ダーリンのにゃんにゃん大作戦!
輪の後頭部に刺さった矢を、チハヤが引っこ抜く。
「……大丈夫かあ? リン」
「な、なんとか。割と生きてられるもんだな」
今しがたフレンドリーファイアで不意打ちを食らってしまった。弓で援護しようとしたエミィが手を滑らせたらしい。
「ごめんなさいっ! フォローのつもりだったんですけど……」
「いいって。オレも急に横に跳んだのが、悪かったんだし」
アクシデントはあったものの、輪たちはメラク・エリアの最深部へと辿り着いた。火山の火口のような大穴の上に祭壇が浮かんでいる。
「あのクリスタルが制御装置なんだよ」
「とっとと片付けようぜ」
最後の橋を渡ると、四方でマグマが噴きあがった。
何者かが輪たちの行く手を阻む。
「フッフッフ……これ以上は通しマセンよ。セプテントリオンのオンナども」
「出やがったな、ゾフィー!」
チハヤが前に出て、腹立たしそうに声を張りあげた。
「そっちこそ年貢の納め時デス。この館はワタシがいただきマシタ」
おかしなカタコトで話すのは、ゾフィー=エルベート。古の王の下僕にして、セプテントリオンと敵対する、魔界の実力者だった。
槌は小さくとも柄は長いハンマーを引っさげ、不敵に微笑む。
「逃げるなら、今のうちデスよ? このミョルニルの威力はご存知デショウ」
そのスタイルは薄手のケープにロングスカートと、格好だけなら清楚な印象だった。西洋人らしいブロンドの髪が、光を散らす。
輪の背中に隠れつつ、エミィがか細い声で訴えた。
「もうやめて、ゾフィーちゃん。会ったこともない王様のことなんて……」
それを意に介さず、ゾフィーはミョルニルを高々とかざす。
「そうはいきマセン。かの王の復活は近いのデース!」
かの王。それは七十年前、第三地獄トロメアへと追いやられた、古き者のこと。
(メグレズが言ってたっけ。そいつがいなくなったから、オレを王にしたい、とか)
ふと、輪は率直な疑問を口にした。
「前から思ってたんだけど……その王って、なんて名前なんだ?」
「え、えっとデスね」
使命に燃えていたはずの下僕も口ごもる。
沈黙が続いた。ごぼごぼとマグマの泡立つ音だけが聞こえる。
「……ひょっとして、知らねえのかあ?」
チハヤが呆れると、ゾフィーは地団駄を踏んだ。
「ちっ、違いマス! かの王の名前は勝手に口にしてはいけないんデスっ!」
古い宗教でも、神の名から母音を抜き、発音を許さないものがあるという。輪はブロードソードを足元に突き立て、腕組みを深めた。
「でも、それじゃ不便だろ……よし、オレが仮の名前をつけてやる」
未だに剣の名前さえ思いつかない頭をフル回転させる。
「名前がないってことは、名無しの……『ゴンベ』でいいか」
「よくありマセン!」
ネーミングの酷さにはゾフィーが癇癪を起こした。チハヤはお腹を抱え、笑いだす。
「ハハハッ! いいじゃねえか、それ! ゴンベ大王ってことにしようぜ」
「うふふ……リンさんったら」
後ろのエミィまで笑いを堪えた。
ゾフィーのボルテージだけが上がっていく。
「かの王の冒涜は許しマセンよ! 覚悟してクダサーイ!」
ミョルニルが祭壇の中央を強烈に叩きつけた。振動が伝わり、橋を崩落させる。
「……まさかっ?」
先ほどチハヤに教えてもらった、衝撃の伝達と同じ要領らしかった。ふざけた言動に似合わず、相当の使い手なのだろう。
「ヘヘッ! びびってんじゃねえぞ、リン!」
チハヤが跳躍し、ゾフィーに炎のストレートを放つ。
「おっと。そうはいきマセン」
しかしミョルニルが瞬時に防壁を張り、それを跳ね飛ばした。
「ぐっ? 相変わらず、厄介な魔具だぜ」
宙返りで戻ってきたチハヤに代わって、今度は輪がブロードソードで突撃する。
「要はヒーラーのシールド系スペルってことだろ?」
大剣も一度は弾かれた。防壁の向こうでゾフィーがにやりと口角を曲げる。
「残念デシタ。そんな力任せで、このシールドが破れるワケ……」
しかし二度目の斬りつけで、シールドに亀裂が走った。
「破れちまうんだよ、こいつがっ!」
三度目にして、ついに割れる。
「なっ……?」
輪にとっても手応えを感じた瞬間だった。
(御神楽だったら、一発でやってのけたんだろうけど、な)
ひとの真似をしただけとはいえ、上達を実感できるのは嬉しい。
ゾフィーは制御クリスタルの前までさがり、ミョルニルを構えなおした。
「まさかシールドのスペルに干渉できるとは思いませんデシタ。噂に聞いた通りデス。やりますね、Darling」
「お前まで、オレを変なふうに呼ぶな……」
チハヤとエミィが目を丸くする。
「ダーリンって……マイダリンだから、か? あーはははっ! に、似合わねえ!」
「笑っちゃだめだよ、チハヤちゃん……ふふ、面白いけど」
ゴンベ大王よりも受けた。
ゾフィーのミョルニルが先端の槌を、ドラム缶並みのサイズにまで大型化させる。
「おおっと! そんな小手先のテクニックで、ワタシに勝った気にならないでクダサイ」
それは膨大なエネルギーを充填しつつあった。
真っ向勝負では分が悪い。輪は臨戦態勢のまま、じりじりとあとずさる。
「く……こいつ、言動は嘘くさい割に……」
「パワーなら、こっちのほうが圧倒的デス! チェストー!」
得意満面にゾフィーはミョルニルを振りおろした。
すかさずチハヤが躍り出て、真正面から受け止めようとする。
「力比べってんなら、相手んなってやるぜ!」
「よせ、チハヤ!」
チハヤの両手が炎を巻きあげた。イフリートが出力を上げ、大型化したミョルニルの重量に耐える。衝撃は足元へと伝わり、石畳の祭壇が割れた。
「頑張りマスねえ。いつまで持つか、見ものデス!」
「んなろぉ……舐めてんじゃねえぞ!」
チハヤが憤怒の表情で歯を食い縛り、ミョルニルを逆に抱えあげる。
「ひょわあっ?」
勝利を確信していたらしいゾフィーは、バランスを崩し、手を滑らせてしまった。ミョルニルはチハヤによって、エミィの後方まで放り投げられる。
「今度はこっちの番だ、らあッ!」
チハヤのこぶしが足元を貫いた。すでにミョルニルの一撃で亀裂が入っていた祭壇が、俄かに崩れ始め、ゾフィーのほうにもヒビが伸びていく。
しかも亀裂からはイフリートの炎が噴きあがった。
「ちちっ、ちょっと、待ってクダサイ! タイム! タイム~!」
みるみる足場を失いながら、ゾフィーは狼狽し、制御クリスタルにしがみつく。祭壇は制御クリスタルを残し、半分以上が真っ赤な溶岩へと落ちた。
宙ぶらりとなった哀れなゾフィーを、チハヤが愉快そうに見下ろす。
「てめえはミョルニルに頼りすぎなんだよ」
「うぐぐ……」
ゾフィーの動きには、さっきまでのような切れがなくなっていた。宙吊りの体勢から懸垂の要領で這いあがろうとはするものの、力むのが数秒と続かない。
おそらくミョルニルが彼女の手を離れたせいだった。イレイザーにしてもスキルアーツ製の武器を手放すと、身体能力は常人のレベルに戻る。
後ろのエミィが困惑を浮かべた。
「それくらいで許してあげようよ、チハヤちゃん」
「本気で言ってんのか? おれたちの館を滅茶苦茶にしやがったんだぜ、こいつ」
しかしチハヤは構わず、ゾフィーの手を踏みつけようとする。
「ひええぇ! おおっ、落ちマス!」
さすがに見過ごすわけにはいかなかった。
「待てよ、チハヤ。オレにいい考えがあるんだ」
「はあ?」
ゾフィーには悪いと思いつつ、輪は不敵な笑みを噛む。
「許してもらえるとなったら、そいつがどんなふうに謝り倒してくれんのか……ちょっと見てみたいと思わないか?」
これもゾフィーを助けるための作戦だった。
今のチハヤを頭ごなしに『やめろ』と制したところで、反発されかねない。あくまでゾフィーを苛める体で、話を進める。
「悪趣味だなぁ、てめえも……だとよ、ゾフィー。あとはてめえ次第だ」
「そ、そんな……Darlingはとんでもない悪魔デス」
両手を伸びきらせながら、ゾフィーは青ざめた。
「どうした? 溶岩でひと泳ぎしてえのか」
「ヒイッ! わかりマシタ、やりマス! やりマスからッ!」
背に腹は代えられないようで、命乞いの台詞を必死にまくしたてる。
「美人で聡明なチハヤ=メラク様、どうか、ご慈悲を! アナタ様の無限の優しさで、ワタシをお救いクダサイ!」
「ん? どのへんが美人だって?」
「か、顔です! 髪がサラサラなのも! スタイルだって抜群じゃないデスカ!」
苦し紛れの出まかせとも言いきれなかった。実際、チハヤの顔立ちは端正な作りで、美青年のような爽やかさが光る。
髪が邪魔だからまとめただけらしいポニーテールも、スマートに決まっていた。
エミィが輪にこそっと耳打ちする。
「チハヤちゃんね、モデルにスカウトされたこともあるんだよ」
「へえ……憧れてる女の子も多いんだろ」
その自覚がないらしいチハヤは、にやにやとゾフィーの窮地を嘲笑った。
「もう歯向かったりしねえって、約束するってんなら……」
「やっ約束しマス! もう手が痺れて……後生デス、早く助けてクダサイってば~!」
笑いを堪えつつ、輪からフォローも入れてやる。
「そろそろ勘弁してやれよ。館の状況についても、聞きたいしさ」
やっとゾフィーはチハヤに引っ張りあげてもらえた。九死に一生を得たことを実感するように、四つん這いで大袈裟な息をつく。
「はあ~。し、死ぬかと思いマシタ」
「大丈夫? ゾフィーちゃん」
「……フフン。なーんちゃって、デース!」
ところがエミィの隙をつき、彼女は一瞬のうちにこちらの包囲を抜けた。虎の子のミョルニルを回収し、高笑いとともに態勢を立てなおす。
「ワハハハッ! ミョルニルさえ取り返せば、こっちのものデス!」
「お、お前!」
一方、輪たちは脆い足場へと追い込まれる形となった。あと一発でもミョルニルを叩き込まれようものなら、祭壇は崩れ、灼熱の溶岩に飲まれる。
チハヤは臆さず、炎のこぶしを突きあわせた。
「ヘッ! そんなこったろうと思ってたぜ」
輪もブロードソードを握り締め、切っ先をゾフィーに向ける。
「助けてやったら、速攻でこれかよ」
「こういうやつなんだよ、ゾフィーは。相手するだけ無駄ってこった」
一触即発の雰囲気が立ち込めた。マグマの熱気が輪の額や首筋に汗をもたらす。
「ひ、ひどいよぅ……」
不意に声を上擦らせたのは、エミィだった。
「ぐすっ……私、ゾフィーちゃんのこと信じてたのに、うえぇ」
輪もチハヤもゾフィーも振り向き、ぎょっとする。
エミィの瞳が今にも零れそうなほどの涙を溜めた。鼻をすすっては、嗚咽を飲む。
「どうひて、えぐっ、仲良くしてくれないの……?」
輪とゾフィーは同時に武器を捨て、和気藹々と肩を組んだ。
「じ、冗談だって! なあ、ゾフィー? オレたち、ほら、マブダチなんだし」
「そそっ、そうデス! ちょっと驚かせてやっただけデスよぉ~」
ふたり一緒にぎこちない笑みを引き攣らせる。
安心したのか、エミィは胸を撫でおろした。
「なあんだ……もう、ゾフィーちゃんったら、びっくりするじゃない」
「び、びっくりしたのはこっちデス……」
チハヤは呆れ、肩を竦める。
「興が削がれたぜ、はあ……。とっと戻すとすっか」
メラク・エリアの主がクリスタルに触れたことで、禍々しい気配はなりを潜めた。溶岩の泡立つ音も、波が引いたように小さくなる。
「あとはメグレズ・エリアか。あそこは館のシステムを統括してんだぜ? ったく、てめえ、余計なことしてくれやがって」
黒幕であるはずのゾフィーは悪びれず、照れ笑いを浮かべた。
「ホントはデスねぇ、もっとスマートに乗っ取るつもりだったんデスけど……連れてきた相棒が、すっかりその気になって、お屋敷の権限を奪っちゃいマシて」
その口角がひくつく。
「実はワタシも閉じ込められて……ここから出るに出られない、といいマスか」
ゾフィーの無責任な言動には、輪たちも肩を落とした。
セプテントリオンの館の占拠を目論んでいながら、仲間が功を焦ったために、大失敗をしたらしい。脱出できずにいるメンバーは、ゾフィーも加えて、この場にいる四名。
「そいつをメグレズ・エリアから叩き出さねえと、外には出られないってことかよ。面倒くせえけど、やるしかねえなぁ」
「そ、それではみなさん、頑張ってクダサイ」
ゾフィーはカニ歩きで逃げようとした。その首根っこを輪が捕まえる。
「お前のせいなんだから、手伝えっての!」
「へ? 知りマセンよ。ここはセプテントリオンのお屋敷であって、ワタシのお家じゃないんデスぅ。あっかんべー」
「お前が乗っ取ろうとして、こうなってんじゃねえか!」
懲りない、悪びれないゾフィーの態度が、輪の神経を逆撫でした。
泣き虫のエミィが表情を曇らせる。
「……ほんとに手伝ってくれないの? ゾフィーちゃん……」
「そそっそんなことは!」
慌ててゾフィーは空笑いを引き攣らせた。ミョルニルの素振りで意気込む。
「メグレズ・エリアを乗っ取りやがった悪党なんて、ワタシがぶちのめしてやりマス!」
「うふふっ! 頼りにしてるね」
疑うこともせず、エミィは柔和な笑みを弾ませた。
輪とゾフィーは顔を近づけあい、声を潜める。
「とりあえず休戦にしまショウ。エミィが泣いたりしたら、手に負えマセンから」
「同盟成立だな。館を出るまで、マブダチで頼む」
チハヤは待ちくたびれた様子で、ストレッチを続けていた。
「話はまとまったか? 行くぜ」
「ああ。あとはメグレズ・エリアの制御クリスタルだな」
新たにゾフィーをメンバーに加え、メラク・エリアをあとにする。
ようやく溶岩の熱気から解放され、汗が引いた。これで、エントランスにある七つの扉のうち、ひとつを攻略したことになる。
きゅるきゅる、と誰かのお腹が鳴った。エミィが恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「ご……ごめんなさい」
「そういや、オレも腹が減ってたんだ。チハヤ、先に休憩にしようぜ」
チハヤも乾ききった溜息をついた。
「おれもなんか飲みてえし……よし。腹ごしらえすっか」
エントランスの脇にある階段を降りていくと、食堂に着く。椅子の数は七つ、ちょうどセプテントリオンの人数だけ用意されてあった。
ゾフィーがミョルニルの槌を円盤状に変形させる。フライパン、らしい。
「ワタシが作りまショウ。食材、適当に使っちゃっていいデスカ?」
「ありがとう! じゃあ、お願いね」
エミィは感激する一方で、輪は半信半疑だった。ゾフィーという生粋の変人に、まともな料理が作れるとは思えない。
「飲み物、持ってきてやらぁ。コーラでいいだろ」
「サンキュ。悪いな、オレの分まで」
ゾフィーに続いて、チハヤも厨房のほうへと引っ込んだ。輪とエミィは隣り合わせで席につき、料理を待つ。
「ふふふ……」
エミィが何やら愉快そうに笑みを含めた。輪は頬杖をつき、眉を顰める。
「どうしたんだよ? エミィ」
「不思議だなあ、って……。あのね、チハヤちゃんが男の子と仲良くするのって、初めてのことなの。いつもはもっと男の子が大っ嫌いで……」
あれだけ男勝りの性格であるにもかかわらず、男性に対し、チハヤ=メラクは一種の拒否感を抱いているようだった。スケベには容赦ない五月道澪と似ているかもしれない。
「オレとしては話しやすいけどなあ」
間もなくチハヤが缶ジュースを抱え、戻ってきた。
「コーラが一本しかなくてさぁ。……で、お前ら、何の話してたんだよ?」
「えへへ、なんでも」
冷たい炭酸で一服しつつ、輪は広々とした食堂を見渡す。
(セプテントリオンのアジトってことか)
この館には七つのエリアが存在し、食堂のテーブルにも七つの椅子があった。これまでに出会ったのは、メグレズ、メラク、フェクダ。
「ほかのセプテントリオンは、ここにはいないのか?」
「どいつも忙しそうにしてっからなあ……わけわかんねぇのもいるし」
メグレズのほか、ドゥベ、アリラト、ミザール、ベネトナシュの椅子は空いたまま。
三十分ほど経って、ようやくゾフィーが料理を運んできた。予想にとは裏腹に香ばしいにおいが漂ってきて、輪たちを驚かせる。
「じゃっじゃ~ん! お待たせしマシタ!」
「遅ぇんだよ、ゾフィー」
チハヤも悪態をつくものの、その出来栄えに瞳を輝かせた。
「ゾフィー特製、ボンゴレのスパゲティ、デース!」
「さっきのフライパンは使わなかったのかよ。にしても、意外だなあ」
時間が掛かったのも納得できる。
あさりならではの磯の香りが、鼻孔をくすぐった。オリーブオイルを充分に絡めたパスタが、光沢を放つ。フォークで巻き取るのも簡単だった。
「……おっ! 美味しいじゃないか、ゾフィー」
「フフフ、十八番ってやつデス。パスタなら任せてクダサイ」
鼻高々に自慢するだけのことはある。
「しょうがねえなァ。乗っ取ろうとしたことは、勘弁してやるぜ」
ゾフィーの同行には不満げだったチハヤさえ、上機嫌に頬張った。この面子でまったく音を立てずにスパゲティを味わえるのは、エミィだけ。
「ふう、ごちそうさま」
「お粗末様デシタ」
おかげでお腹もいっぱいになった。力が湧きあがってくる。
「これでまた戦えるな。メグレズ・エリアに乗り込んで、さっさと片付けちまうか」
輪は立ちあがり、ガッツポーズで気合を込めた。
休憩は取れたものの、正午を過ぎている。脱出が遅くなっては、閑たちと浜で遊べなくなる恐れがあった。それはつまり、彼女らの水着姿を拝めない、ということ。
チハヤも伸びとともに席を立つ。
「そんじゃ、フェクダ・エリアの経由で行くぞ」
「え、直行しないの?」
「エミィだって知ってるだろ。メグレズ・エリアは面倒くせえからな」
輪たちは厨房をあとにして、フェクダ・エリアの扉を開いた。屋内でありながら、その向こうには庭園が広がっている。
しかし花はどれも色が褪せていた。セピア調の光景が寂寥感を込みあがらせる。
「ここがエミィのエリア、か」
「ひとりで離れるなよ、リン。迷ったら出られねえぞ」
鉄製の柵には二メートルほどの高さがあった。スロープなども合わさって、複雑な迷路を仕上げ、侵入者の行く手を巧妙に遮る。
このエリアの主、エミィがぼそぼそと呟いた。
「ここには隠し通路が多いの。上手く使えば、メグレズ・エリアの中継地点まで、カットできるはずなんだけど……」
行き止まりと思いきや、突き当たりの鉄格子が開く。
「なるほど……ワタシも次からはここを通って、ほかのエリアをいただくデス」
「リン、あとでそいつの頭ぶん殴って、記憶を消しといてくれ」
さらに進んだ先では、花壇の後ろに梯子が隠れていた。スイッチで開閉するドアまであり、全員で頭を悩ませる。
「なんでチハヤもエミィも知らないんデスカ? ここはあなたたちのお屋敷でショウ」
「メグレズじゃあるまいし、迷宮の構造なんざ、憶えてるわけねえだろ」
とはいえレイも出現せず、ほどなくして突破できた。
この館のエリアはそれぞれ、主の性格が如実に反映されるのかもしれない。現に最初のメラク・エリアは構造こそ単純だが、連戦を強いられた。いかにも好戦的なチハヤらしいストイックな作りといえる。
恥ずかしがり屋のエミィのエリアは、隠し通路だらけ。
となれば、メグレズ・エリアは、あの変人の嗜好で満たされている可能性が高い。
「……おれ、嫌な予感がするんだけど」
「そいつは間違っちゃいないと思うぜ。いいか、まじで気をつけろよ?」
豪胆なチハヤであっても、慎重な足の運びになった。一行はフェクダ・エリアを抜け、いよいよメグレズ・エリアへと足を踏み入れる。
見たところ、西洋の古風な城といった作りだった。獅子の彫刻が門番となり、浅はかな侵入者を睨むかのような威圧感を漂わせる。
階段にしても手すりに至るまで、細やかな装飾が徹底されていた。
「すげえな……」
「オーレリアンド宮殿っていうのをイメージしてるんだって」
それこそ宮殿のごとく荘厳なスケールを目の当たりにして、輪は息を飲む。
見上げてばかりいると、ゾフィーの足元でカチッと音がした。
「……や、やっちゃいマシタか……?」
何やら振動が近づいてきて、全員が青ざめる。
大きな岩が一直線に転がってきた。輪はエミィの手を引き、大慌てで駆けだす。
「早速、踏んでんじゃねえっ!」
チハヤもゾフィーも血相を変え、命懸けの競争を始めた。
「わかっただろ? メグレズ・エリアは罠だらけなんだよ、罠だらけ!」
「ゾ、ゾフィーちゃん、ちゃんと気を付けてったら!」
「ヒイーッ! これじゃ、さっきのパスタの評価も帳消しデス!」
メグレズ・エリアでの死闘が幕を開ける。
浜辺では――。
莉磨の勧めもあって、閑たちには豪勢なバーベキューが振る舞われた。食いしん坊の優希が大喜びでそれを頬張る。
「ボク、バーベキューなんて久しぶり! こんな機会、滅多にないでしょ?」
「ええ! さすが愛煌さんのプライベートビーチですわ」
エプロンを取りあげられてしまった沙織も、肩の力を抜き、夏の贅沢に酔いしれた。下ごらえはすべてメイドの莉磨が担当している。
「さあさあ! たくさんございますので、どうぞ、遠慮なさらずに」
「でも、こんなに食べたら、太っちゃいそうで……」
閑の女の子らしい言葉を聞き、優希は喉を詰まらせた。
「うぐっ?」
優秀なメイドが微笑む。
「ご心配には及びませんよ。いいお肉ほど、栄養満点な割に、カロリーは低いものですので。それに午後から、またみなさんでお泳ぎになるのでしょう」
適当な嘘のようだが、優希も黒江も(己の欲求のために)納得した。
「うんうん! 大丈夫だよねっ」
「今食べないと、後悔する」
澪がきょろきょろと浜辺を見渡す。
「それにしても……遅いですね、輪くん。買い出しは終わったんじゃないですか?」
「真井舵様でしたら、向こうの一般ビーチのほうで、お知り合いに会ったそうでして。今日のところはご友人と過ごされるのでしょう」
沙織が愚痴のように零した。
「女性ですわね、きっと。あれで、妙に縁が多かったりしますから」
「そうして立てたフラグを、セクハラでへし折る……それがりんの真骨頂」
輪は抜きにして、バーベキューで和気藹々と盛りあがる。
「……あら? あなたたちは第四の」
そこを意外な人物が通りかかった。閑が驚き、目を丸くする。
「メグレズっ?」
「あの時のセプテントリオンですか?」
澪や沙織も反射的に構えを取った。しかしメグレズは涼しい顔で、挨拶を返す。
「ごきげんよう、イチノセシズカ。こんなところで会えるなんて、思いもしなかったわ」
「こっちの台詞よ……びっくりするじゃないの」
ひとまず閑は冷静になって、メンバーの臨戦態勢を制した。
「みんな、落ち着いて。ここはカイーナでもないんだし」
「そうでしたわね。わたくしとしたことが、つい」
メイドの莉磨が前に出て、メグレズにやんわりと注意を伝える。
「申し訳ございません。この一帯はコートナー家のプライベートビーチでして……」
「道理でひとが少ないわけね。ごめんなさい、すぐに出ていくから」
メグレズも素直に詫びた。ここで閑たちと事を構えるつもりはないのだろう。大人びたサマードレスを潮風に晒し、スカートを波打たせる。
「マイダーリンはいないのかしら」
「輪なら、向こうのビーチにいるそうよ」
澪も警戒をやめて、来客に飲み物を勧めた。
「よかったら、メグレズさんも少し食べていきませんか? 量が多すぎて……」
「うふふ、気をつかわないでちょうだい。でも、せっかくだし、お茶だけいただくわ」
こうやって話している分には、彼女に悪意は感じられない。
前回の事件にしても、メグレズのカイーナが民間人を巻き込むことはなかった。蓮の誘拐も善意によるものと判明している。
「あなたもひとりってわけじゃ、ないんでしょう?」
「わたしは保護者みたいなものよ。年長者ってだけで、もう……」
セプテントリオンの面々もこの浜辺に来ているようだった。
「それじゃあね、イチノセシズカ。マイダーリンによろしく伝えておいて」
「わかったわ」
夏の海は午後からが本番。バーベキューの煙が青空へと吸いあげられていく。
セプテントリオンの館では――。
今度はエミィが罠を作動させてしまい、左右の壁が迫ってきた。
「ごごっ、ごめんなさい!」
「話はあとだ! とにかく急げっ!」
輪たちは顔面蒼白になりながら、全速力で引き返す。
間一髪、ゾフィーのスカートが挟まるだけで済んだ。ゾフィーが地団駄を踏む。
「どうして触ったりするんデスカ! 迂闊すぎマスよ、エミィ?」
「うぅ、ごめん……」
さしものチハヤも息を切らせた。
「はあ、はあ……片っ端から踏んでるお前が言うなっての」
メグレズ・エリアに突入してから三十分と経っていないのに、すでに四回もトラップに引っ掛かっている。そうして罠に翻弄されるうち、迷ってしまった。
(黒江なら、マッピングも正確なんだろーなあ)
メンバーの編成は輪とチハヤ、ゾフィーで前衛につき、後衛はエミィが担当。エミィと同じくゾフィーもヒーラーであるため、とりあえず怪我の治療には事欠かなかった。
「古典的なトラップばかりだからさ、注意してりゃ、そう掛からないんじゃないかな」
「そのはずなんだけどよぉ」
チハヤが輪の耳元で声を潜める。
「ゾフィーとエミィがどうしても、なあ」
エミィは慎重が過ぎるせいで、かえって罠に掛かりやすかった。落ち着きのないゾフィーに至っては、こちらが言ったそばからスイッチを踏むわ、レバーを倒すわ。
「おっ! 見てクダサイ!」
問題のゾフィーが宝箱を見つけ、声を弾ませた。
「ま、待て!」
輪の制止も聞かず、真正面から開けてしまう。
けたたましく警報が鳴った。あちこちからレイが群がってくる。
「ゲエッ?」
「お前ってやつは! いい加減にしてくれ!」
しかも宝箱は空っぽだった。
浜辺では――。
ビーチボールがふわりと宙を舞った。
「今でしてよ、閑さん!」
沙織が絶妙のタイミングでトスをあげ、閑が強烈なスパイクを叩き込む。ボールは澪と優希の間をすり抜け、閑チームの得点となった。
審判の黒江が笛を鳴らす。
「はい。次もさおりのサーブから」
「この調子で一気に決めてやりますわ。えいっ!」
沙織のサーブがネットをぎりぎり越えて、サイドラインの脇を狙う。
「甘いってば、沙織ちゃん!」
その軌道は優希が読みきっていた。俊敏なレシーブで拾いあげ、ボールを中央に戻す。
澪はトスに力を込め、ボールを高く浮かせた。
「お願いします!」
「任せてっ!」
テンポよく優希が全身のバネをたわめ、一息にジャンプする。
高角度から優希のスパイクが炸裂。と思いきや、ボールは明後日の方向に飛び、審判の顔面を強襲してしまった。
「はぶっ?」
優希は照れ、ぽりぽりと頭を掻く。
「ごめん、ごめん。ボク、球技は苦手でさあ」
「運動神経はいいのにね、あなた。次はチームを変えましょうか」
黒江は鼻を押さえ、涙ぐんだ。
「ノーコン……あと、みんな、揺れすぎ」
肉感的なビキニスタイルがこれ見よがしに弾んで、艶やかに照り返る。
セプテントリオンの館では――。
輪とゾフィーはひしと抱きあっていた。
「ちょっと、変なとこ触らないでクダサイってば! ヘンタイ!」
「しょ、しょうがねえだろ?」
ふたりして、落とし穴の上で宙ぶらりになる。
ミョルニルの槌が横長に伸びて、穴の枠に引っ掛かり、かろうじて命綱となった。輪とゾフィーは相手の身体ごとミョルニルにしがみつき、救助を待つ。
「ったく……じっとしてろよ、お前ら」
上からチハヤがミョルニルを引きあげに掛かった。おかげで少しずつ上昇する。
穴の外まで這いあがったところで、輪はうつ伏せに倒れ込んだ。その上に同じポーズでゾフィーも乗っかる。
「し、死ぬかと思ったぜ……」
「も~へとへとデス。ゴールはまだなんデスカ?」
かれこれ二時間ほど、一行はメグレズ・エリアを彷徨っていた。フェクダ・エリアの隠し通路でショートカットをしたにもかかわらず、道のりは長く険しい。
「あと少しだよ。頑張って」
それでもエミィの応援が励みとなった。
まだ見ぬ閑たちの水着姿も、輪のモチベーションを上げる。
「行くしかねえな」
「次のフロアで最後のはずだぜ。気張れよ、お前ら!」
前方の扉を、チハヤが勢いよく開けようとした。ところがまわれ右で戻ってくる。
「……悪ぃ。やっちまった」
「へ? 何を……」
それはドアではなく、ドアの形をした異形のレイだった。輪たちは真っ青になって、ここまでの一本道を全力疾走で引き返す羽目になる。
「チハヤだって、これで三度目デスよ? ひとのこと言える立場じゃありマセン!」
「文句はメグレズに言えってぇの! 悪趣味なモンばっか置きやがって!」
「あとにしろ! あいつ、オレたちを食うつもりだぞ!」
この一日だけで、随分と足が速くなった。
浜辺では――。
イルカの浮き輪が波に煽られ、閑ごとひっくり返る。
「……ぷはあっ! び、びっくりしたぁ」
海面からずぶ濡れの顔を出しつつ、閑は浮き輪を引っ張り寄せた。それを目の当たりにした澪が、俄かに赤面する。
「し、閑さん? ビキニが……前です、前!」
「え? ……ききっ、きゃあああ!」
見下ろすと、あるはずのところに布地がなかった。さっきの波でビキニのブラが外れたらしい。閑は真っ赤になり、大慌てで裸の巨乳をかき抱く。
「みなさん! 閑さんのビキニが流されてしまったんです。一緒に探してください!」
優希と黒江は砂でお城を作っていた。
「プライベートビーチなんだし、いいんじゃないの?」
「それは違う、ゆき。ただの全裸じゃ、りんもまったく興奮しない」
沙織はサマーベッドで悠々自適に寛いでいる。
「たまにはこうやってのんびりするのも、悪くありませんわね」
真夏のビーチがさんさんと輝いた。
そして、セプテントリオンの館では――。
数々の苦難を乗り越え、ついに輪たちはメグレズ・エリアの中枢部へと辿り着いた。チハヤが膝に手をつき、疲労感のこもった溜息を吐き出す。
「はあ~。やっとか……」
結局、攻略には丸一日を費やしてしまった。あとはゾフィーが連れてきた『相棒』とやらを片付け、制御クリスタルを奪取するのみ。
「もうちょっとだろ。頑張ろうぜ」
中枢部はドーム状のホールとなっていた。だが、制御クリスタルは見当たらない。
それもそのはず、魔物の巨体が邪魔で、向こうが見えなかった。ドラゴンが一対の翼を広げながら、輪たちに突風じみた咆哮を浴びせる。
「あ、あのぅ、ゾフィーさん? あなたのパートナーはどこに?」
「目の前にいるじゃないデスカ。ダークドラゴンのリュウノスケ、デス」
ゾフィーの相棒はひとではなかった。
「館の魔力がもろに逆流しちゃったみたいで、ワタシの言うことも全然、聞かないんデスよ。ム所から引っ張り出してきたようなやつデスし、やっつけちゃってクダサイ」
凶悪なダークドラゴンを前にして、足が震える。
「じ、冗談じゃねえぞ……」
にもかかわらず、ほかのメンバーにはまるで緊張感がなかった。チハヤがあっけらかんと笑い、輪を指名する。
「ハハハッ! おあつらえ向きのが出てきたじゃねえか。こいつは任せたぜ、リン。ドラゴンスレイヤーの威力ってやつ、見せてくれ」
「へ? そ、それは」
「勇者みたいで、かっこいいよね!」
エミィまで無邪気に声を揃えた。聖剣の名を聞き、ゾフィーは目を点にする。
「さすが『竜殺し』と恐れられたマダラの末裔デスね。お願いしマス!」
ドラゴンを見上げ、輪は顔面蒼白になるまで戦慄した。
(あ、あれだろ? ドラゴンってほら、一番強ぇやつで……)
ドラゴンスレイヤーなどと出まかせを言ってしまったために、窮地に立たされる。
もちろん、輪の武器は何の変哲もない、ただのブロードソード。その威力の低さは残念ながら、身をもって知っていた。
「頑張って、リンさん!」
「お、おう! ドラゴンの一匹や二匹、すぐに片付けてやるって」
エミィに応援されては、引くに引けない。
もはや片付けるのではなく『片付けられる』予感しかしなかった。善戦したうえでフォローしてもらうのが理想だが、輪の実力では難しい。
ならば、今すぐ土下座で謝り倒すか。
「や、やるだけ、やってやる!」
半ば自棄になって、輪は真正面からドラゴンに挑んだ。
「スピードなら、こっちのほうが……うわっ?」
ところが死角から尻尾で打たれ、ピンボールのように弾き飛ばされる。
輪とドラゴンの戦いは、わずか三秒ほどのこと。勇者にしては情けない敗北を目の当たりにして、チハヤたちは呆気に取られた。
「ええと……チハヤちゃん? ひょっとして、リンさんの剣は……」
「ドラゴンスレイヤーじゃなかったんだろ。そんな気はしてたんだよ、おれ」
「にしても、弱すぎデス」
ブロードソードはまたもや折れる。
輪は起きあがろうとするものの、力尽き、べしゃっと倒れ込んだ。
「きゅう」
「魔装をつけてんだ。大丈夫だろうけど、一応見てやれ、エミィ」
「う、うん! リンさん、しっかりして!」
ドラゴン戦では、早くも負傷者が一名。
チハヤとゾフィーは果敢な構えでドラゴンと対峙する。
「仕方ありマセン。ワタシが足止めしマスから、チハヤ、急所を狙ってクダサイ」
「いいぜ、それで。リンの二の足は踏むんじゃ……」
それに対し、ドラゴンが威嚇の咆哮をあげようとした。だが、不意に動きを止め、口から真っ赤な血を吐き出す。
「どこで遊んでらっしゃるのかと思ったら。世話が焼けますね、真井舵様は」
ひとりのメイドがドラゴンの足をくぐり抜け、出てきた。竜の巨体をとんとん拍子に登っていき、その顎を、ただの箒でかちあげる。
ドラゴンはのけぞり、おもむろにバランスを崩した。
がら空きになった腹部に目掛け、メイドが箒の連打を放つ。
「図体だけのザコですわね」
ドラゴンの巨体はくずおれ、砂塵を巻き起こした。一仕事を終えた莉磨が、エプロンの埃をぱんぱんと払う。
驚愕のあまり、輪はあんぐりと口を開けた。
「う、麗河さん? あんたは一体……」
「ご存知ありませんでしたか。わたくしもイレイザーなんです」
イレイザーというだけでは説明がつかない。麗河莉磨は箒ひとつでドラゴンを一方的に撃破してしまった。チハヤが口角をあげ、挑発的な笑みを浮かべる。
「面白ぇじゃねえか。てめえ、番付のひとり、だろ?」
「うふふ、勘のよいかたですね。いかにも、わたくしは麗河莉磨と申しまして……憑依レイは、かのナンバー6ですの」
緊張が走った。チハヤのイフリートが炎を荒らす。
「こちとら、獲物を取られてんだ。誰かさんのせいで暴れ足りなくってよぉ」
「それは失礼いたしました。では……」
「おいおい! ちったあ、付き合ってくれてもいいじゃねえか!」
一面で炎が巻きあがった。チハヤが莉磨へと飛びかかり、ストレートを放つ。
それを莉磨は難なくかわしつつ、箒を旋回させた。
「チ、チハヤちゃん? やめて!」
「お友達もああ仰ってますよ? お嬢様」
莉磨の突きがチハヤの身体を『く』の字に折り曲げ、弾き飛ばす。
「ぐうっ? これくらいで……」
「はい。それくらいで倒せるとは、思っておりませんので」
チハヤはぎりぎりで踏ん張るものの、莉磨の追撃はすでに目前へと迫っていた。一回の交差のうちに、箒がチハヤの肘と膝を正確に打つ。
「な、なんだと?」
チハヤの動きが鈍った。振り向くのも間に合わず、莉磨の猛攻に晒される。
「隙だらけでございますよ。うふふ」
「ぐあっ?」
とうとうチハヤは倒れ、膝をついた。最初に打たれた腹部を押さえ、顔を顰める。
「てめえ……これで六番目の強さなのかよ」
「ナンバー6だからといって、上から六番目の実力というわけではありません。おわかりになりましたら、そろそろ、お納めくださいませ」
莉磨の嘲笑じみたまなざしが、ますますチハヤの怒りを煽った。
「ふざけんじゃねえっ! マジの勝負はこっからだぜ、ナンバー6!」
チハヤは立ちあがり、魔方陣とともに奇妙な文字列を浮かびあがらせる。
俄かにエミィが血相を変えた。
「チハヤちゃん、だめぇ!」
しかしチハヤの頭には血が昇ってしまっている。
「ヘッ! 奥の手を見せてやらあ、CODE=SATA……」
その頭を後ろから、誰かが殴りつけた。
「そこまでにしなさい。死神サイドとのトラブルはご法度だと、教えたでしょう」
「メ……メグレズ?」
セプテントリオンのメグレズが、杖をさげる。
「さっきのメイドさんじゃないの。ただものじゃないとは思ったけど……今度はそちらが不法侵入だなんて、感心しないわね」
「うふふ、失礼いたしました。真井舵様をお迎えにあがったんですの」
莉磨も構えを解き、メグレズには丁寧な会釈で応じた。
チハヤが悔しそうに荒れる。
「待てよ、メグレズ! 面白ぇとこだったのに」
「だからって、CODEなんて使わないでちょうだい。館を消し飛ばす気?」
しかしメグレズには頭が上がらないのか、すごすごと引きさがった。
「……チッ。てめえだって、ナンバー1とやりあったくせに」
輪は首を傾げながら、ブロードソードを拾い取る。
「何が何だか、わかんねえけど、まあいっか。……そういや、ゾフィーのやつは?」
いつの間にかゾフィーの姿が消えていた。チハヤとメグレズの溜息が重なる。
「どさくさに紛れて、逃げやがったな」
「あの子にも困ったものね。おかげで、ここに入るのも骨が折れたわ」
メグレズの手が制御クリスタルに触れると、それまでの歪な気配も消え失せた。犯人を逃がしてしまったとはいえ、ひとまず館のシステムは正常化できたらしい。
「帰りましょう、真井舵様」
「……そうだな」
帰りはエントランスまで直通のルートを通って、夕焼け色のビーチに出る。
チハヤたちも見送りに出てきた。
「てめえもちったあ、強くなれよ? 筋は悪くねえんだからさ」
「手伝ってくれて、ありがとう。またね、リンさん」
照れくさくなって、輪は苦笑いを浮かべる。
「あんまり役に立てなくて、ごめんな」
「なんなら、わたしが稽古をつけてあげましょうか? マイダーリン」
「……考えさせてくれ」
別れ際、メグレズに一枚のカードを差し出された。北斗七星が描かれている。
「この館に自由に出入りできる、許可証みたいなものよ。あげるわ」
「お、おう」
輪は莉磨とともにセプテントリオンの屋敷をあとにした。
潮の香りが、戻ってきたことを実感させる。
「真井舵様は弱いというより、力の使い方がまだ、わかっていらっしゃらないのですわ。あなたの先々代様も、実力はわれわれナンバーに匹敵しましたし」
「マダラ、だっけ。莉磨さんは知ってんのか」
太陽は地平線の向こうに沈みつつあった。橙色の絵の具みたいに海へと溶け込む。
(閑たちとは少しも遊べなかったか……はあ)
やるせない溜息が落ちた。しかしまだ明日も明後日もある。
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