ダーリンのぴょんぴょん大作戦!

第5話

 日曜日も寮生のため、L女学院は一部が開放されている。

 風紀委員のツバサ=ミザールは今日もパトロールに余念がなかった。アイドルが三人も在籍しているため、マスコミが忍び込むことも多い。

「まったく……キャロルといい、地上でおかしな仕事をしおって。あいつに至ってはもとは死神のくせに、チャラチャラと……ぶつぶつ」

 とりあえず、学院の周りをうろつく不埒な連中は片付けてきた。

先週はケイウォルス学園のほうに集中していたマスコミが、戻ってきたのだろう。怪事件の報道も少なくなり、街は平穏を取り戻しつつある。

「結局、現場に居合わせたのはメグレズだけか。やつめ、一体、何を見たのか……」

 魔眼の邪魔さえなければ、あの夜はツバサもチハヤと一緒にケイウォルス学園へと乗り込むつもりだった。おそらくメグレズは重大なことを隠している。

 それを探るためにも、真井舵輪とは協力関係にあった。今回のメグレズやキャロルの目的についても、忍法で伝えてある。

「あとはベネトナシュが手を貸してくれれば、いいんだが」

 図書室にはちらほらと利用客がいた。常連の久留間皐月も席を取っている。

「ここにいたのか、サツキ」

「図書室よ? 静かにしなさいったら」

 ツバサは彼女の向かい側に座り、声を潜めた。

「心得ているとも。……試験は終わったばかりだというのに、熱心じゃないか」

「日課よ、日課。あんたが自主的にパトロールしてるのと同じ」

 サツキがベネトナシュとしてセプテントリオンに加わったのは、二年ほど前のこと。それまでは普通の人間だったが、先代のベネトナシュが憑依レイとなったらしい。

 つまり彼女はイレイザーでもある。それにしてはアーツを一切使えず、邪法や呪法の類にばかり精通していた。

「……お前はどう見る? 先週の事件について」

「ケイウォルス学園が地獄に落ちかけたってやつ? どうかしら……」

 話しがてら、サツキは数学の問題をすらすらと解いていく。

「ナンバー同士のイザコザでしょ、多分。魔眼といったらナンバー2の十八番だし」

「やつらもわれわれのように新生しつつあるわけか。七十年前は敵対関係にあったそうだが、衝突は避けたいものだな。チハヤくらいしか喜ばん」

「だから、メグレズが友好関係を築こうとしてるんじゃないの?」

 セプテントリオンは決して一枚岩ではなかった。表向きは年長者のメグレズがまとめ役となっているものの、目の前のサツキのように足並みを揃えたがらない者もいる。

「そのうえでマイダリンを魔界の王に据え、地獄から正統な独立を果たす……だが魔界の独立なんぞ、セプテントリオンが関わることか?」

 サツキは手を止め、ツバサの疑問に意味深な溜息を重ねた。

「そうね。セプテントリオンの使命はただひとつ……人類の革新だもの」

 ツバサはやれやれと肩を竦め、かぶりを振る。

「だろう? やつがニブルヘイムに拘るのは、個人的な野望に過ぎん。われわれは体よく利用されているのさ」

「別にいいんじゃない? 迷惑を蒙るのも、あの変態だけでしょ」

 あの変態――真井舵輪の奇行の数々もツバサの頭を悩ませた。

 初めて会った時からして、彼は魔法少女のコスプレで街を歩いていた始末。飽くこともなしにパンツを求め、L女学院では奇想天外な騒動まで引き起こしている。

 挙句の果てには女子のスクール水着を着て、皆の前に堂々と登場してしまった。想像を絶する変態ぶりには、もはや言葉が思い当たらない。

 ふと、恐ろしい想像が脳裏をよぎる。

「……ちょっと待て。リンがニブルヘイムの王になったら、まずいんじゃないか? 本気で『七人の花嫁』を実現しかねんぞ」

 サツキも同じものをイメージしてしまったようで、顔を引き攣らせた。

「ニブルヘイムがスケベなハーレム王国になるわね、きっと。そのほうが色欲のミザールさんは本領発揮できそうだけど」

「じじっ、冗談じゃない! 大体、誰が『色欲』だ!」

 図書室にいるのを忘れ、つい大きな声を出してしまう。ツバサは咳払いでお茶を濁し、改めて声のボリュームを落とした。

「貴様らはみな、色欲という響きに惑わされすぎだ。本来は恋愛面の情動のことで……カイーナ級の魔王にしても、色欲のアスモデウスだけはひとの形をしてるだろう?」

「セックスするためにね」

「言葉を選べっ! まあ、なんだ……要するに、ほかの連中よりセンシティブなのさ」

 それを証明するためにも、とっておきのメモ帳を取り出す。

 詩作はツバサの密やかな趣味だった。芸術の秋だけに、筆もよく進む。

「特別に貴様にだけ新作を聞かせてやろう」

「……余所でやってくれない?」

 新作とやらを聞く前から、サツキはげんなりとした。

「チハヤは聞きもせんし、エミィは『すごい』の一点張りだからな。たまには貴様のような読書家に聞いてもらわんと、独りよがりの作品になるだろ?」

 構わず、ツバサは得意げにそれを読みあげる。

 

 紅茶色の秋。優しい風が頬を撫でる。

 それは妖精さんの囁き?

 振り向けば、メランコリックな恋が始まるかもしれない。

 こっそり近づきたいのに、紅葉さんが足音を鳴らす。

 私の視線、あなたの視線。

 その交差点に野暮な信号なんてないの。

 紅葉さんが赤いのは、照れてるからなのね。

 

 ツバサ=ミザール、会心の出来だった。

「どうだ? 秋の風景を盛り込んでみたんだが、少しクドいかな」

「クドいなんてもんじゃないわ。カルピスを水で割らずに飲まされた感じ……」

 サツキは数学のテキストに突っ伏し、『それじゃだめ』と投げやりに手を振りまわす。

「と、とりあえず……妖精はファンタジックなのに、急に信号とか出てくるのは、なんとなく違うんじゃないかしら」

「なるほど。全体で見ると、妖精のほうが唐突かもしれんな」

 サツキの意見に納得しつつ、ついでにツバサはもうひとつの自信作を披露した。

 

 私のコーヒーにはお砂糖がいっぱい。

 彼が飲んでるのはレモンティー。

 もし……今、キスをしたら、どっちの味がするの?

 レモンとお砂糖がひとつになって、とっても甘いのかしら。

 試してみたくて見詰めていると、彼が笑った。

 そんな昼下がりのロマンティック。

 

 我ながら満足のいく出来で、鼻も高くなる。

「少々、官能的になってしまったが……さっきのよりは断然、いいだろう?」

 しかしサツキは鳥肌でも立ったかのように、我が身を擦りまくった。

「か、官能的……? 本気で言ってんの、あんた」

「うん? 私はいつだって本気だぞ」

 図書室にもかかわらず、サツキの怒号が響き渡る。

「いい加減、自覚しなさいっての! このド下手くそッ!」

 ツバサは驚き、おろおろと席を立った。

「へ、下手だと? 何を言ってるんだ、お前は」

「言葉通りの意味よ! 聞いてるだけで痒いわ、寒いわ……そんなだから、誰も聞きたがらないんでしょーがっ!」

 サツキの口から唾まで飛ぶ。

 そんな彼女の憤りが、ツバサにとってはまるで腑に落ちなかった。ただ、理解してもらえない理由が、ひとつだけ思い当たる。

「貴様に認められないのも、しょうがないことなのかもしれん。天才の作品が評価されるのは、後世になってから、だったりするものだからな」

 サツキは脱力し、うわごとのようにぼやいた。

「おめでたい頭をしてるわ、あんた」

「私に言わせれば、貴様の頭が固いんだ。もっと柔軟な思考を、だな……」

 この天才と秀才とでは、価値観を欠片も共有できないらしい。

 

 

 バニーガールたちは入れ替わり、立ち替わり、輪の両隣につく。ランチのあと、右には沙織ウサギが、左には澪ウサギがつきっきりとなった。

「輪さん、もっと堂々としていてくださいませんと、ばれますわ」

「うぅ……どうして、あたしまでこんなこと」

 ふたりとも輪と腕を組むポーズで、仲睦まじさをキャロルにアピールする。

「あ、そうそう。言い忘れてたけど、そっちの扉の向こうに、ベッドとかあるからサ」

「いいっいりませんってば、そんなの!」

 この手の冗談に、潔癖症の澪は過敏に反応してしまった。

 キャロルは険しい表情で首を傾げる。

「う~ん……フリでやってんのか、本気なのか、いまいちわかんないなあー。ミオウサギちゃんのリアクションも、ツンデレちゃんとしては自然なものだしぃ」

「そんなことよりゲームの続きしようぜ。なあ、みんな」

 輪が催促すると、優希や黒江も乗ってきた。

「うんうん! ダーリンちゃん、一緒に温泉旅行、行こうね」

「まだ充分にチャンスある。次で挽回して、だーりんと景品はいただくから」

 しかし閑は戸惑い、露出が過剰気味なバニースーツを気にしてばかり。胸の生地も正常に戻ったはずだが、心許ない様子だった。

「ねえ、キャロル? 脱がせたりするのは、なしにしてちょうだい」

「そだねー。ガールズトラブルは少年漫画だし、露骨なのはNGだから、りょーかい」

 いよいよ午後の部が幕を開ける。

 キャロルの案内に従い、輪たちはビリヤード台を前にした。至って普通のもので、午前中のクレーンゲームやボーリングのように大掛かりなこともない。

「さあて、お次のゲームはラブラブビリヤード~!」

 拍子抜けするように沙織は肩を竦めた。

「ビリヤードでしたら、多少は心得ておりましてよ。みなさんはどうかしら?」

「ボクはイメージでしか知らないなあ」

「ルールは知ってる。けど、やったことないから……難しそう」

 優希と黒江は未経験のようで、閑もかぶりを振る。

「わたしも実際には……優希たちとそう変わらないわ」

 その一方で、意外にも澪は平然と頷いた。

「チア部のみんなで一度だけやったことあります。結構、面白いですよね」

「あら、澪さんが? これは油断できませんわ」

 輪も一通りは知っている。姉の蘭が好きで、付き合わされたこともあった。

「そんなに難しくねえよ。キャロル、定番のナインボールだろ?」

「経験者は三人かあ……とりあえず、ルールを説明するね」

 プレイヤーは手球(数字が描かれていない白いボール)で、もっとも小さい数字の球だけ、打つことができる。そうやって、最終的に9番の球を落としたほうの勝ちだった。

 例えば台の上に3、5、6、8、9と球がある場合、プレイヤーが手球を当てていいのは、3番だけ。それを起点にボール同士をぶつけ、9番を落とせたら勝利となる。

「やってみたら、すぐわかると思うぜ」

「今回、小難しいのはナシにしたげるからサ。9番は最高得点で、3番と6番もポイント加算ってことにしてあげる」

「この人数ですから、得点のチャンスも多いほうがよさそうですね」

 試しにキャロルはキュースティックを構え、手球越しに1番へと狙いをつけた。軽快な音とともに球がばらけ、平たい台の上を転がっていく。

「こんな感じ。どお?」

 今のところは普通のビリヤードのようで、閑はほっと胸を撫でおろした。

「わかったわ。要は3の倍数を落とせばいいのね」

「た、だ、しぃ……キューは手で握っちゃだめ、だかんね」

 またもキャロルがシルクハットを逆さまにして、カウントを読む。

「ワン、ツー、スリー!」

 キュースティックがふわふわと浮かびあがった。輪に向かって飛び、脚の間をくぐり抜けようとする。

「おわっ? ……な、なんだよ、これ?」

 それは輪の股間にくっついてしまい、離れなくなった。輪にとってはキュースティックを股で挟むようなもので、傍目には珍妙な恰好となる。

「ダーリン氏がキューになって打つの。んで、ウサギさんは狙いをつける役。ダーリン氏のキューに跨ってぇ、下半身だけで狙いを……ひっひっひ!」

 今度のゲームも案の定、破廉恥だった。澪は赤面し、わなわなと肩を震わせる。

「じじ、冗談じゃありませんっ! そんなビリヤード、聞いたこと……」

「あっれえ? ミオちゃんは頑張ったほうがいいと思うけどなあ~」

 これまでのゲームにしても、キャロルは冗談のようなルールを強制してきた。例の魔眼も睨みを利かせている以上、従うほかない。

(次から次と、変なゲームばかり思いつきやがって)

 股間にキューがあるせいで、輪は歩くだけでも平衡感覚を乱された。さして重たいものではないが、長さがあるため、弧を描くことで遠心力が掛かるのだろう。

 散らかった球は、コウモリのネーナがてきぱきと並べてくれる。

「でしたら、一番手はわたくしが」

 沙織ウサギがビリヤード台を前にした。

 台の周囲がわずかに降下する。その意味は皆もすぐに理解することとなった。

「……あ、あら?」

 台の高さに合わせて、沙織はハイヒールで爪先立つ。その高さが、沙織の脚の長さにはぎりぎりだった。その後ろで輪も背伸びを強いられる。

「ど、どうしろってんだよ? こんなの」

「ほらほら、ウサギさんのハイレグにキューをセットしなきゃー」

 閑たちが固唾を飲む中、輪と沙織は赤面しながらも、前後に並んだ。輪のキューを、沙織のフトモモの付け根がみっちりと締めつける。

「こ……こうかしら? 輪さん」

「いいと思うぜ? オレが押すから、その、沙織は狙いをつけてくれ」

 ふたり一緒にバランスを保つには、前の沙織が台に、後ろの輪は沙織の身体に掴まる必要もあった。悪いと思いつつ、輪は沙織の括れに手をまわす。

「そんじゃー、ラブラブビリヤード、スタートぉ!」

 沙織ウサギはキューの刺激に注意しつつ、慎重に右へと動いた。少し遅れて、輪も同じ方向に歩き、構えの体勢となる。

「キューが上に向いてましてよ? 輪さん。もっと水平に……」

「沙織が脚を伸ばしすぎなんだよ。擦れちまうのは我慢して、だな」

 やっと狙いも定まった。沙織はキュー越しにフトモモを擦りあわせ、ヒットを待つ。

「い、いいですわ。どうぞ」

「よし。じ、じっとしててくれよ? 沙織」

 そのキューをなるべく水平に保ちながら、輪はくいっと腰を返した。キューが沙織ウサギの股間をくぐり、一気に前へと伸びる。

 そのつもりが、意外な部分に負荷が掛かった。反射的に輪の腰が引ける。

(ひいいっ?)

 沙織は敏感なところを前後に擦られ、お尻を打ち震わせた。

「くふぅう……あっ? そ、そっちではありませんわ!」

 そのせいで、キューは狙いを外してしまう。先端は右に大きく逸れ、手球に少し掠れただけで、空を切った。

 暫定一位の彼女がミスをしたことで、ゲームの行方はわからなくなってくる。

「そんな、わたくしが……何もできないなんて」

「わ、悪い、沙織。オレのせいだ」

 しかし輪にとっては、早くもゲームどころではなくなってしまった。どうやらキューはニンジンと連動するようで、無理にキューを傾ければ、ニンジンも負荷に晒される。

 同じくニンジンが元気に反り返ろうものなら、キューも上を向いた。

(少年漫画でもアウトだろ? こいつは)

 おかげで、へっぴり腰の体勢を強いられ、迂闊には動けない。

 次は優希がビリヤード台へと臨んだ。けれどもビリヤード台には背中を向け、輪と真正面から顔を突きあわせる。

「ボク、思ったんだけどさあ……こっち向いたほうが、いいんじゃない?」

 このほうが、下半身での密着は深めやすかった。お尻の厚みに阻まれず、キューをより水平に通すことができるかもしれない。

優希は爪先立ち、後ろで台に掴まりながら、輪のキューを待つ。

「ちょっと待てよ? それじゃ、狙いがつけられねえだろ」

「ボク、ビリヤードってやったことないから。ダーリンちゃんにお任せするね」

 これでは、輪が正面から優希を抱くような形になってしまった。しかもビリヤード台の球を見据えるには、抱擁を深め、彼女の肩越しに覗き込まなくてはならない。

「わ、わかった。行くぜ?」

「……ひあぁん!」

 緊張しつつ、輪は優希の肩に掴まり、キューを進ませた。キューが優希のハイレグカットをくぐり抜け、お尻のほうへと飛び出す。

 その刺激ひとつで優希はくたっと虚脱し、輪の肩にもたれ掛かってきた。

「んはあ……これ、すっごい恥ずかしいかも……」

「す、すぐ済ませるからな? 待ってろ」

 柔らかな巨乳を押しつけられもしながら、輪はバニースーツの両サイドを引っ掴む。

(優希とエッチしたら、こういう感じになるのか?)

 彼女の温もりがダイレクトに伝わってきた。

「もうちょっと右かな。いや、逆だ」

「ええと、こお?」

 まるでベッドインの最中のようなムードが漂い、閑たちも顔を真っ赤にする。

「や、やっぱり後ろからのほうがいいと思うわ? わたし……」

「あんなふうに抱き締められたら、輪くんにはもう、死刑になってもらうしか……」

 それでも輪と優希は幼馴染み同士、息を合わせていられた。優希が唇を噛んで、堪えるのを見計らってから、輪はキューを放つ。

「んくぅ……へぁあっ?」

 キューが擦れ、優希は敏感そうにのけぞった。その後ろでキューは手球に、手球は1番に命中し、ビリヤードらしく球がばらけていく。

 運よく3番の球がコーナーのポケットに転がり落ちた。

「やったぜ! 得点獲得だ、優希」

「ほんとっ? これで沙織ちゃんは追い抜けたかなあ、ボク」

 優希は両手を胸の前で編み、恥じらいながらも健気な笑みを綻ばせる。

「これはユキウサギちゃん、一気にリード!」

 沙織は焦り始め、黒江はデータの更新に専念していた。

「まずいですわ……次の番がまわってくるまで、6番の球が残ってるかどうか」

「やっぱり何だかんだで、りんとは相性抜群だから、ゆきは侮れない」

 ゲームらしくなってきたところで、三番手には澪が名乗り出る。

「次はあたしです! 6番はいただいてみせますから」

 最下位の澪としては、ここでポイントを獲得しておきたいはずだった。球が適度にばらけ、狙いやすくなるのを待っていたのかもしれない。

 出遅れたのを悟ったらしい閑は、はらはらとした面持ちで見守っている。

「だ、だめよ? 輪。澪にまでエッチな真似しちゃ……」

「言うなって。五月道が意識するだろ」

 その一言で、澪の顔も赤々と染まってしまった。

「……あの、キャロルさん? 椅子を使ってもいいですか?」

「いーよお」

 それでも澪ウサギは椅子に右足を乗せて、股の下を空ける。これなら、両脚で爪先立つよりもバランスがよかった。

「あ、あんまり擦りつけないでください? 輪くん」

「わかってるって。だから、その……じっとしててくれよ、五月道」

 輪はキューを彼女の、お尻のほうからハイレグカットに添え、慎重に背伸びで近づく。やや上向きのキューには、澪が適度に体重を掛け、水平まで倒してくれた。

 おかげでニンジンを圧迫される。

「は、早いとこ済ませちまおうぜ。狙いはいいか」

「待ってください。もう少しこっちに……そう、そこです」

 フトモモで挟み込まれないため、キューはぶれてしまいそうだった。輪は澪の右脚を抱えるようにして、お尻への密着を深める。

「りっ、輪くん? そんなにくっつかなくても」

「これくらいがいいんだって。ほら、し、しっかり狙いをつけてくれねえと」

 興奮と動揺とがない交ぜになって、鼓動のテンポを跳ねあげた。こうやってウサギさんを抱き締めるだけでも、柔らかくて気持ちいい。

「こういう感じだぞ。行けそうか?」

「は、はい。なんとか……」

 素振りで何度か練習してから、ふたりでビリヤードに挑む。

 幸い1番の直線状に6番があった。その球に的を絞って、澪は肩肘を強張らせる。

「ど、どうぞ? お願いします」

「あれだな? よし」

 輪は器用に腰を返し、キューでまずは手球を打った。しかし1番には掠めただけで、見当違いの方向に転がっていく。

 かと思いきや、1番は7番を、そして7番が6番にぶつかった。

「行けますわ! みなさんもご覧になって」

「なんて偶然……みお、この土壇場で決める?」

ほかのバニーガールもビリヤード台を覗き込んで、6番の行方を見守る。

 6番は見事にサイドのポケットへと落下した。まさかの得点には澪も大喜び。

「やりましたよ、輪くん! 見てましたか? 今のボール!」

「み、見てたって。それより手を……」

 輪に抱きついた自覚はなかったらしい。

「え? ……きゃあああっ!」

慌てて身体を剥がそうとして、ひっくり返ってしまう。すかさず輪は下敷きとなって、澪ウサギをぎりぎり受け止めてやった。

「……ふう。大丈夫か、さつきど……うわあっ?」

 ところが、その拍子に輪の顔が彼女の、艶めかしい胸の谷間に埋まってしまった。息をするだけで、澪の芳しい香りが鼻孔を直撃し、くらっとする。

「ごご、ごめんなさい! 輪くん!」

「んもんもっ! ……ぷはっ、いいから、早くどいてくれ」

 お色気漫画家のキャロルさえ、ラッキースケベの本領発揮には驚愕した。

「恐るべし、ダーリン氏ぃ……ガールズトラブルをリアルに体現しちゃってんだね」

「りんの特殊スキル。御神楽さんとは違う意味で最強」

「最低ってだけでしょ、アレ」

 ハプニングはあったものの、これで澪もポイント獲得となる。

 さっきのプレイで球の数も少なくなってきた。未だに1番は健在だが、そこから9番を狙うのも難しくはない。それをチャンスと確信したらしい閑が、前に出る。

「今度はわたしの番よ。いいかしら、黒江」

「……どうぞ」

 黒江としては、もう少し球を減らすか、位置を変えるかして欲しいのだろう。最高得点の9番を中央に据えて、ほかの面々も火花を散らす。

「このゲームって、あとのほうが有利だったのかなあ……」

「閑さんのお手並み拝見と行きましょうか。頑張ってくださいまし」

 仮に閑と黒江がミスをすれば、無得点の沙織にもワンチャンスがあった。

「じ、じゃあ……こっちに来て? 輪」

「おう。わ、わかった」

 彼女にお尻を見せつけるような仕草で誘われ、輪はまた生唾を飲む。

 閑ウサギもほかのバニーガールに引けを取らず、魅惑のプロポーションをくねらせた。背伸びでお尻を高くし、脚の付け根をビリヤード台まで届かせる。

「くふぅ……?」

 網タイツ越しに、ボディスーツの食い込みに力が掛かったようで、俄かに彼女の吐息が色めいた。裸にも近い胸を片腕で隠しつつ、キューを待つ。

「どれを狙うんだ、閑? 先に教えてくれ」

「え? ええと、1番を右端で跳ね返して、9番をあっちのコーナーに……」

 作戦自体は悪くなかった。しかし狙いを定めるのは閑であっても、キューを打つのは輪で、しかも腰で角度や強弱を調整しなくてはならない。

 ニンジンも元気なせいで、キューに閑の体重が掛かると苦しい。

(くだらねえゲームを考えやがって……! そりゃ、漫画は面白いけど)

 緊張しながらも輪は閑の腰に手を添え、構えの体勢に入った。閑ウサギは恥ずかしがるばかりで、爪先立ちの後ろ姿を震わせる。

「い、いいわよ? 輪、早く」

「ああ。じ……じっとしてろよ? それじゃあ」

 その初々しいやりとりを、優希はにやにやと眺めていた。

「気をつけなよー? 閑ちゃん。ほんと、べ~ったり、くっつかないとだからー」

「密着の度合いはベッドインと同じ……閑にとってはイメージトレーニング」

 黒江にも淡々と分析され、閑の顔がみるみる真っ赤に染まる。

「ちょちょ、ちょっと! 変なこと言わないでったら!」

「うわ、閑っ?」

 彼女が怒って右手を振りあげた拍子に、キューの位置がずれてしまった。右寄りに打つつもりだったのに、左に逸れ、1番にさえ当たらない。

 結局、閑のターンでは手球の位置が変わっただけに終わった。

「ハイ、残念~! まあゲームなんだし、こういうこともあるから、めげないでねー」

「……え? わたしの番って、今ので?」

 呆気ない結果に閑は目を点にする。

「手球には当たっちまったからな。……ん?」

 輪の視線に黒江はしたり顔でピースを返してきた。

(さては、あいつら……閑の邪魔するつもりで茶化しやがったな?)

 優希といい、思わせぶりな発言で閑の動揺を誘ったに違いない。第四部隊の面々は付き合いが長いだけに、弱点も知られていた。同じ戦法で攻められては、澪も危ない。

「いつまで閑さんにくっついてるんですか? 輪くん」

「へ? ……あっ、悪い!」

 慌てて輪は腰を引き、閑の股座からキューを抜き取った。

「ひゃああんっ?」

 ところが、その摩擦が奇襲となったようで、閑が腰を震わせる。擦れさせまいと脚を閉じるせいで、キューにはお尻もひっついてきた。

「う、うわ?」

 おかげで、輪と閑は一緒にバランスを失い、ひっくり返ってしまった。

 反射的に閑の下へと滑り込むのが、間に合ったらしい。輪は仰向けの姿勢で、大きな曲線越しに遊技場の天井を見上げる。

「だ、大丈夫だったか? 閑……いいいっ?」

 輪の目がぎょっと血走った。

 視界を妨げているのは、ウサギさんの可愛いお尻。閑は輪の上でうつ伏せになり、しかもキューの根元にひしと掴まっていた。

「ごご、ごめんなさい! あのっ、すぐ降りるから!」

「お、落ち着けって! 息が……」

 お互い慌てふためいて、輪はとにかくお尻を離そうと、両手を張る。

 網タイツ越しにお尻の温かい感触が伝わってきた。むっちりとした曲線はてのひらに飛び込んでくるかのようで、女の香りを強烈なまでに漂わせる。

「り、輪っ? やだ、どこ触ってるの! ばか!」

「もごもご~っ!」

 ラッキースケベを目の当たりにし、沙織はすごすごとあとずさった。

「……わ、わざとやってらっしゃるのではなくて? 閑さんにしても、本当は……」

「これまでの統計上、しずかとみおは確率が高め。多分、性格的にラッキースケベの餌食になりやすい傾向があるの」

「悪いのは、いつも輪くんなんです! あたしのせいじゃありませんってば!」

 キャロルは感心しきって、何回も頷く。

「勉強になるなあ。単にエッチなシーンにするんじゃなくって、ラッキースケベを通してキャラを立たせるワケか。でも、ダーリン氏はもっと初心なほうが……」

「うるせえな。次に行こうぜ、次」

 いよいよ最後の黒江に順番がまわってきた。愛用のノートパソコンで球の動きを何十パターンも予測し、もっとも簡単でもっとも確実な攻略法を弾き出す。

「さっきのしずかで有利な形になった。これで決めるから。りん、手伝って」

「よし。こんなゲーム、とっとと終わらせようぜ」

 輪も腹を括って、小憎らしいビリヤード台を見据えた。

 これ以上キャロルに漫画のネタにされたり、メグレズの思惑通りに第四の皆から軽蔑されるつもりはない。下手に遠慮せず、黒江ウサギの後ろを取る。

 黒江はビリヤード台によじ登り、その端で蹲った。

「この体勢が正解……」

 ハイヒールでも器用にバランスを保ち、スクワットのように脚を水平まで開く。

 輪には尻尾つきのお尻が向けられた。

「りん、ここからまっすぐ打って。1番越しに9番を狙えるから」

「そ、そうだな。任せてくれ」

 ウサギさんの肉感的なスタイルに戸惑いつつ、輪は背伸びでキューを構える。

 バニーガールがぎりぎりの高さで爪先立つよりも、黒江のようにビリヤード台に乗るほうが、安定もした。バニースーツの股布に擦れる角度で狙いをつけ、キューを放つ。

「……あうっ?」

 ほんの一瞬、黒江が声を上擦らせた。

 輪のキューが黒江の股座をくぐり抜け、まずは手球を弾く。それが1番にぶつかり、その1番が本命の9番へと命中した。優希や沙織が前のめりになる。

「もしかしてっ?」

「これは入りますわ! ほら、ご覧になって!」

 9番はカランカランと快音を立て、コーナーのポケットへと落ちた。キャロルがクラッカーで七色のテープをばらまく。

「おめでと~っ! クロエちゃん、ここで一気に巻き返したあ!」

 今度こそ慎重に輪は黒江から身体を離した。

「や、やったな、黒江」

「最後まで待った甲斐あった」

 ゲームというジャンルにおいては、やはり黒江に分がある。3番と6番を取られても焦らず、あえて閑に先に打たせたのも、いい判断だった。

 ようやく輪の股間からキューが外れる。

(ったく、とんでもねえゲームだったぜ……ん?)

 いつの間にか、キューはびっしょりと『濡れて』いた。閑ウサギのあたりから妙に滑りがよかったような気もする。

(ま……まさかな)

それ以上のことはあまり考えないようにして、輪はメインモニターを見上げた。

「じゃあ、黒江と優希、澪が加点で……わたしと沙織は得点なしってことね」

「オレの点数はまた、いい加減な感じになりそうだな。はあ……」

 メンバーの成績が更新され、順位も変動する。

輪18、閑19、黒江21、沙織19、優希22、澪16。

 急に一位へと浮上した優希が、つぶらな瞳を瞬かせた。澪も不可解そうに首を傾げる。

「……あれ? ボクのほうが上なわけ?」

「あたしと優希さん、多くないですか? 黒江さんと同じ5ポイントが入ってます」

 ゲームマスターのキャロルは意味深な笑みを含めた。

「ひひひ。確かに9番を落としたのはクロエちゃんだけど、イチャイチャボーナスはなかったからね~。その点、ユキちゃんとミオちゃんはすごく頑張ってくれたからサ」

 イチャイチャボーナスはほかに閑も2ポイントほど獲得している。

 この結果は黒江にとって計算外だったらしい。

「ボーナスのこと、忘れてた……しずかとみおはマゾだから有利」

「誰がマゾよっ!」

「誰がマゾですか、誰が!」

 あらぬ疑いをかけられ、閑と澪の怒号が飛んだ。

 最下位の澪にはゲームマスターからのフォローもあったのだろう。次のゲームで優希や黒江を出し抜けば、まだほかのメンバーにも充分、チャンスはある。

「えっへっへ……まあ、この調子なら、ダーリンちゃんとの温泉はいただきかなあ?」

「そうはいきませんわ。わたくしだって、この時期は二位のプールより、一位の温泉のほうが、断然いいに決まってますもの」

 そうやって表向きはゲームを楽しみながら、メグレズの罠に踊らされないためにも、バニーガールたちはダーリンとの睦まじさをアピールした。

 景品の真井舵輪がはたと気付く。

「……待てよ? どのみち、オレは温泉にも遊園地にも行けるってことか?」

「ずるい。しかも、最下位の子にはエッチなおしおきまで……」

 主催者のキャロルはとぼけ、シルクハットを逆さにした。

「そーいや、そーだね。でも……景品のこと考える余裕なんて、ないと思うけど……」

「やばい! みんな、気をつけろ!」

 また煙をまかれると直感し、輪たちは頭を低くする。

 しかし煙は出てこなかった。

「……あれ?」

手品の失敗かと思い、首を傾げていた矢先、足元で床がなくなる。

「きっ、きゃああああ~!」

「うわああ~っ!」

 輪たちは全員、下のフロアへと落とされてしまった。それぞれ別のコースへと放り込まれ、狭いスロープの中を滑り落ちていく。

「あいてぇ?」

 スロープから吐き出され、輪はべしゃっと倒れ込んだ。

「……オレ、ひとりか?」

 近くに閑や沙織の姿は見当たらない。ほかのメンバーもこのフロアのどこかで孤立しているのだろう。しかし無線を開いたところで、誰からの応答もなかった。

 どこからともなくキャロルの声が響き渡る。

『みんな、位置についたかな? お次はこれ、ダンジョン・サバイバルぅ~!』

 陽気なBGMまで流れ始めた。

『ルールは簡単、ゴールに辿り着いた者の勝利! 協力してもいいけど、その場合は得点を人数で割るから、そのつもりでね』

 遊園地などで定番の脱出ゲームらしい。

 最高得点を獲得したければ、ひとりで逸早くゴールを目指すべきだった。だが、行く手には少なからずキャロルの罠が待ち構えているはず。最悪、身動きできなくなったところを追い抜かれる恐れもあった。

 かといって、全員と合流してしまっては、順位がまったく変動しない。

「なるほど……あいつ、割と考えてんだよな」

 平常の作戦中であれば、カイーナで孤立するなど危険極まりなかった。しかし今回のこれはキャロルの『ゲーム』なのだから、楽しんでしまって構わない。

「面白そうじゃねえか。やってやるぜ」

『おおっと、ダーリン氏は乗り気みたいだねー。ひっひっひ』

 急にキャロルの声が低くなった。

『た・だ・しぃ……偽物と一緒にゴールしちゃったひとは、0点だかんねー。しかもその場合は、偽物がすり替わってたひとにプラス10点!』

「な、なんだって?」

 輪は青ざめ、数日前に本屋であった出来事を思い出す。あの時は五月道澪に扮したキャロルに騙され、恥をかかされてしまった。

「みんな、気をつけろ! キャロルが変装して、紛れ込んでくるぞ!」

 輪は声を張りあげるも、返事は返ってこない。ほかのメンバーも輪と同様に孤立し、キャロル以外の声はお互い、聞こえていないようだった。

『おやおや、ダーリン氏は焦ってるみたいだねえ。そんじゃ、ゲームスタート!』

 かくしてダンジョン・サバイバルが始まる。

 

 

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