ダーリンのだぁだぁ大作戦!

第3話

 週も明け、早朝からL女学院を目指す。

 メンバーは輪、閑、ゾフィー。それから多忙な愛煌に代わって、生徒会の一年生、館林陽子が同行することになった。彼女のほうは輪たちを憶えていないらしい。

「短い間だけど、よろしくね。真井舵くん、一之瀬先輩」

「お、おう」

 館林家は由緒ある神主の家系であり、娘の陽子は巫女として、長らくパンツを穿いていなかった。その劣等感が持ち前の妖力と結びつき、奇想天外な事件も起こしている。

(さすがに今は穿いてんだろーな)

 生徒会の彼女はまだしも、留学生のゾフィーが加わったことで、おかしな面子になってしまった。案内役として、L女学院の周防御守が駅まで迎えに来てくれる。

「おはようございます、ケイウォルスのみなさん。ご足労いただき、感謝しています」

「こちらこそ、ご丁重なお迎え、ありがとうございます」

 御守の相手は館林に任せて、輪たちは専用の送迎バスへと乗り込んだ。

「なんか引っ掛かるんだよなあ、周防姉って……」

「あのひとがどうかしたの? 輪」

「いや、妙な気配っつーか……閑は何か感じたりしないのか?」

 隣の席で閑が首を傾げる。

「周防くんに似てるから、そう感じるだけじゃない? そっくりだもの」

「あー、なるほど。違和感の正体はそれかもな」

 やがてバスはL女学院の学び舎へと辿り着いた。門構えからして王宮の城門さながらに壮麗な造りで、不可侵性を漂わせている。

 ここでは教師も全員が女。男子の輪が足を踏み入れるのは、異例中の異例だとか。

 やっとバスからゾフィーが降りてきて、寝ぼけ眼を擦った。

「ふあぁ……早すぎマスってば」

「じきに生徒も登校してきますから、お急ぎください」

 周防御守の案内で、まずは学院長や教職員に挨拶をしてまわる。

 校舎の中はアンティーク調の雰囲気で満たされていた。窓もただの長方形ではなく、半円状のアーチが掛かっている。

「すげえなぁ……」

階段の手すりにしても、細やかな意匠が施されてあった。

 麗しい学び舎を、閑もしげしげと眺めてばかり。

「沙織と黒江はここの中等部に通ってたのよね。道理で品格も違うわけだわ」

「その理屈はおかしいぜ。だったら、蓮も一流のレディーってことになっちまうだろ」

「あんなに可愛い妹さんに、ご不満でも?」

 学院長は整然とした風貌の女性だった。五十を過ぎているようだが、その眼光の鋭さは少しの衰えも感じさせない。

「ようこそ、いらっしゃいました。ケイウォルス学園のみなさま」

「初めまして、学院長。ケイウォルス学園の生徒会、一年の館林陽子と申します」

「あらまあ! 奥ゆかしいお嬢さんですこと。この一週間、どうぞ、自分の学校と思ってお過ごしになってくださいね」

 彼女は、館林や閑には穏やかな笑みを弾ませた。

ところが輪に対してだけは、敵意そのものの警戒心を剥き出しにする。

「……ただし、そちらの男子は話が別です。我が校は『女子高』ですので」

 学院長が手を叩くと、輪たちの後ろでドアが開いた。

 風紀委員の腕章をつけた彼女、ツバサ=ミザールが不敵に微笑む。

「残念だったな、リン。貴様には私が監視につくのさ。問題を起こすようなら、その場で仕置きをくれてやるから、覚悟しておけ」

「ツ、ツバサ……」

 どういうわけか、学院長の信用もあつかった。

「あなたの判断に一任します、ツバサさん。お好きになさい」

「了解だ。大船に乗ったつもりでいてくれ、学院長」

 学院長室をあとにして、輪は肩を落とす。

「はあ……なんでオレが」

「それだけ学院長もL女のことが心配なのよ。あまり気にしないで、輪」

 登校時間になったようで、次第に生徒の話し声も聞こえだした。輪たちはを一階の客室を借り、準備を済ませておく。

「貴様とシズカは私と1-Aに来い。ほかのふたりはミモリと一緒に1-Cだ」

 その班分けには年上の閑がたじろいだ。

「ちょっと待って? わたし、二年生なんだけど……」

「ひとりで単独行動させてもと、な。すまんが、付き合ってくれ」

 思いもよらない展開となり、輪も呆気に取られる。

(ひょっとして……閑と同じクラスで?)

同じ教室で学んだことがあるのは、五月道澪だけだった。黒江も優希も沙織も、輪よりひとつ年上の上級生。

 しかし今回は交換授業のおかげで、閑と机を並べることができる。

「早く行こうぜ。じゃあな、ゾフィー! 館林!」

「急にどうしたんデス? まあ、こっちは任せてクダサイ」

 予鈴が鳴ってから、輪と閑はツバサとともに1-Aの教室へと向かった。途中、廊下ですれ違った女子生徒らが、一度は輪に視線を引っ掛けていく。

「……どうして男子が?」

「交換授業でしょ」

 思ったほどのリアクションはなかった。ほかの女子も『へえ』とか『ふーん』程度の感想だけで、さして興味もなさそうに顔を背ける。

(……あれ? おかしいなあ)

 もっと騒がれるものと腹を括っていたが、拍子抜けしてしまった。

 1-Aの教室に入っても、真井舵輪にはしかるべき驚きや戸惑いが向けられない。むしろ一之瀬閑のほうが注目を集めた。

「あのかたがケイウォルス学園の生徒さん? 綺麗なひと……」

「はい、静かに。ホームルームを始めます」

 ツバサは一番後ろの席に戻り、代わって担任の女教師が輪たちを紹介する。

「今日から一週間、一緒に勉強することになった、一之瀬さんと……そうそう、真井舵くん、だったかしら? 学院のこと、色々教えてあげなさい」

 さすがに生徒たちも輪を来客として認識し始めた。

「え、あの男子が?」

「ふうん。ほんとに来たんだ」

 それでも第一印象は淡泊で、肯定も否定も聞こえてこない。

 座席は最後列で、右からツバサ、閑、輪の順番となった。てっきり授業中も隣でツバサに監視されるものと思っていたため、少しは気も楽になる。

 さらに左の、窓際の席には眼鏡の女子が座っていた。ツバサが紹介してくれる。

「そっちの不愛想な眼鏡が、ベネトナシュだ」

「学校ではその名前で呼ばないで」

 彼女は面倒くさそうに溜息をつくと、眼鏡越しに輪を見据えた。

「……久留間皐月よ。言っとくけど、あまり話しかけないでくれるかしら」

 その瞬間、猛烈な悪寒が輪を襲った。

(うっ?)

 全身から血の気が引いて、鳥肌が立つ。頭の中をおぞましいビジョンが駆け巡り、声をあげそうになってしまった。

(何を見てんだ、オレ? まさか地獄なのか?)

 夥しい数の悪霊が悶え狂いながら、怨嗟を轟かせるかのような光景が――。

「どうしたの、輪? 真っ青じゃないの」

「え? あ、いや……大丈夫だ」

 閑の声で輪は我に返った。久留間皐月も不思議そうに首を傾げる。

「具合が悪いなら、帰れば」

「なんでもねえって。ほら、今朝は早かったからさ」

 間もなく一時限目の授業が始まった。借り物の教科書を広げ、黒板に向かう。

 当然、L女学院は進学校としても名高い。ケイウォルス学園でもせいぜい『中の下』に過ぎない輪で、太刀打ちできるはずもなかった。

 最初の英語の授業からして、教師の説明もほとんど、英語。

 数学では応用問題のレベルが平然と出てきて、輪を置いてきぼりにする。おたおたしていると、久留間に図星を突かれてしまった。

「大丈夫なの? あんた」

「あ、あんまり……」

 右の閑は頬杖をつき、感心気味に輪のことを眺めている。

「……どうかしたのか? 黒板はあっちだぜ」

「ちょっとね。輪っていつも、そんなふうに授業、受けてるんだなあって」

 格好悪いところを見られてしまった。しかも閑はこれを『普段の輪』と思っている。

 数学の教師が恐ろしいことを囁いた。

「そうねえ、次は……せっかくだし、交換授業のおふたりに解いてもらいましょうか。それじゃあ、一之瀬さんから」

「はい。その部分の面積を求めるには……」

 閑が席を立ち、すらすらと計算式を読みあげていく。教師の受けも上々。

「正解よ。この大きな三角形から、小さな三角形を引くだけね。……じゃあ、次は真井舵くん! 辺CEと辺EDの長さを出すには、どんな式にする?」

「……へ?」

 何を言われたのか、まるでわからなかった。輪は半ば呆然として、冷や汗をかく。

 これでも数学は比較的、得意だった。しかし頭をフル回転させたところで、取っ掛かりすら掴めない。混乱のせいもある。

「真井舵くん? そう緊張しないで」

「いや、あの……緊張してるわけじゃなくって……」

 まごついていると、見かねたらしい久留間がメモを寄越してくれた。

輪ははっとして、藁にも縋る思いで読みあげる。

「そ、相似です! 大きいほうの三角形で長さの、えぇと、比率を出せば、多分」

「ちゃんとわかってるじゃないの。これの相似条件は?」

「角度……ふ、ふたつの角度が同じだから、です」

 しどろもどろになってしまったものの、ひとまず窮地は切り抜けた。恩人の久留間は素知らぬ顔で窓の外を眺めている。

 やがて休み時間となった。

「さっきは助かったぜ、久留間。サンキュー」

「……別に」

 1-Aの女子生徒らは一之瀬閑を招いて、和気藹々と盛りあがる。

「一之瀬さんって、二年生だったんですね。道理で、落ち着きがおありで……」

「ひとつ違うだけでしょ? 年上だってことは、気にしないで」

 その一方で、男子の真井舵輪は放ったらかしにされていた。風紀委員のツバサが監視の目を光らせているせいもあるらしい。

(居たたまれないな、こいつは)

 遠慮がちに輪は隣の久留間に声を掛けた。

「なあ、久留間? ちょっと話し相手になってくれないか」

「話しかけないでって、言わなかった?」

「わかってるけど……この空気を読んでくれよ。オレ、居づらくってさ」

 久留間が溜息をついて、古典の単語帳を閉じる。

「しょうがないわね。でも私、テレビとか全然見ないから、天気の話くらいしか……」

「なんでもいいって」

 輪は椅子ごと久留間のほうを向き、相槌の体勢を取った。ところが。

「今年の夏はエルニーニョ現象で涼しくなるって言われたけど、ラニーニャだった去年よりも平均気温が高かったわね。結局、都市部ではヒートアイランド現象が発生するから、エルニーニョもラニーニャも大して関係がないわけ」

 本当に『天気の話』をされ、取りつく島もなかった。輪はくずおれ、頭を抱える。

「……お前のこと、ちょっとでも『いいやつ』と思ったオレが、馬鹿だった」

「今さら?」

 久留間が冷笑を浮かべた。

「悪党よ、私。だから、アーツだって使えないんだもの」

「どういう理屈だよ……」

 その後もハイレベルな授業には悪戦苦闘。昼休みになって、やっと解放される。

「輪、早く食堂に行きましょ。わたしもお腹が空いちゃったわ」

「おう。飯でも食べて、力つけねえと」

「案内してやる。来い」

 ツバサとともに1-Aの教室を出て、一階の食堂へ。

 L女学院の食堂では各自、好きなものを取って、食後に清算するシステムだった。

女子高だけのことはあって、ヘルシーなメニューが目立ち、カロリーや栄養の詳細な表示にも抜かりはない。とりあえず輪はコロッケとカレーを選ぶ。

「これ、余った分はどうすんだろうな」

「ちゃんと余らないようになってる。心配いらん」

「うふふっ。迷っちゃうわね」

 閑はちゃっかりデザートまで取っていた。食いしん坊の優希がいないのは、正解だったかもしれない。ただ、それが寂しくもある。

(放課後になったら、解毒薬のこと、久留間に相談しないとな……)

 ゾフィーと御守はすでに席につき、1-Cらしい面々に囲まれていた。割り込むのも気が引けたため、ほかの空席を探す。

 中等部生も食堂へとやってきた。賑やかな一団が輪を見つけ、声を弾ませる。

「ア~ニキっ!」

「お? なんだ、蓮か」

 妹の真井舵蓮。ふたつ年下で、ここL女学院の中等部に通っていた。

 蓮がにやにやと輪の腕にしがみつく。

「どーせ居場所がなくって、困ってんでしょ? こっちでチヤホヤしてあげるからさ」

「お、おい、カレーがひっくり返っちまうだろ」

 ほかの面々も面白半分に近づいてきた。夏に遊園地で会った女の子もいる。

「お兄さん、お兄さん! 放課後は中等部に遊びに来てくださいよぉ」

「サービスしてあげちゃうんだけどなー」

 初対面の子が急に大声をあげた。

「蓮ちゃんのお兄さんってことは……あーっ! あの、上級生に片想いしてるっていう」

 思わぬところで奇襲を受け、心臓が跳ねる。

「おおっ、おかしなこと言うなっての! 誤解されっから……」

 本当のことだけに、平静を装ってなどいられなかった。輪は狼狽しつつ、閑の反応に背筋を凍りつかせる。

「ふーん? 初めて聞いたわ、そんな話。あなたも男の子だものね」

 閑は素っ気ない調子で顔を背けた。

「いや、その……」

「あなたは蓮ちゃんと一緒に食べればいいんじゃない?」

 と思いきや、悪戯っぽく舌を出して微笑む。怒っているわけではないらしい。

「行きましょ、ツバサさん」

「私はこいつを監視しなくてはならないんだが……」

 閑はツバサを連れ、離れていった。

 渋々、輪は妹たちと一緒に昼食の席につく。

「さっきは肝が冷えたぜ……大声でああいうことは勘弁してくれ」

「えー? 脈アリっぽい感じでしたよ?」

 傍から見れば、中等部の女の子にモテモテかもしれない。けれども実際は単に面白がられているだけだった。

 妹の蓮がじとっと視線に含みを込める。

「閑さんに優希姉でしょ、それから沙織さんと、黒江先輩と、澪先輩……卒業する頃には誰か、妊娠してんじゃない?」

「するかっ!」

 相変わらず、この妹の冗談には遠慮がなかった。

「お兄さん、放課後はー?」

「ああ、ごめん。用事があって、そっちに出ないとけないんだ」

「んもう。一週間しかないんですから、どっか空けてくださいよお」

 中等部の女の子たちにオモチャにされながら、てきぱきとランチを済ませる。

「恋愛の相談にも乗ってあげますよ、お兄さんっ」

「いいって。自分で何とかすっから」

「きゃ~! お兄さんってば、カッコイ~!」

 このテンションに付き合っていられるほどの余裕もなかった。

「じゃあな、蓮」

「ちぇー。乗りが悪いなあ……」

 妹たちと別れ、一足先に食堂をあとにする。

「……っと。ついでに」

 ふと生理現象を催した。輪はきょろきょろとトイレを探す。

「あ、あれ? もしかして……」

 だが女子高に男子トイレがあるはずもなかった。その事実にぎくりと青ざめる。

(や、やばいぞ! どうすんだよ、これ!)

 昼食後の満腹感は一転して危機感となった。しかし我慢すればするほど、股間にエネルギーが溜まって、焦燥感を募らせる。

 まさか一般の女子トイレに飛び込むわけにもいかなかった。見つかったら最後、ツバサに捕縛され、学院長のもとで裁判に掛けられるだろう。

『被告は生理現象を理由に、我が校の女子トイレへと忍び込みました。これが破廉恥な目的であったことは、もはや疑う余地もありません』

『これ以上の詮議は無意味でしょう。判決をくだします』

 傍聴席の閑が輪に軽蔑のまなざしを向ける。それが最後に見た、彼女の顔だった。

(じじっ、冗談じゃねえぞ!)

 そうならないためにも、輪は大急ぎで職員室を目指す。

「せ、先生!」

「あら? どうかしたの、真井舵くん」

 ちょうど1-Aの担任が職員室に戻るところだった。大急ぎで事情を伝え、すぐ横の職員用トイレを融通してもらう。

「誰も入ってこないように見ててあげるから。落ち着いて」

「ありがとうございます!」

 たったひとつの親切があったおかげで、救われた。輪はためらいながらも、適当な個室に入って、雅やかなお花摘みを済ませる。

「ふう……」

 ひとまず危機は去った。しかしトイレの件は早急に相談したほうがいいだろう。念入りに身なりを整えてから、個室のドアを開いて、外に出る。

 同じタイミングで、隣からも誰かが出てきた。

「……げえっ、久留間?」

「……………」

 久留間皐月が冷めきった表情で瞳を細める。

 もう逃げるしかなかった。輪は女子トイレを飛び出し、廊下を全力疾走する。

「うわああああ~!」

「ちょ、ちょっと、真井舵くん?」

 男には戦うよりも逃げなければならない時があった。

 

 

 放課後、輪たちは客室へと集合する。

 久留間も同行し、ツバサからの依頼に頷いた。

「解毒薬はこっちで作っておくから。一週間は掛かるかしらね」

「あてにしてるぞ」

 なるべく輪は久留間と目を合わせず、ぎくしゃくと疎遠なふりに徹する。

「……久留間さんと何かあったの? 輪」

「え? いや、なんでも」

 閑の穏やかな視線が、今にも軽蔑の色に染まるのではと思うと、怖かった。幸い、久留間に例の件を言いふらすつもりはないらしい。

(それにしても……)

 これまでに出会ったセプテントリオンを順番に思い出し、輪は肩を竦めた。

 チハヤは巨乳、エミィも巨乳、ツバサまで巨乳。市販のブラジャーで間に合うかも疑わしいサイズは、第四のおっぱいメンバーにもひけを取らない。

 そんな中、久留間はペッタンコだった。見たところ、ナイチチ率は御神楽と同じくらいだろう。只者ではない気がする。

「それではカイーナに行くとするか。リン、シズカ、準備はいいな」

「え? お、おう」

 話し半分にしか聞いていなかったスケベは、ガッツポーズで取り繕った。

「いつでもいいぜ。ちょっと暴れたい気分だしさ」

「ふぅーん」

 閑の冷ややかな視線は手厳しい。

 ゾフィーはポーチにお菓子を詰めていた。

「探索にチョコレートは欠かせマセン。Darlingの分も入れておいてあげマス」

「好きにしろっての」

 輪、閑、ツバサ、ゾフィーの四人編成で、L女学院のカイーナに挑む。

 迷宮となったのは体育館だった。これでは使用できず、扉は固く閉ざされている。

「体育とか部活はどうしてんだ?」

「ほかの施設を使ってるんだ。この時期、体育はほとんどプールだろう? ここを使うのはバレー部とバスケ部、か」

 ツバサが鍵を外し、迷宮への入口を開いた。

「学院長からも『事態を解決せよ』とのことだ。よろしく頼む」

「ええ。こんな人数になっちゃったけど、やれるだけのことはやるわ」

 足を踏み入れると、床と天井とが逆さまになる。この歩きづらさもカイーナならではのものだった。ゾフィー以外のメンバーはバトルユニフォームにチェンジする。

「さあ、行きましょうか」

 閑は白色のスクール水着をベースとして、細身の剣『ジェダイト』を構えた。魅惑のプロポーションが薄生地一枚だけとなって、初心な輪を動揺させる。

(だめだ、意識しちまうと余計に……)

 しかもツバサまで、紺色のスクール水着をベースとしたユニフォームだった。お尻に生地が食い込むのを、指でくいっとなおす仕草も小慣れている。

 閑とツバサは似たような恰好で、同じ不満を口にした。

「あなたもそういう恰好なの?」

「メグレズがお前たち第四を参考にして、デザインしたんだ。お前もおかしいとは思ってるんだろう? こんな恰好で戦え、などと……」

 ふたりの視線がスケベを露骨に警戒する。

「喜ぶのはこいつだけか」

「ええ。輪って、妹さんにもスクール水着を着せるくらいだもの」

 もはや反論する気にもなれなかった。

「行こうぜ、ゾフィー。ついでにアーツ片も探してさ」

「いいデスねえ。Darlingの武器も強化してあげマスヨ」

「お、おい? 置いていくな」

 輪たちは前後に分かれて、フォーメーションを組む。前衛は輪とゾフィー、ツバサ。後衛は閑がひとりで担当することになった。

 防御や回復を得意とするヒーラーは、閑とゾフィーのふたりがいる。おかげで守備の面は心強いが、マジシャンの不在は攻撃の面で決定打を欠いた。

「五月道がいれば、なあ」

「あとはスカウトだけど……どうするの? ツバサさん」

 スカウト系の不足を指摘され、ツバサがやにさがる。

「そこは忍術の出番さ。私に任せておけ」

 彼女の手がしゅるしゅると巻物を解いた。ぼそぼそと念じながら、印を組む。

「……ハッ!」

 巻物の一部が千切れ、ふわふわと浮いた。そこに、この周囲のものらしい地図が浮かびあがる。さらにツバサはその上に赤い粉をまぶした。

「ミザール忍法、地獄耳!」

 赤い粉がいくつかにまとまって、地図の上をゆっくりと徘徊する。

「こいつがレイの位置だ。フフフ、どうだ?」

「すげえじゃねえか」

 これなら敵を避けて進むことも、潰して進むこともできた。ツバサ=ミザールのスカウト能力は第四の二景黒江に匹敵するだろう。

 ツバサは得意になって、悠々と前進を始めた。

「罠も私が片っ端から見つけてやる。さっさと行くぞ」

「へ? あ、ちょっと……」

 けれども輪と閑はうろたえる。

目の前には見るからに落とし穴があった。なのに、忍者はそれに気付かず、ずるっと足を踏み外しそうになる。

「ぬあっ? お、落ちてなるものか!」

 咄嗟にツバサは身を捻り、鎖鎌を投げた。その鎖がゾフィーのハンマーに絡みついて、みっともない落下を食い止める。

「……何やってんデスカ。いきなりトラップに引っ掛からないでクダサイ」

「い、今のは悪い見本だ。こういうことにならないように、だな……」

 忍者の言い訳は苦しかった。どうも完璧でありたいようだが、少し抜けている。

お姉さんぶって失敗する、どこぞの誰かさんと似ていた。

(いるよなあ、こーいうタイプ)

輪は笑いを堪えつつ、閑をまじまじと見詰める。

「な、なぁに? 輪」

「別に……ツバサのおかげでリラックスできたよな、って」

「そ、そうとも! お前たちの緊張を解してやろうと思ったのさ」

忍者の舌先三寸に相槌を打ちながら、いよいよ本格的にカイーナの探索を始める。輪はブロードソードを握り締め、レイに斬りかかった。

「お出ましのようだぜ!」

 剣の長さや振るう向きが、前よりもしっくりと来る。それだけ熟練し、動きにキレも出てきたに違いなかった。一体目を軽く仕留め、二体目へと突撃する。

「なかなかやりマスね、Darling!」

 ゾフィーも自前の戦槌『ミョルニル』で戦線に加わった。ホームランでもかっ飛ばすように豪快に振りきって、レイに強烈な打撃を叩き込む。

「インパクトの瞬間が大事なんデス。Darlingはそこが、あと一歩デスねえ」

「チハヤにも同じこと言われたな……練習するしかねえか」

 残りのレイも雑魚ばかり。ツバサが糸で括った札をばらまき、印を決めた。

「爆炎符!」

 いきなり炎が巻きあがって、レイの群れを焼き尽くす。

「うわっ? あちちち!」

「オーノーッ!」

 ところが、前に出ていた輪とゾフィーまで、巻き添えを食らわされた。後衛の閑が慌てて耐熱フィールドを展開し、炎を遠ざける。

「だっ、大丈夫? ふたりとも!」

「大丈夫じゃないデスヨ……」

 問題のツバサは口角を引き攣らせた。

「ま、まあ……連携ができていないと、こうなるわけだ。うむ」

「できてないのはお前のほうだろーがっ!」

 アクシデントはあったものの、ゾフィーが宝箱を見つけ、テンションもあがる。

「おっ? こいつは、いいものが入ってる予感がしマス」

「開けてみようぜ」

「素人は手を出すな。どれどれ」

 ただしカイーナの宝箱には十中八九、罠が仕掛けられていた。これを解除するのもスカウト系の仕事で、ツバサが識別を始める。

「ふむ……なんてことはない。『女神様の口づけ』だ」

「なんだよ、その不安になる名前の罠は……」

「黙ってろ。集中し……あ」

 しかし解除の途中で、不意に宝箱が開いた。キスマークのエネルギーが飛び出し、輪にばっち~んと激突する。

「ぎゃあぁ! ……さ、さっきから何やってんだよ、ツバサ?」

 ツバサのほうはちゃっかり飛び退いて、邪悪なキス攻撃を回避していた。

「……き、気にするな。そいつは実害のない、ちょっとした悪戯みたいな罠なんだ」

 だんだん不安になってくる。

 メグレズといい、能力自体は高かった。御神楽とメグレズの攻防など、思い出しただけでも鳥肌が立つ。ただ、どうにも抜けているのが玉にキズだった。

 ゾフィーがハンマーを肩に担いで、ぼやく。

「それにしても広いデスねえ。一日や二日で片付きそうにありマセン」

「下のフロアは敵も強くなるでしょうし……気をつけないと」

 この編成で勢い任せに進むのは厳しかった。やはりマジシャン系がいないことには、雑魚相手にも各個撃破となり、効率が悪いうえ、消耗も大きい。

「きりのいいところで帰ろうぜ。まだ一週間あるんだ」

「……そうだな」

交代要員の控えもいないため、慎重に過ぎることはなかった。

小一時間ほど探索したら、迷宮を脱出する。その頃には部活も終わり、スポーツバッグを抱えている生徒が目立った。この平穏な日常を守ることがイレイザーの仕事となる。

 夕暮れの解放感を、輪は背伸びで満喫した。

「ん~! こうやってカイーナを探検するのも、久しぶりだな」

「第六って実際のところ、どうなの? 確か御神楽さんと、比良坂くんと……」

 あの戦いに比べれば、今回の迷宮などイージーモードに思えてくる。

 夏に離島の遊園地で大事件が起こり、輪は第六部隊の一員として、強大なフロアキーパーと対峙した。御神楽や愛煌の機転がなかったら、呆気なく全滅していただろう。

「第六のやつらは化け物だと思うよ。レベルもガンガン上がってるしさ」

「こっちも手伝ってもらえないかしら?」

「女子高だからなあ……比良坂やクロードじゃ難しいんだろ」

 夏の激戦を思い出しながら、輪はツバサやゾフィーに尋ねてみた。

「なあ、仮面を被った女って、心当たりないか?」

「……何の話だ? 藪から棒に」

 遊園地の事件には『魔女』とやらが関わっている。仮面をつけ、グロテスクな目玉の杖を持っていた。今なお彼女がどこかで暗躍している可能性は、否定できない。

「あの体型、どっかで見た気がするんだよな。形のいいDカップで……」

「どこを見たって? 輪」

 考え込んでいると、閑にじろっと睨まれた。

「ち、違う! そういうつもりで思い出したんじゃなくって!」

「……どうだか」

 ツバサは呆れ、肩を竦める。

「痴話喧嘩はそれくらいにして、戻るぞ」

「ち、痴話喧嘩ってわけじゃ……」

 さすがに今からケイウォルス学園に寄って、夕食の準備をしていては遅くなる。ツバサの厚意に甘え、ディナーはご馳走になることにした。

 

 L女学院からの帰り際、ゾフィーが閑にだけ声を掛けてくる。

「ちょっといいデスカ? シズカ」

「なあに?」

 閑にとってのゾフィー=エルベートは、いつの間にかメンバーに混ざっていた、くらいの印象でしかない。同時期に出会ったチハヤが気掛かりだったせいもある。

 そんなゾフィーが突っ込んだことを聞いてきた。

「シズカはDarlingのことが好きなんデスカ?」

「え? ええっと……」

 閑は顔を赤らめ、返答を悩ませる。

 好きか嫌いでいうなら『好き』に近かった。とはいえ、彼にのめり込むほどの情熱はない。ただ、彼がほかの女の子と仲良くしているのは、少し気になる。

 ゾフィーがチッ、チッと指を振った。

「あれでDarlingは女っ気が多いデスから。油断してると、チハヤやツバサあたりとゴールインなんてことも、あるかもしれマセン」

 そう言われても、輪と彼女らが結ばれるイメージなど湧かない。

「か、考えすぎじゃない? 輪にそこまでの甲斐性、ないと思うけど……」

「まあ、ちょっと気になっただけデス」

 ゾフィーはあっけらかんと笑い、閑を見送ってくれた。

「明日も頑張りマショウ!」

「え、ええ」

 閑も笑みで返し、輪と合流する。

「何を話してたんだ?」

「あら? 女の子同士の会話が知りたいだなんて、野暮ね」

 輪と出会ってから早一年。曖昧な関係が続いている。

 彼に気を持たせておきながら、今はこれくらいの距離が、居心地がよかった。

  

 

 L女学院に出向いた輪たちに代わって、緋姫は子どもたちの面倒を任されてしまった。友達の九条沙耶と一緒に、今日もベビールームで苦戦を強いられる。

 腕白な面々はベッドに登り、ぴょんぴょんと跳ねた。

「チハヤ、こっち、こっち!」

「まてよぉ、ユキ!」

「ちょ、ちょっと! 優希ちゃん、チハヤちゃん!」

 同じ水泳部で先輩の四葉優希までお子様になってしまって、この修羅場。

優希とチハヤが部屋が揺らすせいで、沙織が一生懸命積みあげたブロックのお城が、がらがらと崩れる。

「じゃましないでって、いったでしょ? ふたりとも!」

「そうよ、もっと静かに遊びなさいったら。ね?」

 緋姫はおたおたとブロックを拾い集め、沙織の機嫌に肝を冷やした。

 沙耶のほうは澪と黒江に絵本を読み聞かせている。

「シンデレラは焦って、ガラスの靴を落としてしまったのです」

その傍では子猫のエミィがうたた寝していた。どうやら、じっとしていられない子と、おとなしい子がいるらしい。

「つぎはこっちの、よんでください」

「わたしもみたい」

「いいですよ。その前にちょっと休憩にしましょうね」

 沙耶の面倒見がよいこともあって、そちらの子どもたちは素直だった。

 うつ伏せになった緋姫の上に、優希とチハヤと沙織まで乗っかる。

「かいじゅう、やっつけたー!」

「てきじゃねえよな、こんなの。らくしょーだぜ」

「すこしはゆーこときいたら、どうですの?」

 この数日だけで、緋姫は疲労困憊、満身創痍。しかし沙耶にひとりで世話させるわけにもいかず、逃げられなかった。

 そんな緋姫の苦戦ぶりを、窓からクロードと紫月が覗き込む。

「大変そうだねぇ、お姫様」

「水泳のほかにも、できんことがあったか」

 恨み言のひとつも言いたくなった。

「あなたたち……子守りは女の仕事、なんてふうに思ってるんじゃないの?」

「まさか。そうそう、いいものを持ってきたんだよ」

 ふたりの美男子が海外のアニメーション映画や動物の実況ドラマを貸してくれる。

「テレビに任せっ放しはどうかと思ったんだが……姫様や九条の負担も考慮して、な」

「ありがとう! 使わせてもらうわ」

 さすが忠実なる下僕、緋姫の欲するところをよく理解していた。

「レディーも頑張って」

「はい。ありがとうございます、クロードさん」

 だが、この時の緋姫はまだ知らない。頼みの動物ドラマには『ライオンがシマウマをがぶりっ!』というショッキングなシーンがあることを。

 それを目の当たりにしてしまった子どもたちが、大泣きすることを――。

 

 

 放課後、L女学院の客間から、輪は姉に電話を掛ける。

「そっちはまだ夏休みなんだろ? みかぐ……友達も限界なんだ。姉貴なら、オレや蓮の面倒も見てくれてたんだし、即戦力にさ」

『事情はわかったわ。でも今週はバイトで外せないの、ごめんなさい』

 残念ながら姉の蘭には断られてしまった。それは別として、モドリ草を知っているあたり、やはり魔界に精通している。

「姉貴なら、セプテントリオンの連中とも面識あったりするんじゃねえの?」

『メグレズには会ったわ。弟が欲しいんだけど構わないか、って』

「会ってんじゃねえか……」

 意地悪な姉はひと笑いしてから、意味深に声のトーンを落とした。

『蓮のことも見てあげてね。あの子、たまに魔力が制御できなくなるみたいだから』

「やっぱり、あいつは人間の血のほうが濃いってことか?」

『かもしれないわ。指導者がいれば、イレイザーとして経験を積ませるのも……っと、そろそろ時間ね。何かあったら、また連絡ちょうだい』

 輪も電話を切って、頭を悩ませる。

 真井舵家の面々は人間の母と魔族の父との間に生まれた。姉の蘭は父譲りの力を持ち、制御にもさしたる支障はなかったらしい。

 しかし次の輪で問題が生じた。感受性が強すぎるせいで、時に他人の魔力と同調し、取り込んでしまうのだ。迷宮のフロアキーパーと融合したことさえあった。

(まあ、オレは力の使い方にも慣れてきたけど……)

 そして妹の蓮は、魔力自体は弱い。だが、魔界(地獄)には『普通の人間が魔導の力を得ると、驚異的な潜在能力を発揮する』という実例が、いくつも存在した。憑依レイの最上位である『精霊』と契約を結べるのも、人間だけ。

 つまり蓮の場合は『普通の人間が魔導の力を秘めている』に近いため、不安定な状態にあった。前にメグレズに保護された時も、暴走などの兆候が見られたのだろう。

「そういや、蓮のこと、メグレズにはお礼を言いそびれてたっけ……」

 カイーナの探索に備え、輪はいそいそと腹ごしらえを始めた。

 迷宮攻略のため、一行はこの客間を拠点として借りている。特に男子の輪にとって、ひとりで気ままに過ごせる場所は欠かせなかった。

 ヨーグルトを食べながら、授業のノートを読みなおす。せめて得意な数学だけでも、わからないままで終わりたくはなかった。

「……おっと!」

その途中でうっかりヨーグルトをひっくり返す。

数学のノートはぐしょぐしょになってしまった。輪はティッシュを何枚か重ね、ヨーグルトを下敷きへと移す。

「あーあ、やっちまったなあ……ん?」

 ところが、下敷きと一緒に大変なものが出てきた。輪の双眸が大きくなって血走る。

「げええええっ! ななっ、な、なんで、こんなもんが?」

いつぞやゾフィーにもらった周防御守の、健康的なスクール水着の写真だった。しかも動揺のせいで手元を狂わせ、ヨーグルトをその上にもぶちまける。

 写真の御守は濁ったジェルにまみれているとも知らず、気丈に微笑んでいた。

(やばいぞ……捨てるにしたって、ここのゴミ箱じゃ)

 今の今まで忘れていた写真の存在が、強迫的に後ろめたい。ひとまず輪は写真を置き、鞄の中で隠し場所を検討する。

「待たせたな、リン」

「っ!」

 そのタイミングでツバサがやってきた。

 輪は青ざめ、おたおたと写真を隠そうとする。

「ツ、ツバサ? はは、は、早かったじゃないか。ふっ、風紀委員の仕事は?」

「何を怯えとるんだ? 心配せんでも、貴様のデザートを奪いはせ……」

 しかし忍者は目ざとかった。一瞬の隙をついて、輪の背後にまわり、問題の写真を覗き込む。そこにあるのはスクール水着の女子と、白濁液。

「……………」

 居たたまれない沈黙が流れる。

 ツバサの顔がみるみる赤く染まった。

「き、きききっ、貴様……まさか、こ、こんなところで……?」

「誤解だ! ヨーグルトが零れたんだって、ほら」

「こんな写真がある時点で、おかしいだろーがっ! このド変態め!」

 怒号が弾け、びりびりと空気を振動させる。

 珍妙なアクシデントのせいで、変態からド変態に昇格してしまった。輪は取るものも取りあえず、客間を脱出する。

「こら! 待てっ!」

「お、お互い頭を冷やそうぜ? なっ!」

 逃げるあてなどなかった。そのうえ相手は忍者、スピードでは敵うはずもない。

 そこで自前の触手を伸ばし、窓の外にぶらさがってみた。間一髪、ツバサは猪突猛進の勢いで通り過ぎていく。

「どこだ、出て来い! 卑怯者!」

(のこのこ出ていったら、殺されるっての……)

 ツバサの気配が充分に遠のいてから、輪は触手で三階まで上がり、適当な窓から校舎の中へと戻った。生徒会室だったようで、周防御守が書類を広げている。

「あ、あなた、どこから入ってきたの?」

「悪い、すぐに出ていくか、ら……」

 それを見つけ、輪は目を点にしたまま立ち竦んだ。

 そこにあるのは山ほどの写真。しかも、ケイウォルス学園の男子生徒を隠し撮りしたものだった。バイオリンを奏でるクロードや、剣道の稽古に励む紫月も写っている。

「お前、まさか……」

「ちちちっ違うの! これはその、違うんだったら!」

 生徒会の役員が交流先の学校で盗撮など、穏やかではなかった。真っ赤になって荒れる御守を、輪はどうどうと鎮める。

「お、落ち着けって。ちゃんと聞くから」

「……は、はい。取り乱してしまって、ごめんなさい」

決定的な証拠を見られて、観念したのか、彼女は懺悔のように白状した。

「真井舵さんはご存知ないかもしれませんけど、私……ボーイズラブが好きなんです」

「あー。あれか」

「ちょっ、なんで、すんなり納得してんの!」

 だんだん素の性格も出てきた。普段は模範的な優等生を演じているだけらしい。

「はあ……もういいわ。だから、その……男の子の学校生活に興味があって。そっちの新聞部で買ったのよ。それだけ」

 黒幕は十中八九、新聞部の新入りで間違いなかった。

「なんだ、オレはてっきり、合コンが目当てで情報収集してんのかと」

「L女の女子がそんなはしたないこと、するわけないでしょ!」

「隠し撮りを買ってるやつに言われても、なあ……」

 輪は真剣な表情になって、彼女に言い聞かせる。

「でも、こういうことは二度としないほうがいいぜ。下手に犯罪じみたことを繰り返してると、カイーナが……っと、あとに引けなくなって、エスカレートするだろうしさ」

「……反省してるわ。あなたに見つかった以上、終わりにするから」

 御守も懲りたようで、美男子の写真をすべて破り捨てた。

「秘密にしててくれるんでしょうね?」

「そりゃ、まあ……」

 彼女の趣味を言いふらすつもりなどない。ただ、妙案が閃いた。

「そうだ! ちょっと誤解を解くのに、協力してくれないか」

「え? 何があったのよ、一体」

御守を連れて、さっきの客間へと戻る。

 

 ツバサはあんぐりと口を開いた。

「なんだと……?」

 輪と御守は口裏を合わせたうえで、平然と答える。

「だから、この写真は新聞部が持ってたのを、オレが回収したんだって。な?」

「その通りなんです、ツバサさん。誤解しないであげてください」

 新聞部のゾフィーが御守の水着姿を隠し撮りしたのは、本当のこと。ツバサは釈然としない表情だったが、御守本人に弁明されては、折れるしかない。

「……いいだろう。だが、貴様もL女にいる以上、紛らわしい行動は慎むことだ」

「今回ので懲りたよ。おとなしくしてるさ」

 大事に至らず、輪もほっとする。

 自分の写真を眺め、御守はアンニュイな溜息を漏らした。

「はあ……我ながら貧相なスタイルね。もうちょっと、こう……一之瀬さんやツバサさんほどにとは、言わないけど」

「そうか? これくらいスレンダーなほうが、スクール水着は似合うだろ」

 何気なしにフォローしてやると、女の怒りが爆発する。

「スクール水着が似合って、どうすんの! ガキって言いたいわけ?」

「そ、そんなつもりじゃ……ちょ、蹴るなって!」

「……馬鹿め」

 しばらくして閑とゾフィーもやってきた。

「お待たせ! クラスの子と話し込んじゃって、遅れちゃったわ」

「交換授業も大事なお仕事デス。シズカに非はありマセン」

 カイーナの件とは無関係の御守が、首を傾げる。

「あの……みなさん、いつも放課後に集まって、何をしてるんですか?」

 今度は輪とツバサが目配せし、口を揃えた。

「勉強会だよ。L女の授業で参考になったとこをまとめたり、とか」

「ミモリは生徒会で忙しそうだから、遠慮してもらったのさ。前も言ったじゃないか」

 しかし説得力に欠ける。御守だけ参加させない理由は強引なうえ、本当に勉強会であれば、この客間を使えばよいはずだった。

「でも、館林さんも参加してないみたいだし……」

「早く行くデスヨー」

「おう。じゃあな、周防姉」

おそらく彼女は勘付き始めている。のんびりしてはいられなかった。

人目を避けつつ、一行はカイーナへと飛び込む。

「ツバサ、そろそろフロアキーパーに挑んでみないか?」

「そうだな……あまり時間を掛けて、『成長』されても厄介か」

 カイーナの支配者であるフロアキーパーは、罪人の成れの果て。罪を重ねた者が怪物となり、迷宮を広げた。もとが人間だけに学習能力があるようで、時間が経つにつれ、化け物の身体を駆使できるようになるらしい。

「未踏破のエリアは一番奥だけデス。ちゃっちゃと片付けマショウ」

 ゾフィーも先手を打ちたがった。

(仮面の女に出てこられたら、L女のみんなも巻き込むことになりそうだしな……)

 まったく別の可能性も輪を焦らせる。

 硬くなっている輪の背中を、閑がとんっと叩いてくれた。

「肩に力が入りすぎよ、輪」

「あ、ああ。行くか」

 今日こそ攻略すべく、迷宮の最深部へ。

これまでの探索で、マップもほぼ出来上がっていた。このカイーナは点対象になっており、片方を踏破すれば、もう片方の構造も予想がつく。

フロアキーパーは己の罪を暴かれまいと、侵入者を拒むもの。迷路が単純であることからして、罪の意識が軽いのかもしれなかった。

三階まで降り、中心を目指す。

「……気をつけろ!」

 前衛のツバサが両手を水平に広げ、後ろのメンバーを制した。誰よりも早く気配を察知し、警戒を強める。

「いるぞ!」

「え? いるって、どこに……」

 不意に閑の身体が弾き飛ばされた。

「きゃあっ!」

「見つけマシタ! フロアキーパーはあいつデスヨ!」

 ゾフィーが指差した方向を、小さい生き物が俊敏な動きで横切る。

「あれが、そうなのか?」

 それは見たところ、普通の狐だった。しかし尻尾はみっつあり、跳躍の際は足元に魔方陣まで展開する。

ツバサは苦無を抜きつつ、好戦的な笑みを浮かべた。

「さしずめ九尾の狐のお子様といったところか。フン、面白い」

 人間が変身したにしては、小さすぎる。輪にはまだ信じられなかった。

「あの狐がこんな迷宮を作ったって?」

「やつの魔力をよく読め。フロアキーパーで間違いない!」

 狐が迷宮の中を縦横無尽に飛び、魔方陣を引き伸ばしていく。そこから氷のスペルアーツが矢継ぎ早に放たれた。すかさず閑とゾフィーが障壁を張って、氷結に耐える。

「輪! 来て!」

「こっちデスヨ、ツバサ!」

 輪とツバサはふたりの後ろにまわって、敵のスペルをやり過ごした。

「あんなスピードで動きまわられたら、捕まらねえぞ」

「骨のある相手じゃないか。喜べ」

 ふと、ゾフィーが思い出したようにぼやく。

「あー、そうデシタ。ロクスケも地上に連れてきたんデスヨ。忘れてマシター」

 全員の視線がゾフィーに集まる。

「……ロクスケ?」

「魔界の友達デス。縁ある巫女に会いたいとかで、一緒に……あー、女子高ならお目当ての巫女もいると思って、居座ってたんデスねー」

 輪とツバサの怒号が重なった。

「またお前のせいじゃねーかっ! ドラゴンだけじゃなかったのかよ!」

「九尾のくせに尻尾がみっつで、ロクスケだと? ふざけた名前をつけおって!」

「ちょちょっ、来てマス! 来てマスから!」

 ロクスケが飛び込んできて、輪たちをボーリングのピンのように弾く。

「あ、あの子、強いわよ?」

「放ったらかしにされて、怒ってるみたいデスねえ」

 応戦しようにも、逆さまになった体育館では足場が悪すぎた。しかもロクスケにバレーボールをばらまかれ、一歩的にかく乱される。

 それでもツバサは自信を覗かせた。

「狐の分際で舐めた真似を……貴様ら、私に任せておけ。はむっ」

 巻物を噛んで、印を組む。

「みひゃーるにんぽう、ぶんひんっ!」

 虎の子のミザール忍法が発動した。ツバサの姿が前後上下に分かれて、五人になる。

「分身の術か!」

「ふっ。そこで見ていろ、一発で捕まえてやる!」

 五人のうち、四人のツバサが散開した。ロクスケに狙いをつけ、四方から一斉に飛びかかる。ロクスケは驚き、尻尾を逆立てた。

「すげえ……あ、あれ?」

 ところが、ツバサは四人ともロクスケをすり抜けてしまう。

 本物のツバサが頭を抱えた。

「しまった! 分身に実体はないんだった……」

「だ、だったら、お前が突っ込まないと意味ないだろ!」

 今度は輪が腹を括り、優希のパンツを被る。するとツバサが目をひん剥いた。

「ききっ、貴様こそ、ふざけてるのか! 誰のパンツだ、それは!」

「そういうんじゃねえから! なあ、閑っ?」

 頼みの閑には顔を背けられる。

「……こっち見ないで」

「さすがDarling……そこいらの変態とは格が違いマス」

 ゾフィーにまで軽蔑されてしまったが、これでスピードは飛躍的に向上した。輪はツバサとともに跳躍し、ロクスケに手を伸ばす。

「さっきの氷の礼だ。来い、雪月花!」

 ツバサの手に一振りの小太刀が現れた。刀身が氷でできており、振るうだけでも青白い冷気が巻き起こる。

「チハヤのイフリートみたいなもんか」

「近寄るな、変態! こいつは私が捕まえ……む!」

 後ろから、さっきのバレーボールが次々と輪たちを追い抜いていった。ゾフィーがハンマーを振りあげ、ボールをハイペースでかっ飛ばす。

「援護射撃デス!」

「邪魔だっての! オレたちまで、いてっ、巻き込むな!」

 急ごしらえのパーティー編成では、連携の息も合わなかった。しかし輪と閑だけは頷きあって、大きく距離を取り、その対角線上にロクスケを捉える。

「借りるぜ、五月道!」

 輪はパンツを澪のものに替え、スペルアーツを放った。赤い炎が左右に広がり、ロクスケを怯ませる。さらに反対側から、閑もスペルを唸らせた。

「そこだわ! セイントレイ!」

 光線がロクスケを掠める。

「……取った!」

 その一瞬の隙をついて、ツバサがロクスケを捕まえた。閑のスペルアーツには度肝を抜かれたようで、まだ目を見張っている。

「威力は抑えておいたから、その子も大丈夫だとは思うけど、怪我はない?」

「問題ない。それにしても、光属性の攻撃系スペル、とは……」

 ロクスケは降参したのか、もう逃げようとはしなかった。

「ヤレヤレ。勝手にいなくなったりするからデス」

「飼い主失格だよ、お前は」

 次第に迷宮の瘴気も薄れていく。

 体育館を出る頃には、陽も傾いていた。閑の横顔が綺麗な夕焼け色に染まる。

「もう秋ね……」

「涼しくなってきたよな。じきに学園祭だぜ」

 そこへケイウォルス学園の生徒会役員、館林陽子が駆け寄ってきた。

「どこへ行ってたの、あなたたち? 放課後だって、交換授業は続いてるのに……」

「わ、悪い。明日からはオレたちもフリーだからさ」

 ツバサに抱えられていたロクスケが、館林の胸に飛び込む。

「あら? どうしたの、この子?」

「あー、ええと……体育館の裏で拾ったんだよ。なあ、みんな?」

「L女の生徒さんに頼まれて、探してたのよね」

 舘林はロクスケを抱きかかえ、よしよしと撫でた。

「うふふっ、可愛いじゃない。なんなら、私が連れて帰ってもいいかしら」

「へ? ロクスケを、デスカ?」

「ロクスケっていうのね。気に入ったわ」

 ロクスケのほうも館林に頬擦りして甘える。

(巫女に会いたいっての、館林でオーケーだったのか)

 こうしてカイーナは消滅し、L女学院の日常は守られた。その後、ツバサやゾフィーにパンツエクスタシーについて散々非難されたのは、言うまでもない。

 

 交換授業の最終日になって、久留間皐月から解毒薬を渡される。

「はい。これ」

「お? できたのか、サンキュー」

「炭酸と過剰反応を起こして、煙を吸っただけでしょ? すぐ戻せるわ」

 これで第四のメンバーが子どもになってしまった件も、解決の目処がついた。消耗戦を強いられている御神楽の苛酷な日々も、終わるだろう。

 本日で交換授業も終了。女子高での一週間は、神経をすり減らしてばかりだった。

「久留間ともお別れだな。学園祭でも男は入れないっていうし」

「お疲れ様」

 久留間はそっぽを向いて、窓の外を眺める。

(オレにとってはベネトナシュってより、普通の友達の久留間、かな)

 もっと話したいこともあったが、踏み込める関係でもなかった。

 ツバサが輪の席にもたれてくる。

「あいつらをもとに戻すなら、私も行くぞ。チハヤとエミィもいることだしな」

「おう! ついでに交換授業の打ち上げでもするか」

 やがてL女学院で最後の放課後となった。

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