忘れられたBAD・END

第-1話

 大陸を穿つ巨大な穴。

フランドールの大穴――それは『災厄』が始まる地とされ、数多の呪いを蔓延させたという。五十年前のシビトの脅威もまた、災厄のひとつに過ぎない。

 だが、その五十年のうちにひとびとは大穴の恐怖を忘れてしまった。フランドール王国に代わって、タブリス王国が開発を進めるべく、前線基地を建設。大陸中から腕自慢の冒険者たちが集まり、新たな都市となる。

 前線都市グランツ。いつしか街はそう呼ばれるようになった。冒険者のための施設は当然一通り揃っており、秘境の探索には事欠かない。

 街の酒場は情報交換及びパーティーの合流場所として活用される。

「聞いたか? ギルドの設立はまた見送られたってよぉ」

「タブリスにゃノウハウがねえんだろ。大穴をただの発掘現場とでも思ってんのさ」

 無論、酒の飲めない未成年はお断り。

「ガキが来るとこじゃねえんだよ。おとなしく帰りな」

「だから十七だっての、オレは」

「それを未成年っつーんだよ! じゃあな」

 少年もとい『童顔の青年』はぽりぽりと頭を掻いた。

「ちぇっ。情報収集くらいさせてくれてもいいのに……なあ、イーニア」

「そうですね……」

 十五歳らしいエルフの少女のほうが、まだ風貌も大人びている。

 シズとイーニアが前線都市グランツへやってきて、早一週間が過ぎた。とりあえず寝床は確保できたものの、実績がなければ収入もない。

 情報取集と仲間集めと意気込んでも、門前払いされるのがオチだった。

 いつもなら、この時期は田舎で畑でも耕しながら、のんびりと暮らしている。

(はあ……爺さんのやつめ。厄介払いしたかっただけだろ)

 しかし育ての親である老騎士に『男児たるもの騎士になれ』と発破を掛けられ、体よく追い出されてしまった。

 シズには昔の記憶がなく、自分の名前しか憶えていない。それでも剣の腕前はそこそこで、魔法剣という珍しい異能も有していた。一応、騎士の素質はある。

「まあいっか。オレも退屈してたとこだし……」

「え? 何か言いましたか?」

「独り言だよ。気にしないでくれ」

 そして旅の道中、イーニアと出会った。

耳が尖っているのはエルフの特徴だが、実際は人間とのハーフらしい。エルフ族は排他主義のため、赤ん坊の頃に里から追放された、という苦い過去を持つ。

 幸いにして彼女は高名な魔導士に保護され、立派な魔法使いに育てあげられた。火属性だけは不得手なものの、ほかの三属性を自在に使いこなし、多少は剣技の心得もある。

 ふたりで力を合わせ、やっとのことで前線都市グランツへと辿り着いた。

「早いとこ、武器も調達しねえとなあ……」

「魔法の触媒も足りませんね」

 けれども新米冒険者がふたりだけでは右も左もわからず、今日も途方に暮れる。消耗品の補充もままならず、無為な日々を過ごしていた。

 酒場がだめなら店で情報を、という期待もあって、手頃な武器屋へ。その武器屋にしてもこれで三軒目だった。

 ところが店に踏み入った矢先、甲高い声が響き渡る。

「せっかく冒険者の街に来たんだから、ちょっとくらいいーじゃんか!」

「やめとけ。女が出る幕じゃねえんだ」

 髭の濃い強面の店主と、小柄な少女が、何やら喧嘩の最中だった。

「冒険はしないって約束だったろ。お前から言い出したことだぞ? ティキ。……それに仲間もなし、魔法もなしで、秘境に飛び込むつもりか?」

「う。そ、そりゃそーだけど……」

 遠慮しつつ、シズは店主に声を掛ける。

「あの~。お店の剣、見せてもらっていいですか?」

「……うん? おぉ、すまねえ。恥ずかしいところを見せちまったな」

 店主はシズやイーニアの身なりに眉を顰めたが、追い返すことはしなかった。娘の相手をするよりは、子どもの客のほうがまし、と判断したのだろう。

「あ~っ! エルフ!」

 イーニアの耳を見て、少女が声をあげる。

「……はい?」

 当のイーニアは首を傾げ、ぱちくりと瞳を瞬かせた。

「お父さん、エルフは絶対、店に入れないって言ってたじゃん! そんなにわたしの話が聞きたくないわけ?」

「よせ、ティキ。客の前で失礼だぞ」

「こんな時だけ、そーやってぇ! 何がドワーフ一の鍛冶屋よぉ」

 大昔からドワーフ族とエルフ族は犬猿の仲という。今はホルート(ホビット)族が間に入っているおかげで、目立った衝突はないものの、睨みあいは続いていた。

 その点、早々にエルフの里を追い出されたおかげで、イーニアは偏見だらけの歴史認識から解放されている。

「誤解しないでください、親父さん。イーニアはハーフエルフですから」

 相棒が純血のエルフではないことを強調すると、店主の物腰も柔らかくなった。

「そうだったのかい。そんなら話は別だ、ゆっくりしていきな」

「……へ? ハーフエルフって何なのさ?」

「え? あの、私に聞かれても……」

 ただ、イーニア本人は今まで『エルフの血族であること』をさして意識していなかったらしい。あちこちでエルフ扱いされるたび、きょとんとした。

「どんな剣が欲しいんだ?」

「なるべく丈夫なやつを……今使ってるのが、もうこんななんです」

 シズはがちゃがちゃと剣を抜く。

 その傷み具合に職人気質の男は目を丸くした。

「……どんな使い方すりゃあ、こうなっちまうんだ? 坊主」

刀身は歪みが酷く、切れ味も大幅に落ちている。

「魔法剣を使いすぎて……普通の武器だと、耐えられないみたいでして」

 十八番の魔法剣にもデメリットは存在した。負担が大きいせいで、よほど出力を抑えない限り、すぐに武器が壊れてしまう。

 武器屋の主人は強面なりにはにかんだ。

「なぁるほど! 坊主、若いのに大した力を持ってんじゃねえか。気に入ったぜ」

 そして、いそいそと一振りの剣を勧めてくる。

「そんな剣じゃ練習もままならねえだろ。これを使いな、安くしといてやる」

「え? こ、これって……」

 目利きのイーニアが白銀の材質を一発で言い当てた。

「シルバー鉱ですね。魔力が馴染みやすい金属ですから、魔法剣と相性もいいはずです」

「結構な値打ちもんじゃねえのか?」

 とても新米冒険者の手が届く品ではない。

「そいつは中古……遺品ってことで、うちで引き取ってなあ。縁起が悪いってんで、買い手がつかねえのさ。ほら、柄んとこに紋章が入ってんだろ」

 シルバーソードには一角獣の彫刻が刻まれていた。

「何ヶ月か前に解散した、聖獣団ってとこの戦士が使ってたそうだ」

「形見……なんですね」

 この剣でパーティーの先陣を切った戦士は、もういない。

 ひとしきり黙祷を捧げてから、シズはシルバーソードを受け取った。

「ありがとうございます、親父さん。オレの手には余るかもしれませんけど……」

「精進するこった。メンテナンスもしてやっから、持ってこいよ」

 グランツに来てから一番の幸運かもしれない。いくつかの偶然が重なったおかげで、シルバーソードという逸品を手にすることができた。

「イーニアはどうする? 一応、剣も使えるんだろ?」

「いえ、私は……触媒の相場もわかりませんし」

 武器屋をあとにして、シズたちはグランツの大通りを歩いていく。

「どっかで仕事も見つけねえと、ジリ貧だなあ、オレたち」

「あれもこれも足りませんからね。正直、私もこんなことになるとは……」

 記憶喪失の少年と世間知らずの少女。このペアが要領を得ないのも当然だった。グランツへ来る途中はまんまと騙され、相場の二倍で物資を補給したこともある。

(イーニアはぼーっとしてっからなあ……オレがしっかりしねえと)

 今後を相談しつつ、手頃な魔法屋を探していると、妙な気配を感じた。

「……?」

 シズが振り返ると、小さな影が慌てて路地に引っ込む。

「どうかしたんですか?」

「ちょっとな……次の角曲がったら、止まってくれ」

 シズたちはペースを変えることなく大通りを右に外れた。それに遅れて、追跡者も同じ角を曲がろうとする。

「さっきから何のつもりだよ? お前」

「うわああっ?」

 こちらが仁王立ちで迎えてやると、彼女――武器屋の娘は腰を抜かした。

「確か……ティキさん、でしたね」

 ティキはばつが悪そうにそっぽを向き、口を尖らせる。

「気付いてたわけ? だったら、普通に声掛けてくれればいいのに……」

「そっちが普通に声掛けろよ。なんだって、オレたちのあとをつけてきたんだ?」

 ドワーフの少女はすっくと立ちあがり、袖を捲った。

「あんたたちって冒険者なんでしょ? わたしも仲間に入れてもらおうと思ってさ~」

 その腕が力こぶを膨らませる。

「わたしはティキ。お父さんと一緒にグランツへ来たの。どう?」

 ドワーフ族は筋力に長けるという特徴があった。これは先天的なもので、人間やエルフに比べると、明らかに差が出てくる。確かに『ドワーフ』の戦士は強い。

「冒険って……さっき親父さんに猛反対されてた、あれだろ?」

「お父さんは関係ないってば」

 シズにも彼女の事情は読めてきた。

 父親と一緒に前線都市グランツへ来たものの、冒険稼業は許されなかったのだろう。それ以前にドワーフの少女がひとりでは、パーティーを組むことからして難しい。シズとイーニアも街の酒場では散々、門前払いの憂き目に遭っている。

 そこでティキは同世代のシズたちに目をつけ、しめしめと追ってきた。

 シズのほうも背が低いため、彼女と目線はさほど変わらない。

「パーティーにエルフがいても、いいのか?」

「エルフがどーこうなんて気にするの、お父さんだけだもん。えーと、なんだっけ?」

 イーニアは延々と聞き手にまわっていた。

「……名前を聞かれてんだっての」

「え? ……あっ、ごめんなさい。私はイーニアです」

「私はティキ。よろしくね! ふたりとも」

 シズはやれやれと肩を竦める。

「オレはシズだよ。……まあ、歳が近いほうがオレたちもやりやすいしな」

 こうしてドワーフの少女・ティキが新しい仲間となった。ティキは早速、リーダーさながらにパーティーの編成を吟味し始める。

「んーとぉ……あとは回復魔法の使い手と、トレジャーハンターも欲しいよね」

「回復魔法はオレもイーニアも、簡単なのは使えるんだ」

「そーなの? じゃあ、トレジャーハン……」

「それも大丈夫ですよ。多分」

 シズの懐から一匹のリスがひょこっと顔を出した。

「おわっ?」

「こいつはクロード。こう見えて、優秀なトレジャーハンターなんだぜ」

 このリスはシズが記憶喪失になる以前から傍にいたらしい。言葉は通じないものの、動物だけに勘が鋭く、これまでにも幾度となく窮地を救われている。

「そんじゃー、もう秘境に行っちゃう?」

「気が早いっての。触媒の補充とか、やることは山ほどあるんだ」

 三人と一匹で話しがてら歩いていると、冒険者の一団とすれ違った。その後ろを街の子どもたちが追いかけ、瞳をきらきらさせる。

「白金旅団だ! かっこいー!」

「また手配モンスターをやっつけたんだって!」

 グランツのヒーロー、白金旅団。

彼らはグランツ最強のパーティーとして、惜しみない称賛を浴びていた。数々の実績を誇り、タブリス王国からもあつい信頼を寄せられているとか。

「ちぇー。カッコつけちゃってさあ……」

「実際に格好よすぎるんだから、しょうがねえだろ」

 子どもたちが熱を上げるのも、当然のこと。装備からしてほかのパーティーとは一線を画しており、顔つきも凛々しかった。

その中にうら若い女剣士を見つけ、シズは目を見張る。

「なあ、ティキ。あの後ろから二番目のは?」

「知らないの? あれが白金旅団の天才少女・サフィーユってんの」

 サフィーユのほうもシズの視線に気付き、振り向いた。その拍子にロングヘアを翻し、剣士というより令嬢のような麗しさを醸し出す。

「へえ……才色兼備ってやつか」

 何気なしに呟くと、ティキはさも愉快そうにお腹を抱えた。

「アハハッ! シズなんて眼中にないってば。あれが誰だと思ってるわけ?」

「すごいひとなんですね。白金旅団、ですか……」

 イーニアも羨望のまなざしで女剣士の後ろ姿を見送る。

「オレたちはオレたちのペースでやろうぜ」

「だね~。……ところで、シズたちは宿とか、どーしてんの?」

「ん? ちょっとした縁があってさ」

 冒険者としての日々は始まったばかりだった。

 

 夕方にはイーニアとともにエドモンド邸に帰り、一息つく。

 ジョージ子爵は興味津々に本日の成果を聞いてきた。

「どうかね? シズ君。進捗のほどは」

「ええと、今日は武器を新調したんです。あと、仲間も増えまして……」

「ほほう! また一歩前進したわけか。感心、感心」

 居候という立場のため、シズも実のある報告ができて、ほっとする。

 前線都市グランツの近辺でジョージはモンスターに襲われていた。そこへ偶然シズたちが通り掛かり、事なきを得たのは、先週のこと。

 ジョージはシズをすっかり気に入り、屋敷の部屋まで提供してくれている。

「イーニア君も頑張ってくれたまえ。ワッハッハッハ!」

 子爵の後ろ姿が遠ざかったところで、シズとイーニアは溜息を重ねた。

「はあ……悪いひとじゃないんだけどなあ」

「お部屋も使わせてもらってますし……でも、プレッシャーは少し感じちゃいます」

 前々からジョージは冒険稼業に一枚噛みたかったらしい。このグランツで名うての冒険者を援助することは、貴族にとって大きなステータスとなる。

 ところがジョージは不遜な性格が災いしてか、なかなか冒険者と契約を成立できずにいた。そんな折にシズたちを見つけ、『青田買い』とでも思ったのだろう。

 同時にシズたちも彼の厚意には助けられた。当面は宿代も食費もいらず、冒険稼業に集中することができる。

(こりゃあ早いとこ実績を作らねえと、肩身が狭いぞ?)

 だからこそ、ジョージには冒険者としての仕事ぶりを示さなくてはならなかった。 

 こちらから頼めば、おそらく資金の提供も見込める。しかしグランツの貴族が本国から左遷されてきたという事実は、シズも噂程度に把握していた。

がめつい真似をしては、この屋敷に居づらくなる。

「っと、クロードに餌をやらねえとな」

「ふふっ。じゃあ、私はお部屋に戻りますね。のちほど、食堂で」

「おう! またあとでな」

 新米には贅沢な環境。それは自覚していた。

 

 

 準備も整ったところで、いよいよフランドールの大穴に挑む。

フランドールの大穴は場所によって地形や気候がまるで違った。ひとびとはこれを『秘境』と呼び、冒険の舞台としている。

新米冒険者にとって手頃なのは、静寂の森や、風下の廃墟など。そのあたりは構造が単純なうえ、モンスターも弱く、練習には打ってつけだった。

手始めにシズたちは静寂の森を練り歩く。

シズは剣、ティキは斧、イーニアは魔法。それぞれできることが少ないおかげで、役割分担もはっきりとした。

ティキにも戦闘経験はあるようで、重量級の戦斧さえ軽々と振りまわす。

「えっえーい!」

 アタックドッグの群れはあれよあれよと数を減らし、残りは逃走していった。

シルバーソードの血糊を拭き取りつつ、シズは手応えを感じる。

「すげえよ、この剣。こんなに軽いのに切れ味は抜群でさ」

「お父さんがやけに念入りに鍛えなおしてたからねー」

 イーニアは魔導杖をさげ、胸を撫でおろした。

「私たちでもやっていけそうですね」

「つーても、まだ大穴の入り口だしなあ……初心者コースってやつだろ?」

 その後もモンスターを軽く蹴散らしながら、森を進む。

 グランツから近いだけあって、静寂の森はすでに探索し尽くされていた。ちょっとしたハーブや茸を拾えるくらいで、大した成果は見込めそうにない。

早くもティキは退屈そうに音をあげた。

「ねえー、どうせなら竜骨の溶岩地帯とか、画廊の氷壁に行ってみない?」

「そうは言ってもなあ……オレたちじゃあ、まだ無理だろ」

 かといって、別の秘境はハードルが高い。仮に画廊の氷壁なんぞに飛び込めば、遭難の末に凍死するのは、目に見えている。

 距離もあるため、向こうで拠点を設営する必要もあった。

そのノウハウもなく、シズたちは近場で雑魚を狩るのが関の山となる。

「あーあ……少しはお父さんを見返してやれると思ったのになあ」

「まだ一日目だぞ? いきなりそんな調子で、どうすんだよ」

「だって~。こーしてる間にも、白金旅団は何万クレットも稼いでるわけでしょ?」

 シズとてティキの不満はわからなくもなかった。

 とりわけ若い冒険者は旗揚げ早々、必ずといって言いほど躓く。ろくな成果を上げられないうちに、資金も底を突き、リタイアを余儀なくされるのは恒例だった。

 無理が乗じ、ハイレベルの秘境で全滅、などというパターンも聞く。

 今のところシズたちは衣食住を確保できているものの、それも一時的なものに過ぎなかった。ベテランの冒険者たちとは差をつけられる一方で、やはり焦りも感じる。

 とはいえ、シズにはほかに目的があった。

「こんだけ街から離れりゃ、誰も見てねえだろ。イーニア、そろそろ……」

「はい。確認してみます」

 イーニアがコンパスをかざし、その針を見詰める。

「……行き過ぎちゃってるみたいですね、これ」

「静寂の森はハズレってことか?」

 シズとイーニアだけで話を進められ、ティキは目を点にした。

「それって何なの?」

「えぇと……まあ、ティキには教えちまっていいか」

 コンパスは来た道、街のほうを指す。

「オレたちはこいつで『タリスマン』ってのを探してんだ」

 それはむしろイーニアの目的だった。彼女は育ての親でもある大魔導士の指示で、遠路遥々フランドールの大穴まで来たという。

「先生は『フランドールの大穴からタリスマンを持ち帰れ』……と」

「ふぅーん。タリスマンなんて、聞いたことないけど」

 グランツの冒険者は誰ひとりとして『タリスマン』を知らなかった。シズにとっても、それどころかイーニアでさえ、その実在は定かではない。

ただ、彼女のコンパスだけはタリスマンの在り処を指し示していた。

「オレも爺さんに『騎士になれ』って言われて、グランツに来ただけでさ。これといった目的もねえから、手伝うことにしたんだよ」

「へえ~。で、そのタリスマンってゆーの、どんなやつ?」

 ティキの素朴な疑問に、イーニアは首を横に振る。

「……わかりません。先生も『タリスマン』という名前しか……」

「そいつは見つけてからのお楽しみってやつだな」

 シズとしてはタリスマンの正体など、さして興味もなかった。とりあえず行動の指針として、ほかにないから、タリスマンの捜索をあてにしている程度のこと。

「ティキも宝探しができりゃあ、それでいいんだろ?」

「うん! 探してるのもわたしらだけなんでしょ? 面白そうじゃん」

 真偽はともかくとして、グランツの冒険者はまだタリスマンの存在に気付いていない。上手く行けば、シズたちで独り占めできるかもしれなかった。

「次は坑道のほうにも行ってみない?」

「コンパス次第かなあ。どうだ? イーニア」

「こっちじゃないみたいです。そろそろ引き返しましょうか」

 やがて初夏の陽も傾く。

「グランツって、夏と冬が長いんだよね~」

「ティキはグランツ、長いのか?」

「わたしが来たのは去年だよ。お父さんが行き来するのに乗っかった感じでさ」

「私はこんなに遠くに来たことが、初めてでして……」

 などと話しながら、グランツへ戻ると、ゲートのところで別のパーティーと鉢合わせになった。白金旅団――超一流の冒険者が新米のシズたちを一瞥し、横切っていく。

「サフィーユと同じくらいだぞ。挨拶くらい、してやったらどうだ」

「え? ……はあ、わかったわ」

 パーティーでは最年少らしい女剣士が足を止め、振り向いた。

「こんにちは。あなたたちも同業者でしょう?」

「は、はあ……」

 ほかのメンバーはすたすたと退散する。シズの一行に興味などないらしい。

(嫌な感じだよね~。絶好調のパーティーだからってさ)

(黙ってろって。わざわざ挨拶してもらってんだし)

 小声でティキを制しつつ、シズはサフィーユと社交辞令を交わした。

「グランツには来たばかりでさ。三人と一匹でパーティー組んでんだけど」

「一匹? それは……」

 リスのクロードがシズの肩へよじ登り、ふさふさの尻尾を振る。

 途端にサフィーユは目の色を変えた。何やら頬を染め、わざとらしく咳払いを挟む。

「……こ、こほん。あなたのペットなのね。お名前は?」

「クロードだよ。見た目はこんなでも、オレより頭が良かったりするんだぜ。なっ」

 サフィーユの視線を感じてか、クロードはイーニアのほうへ逃げてしまった。面白そうにティキが手を伸ばすも、クロードの態度はつれない。

「わたしにも抱っこさせてよ~。イーニアばっか、ずるいってば」

「え、ええと……私の召喚獣というわけではありませんので」

「そのうちティキにも懐くさ。ハハッ」

 サフィーユとはぎこちない挨拶になりそうだったが、クロードのおかげで和んだ。サフィーユも柔和な笑みを綻ばせる。

「自己紹介がまだだったわね。私はサフィーユ。白金旅団の一員なの」

「オレはシズ。で、こっちが魔法使いのイーニアで……」

 その途中で誰かのお腹が鳴った。イーニアは赤面しつつ、正直に手を挙げる。

「……ごめんなさい。急に力が抜けちゃいまして」

「オレも腹が減ってきたとこだよ。そんじゃあ、オレたちはこれで」

「ええ。またね」

 話が長くならないうちに切り上げ、今日は解散することに。

「ばいば~い! また明日ねー」

「寝坊するなよー」

 ティキを見送ってから、シズとイーニアもエドモンド邸へと戻った。

 

 

 翌日も、翌々日の探索を進めるものの、コンパスの針は逆を指す。青き坑道でもコンパスは来た道に向かう一方で、シズたちは溜息を重ねあわせた。

「どうなってるんでしょうか……」

「そのコンパス、壊れてんじゃないのぉ?」

 イーニアの胸元にあるコンパスを、ティキが背伸びで覗き込む。

 グランツに来る以前、コンパスはずっとフランドールの大穴を示していた。ところが、大穴に入ってからは針も逆転。

シズは腕組みを深め、考え込む。

「壊れてねえとすりゃ、方角は正しいわけで……まさか、グランツに?」

 そう考えれば、針の動きにも一応の説明がついた。フランドールの大穴に入るたび、ターゲットを通り過ぎてしまうのは、タリスマンが『街』にあるため。

「え~? じゃあ、無駄足だったってこと?」

「街に戻って、探してみましょう。何かわかるかもしれません」

 シズたちは早々と青き坑道を出て、前線都市グランツへと引き返した。

人目に触れないように注意しつつ、コンパスをかざすと、針の向きが変わる。

「こいつは当たりか?」

 前線都市グランツは十年ほど前、大きな丘の上に建造された。その途中、地下で謎めいた遺跡が発見されたものの、構わずに建設が進められている。

 遺跡の一部は角のような形で地面から突き出していた。街の中にもいくつかあり、タブリス王国の学者が参考程度に調べている。

「あ……また行き過ぎてます。戻ってください、シズ」

「もう少しあっちのほう、か……街ん中で合ってるっぽいな」

 コンパスを頼りに歩を進め、やがてシズたちは場所を突き止めた。

 一際大きな豪邸を仰ぎ、イーニアもティキも唖然とする。

「……どーすんの? シズ」

「参ったな……勝手に入るわけにも、いかねえし」

 よりにもよって、ゴールは白金旅団の屋敷だった。スポンサーに本国出身の大貴族を迎え、資産家ばりの富を築きあげている。

 当然、無断で入ろうものなら、王国軍さえ敵にまわしかねなかった。

 しかしコンパスは依然として屋敷の中を指している。

「……サフィーユの友達ってことで、中に入れてもらうか」

 シズの提案にイーニアは頷き、ティキは呆れた。

「そうですね。サフィーユさんも『またね』って言ってましたし」

「友達って……本気で言ってんの?」

 屋敷の周囲でうろうろしていて、悪目立ちしてもまずい。シズたちは腹を括り、正面玄関から堂々と白金旅団の本拠地を訪問した。

「ようこそいらっしゃいました。失礼ですが、当屋敷に何のご用でしょうか」

 いきなり格式の高い執事に出迎えられ、気後れしそうになる。

「えっ、えーと……オレたち、サフィーユさんの友達で……そうだ、一緒に食事でもと思って、誘いに来たんですけど」

「左様でございましたか。では、ご案内致します」

 ジョージ子爵のエドモンド邸さえ霞むほどのスケールだった。街の歴史からしても新築に近いはずで、柱や壁には光沢さえある。

 屋敷の傍には白金旅団のための訓練場まである豪勢ぶり。

「せいっ! せやあ!」

 サフィーユはひとりで稽古に励んでいた。ティキにも負けず劣らずの重量武器を軽々と持ちあげ、空を切る。

「でかい剣だなあ……なんてゆーんだ? あれ」

「ツヴァイハンダーってゆーの。まっ、武器のことなら何でも聞きなよ」

「……シズ? どうしてここに?」

 来客に気付き、彼女はふうと一息ついた。

 イーニアはコンパスを隠し、困惑の色を浮かべる。

「え、えぇと……」

「一緒にご飯でもと思ってさ。ついでに、そう、秘境のこととか聞きたくて……」

 出まかせになってしまったものの、話の筋は通っていた。

シズたちのような経験の浅いパーティーを、わざわざ指導する物好きはいない。大抵は煙たがられるのがオチで、酒場で情報収集することもできなかった。

「わたしもお店で、お客さんがぼやいてんの、ちょっと聞く程度だしさあ」

「だろ? だから、サフィーユならって……迷惑だったかな」

 サフィーユは剣を収め、穏やかにはにかむ。

「迷惑だなんて……いいわよ。今日は探索もないから」

「やっぱり忙しいんですか?」

「遠方まで足を伸ばす時はね。何日も秘境で過ごすこともあるわ」

 来て早々追い返されるようなことにならず、ほっとした。しかし屋敷の中を歩きまわるには、どうしても彼女の許可なり同行が必要となる。

(どーすんの? シズ)

(そうだなあ……よし、オレに任せてくれ)

 白金旅団のメンバーはほかに見当たらなかった。今のうちにとシズは声を潜め、サフィーユに願い出る。

「ちょっとだけ屋敷を見せてもらっていいかな? ほんと、見るだけだからさ」

「見るだけって……泥棒みたいな台詞になってんじゃん、それ」

 ティキの冗談は笑えない。

 サフィーユはシズたちの風貌を眺め、頷いた。

「さすがに倉庫や仲間のお部屋には案内できないけど……いいわ。でも大きいだけで、何もないわよ? このお屋敷」

「サンキュー! イーニア、まずはどっちから……」

「ただし」

 ところが条件を突きつけられる。

 サフィーユの毅然とした表情に赤みが差した。

「そ、その……この間のリス? を、抱っこさせてくれるなら……ね」

 この女騎士様は動物がお好きらしい。

「そんなことか。いいぜ、クロード! 出てきてくれ」

クロードは鞄の中から現れ、コミカルな動きでシズの頭に乗った。つぶらな瞳でサフィーユを見詰め、尻尾を揺らす。

(おとなしくしててくれよ? クロード……)

 恐る恐るサフィーユが手を伸ばすと、クロードは素直にそこへ降りた。

「……きゃっ! もこもこしてて、ふわふわ……!」

 サフィーユの表情がみるみる緩んでいく。

「ねえねえっ、わたしにも触らせてよー。まだ一回も抱っこしてないんだからさあ」

「クロード、次はティキとも遊んであげてくださいね? うふふっ」

 女の子たちにもてはやされ、リスのクロードは鼻を高くした。

(オスだからなあ、こいつも……モンスター見たら、すぐ隠れちまうくせに)

 おかげで交渉は成立。サフィーユに同行してもらいつつ、白金旅団の屋敷をまわる。

「白金旅団のかたは今、お屋敷にいないんですか?」

「みんな、基本は出張ってるのよ。いるのは私くらいで……」

 クロードを渡し、渡されしながら話すうち、彼女の事情も少し見えてきた。

 表向きは白金旅団の天才少女だが、メンバーの中では世代の差もあり、浮きがちなのだという。かといって街に出れば、その知名度のために衆目を集める。

「……正直、あなたたちが羨ましいわ。同世代なら気兼ねもいらないもの」

「まあなあ。ティキも全然、遠慮がねえし」

「わたしを何だと思ってるわけ? シズ。あとでちょっと話そっか」

 相槌を打つ一方で、シズとイーニアは正確な位置を探った。

(どうだ? イーニア)

(この先をまっすぐです。……あれですね、きっと)

 庭の一角には綺麗な噴水がある。

 その傍にはガラス製の女神像が立っていた。透明の翼が差し掛かり、水面に金色の陽光を散らすさまが美しい。

「凝ってんなあ……白金旅団には芸術に強いやつでもいるのか?」

「スポンサーの趣味なのよ。縁起ものらしいわ」

 ティキはしたり顔で鼻を鳴らした。

「ああやって、太陽の光を間接的に水面に当てるとね、旅が成功するんだってさ」

「ふーん。グランツにゃ、変わった風習があんだなあ」

 前線都市グランツの歴史はまだ浅い。この風習にしても、おそらく一部の冒険者が持ち込んだだけで、効果も怪しいものだった。

 ただ、それなりに費用が掛かっているのはわかる。

(これだけで、シルバーソードが何本買えんだろーなあ……)

 噴水の前でイーニアが足を止めた。

「……ここです」

 シズとティキと、クロードも首を傾げる。

「ここって……噴水があるだけで、なんもねえぞ?」

「やっぱ壊れてんじゃないの? そのコンパス」

 ぽろっとティキが口を滑らせてしまった。サフィーユが怪訝そうに眉を顰める。

「コンパス? ……あなた、さっきから何をやってるの?」

 イーニアがこそこそコンパスを確認していたことも、ばれていた。それをサフィーユに取りあげられそうになり、イーニアのほうも抵抗する。

「ちょっと見せて!」

「だ、だめです! 大事なものですから……あ?」

 コンパスはイーニアの手から滑り落ち、シズの足元へ転がった。

「大丈夫だよ。どこも割れたり……」

「えっ? シ、シズ?」

 それをシズが拾った途端、コンパスが眩い光を放つ。

「うわあっ? ど、どうなってんだ? これ」

「タリスマンに反応してるんです! 間違いありません、ここにタリスマンが……」

 噴水の水面も同じ色で輝いた。

 不意に身体を引っ張られ、シズもイーニアもふわりと浮く。

「あれ? イーニア、レビテートでも使ったのか?」

「ち、違います! おそらくコンパスが」

 ティキとサフィーユ、クロードも同じ力に捕らわれてしまった。

「あわわっ! な、なんで?」

「転移だわ! 栄光と灰の迷宮にあったのと、同じ――」

 そしてひとりずつ光の水面へと吸い込まれていく。

「うわああぁああっ!」

 青い空が逆さまになった。

 どっぼ~ん、と水柱が噴きあがる。

(あ……あれ? なんだこれ、深すぎねえか?)

 さしものシズも水中で慌てた。何しろ浮き身が大の苦手で、カナヅチに近い。

 イーニアが手を伸ばしてくる。

(シズ……!)

(イ、イーニアっ!)

 間もなく重力が消失し、上も下もわからなくなった。

 

 

 

第-2話

 

 

 

 どことも知れない闇の中、その宮殿は密かに佇んでいた。

 壮麗ではあるものの、石材は色が褪せている。それこそ何十年、何百年と放置されていたかのような印象さえあった。

なのにカーペットはおろしたての服のように新しい。

 柱や壁の一部は燭台となっており、ゆらゆらと等間隔に火を揺らめかせた。

 エントランスホールの中央では大きな時計が時を刻む。しかし針は短針が二本、長針が三本とでたらめで、うち数本は逆まわりしていた。

 その奇怪な時計を前にして、シズたちは呆然と立ち竦む。

「……どこなんだ? ここは……」

 さっきまで白金旅団の屋敷にいたはずだった。ところが、コンパスと噴水が強烈な光を放ち、それに飲まれて――あとのことは憶えていない。

 全員がびしょ濡れで、ぽたぽたと水滴を滴らせた。ティキのくしゃみが響く。

「……へっくし!」

「大丈夫か? 今、魔法で火を焚くからさ」

 サフィーユは青ざめ、口を押さえる。

「この、お腹の中身がひっくり返る感じ……テレポートしたのよ。私たち」

「ええっ? それがホントなら、すっごいじゃん!」

 テレポートなど突拍子もない話に思えた。だが、この状況では『全員が同じ夢を見ている』といった解釈よりも現実味がある。頬を抓ってみたところ、痛かった。

 クロードは身体を振って、水を散らす。

「どーやら大当たりみたいだぜ? イーニア」

「そうみたいですね。シズ、これを見てください」

 イーニアのコンパスは形を変え、立体的なビジョンを浮かびあがらせていた。シズには読めないが、不思議な文字も出てくる。

「アスガルド宮……」

「読めるのか? イーニア」

「はい。ここは『アスガルド』という名のお城だそうです」

 宮殿の中は肌寒い寂寥感で満たされていた。住人の気配はまるで感じられない。

 サフィーユは腕組みのポーズでシズたちを見据えた。

「私にも説明してもらえるかしら?」

「……そうだな」

 こうなってしまった以上、話さないわけにもいかない。シズはこれまでの経緯と、タリスマンの存在についても彼女に打ち明けた。

「フランドールの大穴にタリスマンが……俄かには信じられないわね」

「オレたちにもそいつがあるかどうか、わからねえんだ」

 だが、シズにしてもイーニアにしても、自分たちの説明に確信が持てない。そもそも、ここが『フランドールの大穴』であることさえ疑わしかった。

 遥か上にある天井をティキが仰ぐ。

「ひょっとしたら、ここ、地下の遺跡なんじゃない?」

「それはないと思います。外は風が吹いてるみたいですし……」

 窓は見た目こそ空洞だが、何かに阻まれ、手を通すこともできなかった。城の外には前線都市グランツに似た街並みが広がっている。

 アスガルド宮と同様、住民の姿は見当たらなかった。

「……ひっ?」

 不意にイーニアが怯え、瞳を強張らせる。コンパスには新しい文字が浮かんだ。

「あ、あの世のグランツって……書いてありますよ? これ」

 シズの背中にも寒気が走る。

「あの世って……じゃあオレたち、死んじまったのか?」

「そそ、そんなわけ……ほら、脈だってあるし?」

 ティキも顔面蒼白になって脈拍を数えた。

 サフィーユは背中のツヴァイハンダーに手を伸ばし、しっかりと握り締める。

「とにかく調べてみるしかないわね」

「ああ。じっとしてても、しょうがねえしな」

 秘境から帰ってきてすぐの調査だったため、全員が武器を持っていた。シズは剣、イーニアは杖、ティキは斧があるのを、その手で確かめる。

「ね、ねえ……ちょっと気になったんだけど。どうやって帰るのぉ?」

「……そいつも調査の結果次第だ」

 シズの魔法で少しでも服を乾かしてから、一行は手始めに正面のルートへ進んだ。シズたちの足音だけが響き、無人の王宮は不気味な雰囲気を醸し出す。

「お、脅かすのとか、なしだかんね……?」

「お前こそ。急に大声出したりすんじゃねーぞ」

 逸早くサフィーユが大剣を抜いた。

「何かいるわ。気をつけて!」

 回廊の床に黒い染みのようなものが現れる。

それはぼこぼこと沸騰し、腕のような形となって続々と飛び出してきた。

「気持ち悪ぅ~! 何よ、あれ?」

「先生に聞いたことがあります! マッドハンドです!」

「早く構えろ、来るぞ!」

 唐突な遭遇のせいで間合いを取りきれず、交戦を余儀なくされる。

 先陣を切ったのはサフィーユだった。

「はあッ!」

 重量級のツヴァイハンダーを振るい、マッドハンドを何匹もまとめて引き裂く。負けじとティキも小さな身体で戦斧を抱え、勢い任せに振りおろした。

「こっちだってぇ! エヘヘ、舐めないでよねー」

 しかしマッドハンドは数が多いうえに素早く、すぐに間合いを詰められる。

 サフィーユもティキも武器が大きいせいで、次のモーションがやや遅れた。が、そこへシズが割って入り、得意の魔法剣で牽制を繋ぐ。

「ふたりはでかいやつをやってくれ!」

「ええ! ティキ、あなたは右をお願い!」

「わかってるって!」

 そしてシズが反転すると同時に、サフィーユとティキでクリーンヒットを叩き込む。

 行き当たりばったりのパーティーにしては息が合っていた。イーニアの詠唱が終わるのを見計らって、シズは前衛のツートップに後退を合図する。

「ふたりとも、さがれ! ……撃て、イーニア!」

「はいっ! ウインドカッター!」

 イーニアの杖から風の刃が放たれた。

マッドハンドは地面すれすれで影から千切れ飛ぶ。本体と思しき影も小さくなり、間もなく消えてしまった。シズたちは武器を収め、ふうと息をつく。

「……見た目にはキツかったけど、呆気なかったな」

「こっちの作戦がよかったのよ。イーニアの魔法も大したものだわ」

「わたしはなんも考えてなかったけどね」

 イーニアは不可解そうにてのひらを見下ろした。

「どうかしたのか?」

「さっき魔法を使った時、違和感があって……」

 世間一般にいう『魔法』とは、大気中の精霊に供物を捧げることで発動する。古代に生贄などといった風習が存在するのも、このメカニズムを踏襲したものと考えられた。

「もしかしたら、ここは精霊の力が希薄なのかもしれません」

 魔法学とは縁のないティキが目をまわす。

「ええっと……つ、つまり?」

「帰ってから、ゆっくり説明してやるよ。じゃあ、魔法の効果に影響も?」

「微々たるものですけど。でも、触媒は少し節約できそうです」

 この事実は、アスガルド宮がフランドールの大穴とはまったく別の場所にあることも意味していた。単純に地下などではない。

「まっ、オレの魔法には影響ねえみたいだけどさ」

 得意げにシズは光球を浮かべた。サフィーユは目を丸くする。

「……シズ? あなた、触媒は……」

「どーいうわけか、触媒がなくても使えるんだよ。オレは」

 シズの魔法は一般のものから大きくかけ離れていた。触媒を必要とせず、己の魔力だけで発動させることができる。

「へ~! 便利じゃん。お金も掛からないし、いざって時にもさあ」

「まあな。これはこれで、デメリットがねえわけじゃないんだけど……」

 ただし本人の消耗が激しい、魔力の回復に時間が掛かるといった問題も抱えていた。

「私も聞いたことがないわ。あなた、一体……」

「実は『記憶喪失』でさ。オレも自分のことは知らないんだ」

 できもしない昔話は切りあげ、先を進む。

 正面のルートは構造そのものは単純で、迷うこともなかった。やがて一本道の回廊は突き当たり、奇妙な部屋へと辿り着く。

「あれは何かしら……パイプオルガン?」

 床から天井まで無数の管が通っていた。サフィーユの言う通り、豪奢なパイプオルガンに見えなくもない。根元には鍵盤のようなものもある。

「わたし、ピアノ弾けるよ?」

「え? ティキが?」

「お父さんが『女なら弾けるようになれ』って、無理やりね。……信じてないな?」

 中央の床は鏡張りになっていた。イーニアはスカートを押さえ、尻込みする。

「あの……これ、映っちゃうんじゃないですか?」

「み、見たりしねえって……んっ?」

 その時、再びイーニアのコンパスが輝いた。

 足元の鏡も同じ光を帯び、まるで水面のように揺らめく。

「またテレポートすんのか?」

「……もしかしたら、これでグランツに帰れるんじゃないかしら」

 サフィーユの予想に根拠はなかったものの、期待はできた。シズたちは腹を決め、光が消えないうちに鏡の中へ飛び込む。

「こうなりゃ、運試しだ! 今より悪い状況には、ならねえだろうしな」

「オッケー! みんな、忘れ物しちゃだめだかんねー」

「あ、待ってください! 私も――」

 アスガルド宮が逆さまになったような気がした。

 

 白金旅団の屋敷の一角で、シズたちはおもむろに身体を起こす。

「……帰ってこれたな」

 シズの懐からクロードも顔を出し、きょろきょろとあたりを見まわした。イーニアやティキ、サフィーユも無事に帰還を果たしている。

「あ~、びっくりした……ほんと、何がどーなってんだか」

「とりあえず、行き来はできるってことですね」

 コンパスはイーニアの手にあった。女神像の噴水とコンパスを合わせることで、何かしらの条件が揃い、『あの世』とやらのアスガルド宮へ転移できるらしい。

 ただ、またもびしょ濡れになってしまった。

 サフィーユが額を拭う。

「テレポートは苦手なのよ……あなたたちは大丈夫?」

「わたしは平気。お腹の中がひゅ~ってするの、割と面白いし」

 ティキは小柄な身体で胸を張った。

 シズは神妙な顔つきで顎を押さえ、思案に耽る。

「……あの城のどっかにタリスマンが隠されてる、ってことかな? イーニア」

「その可能性は高いと思います」

 シズの懐からクロードが飛び降り、草むらの中で何かを見つけた。

 そこには石板がひとつ。コンパスと同じ素材のようで、折り畳み式らしい。

「なんだ、こいつは? ……おっ?」

 それを開くと、立体的なビジョンが浮かびあがった。先ほどコンパスから出たものより明瞭で、はっきりと『建物の構造』だとわかる。

「これ……アスガルド宮だわ! ほら、ここが入り口で……」

「そうか! こうまっすぐ来て……間違いないな」

 立体マップはシズたちが歩いた部分しか出てこなかった。当然アスガルド宮を探索するなら、この石板の利用価値は高い。

「じっくり調べてみようぜ、イーニア、ティキ」

「うんうん! こーいうの待ってたんだよね。宝物だってあるかもだしさ」

「はい! タリスマンはきっと、あのお城の中に……」

 今後の方針は決まった。シズたちはアスガルド宮を徹底的に調査することに。

 サフィーユがシズに手を差し出す。

「迷惑じゃなかったら、私にも手伝わせてもらえないかしら? もちろん、白金旅団のみんなには一切口外しないわ。……あなたたちの仲間として、一緒に」

 天才剣士の助力を得られるなど、願ったり叶ったりだった。シズのほうからも手を差し伸べ、固い握手を交わす。

「そいつは心強いぜ。改めてよろしくな、サフィーユ」

「ええ! イーニア、ティキもよろしく。いくらでも頼りにしてちょうだい」

「こ、こちらこそ……サフィーユさん」

「歳も近いんだし、もっと気軽に呼びなってー。イーニア」

 何とも心強い味方が増えた。

「へっくし!」

 くしゃみも重なる。

 

 

 翌日は屋敷で夕飯をご馳走になる。

「いいんでしょうか? いきなりお邪魔して、ご馳走になっちゃって……」

 イーニアは遠慮するも、ティキは無邪気な笑みを弾ませた。

「気にしない、気にしない。走ってきたから、も~お腹ぺこぺこ~」

 今夜は外食という話を父親にし忘れていたため、ひとっ走りしてきたらしい。

「親父さんはなんて?」

「好きにしろってさ。まっ、うちは夜、お店で食べてっから」

シズとイーニアはエドモンド邸の執事に夕飯の旨を伝えてある。

「白金旅団のメンバーに何か言われなかったのか?」

「いいえ。むしろ大喜びされちゃったわ」

白金旅団の面々にしても、天才少女との距離は掴みかねているようだった。

最初のうちは遠慮もしたが、だんだん肩の力も抜けてくる。

「美味しいですね、これ。私は料理ができませんから、不思議なくらいで……」

「ジョージさんとこはもっと味が濃いもんな。あれもあれで美味いけど」

 前線都市グランツは流通ルートが未完成のため、市場の食材にも偏りがあった。それでもシェフの創意工夫が夕食に彩りを添える。

「サフィーユはグランツに来て、長いんですか?」

「来たのは、私が十三の時だったから……もう四年になるわね」

「なんだ。オレと同い年じゃねえの」

 もともとサフィーユはタブリス王国の騎士としてグランツへやってきたそうだった。その腕を買われ、現在は白金旅団に身を置いている。

「当時の隊長に、その、不正があって……帰るに帰れなくなったのよ。それで、白金旅団が『ほとぼりが冷めるまで』って、声を掛けてくれたのがきっかけね」

「ふーん。噂の天才剣士にそんな事情が、なあ」

 タブリス王国は前線都市グランツに並々ならない関心を寄せていた。ゆくゆくはフランドールの大穴を領有化し、商業圏の確立まで視野に入れているという。

「それって、あれでしょ? 絵に描いた……ええっと」

「絵に描いた餅ですね」

 しかし御上の理想ばかりが先行して、現場は置き去りにされてしまっていた。

 あのフランドールの大穴が『解禁』されたことで、大勢の冒険者が集まっている。その一方でシステムは構築が滞り、ギルドの創設も延期が続いた。

 ジョージ子爵を始めとする王国貴族も、実質的には左遷も同然であり、モチベーションの低迷を招いている。

「チャンスは多いはずだから、のしあがるひとも出てくるんでしょうけど……」

「まだまだグランツ商業圏ってのは程遠いわけか」

 そんな世間話もそこそこに、シズは本題を切り出した。

「ところで、サフィーユ。オレたちと白金旅団の掛け持ちでいいのか?」

 サフィーユはグラスに口をつけ、眉をあげる。

「ええ。アスガルド宮へはテレポートで行き来できるから、準備も手間取らないでしょうし。旅団のスケジュール次第になりそうだけど、手伝える時はなるべく手伝うわ」

 フランドールの大穴に点在する『秘境』を探索するにあたって、問題となってくるのが距離だった。例えば、画廊の氷壁は片道が半日ほど掛かる。

 そのうえで現地を探索するための装備も必要となった。画廊の氷壁の場合は当然、防寒具が必須となり、寝泊りできるだけの拠点も設営しなくてはならない。

 その点、アスガルド宮は行って帰ってくる分には『お手軽』だった。とりあえず武器さえ持っていけば、探索は成り立つ。

「テレポートするとこだけは、見られねえようにしないとな」

「お昼時とか狙って、行けばいいんじゃないのぉ?」

 弱小パーティーの分際で白金旅団を出し抜いているような気もした。仮に白金旅団がアスガルド宮を探索すれば、タリスマンもほどなくして発見されるだろう。

 イーニアの声がトーンを落とす。

「……どうして先生は『タリスマンを回収しなさい』って言ったのかしら……」

 それも誰にも気づかれないように、秘密裏に。

「自分で来りゃいーのに。ねえ?」

「わざわざイーニアに行かせたってのも、ちょっと引っ掛かるよな」

 タリスマンの正体にしても、現時点では憶測さえ不可能だった。名前からして護符の類にも聞こえるが、ひとが身に着けるものとも限らない。

「とにかくアスガルド宮を調べてみましょう。あれだけのお城が別次元に建ってるだけ、なんて思えないもの」

「別次元……なるほど。上手いこと言うなあ、サフィーユ」

 難しい話になってきたせいか、ティキは腕組みを深め、唸った。

「うぅ~ん……シズ、一個いい?」

「なんだよ? あぁ、前言ってた魔法の話か」

「そうじゃなくて。そろそろ、わたしたちもパーティー名が欲しいな~ってさ」

 シズやイーニアは目を白黒させる。

「……あ、白金旅団みたいな名前ってことですか?」

「それそれ。誰かに『どこのパーティー?』って聞かれた時、困るじゃん」

 確かに便宜上のパーティー名はあるほうがよかった。商談にしても、明確にパーティー名で受けたほうが、相手も混乱せずに済む。

 シズたちは一様に頭を悩ませた。

「そうだなあ……シズ団、じゃイマイチか……」

「パワフルウォリアーズってのはどう?」

「それだと、イーニアにはあまり似合わないと思うわ。そうね……エスペランサーズ、なんて格好いいと思わない?」

「ええと、パーティーの名前……黒金旅団とか、どうですか?」

 イーニアの案はボツとして、候補を絞っていく。

 餌を平らげ、クロードは満足そうに横たわった。膨れたお腹を仰向けにして、のんびりと一服する姿が愛らしい。

「クロード団!」

 全員の声が重なった。

 この日、グランツで新たなパーティーが結成される。魔法使いイーニア、武器屋の娘ティキ、天才剣士サフィーユ。それからシズと、相棒のリス。

 クロード団の小さな旗揚げだった。

 

 

 前線都市グランツの酒場は日中も営業しているところが多い。もちろん昼間は酒を振る舞うのではなく、もっぱら冒険者たちの合流や情報交換の場として用いられた。

 何度か訪れるうち、シズたちも多少は馴染む。

「あんたらみたいな若いのだけで、秘境の探検だって? やめときな」

「全滅すんのがオチだぜ、坊主」

 無論、歓迎はされなかった。実際のところ、一獲千金や大冒険を夢見てフランドールの大穴に挑む若者は、あとを絶たない。

 しかし経験不足の新米だけで踏破できるほど、大穴は甘いものではなかった。

「まっ、風下の廃墟でハイキングくらいにするこった。間違っても青き坑道や、栄光と灰の迷宮に入ろうなんて思っちゃいけねえ」

「は、はあ……」

 ベテラン冒険者たちの警告にシズは曖昧な相槌を打つ。

(オレたちが探検してんのは、『あっち』のアスガルド宮だもんなあ……)

 この数日の間に色々と情報を集めてみたが、アスガルド宮については何もわからなかった。おそらく、あの『別次元』の存在はまだクロード団しか把握していない。

「やっぱ、わたしらで潜って、調べるしかないんじゃない? アスガ……むぐっ?」

 おしゃべりなティキの口を、シズがさっと塞ぐ。

「ここじゃ周りに丸聞こえだっての」

「むぐぐ……ゴメン」

 イーニアは酒場の掲示板を眺めていた。

「お金も必要ですね。触媒とか、武器のメンテナンスにも……」

「なんでもいいから成果を形にしねえと、ジョージさんにも愛想尽かれそうだしなあ」

 アスガルド宮の調査のほかにもやるべきことは山とある。

 しばらくして、サフィーユが酒場に入ってきた。白金旅団のホープだけあって、冒険者たちも彼女には一目置いている。

「よう! 天才少女。ここんとこ、白金旅団もおとなしいじゃねえか」

「サフィーユだけか? キロのやつに話があったんだがなあ」

適当に挨拶を交わしつつ、サフィーユはシズたちのもとへ歩み寄ってきた。

「待たせたわね。行きましょ」

「おう」

 合流を済ませて、シズたちは早々と酒場をあとにする。

「……なんだ? あいつら、知り合いだったのか」

「友達だろーよ。放っといてやれって」

 冒険者たちは首を傾げていた。

 早速とばかりにサフィーユがクロードを抱え、もふもふ感を楽しむ。

「はあ~。シズ、今夜一晩、この子を預からせてくれないかしら」

 クロードはつぶらな瞳を潤ませて、飼い主のシズに『助けて』と懇願していた。

「オレの相棒なんだから、誘拐すんなっての」

「そーいやクロードって、オスなの? メスなの?」

「オスですよ。シズと同じです」

「……その言い方は合ってっけど、間違ってんぞ、イーニア」

 毒気のないオス呼ばわりに苦笑しつつ、シズは街角の遺跡を覗き込む。

 前線都市グランツはあちこちに大きな角のようなものが生えていた。地下の遺跡の一部が突出したもので、そこから内部に入ることもできる。

「王国軍のほうには一応、許可をもらってきたわ」

「サンキュ。まあ、いつ誰が入ろうが、わかんねえだろーけどさ」

 縄梯子を掛け、まずはシズがクロードとともに降りた。照明の魔法で周囲を照らし、安全らしいことを確認する。

「シズ~! わたしも降りてい~い~?」

「いいぜー! 気をつけろよ」

 続いてティキが軽快な身のこなしで降りてきた。

「へえ~、割と広いじゃん。こんな空洞が下にあって、上の街は大丈夫なわけ?」

「……あ、そっか。意外に頭いいんだなあ、ティキは」

「あのねえ……『ドワーフはバカ』っての、すっごい失礼よ?」

 武具全般に精通しているうえ、ピアノも弾けるなど、この少女は教養が深い。ただ、小柄な体型にジャケットとホットパンツというラフなスタイルで、色気は皆無だった。

 縄梯子がやけに揺れる。

「え、えぇと……これ、本当に大丈夫なんですか?」 

スカートが長いせいもあって、イーニアは梯子に苦戦していた。

「ゆっくり足を降ろすんだよ。そうそう、片足ずつ順番にな」

「は、はい」

「イーニアもパンツにしなよ。スカートじゃ、こーいう時に不便でしょ?」

「……? あの、下着なら……穿いてますけど」

 十五の少女にしてはド級の世間知らずで、シズも絶句することがままある。

三つ編みを両サイドで輪っかにするというヘアスタイルも、世間一般のセンスからずれていた。我が身ひとつでグランツへ来たため、普段着の替えも少ない。

(近いうちにイーニアの服を買わねえとな)

 最後にサフィーユが梯子をまっすぐに降りてきた。さすがに探検慣れしており、てきぱきと機敏な動作を見せる。

「梯子を外されたりしないかしら」

「大した深さでもねえし、いざって時はクロードに誰か呼んできてもらおうぜ」

 服装は王国騎士団の正装を冒険向けにアレンジしたもの。パンツスタイルでブーツを履き、さながら一国の王子様のような風貌だった。

 シズは三人の女の子に囲まれる。しかし胸は一向に高鳴らない。

(別に期待してるわけじゃねえけど……男とか女とか、どうでもよくなってくるな)

 肩の上でクロードも『やれやれ』と呆れた。

 灯かりのもとで簡単なマップを描きつつ、地下遺跡の調査を始める。

「さてと。こっちのほうから行ってみっか」

 アスガルド宮は前線都市グランツの地下にあるのでは――それを確かめるのが、今回の探索の目的だった。

 この地下遺跡は都市の建設が始まって、間もなく発見されたという。しかし本国の主導により開発が優先され、調査は後まわしとなった。

 今になってから地盤の強度を不安視する声も出ており、たまに申し訳程度の補強がおこなわれている。また、遺跡の一部は水路として改造され、グランツのひとびとの生活基盤を陰ながら支えていた。

「それほど複雑な構造でもないみたいですね……」

細長い通路が延々と続く。

 少し分岐がある程度で、いささか拍子抜けしてしまった。

 モンスターも出没せず、シズたちの足音だけがエコーを伴い、響き渡る。

「何十年……いいえ、ひょっとしたら百年以上も放置されてたにしては、綺麗ね。カビなんかも見当たらないもの」

 天井は一定の距離ごとにアーチが設けられていた。

足元まで舗装が行き届いており、建物の中にいるような気になる。壁に金属めいた光沢があるせいか、手元の灯かりは遠くまで届いた。

「……どうだ? イーニア」

 イーニアが触媒を燃やし、燻らせる。

「特に違和感はありません。至って普通の場所みたいです」

アスガルド宮はグランツの地下にあるのではないか――その仮説を裏付けるだけの根拠は見当たらなかった。やけに低い天井を見上げ、シズは首を傾げる。

「アスガルド宮に続いてる……ってこともなさそうだな」

「じゃあさ、あのお城はどこにあるわけ?」

 頭を使うのは降参とばかりにティキが音をあげた。

「今のところは『別次元』とでもしておくしかないわね。アスガルド宮も調べて、もっと情報を集めれば、また違った事実が浮かびあがってくるかもしれないわ」

「それじゃあ、またアスガルド宮へ?」

「だからぁ、その『べつじげん』ってのを説明してってば」

 サフィーユの話にしても仮説の域を出ない。

「とりあえず戻ってからにしようぜ」

 通路の途中でシズたちは踵を返し、謎めいた地下遺跡をあとにする。

 

 それを見送る人影がひとつ。

「うふふ……あの子たちもアスガルド宮を知ってるなんてね」

 彼らを酒場で見かけた時、ぴんと来た。

屈強な冒険者たちの中でも浮いた、少年少女のパーティーなど、未熟者の寄せ集めと誰もが思うだろう。しかしメンバーのひとりは白金旅団のサフィーユであって、ほかにもエルフ、ドワーフの少女と『訳あり』が並んでいる。

 ただの駆け出しではない――予想の通り、彼らは面白い話をしていた。

「あのエルフのお嬢ちゃん、それなりに名のある魔導士のもとで修行したみたいだし……男の子はシズ、だったかしら? ……色々と利用価値はありそうね」

 女魔導士は妖艶に微笑む。

 イーニアを『東のアニエスタ』の一番弟子とするなら、彼女は『西のザルカン』の一番弟子。その魔導力はすでに師を超え、今に名を轟かせつつあった。

 彼女の名はメルメダ。

「タリスマンは私のものよ。ふふふ!」

 強力なライバルがいることを、シズたちはまだ知らない。

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