ダーリンのだぁだぁ大作戦!

第2話

 交換授業が始まって、早三日。今朝は御神楽が自分の席でバテている。

「どうしたんだ? 御神楽。気分が悪いんなら、無理すんなよ」

「そういうわけじゃ……昨日はあの子、御守さんに、プールで絡まれちゃって……」

 周防御守は御神楽をライバル視しているようだった。御神楽の水泳部に乱入して、勝負を挑んだことは、同じ部の優希から聞いている。

「お前、泳げたっけ?」

「いいえ。でも『本当は泳げるんでしょう』ってふうにね。……はあ」

 いつになく御神楽の溜息が重たい。

 今のところ交換授業で上手くやっているのは、チハヤとエミィだった。三組の女子とはすっかり打ち解けたようで、澪もついているのだから、心配ない。

「ツバサさん! 今日の体育なんだけどさあー」

「あ、ああ」

 交換授業の当初はぎこちなかったツバサも、少しずつクラスメート相手に姿勢を軟化させていた。男子には敬遠されがちなものの、女子とは充分に馴染んでいる。

(やれやれ。最初はどうなるもんかと、思ったけど……)

 この調子なら交換授業は『成功』だろう。

 席に戻ると、ゾフィーがにやにやと含み笑いで輪を迎えた。

「フフフ……Darling、とっておきの写真があるんデス。買いマセンカ?」

「買わねえっての。新聞部め、カメラを持たせちゃいけないやつに……」

 輪は顔を背け、溜息をつく。

 しかしゾフィーがちらっと覗かせた写真に、つい視線を引き寄せられてしまった。

「昨日の水泳部で、ミカグラヒメとスオーミモリの勝負を取材したんデス。お安くしておきマスヨ? 旦那ァ~」

「買、わ、ね、え」

 そう言い張りながらも、輪の脳裏では水着のイメージが膨らんでいた。

(L女のスクール水着は紺色か。チハヤたちのバトルユニフォームもそうだったな)

 御神楽はおそらく学年一のペッタンコ。御守もあまり大きいほうではない。そのため、スクール水着は想定のデザイン通りにフィットしていた。

 これが第四のメンバーだと、胸が大きすぎるせいで、薄生地がはちきれそうになる。それは一年に渡って輪を刺激し続け、ひとつの嗜好に目覚めさせたのだった。

(やべえ……スクール水着ってだけで、もう)

 悶々としていると、ゾフィーがしたり顔で、御守の写真だけ輪のノートに挟み込む。

「ショボイほうはあげマスヨ。なんデシタら、ご依頼にも応じマスので」

「い、いらねえって、こんなもん」

 突っ返そうにも、ここでは人目が多すぎた。ひとまずノートを鞄の中に放り込んで、次の機会を待つことに。

 その写真の被写体である周防御守は、今も女子らと談笑していた。

「へえ~。L女って、みんなで公演、見に行ったりするんだ?」

「オーケストラとバレエを、年に一回ずつね。生徒会はその下見もあるから……」

 弟のほうは黙々と授業の準備を進めている。

(オレも昔はよく姉貴と比べられたけど、あいつの場合は双子だもんな。片や名門女子高の生徒会役員じゃ、あちこちで色々、言われてんのかも)

 しかし輪は周防御守という女子生徒に、妙な違和感を拭いきれなかった。

 彼女はARCとは無関係であり、純粋に交換授業の一生徒として、役目を果たそうとしているだけ。言動は模範的で、課外活動にも積極的に取り組んでいる。

(……考えすぎかな)

 間もなく担任が駆け込んできて、一日が始まった。

 

 放課後は御守もツバサも女子のグループに招待されたため、羽根を伸ばせる。

「ふー。ったく……男子に世話させるってのが、間違ってるぜ」

 校舎を出たところで、後ろから声が飛んできた。

「ダーリンちゃ~ん!」

「ん? 優希か」

 幼馴染みの四葉優希と、二景黒江が、輪のもとまで駆け寄ってくる。

「ふたり揃って、どうしたんだよ。部活だろ?」

「これから行くってば。それより、ダーリンちゃんにお願いがあってぇ……」

 優希は愛嬌たっぷりに笑みを浮かべ、輪の左腕にしがみついた。右腕にも同じように黒江が抱きつき、柔らかな感触を近づけてくる。

「お姉さんの機嫌を取る許可、あげる」

「そおそお。ダーリンちゃんも、ボクたちと一緒がいいだろーし?」

 自分でも驚くほどドキドキしなかった。輪は冷めた表情で、幼馴染みのお姉さんたちに抑揚なしに言ってのける。

「何を企んでんだよ? 正直に言えっての」

「ちぇー。可愛くないなあ」

 優希も黒江もあっさりと離れ、肩を竦めた。

「さっき聞いたの。交換授業の関係者で、パーティーするって」

「愛煌ちゃんのお家で、でしょ! ダーリンちゃんと澪ちゃんだけ、ずるい~!」

 お姉さんたちの要望が食欲によるものだったことに、輪は呆れるしかない。

「そういうことか。いいぜ、愛煌に頼んどいてやるから」

「ほんとっ?」

「さすが、りん。話がわかる」

 輪としても、澪とふたりだけでパーティーに参加しては、優希たちに悪いという気持ちもあった。それに優希や黒江に声を掛ければ、閑も誘いやすくなる。

「でもよ、なんで五月道に頼まなかったんだ?」

「食いしん坊なとこ、みおに知られるのは、ちょっと……恥ずかしいから」

「ダーリンちゃんなら、別にいっかーって」

 このお姉さんたちは相変わらず、輪を男の子として意識してはくれなかった。せめてもの反撃のつもりで、輪はぼそっと呟く。

「食べてばっかで、太っても知ら、ね……げふっ?」

「もー! やだなあ、ダーリンちゃんってば!」

 笑顔で青筋を立てながら、優希が輪の背中をばしばしと叩いた。黒江の視線も冷たい。

「デリカシーないの、減点」

「だよねー。ダーリンちゃんも、もう昔のボクは忘れること!」

 小学生の頃、確かに優希は今より『ぽっちゃり』としていた。とはいえ健康的なラインであって、太っているなどと思ったことはない。

 スタイル抜群に成長した幼馴染みを一瞥し、輪は投げやりに突っ込んだ。

「まだ気にしてんのか? だったら、そんなお前に惚れてた昔のオレは、趣味がアレってことになっちまうだろ」

「あー、それもそっか。ダーリンちゃんの女の子の趣味は、よかったはずだもん」

 優希も平然として、考えごとをするように瞳を上に転がす。

 黒江が味気のない溜息をついた。

「今のは、ゆきがもっと照れるとか、する場面じゃ……」

「へ? なんで?」

(こいつにそんなデリケートな真似ができるかよ)

 口をついて出そうになった言葉を、輪はかろうじて飲み込む。

「みなさん、お揃いでどうしましたの?」

 きょとんとしてばかりいる優希の後ろから、第四のメンバーがもうひとり、歩み寄ってきた。たおやかな身のこなしで、ウェーブのかかった髪を優美に靡かせる。

 三雲沙織。吹奏楽部のバイオリニストと名高い、見目麗しいお嬢様がそこにいた。優雅にバイオリンを奏でるさまは、女子なら一度は憧れるらしい。

 かくしてその正体はプロのメイドだったりする。

「そうだ、沙織も週末、パーティーに来ないか? 交換授業の関係者で、愛煌の家に集まってって話なんだが……」

「お誘いいただけますの? でも、わたくし、別に関係者ではありませんから」

 こういう律儀なところが、優希や黒江とは一線を画していた。それでも輪は頭をさげ、むしろ沙織に頼み込む。

「それがさ、割と格式の高いパーティーらしくて……沙織がいてくれたら、テーブルマナーとか、下手を打つこともねえかなって」

 沙織はさらりと髪をかきあげ、快諾してくれた。

「そういうことでしたら、わたしくもご一緒しますわ」

「サンキュー! これで、あとは閑だけか」

 優希と黒江がひそひそと囁きあう。

「どうする? ダーリンちゃんってば、閑ちゃんを誘うために、ボクらをだしに……」

「ここ数日、りんとしずか、ぎくしゃくしてる。なんかあったのかも」

 図星を突かれてしまった。

「べ、別にそんな魂胆、ねえっての」

平静を装いつつ、輪は五月道に電話を掛ける。

「もしもし……部活? いや、すぐ済むからさ。週末のあれ、五月道から閑も誘っといてくれないか? ああ、うん……ほかはこっちで、じゃあな」

 沙織、優希、黒江の視線が生温かくてならなかった。自分で誘え、と。

「……………」

「放っといてくれよ、もうっ!」

 ヘタレの叫びが木霊する。

 

 

 週末、愛煌のコートナー邸でディナーパーティーが催された。

 パーティーとはいえ、今回はケイウォルス学園とL女学院の交流、という建前がある。そのため、お互い制服で集まることになった。

 一足先に輪は澪とともに会場入り。

「来週のメンバーも決めないとな。五月道は行くだろ?」

「そうですね。マジシャンは足りないようですし」

 コートナー邸のメインホールでは、いつぞやの真っ黒なメイドが待ち構えていた。

「ようこそ、おいでくださいました。真井舵様、五月道様」

「あ、あんたか……」

 この夏、輪を文字通り『地獄』へと叩き落としてくれた張本人、麗河莉磨(うららかりま)。愛煌の専属メイドであり、凄腕のイレイザーでもある。

何しろ、あのチハヤさえ、赤子同然にあしらわれてしまったほど。

「またなんか企んでんじゃねえだろーな」

「どうでしょう? うふふふ」

 莉磨の柔和な笑みは、かえって輪に不安をもたらした。

 あとから第四部隊のほかのメンバーもぞろぞろとやってくる。

「輪っ!」

 いの一番に閑が駆け寄ってきた。内心、輪は構えながらも、彼女と顔を見合わせる。

「どうしたんだ? 閑」

「さっき、みんなに聞いたの。あなたがわたしを誘おうとしてくれてた、って……わたしったら、あなたに、ちょっと怒ったりしてたのに……」

 閑のほうもぎこちなさを感じていたらしい。

「ごめんなさい。今夜は楽しみましょ」

「お、おう!」

 沙織は呆れ、優希はニヤニヤ、黒江は失笑していた。

「話はまとまったようですわね。ところで、ほかの参加者はまだですの?」

「こっちは、あとは愛煌ちゃんと周防くんだっけ」

 都合がつかなかったのか、御神楽や、三組の九条は見当たらない。

 ディナーもまだグラスや食器しか出揃っていなかった。沙織がナプキンを取り、優希や黒江にマナーのイロハを教え始める。

「輪くんは大丈夫なんですか? こういう席の作法は」

「まさか。昨日のうちに沙織に叩き込んでもらっただけだぜ」

「あ、来たわよ!」

 愛煌や哲平とともに、いよいよL女学院の面々も入ってきた。純白のセーラー服をまとっているのは、チハヤ=メラク、エミィ=フェクダ、ツバサ=ミザール。

「でっけえ豪邸だなあ。……まあ、おれたちの家のほうが、広いっちゃ広いけどさ」

「ちょっと憧れちゃうよね。変な迷路もないし」

「どこからでも侵入できそうだぞ。防犯対策はしてあるのか?」

 それからL女の代表として周防御守も登場した。

「本当に素敵なお屋敷……! 愛煌さんったら、根っからのお嬢様なんですね」

「このあたりのは全部、お爺様の趣味よ。あぁ、楽にしてちょうだい」

 ふと輪は大変な事実に勘付く。

(周防姉って……愛煌が男だって、知らないんじゃ?)

 しかし上級生の閑たちは、むしろ周防『姉弟』のインパクトに目を奪われていた。

「周防くんって本当に双子だったのね! 輪」

「オレもびっくりしたよ。哲平が眼鏡取ったら、そっくりでさ」

 チハヤが輪を見つけ、近づいてくる。

「よう! 相変わらず女に囲まれてんなァ、このスケベ」

「あんまりこの男にいい顔をしてやるな。図に乗ったら、どうする」

 ツバサは渋々といった調子で、さらに後ろからエミィもおずおずと続いた。

「こんばんは、リンさん」

「あ、ああ……」

 エミィとは間が持たず、輪は適当に話を逸らす。

「そういや、ゾフィーは来てないのか? 一応、声は掛けたんだけど」

「やつのことだ。三歩歩いて、綺麗さっぱり忘れたんだろうさ」

 ツバサの言葉に容赦はなかった。

「うふふ……ごきげんよう」

 ところがゾフィーに代わって、意外な人物が姿を現す。輪たちは一様にたじろぎ、彼女から間合いを取った。

「お、お前はメグレズじゃねえか!」

「海で会って以来ね、マイダーリン。元気だったかしら」

「ちょ、ちょっと、離れて!」

 相手が相手だけに、閑や澪も警戒を強める。メグレズに一杯食わされ、輪とバスタイムを楽しむ羽目になった事件も、まだ記憶に新しい。

 しかし事情を知らない愛煌は、何のことやらと首を傾げた。

「いきなりどうしたのよ? そんなに殺気立って。夏は一緒だったんでしょう?」

 まったく関係のない民間人の御守も、目を点にする。

「あなたは確か、チハヤさんたちの保護者の……」

「なんでもないのよ、御守さん」

 メグレズも加わったことで、今夜のパーティーは油断できないものとなった。御守の手前、ひとまず輪たちは笑顔で客を迎える。

「さ、さあ! 始めましょうか。みなさんも席についてください」

「うんうん。ボク、もうお腹空いちゃってぇ」

 メグレズの登場に関しては、チハヤやツバサもこちらに合わせてくれた。

「おれたちを巻き込むんじゃねえぞー? メグレズ」

「同感だ。お前に付き合わされては、ろくなことにならん」

「可愛くない子たちねえ……」

 それぞれ席につくと、メイドの莉磨がてきぱきと前菜を運んでくる。これには同じメイドの沙織が対抗心を燃やしつつあった。

「なんて無駄のない動きですの……やはり、ただ者ではありませんわ」

「お、抑えてくださいね? 沙織さん。パーティーですから」

 ドリンクが行き渡ったところで、愛煌が音頭を取る。

「数々の縁があったおかげで、こうしてL女学院と交換授業を迎えることができたわ。共学の高校と女子高では勝手も違うでしょうけど、今後とも両校の交流を祝して!」

「カンパーイ!」

 全員が意気揚々とグラスを掲げた。

 意外にもメグレズは沙織を相手に選んで、何やら話し込んでいる。

「私と情報交換なんて、どう? ミス・サオリ」

「ちゃんと正直に話してくださるのなら、お聞きしますわ」

 活発なチハヤは優希と気が合うようだった。スポーツの話から始まって、チームの作戦がどうのこうのと盛りあがる。

「うちの女子バスケ、夏に二回戦でL女とぶつかったんだよねー。友達がスタメンだから応援に行ったんだけど、惜しかったなあ」

「おれも見たよ、その試合! そっち、後半は急に粘り強くなってよぉ」

「そういえば、澪ちゃんがチアやってたっけ。澪ちゃーん!」

「え? ごめんなさい、遠いです」

澪や黒江はエミィと語らっていた。エミィが緊張気味だったため、澪のほうからさり気なく声を掛けたのだろう。

「女子高なら、手芸部や調理部は部員も多そうですね」

「どうかなあ? 人数はケイウォルスとそんなに変わらないかも」

「女子ならではのクラブって、ある?」

 輪としては、どこでも混ざれそうな気はする。

 逆に近づきづらいのは、周防姉妹と愛煌のエリアだった。愛煌と御守は言動こそ穏やかだが、その実、牽制しあっている。

「楽器のひとつやふたつ、淑女の嗜みですから。何でしたら、L女で毎月やっております演奏会に、愛煌さんもご招待しましょうか?」

「そうね……どれくらいのレベルか、興味はあるわ」

 愛煌の冷めきった視線は『お嬢様のお遊戯が、ね』とでも言いたげだった。愛煌と御守がばちばちと火花を散らす一方、哲平はおろおろしている。

「やめなってば、姉さん。愛煌会長も、せっかくの交流の場なんですから……」

 どうやら愛煌と御守には面識があるらしい。

(やっぱ、あいつも知ってんのかな、愛煌の性別)

 女同士の喧嘩にわざわざ首を突っ込むつもりはなかった。

 ふと、ツバサが席を外したことに気付く。

「……あれ、ツバサは?」

「庭のほうに出てったみたいよ」

 彼女を追いかけ、輪と閑は席を立った。コートナー邸の回廊を道なりに進んで、庭に出る。豪邸だけのことはあり、大きな池には橋まで架かっていた。

 ツバサ=ミザールは物憂げな顔で月を眺めている。

「ふう……」

 輪は閑と頷きあってから、遠慮がちに声を掛けてみた。

「ああいう場は苦手なのか? ツバサ」

 賑やかなパーティー会場とは打って変わって、橋のあたりは静まり返っている。その下で魚がじゃぷんと跳ねた。

「ん? なんだ、お前まで出てきて……っと、そっちの女は、確か……」

「一之瀬閑よ。わたしは二年生だから、今日が初対面みたいなものね」

 ツバサのほうは学校で閑に背後を取られ、肝を冷やしたのを憶えていないらしい。それでも何かを思い出したように驚き、閑の顔を指す。

「シズカ……そうか、お前がメグレズの言ってた、シ……」

「え? なんのこと?」

 閑が首を傾げると、ツバサは出掛かった言葉を飲み込んでしまった。

「い、いや、なんでもない。……私の思い過ごしだったようだ。気にしないでくれ」

 第四部隊のメンバーは向こうでも噂になっているのだろう。チハヤも電話で何度か、一之瀬閑の話題を振ってきたことがある。

 輪よりひとつ年上で、何かとお姉さんぶろうとする、料理が上手な女の子。たまに輪といいムードになるものの、お互い、あと一歩が踏み出せない。

(オレがひとりで舞いあがってるだけ、かもだし)

 ほとんど初対面のツバサにも、閑は穏やかに微笑んだ。

「こっちでもチハヤさんやエミィさんのこと、お話に出てくるわよ。ところで……それ、さっきは何を書いてたの?」

「ああ、これか」

 ツバサの手には一冊の小さなノート。

 プロの忍者として、コートナー邸の侵入経路でも探っていたのかもしれない。そんな輪の予想とは裏腹に、ツバサは堂々とそれを広げ、見せつけた。

「実は趣味で少々、詩を……な。こういう落ち着いた場所だと、閃くのさ」

 輪も閑も目を点にする。

「し、詩って……ポエムってやつか?」

「なんでもかんでも横文字にするな。なんなら、読んでみろ」

 おまけに、あっさりと詩作のノートを渡されてしまった。

 ミュージシャンでもない限り、詩作の趣味はおいそれと公開できるものではない。それこそ中高生の青臭いポエムなど、苦笑もしくは失笑されるイメージしかなかった。

 そうはならない自信がツバサにはあるらしい。

「じゃあ、ちょっとだけ……」

 恐る恐る輪は閑とともにノートを開いた。

 お手本のような達筆ぶりで、消しゴムの跡も見当たらない。この文字の美しさだけで、芸術としての説得力がある。だからこそ、自作の詩とやらも期待できた。

 だんだんと美しいイメージが膨らむ。

 

 あなたを想って、今日も口づけ。

 レモンの味がキスの味に似てるって、本当?

 ほら、ティーカップさんも赤くなる。

 鳴らないケータイを握り締めて。

 日曜日の昼下がり、妖精さんからのコールを待つの。

 

 無性に全身が痒くなってきた。

「こっ、これは……」

 輪は震えを禁じえず、閑も目を見開くほどに驚愕する。

「ツバサさんがこういうのを書くなんて、その、意外っていうか……ねえ?」

「オレは芸術とか、よくわかんねえけど、う、上手いんじゃないか?」

 無理なフォローのせいで声が裏返ってしまった。当のツバサは満足げで、称賛も当然とばかりに鼻を高くする。

「そう褒めるな。まあ、お前も少しは感性を養うことだな」

「ああ……」

 続きを読む気になれず、輪はすごすごとノートを返すほかなかった。

(セプテントリオンって、どっかズレてんのな)

 閑もまだ顔を引き攣らせる。

「自作のポエムでこれだもの。ラブレターなんて書いたら、ものすごいことになりそう」

「だから横文字にするんじゃない。全部が全部、悪いとは言わないが……」

 突然、パーティー会場のほうから悲鳴が聞こえてきた。

「きゃああああっ!」

 周防御守の声らしい。輪たちは頷きあい、コートナー邸へと駆け戻った。

「大丈夫かっ? 一体、何が……ゲホッ!」

 パーティー会場には紫色の煙が充満している。

「な、なんだ……火事か?」

「真井舵! これは?」

席を外していたらしい愛煌と哲平も、慌てて会場に戻ってきた。煙の量にうろたえていると、メイドの莉磨が先に飛び込む。

「わたくしにお任せください。とりあえず窓を開けてきます」

「頼んだわよ、莉磨」

 しばらくして煙は薄れ、視界も晴れてきた。

パーティー会場の中央では、周防御守が尻餅をついている。一瞬のうちに驚きの感情が度を超えたのか、目の前で手を振っても、反応がない。

「……あれ? ほかのみんなは?」

 会場には澪もチハヤも見当たらなかった。テーブルクロスをひっくり返したのか、床にはご馳走や飲み物が散乱している。

「り、輪……見て」

 閑がわなわなと唇を震わせた。

 テーブルの下には三、四歳くらいの子どもがたくさんいる。どういうわけか、少女たちはぶかぶかの制服を引きずっていた。スカートなど脱げてしまっている。

 ケイウォルス学園のブレザーは、四着。

 L女学院のセーラーは、二着。

 それから、さっきのメグレズと同じ服を、頭の上から被っている女の子もいた。ほかの子よりも幼く、よちよちと歩くものの、裾を踏んで転ぶ。

 つぶらな瞳がみるみる涙を膨らませた。

「……びええええっ!」

 ひとりが泣き始めると、ほかの子どもたちにも一気に動揺が伝わる。

「うわあーん! わあぁ~ん!」

 全員に一度に泣かれ、輪も閑もたじたじに。

「どど、どうなってんだ? こいつら、まさか……」

「話はあとよ! とにかく宥めないと」

 大事件の幕開けだった。

 

 コートナー邸の別室で、改めて輪たちは今回のアクシデントに頭を悩ませる。

「……どうすりゃいいんだよ、これ」

 困ったことに、優希やチハヤが『子ども』になってしまったのだ。

 第四部隊は黒江、沙織、優希、澪。L女学院はチハヤとエミィ。おまけにメグレズまで年端のいかないお子様となり、今は泣き疲れ、眠っている。

 周防御守も目をまわしてしまったため、愛煌の寝室へと運ばれた。メイドの莉磨が看病を終え、戻ってくる。

「御守様に影響はないようです。ご安心ください」

「あの子は無事……なるほど」

 愛煌は険しい表情で顎を押さえた。

「普通の人間だったから、巻き込まれずに済んだんだわ。周防、あなたは?」

「同感です。おそらくセプテントリオンの魔力や、僕らイレイザーのアーツに干渉して、変身させたんでしょう」

 哲平は眼鏡越しにノートパソコンを見詰める。

 ほかに難を逃れたのは、輪、閑、ツバサだった。夏に閑たちが猫に変身させられたのと同じで、何者かが意図的に仕掛けたものに違いない。

 すでに容疑者には心当たりがあった。輪はお子様のメグレズを抱きかかえる。

「こいつの仕業だろ」

 閑も少女に疑いのまなざしを向けた。

「わたしもそう思うわ。あなたを子どもにして、言うことを聞かせようとしたとか……」

「だろうな。そのバカは実力があるくせに、おかしなことばかり思いつく」

 ツバサまで、メグレズが黒幕であることを否定しない。

「何やってくれたんだよ? お前」

「……うー?」

 問題のメグレズはきょとんとしていた。会話はまったく成立しない。

 愛煌の溜息が落ちた。

「はあ……まあ犯人はその女でいいとして。もとに戻さないことには、まずいわね」

 黒江も優希も布団の中で寝息を立てている。

 その傍で眠っている子猫は、エミィ。普段はネコ耳や尻尾を隠しているものの、お子様になったことで、変身を制御できなくなったのだろう。

 チハヤがごろんと寝返りを打つ。

「むにゃむにゃ……」

 沙織も澪も今は静かに眠ってくれていた。

 もとに戻るまで、輪たちで面倒を見てやらなければならない。

「子どもの世話なんて、したことねえぞ」

「わたしもよ。ひとりっ子だもの」

 おもむろに席を立ったのは、ツバサだった。

「私に考えがある。上手くすれば、この珍妙な事態も解決できるかもしれん」

「原因に心当たりがあるってわけね」

「ああ。多分、魔界の『モドリ草』を使っただけの悪戯だ。……少々、面倒くさいやつに関わらねばならんが」

 魔界出身の人物には心当たりがある。それでいて『面倒くさい』人物など、ひとりしか思い浮かばなかった。

「……捕まえて、吐かせるか」

「やつのいるマンションなら、調査済みだ。すぐに行くぞ」

 情報を求めて、輪たちは今夜のうちにゾフィー=エルベートのもとへ。

 

 夜空にゾフィーの悲鳴が響き渡る。

「ワタシが何をしたっていうんデスカ! こ、来ないでクダサイ!」

「いいから、待てっ! 話を聞くだけと、言っとるだろうが!」

 ゾフィーを追いかけ、ツバサも屋根の上を走り抜けた。輪は遅れるふりをして、路地に降り、秘密の切り札を取り出す。

「早すぎるんだよ、あいつら……悪い、優希!」

 優希のパンツを頭に被ることで、輪の俊敏性は飛躍的に向上した。あっという間にゾフィーの先へとまわり込む。

 パンツを外すと、脚に痺れがきた。

「っとと! 観念しろ、ゾフィー! 手間を掛けさせんな」

「Darling? い、いつの間に……」

「そこだっ!」

 ゾフィーが慌ててブレーキを踏んだところへ、ツバサが追いついてきた。ゾフィーの背中を捕まえつつ、勢いあまって、屋根の下まで転がっていく。

「なんなんデスカ! も~!」

「お前が話を聞かんから……上に乗るな、どけ!」

「……やれやれ。頑丈なやつらだ」

 近隣の住民に通報される前に、輪はふたりをラーメン屋にでも連れていくことに。

 散々ブー垂れていたゾフィーも、ラーメンのおかげで、ころっと上機嫌になった。いの一番に箸を取り、麺を啜る。

「しょうがないデスねえ。ラーメンに免じて、聞いてあげマス」

 普通に誘い出せば、よかっただけのこと。しかしツバサが鬼の形相で迫ったせいで、夜中の街を走りまわる羽目になってしまった。

「お前は箸にも慣れてんなあ……ん? ツバサ、腹減ってないのか?」

 ゾフィーがハイペースでラーメンを啜る一方、ツバサは何やら戸惑っている。

「あまり馴染みのない料理でな。香りはいいようだが……」

「美味いぜ? 食ってみろって」

 丼まで油でギトギトになっているため、女性にはハードルが高いのかもしれなかった。それでも輪に勧められると、意を決したように口を開ける。

 ツバサの瞳が爛々と輝いた。

「これは……! な、なんという料理だ?」

「ラーメンだよ」

「そ、そうか……これがチハヤのやつが言っていた、例の……驚いたな」

 ゾフィーは小慣れた調子で替え玉と、ついでに卵も追加する。

「Darlingの奢りなら、これもいただきデス」

「へいへい。好きにしてくれ」

 三人で黙々と食べていると、携帯に閑からの催促が届いた。輪は箸を休め、まずはゾフィーに事件のあらましを説明する。

「でな、ゾフィー。お前ならモドリ草っての、知ってるんじゃないかと思って……」

「……ゲプ。そういうことデシタか」

 その間にもゾフィーは替え玉を平らげてしまった。

「前にメグレズから注文を受けマシテ、モドリ草を仕入れたんデスヨ。あれを材料にしたのかもしれマセンねえ」

 輪の両肩に疲労感が圧し掛かってくる。

「お前の仕業でもあるってことじゃねえかよ。それ」

「どうしてメグレズとの交渉なんぞに応じたのだ……愚か者め」

 とりあえず、これで犯人はメグレズで確定となった。ゾフィーからモドリ草を入手し、今回の犯行に及んだのだろう。ところが、本人まで子どもになってしまっている。

「モドリ草は扱いが難しいデスからねえ。特に炭酸ジュースなんかに混ぜたりすると、もう大参事デース」

「……やっちまったわけか」

 おそらくメグレズは幼児化の薬をジュースに混ぜて、輪に飲ませる算段だった。しかしデリケートな薬は些細なことで暴発し、皆を巻き込んだ。

「子どもになった者をもとに戻すには、何が必要なんだ? 白状しろ」

「ちゃんと話しマスってば。一種の呪いデスから、その筋のプロに解呪してもらうか……あとは解毒薬を作って、飲ませることデスネ」

 方法はふたつ。幸い、解毒薬もモドリ草で生成できるらしい。

「お前に作れんのか? そんなもん」

 ただし調合するのがゾフィーでは、不安しかなかった。かえって事態が今より悪化するような気もして、依頼を尻込みする。

 ツバサがはっと声をあげた。

「待て。呪いであれば、解呪できそうなやつがいるぞ。ベネトナシュなら、おそらく」

「ベネトナシュ……そいつもセプテントリオンか?」

「偏屈なやつだが、頭は切れる。調合のレシピもそいつに書かせたほうがいい」

 なんとか光明も見えてくる。だが問題はこれだけではなかった。

 来週には交換授業のため、ケイウォルス学園からL女学院に輪たちが派遣される。そこで表向きは交換授業をこなしつつ、L女のカイーナを攻略する予定だった。

 なのに、第四部隊は閑しか残っておらず、セプテントリオンも三名が戦線を離脱。

「ベネトナシュってやつも戦えるんだろ?」

「それは無理だ。あいつはもともと地上の人間で、アーツも使えんからな。キャロルやセツナは仕事だろうし……うぅむ」

 このままでは輪、閑、ツバサの三人だけで挑む羽目になる。

 そんな空気を読んでか、ゾフィーが名乗りをあげた。

「迷宮のお掃除なら、ワタシもお手伝いしまショウカ? Darling」

「お前が? そりゃ助かるけど……」

 それでも四人。冒険気味で偏った編成になるのは、避けられない。

「何を企んでる? 貴様」

「チハヤたちに恩を売りたいだけデスヨ。フッフッフ……」

 L女学院との交換授業は前途多難。 

 それに先んじて、大変な戦場が待っていた。

 

 

花の図鑑を眺めているだけの澪を、チハヤがいきなり小突いた。

「わぁーん! ちはやちゃんがぶったー!」

「だ、大丈夫?」

 エプロン姿の閑が慌てて仲裁に入り、澪の頭を撫でる。

 チハヤが殴ったのも、これで三人目だった。輪はチハヤを捕まえ、言って聞かせる。

「なんでぶったりするんだ? 仲良くしろって、言ってるだろ」

「ほんなんかよんでて、つまんねーんだもん」

 今朝からケイウォルス学園のベビールームは満員となっていた。去年まで教員の女性らが子どもを預けていたおかげで、とりあえず設備は揃っている。

 輪は授業を抜け、ベビールームに詰めっ放しだった。

(侮ってたぜ。子どもの世話ってやつ……)

 誰かが見ていないと、子どもたちが何をするか、わからない。閑も授業どころではなくなり、慣れない保育に悪戦苦闘。

「どこ行くの、優希! 外には出ちゃだめったら」

 早くも白旗を上げたくてならなかった。

 この面子でさほど手が掛からないのは、黒江と、子猫のエミィくらいのもの。ふたりで一緒にごろごろしているのが基本のスタンスで、我侭も言ってこない。

 逆にもっとも手の掛かるのが、乱暴者のチハヤだった。『殴る、蹴る』が彼女なりのスキンシップのようで、輪の背中をサンドバッグにする。

「こんなせまいとこ、あきたぜー。あそびにつれてけよ、なあ」

「ご、ごめん。放課後になったら、な?」

 澪は泣き止むと、また図鑑に目を戻した。勉強家なのはいつもと変わらない。

 優希はクッションで気ままに遊び、沙織はオママゴトを続けていた。

「ボクもおそとにでたーい!」

「はい、あなた。おゆうはんができましてよ」

 輪も閑も引っ張りだこにされ、気の休まる暇もない。

 やがて二限目が終わり、一般の生徒は休み時間となった。生徒会長の愛煌=J=コートナーが様子を見に来てくれる。

「調子はどう?」

「いいわけないだろ……もうヘトヘトだぜ、オレたち」

 これではL女学院にも行けなかった。最低でもふたりはここに残って、子どもたちの面倒を見なくてはならない。

 まだ会話もできない幼児のメグレズが、おもむろに立ちあがった。

「な……なんだ? どうしたんだよ、メグレズ」

俄かに顔を赤くして、何やら力む。

 その力がふっと抜けた。満足そうな笑みを浮かべながら、強烈な異臭を漂わせる。

「まっまさか、こいつ!」

 あろうことか、大きいほうを出してしまったらしい。閑も混乱し、おむつをばらまく。

「どどっ、どうすればいいの? 輪!」

「オレに聞かないでくれよ! とにかく拭いてやって、だな……」

 愛煌はやれやれと肩を竦めた。

「応援は検討しておくわ。あなたたちじゃ、振りまわされるだけのようだもの」

「面目ない……頼むぜ」

 一年一組から、哲平とツバサも駆けつけてくれる。

「真井舵! 朝のうちに渡すの、忘れてたんだ」

「おっ、怪獣映画か! こいつは助かるぜ、サンキュー」

 ツバサは申し訳なさそうに俯いた。

「すまない……交換授業の客とあっては、抜けるわけにもいかなくてな」

「気にすんなって。こっちはなんとか切り抜けてみせっから」

 胸を張る輪の後ろで、閑はおむつの取り替えに四苦八苦している。

 それでも怪獣映画を流し始めると、優希やチハヤはおとなしくなった。輪は沙織のオママゴトに相槌を打つだけで済む。

「あしたもざんぎょうなんですの? あなた」

「ま、まあ、残業……になるのかなあ」

 おむつを取り替えてもらい、メグレズは無邪気な達成感を浮かべていた。

(もとに戻ったら、どうしてやろうか? こいつ)

 じきに三時限目が始まるため、愛煌たちは早々に引きあげていく。

「あなたたちがL女に行ってる間は、御神楽にでも世話させるわ。どうせ暇でしょうし」

「事件にならねえと、いいけど」

 交換授業もまずい展開に追い込まれつつあった。チハヤとエミィが急に姿を消したことで、『ケイウォルスのレベルでは我慢ならなかった』などと憶測が広がっている。

 また、周防御守も誤魔化さなければならなかった。

「あなた、あしたもはやいんですから、はやくねてくださいね」

「りんくん! どーぶつのごほんは、どこですかー?」

 ベビールームでの戦いは続く。

 

 放課後にはツバサも加わって、三人体勢となった。しかしツバサがヌイグルミを持ち込もうと、タンバリンを鳴らそうと、子どもたちの興味は引けない。

「ほら、チハヤ! こっちに来い」

「……おれ、こいつでいい」

 何かと反抗的なチハヤが、また輪を蹴りつけた。

「おれ、こいつとケッコンすんだもん」

 澪に絵本を読んであげていた閑が、急に大声をあげる。

「ええええっ? ちち、ちょっと、輪! いつの間にチハヤさんと……」

「子どもの言うことだぜ? 真に受けんなって」

 輪は呆れつつ、チハヤの頭を撫でた。

すると沙織や優希も負けじと飛びかかってくる。

「りんさんはわたくしのだんなさまですわ!」

「ちがうよー。ボクのおむこさん!」

 生まれて初めてモテた。ただし『女児』に。

「わかった、わかった。大きくなったら、みんなで結婚しような」

 この一日で、少女たちは輪にいくらか、懐くような素振りを見せてくれた。黒江や澪も用事がある時は、遠まわりになっても輪のもとまでやってくる。

「りん。のど……」

「まだまだ暑いもんな。悪い、閑、みんなにジュース持ってきてやってくれないか?」

「え、ええ。じゃあ、少し外すわね」

 黒江の『のど』という一言がわからなかったようで、ツバサは肩を落とした。子どもの代わりにヌイグルミを抱き締め、溜息を漏らす。

「……すまん。役に立つどころか、これでは足を引っ張ってばかりで……」

「ツバサはさっき来たとこじゃねえか。今はみんな、警戒しちゃってるだけでさ」

 輪はあっけらかんと笑った。

「オレもツバサも自分の子どもができたら、嫌でも慣れるんだろーし」

「あ、ああ……そういう相手がいればの話だが、な」

 頭の上でグラスがかたかたと揺れる。

会話を聞いていたらしい閑が青筋を立てた。

「ふぅーん? 誰と子どもを作る気なのかしら? ダーリン」

「ち、違う! いやらしい意味で言ったんじゃねえ!」

 閑との関係がまた荒れる。

 

 その夜、輪は帰宅してすぐベッドに飛び込んだ。

「はあ~っ」

 子守くらい、と侮っていたのが恥ずかしい。母や姉の偉大さを思い知らされた。

(姉貴の大学はまだ夏休みだよな? 応援、頼んでみるか……)

 放課後はツバサも付き合ってくれたものの、翻弄されるだけで終わっている。そのことがまた彼女の責任感を煽ったようでもあった。

 さらには来週、L女学院での交換授業も待っている。

「予習はしておかねえとな」

 半信半疑になりながらも、輪は哲平から借りた資料とやらを取り出した。

 女子高、それは秘密の花園。そこにひとりだけ男子が混ざるという展開は、ゲームや漫画では定番のシチュエーションらしい。

「まあ……気分転換にでも、ちょっとプレイしてみっか」

 最近は硬派な格闘ゲームばかりだったゲーム機に、美少女ゲームをセット。お茶でも飲みながら、適当に進めていく。

『あ、あなた、おかしな真似したら、この私が承知しないわよ?』

『神聖な我が学び舎を、男性に踏み荒らされるなんて……』

 序盤はヒロインたちも主人公を警戒し、疑惑の目を向けてきた。

(へえ。最初からモテモテってわけでもねえのか)

しかし主人公が重い荷物を持ってやったり、下着泥棒の犬を捕まえたり、怪談の原因を突き止めたりするうち、態度が変わってくる。

『しょうがないわね。こ、今回のところは見逃してあげるわ』

『男のひとって、こんなに頼りになりますのね。うふふ、素敵だと思います』

 ゲームが進むにつれ、プレイヤーの輪も女子高のイメージを具体化させていった。ついでにゲームにもハマる。

(ツンデレってやつか……なんつーか、デレさせた瞬間のカタルシスがいいなぁ)

 これで女子高の予習はばっちり。

要は無理に格好つけず、自然体で構えていればよいだけのこと。あとは『唯一の男子』という特異性が、評価を底上げしてくれるだろう。

 ゲームに没頭していると、携帯が鳴った。

「もしもし……あれ、ツバサ? 番号、教えたっけ」

『夜分にすまない。アキラに聞いたんだ』

 ツバサは今夜も子どもたちの面倒を見るとかで、コートナー邸にいるはず。

『子どもたちもやっと寝たところだ。思った以上にきついな……』

「オレも考えが甘かったよ。あの人数だしさ」

 同じ苦労をしただけに、彼女には素直に共感できた。

 ツバサの声が真剣さを帯びる。

『そこでだ。あの子らを、その……動物園にでも連れていっては、どうだろう?』

 端的な言葉の節々からは責任感の強さが滲んでいた。ベビールームで何もできなかったことが、彼女のプライドに影を落としているのだろう。

『ベビールームでは限界もあるが、そういう場所でなら、もっと……』

「うーん……オレたちにはまだ無理だと思うぜ。もう少し慣れてからのほうが、なあ」

 ツバサの気持ちもわからなくはなかった。しかし幼い子どもを七人も連れて外出するのは、今の輪たちでは厳しい。

「週末には愛煌がプロを呼んでくれるんだしさ」

『そ、そうか。うむ……そうだな』

 それでも行動せずにいられないツバサのことを、純粋に尊敬できた。

「いいやつだよな、ツバサは」

『は? なんだ、急に』

「いや、なんていうか……こんな厄介事、ひとに押しつけようってやつのほうが、多いのにと思ってさ。お前のそういうとこ、すげえ頼りに思えるんだ」

 電話の向こうで声が一気に甲高くなる。

『おおっ、おかしなことを言うな! 私を懐柔しようなどと、あ、浅はかな真似を』

「悪かったって。さっき言ったことは忘れてくれ、ははっ」

『だから、わかったふうに笑うな!』

 それきり電話は切られてしまった。しかしツバサとの距離は縮まった気がする。

(チハヤといい、悪いやつじゃねえんだよなあ)

 セプテントリオンとの共闘。それを拒む理由などなかった。

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