ダーリンのだぁだぁ大作戦!

第1話

 ケイウォルス学園で二学期が始まる。

九月に入ったとはいえ、残暑は続いていた。今日も気温が三十度を超える見込みで、教室にも冷房が欠かせない。しかし輪としては、もう少し夏であって欲しかった。

 何しろ、この夏は閑たちの水着姿を一度たりとも拝めていない。愛煌のメイドに陥れられたり、風邪で寝込んだりするうち、機会を逃してしまった。

(ビキニだったんだろーなあ、みんな……)

照り返る柔肌、弾む巨乳。すべてはこれからも妄想の産物でしかない。

 この一週間、一年一組の面々は秋の学園祭を話題にしつつ、L女学院との交換授業に期待していた。特に男子は相手を早くも美少女と決めつけ、舞いあがっている。

「L女だもんな、L女! 友達も全員、女の子だろーし」

「合コンとかできねえかな? はあ、お近づきになりてえー」

 反面、女子は呆れ果てていた。

「まったく……四組の男子とは、こういうところからして、違うのよね」

「今月の下旬はこっちから、何人か行くんでしょ?」

 教室にはすでに来客の分の席が用意されている。一年一組に二名、それから一年三組にも二名という話だった。

(三組は五月道のクラスか……)

 自分の席で朝のホームルームを待っていると、手前の女子が振り向いてくる。

「Darlingも期待してるんデスカ? L女のJKに……ンフフ」

 ゾフィー=エルベート。この人物は初対面の時から、嘘くさいブロンドと嘘くさい言動で、変人ぶりを存分に発揮してくれた。

「期待なんてしてねえよ。来るのもチハヤとエミィだしさ」

 どういうつもりか、ケイウォルス学園に転入し、輪の周りをうろちょろしている。

「ほかには誰が来るんデスカ?」

「ええと……ミ、ミザール? と、あとは普通の女子って聞いたぜ」

 最初のうちは戸惑ったものの、警戒するのもアホらしくなってきた。一年一組にも打ち解け、早くもムードメーカーになりつつある。

「ゾフィーちゃん、部活はもう決めたの? テニスって興味ないかなあ?」

「ゴメンナサイ。もう本命を見つけちゃったんデスヨー」

 廊下の側では、御神楽が黙々と一限目の準備を始めていた。これでも一学期に比べれば、『授業に出る気はある』だけ、高校生らしくなっている。

(さすがにまだ本調子じゃないみたいだなあ……)

 あの御神楽緋姫こそが輪の上司にして、第六部隊のリーダーだった。

 イレイザーとしては規格外の強さで、ヒーラー系、スカウト系、マジシャン系すべてのスペルアーツを自在に使いこなすほど。『ウィザード』と呼ばれ、畏怖されている。

 しかしこの夏、ある戦いで限界を超えてしまい、当分は休養を余儀なくされていた。ちなみにARCの評価によれば、レベルは真井舵輪より20も高い。

 ゾフィーが不思議そうに瞳を転がす。

「……あの子に気があるんデスカ? Darling」

「オレはそんな命知らずじゃねえ」

 ぐうの音も出なかった。

 

 週明けには交換授業の本番がやってくる。

 今朝もホームルームの前はゾフィーと時間を潰していた。こちらから聞かなくても、彼女のほうからスクールライフの成果を報告してくれる。

「Darling! ワタシ、新聞部に入りマシタ」

「もう決めたのか? 大した行動力だなあ」

 輪は適当に相槌を打つだけ。

「にしても、大丈夫か? ガイジンのお前が新聞部なんて……漢字だってあるだろ」

「ガイジン? Darlingはたまに変なことを言いマスねえ」

 ふと違和感を覚える。

(……あれ?)

 クラスメートも自分のように、留学生(という建前)のゾフィーにはもっと構えるものと思っていた。ところが『ガイジン』の一言さえ、まだ一度も聞いていない。

「ちゃんと真面目に新聞、書けよ? ゾフィー」

「誰かサンにスキャンダルさえなければ、おとなしくしてマス」

 今後の学園生活に余計な危険が増えた。

ただでさえ新聞部には、あることないこと、面白半分に書かれている。過去には『真井舵輪、四股交際か?』などと号外を張り出され、閑の逆鱗に触れたこともあった。

(上手くいかねえんだよなあ、閑とは……)

 依然として、一之瀬閑との距離は縮まりそうで縮まらない。あとひと押しのところで輪のラッキースケベが発動し、彼女の機嫌を損ねるのがパターンだった。

 チャイムに少し遅れて、担任がいそいそとやってくる。

「おはよう! 全員、いるな?」

 輪たちは姿勢を正し、L女学院からの来客を待った。手前のゾフィーが小声で囁く。

「Darling、チハヤとエミィ、こっちのクラスだと思いマスカ?」

「どうかな……」

 チハヤであれば気楽だった。しかしエミィに来られては気まずい。何しろ、この夏は彼女に全力で『フケツ!』と罵られている。

 不潔――それは今までにない罵倒だった。スケベやエッチといった定番のものと違い、内気な少女なりに絞り出した精一杯の、軽蔑の言葉なのだから。

 あの瞬間、全身に電流が走ったのを憶えている。

「……オレはもうだめだ」

 輪は頭を抱え、机に突っ伏した。

「あっ、来マシタよ! Darling!」

 この体勢でも、チハヤやエミィなら声でわかるはず。

「それじゃあ、みんなにも紹介しようか。えーっと……ミザールさん、周防さん!」

L女学院の女子生徒がふたり、教室に入ってきた。

「ツバサ=ミザールだ。よろしく」

 この声はどこかで聞いたことがある。ミザールという名前からして、セプテントリオンのひとりだろう。輪は顔をあげ、ぎょっと目を見開いた。

「お、お前は……!」

 向こうも輪に気付き、人差し指を返してくる。

「ききっ、貴様は! あの時のおかしなコスプレ男ではないかっ!」

 新しいバトルユニフォームのテスト中に遭遇した、あの忍者風の女の子だった。向こうは怒りで顔を真っ赤にしながら、手裏剣を構える。

「ここで会ったが百年目! 成敗してくれる!」

「ままっ、待て! 学校でそんなもん投げるんじゃねえ!」

 傍から見れば、典型的な痴話喧嘩。クラスメートは不可解そうに首を傾げた。

「え? 真井舵くんの知り合い?」

「またかよ! しかもこんな可愛い子と!」

 手裏剣はさげたものの、ツバサ=ミザールの怒りは鎮まらない。

「この男は、そう……あれだ、女児アニメの恰好をしたうえで、私の顔面に粘液なんぞをぶちまけたんだ! お、思い出すだけでも気色が悪い!」

 ツバサは我が身をかき抱き、あからさまに鳥肌を立てた。クラスメートの視線が一気に冷たくなって、真井舵輪をねめつける。

「それってもう犯罪じゃないの? 真井舵くん、サイッテー」

「うっわ……こっち見ないでくれる? もう男子クラスに移ればいいのに」

 半分は誤解だが、半分は事実でもあった。実際、輪は彼女に触手を巻きつけ、その顔に粘液をびゅっと浴びせている。

 ツバサの瞳が丸くなった。

「ま、待て。マイダといったな? じゃあ……貴様が、エミィの言ってたあの『混浴男』の、リンなのかっ?」

「そっ、そうだよ! 悪かったなぁ」

 輪は半ば自棄になって、自分が噂の変態だと認める。

 温厚な担任が宥めるように割って入った。

「まあ、あとは当人同士で話しあってもらうとして、だな……もうひとりいるんだ」

 ツバサの隣で、別の女子が礼儀正しく頭をさげる。

「初めまして、みなさん。L女学院で生徒会に務めております、周防御守です」

 哲平が『ぐあぁ』と呻いた。

 同じ周防という名字で、よく見れば、顔つきも似ている。

彼女、周防御守は溜息混じりに事実を語った。

「そこにいる弟とは、双子なの」

 一年一組の教室に驚きの声が反響する。

「えええええ~っ!」

 周防哲平には双子の姉がいた。輪とツバサのいざこざより、そちらのほうがインパクトもあって、全員が周防姉弟に注目する。

哲平は渋々と眼鏡を外し、姉と同じ相貌を披露した。

「はあ……ご覧の通りさ」

「似てる、似てる! 双子のお姉さんがL女にいたんだ? びっくり!」

「なんだよ、お前まで? L女とコネがあるってことじゃねえか」

 おかげで輪は軽蔑の視線から解放される。

(ツバサ=ミザールか。面倒なことになりそうだな)

 これからの一週間を想像するだけで、気が重くなった。

 

 昼休みはL女学院のふたりを連れ、食堂へ。

 哲平は周防御守の弟なのだから、まだしも、男子の輪に女子生徒の案内は苦しい。せめて今日だけでもと、御神楽にも付き合ってもらうことにした。

「悪いな、御神楽。いつもは三組の子と食べてんだろ?」

「向こうもL女のお客さんを案内するとかで……だから、気にしないで」

 全員がブレザーの中、L女学院のセーラー服は目立つ。生徒たちは興味津々といった様子で、ちらちらとこちらを窺っていた。

 それぞれAランチとBランチを適当に注文し、集まって席につく。

「いつもこんな粗末なもの食べてるの? 哲平」

「うるさいなぁ。学食なんて、これくらいで充分じゃないか」

 御守と哲平は姉弟だけあって、会話が途切れることもなかった。一方、ツバサはあまりしゃべろうとせず、黙々とランチを食べている。

 御神楽もどちらかといえば、ツバサより、周防姉弟に相槌を打っていた。

「弟さんのことは『哲平くん』って呼んでるから、御守さん、でいいかしら?」

「それでいいわよ。でも、まさか哲平に、女の子の友達がいたなんて」

 御守が感心気味に御神楽を見詰める。

(ARCのこと知ってんのかな? 姉のほうも……)

 彼女がイレイザーであるかどうか、判断はつかなかった。姉の御守が弟の哲平に肘を入れ、茶化そうとする。

「ひょっとして、夏に遊園地に誘われたっていうの、この子?」

「深読みするなって。僕と御神楽さんは別に何でもないんだからさ」

「割と女の子と一緒だったりするわよ。哲平くんは」

 哲平、御守、御神楽の三人がそれなりに盛りあがっていた。

その隣で、輪はツバサ=ミザールと向かいあうことに。早くも話題に困って、ぽりぽりと頭を掻く。

「あー、えぇと……チハヤやエミィとは友達、なんだろ?」

 ツバサがぎろっと睨んできた。

「こっちを見るな。変態め」

「お、落ち着いてくれよ。前のはオレが悪かったからさ。ほんとにごめん」

 とにもかくにもファーストコンタクトで大失敗してしまったのが痛い。声を掛けるだけでも、おどおどと挙動不審になってしまう。

「そ、そういや、ゾフィーとは知り合いなのか?」

「あの馬鹿と?」

 ツバサは食事の手を休め、長い溜息をついた。ゾフィーの奇想天外な言動には相当、困らされているらしい。

「やつとは適度に距離を取ることだな」

「そうは言ったって、今の席じゃなあ……」

 しかしツバサとかろうじて会話が成り立つのも、ゾフィーのおかげだった。ここから得意科目や苦手科目、部活動や趣味など、トークの幅を徐々に広げていけばよい。

「ツバサは好きな教科って……」

「待て。あいつらだ」

 ところが、話の途中でツバサは立ちあがった。

「チハヤ! エミィ! 随分とゆっくりじゃないか」

「なんだ、もう食べてんのか? 相変わらずせっかちだなあ、てめえは」

 チハヤ=メラクとエミィ=フェクダがこちらに気付き、近づいてくる。意外にも純白のセーラーは、荒くれ者のチハヤに似合っているように思えた。

(ギャップってやつか?)

 同じくエミィもL女学院の制服をまとっている。しかし輪を前にすると、チハヤの後ろに隠れ、警戒の視線を向けてきた。

「……こんにちは。リンさん」

「お、おう……」

 輪のことを不埒な男とみなしているようで、間合いを取ろうとする。

 そんな彼女とは逆に、チハヤは輪にずいっと詰めてきた。気さくな調子で肩に腕をまわし、もたれ掛かってくる。

「よう! ちったあ強くなったのかよ? てめえ」

「ははっ。元気そうだな、チハヤ」

「おれはてっきり、てめえに案内してもらえるもんと、思ってたんだけどよぉ」

 必然的に巨乳を押しつけられ、輪は顔を赤らめた。

 その様子を、三組の案内役らしい五月道澪がじとっと睨みつける。

「よかったですね、輪くん。いっちばん仲のいい女の子が来てくれて……」

 果報者は慌ててチハヤを押しのけた。

「そ、そういうのはやめろって! チハヤももう少し離れてくれ」

「へーへー」

 澪の後ろにはもうひとり、一年三組で御神楽の友人、九条沙耶も控えている。

(まだ怒ってんのかなあ、遊園地の件……)

 彼女は輪と目を合わせようとせず、御神楽の隣に座った。手製のお弁当を広げながら、周防姉弟とも打ち解けていく。

「おふたりは双子なんですね。そういうの、羨ましいです」

「いいことなんてないですよ? パソコンでああしろ、こうしろって、うるさいし」

「優秀な弟を有効活用してあげてるんじゃないの」

 傍で食事中だったグループが席を譲ってくれたおかげで、全員がまとまって座ることができた。Aランチでは物足りなそうにチハヤが視線を落とす。

「なんか思ってたのと違わねえ? エミィ」

「多分、L女の学食が豪華すぎるんじゃないかなあ?」

 九条がもう一箱、お弁当を差し出した。 

「足りないのでしたら、これもどうぞ。緋姫さんに作ってきた分なんですけど……」

「食っていいのか? ……おぉ、美味そうじゃねえか。サンキュー!」

 チハヤはころっと機嫌をよくして、からあげを頬張る。

「私もお料理、練習してみようかなぁ」

「お前もチハヤも基本、食べる係だからな……得意なのは、やはりセツナか」

 人数も多いことで、だんだんと盛りあがってきた。

「ツバサちゃんの茶碗蒸しはすっごく美味しいんだよ! えへへ」

「交換授業の間に一度はご馳走してやろう」

 話を聞くうち、セプテントリオンたちの学園生活も見えてくる。チハヤはバレー部で、エミィは茶道部、ツバサは風紀委員とのこと。

メグレズだけ大学生で、心理学を選考しているらしい。

「大学生だったのかよ? あいつ」

「しっくりきたんだと。心理学なんていうキャラでもねえくせに、よぉ」

 などと、話し込んでいると、澪がちらちらと時計を気にし始めた。

「そろそろお開きにしませんか? まだ授業もありますし」

「そうだな。教室に戻ろうぜ」

 一組と三組とで別々に席を立つ。

 ツバサも少しは警戒を解いてくれた。

「リン、だったな。放課後は貴様らの司令部を見せてもらうぞ」

「そいつはちょっとオレの一存じゃ……愛煌に聞いてみるから、待ってくれ」

 セプテントリオンもこれで四人目。とりあえず、アホのメグレズよりは常識が通じそうな相手で、ほっとする。

 

 六限目は英語の授業。手前のゾフィーが起立し、例文を読みあげる。

「まい、しすたぁ……ふっ、ふーず、ふぁぼ、ふぇ、ふぇーばりっと、ゴニョゴニョ」

 留学生のはずが、ゾフィーの発音はまるで初心者だった。教師も苦笑する。

「そこまで。エルベートさんは基礎から見なおさないとね」

「オーノォー」

「じゃあ、代わりに誰か……」

 英語が苦手なクラスメートは、指名されまいと、テキストの陰で身を小さくする。何気なしに眺めていると、ツバサも頭を低くしていた。

 輪の視線の向きに、教師が気付く。

「あら? 真井舵くん、それはツバサさんをご指名ってこと?」

「へ? いや、オレは別に」

「それじゃあ、次はツバサさんに読んでもらいましょう。緊張しないで、さあ」

 ツバサは愕然として、きっと輪を睨みつけた。渋々と立ちあがり、英語のテキストを両手でしっかりと握り締める。

「まいしすっ、たぁ……ふぉーず、ふぇ、ふぇーばろって、ゴニョゴニョ」

 さっきも同じ発音を聞いたような気がした。

 L女学院といえば、近隣でも抜群の高偏差値を誇る。しかし皆の予想とは裏腹に、ツバサの英語力には、一文も読みあげられないほどの難があった。

「う~ん……もういいわ。ありがと」

 ツバサは赤面し、テキストで机を叩きつける。

「名誉挽回のチャンスをくれっ! そうだ、古文なら絶対に戦える!」

「今は英語だからねえ。じゃあ……周防御守さん! 続きから読んでみましょうか」

「はい」

 敗北者のツバサに代わって、次は御守がおもむろに起立した。深呼吸を挟んでから、例文をすらすらと流暢に読みあげていく。

「ペラペラペラペラペラペラ」

 ケイウォルス学園の小奇麗なだけの教室が、さながら王宮の一室のように思えてきた。優美でいて華やかなL女学院の幻影が、皆を虜にする。

教師も満足そうに頷いた。

「大変よろしいわ、御守さん。英語は得意なの?」

「生徒会の一役員として、海外のご来賓をお迎えする機会もありますので」

 御守は悠々と勝利の笑みを浮かべ、席につく。L女学院の貫録をまざまざと見せつけられ、クラスメートらは酔いしれていた。

「L女に負けないよう、みんなも頑張らないとね。それじゃ、一文目の和訳を……」

 ところが居眠り中の女子を見つけ、教師が眉を顰める。

「御神楽さん! 眠気覚ましに、さっきと同じところを読んでみなさい」

「……ふぇ?」

 机に突っ伏していた御神楽が、顔をあげた。寝ぼけ眼のまま、テキストを手に取る。

「あれ、英語だっけ? ええっと……」

 御神楽の学力は中の上といったあたり。ちょくちょく授業をサボるうえ、居眠りの常習犯にしては、できるほうだった。

「ペラペラペラペラペラ」

 そのはずが、彼女の口からとても流暢な英語が流れ出す。

 教師もクラスメートも全員、目を点にした。輪もペンを落とし、呆気に取られる。

(あ、あいつ?)

 読み終わると、拍手さえ起こった。しかも。

「……素晴らしい発音だったわ、御神楽さん。でも、私……世界史の教科書を英訳しろだなんて、言ってないんだけど」

 御神楽がはっとし、両手で口を塞ぐ。

「や、やば!」

 輪は頬杖をついて呆れた。

(悪目立ちが嫌だからって、やっぱり手ぇ抜いてやがったな?)

 しかし一学期の頃の彼女なら、寝ぼけてボロを出すような真似は、しなかったはず。それだけ、教室で肩肘を張ることもなくなったのだろう。

「御神楽さんって、デキる系だったんだ?」

「世界史の英訳だって! すっごー!」

 称賛が飛び交う中、周防御守は煮えきらない表情で御神楽を見据えていた。

(プライド高そうだもんなあ、周防姉は……)

 これは一波乱あるかもしれない。できることなら無関係でいたかった。

 

 放課後は輪がひとりでツバサを案内することに。

「司令部に直行で、いいのか?」

「……ああ」

 ふたりだけになると、間が持たない。しかしエレベーターの前は購買部で混雑しているため、こっそり司令部に降りたくても降りられなかった。

「どっかで少し時間を潰すしかねえな。なんなら、第四のメンバーを紹介するぜ」

「イレイザーとかいうやつか。ふん、面白い」

 第四部隊の面々も、放課後はそれぞれ部活動に励んでいる。

 当然、黒江の器械体操部(レオタード)や優希の水泳部(競泳水着)は、男子禁制のため入りづらかった。沙織の吹奏楽部ならと、三階の音楽室を目指す。

 大勢の生徒とすれ違いながら、ツバサはきょろきょろと視線を迷わせた。

「どうも妙な感覚だな……学校に男がいる、というのは」

「そっちは女子校だもんな」

 生徒らのほうもL女学院のツバサに注目しつつ、通り過ぎていく。とりわけ男子生徒は彼女の胸のサイズが気になるようで、赤面した。

 ツバサは警戒心を剥き出しにして、我が身をかき抱く。

「……こいつらの何割くらいが、貴様のような変態なんだ? 正直に答えろ」

「なんでもかんでも、そっちに持っていくなって!」

 このままでは、いずれ自分が彼女に現行犯逮捕されそうだった。ラッキースケベが発動しないよう、なるべく距離を空けておく。

 三階まであがってきたものの、音楽室は閉まっていた。吹奏楽部は休みらしい。

「あてが外れたなあ」

 このあたりは人気もなく、ツバサには大袈裟なほど間合いを取られる。

「さては、貴様……私を連れ出して、触手で辱める魂胆か?」

「違う! それに『触手で』ってなんだよ!」

 自分を罵ってくれる女性が、また増えてしまった。

 輪はツバサとともに踵を返す。

「……と、無駄足になっちまって、悪かったな。やっぱ司令部に行くか」

「うむ」

 次第にグラウンドのほうから掛け声が聞こえてきた。体育会系のクラブが準備運動を終え、練習を始めたのだろう。廊下の窓から、輪はついチア部を探してしまう。

(五月道は頑張ってんのかな……)

 サッカー部の練習ぶりを眺め、ツバサは肩を竦めた。

「まったく……男というやつはスケベか、ああやって走りまわるしか、ないのか?」

「偏見だと思うぞ、それ」

 どうも彼女にとって、男子は誰であれ、自身よりも格下らしい。

(チハヤといい、セプテントリオンってのは、癖の強いのが多いんだなあ)

 ところが、不意にツバサが足を止めた。

「……うっ?」

 輪もぎくりと全身を強張らせる。ふたりとも、同じものに背後を取られてしまった。

「もしかして、ツバサ……お前も感じてんのか?」

「あ、ああ。なんという殺気だ、これは……」

 背中越しにもびりびりと攻撃的な視線が伝わってくる。蛇に睨まれた蛙などというレベルではない。後ろにいるのは仁王か、はたまた明王だった。

「せーので、いくぞ? せ、せーの」

「おおっ、おい? 私はまだ心の準備が」

 ふたりで恐る恐る振り返る。

 その人物の正体に、輪は真っ青になった。

「なっ……!」

 一之瀬閑がこちらをじっと睨んでいる。そのまなざしは疑惑をたっぷりと込め、恋人の浮気癖を軽蔑するかのようだった。

「へえ~? てっきりチハヤさんと一緒なのかと思ったら……ほかにもいたのね」

「ち、違う! ツバサとはそういうんじゃねえって、閑ぁ!」

 輪は慌てふためき、弁明に焦りまくる。

「別にいいのよ? わたし、怒ってるわけじゃないから」

 閑はつまらなさそうにそっぽを向き、すたすたと行ってしまった。おかげで、頭を抱える羽目になる年下の男の子が、ここにひとり。

「思いっきり怒ってんじゃねえか……」

 ツバサが顔を引き攣らせた。

「ものすごい殺気だったぞ、あの女。よほど貴様の所業が腹に据えかねてるようだな」

「何もしてねえだろ、オレは……お前を普通に案内してただけで」

 閑に憧れている輪としては、肩を落とすほかない。

 閑との関係は相変わらず一進一退が続いていた。まったく望みがないとは思わないものの、進展があれば、同じだけの後退もある。

(決まらねえんだよなぁ、いつも)

夏の遊園地でも、ふたりきりの観覧車で満点のムードだったはずなのに、その直後は袋叩きにされた。半分は輪の自業自得とはいえ、不可抗力も大きい。

「まあ、私には関係のないことだ。さっさと連れていけ」

「了解……」

 本舎の一階へ戻る頃には、エレベーターの前も空いていた。パスナンバーを入力し、秘密の地下へと降りていく。

 上の学園とは打って変わって、窓のない通路が伸びていた。万が一のカイーナ化に備えて、照明は壁面にあり、天井は平らに作られている。

ツバサは納得したように頷いた。

「ほう? ここがARCの……設備だけは充実しているようだな」

「言っとくけど、中に入れんのは、今日だけの特例だぞ?」

 突き当たりの司令室には先客がいる。

「やあ、真井舵くん」

「来てたのか、クロード。比良坂も」

第六部隊のクロード=ニスケイアと比良坂紫月のコンビだった。男子クラスである二年四組のツートップとされ、女子の間では熱狂的に支持されている。

 眉目秀麗とした顔立ちは、輪のような凡人の追随をまるで許さなかった。

「そっちの女子が、あれか? 確か交換授業の……」

「おう。L女学院から来てくれたんだ」

 さっきまで饒舌だったツバサが、わなわなと瞳を瞬かせる。

「な、な……なんだ? こいつらは……ほかの連中と全然、違うじゃないか……」

 クロードたちの美形ぶりには面食らったのだろう。笑いを堪えつつ、輪はふたりの美男子を、あえて補足つきで紹介した。

「こっちの金髪のが、御神楽の第一下僕、クロード=ニスケイア。で、そっちが第二下僕の比良坂紫月。どっちもオレの十倍は強い、イレイザーなんだぜ」

 ツバサはありありと驚きを浮かべる。

「げ、下僕だと?」

「オレのクラスに御神楽っていただろ? あいつはお姫様だからさぁー」

 冗談のつもりだったが、彼女はこれも鵜呑みにしてしまった。

「そ、そうだったのか……道理で英語も達者なわけだ。まさか一国の姫君が、こんな学校に通っていようとは、私の認識が甘かったか」

 お姫様の下僕たちが悪乗りする。

「君もお姫様には敬意を払ってくれよ。寛大なお方だけど、怒り出したら、僕たちでも手がつけられないからねえ」

「ご身分だけのお方じゃない。イレイザーとしても優秀だと、付け加えておこう」

ツバサの横顔はすっかり真剣なものになっていた。

「やつがメグレズと互角に渡りあったというのは、本当だったか……」

 輪たちはアイコンタクトに含みを込め、『別にいいか』と流す。

 愛煌=J=コートナーも司令室に入ってきた。

「案内、ご苦労様。……周防は?」

「あいつなら、姉に付き合わされてるみたいだぜ」

 いつもの調子で彼女(彼)は肩を竦める。

「しょうがないわね。まあ、姉のほうはARCのことを知らないんだし、いないほうが、こっちとしても都合がいいわ」

「じゃあ哲平だけなのか。よく隠し通していられるなあ」

 クロードと紫月が席を空けてくれた。

「僕たちは失礼するよ。人手が足りないようなら、言ってくれ」

「ええ。多分、少し手伝ってもらうことになるから」

 輪とツバサは席につき、司令の愛煌に向かう。愛煌は自らメンモニターを立ちあげ、L女学院のものらしい見取り図を表示させた。

「さて……真井舵、あなたも勘付いてるでしょうけど。実は今回の交換授業、こっちでも理由があって、受けることになったの」

「へ? 単なる交流イベントじゃなかったのか?」

 輪の暢気な発言にツバサは幻滅する。

「セプテントリオンがこうして訪ねてきたんだぞ。意味があるに決まってる」

「そういうこと。これを見なさい」

 L女学院の地図では南東の方角にレッドマークが記されていた。

「カイーナじゃねえか!」

 女学院の敷地内で迷宮が出現してしまったらしい。ようやく輪は事態の深刻さを知り、表情を引き締める。

 迷宮はカイーナと呼ばれ、その中にはレイという魔物が蔓延っていた。フロアキーパーを倒さない限り、迷宮は魔物を無限に吐き続ける。

「L女学院のほうは現状を理解できてないの。ただ、幸いにして、このカイーナは小康状態にあるわ。そこで……ツバサ=ミザール?」

 ツバサは不敵な表情で腕組みを深めた。

「私たちだけで片付けてもよかったんだが、ケイウォルスのイレイザーの力とやらを見てみたくなってな。こうして共同戦線を提案した、というわけだ」

「そうだったのか」

 今月の下旬には交換授業と称して、ケイウォルス学園のほうからもL女学院に数名の生徒が赴く。そのメンバーをイレイザーで編成するのだろう。

それなら秘密裏に片付けることができる。

「交換授業は前々から予定されてたから、表向きはそれを徹底しなさい」

「わかったぜ。……ん?」

 輪は首を傾げ、愛煌の言いまわしを反芻した。

「徹底しろって、オレが? なんで?」

「もちろん、あなたも交換授業の一生徒として、L女に行くからよ」

「はああっ?」

 男子の悲痛な叫びが木霊する。

「まま、待ってくれ! 女子高だぜ? そんなら、閑たちの第四が適任じゃ……」

「わかってるわよ、そんなこと。でもセプテントリオンが、あなたを連れてこいって、条件をつけてきたんだもの。言い返すのも面倒くさかったし」

 ツバサが輪の首筋に苦無を忍ばせた。

「安心しろ。貴様がL女でおかしな真似をしたら、その場で懲罰をくれてやる」

「ぐ……こういうパターンかよ」

 背筋にぞっと悪寒が走る。

 それこそL女学院でラッキースケベが暴発しようものなら、真井舵輪という男子に今後の人生はなかった。牢獄の中に自分がいる未来が、早くも見えそうになる。

 愛煌は淡々とメインモニターを落とした。

「それはそれとして。交換授業もしっかりやってちょうだい。週末には私の家で、歓迎会も催す予定だから、テーブルマナーの予習もね」

「……へいへい」

 二学期も女難の相は最悪らしい。

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