ダーリンのだぁだぁ大作戦!

第5話

 夏の暑さも遠のいて、秋が来た。

 ケイウォルス学園では毎年恒例、学園祭のシーズン。週末の二日間に催され、一般の客も大勢が遊びに来る。

 前日の金曜日は授業も午前で終わり、午後からは準備となった。一年一組の教室はお化け屋敷に姿を変え、蛍光灯の下に古風な提灯をぶらさげている。

 輪や哲平は材料の搬送に当たっていた。

「真井舵は誰とどこまわるとか、決まってんの?」

「一日目は妹たちの相手かな。二日目は適当にぶらつくつもりだけど……哲平のほうは姉さんが来たりするんじゃないのか?」

「冷やかしに来る気は満々だね。適当にスルーしてくれれば、いいから」

 L女学院の面々には、輪からは声を掛けていない。

 何しろ女子用のスクール水着を着たうえで、女子高をうろついていたところを、大勢に目撃されてしまったのだから。エミィやツバサ、御守にも嫌われたに違いない。

 不幸中の幸いにして、この珍事は『意味が不明すぎて処理できない』とされ、厳重注意だけで済んだ。ケイウォルス学園の皆は事件があったことも知らない。

(L女の中等部にも見られなくて、助かったぜ……)

 閑たちには『いつものこと』と呆れられ、事件は終わっている。

 哲平のほうはクラスのほかにアニメ研究会の出し物もあり、忙しそうだった。それに加え、愛煌とともにARCの情報を集めているはず。

「はあ……例の新ユニフォームも調整したいんだけどなあ」

「愛煌からは一応、OK貰ったんだろ?」

 ARCのことは機密だが、つい口に出してしまった。とはいえ、わざわざ輪と哲平の世間話に聞き耳を立てる者もいない。

「試作品は結局、真井舵が持ってる一着だけだよ。そうだ、暇してるんなら、データとか集めといてくれないかな」

「あんなもん、二度と着るか! あれのせいでオレはツバサに……」

 そんな話をしながら教室に戻っていたところ、一年三組の前で呼び止められる。

「それ、どういうことですか? 輪くん」

「え、五月道? ……げっ!」

 同じARCのイレイザー、五月道澪には会話の内容を悟られてしまった。

 スクール水着の恰好で戦わされている第四部隊にとって、バトルユニフォームは死活問題。その試作品を輪が隠していたとなっては、澪でも必死になった。

「さては輪くん、あたしたちにスクール水着を着せていたくて、黙ってましたね? 自分だけスパッツタイプを着てるくせに、新ユニフォームだなんて、許せません!」

 怒っているせいで、声も大きい。

 周囲の皆は何のことかと首を傾げた。

「え? 真井舵くんが五月道さんに……水着を着せてる?」

「そういえばさぁ、五月道さんって時々、スクール水着着てるよね。あれって、まさか」

 疑惑の視線はむしろ澪のほうへと向けられる。

「真井舵くんの命令でねえ……ふぅーん」

「だから、あのふたりは中等部の頃からデキてるって、言ったでしょ」

 澪はみるみる赤面した。身体も声も震わせて、この場はすごすごと引きさがる。

「あっ、あとでお話があります! 忘れないでくださいっ!」

 輪はひとりで溜息をついた。

「オレが持ってんのは魔法少女のコスチュームなのになあ……あれ、哲平?」

 いつの間にやら哲平の姿が消えている。

 去年の学園祭もパンツ騒動で散々だったが、どうやら今年も、平穏無事には済みそうになかった。夏休みの最後に輪が実用テストした、例のバトルユニフォーム(魔法少女マジカルダーリン)が、新たな争いの火種となりつつある。

 現に第六部隊は学園のブレザーで戦っている一方で、第四部隊の女子はスクール水着をベースとして、恥ずかしい恰好を強いられていた。緊急出動にも応じられるように、当番の間はパンツも穿けず、スクール水着の着用まで義務付けられて。

 そんなところへ新しいバトルユニフォームの存在などが降って湧いたら、トラブルになるのは目に見えていた。しかも試作品はたったひとつのため、争奪戦となる。

 輪とて、彼女らの行動は読めるようになってきた。

(あいつらのことだ……この学園祭で勝負を掛けてくるに違いないぞ。ほとぼりが冷めるまで、上手くやらねえとな)

 今年の学園祭も波乱の予感がする。

 

 土曜日から、いよいよ学園祭が始まった。

 一日目は学園が招待したような来賓が多く、講堂のステージも吹奏楽部のオーケストラ演奏が繰り返されるなど、『お行儀のよさ』をひしひしと感じる。

 生徒たちにとっては明日の日曜日こそが本番らしい。

 L女学院からも周防御守や生徒会の面々が来たようだが、今回は輪を抜きにして、愛煌や館林陽子のほうで応対することになった。輪としても御守には会わせる顔がない。

 その代わり、本日は妹の蓮たちを案内することに。

「お兄さんったら、一緒にまわる彼女とか、いないんですかー?」

「だったら、私と腕、組んでくださ~い!」

 女子中学生のパワーに押しきられ、お兄さんはたじたじ。

「くっつくなっての! 誤解されたら、どうすんだよ」

「え~? 誤解されるようなひと、いるんですかぁ? お兄さんってばー」

 何を言ったところで、この調子で相手にされず、かわかわれるだけ。

 とはいえ、閑たちの追及を逃れるには好都合だった。輪は妹の蓮とも腕を組み、お祭りムードの学園を練り歩く。

「あたしね、ケイウォルス、受験しようかなって思ってんの」

「L女の高等部に進まずに、か? もったいねえだろ」

「だって、こっちのほうが面白そーなんだもん。あたしもイレイザーになってさぁ」

 成績優秀な妹にはL女学院の高等部に進んで欲しかった。実際のところ、ケイウォルス学園は知名度ばかりが先行して、中身が伴っていない気がする。交換授業でL女学院のレベルを目の当たりにしたせいもあった。

「お前はL女に進めって」

「もぉー。あたしが一緒だと、恥ずかしいわけ? アニキの分際で」

 午前中のうちは蓮たちを案内しながら、無難に過ごす。

「二年の出し物も見たいんだけどー」

「そのへんは、あとでお前らだけで行ってくれ」

 何かと小うるさい蓮たちだったが、ランチのついでに二年四組の執事喫茶へ連れていくと、目の色を変えた。

「きゃ~~~! やっぱ共学だよねっ!」

「早く早く! お兄さん、紹介してくれるんでしょ?」

「わかったから、引っ張んなって」

 二年四組は男子クラス。そのうえ、クロード=ニスケイアや比良坂紫月を筆頭に、美形ばかりが集まっていた。当然、女子の競争率は高い。

 また、愛煌の二年二組、メイド喫茶とは売り上げを競ってもいた。

愛煌からは『二組の喫茶店に連れて来なさい』と命令されたが、妹たちには四組の執事喫茶のほうが楽しいに決まっている。

「ナオヤです。僕らの楽園へようこそ、可愛い天使たち」

「シンジでぇーす。真井舵くんのお友達なら、サービスしないと、ね」

 美形の執事に迎えられ、中学生の少女らは瞳を爛々と輝かせた。

「お兄さん……ほんとにコネ、あったんだ?」

「ま、まあな」

 四組の『キング』ことクロード=ニスケイアとは同じ第六部隊で、今日は妹のため、融通してもらっただけのこと。

(クロードは吹奏楽部に出張ってるんだろうな)

 高級バーのようなソファー席に案内され、男子の輪は強烈に浮いた。

「アニキもこーいうカッコすれば、印象もグッと変わると思うんだけどなあ」

「大して変わんねえっての……」

 蓮の連れは好みの執事を指名し、緊張しつつも舞いあがっている。執事らもプロのホストばりに爽やかな笑みを浮かべ、歓迎してくれた。

「L女の中等部から? だったら、僕たちみたいな男は心臓に悪いかもね」

「そんなに赤くなっちゃって……君の鼓動まで聞こえてきそうだよ。子猫ちゃん」

「きゃあああ~っ!」

 歯の浮くような台詞も、美男子なら許されるらしい。

 妹の蓮はまだ誰も指名できずにいた。

「比良坂もいないのか。蓮に紹介してやるつもりだったのに」

「えっ、アニキのご推薦?」

「友達っつーか、まあ、知り合いでさ」

 輪たち兄妹はメニュー帳を開き、コーヒーの異様な充実ぶりに驚く。

(……御神楽がコーヒーばっか飲んでっから)

 二年四組の執事喫茶にとって最大のお客様は、あのお姫様で違いなかった。

 執事のひとりが輪に勧めてくる。

「そうだ! 真井舵くんも執事、やってみないかい? キングも前に『素質がある』って言ってたしさぁ」

「へ? オレが、そいつを?」

 蓮たちも面白半分に持ちあげた。

「やってみてよ、アニキ! 写真、撮ってあげるからさ」

「指名しちゃいますよ、お兄さん!」

 四方八方から押しきられ、執事に扮する羽目になる。

(やれやれ。妙なことになったなあ……)

あまり気乗りはしないものの、楽しい雰囲気に水を差すつもりもなかった。

それに、ここで執事に紛れ込んでいれば、閑たちに見つかる危険もない(彼女らがイケメン執事を目当てに来店しなければ)。

 店の裏で執事用のスーツを借り、ネクタイを締める。

「えぇと……お、お待たせ?」

 ニューフェイスの執事となって登場すると、蓮たちが黄色い声援をあげた。

「きゃ~~~! お兄さん、こっち、こっち!」

 妹さえ驚いたようで目を点にする。

「イケてんじゃん、アニキ」

 妹に褒められても、むず痒いだけだった。

輪は半ば自棄になり、美男子ぶって前髪をかきあげる。

「しょうがねえな。相手してやっから、ピーピー鳴くんじゃねえ。小鹿ちゃんども」

「ぶふぉっ! お兄さん、今のもう一回~!」

 執事喫茶はますます盛りあがってきた。

 そして午後からは、お化け屋敷の『ぬりかべ』でやり過ごす。

 

 

 一日目は無事に過ぎ、学園祭は二日目を迎えた。ケイウォルス学園は大勢の客で大いに賑わい、一年一組のお化け屋敷も繁盛する。

 隣で一緒に隠れているのは、化け猫の御神楽緋姫。

「また幼稚園児に泣かれたわ……」

「ネコ耳なんてつけてたら、子どもには受けそうなのになあ、お前」

「何が言いたいわけ? ぬりかべの分際で」

 輪は妖怪『ぬりかべ』に扮し、客を驚かすか、笑わせるかしていた。ダンボールを大雑把に灰色で塗装しただけの異様は、ぬりかべというよりコンニャクに近い。

 不格好だが、身を隠すにはうってつけだった。

「御神楽。第四のみんなが来たら、オレはいないって、誤魔化してくれ」

「今度は何をやらかしたの? あなた」

「不可抗力ってやつだよ。……おかしなことになってんだ」

 昨日は閑たちも来賓の対応などで忙しかったようで、追いまわされずに済んでいる。

だが、ひとつしかないバトルユニフォームの試作品を今も狙っているのは、間違いなかった。輪の携帯には呼び出しのメールがぎっしりと詰まっている。

(昨夜は実家でやり過ごせたけど、今夜は寮に帰るしかねえし、なあ……)

 こうなっては、皆の前で実際に装着して見せるほうが、早いかもしれなかった。しかし魔法少女の衣装など二度と着たくない。

 学園祭が終わったら、愛煌のほうからユニフォームの展望について説明してくれるという。それまでは逃げに徹し、波を立てずにいるのが利口だろう。

(あいつらも水着で生活させられてっから、背に腹は替えられないってとこか)

 ふと去年の学園祭を思い出す。

 ちょうど一年前も、閑たちは輪を追いまわし、デートに付き合わせようとした。しかし実際のところは輪にパンツを渡さないための、苦肉の策だったわけで。

「あなた、彼女たちと予定とか、ないの?」

「そういう関係じゃねえっての」

「ふぅん……それじゃ、あたしはそろそろ上がるわね」

 御神楽はシフトを終え、お化け屋敷を出ていく。

 ひとりで客を待っていると、いよいよ第四部隊のメンバーが現れた。薄暗い中、優希がきょろきょろしながら、ぬりかべの前まで歩み寄ってくる。

(そのまま行ってくれ、優希! オレはここにはいないんだ!)

 輪は息を止め、壁のふりに徹した。

「御神楽さんが言ってたのは、これかなあ?」

 しかし彼女は通り過ぎようとせず、ダンボール製の壁にストレートを打ち込む。

「ぐはあっ!」

「ダーリンちゃん、見っけ!」

 手加減はされているとはいえ、効いた。輪は恐る恐る顔をあげ、目が笑っていない幼馴染みの、黒い笑顔に戦慄する。

「諦めて、ボクに渡してくれるかなあ? 例の……新ユニフォーム」

「は、話を聞けって! オレが持ってんのは、ただの」

 そこへ沙織も駆け込んできた。

「そうはいきませんことよ? 優希さん! それはわたくしのものですわっ!」

「さては、沙織ちゃん……ボクを張ってたね?」

 優希と沙織の間でばちばちと火花が散る。

(やばい、やばい!)

 その隙に輪はぬりかべの背中を開け、こっそりと抜け出した。

「新しいユニフォームはひとつしかないのでしてよ? 守備力を増強するのなら、前衛で盾となる、このわたくしが相応しいのでなくて?」

「ボクだって前衛だもん! 沙織ちゃんはニーズヘッガーでガードもできるでしょ?」

「ニーズホッグ! わたくしの武器の名前をお間違えにな……あ、あら?」

 いつの間にか、お化け屋敷は沙織たちのところで渋滞している。

 おまけに、ぬりかべの中は空っぽ。

「さ、さては……輪さん!」

「こらあ! どこ行ったの、ダーリンちゃん!」

 鬼ごっこが始まった。

 

 輪はお化け屋敷を脱出し、客の波に紛れ込む。

(御神楽のやつ、しゃべりやがったな?)

 隠れられる場所など、ほかに思いつかなかった。ここは客に混じって、ケイウォルス学園を抜け出し、街でやり過ごすのが無難かもしれない。

 しかし二日目の夜には『後夜祭』というダンスパーティーが控えていた。派手好きな愛煌会長が(L女学院に対抗して)企画したもので、輪も参加を義務付けられている。

 そのパーティーのため、お節介な姉にスーツまで用意されてしまった。閑たちも先日のお礼がどうとかで、ドレスをもらったらしい。

(オレが子どもになってた間に、何があったんだ……?)

 これで後夜祭に顔を出さなかったら、女子一同からブーイングの嵐だろう。

 とりあえず哲平のアニメ研究会にでも避難することにした。

 そろそろ昼時、お腹も鳴る。

どういうわけか優希に会うと、無性にケーキが食べたくなった。その一方で沙織に会うと、テーブルマナーが気になってならない。

(ナイフとフォークでケーキを食べりゃ、落ち着くかもしんねえけど)

 幼児化した輪に、彼女らがあれこれ吹き込んだ可能性が高かった。おかしな欲求に駆られないためにも、第四のメンバーにはなるべく近づきたくない。

しかし廊下を歩いているだけでも、視線を感じてならなかった。防犯カメラが向きを変え、輪を追ってくる。

「まさか……な」

「やっと見つけた。りん」

 危機を察した時には、すでに背後を取られていた。ノートパソコンを抱えた黒江が、上目遣いでまじまじと輪を見詰める。

 輪はたじろぎ、おずおずとあとずさった。

「く、黒江さん? ひょっとして、カメラを使ってオレを……」

「ご名答。りんの顔のパーツで検索、掛けといた。情報の精度は40パーセント」

 さすがスカウト系のスペシャリスト、情報戦においては抜かりない。黒江は輪に背伸びで詰め寄り、要求を突きつけてきた。

「バトルユニフォームのテストは私が引き継ぐから。アーツ、ちょうだい」

「いや、あれは哲平が……」

「周防くんには確認済み。りんが持ってるって」

 しどろもどろになりながら、輪は視線を脇に逃がす。

 黒江と顔を向かい合わせていると、自分の『歯』が気になって、しょうがなかった。とにかく歯磨きがしたくて、うずうずする。

(やっぱり変だぜ、オレ……女の子を見てたら歯磨きしたくなるって、なんだ?)

 この奇想天外な生理的嗜好のために、歯ブラシを持ち歩くほど。

 黒江がその歯を光らせた。

「ただで、とは言わない。ユニフォームをわたしにくれたら、お礼もしてあげるから」

「お前のお礼なんて、嫌な予感しかしないっての。大体、ひとりだけ新しいユニフォームになったら、ほかのやつらが黙ってないだろ」

「それなら『早い者勝ち』ってことで、もう話はついた」

 客が多いせいで、黒江から間合いを取るに取れない。

 その間を、いきなり狐が通り過ぎた。輪は飛び退き、黒江は腰を抜かす。

「うわっと! あ、あいつは」

「ひゃあっ?」

 あとから館林とゾフィーが猛然と追いかけてきた。

「待ちなさい、ロクスケ!」

「油あげくらいで、我を忘れないでクダサイ!」

 出所は一年二組のうどん屋らしい。その隙に輪も黒江から離れ、ひとごみに紛れる。

「りん? まだ話は終わってな……」

「ユニフォームの件はみんなが集まった時にでも、な? それじゃ!」

 間一髪、黒江の『捕獲用手錠』をすり抜けることができた。

(危ない、危ない……そんなことだろうと思ってたぜ)

 油断していては、こちらがやられる。

 防犯カメラの動きにも注意しつつ、輪はひとごみをすり抜けていった。L女学院での経験のおかげで、カメラの位置には見当もつく。

(あいつらも少しは落ち着いて、話を聞いてくれれば、なあ……)

 ちょうど午後の十二時を過ぎたところで、お腹も空いてきた。学園祭の真最中なのだから、食べるあてには事欠かない。パンフレットの紹介も半数が飲食店だった。

(五月道んとこはタコヤキかぁ)

 澪の一年三組はタコヤキを、優希の二年一組はフランクフルトを、運動場の屋台で販売しているらしい。閑と黒江、それから愛煌の二年二組はメイド喫茶を運営している。

「愛煌って閑のクラスメートだったのか」

 そんな当たり前のことを、今になって知った。

 ちなみに沙織は二年三組で、景品つきのダーツを提供している。

 同時に各々、クラブのほうでも出し物があった。閑の調理部はおしるこや、沙織の演奏部はオーケストラ演奏など、部活の内容に即している分には憶えやすい。

「……ん? 五月道か」

 お昼ご飯を決めあぐねていると、澪から電話が掛かってきた。ユニフォームを要求されたら適当に切るつもりで、出る。

『輪くん、お昼はもう食べましたか?』

「これからだよ。何を食べるか、悩んでるところでさ」

『でしたら、三組のタコヤキをご馳走しますよ。中庭に来てくれませんか?』

 彼女の思惑には薄々、勘付きもした。

「ユニフォームなら、やれないぜ? あれは……」

『その件はいいんです。せっかくの学園祭ですし、たまには……輪くんと一緒に』

 しかし澪に裏はないようで、こちらが一方的に疑う形になってくる。

『タコヤキが冷めないうちに、中庭まで来てくださいね』

「え? 待てって、五月道……」

 返事をする前に電話を切られてしまった。

(……しょうがねえな)

 まさか彼女をひとり、タコヤキが冷めるまで待ちぼうけにさせるわけにもいかない。澪を信じて、輪は中庭へと急ぐ。

 普段の昼休みには空いている中庭も、今日は大勢の客で混雑していた。ベンチも空いておらず、澪は隅っこのほうで花壇に腰掛けている。

「五月道~!」

「あ、輪くん! 割と早かったですね」

 輪も隣で腰を降ろし、澪には缶コーヒーを勧めた。

「タコヤキのお礼、な」

「ありがとうございます。ちょうど、飲み物がないなあって、思ってたんです」

 澪の手元にはふたり分のタコヤキがある。

「さっきまでシフトに入ってまして。私が焼いたんですよ、これ」

「へえ、綺麗に焼けてるじゃないか」

 その丸い形が、輪の忘れかけていた本能を刺激し始めた。

(……や、やばいぞ?)

 優希でケーキ、沙織でテーブルマナー、黒江で歯磨きと来たように、澪でもおかしな衝動に駆られる。それも、よりによって『おっぱい』なんぞが欲しくなってきた。

「食べないんですか? 輪くん」

 澪の柔らかそうな巨乳が輪の視線を釘づけにする。

「あ、いや……そ、それより早く食べようぜ」

 苦し紛れに平静を装いつつ、輪はタコヤキをひとつ頬張った。

 生地は少し硬いものの、タコの歯応えは上々。ソースの量も多すぎず、少なすぎず、おやつ感覚で次々と食べていける。

 しかし澪のほうはほとんど進んでいなかった。

「食べないのか?」

「実はその、ずっと焼いてましたから……今は甘いもののほうが」

「それなら、次はそこのクレープでも食べようぜ。これはオレが片付けるからさ」

 彼女の分のタコヤキもまとめて、ペースをあげていく。

 食べているうちは、澪の美味しそうなおっぱいも気にならなかった。

(姉貴に相談してみるかな。歯磨きは構わねえけど)

 やはり輪が幼児になっていた間に、彼女たちがあれもこれもと吹き込んだのだろう。それが深層心理に刷り込まれ、条件次第で本能的な欲求となるらしい。

(……にしても、なんで五月道だと、おっぱいなんだ?)

 いかがわしい妄想が浮かびそうになった。

 澪が神妙な顔つきでトーンを落とす。

「あの、輪くん」

「えっ? いや、オレは別に変なことなんて、考えてな……」

「何を焦ってるんですか? お話したいのは、ユニフォームのことです」

 輪もはっとして、声のボリュームをさげた。

「その話はしないって、さっき……」

「ごめんなさい。でも、第四のみんなが血眼になってまして……このままだと、輪くんが何をされるかわからないと、思ったんです」

 澪の顔が輪の正面へと近づく。

「ですから、隠すためにも、あたしにユニフォームのアーツを預からせてください」

 その表情も声色も真剣そのものだった。

けれども輪は違和感を拭いきれない。そもそも『輪がユニフォームを隠し持っている』と早合点し、騒ぎ始めたのは、この五月道澪だったりする。

(信用しちまって、大丈夫か?)

 また第四のメンバーは、戦いにおいて仲間を信頼している一方で、普段は互いに割と容赦がなかった。去年も自分のパンツを守るべく、抜け駆け上等で競争している。

 これで例のユニフォームを澪に奪われたら、それこそ、ほかのメンバーに何をされるかわからなかった。しかし火種は早々に手放したくもある。

「輪くんはなくしたふりをして、ほとぼりが冷めたら、私が出しますので」

「うーん……そうだなあ」

あとは澪が皆と話をつけてくれれば、という期待も沸いてきた。輪はポケットからウサギのストラップを取り出し、澪の前でぶらさげる。

「こいつの中に隠してあるんだ」

「そんなところに? 道理でお部屋を散々探しても、見つから……」

 不意に澪が口を滑らせた。

輪は眉を顰め、その隣から、もうひとりも澪を睨みつける。

「五月道、お前……」

「澪ちゃんもこーいう手、使うんだ? へえ~」

「……は?」

 いつの間にかタコヤキもなくなり、トレイにはソースだけが残っていた。すぐ傍に優希がいて、輪も澪も度肝を抜かれる。

「うわああぁ、ゆゆ、優希?」

「ききっ、聞いてたんですか? さっきの」

 優希の唇には青のりがついていた。怒ったふうに拗ねて、頬を膨らませる。

「タコヤキでダーリンちゃんを釣って、それっぽいこと言っちゃって……お部屋まで漁るなんて、ちょっと感心しないなあ」

「お、お部屋を調べた時は、優希さんも一緒だったじゃないですか!」

 うろたえながら、澪も引きさがろうとはしなかった。

「学年が同じってだけでも、みなさんよりセクハラされる危険が多いんです。とっ、とにかく、ユニフォームはあたしが活用しますから」

「だめだめ。ダーリンちゃんも、騙されちゃだめだよ? ボクにちょうだい」

 ふたりして輪の腕にしがみつき、押すか、引っ張るかしてくる。

「お、お前らなあ……」

 傍目には、ふたりの女の子に迫られている果報者の図。しかし輪は呆れ、そして真正面から近づいてきた『彼女』の殺気に慄いた。

「あなたのことが心配で、捜してみれば……楽しそうねえ? ダーリン」

 閑が黒い笑みを浮かべ、見せつけるように腕組みを深める。

「し……閑? これは、その……」

「ユニフォームを餌にして、女の子とデートだなんて。ほんっと信じられないわ」

「なんでそーなるんだよ! 少しはオレの話も聞いてくれって!」

 澪や優希も含め、もはや弁明が通じる相手ではなかった。

「あ? こら、ダーリンちゃん! 逃げるなあっ!」

「まだお話は終わってませんよ、輪くん! スクール水着はもう諦めてください!」

輪は澪たちを振り解き、閑の脇をすり抜けるように逃げ出す。

「付き合ってられるか! ユニフォームのことは愛煌にでも……うわっ?」

「ちょ、ちょっと? きゃあ!」

 ところが空き缶を踏み、閑もろとも転んでしまった。輪は仰向けで下敷きとなり、その上に閑が四つん這いで乗っかる。

(うっ? こいつは……!)

 奇妙な衝動が駆け抜けた。歯磨きやおっぱいを欲するのと同じ類の欲求が、一之瀬閑を条件として、輪を突き動かす。閑の頬に触れたのも無意識だった。

「閑に捕まっちまったか。……いいぜ? お前のモノになるなら、それでも」

 彼女の前では『王子様』でありたい。

 途端に閑は顔を赤らめる。

「り、輪ったら……」

「オレを奪うんじゃなかったのか? お姫様」

 澪と優希は呆気に取られていた。

「輪くんの王子様が、再発……? ど、どうしてなんでしょうか」

「面白いけど、ここではちょっと、ねえ?」

 周囲の客も集まってきて、輪と閑の破廉恥一歩手前な体勢に注目する。閑はおろおろするばかりで、まだ輪の上から降りられずにいた。

「え? えぇと、わたし……」

「……やべっ!」

 輪は我に返って、さながら蛇のように閑の下をすり抜ける。

その際にスカートまで捲れそうになり、慌てて閑が押さえに掛かった。

「きゃああ! ま、待ちなさいったら、輪!」

 人ごみの流れに乗って、グラウンドへと逃げ込む。

 運動場には屋台がずらりと並んでいた。その途中で黒江と沙織のコンビにも見つかる。

「いた! あっち。今度こそ逃がさない」

「お待ちなさい、輪さんっ!」

 メンバーの目は完全に血走っていた。これでお目当てのバトルユニフォームが魔法少女のコスチュームと知られようものなら、彼女らの怒りは一気に爆発するだろう。

(どこか追ってこれない場所に……そうだ!)

 無我夢中で輪は野外ステージへと駆けあがった。

「おや? 君は……」

 のど自慢大会の最中だろうと、突っきって、ショートカットを狙う。そのつもりがコードに足を取られ、ここでも転んでしまった。

「こ、こんなんばっかりか、今日は……あ、あれ?」

「次の挑戦者ですね。それでは、張りきって歌ってもらいましょう!」

 しかも飛び入りの参加と誤解され、マイクの前に立たされる。

「ちょっと待ってくれ! オレは」

「見つけたわよ、輪!」

 そのステージへと閑まであがってきてしまった。大勢が見ている前で、ずかずかと輪に詰め寄ってくる。

「あれはわたしが預かるわ。あなたが持ってても、トラブルになるでしょ?」

 客席の最前列に優希や沙織、黒江に澪も集まった。

「ダーリンちゃん、観念しなさ~い!」

「悪あがきはやめにして、おとなしく投降なさるべきですわ」

「りん……確保」

「イベントの邪魔ですよ、降りてきてください!」

 舞台の上で輪はたじろぎ、青ざめた。

(どうしろってんだよ、これ?)

 いつまで経っても、のど自慢の挑戦者が歌さえ選ばない。次第に観衆もアクシデントに気付き始め、首を傾げる。

「なあ、どっちが歌うんだ?」

「あれって三組の真井舵くんと、一之瀬先輩でしょ? 有名な……」

 にもかかわらず、閑は堂々と両手を腰に当て、構えていた。

「ごめんなさい。彼から大事なものを受け取ったら、すぐに降りますから」

「は、はあ……」

 今度という今度こそ、逃げ場はなかった。

「……参ったよ。こいつはお前にやる」

輪は敗北を悟り、ウサギのストラップを閑に手渡す。

その様子を、舞台の下では優希たちが悔しそうに眺めていた。緊張しつつ、閑は皆の前でストラップを受け取る。

「ありがとう、り……きゃっ!」

 ところが、不意にストラップが眩い輝きを放つ。

「し、閑っ?」

閑の姿は虹色の光に飲まれてしまった。皆も驚く中、ステージで風が巻き起こり、紙吹雪のようなものを散らす。

 光が消えた時、そこにはひとりの『魔法少女』が立っていた。

「……え? わたし、どうなって……」

 大きなリボンとブローチで胸元を飾り、フリルいっぱいのミニスカートを揺らす。ニーソックスは健康的なフトモモのむっちり感を引き立てていた。

腰にさげている剣は彼女のスキルアーツ、ジェダイトに違いない。

(ひょっとして、オレが……?)

 カイーナの外ではプロテクトが働くため、ここで彼女がバトルフォームに変身できるはずもなかった。しかし輪の魔力が干渉したことで、プロテクトは一時的に無効化され、閑のアーツが解放されてしまったらしい。

 可憐な魔法少女の登場に、観衆は大いに沸いた。

「やっだー、可愛い! あれってキュアキュアのコスプレかなあ?」

「びっくりしたよなぁ。こういうイベントだったのか」

 司会もその気になって魔法少女を紹介する。

「ではでは、二年の一之瀬閑さん……いえ、我が学園の魔法少女、マジカルシズカさんに歌っていただきましょう! 曲はもちろんキュアキュアのテーマです!」

 女児アニメのテーマソングが流れ始めた。マイクの前に立たされて、やっと状況を察したのか、閑は涙目になるまで赤面する。

「あっ、あの……わたし」

「せーのっ、みんなでキュアキュア~!」

 それに構わず、観客はバックコーラスを響かせた。

 ここまで盛りあがってしまっては、今さら辞退などできるわけがない。しかも閑はその女児アニメを知っているようで、緊張しながらも歌い出す。

「わ、わたひはふつーの、おんなのこぉ……だけど、ちょっぴり、ひみつがあるの」

 両手でマイクを握り締め、ぼそぼそと。

 そんな魔法少女を不憫に思い、輪はせめて手拍子だけでも続けた。優希や黒江たちはバトルユニフォームの珍妙な正体を目の当たりにして、唖然としている。

「あっ、あなたのハートに、キュアキュアリン!」

 マジカルシズカの両手が震えがちにもハートの形となった。

精一杯に恥じらう姿も相まって、ハートのパワーは輪の胸を直撃。

(か、可愛いな……)

観衆も波打つように盛りあがっていく。

「アンコール! アンコール!」

 この日、ケイウォルス学園で魔法少女が誕生した。

 

 からくもステージを切り抜け、閑は一直線に逃げ出した。

「待ってったら、マジカルシズカ~! 握手と、記念撮影もさせてくれなきゃ!」

「む、無理よ! これは事故なの!」

 俄かファンの追跡をまいて、校舎へと飛び込む。

(まさか、輪が持ってたの、こういう服だったなんて……)

 学園祭の最中とはいえ、魔法少女のコスプレは目立ち過ぎた。しかし解除しようにも、混乱しているせいでままならない。

しばらく調理部にでも隠れていようと、一階を東に進む。

 その道中で華奢なメイドとぶつかりそうになった。

「あっ! ごめんなさい」

「ううん。あたしも前、よく見てなかったから……」

向こうも閑の顔を見て、驚く。

「……い、一之瀬さん? どうしたの、それ?」

「そ、そういう御神楽さんこそ……」

 メイドの正体は御神楽緋姫だった。そのエプロンドレスは二年二組、閑たちのメイド喫茶のものと見て、間違いない。となれば、犯人は愛煌あたりに決まっている。

「御神楽さんもわたしと似たような目に遭ったみたいね」

「ご想像にお任せするわ……はあ」

 閑は彼女も連れて、調理部へ。おかげで女の友情は深まった。

 

 

 夕方には客もいなくなり、あちこちで撤収作業が始まる。

 グラウンドでは野外ステージが急ピッチで解体されていた。一年一組のお化け屋敷も店じまいとなり、手作りの看板を外す。

 しかし学園祭の『夜』はこれから。講堂のダンスホールで後夜祭が催されるため、生徒らは期待に胸を膨らませていた。

 片付けの終わったグループから、校舎北の講堂へと移っていく。

 その更衣室で輪もスーツに着替え、会場に入った。さながら王宮の広間を思わせるダンスホールの壮麗さには、誰もが目を見張る。

 ロイヤリティにおいてはL女学院にもひけを取らなかった。

(校舎より金掛かってんじゃねえの?)

 ひとが少ないうちに、輪は適当なテーブルの下に隠れる。

 とりあえず来たことは来たものの、ここで第四部隊のメンバーと対面するだけの度胸はなかった。それこそ魔法少女となって大恥をかいた閑には、会わせる顔がない。

 だが、愛煌から『今夜は念のため、臨戦態勢で待機しなさい』と指示されてもいた。いよいよ仮面の魔女を捕まえるつもりだろう。

(あの子が魔女で……あいつが研究員の生き残りだったなんて、な)

 万が一の際は、輪が学園の皆を守らなくてはならない。

 テーブルの外でだんだんと生徒の数も増えてきた。小柄な女子が輪の前で足を止め、テーブルクロスを少しだけ捲しあげる。

「……何やってるのよ、輪」

 御神楽だった。今夜は黒のドレスで優雅に決めている。

「なんでここにいるって、わかったんだ?」

「勘よ。勘」

 ぐうの音も出なかった。

 彼女も輪と同じで、アーツがプロテクトの影響を受けない。それでいてスカウト系の能力も高いため、簡単に輪を発見できたのだろう。

「また恋人たちを怒らせたんでしょ、どうせ。帰っちゃえばよかったのに」

「そんなことしてみろ。殺される……」

 どうやら御神楽には、愛煌から何も伝えられていないようだった。愛煌が彼女に配慮して、黙っておこうと決めたのなら、輪もしゃべるわけにいかない。

「そうそう。沙耶の視界には入らないでね。あの子、あなたのことが大嫌いだから」

「……お、おう」

 御神楽を見送ってからも、テーブルの下で待つ。

 やがて開会の宣言が響き渡った。

「これよりケイウォルス学園、第三十一回学園祭の後夜祭を開催いたします!」

 緩やかなジャズが流れ始める。輪は観念し、やっとテーブルの外に出た。

 ドレス姿の男女がペアとなって、曲の調べにステップを乗せる。御神楽は比良坂と一緒に、拙いなりにリズムを踏んでいた。

「やっぱり吹奏楽部か」

 楽隊には見覚えのある面子がいる。三雲沙織は麗しい紫色のドレスをまとい、悠々とフルートの音色を響かせていた。指揮者が満足そうにタクトを振りあげる。

 ソロパートではクロード=ニスケイアが前に出た。バイオリンを奏でつつ、御神楽のもとまで歩み寄って、紳士然と膝をつく。

「紫月とだけなんて、ずるいよ。僕とも踊ってくれるかい? お姫様」

「相変わらずね、もう……」

 さすが学園のお姫様、美形のパートナーには事欠かなかった。

 皆のダンスをぼんやりと眺めていると、声を掛けられる。

「見つけた。りん」

「ダーリンちゃんってば、どこに隠れたのぉ?」

 いきなりのことで見違えてしまった。二景黒江も、四葉優希も、煌びやかなドレス姿でたおやかさを醸し出す。

「……………」

 言葉も忘れて見惚れていると、優希に首を傾げられた。

「どうかしたの? ダーリンちゃん」

「いや、なんでも……似合ってるもんだから、びっくりしてさ」

 黒江がしてやったりとはにかむ。

「……ふ。私の女子力、やっとわかった?」

「これ、蘭さんがお礼にって、くれたんだよ。すごいでしょ」

 黒江は落ち着いた色合いのベージュ、優希は鮮やかなライトグリーンのドレスだった。姉の蘭と何やら取引があったようで、事実を知るのが怖い。

(じゃあ、沙織のも……?)

 ふたりは輪の腕にしがみつき、ここぞとばかりになじってきた。

「ところで……昨日も今日も、散々逃げまわってくれたよねぇ? ダーリンちゃん」

「最後はしずかにあげちゃうし……中身はあんなのだったから、いいけど」

 中央の輪は口角を引き攣らせる。

「そ、それは……お前らがオレの話をろくに聞かずに、勝手に誤解したからで」

 そこへ澪と、閑も合流した。早速、澪の眉が吊りあがる。

「また女の子にくっついてるんですか? いやらしいですね、輪くんは」

「くっつかれてるんだっての! お前らも離れろって」

 今夜の彼女は黒レースのドレスで妖艶さを引き立てていた。閑のほうは淡いピンク色のドレス姿を、澪の背中で隠そうとする。

「輪? お昼は……あなたがわたしにあれを着せようとしたんじゃ、ないんでしょ?」

「あ、ああ。オレの魔力が干渉しちまったことには、違いないんだろうけどさ」

 楽隊を抜け、沙織も近づいてきた。

「全員の誤解と欲求とが、すれ違って、馬鹿な騒ぎになってしまったんですわ。わたくしも反省してますから、みなさん、この件は水に流しませんこと?」

「え~? 沙織ちゃんも容赦なかったくせに」

 優希は文句を垂れるものの、澪や黒江は賛成で声を揃える。

「ユニフォームの件は後日、改めてみんなで愛煌司令にお願いしませんか」

「せっかくの学園祭だし。気持ちよく締めるべき」

 輪も肩の力を抜き、終戦協定に頷いた。

「それでいいか? 閑も」

「ええ。あんな騒ぎはもう懲り懲りだもの」

 リーダーの閑に向かって、ほかの面々が両手でハートの形を作る。

「せーのっ、みんなでキュアキュア~!」

「やめてったら! 沙織に澪まで、一緒にならないで!」

 いつもの笑いが起こった。

(やっぱ第四部隊はいいよな。雰囲気っつーか)

 沙織がドレスのスカートを摘んで、輪に恭しい会釈を差し出す。

「わたくし、すぐに演奏に戻らなくてはなりませんの。一曲だけ、お付き合いしてもらえませんこと? 輪さん」

 輪も紳士ばりに頭をさげ、彼女の手を取った。

「お手柔らかに。美しいお嬢さん」

「あら、どこで憶えましたの? さまになってますわね」

 執事喫茶での経験が役に立った。

 ジャズの調べに身を委ねながら、輪は沙織と優雅なダンスを楽しむ。輪の自然なリードが意外だったのか、沙織は驚いたように瞳を瞬かせた。

「本当にどうしましたの? 今夜の輪さん、別人のようでしてよ」

「こういうダンスは姉貴に教わってさ。蓮のやつもあれで結構、踊れるんだぜ?」

 一緒にステップを踏むうち、子どもだった一週間の記憶も鮮明になってくる。沙織にはテーブルマナーのイロハを教えてもらった。

「あのハンバーグ、また作ってくれないか? 沙織」

「思い出しましたのね。もちろん、残さず食べていただけるのでしたら」

 お互い相手の背中に触れ、表情が覗き込めるほどに距離を詰める。沙織の顔はほんのりと紅潮していた。切れ長の瞳が水面のように輪を映し込む。

「あ……そろそろ戻りませんと」

「いい曲、期待してるぜ」

 やがて曲が途切れ、沙織は楽隊へと戻った。次は黒江がやってきて、輪と手を繋ぐ。

「よろしく」

「こちらこそ。どうぞ、黒江お嬢様」

 彼女にはダンスの経験はほとんどないようだった。それでも輪がリードすることで、身体を左右に揺らすくらいには、形になる。

「最近は夜更かしも控えてるみたいだな。少しは反省したか?」

「うぐ。……もしかして、りん、思い出したの?」

 このお姉さんは子どもの世話を通して、自堕落な生活を自覚したらしい。

「歯磨きのたびに思い出してやるからな」

「……早く忘れて」

 ばつが悪そうに黒江はそっぽを向き、赤面した。

 間奏に入ったところで、優希が無邪気に飛び込んでくる。

「ボクとも踊って、ダーリンちゃん!」

「へいへい」

「もお。そこは『優希お嬢様』、でしょー?」

 ゆったりとしていた沙織や黒江とは打って変わり、ステップのテンポが跳ねあがった。緩やかな曲調から外れはしないものの、弾むような動きが多くなる。

「お前、もうちょっとだな……」

「ボクだって、蘭ちゃんに教えてもらったこと、あるもんね」

 小生意気な幼馴染みは、あくまで年下の輪を翻弄するつもりで、笑っていた。輪も負けじとステップを返し、優希を遠心力に乗せる。

「今度、みんなには内緒でケーキでも食べに行くか? ご馳走してくれたお礼にさ」

「へ? あれ、ダーリンちゃん……ちっちゃい時のこと、憶えてるの?」

「さっき思い出したんだよ。お前はイチゴ乗っけてたなあ、って」

 だんだん息も合ってきた。今夜の優希は少し恥ずかしそうに微笑む。

「ふぅん。女の子との付き合いかた、わかってきたんだ?」

「おかげさまで」

 優希と手を離したら、お次は澪と。

「あ、あの……ダンスって初めてなんです。よろしくお願いしますね、輪くん」

「そんなに肩肘張らなくっても、大丈夫だよ。みんなも大体でやってるし」

 相手に緊張されると、こちらまで硬くなってしまった。深呼吸を挟んでから、輪は澪を慎重に抱き寄せる。

「……セクハラですか? これ」

「違うっての。いいから、ちょっと好きにさせてくれ」

 優希のようにリズミカルには踊れないものの、ダンスの雰囲気は充分に出せた。

澪のほうもおずおずと輪の背中に掴まり、足元のリズムを追ってくる。

「こ、こうですか?」

「できてる、できてる。あとは顔をあげて、だな」

 ところが、澪のドレス姿を眺めるうち、大変なことを思い出してしまった。彼女の魅惑的な胸の谷間が、網膜に焼き付いている。

(そういうことだったのか、姉貴のやつ……!)

 彼女らにお礼としてドレスが贈られたのは、輪がパンツのデザインを山ほど描き起こしたから。皆がパンツの恰好で世話しくれたことまで、はっきりと思い出す。

「……どうかしたんですか? 輪くん」

「な、なんでもねえって。五月道にはやっぱ黒が似合うなって、思ってさ」

 半分はドレスの感想で、もう半分はパンツの感想だった。そうとは知らず、澪は素直な照れ笑いを浮かべる。

「輪くんったら……あっ、それじゃ、閑さんに替わりますね」

 いよいよ最後の閑となった。輪から手を差し伸べると、嬉しそうに頬を染める。

「今夜のあなた、本物の王子様みたいだわ」

「ガラスの靴を落としてくれたら、捜しに行ってやるよ。シンデレラ」

また勝手に王子様発言が飛び出してしまった。

「わ、わたしがシンデレラだなんて……」

閑は照れながらも、王子様との洒落たダンスに酔いしれる。

 その一方で、輪の頭はパンツのことでいっぱいだった。

(みんな、気合入れてんだなぁ)

沙織も、黒江も、優希も、澪も、全員のパンツを片っ端から憶えている。目の前にいる閑の、愛らしいピンク色のショーツなど、子ども心にもたまらなかった。

純情派でありながら刺激的で。そういう隙の多いところは、閑の性格そのもの。

(そうか! スクール水着を着てる日が多いから、パンツでこだわるんだ)

 沙織の紫色は明らかにご主人様(輪)の視線を意識していた。

 黒江の水色は機能性を重視したものだが、だからこそラインが正直に出る。

 優希の健康的なオレンジは生地が厚く、お尻の食い込みがそそった。

 澪の黒色などレース仕立てで、もはや自前のセクハラ。

「子どもになってた時のこと、思い出したのね、輪」

「ああ。世話になったよな、みんなに」

 それまで王子様とのダンスに酔っていた閑が、急に眉を顰めた。

「……待って? じゃあ、まさか……わたしたちのパンツも、憶えてるとか……?」

 恥ずかしさと、それ以上の怒りで声を震わせる。

「いいっいや、それは!」

 気圧され、うろたえていると、ほかのメンバーにも気付かれてしまった。沙織も演奏をやめ、ずかずかと駆け込んでくる。

「そ、そうですわ! 思い出したということは、わたくしたちのパンツも!」

「危うく流すところだった……しずか、グッジョブ」

「調子いいこと言っちゃって。ボクらを誤魔化すつもりだったんでしょ」

「催眠術でも何でも使って、今すぐ記憶を消してくださいっ!」

 第四部隊の美女たちが鬼の形相で迫ってきた。お子様の輪にすーはーくんかくんかまで許してしまった閑も、わなわなと全身に怒りを漲らせる。

「どこが王子様よ、ダーリンっ!」

「もう勘弁してくれぇ~!」

 王子様は恋人たちを放って、逃げた。

 

 

 後夜祭も佳境を過ぎた。講堂の中庭で、輪は背伸びのついでに月を見上げる。

「なんでこう、おかしなことになるんだろーな……ん?」

 その月が妙に赤く染まっていた。身体じゅうでびりびりと殺気を感じ、はっとする。

 講堂の裏から、見覚えのある面々が駆け出してきた。哲平が足を引きずるのを、紫月が必死に担ごうとする。

「しっかりしろ、周防!」

「す、すみません……ぼくのことは、いぃですから、行ってください……ッ!」

「馬鹿を言うな! 仲間を見捨てるなど、二度は御免だぞ!」

 その後ろからは武装兵の一団が迫っていた。

(あいつら、始めやがったのか!)

 御神楽は未だ不調のため、反撃できない。ほかのメンバーもプロテクトが掛かっているせいで、アーツを行使できなかった。ただ、輪だけはプロテクト抜きに戦える。

「そこまでだぜ、てめえら!」

 ブロードソードを振りきり、輪は武装兵らの前に躍り出た。戦うに戦えない御神楽が、たじろぎながらも瞳を瞬かせる。

「……り、輪っ?」

「悪い、遅くなった! ここは任せろ!」

 武装兵たちは奇襲に驚いたのか、足並みを乱した。だが、すぐに陣形を正し、じりじりと半円状に間合いを詰めてくる。

 それに対し、輪は勝気な表情でブロードソードを握り締めた。

「オレのアーツはカイーナじゃなくても使えるんだよ。心配すんなって」

「すまない、真井舵! 無茶だけはしてくれるなよ!」

 紫月が哲平を抱え、駆け出す。しかし肝心の御神楽はためらっていた。クロードに腕を引かれても、輪を見捨てて走ろうとはしない。

「いいから行けっ、御神楽!」

「……ごめん!」

 こちらが怒鳴って、ようやく御神楽も意を決したように走り出した。

(何がどうなってんだ? 愛煌のやつはいなかったし……)

 矢継ぎ早な銃撃をかわしつつ、輪はブロードソードで敵をひとりずつ弾き飛ばす。

 しかし相手が十数人もいては、多勢に無勢だった。勢い任せで出てきたものの、作戦も浮かばず、後退の動きが多くなる。

「助太刀しマスヨ! Darling!」

 そこにゾフィー=エルベートが割り込んできた。ミョルニルを地面に叩きつけ、武装兵らの足元を揺るがす。

「助かったぜ! いいタイミングで来てくれるじゃねえか、お前」

「事情はわかりマセンが、お手伝いしマス。ギッタギタにしてやりマショウ!」

 容赦しないゾフィーが加わったおかげで、形勢は一気に逆転した。敵はミョルニルの衝撃に耐えきれず、次々とかちあげられる。

「勢い余って、殺すなよ?」

「わかってマスって。ぐるぐる巻きにしてやりマス!」

 ゾフィーの秘密道具『どこでもロープ』が放射状に伸びた。すでに武装兵らは抵抗するだけの余力もなく、簡単に捕縛されていく。

「なんなんデス? こいつら……」

「多分、ARCの秘密部隊だろうな。御神楽を狙ってやがった」

 ほっとしたのも束の間、不意に平衡感覚が狂い始めた。

 真っ黒な夜空でヘリがふらつきながら、クロードの声で警告を響かせる。

『僕の声が聞こえるか? みんな、ただちに建物の中に入れ! 外には出るな! 繰り返す、絶対に外に出るんじゃない! 落ちるぞ!』

「落ちるって……まさか?」

 輪とゾフィーはぎくりと顔を強張らせた。

「こっちデス、Darling!」

「こいつらも放っておけねえぞ! せーのぉ!」

 体育館へと駆け込むとともに、ふたりで力を合わせて、武装兵らを引っ張り込む。

「うわああっ?」

 ぐるんと上下が反転した。平らな床は上に来て、天井が下に来る。

(な、なんだって……?)

 どうやらケイウォルス学園が丸ごとカイーナと化したようだった。去年も中等部の旧校舎が迷宮となったが、その比ではない。

 学園は逆さまとなり、夜空だった空間は、底なしの落とし穴になった。あちこちから悲鳴や、助けを求める声が聞こえてくる。瘴気もどんどん濃くなってきた。

「や、やばいデスヨ、Darling……」

「今までで一番、な」

 幸い、この状態でも電力は通っており、足元(天井)の照明をつけることはできた。

 浮遊のスペルアーツに乗って、優希や黒江、澪もバトルフォームでやってくる。

「輪くん! ゾフィーさん! これは一体?」

「そっちも無事だったか。とにかく、みんなの救出が先だ」

「え、ええ」

 輪たちは手分けし、まずは外の生徒を片っ端から集めることにした。

「そっちはダンスホールにいたんだろ? みんなは?」

「逆さになった衝撃で、怪我人がたくさんいるんです。閑さんと沙織さんが残って、見てくれてるんですけど……」

「救助が先。私が捜すから、集めて」

講堂はあとまわしにして、窓にしがみついている者や、怪我した者を拾っていく。顔馴染みもいたが、瘴気のせいで朦朧としていた。

(全員が全員、講堂でダンスってわけでもねえもんな……)

休憩していたのか、星でも眺めていたのか。彼らを回収しつつ、逆さまの講堂まで飛び移る。そこでは閑が大きな結界の維持に専念していた。

「輪! よかった……」

 ドレス姿の生徒らは大半が失神している。

 ダンスホールはひっくり返り、椅子もテーブルも滅茶苦茶に倒れていた。しかし、それは頭上の『床』でのことで、グラスの破片も輪たちの上のほうで散乱している。

(正真正銘のカイーナだな、こいつは)

 応援を期待していたらしい沙織が、首を傾げた。

「第六部隊はどこにいますの?」

「……あとで話すよ。重傷者には応急処置だけでも、しとかねえと」

ヒーラー系のゾフィーが閑に代わって結界を張りなおす。

「あいつらはどうシマス? Darling」

「この状況だ、体育館に放っておこうぜ」

 やがて外の生徒らの回収も目処がついた。生命反応を頼りに猫まで拾ったのだから、人間は全員を保護できただろう。

「黒江さん、後夜祭の参加者リストはありまして?」

「ゆきに渡した。確認、お願い」

「あとは校舎のほうだね。まだ先生が残ってるはずだし……」

 沙織と優希で生徒の人数を照合する一方で、閑は負傷者の治療にまわった。

「わたしとゾフィーさんだけじゃ、手が足らないわ。エミィさんもいてくれたら……」

 現状を調査中だった黒江が声のトーンを落とす。

「おかしい……レイの気配がない」

「どういうことですか? どう見たって、これはカイーナですよ」

 この異常事態には、普段は冷静な澪もぴりぴりとしていた。

 今までのカイーナとは何かが違う。窓から見える校舎のほうは、逆さまになるのみならず、さながら漏斗のように地獄へと伸びていた。

(御神楽たちは無事に脱出できたのか?)

 黙り込んでいると、閑たちが輪に疑惑の視線を向けてきた。

「輪……あなた、本当は知ってるんでしょう? 今、学園で何が起こってるのか」

「話してください。こうなった以上、あたしたちにも知る権利があります」

 輪は溜息を交えながらも頷く。

「……わかった。落ち着いて聞いてくれ、みんな」

 ARCはアーツの力を軍事に転用するため、十年ほど前、プロジェクト=アークトゥルスという計画を秘密裏に進めていた。

 閑が声を震わせる。

「イレイザーの人工開発と調整? そ、そんな人体実験みたいなことが……」

 その実験のために誘拐され、モルモットにされたのが、御神楽緋姫。彼女は実験のせいで自我を崩壊させたうえ、廃棄されてしまった。

 その直後、プロジェクト=アークトゥルスは瓦解している。

 最強の『霊』とともに暴走したロストナンバー、御神楽緋姫によって。

「あいつはずっと病院にいたから、小学校にはまともに通ってないんだ。性格がひん曲がってんのも、そのあたりが原因なんだろうな」

 ショックのあまり、澪は膝をついた。

「そ、そんなことが……」

「そんなことが許されると思ってますのっ? はらわたが煮えくり返りますわ!」

 沙織の怒号が響き渡る。

「落ち着けって! まだ話は……終わってないんだ」

 悪魔のプロジェクトは潰える直前、ひとつのサンプルを完成させてしまっていた。

それが被験体ナンバー666、仮面の魔女。

「イレイザーのプロテクトも魔女の力なんだ。なんでかオレは掛からねえけど、みんな、魔眼で催眠術に掛けられてるせいで、カイーナの外じゃアーツを使えねえ」

「……プロテクトが異様な構成だったの、納得」

 黒江はノートパソコンを起動させて、外部とのコンタクトを試みる。

 優希は真っ青になり、がたがたと我が身をかき抱いた。

「ね、ねえ……さっきから、誰かに見られてる気がしない? 寒気もすごくって……」

 輪もぞっと悪寒を感じ、講堂の外を見まわす。

 いつの間にか、無数の『目玉』があたりを漂っていた。魔女の魔眼がカイーナじゅうで監視の目を光らせているらしい。

「ちっきしょう! これじゃあ、向こうまで行けねえぞ?」

 講堂から校舎まで、およそ百メートル。イレイザーの優希なら十秒も掛からないが、あの視線をすべてかいくぐるのは、不可能に近かった。

 黒江のスカウト系アーツも遮断される。

「……失敗。すごいジャミングが掛かってるから」

「繋がりそうか?」

「やってみる。でも、ちょっと掛かりそう」

 急に沙織が悲鳴のような声をあげた。

「いませんわ! 一年生の館林陽子さんが、どこにも……!」

「なんだって?」

 別件で席を外していたのか、ダンスホールには生徒会の面々だけ見当たらない。

(あの野郎が愛煌を警戒して、生徒会を遠ざけたのか?)

 ミョルニルで結界を補強しつつ、ゾフィーが校舎へと視線を投げた。

「魔具が共振してマス。あっちでも、どっかの魔具が結界を張ってるみたいデスヨ」

「……どういうことだ?」

 おそらく校舎には教師と、生徒会の役員も取り残されている。だが、無数の魔眼に阻まれては、こちらも守備を固めるほかなかった。

(こういう時の時間は早いな。もうそんなに経ってんのか……)

 ケイウォルス学園がカイーナと化したのは、九時を過ぎた頃。生徒の救出や結界の構築に小一時間ほど掛かり、すでに夜中の十一時をまわっていた。

 やがて黒江が回線を復旧させる。

「りん、呼びかけてみて」

「サンキュー」

 輪はインカムを掴み寄せて、とにかく救援を呼び続けた。

「こちらケイウォルス司令部、第四部隊! 学園で非常事態が発生し、孤立している。大至急、応援を頼む!」

 何度目かの呼びかけで、回線が開く。

「繋がったか! こちらARCケイウォルス司令部、イレイザー第六……第四部隊。応答を願う、こちら、ARCケイウォル……」

『輪っ! 無事だったのね!』

 聞き覚えのある声だった。

「御神楽か? こっちは何とかな」

 ようやく仲間と繋がり、輪たちはほっと胸を撫でおろす。

 向こうは学園の外まで脱出できたようだった。

『よく通信できたな』

「そっち方面に強いやつが第四にいるんだ。でも、長くは持ちそうにない」

『了解よ。そっちの状況と、用件を教えて』

 御神楽の声にはいつも以上の張りがある。ずっと自分の過去に悩んでいたようだが、この最悪の事態において、吹っ切れたのかもしれない。

 輪たちは生徒の大半を保護したこと、まだ校舎に数名の要救助者が残っていることを、御神楽にも伝えた。ほかにも気になったことは報告しておく。

「魔女の仕業だぜ、こいつは。目玉がいっぱい飛んでやがるんだ」

『やっぱり……』

「あと、カイーナにしては、レイがまったく出てこないんだよ。おかしくないか」

 回線の向こうでも疑問の空気が漂っていた。

『なら、学校のみんなはひとまず無事、ということかい?』

「今のところはな。けど、のんびりしてはいられないだろ。オレはこれから、第四部隊と一緒に校舎に突入するぜ。まだ先生と、生徒も何人か取り残されてるんだ」

 輪は閑たちと頷きあって、その言葉に決意を込める。

『本気か? ARCの応援も呼べないんだぞ』

「オレたちだけでも、やるしかない。そっちも動くなら、タイミングを合わせないか」

 相手が魔女である以上、御神楽にも引くに引けない理由があった。  

「おい、早く決めてくれ。もう通信が持たないぞ」

 しばらくして、御神楽のほうから力強い返事が返ってくる。 

『作戦は決まったわ。輪、午前二時に決行よ』

「二時か? まだ、かなりあるな」

『何なら、先に始めてくれてもいいけど』

「いや、同時に始めたほうがいい。こっちは魔眼に睨まれてるしさ」

 輪たちの心も決まった。

「そっちは最深部に直行するつもりだろ?」

『ええ。学校のみんなは頼んだわよ。あてにしてるんだから』

 かろうじて繋がっていた回線が、ぷつりと切れる。

「……限界。ごめん」

「充分だよ。ありがとうな、黒江」

 ひとまず二時になるまで、情報を集めつつ、様子を見ることになった。

「魔眼の魔女とは御神楽たちが決着をつけるはずだ。あいつらが全力で戦えるように、オレたちはサポートに徹しよう」

「ええ。みんなを保護するのが最優先だわ」

生徒らは瘴気のせいで昏倒しているものの、命に別状はない。ただし無防備かつ無抵抗であるため、レイに襲われては、ひとたまりもなかった。

「さすがにこの人数を一度に脱出させるのは、無理でしてよ」

「ここにも誰か残ったほうがいいな」

「それならワタシが残りマショウ。大船に乗ったつもりで、安心してクダサイ」

講堂の防衛にはゾフィーがつく。

「あとはオレが魔装を呼び出せたら、いいんだけど……」

 閑や澪は双眼鏡を使って、逆さまの景色を眺めていた。下にある夜空には分厚い暗雲が垂れこめている。

 学園の外は信号さえ消え、暗闇の中、不気味なほどに静まり返っていた。

「カイーナからだと、こんなふうに見えるのね」

 街はひっくり返って、ビルを逆さ吊りにしている。実際はカイーナが逆さまになるのではなく、イレイザーが逆さまになるため、こう見えるのだろう。

「街のみなさんは大丈夫でしょうか……ひょっとしたら、目玉は外にも広がって?」

「どのみち逃げ場はありませんのね。学園のみんなも、わたくしたちも……」

 黒江はノートパソコンで情報収集に没頭している。

「多分、みんな寝てるだけ。でも普通の、自然な睡眠じゃない」

「それも全部、あの目玉の仕業ってわけでしょ」

 とりわけ優希はメンバーの中でも『視線』を感じるようで、そわそわと落ち着きがなかった。現に魔眼の力は日頃から閑たちに絡みつき、プロテクトを掛けていたはず。

「ここはカイーナになっちまったから、みんなもアーツは使えるんだよな」

「運がいいんだか、悪いんだか、ね」

「愛煌さんの指示で水着を着てて、正解だったなんて……」

 幸いにして、メンバーのバトルユニフォームは百パーセントの性能を発揮してくれた。学園指定のスクール水着が純白の輝きを放つ。

 やがて深夜の一時を過ぎた。作戦開始の時は刻一刻と迫っている。

「午前二時まで、あと一分」

 いよいよ黒江のカウントが秒読みに入った。8、7、6と数字が小さくなるにつれ、緊張感が高まる。輪の引き締まった横顔にも冷や汗が流れた。

「……ゼロ!」

 その瞬間、街のほうから怒涛のエネルギー波が飛んできて、校舎の一部を貫く。

「きゃあああっ?」

 衝撃でカイーナが揺れ、魔眼の群れも驚いたように散った。

輪は踏ん張りながら号令を放つ。

「無茶苦茶しやがるぜ、御神楽のやつ……! オレたちも行くぞ!」

「ええ! 行くわよ、みんな!」

 意を決し、ついに第四部隊のメンバーも出撃した。

 講堂にひとりで残ることになったゾフィーが、不安そうに溜息を漏らす。

「嫌な予感がしマス。気をつけてクダサイ、Darling」

 真夜中の学園で決戦の幕があがった。

 

 魔眼の視線をかいくぐり、校舎を目指す。

「……追ってはこないのか?」

「目を合わせちゃだめ」

 輪たちが通り過ぎると、目玉の群れは一斉にぎょろっと向きを変えた。だが、その殺気とは裏腹に、攻撃してくる気配はない。

(魔女の意識が御神楽のほうに行ってくれたか……)

 御神楽たちのことも気掛かりだが、とにかく今は先を急ぐ。

 逆さまになっているせいで、足場などなかった。浮遊のスペルアーツを併用しつつ、壁沿いを慎重に進む。

「こんなところでは戦えませんね、輪くん」

「逃げるしかねえな……。作戦通り、沙織は前を頼む」

「了解しましたわ」

 戦闘が目的ではないため、今回は隊列を変えた。前衛には守備力の高い沙織が立ち、何かと仕事の多いスカウト系の黒江を、二番手に配置している。

 足場の少ない中、優希はメンバーの移動をフォロー。

「掴まって、澪ちゃん」

「はい。ありがとうございます」

 輪は閑とともに最後尾でしんがりを務めた。

 ようやく見えてきた校舎の玄関へと、閑がジェダイトを向ける。

「突入するわよ、みんな!」

 黒江が高速で得意のスキャンを走らせた。

「識別完了。トラップ、なし」

「ボクに任せてっ!」

 そのドアを優希が豪快に殴り飛ばす。

 内部は迷宮化しているものの、一本道だった。曲がりくねった廊下を駆け抜け、職員室か生徒会室を探す。しかし突き当たりにあるのは、オカルトめいた広間だった。

「なんだ、こりゃ……おかしなまじないでもしてたのか?」

 頭上の床には魔方陣が描かれており、鈍い光を放つ。燭台も逆さまになって、黙々と炎を揺らめかせていた。

沙織がハルバードのニーズホッグを構え、真っ先に中へ飛び込む。

「みなさん! ご無事でして?」

 返事はない。しかし要救助者は一ヶ所に固められたうえで、頑丈な結界にも守られていた。そこにセプテントリオンを見つけ、輪は目を見開く。

「お前は……メグレズ!」

「随分と遅かったじゃないの。マイダーリン」

 メグレズが杖を掲げると、結界に波紋のようなものが広がって、張りを増した。

「こういう防御系の術は苦手なのよ。……ゾフィーもいるんでしょう?」

「あいつは体育館でみんなを守ってんだ」

「なるほど。適材適所ってことね」

 メグレズほどの人物がすでに駆けつけてくれていたのは、心強い。しかし裏を返せば、それだけ異常かつ危険な事態ということでもあった。

「どうして、あなたが……」

「ご挨拶ねえ、イチノセシズカ。ちょっと後夜祭を覗きに来ただけよ。この状況はこちらにとってもイレギュラーだってことは、信じて欲しいわ」

 そんなメグレズに対し、閑や澪らは警戒を解くに解けない。

「……信じろって言われてもね」

「あなたには何度もおかしな目に遭わされてるんです」

輪も一度は疑った。

「本当にお前がまたなんか企んで、やらかしたんじゃないだろうな?」

「まだ続けるのかしら。この状況で、何を優先させるべきかは、明白でしょう?」

 沙織がニーズホッグを降ろす。

「このかたの言う通りですわ。輪さん、閑さんも」

「……そうね」

 依然として学園は無数の魔眼に囲まれていた。メグレズも真剣な顔つきで、不慣れな結界の維持にエネルギーを注いでいる。

「さっき使い魔を飛ばしておいたわ。街のほうは、ほかのセプテントリオンが守ってるから、安心してちょうだい」

「ああ。疑って悪かった、メグレズ」

 輪は素直に頭をさげ、フォーメーションを拠点の守備に切り替えた。

 黒江は早速、優希とともに要救助者の確認に当たる。

「メグレズ、取り零した可能性は……ある?」

「大丈夫よ。ここまでカイーナ化が進めば、この子たちの生命反応も目立つから」

 教師のほかには生徒会の面々もいた。館林陽子も気を失っている。

「イレイザーとして館林に関わるのは、これで二度目か」

「向こうは憶えてないでしょうけどね」

 あとは御神楽が魔女を倒し、ケイウォルス学園をカイーナから解放してくれるのを待つだけ。しかし輪は一抹の不安とともに、悪寒を禁じえなかった。

 夥しい数の魔眼。なのにレイは一体も姿を見せない。

「メグレズ、これは御神楽と魔女の戦いだって、お前も知ってるんだろ?」

「そのようね。おそらく学園は魔女の暴走に巻き込まれただけ……そこらの魔眼も、みなを眠らせただけで、それ以上のことは一切してこないもの」

「じゃあ、あの魔方陣は……」

 俄かに瘴気が濃くなってきた。メグレズの結界に亀裂が入る。

「くうっ?」

「わたしも手伝うわ!」

 そこにヒーラー系の閑が結界を重ねることで、何とか持ちこたえることができた。

 魔方陣が脈打つように不気味な光を循環させる。メグレズの結界は皆を瘴気から守るとともに、その発動をかろうじて食い止めていた。

「あれは召喚のための魔方陣よ! 誰が書いたのか、わからないけど……これ以上はもう抑えきれないわ」

 沙織と澪は臨戦態勢を取って、黒江のスキャンを待つ。

「な、何が起こってるんですか? 黒江さん!」

「レイが近づいてきてる。フロアキーパーなんてレベルじゃない……!」

 逆さまの学園が不意に揺れた。足元で一部の『天井』が割れ、暗黒の地獄へと落ちていく。その果てのない深さに肝を冷やしつつ、輪はそれを目撃した。

「な、なんだ……あいつは」

 悪魔が来る。一対の羽根を広げ、狂おしそうに笑いながら。

 同じものを見て、メグレズが声を震わせた。

「まさか、あんな怪物が……あ、あれはカイーナ級の魔王、ベルフェゴール!」

 ベルフェゴールはその巨体でケイウォルス学園へと突撃し、大穴を空けてしまった。悪魔の形相が牙を剥き、輪たちに戦慄をもたらす。

「ベルフェゴール、だって……?」

 地獄には階層ごとに七体の魔王がいると、姉から聞いたことがあった。

 第一地獄カイーナには色欲のアスモデウスを除き、六体の魔王が存在する。その一体、怠惰のベルフェゴールとやらと遭遇してしまった。

「ちょっと待てよ! じゃあ、ここは正真正銘の地獄だってのか?」

「地獄に落ちかかってるのよ。次元も相当、歪んでるわね」

 ベルフェゴールが首筋や胴、脇腹で次々とサークルを展開し、障壁を張り巡らせる。

「この怪物は魔法を……」

「しっかりして、沙織! 黒江、優希も!」

 メンバーに動揺が広がり、閑は必死に声を荒らげた。澪がアーツの詠唱に入って、ベルフェゴールを睨みあげる。

「ここで撃退するしかありません!」

「う、うん! ボクたちでみんなを守らなくちゃ!」

 優希や沙織も構え、魔王の巨体と対峙した。

「通用しそうなのは『光』の属性……しずかのあれなら、きっと」

 サポート役の黒江を庇いつつ、輪はブロードソードを力いっぱいに握り締める。

「メグレズはそのまま結界を張っててくれ! 黒江と五月道は援護を! 閑はグランドクロスに集中するんだ!」

「え、ええ……やってみるわ!」

 第四部隊を覆い尽くすかのように、ベルフェゴールが羽根を広げた。

「イグニスフレア!」

 澪がセイレーンとともに火炎を二重に放つ。それは魔王の左腕を包んだが、ベルフェゴールはまるで苦悶を浮かべなかった。右腕には沙織がハルバードを叩き込む。

「狙ってくださいまし、優希さん!」

「オーケー!」

 同じタイミングで優希は敵の肘を強烈に打った。人体の構造に近いのだから、関節への攻撃は効くはず。それでも魔王は平然と嘲笑っていた。

「実体が希薄だから……だめ! さがって!」

 黒江が急に大声を張りあげる。

 ベルフェゴールの正面へと魔方陣が集まった。

「ま、まさか?」

「あなたもさがりなさい、マイダーリン!」

闇のエネルギーがさながら弾幕となって、輪たちの頭上へと降り注ぐ。

「いけませんわ! これは……」

「きゃああ!」

 かわしきれる数ではなかった。教師らは閑とメグレズが結界で守っているものの、前衛の三人は逃げ場もなしに直撃を受ける。

「輪! 沙織! 優希!」

 だが間一髪、輪の防御障壁が間に合った。ARC製のバトルユニフォームを魔装に切り替え、ベルフェゴールの猛攻を凌ぐ。

「はあ、はぁ……で、できたぜ。これなら、オレでもちょっとは」

 魔装のためにパンツエクスタシーは使えなくなってしまったものの、力が漲ってきた。後ろの優希や沙織を庇いながら、魔王の弾幕に耐える。

「ダーリンちゃん、それは?」

「説明はあとだ。こいつはやばいぞ……」

 ベルフェゴールが障壁を張っているせいで、澪のスペルアーツでは届かなかった。より火力の強いメグレズは、生徒たちの防衛から手が離せない。

「まずい、さがれ!」

 魔王が羽根を切るだけで、竜巻のような暴風が巻き起こった。陣形を乱され、輪と黒江は結界の前まで転がり込む。

「み、みんな! しっかりして!」

 閑はグランドクロスの詠唱どころではなく、メグレズとともに結界の維持に専念していた。ベルフェゴールの攻撃を受けるたび、ひびが大きくなっていく。

「こっちは何とか大丈夫だ。黒江、立てるか?」

「りんが守ってくれたから、軽傷……」

 暴風の中、沙織と優希は何度も攻撃を試みたが、魔王の巨体には通用しなかった。

「だめですわ。スキルアーツもバリアのようなもので弾かれてしまいますの」

「動きは早いってほどじゃ、ないんだけど」

 ベルフェゴールが羽根を広げ、何やら念じ始める。

「第五……ううん、第六サークル! まずいのが来る!」

 黒江は青ざめ、ほかのメンバーも息を飲んだ。メグレズが歯を軋ませる。

「あんなものを撃たれたら、この程度の結界ではひとたまりも……」

「そうはさせるか!」

 輪はブロードソードを捨て、両手を触手に変えた。魔装の力とは相性がいいようで、ベルフェゴールの両腕をどうにか縛りあげる。

「オレごとやってくれ、五月道!」

「は、はい!」

 澪が放った電撃は触手を伝わることで、ベルフェゴールの障壁をくぐり抜けた。初めてベルフェゴールにダメージを与え、詠唱を妨げたものの、輪も苦痛に表情を歪める。

「ぐっ……五月道、もっと威力を上げるんだ!」

「これ以上は輪くんが持ちません!」

 後衛の黒江がバズーカ砲のスキルアーツ、グラシャラボラスを起動させた。

「敵の分析、完了。これなら……さおり、ゆき、手伝って」

「わかりましたわ!」

 沙織のニーズホッグが変形し、三脚の台となる。優希はグラシャラボラスを押さえ、ベルフェゴールに狙いを定めた。

「ファルシオン、最大出力! いつでもいいよ、黒江ちゃん!」

 砲口の前で魔方陣が三重に重なる。

それを貫通しながら、渾身の熱線が放たれた。

「……グラシャラボラス、ファイア!」

 エネルギー波が魔導のコードをまといつつ、ベルフェゴールを直撃する。

 魔王の障壁にひびが入り、ついに割れた。続けざまに澪が、炎の鳥を矢のように撃ち、ベルフェゴールを業火で包む。

「今です! 閑さん!」

「あとは頼む!」

 閑が十字を切って、祈りを込めた。

剥き出しとなったベルフェゴールに目掛け、眩いほどの光を放つ。

「退きなさい、魔王! グランドクロス!」

 メグレズが歓喜に震えた。

「これはアルコルの光! 間違いないわ、あなたは私たちの、死兆星……!」

 光の十字が悪魔を貫く。ベルフェゴールは断末魔をあげ、塵と化した。

輪は腕をもとに戻し、ぺたんと尻餅をつく。

「か……勝った、のか……?」

 勝利の実感などなかった。ただ、脅威が去ってくれたことで、力が抜ける。

 それほどに強敵だった。沙織や優希も膝をつき、呆然としている。

「やりましたわ……ですけど、誰があんなものを?」

「みんなを狙ったにしては、ちょっと変だよね。まるでボクたちを待ってたような……」

 召喚のための魔方陣は消滅していた。

(……あいつは何のつもりで?)

 ベルフェゴールはあえてこのタイミングで出てきたとしか思えない。わざわざ召喚の儀式によってここに呼び出されたのだから、人為的な悪意を感じた。

何より犯人は魔導に精通している。

「お前が呼んだってわけじゃねえんだろ? メグレズ」

「違うったら。ゾフィーの仲間という線はあるかもしれないけれど……」

「り、輪さん! 大変です、黒江さんが!」

 澪と閑は黒江の介抱に当たっていた。輪もはっとして駆け寄る。

「黒江っ! どうしたんだ」

「力を使いすぎただけ……少し休めば、平気」

 誰もが消耗し、疲労困憊だった。この状況であのような悪魔にまた襲われては、次こそ凌ぎきれないだろう。輪は黒江の手をしっかりと握りながら、願いを込める。

(頼む、御神楽! ケリをつけるなら、早くしてくれ)

 すでに三時を過ぎていた。沙織や優希も疲れを見せ始め、警戒に神経をすり減らす。

「御神楽さんのほうは無事かなあ……水泳部の後輩だし、心配」

「あいつ、ちょっとは泳げるようになったのか?」

 当たり障りのない話題を振ったつもりが、閑たちには睨まれてしまった。

「どうして、あなた、御神楽さんがカナヅチだって知ってるの? さてはプールに……」

「違うっての! そんな無謀なことするか!」

「わかりませんよ? このひと、前に女子の体育に紛れ込んだりもしてましたから」

 男女比が1:5ではとことん分が悪い。しかも今夜はメグレズがいる。

「マイダーリンにはもう少し落ち着いてもらいたいわねぇ」

「お前まで……そういや、さっき、アルケーがどうとか、言ってなかったか」

「……あら、何のことかしら」

 寝たふりをしつつ、黒江が輪の手を引いた。

「その話、今はしないで。わたしがあとで検証するから」

「お、おう」

 今回の件はセプテントリオンが仕組んだわけではない。現にメグレズには命懸けで皆の窮地を救ってもらっている。その結界も次第に弱まってきた。

「そろそろ限界ね。夜明けまでは持つでしょうけど」

「頼りにしてるぜ」

 しかし彼女の厚意に感謝する一方で、疑惑を拭いきれない。ベルフェゴールとの戦いの最中、メグレズは一之瀬閑のグランドクロスに異様なほど驚嘆していた。

(ここで追及して、みんなを巻き込むわけにもいかないか)

 今夜のところは事態の収拾を優先し、黙っておく。

 やがて瘴気が薄くなってきた。学園の周囲から目玉も消えていく。

「みなさん! カイーナが消滅します」

「やっとか……もう一回、ひっくり返るぞ。みんなを受け止めてやらねえと」

「それじゃ、澪たちはダンスホールのほうに戻って、ゾフィーさんのフォローを……」

 回線も復旧したようで、哲平から通信が入った。

『第六、第四部隊! 応答してください!』

「哲平か! こっちは無事だぜ。お前のほうこそ、怪我の具合はどうなんだ?」

『ご心配をお掛けしました。まったく歩けないほどではありませんので』

 ちょうどカイーナの最深部から第六部隊の面々も戻ってくる。愛煌=J=コートナー、比良坂紫月、クロード=ニスケイア。さらにクロードはひとりの少女を抱えていた。

「真井舵! 無事だったようね」

「こっちの台詞だっての。……あれ、御神楽のやつは?」

 ところが肝心の御神楽が見当たらない。紫月がしれっと答える。

「姫様なら『野暮用がある』といって、抜けたぞ」

「止めなさいよ、比良坂!」

 最後の最後で御神楽を捜す羽目になってしまった。

 

 かくして『魔女事件』は終息し、御神楽緋姫は戦線に復帰。真井舵輪は第四部隊へと戻り、閑に代わってリーダーの任に就くことに。

 そして新しい戦いが待っていた。

 

 

 カイーナから脱したケイウォルス学園を、ひとりの少女が漫然と眺めている。

「カイーナ級の魔王なら、コントロールも簡単ね」

 セプテントリオンのひとりにして『暴食』を司る、ベネトナシュ。

 久留間皐月は眼鏡を外し、その瞳に真っ赤な狂気を宿した。

「年が明ける頃には始まるかしら。あの『王国』もリミットが迫ってるんだし……」

 メグレズさえ、まだベネトナシュの反逆には気付いていないだろう。ただの人間、アーツも使えないとなっては、たかが知れている。

 まともにやりあえば、ほかのメンバーに敵わないことは、久留間もわかっていた。

「次に動くのはドゥベ……そっちはお遊びにしても、アリラトは必ず連中を揺さぶってくれるわ。注意すべきは、一之瀬閑……」

 明け始めた夜空で北斗七星が輝く。

 その傍らには第八の星、アルコルがあった。

 死兆星、アルコル。セプテントリオンの生と死を司る、始まりにして終わりの星。彼女の存在が明らかになった今、メグレズも何かしらの行動を起こすはず。

「もうすぐよ。ククク……」

 サツキ=ベネトナシュの笑声が木霊する。

「十四万四千の復讐のために。死ね」

 北斗七星は黙々と輝いていた。

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