言いは、まるで飛鳥さんらしくない。 

「何かあったんですか? もしかして、ハロウィン祭の出し物に不満があるとか……」

「お前が暴れていた原因はそれだな? 楓。少しは大人になったらどうだ」

 私たちは場所を変え、死神たちの目を振りきった。スカートなしに歩きまわるのは心許ないので、適当な医務室にお邪魔する。

「そこに座れ。処置をしよう」

 促されてようやく、私は膝をすりむいてることに気付いた。

「こんなの怪我のうちに入りませんって」

「見ていて気分のいいものじゃない。じっとしろ」

 飛鳥さんがてきぱきと傷口の消毒を済ませ、絆創膏を貼りつける。

 応急処置してもらうのがくすぐったくて、少し嬉しい。しかし今は際どい恰好のため、治療のついでに覗き込まれはしないか、と警戒してしまった。

「スカートとそう変わらんと思うんだが……」

「全然違います。お兄ちゃんもスカート穿いてみたら、わかりますよ」

「誰が穿くかっ! あと、誰がお前の『お兄ちゃん』だ」

 些細な冗談にも全力で反応してくれるから、このひとは面白い。

 治療を終えてから、飛鳥さんは真剣な面持ちで切り出した。誰にも聞かれないよう、無人の医務室でも念入りに声のトーンを落とす。

「万魔殿の監督に就いて早々、厄介な問題があってな……。何かのついで、くらいで構わん。お前の力も貸してくれないか」

 改まった申し出が、事の深刻さを暗に物語った。

「協力するなら、まだ提出できてない反省文は許してやろう」

「横暴ですよ、それ。まあ、いいんですけど……」

 本当に飛鳥さんが困っているなら、私だって無償で手伝うことにやぶさかじゃない。でもせっかくの報酬にしては、次元が低いわね。

 飛鳥さんは咳払いで仕切りなおした。

「霧湖町で不審死が騒ぎになってるのを、知っているか?」

 地表を挟んで万魔殿の真裏にある霧湖町では、奇怪な事件など珍しくなかった。死神がいるのだから、怪談も豊富にあるわけで。開発が遅れているのもそのせいだった。

 犯人が人間以外だったとしても、私たち死神の知ったことじゃないわ。

「先週もふたりが殺されているんだ」

 さすがに不審死なんて穏やかじゃないけど、まだ積み荷のひとつでもなくなるほうが、死神の関心を引くだろう。

 なのに私は、飛鳥さんに近い感覚で事件を捉えていた。

 なんか……嫌ね。

 人間には私たちが見えないのに、私たちには人間が見える。アドバンテージは常に死神のほうにあって、対抗手段を持たない彼らに、こっちは何でもできてしまう。

 人間だった飛鳥さんが怒ったり焦ったりするのも、当然だった。

「霧湖町での蛮行は禁止されてる。そうだろう?」

「そう、ですね」

 そもそも私たちにとって、人間と関わることにメリットはない。死神の種族によっては捕食対象にもなりうるが、過度の干渉は死神のほうが嫌う。

 ひとつは人間の世界を存続させるため。私たちの存在を知られたら、人間の社会に甚大な不安を与えてしまうことは目に見えていた。

 そしてもうひとつは、生身の人間を地獄に引きずり込まないため。

 人間は小さなきっかけひとつで、突然変異的に強大な魔力を得る。その力は地獄の社会体系そのものを覆す危険もあった。

 飛鳥さんには、第二の自分を作らせない、という気持ちもあるのだろう。

「不審死って、こっちの仕業なんですか?」

「おそらくな。デュレンにも情報を集めてもらってる」

 飛鳥さんは窓際にもたれ、地獄の星空を眺めた。

「当たり前のことなんだが……」

 そう前置きしたうえで、独り言みたいに呟く。

「霧湖町には今も家族が住んでいるんだ。無関心ではいられんさ」

 それまでの飛鳥さんの焦りや苛立ちが、すっと腑に落ちた。地上と地獄の境界線に固執する、その理由がはっきりする。

「もう十年だ。さすがにペットはもう死んでるかもしれんが」

「犬ですか?」

「うむ。だからか、クラトスには強く出られなくてな」

 飛鳥さんを目の敵にしている死神は多い。霧湖町に家族がいると知られれば、興味本位で狙われる可能性もあった。

それでも私には話してくれたことが嬉しい。そして聞いてしまったからには、私にも飛鳥さんの期待に応えたいだけの使命感が込みあげた。

「俺とデュレンで調査したところ、単独犯ではない。情報があったら教えてくれ」

「わかりました。調べてみます」

 私が表情を引き締めると、飛鳥さんは意外そうに眉をあげる。

「やけに殊勝じゃないか。楓、また何か企んでるんじゃないだろうな?」

「そりゃあ、反省文を免除してもらえますし」

「……はあ。反省文がいらなくなる努力をしてくれ」

 その期待には応えられそうになかった。

 

 

 仕事がオフの日は、さしたる用事がなくても霧湖町まで足を伸ばす。

 ついでに不審死の事件を調べてやることにした。犯人が地獄の住人であれば、殺害の動機は娯楽のほかにない。悪ふざけで他人を害するような真似には嫌悪感があった。

 そこに人間も死神も違いはないもの。

 死神は人間の世情に疎い。その生死にも無関心でいるのが当たり前だった。

 そのくせ、人間の世界で流行っているスポーツやテレビ番組には詳しかったりする。オルハはゴスロリに夢中だし、デュレン閣下もレシピには目がない。

 かくいう私も読み物に関しては、通を気取っていた。

 楽しいことには貪欲なのよ。それが一番大事なことで、死神の遊びか人間の遊び、どちらであるかは意味を成さない。逆に、楽しくないことには微塵も興味がなかった。

 だから、人間の学生みたいに嫌々勉強するなんて感覚もわからない。そろそろ受験シーズンらしく、街中では予備校の広告が目立った。

 こないだ飛鳥さん、大学受験するって言ってたっけ……。

 飛鳥さんの感覚はまだまだ人間なんだわ。もちろん人間じゃない私は、飛鳥さんと一緒に受験勉強なんてするはずもなかった。

 十月上旬になって、風はからっと乾いている。一年でもっとも過ごしやすい時期、とはいえ半袖のひとはもう見かけなかった。朝晩は霧湖町もそれなりに寒くなるのね。

 そんな小春日和に限って、私は面倒くさい相手に捕まってしまっている。

「ひとりで何こそこそしてるのさ、楓。教えてよ」

 エイリークは秋物のジャケットを羽織り、私の隣にくっついていた。今日の私たちは姿を消していないため、カップルみたいに見られてるかもしれない。

「なんでついてくるのよ。あなた、いつもは面倒がって来ないくせに」

 出不精の彼は汽車で寝ているのが恒例で、霧湖町に出ることも稀だった。私が誘えば、一応来るには来るけど、その振る舞いは一貫して素っ気ない。

 なのに今日のエイリークは、さながら私の彼氏気取り。車道の側を歩き、しきりに私の肩を抱き寄せたがる。店先のウインドウには信じられないカップルが映っていた。

「毛糸を買いに行こう」

「いきなり何よ。どうして?」

 エイリークの人差し指が、私の髪をくるりと巻く。

「冬になってからじゃ遅いでしょ。マフラー。セーターでもいいよ」

 彼氏ぶりが図々しいこいつは、私が去年、オルハにだけマフラーをプレゼントした件を未だに根に持っていた。

「今年は誰にもあげないの。去年のはほら、オルハと編んだやつを交換しようって」

 そのマフラーも女同士の遊びの一環であって、男子が期待するようなものじゃない。どうやらエイリークは、それを自分が貰えるものと思い込んでたみたいね。

「寒い思いするオレには必要ない?」

「ないわね」

 手前のウインドウに、彼氏にうんざりする彼女の呆れ顔が映った。

 大体マフラーなりセーターなりが欲しいなら、エイリークが自分で編めばいい。よく私に似せて作ってる怪しげなヌイグルミは、クオリティだけなら異様に高かった。

「楓に編んで欲しいって気持ち、わかるでしょ?」

 エスコートのひとつでもしてくれるならまだしも、エイリークはついてくるだけ。

不審死の事件について調べたいんだけど……邪魔ね、こいつ。

 狡猾なエイリークのことだから、私の行動に見当くらいはつけている可能性もあった。知らないふりをして、私がボロを出すのを待っているとしたらタチが悪い。

「そんなに欲しいわけ? 私が編んだやつ」

 盛りあげないように淡々と尋ねたものの、エイリークの顔に無邪気な笑みが咲いた。嬉しそうに私を見詰め、口角を吊りあげる。

「編んでくれるってことだよね? でないと、呪いをかけちゃうよ」

 死神の発言が物騒なのは、今に始まったことじゃない。

ただし百パーセントの冗談でもないので、不意打ちのせいもあって少し肝が冷えた。

「買えばいいじゃない」

「つれないなあ」

 やにさがりつつ、エイリークが私の肩を抱き寄せる。

そのスキンシップまで拒絶して、これ以上は下手に刺激したくないから我慢。

 ……何やってんだか、私。

 通行人の目など気にも留めず、エイリークは私とふたりきりの世界を満喫していた。頭ひとつ分の身長差が、自然とバランスのよいカップルの構図になる。

「恥ずかしがり屋さんだね、楓は」

「気色悪いこと言わないで」

 この調子じゃ、今日は調査にならないわね。

 開発の遅いこの地域には百貨店がなく、何をするにしてもショッピングモールが生命線だった。平日の昼間でもそれなりに賑わっている。

 ゲームセンターの前を通りかかって、ふと愉快な遊びを思いついた。

「ねえ、エイリーク。あれが欲しいわ!」

 私が指さしたのは、クレーンゲームに閉じ込められているウサギのヌイグルミ。

 さっきまで彼氏気取りだったエイリークが、不自然に目を逸らす。

「そ、そう? それじゃあ頑張っちゃおうかな……」

 この男は『できないことはしない』主義だ。舌先三寸ではぐらかすか、単純に逃げるか、もしくは第三者に押しつけるかする。

 でも彼氏を気取るんなら、彼女の我侭くらい聞き入れてくれないと。

「魔法を使うのはなしよ」

クレーンゲームの周囲にだけ、私は氷の結界を張った。これによって、エイリークが得意とする水の魔法は、即座に凍りつくことになる。

 これくらいの結界、エイリークなら破るのも簡単よ。水ではないほかの魔法を使うって手もある。だけど、結界を破ってまでズルをするのは大人げないし、エイリークの自称したがる『彼氏』のやることでもなかった。

「……わかった。取ってあげる」

 エイリークが袖を捲り、クレーンゲームにコインを入れる。そして緊張しつつも真摯な顔つきで、ターゲットのウサギさんと、同じ目線で火花を散らす。

 そのシュールな光景に噴きそうになった。

「やったことあるの?」

「あるよ。待ってて、集中するから」

 取って欲しいような、取って欲しくないような。

 エイリークをからかうためにも失敗してもらいたい。だけどエイリークの懸命な横顔を見ていたら、早めに成功しますように、と応援したくもなる。

 私のために挑戦してくれてるんだもの。

 間もなく天井のアームが動き出し、止まった位置で若干揺れた。エイリークが筐体の横にまわり、奥行きを確かめながら、次のボタンを押す。

 アームはヌイグルミの脇腹を捉えたが、握力が足らずに滑った。

 ところが短い足に上手く引っ掛かり、ヌイグルミを逆さまに持ちあげる。

「うそっ?」

 思わずそんな声を上げてしまった。私とエイリークの視線を釘づけにしながら、ウサギさんがクレーン筐体の外へと放り出されてくる。

 エイリークは勝ち誇った笑みを浮かべ、ヌイグルミの首根っこを無造作に掴んだ。

「どう? やる時はやるんだから」

「そんなふうに持ったら可哀想でしょ」

 ヌイグルミをプレゼントされるなんて、子どもの時以来のことで恥ずかしい。

 ……子どもの時?

 違和感はあったものの、私はそれを両手で抱き締めた。

ふわふわして気持ちいい。

「まさか一回で取れるとは思わなかったわ」

「実はずっと特訓してたんだよね。この日のために」

 エイリークは調子に乗って、あからさまな嘘を吐いた。練習してる殊勝なエイリークなんて、気持ち悪くて、想像できるわけがないのに。

 ただ、ここでヌイグルミが手元に転がり込んでくるのは計算外だった。サイズは二十センチ近くもあり、買い物の前から大きな荷物になってしまう。

「袋でももらってこようかしら」

「抱っこして歩けばいいじゃない。可愛いよ」

 エイリークの言う通り、ヌイグルミを抱いて歩くという選択肢もある。曲がりなりにも女子なのだから、私にもそれくらいの特権はあった。

 しかし私は見てくれの愛らしさより、実用性や機能美を取る。

結局、店員さんに手頃な紙袋を用意してもらい、ヌイグルミを放り込むことにした。その紙袋からウサギのお耳がぴょんと食み出す。

「行こうか、楓」

エイリークと一緒にゲームセンターを出たところで、見知った顔が通りかかった。

「あら? 楓じゃない」

オルハが私を見つけ、ぴこぴこと『それ』を動かす。

「オ、オルハ?」

「そんなに驚くこと? こっちで会うこともあるでしょう」

 街で遊ぶとなったら、カボチャが転がっているだけの城下町ではなく、誰だってこっちの霧湖町にやってくるもの。この街で死神が鉢合わせするのは珍しいことじゃない。

 しかしオルハの私服姿は、制服が義務付けられている万魔殿ではなかなかお目に掛かれなかった。紫を基調としたゴシックドレスを、可憐なフリルで飾り立ててる。

 何といっても目を引くのは、ヘッドドレスとともにある、狼のお耳。

 可愛い……触ってみたい!

 むらむらと込みあげてくる情動を、私はかろうじて理性で押さえつけた。それでもオルハの愛らしいお耳から目が離せない。

 オルハは小首を傾げつつ、私とエイリークを一瞥した。

「デートでもしてるの?」

「まあね」

「そんなわけないでしょ。誰がこいつと」

 エイリークは喜んで肯定し、私は即座に否定する。

 そんな私の素っ気ない態度も、エイリークには通じなかった。

「照れ隠しするのも可愛いよ、楓」

こいつは今、第三者にデートと思われたことと、ゲームセンターで格好がついたことで舞いあがっている。

幸いオルハは噂をまくしたてるタイプじゃないし、カップルに気を遣うようなタイプでもない。しかし適当に流してもくれなかった。

「仕事以外でも一緒なのね、あなたたち。ヨシュアがよくボヤいてる通り」

 わざわざ純情な弟を引き合いに出すあたり、性格が悪い。

「こいつは間違っても彼氏じゃないから」

「そお? まあ、そうじゃないにしても、ヨシュアにはどう見えてるのかしら……」

 これまた含みのある言いまわしだわ。しかもエイリークの前で。

 ヨシュアが私に気があるのは半ば周知の事実となっていた。ばれてると気付いていないのは、おそらく本人だけ。当然、このことはエイリークも知っている。

「お姉さんからあいつに、諦めるように言ってくれない?」

「嫌よ、面倒くさい。ゴタゴタは余所でやって」

 オルハには、まったく進展しそうにない弟を応援するつもりはないみたいね。

「それじゃ、わたしは用事が……」

彼女はすぐ立ち去ろうとしたものの、紙袋から食み出すウサギのお耳に目を留めた。途端に瞳を爛々と輝かせ、羨ましそうに迫ってくる。

「それ、取ったの? 見せて、見せて!」

 オルハ=エルベートはウサギが大好き。私の了承を得るより先に紙袋を奪って、興奮気味にヌイグルミを引っ張り出す。

「やっだ~! ゲーセンのやつ? どうして取れちゃうわけ?」

 彼女だって魔法を使えば、いくらでも手に入れられるわ。しかしそれは幼稚な『ズル』であって、オルハのように血統や矜持を重んじる種族にとっては、まさに反則だった。

 そんな彼女が嬉しそうに狼のお耳をぴこぴこさせてると、餌付けしたくもなる。

「あげるわ、それ」

 荷物になっていたヌイグルミを、私は快くオルハに譲った。

「ちょっと楓? それはオレが」

「ごめん。あとで埋め合わせするから」

 せっかく取ってくれたエイリークには悪いけど、ウサギのヌイグルミは私よりオルハのほうが喜んでくれるだろうし。私とオルハは寮で同じ部屋に住んでるんだから、ウサギさんとは部屋でまた会える。

 かくして玩具の所有権は、ルームメイトに譲渡された。

「やったー! ありがと、楓!」

 普段の彼女なら照れ隠しに気取りそうなものなのに、無邪気にはしゃぐ。狼のお耳を出している影響で、喜怒哀楽の波が大きいのかも。

「それはそうと、オルハも買い物?」

「……はあ、だったらよかったんだけど。面倒なことになってるのよ」

 ウサギさんを抱えながら、オルハはいつものクールな調子に戻った。ゲームセンターの前を往来する人間たちを眺め、気が重そうに嘆息する。

「このあたりに外部の連中が入り込んだらしくって。そいつらが人間に手を出してるせいで、わたしの一族もピリピリしちゃって。……ほんっと、大迷惑」

「ふうん。デュレン閣下もそんなこと言ってたなあ」

 エイリークは他人事みたいに肩を竦めた。

 個人営業に近い私やエイリークと違って、オルハには一族のしがらみがある。万魔殿ではそれなりの実績を期待され、また、有事の際は率先して動かなくてはならない。

「気楽でいいわよ、楓は」

「それを言われると反論できないわね……」

 私は事情を知らないふりをして、なるべくエイリークの顔を見ずにいた。

「あ、飛鳥さんに相談してみたら?」

 嘘をつくのは難しい。

 オルハがなるほどと相槌を打つ。

「そうね。でもわたし、秋津飛鳥とは接点がないから……」

「大丈夫よ。オルハだって有名なんだし」

「実力と可愛さで、でしょ? じゃあ、わたしは行くわね。また地獄で会いましょ」

 物騒な一言とともに、オルハは人ごみに紛れていった。

あちこちで『うわ?』とか『えっ?』という声が聞こえる。

「ヌイグルミだけ見えてるんだよ」

「あ。……そういうことね」

 ウサギのヌイグルミに舞いあがって、自分の姿だけ見えないことを忘れちゃってるみたい。霧湖町にファンシーな怪談が増えてしまった。

「あんなに可愛いんだから、人間たちにも見せちゃえばいいのにね。お耳をつけてる女の子だって、たまにいるんだし……」

 出発しようとした矢先、エイリークがクレーンゲームの筐体に右手を突っ張らせる。

「それよりさ、楓」

 その腕のせいで通れなくなった。距離を詰められると、それだけ身長差も顕著になり、エイリークのほうが目線が高くなる。

 気さくに笑っているようで、彼の瞳は私を捕らえて逃がさない。

「オレのプレゼントをあげちゃうなんてね」

 甘いフェイスには凶暴な舌なめずりが見え隠れした。

「わ、悪かったと思ってるわ」

 ヌイグルミが欲しかったのではなく、エイリークをからかいたかっただけのこと。それ自体はエイリークもわかっているはずで、別段悪いことじゃない。

 でも、戦利品をオルハに譲ってしまったのは軽率だったわ。

 不穏な雰囲気の私たちに、通行人がちらちらと視線を引っ掛けていく。

「ほら、見られてるし。その話はあとにしない?」

「オレは気にしないから」

 私が気にするという発想は、エイリークにはなかった。

こっちは喧嘩をしたいわけじゃないのに、気まずい空気で息が詰まりそう。それに今回は私に非があるから、強気に返せない。

「どうなの? 咲耶」

「……え?」

「ううん、楓」

エイリークの気まぐれは危険な色を孕んでいた。剥き出しの刃物を首筋に押し当てられているかのような錯覚がして、冷や汗が滲む。

 周囲の目もあって、一秒でも早く解放されたかった。

「……わかったわよ。じゃあ、て、手袋……とか」

 もごもごと口ごもるのが精一杯。恥ずかしい提案だと自覚はある。

 エイリークは満足したように口元を緩めた。

「編んでくれるってこと?」

「今年は特別にね」

 絵に描いたような壁ドンから解放され、ほっとする。

 まあいっか……去年はオルハにあげたんだから、今年はエイリークで。男女の違いは別にしても、友人の扱いで差をつけることはしないほうがいいもの。

 こいつへのプレゼントに、前向きに妥協する。

「それじゃあ、毛糸でも見に行く? 好きな色くらい注文してくれないと」

 しかしエイリークに手袋を贈るにしても、私は彼の好みを何も知らなかった。

 好きな色に限らず、好きな食べ物や趣味についても聞いたことがない。もう三年以上も友達を続けているのに薄情かしら。

「楓の好きな色でいいよ。オレもその色が好きだから」

「またそうやってはぐらかす? あとで文句言わないでよ」

 私たちはゲームセンターをあとにして、ニット店へと向かった。ところが途中でエイリークが路地の陰に隠れ、私まで強引に引っ張り込む。

「どうしたの、急に」

「しっ。……あいつらを見なよ」

 唇に人差し指を当てながら、エイリークは靴屋の店先を睨んだ。

 私も同じ方向を視線で探し、それを見つける。魔物のグループだわ。猪みたいな顔で、インナーもなしにジャケットだけ羽織っている。

「このあたりでは見かけない顔ね。あなたは知ってるの?」

「さあ? オレ、ひとの顔はあんまり憶えないからさ」

 一見すると店先でたむろしているだけのようで、きな臭い雰囲気だった。姿を消しているため、人間には異形の彼らが見えていない。

 通行人を物色しつつ、隙あらば『獲物』を捕まえるつもりだろう。

万魔殿の死神じゃないわ。まっとうな死神なら、人間に関わることを嫌うはず。

「あんなのが出るなんて、いつ以来かな」

「前はほら、デュレン閣下が撃退したってやつよ」

エイリークには彼らの凶行を止める理由や、人間を守る動機はなかった。その一方で、飛鳥さんの依頼を受けている私にとっては、見過ごせない。

「別の道から行こうか」

 彼らに関心も興味もないエイリークは、私をほかの道へと引っ張った。

「どうでもいいでしょ? 人間なんて」

「……え、ええ」

 死神としてはエイリークの感覚が正しい。 

ここで正義感を振りかざすのは、人間の価値観で動くのと同義だった。地獄の住人として干渉するのであれば、オルハのように『嫌々』でなければおかしい。

 私は『死神の秋津楓』だもの。表向きはエイリークとともに無関心でいないと、飛鳥さんと同じ異分子になってしまう。

 とりあえず連中の面構えは憶えた。飛鳥さんには悪いけど、これで充分よね。

「ねえ、楓。さっきのやつらが気になる?」

「そんなことないわ。ちょっとお腹が空いたなあって」

 私たちは人間とは違う、血生臭い世界に住んでいる。人間が死のうが、殺されようが、関係のないこと。早く慣れないといけない。

 でも地獄の感覚に慣れていないのって、なんだかおかしかった。

 

 

 身体がやけに熱っぽい。

 部屋のベッドに潜り込んで、それからどうしたんだっけ? 肌が過熱し、風邪でもひいたみたいに汗が滲む。服が背中や脇腹に張りついて気持ち悪い。

 ……なんでセーラー服で寝てるの?

 かろうじて上半身を起こし、私は自分の恰好がパジャマでないことに気付いた。

いつもの二段ベッドではなく、オルハの姿はどこにもない。それどころか寮の一室でもなかった。正方形の簡素な部屋で、窓には水色のカーテンが掛けられている。

 誰の部屋かしら?

 窓ガラスには内側にカエデの葉が何枚も貼られてあった。部屋の飾りつけにしては古風で、趣きがあるというより、奇怪でさえある。

 外は夕闇で満たされていた。昼でも夜でもない曖昧さが、時間の感覚を狂わせる。

この部屋の持ち主は中学生か高校生のようで、机の上には教科書があった。学生鞄は無造作に放ったらかしにされ、文房具を吐き出している。

私……ここがどこだか、知ってる……?

奇妙な既視感があった。どっちに窓があって、どっちに扉があるのかを、身体が憶えてるの。ここが二階で、窓から屋根を伝って出られることも知っている。

その屋根を誰かが這いあがってきた。私と同じセーラー服を着て、顔つきまで私と瓜二つ。窓の向こうから、鏡に映った分身であるかのように、同じ顔の私を睨む。

「絶対に許さないわ、あいつ」

もうひとりの私が黒い魔力をまとった。

窓の内側にあるカエデの葉が結界を張り、その侵入を防ぐ。

 戦慄を感じ、こちらの私はたじろいだ。緊迫感のせいで鼓動が早くなる。

「あなたは私……なの? 許せないって、誰のこと?」

「あいつが私に何をしたか、忘れたっていうの!」

 びしっと窓に亀裂が入った。カエデの葉が赤い液体で濡れていく。

「死神なんて殺してやるっ!」

 オレンジ色だった夕闇が真っ赤に染まった。

 

 

「ねえ、楓! 楓ったら!」

 何度も揺すられ、私はもう一度目覚めからやりなおす。

「……あ、あれ? オルハ、どうして?」

そこは万魔殿のプラットホームだった。汽車を待つうち、ベンチでうたた寝をしていたらしい。だんだんと意識が鮮明になってくる。

確か私はエイリークと一緒に地獄に戻り、例のグループについて飛鳥さんに報告した。その後、オルハと霧湖町の銭湯に行くことになったんだっけ。

でもエイリークの汽車が見当たらないから、ヨシュアの汽車に乗せてもらうことにして、それが来るのを待っていたところ。

 オルハがハンカチで額を拭ってくれた。

「うなされてたわよ、大丈夫?」

「うん。なんだか変な夢を見ちゃって」

嫌な汗をかいた分、ますますお風呂に入りたくなる。もちろん、寮の窮屈なバスユニットではなく、城下町のマグマ風呂でもなくて。

白い湯煙に包まれるくらいの広いお風呂で、ゆったりと寛ぎたい。

「夢の中でね、私、セーラー服を着ていたのよ」

「コスプレ願望があるなら、相談してくれればいいのに」

あんな気色の悪い夢を見た後では、気分転換も必要だった。銭湯で一服したら、オルハと一緒に遊ぶのもいい。

「どっか寄っていかない? お仕事なんて、あってないようなものだし」

「そんなだから反省文書かされるんじゃないの? それにしても遅いわね、ヨシュア」

 しばらくしてホームに車体を横づけにしたのは、ヨシュアのものではなく、エイリークの汽車だった。ブレーキが入り、金属の擦れる甲高い音を響かせる。

「ちょうどいいわ。楓、エイリークに乗せてってもらいましょ」

「ヨシュアは? 行き違いになっちゃうかも」

「放っとけばいいのよ。あいつもどうせ……ちょっと、なんかにおわない?」

 不快な異臭がして、オルハは顔を顰めた。私も思わず鼻を摘む。

 それはどうやらエイリークの汽車から漂ってきた。車体の外はプラットホームのランタンで照らされているものの、中は真っ暗で何も見えない。

ほかの死神らも異臭に気づき、騒ぎが大きくなる。

 監督の飛鳥さんが小走りでやってきた。

「このにおいはなんだ? 楓」

「私たちにもわからないんです。この汽車からにおってるみたいで……」

 鬼火さえ汽車に近づこうとせず、カボチャのランタンから抜けていく。それだけホームは暗くなり、禍々しい気配が威圧感を増しつつあった。

 オルハが私の裾を引っ張る。

「ねえ、楓。ほかに行きましょ。ヨシュアを待ったほうがいいわ」

「待って、オルハ。飛鳥さんひとりじゃ大変よ」

 しかし離れたがる彼女をよそに、私は飛鳥さんと並んだ。

「危険かもしれん。ここにいたほうがいい」

「危ないと判断したら、すぐ逃げますから。ちょっと……嫌な予感がするんです」

 女の勘なんて自惚れるつもりはない。

だけど、この邪悪な気配を私は知っていた。エイリークに違いない。

「わかった。気をつけてくれ」

 飛鳥さんに続いて、私も刀をすらっと引き抜く。

飛鳥さんの妖刀・火具土が炎を帯び、松明の代わりになった。一方で私の妖刀・焔は、火の力を宿しているにもかかわらず、炎を少しも発しない。

 私の氷の魔力と相殺するせいだわ。

 後ろのオルハは渋々といった面持ちで、鼻にハンカチを当てていた。それでももう片方の手には彼女の得物である、拳銃アーロンダイトが握られている。

「見て見ぬふりしたって、いいでしょうに。あなた、変なところで頑固なんだから」

「ごめん。……っと、静かにして。開けるわよ」

 私と飛鳥さんで扉の両側にまわり、少しだけ開くと、俄かに血のにおいが濃くなった。飛鳥さんが火具土の刀身だけ先行させ、真っ暗な車内に赤い炎を差し込む。

「もっと奥みたいですね」

「そうだな」

 アイコンタクトを取りながら、私たちは足を踏み入れた。

「一般車両か。棺も積んでいないじゃないか」

車両は両側に細長い椅子があって、中央にスペースを空けつつ、向かい合っている。私たち三人分の体重ではほとんど揺れない。

「ひっ!」

 不意にオルハが声を詰まらせる。

 彼女の視線が向かう先で、私もそれを見つけてしまった。

狭い車内のあちこちで、哀れな魔物たちの躯が折り畳まれるように転がっている。猪の頭からして、霧湖町で見かけた、あの余所者たちだわ。

かろうじて生きていた魔物が、足元で這い蹲りながら、私に助けを請う。

「こ、ころされる……たすけ、くれ……」

「うるさいのよ」

 オルハは機嫌を損ね、その被害者の額を一発必中で撃ち抜いてしまった。魔物が濁った血を吐き、呆気なく事切れる。

 別の亡骸を椅子にして、ひとりの死神が悠々と脚を組んでいた。背丈ほどある大きな鎌を肩に担ぎ、血塗れの刃をぎらつかせる。

エイリークだわ。

「すぐ来てくれると思ってたよ、飛鳥さん。お疲れ様」

「エイリーク……これは、お前がやったのか?」

 飛鳥さんは険しい表情で眉を顰めた。

妖刀・火具土の炎が分裂し、車内のランプへと飛び移っていく。

 血生臭い殺戮の現場に、私は言葉を失ってしまった。地獄でひとが殺されるのを、見たことがないわけじゃない。四十九日が過ぎれば、死神は罪深い人間の魂を殺す。

 それは飛鳥さんのように苦渋の決断であったり、オルハのように無関心であったりした。しかしエイリークの殺し方には歪んだ嗜虐が混ざっている。

「嫌ね、もう」

オルハは私の背中に隠れ、直視すまいと顔を背けた。

 エイリークには悪びれた様子もない。

「こいつら、人間にちょっかい出してたみたいでさ。追いかけてみたらビンゴ。飛鳥さんは忙しいでしょ? だから代わりに片づけといてあげたよ」

動かなくなった魔物の頭を踏みつけ、はにかむ。

「それにしても、やりすぎだろう」

「あぁ、ごめん。ひとりくらい残しておいたほうが、情報になったよね。でも生きたまま痛めつけたりするのって、カワイソウじゃない」

 半殺しにして尋問するくらいなら、ひと思いに殺してやったほうがいい場面もあるかもしれない。だが腹を抉り取られた躯の有様は、明らかに度を過ぎていた。

 エイリークの無邪気な笑みが怖い。

「楓もそう思うでしょ」

 分別のない子どもが昆虫を解体するかのような、歪みきった愉悦を浮かべてる。

 そんな彼の凶行に、私は嫌悪感を拭いきれなかった。

「ど……どうかしら。やりすぎに思うけど」

 結果的に彼の行動が霧湖町を守ったことは、理解してるつもり。だけどオルハほど割り切って、犯人たちの死を突き放すこともできない。

「見えないところでやればいいでしょう? わざわざ見せるなんて、悪趣味ね」

「昨日街で見かけて、楓も気にしてるみたいだったからさ」

 むしろ私の感覚は飛鳥さんのものに近かった。

「そういう問題じゃない」

 飛鳥さんがげんなりとして、溜息をつく。

「そっか、掃除が大変だよね。外で殺ればよかったか」

「そういう意味でもないっ!」

 生粋の死神とは価値観が違いすぎて、飛鳥さんの苛立ちは募るばかり。

 殺しに対する飛鳥さんの嫌悪感は、私には充分に伝わってきた。これまでにも何度かエイリークの殺戮を目の当たりにしたけど、こんなこと、決して好きになれない。

 エイリークが呆れたように視線を降ろした。

「やっぱり飛鳥さん、まだ人間だね。死神になりきってないよ」

 見下すような目つきで、人間だった飛鳥さんを挑発する。

 けれども飛鳥さんは動じなかった。

「……もういい。お前がやったことは、完全に間違いというわけでもないしな。あとは街のほうで不審死事件が終われば、この件はよしとしよう」

 普段の飛鳥さんなら、怒り心頭になってもおかしくない。それを堪えるのは多分、家族の存在があるからだわ。霧湖町を守るため、自分の感情を抑えてる。

 飛鳥さんの放った炎が亡骸を燃やし始めた。

「わっ、ちょっと?」

 慌ててエイリークが躯から飛び退く。

「小悪党だったのかもしれんが、せめて弔ってやるくらいはな」

 魔力の炎は車両に燃え移ることなく、亡骸だけを灰にした。血のにおいが単なる煙のにおいに変わり、殺戮の事実をかき消していく。

「死神というやつは……」

 飛鳥さんの横顔は憂いを帯びていた。

 これで家族が脅かされる心配はなくなったけど、結果が本意ではないみたい。

 ――ほんと、これだから死神は。

 何も喋っていないのに、頭の中で私の声が反響した。気味の悪い汗が滲む。

弔いの炎が消えるのを見届けてから、私はオルハとともに踵を返した。

「お風呂に行きましょ、オルハ。そろそろヨシュアも来るわ」

「そうね。においがついちゃったら嫌だもの」

 エイリークも着いてこようとする。

「そんじゃ、オレもひとっ風呂」

「変態は来ないで。こないだ覗こうとしたの、あなたなんでしょ?」

「し、知らないって! それは誤解だってば!」

 信用ならない色男を、飛鳥さんが肩を掴んで引き留めた。

「ところで、エイリーク? この間の反省文をまだ受け取っていないんだが……」

「や、やだなあ。出したよ? 飛鳥さん」

 飛鳥さんの魔力が鎖を引き、エイリークを捕縛する。

「今日はみっちり付き合ってやろう。なあに、遠慮するな。楓から聞いてるぞ、こんなふうに縛られるのが好きなんだろう?」

「待ってよ、飛鳥さん? 今はお風呂のほうが大事じゃない?」

「なら、あとで俺と風呂に行こう。ふっ、牛乳くらいはおごってやるさ」

 飛鳥さんのほうが一枚上手。

 晴れて反省文を許された私は、エイリークを見捨てた。

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